名前を隠して楽しく日記。
それが答えでしょ、逆に。訳の分からんのではなく。
男児は去勢コンプレックス(父親に去勢されるかもという不安)から母親を手に入れることを諦め、エディプスコンプレックスが崩壊するために、近親相姦の欲望などは放棄されることになる。しかし女児は去勢コンプレックスが生じて、それが契機になって母親から父親への愛情対象の転換が起こるとされている。故に女児はいつまでも父親を愛したままになり、フロイトは女児のエディプスコンプレックスはいつまでも続き、崩壊するきっかけがないと言っている。
そのため、女児には男児のように強力な超自我が生じないと言う結論を主張している(明確な超自我形成にはエディプスコンプレックスが放棄される必要がある)。
ずいぶんと乱暴だと思うが、"女児には強力な超自我が生じない"は言いたいことが分かる気がする
気がする
どっかで見たよなーって思ってたけど
追求する場が無いっていうのは十分に分かるんだけど
予算委員会では予算の話をしてほしいし都知事選では東京都の話をしてほしいのに
これ無自覚なんだろうけど「普通」の定義を逆算して決めているから、循環論法で意味が無いんだよ。
確かに病気になった状態は普通の状態では無いんだが、これは「普通」というものがそのように定義されているから。
病気もせず健康で仕事があって、という状況を「普通」と定義しているから、そこから外れたら普通では無くなる。
しかし、それは単に定義の問題だから、それを逆にして「普通じゃ無いから健康じゃ無い」「普通じゃ無いから仕事が無い」とは言えない。
この件も、「その程度で死ぬのは普通ではない」と言う定義を逆にして「普通の人間はその程度では死なない」と言っているに過ぎなくて、何の意味も無い話。
元の話も「自殺したから普通じゃ無いにちがいない」と言う心理に付け込んで、一部で被害者は精神疾患があったっていう風説が流布されてるんだと思う。
冷静に考えればこのように整理できるような話が、なぜ受け入れられてしまうのか?
やはり常に出しておく以外の解決策はなさそうだな
何をどうしようとその瞬間は「急に」ですよね