最近、中東イスラム研究者の池内恵氏が博士号を持っていないことが、X上で話題になっていた。やたらに博士号を持っている側を持ち上げたり、あるいは逆に博士号は重要ではない、実績を見よ、と反論していたりするのが目に付く。
だが、博士号に関しては議論の前提が違う。かつて、そもそも日本の人文系の博士号はレジェンド級に希少であり、真っ当な研究者でも取得できないのが普通だったのだから。90年代以前の人文系の研究者の大部分は、博士課程で博士号を取得することはできないと認識していただろう。
その様相が変わって学位取得が適正化されたのは、池内氏が学部生、院生として過ごした90年代から2000年代にかけてのことだ。池内氏はその変化の恩恵?を授かれなかった狭間の最後の世代なのだと思う。
その点に触れている投稿がなかったので、メモしておこうと思う。
人文系の博士号の取得について認識の齟齬が生じる原因は大きく二つだ。
現在では人文系の博士号の運用は理系の運用に近づいた。だが世代や文理の違いによって事実が見えなくなっている人が多いのだと思う。
90年代中盤当時、大学院について調べていると謎の単語「単位取得退学」に出会った。博士課程に進学し修了したとして、しかし残念ながら学位もらえず、ということはある。ここまでは当然だろう。不思議だったのは、単位取得退学という言葉がまるで学位のような扱いだったことだ。プロフィール欄に堂々と書くようなものか?と思った。
調べるとどうやら人文系で博士号を取得するのは非常にマレだということだった。それゆえに単位取得退学が学位のように通用していたということである。
ざっくりと状況を把握するには、下の 3.4.2日本の博士号取得者 (1)日本の分野別博士号取得者 あたりを見てほしい。
[科学技術指標2021・html版 | 科学技術・学術政策研究所 ](https://www.nistep.go.jp/sti_indicator/2021/RM311_34.html)
実態としての運用はどうだったか。その雰囲気はこの辺のWikipediaの記事に詳しい。
[単位取得満期退学](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%98%E4%BD%8D%E5%8F%96%E5%BE%97%E6%BA%80%E6%9C%9F%E9%80%80%E5%AD%A6#%E4%BA%BA%E6%96%87%E3%83%BB%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%B3%BB%E3%81%AE%E7%89%B9%E8%89%B2)
「1989年以前の東京大学大学院人文科学研究科では、大学院生にとって課程博士論文は書かないことが原則で書くことは例外であったという」
少なくとも90年代以前では、人文系の研究者がキャリアの初期に博士号は困難であったというより、ほぼ不可能だったみて構わない。かつて人文系の博士号はキャリアの晩年に差し掛かってそれまでの功績を評価してもらうもの。今のように博士課程を修了した時点でキャリアの出発点となるような資格のようなものではなかったのだ。
この状況は1990年代に入ると徐々に変化する。
[23.博士学位授与数の推移と授与率:文部科学省](https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/attach/1407428.htm)によると、博士授与率は、
平成3年度(1991年度)に人文系4.7%、工学系78.1%だったものが、平成13年度(2001)年度では、人文系で23%、工学系では88.6%と変化する。まだ差はあるものの確実に変化している。
いずれにせよ、2000年前後は、「博士課程を修了して真っ当な評価を得れば博士号を取得できる」という普通の状況に至るまでの長い変化の途中の時期だった。
博士号を取得する人の数は増え続けている。ただご存知の通り、その活躍先が十分あるとは言えない状況だ。
このことで企業側の受け入れ姿勢を批判する向きもあると思うが、それは間違っていると思う。かつての日本の博士号(人文系)の授与が異常だったのであり、企業はそれに適応しただけだろう。変な運用を続けていた大学に責任がある。企業の変化にはまだ時間がかかるだろう。
現在、特に人文系に関して博士号は多く取得されるようになったが、だからと言って価値が軽くなったという話ではない。
ただ時代が違ってしまうと、まるで別のものになっていることは押さえておきたい。別の分野の研究ともなると尚更比較するのは困難だ。
私自身は結局アカデミアとは無縁のキャリアになったので、個別の研究室の中のことを知る由もないが、おそらく池内氏が博士課程に在籍していた2000年前後は博士号の扱いの転換期だったはずだ。その当時は学位を取得することは不可能ではなかったが当然でもなかった時代だと言える。
まして、仄聞するに、池内氏は学会の因習、悪弊に対して相当の武闘派であったようだから、そう簡単に学位を取得できる状況だったとは思えない(これは憶測だが)。
池内氏の中東、イスラムの分野の研究における業績は既に輝かしいし、一般向けの著書や寄稿も数多い。加えて組織の設立・運営、後進の育成など、並みの胆力ではこれだけのことはできない。
現在、この世界情勢のもとで池内氏の解説や発言は、信頼のおける言説としてますます重要になっていると思う。
当人にとっては博士号の話など大きなお世話で、拘泥もしていないと思う。
ただ、一般の人が博士の扱いの変遷について知らず、この話題によって氏への信頼に一点でも曇りを生じそうな人がいるなら、それは違うとは伝えておきたい。
デジタル時代にキャッチアップして、change.orgで署名を数千件集めたら人文学の博士号をゲットできる制度にしてほしい。
さらにまたポピュリスト有利に時代を進めるのか
それだけ実績のある人なら、博士論文書けばすぐ博士なれるんじゃないの?
他に書いてる人いるけど、実績があるからむしろ博士号を今更とることにあんま価値が無いんだよ。 てか池内先生くらい忙しい方だと博士論文を書いてる時間が勿体ないということにな...
そりゃ博論書けばすぐ博士になれるけど「すぐに博論書くこと」はできない 文系の場合は書籍で複数冊出版になるような数百ページのボリュームで書かなきゃいけないし、すでに実績出...
そんな書かなきゃなんないのか イマイチ理解してないんだけど、前書いた論文をそのまま提出するだけじゃだめなのか?
それまでに書いた論文を纏めて「自分の研究総まとめはこれです!」みたいな博論書く人もいるけど、どっちにしろまとめ直し・再推敲・補足追記とかあって作業量的にはかなりのもん...
現役の時に取っても今更メリットないから 定年の時におまけで貰えるし今時間かけて取らなくてもいいんだろ
人文系博士号授受の多寡と企業の博士受け入れとは無関係でしょ。理系ですら博士号取得者の職の開拓に苦労してたんだから。 人文系での課程博士授与率増加が持った本当に重要な意味...
選ばれし民だと
ほむほむ
人文系研究者のハシクレ(そろそろ若手じゃなくなりそう)として補足しておく。 今でも単位取得退学は普通にある経歴 文系、特に人文系では博士論文の執筆がキッチリ3年で終わる人...
参考になる 若い人(30くらい)で博士も持たずに社会学者とか名乗ってるやつは叩いて良いんだと思った
サヨクがーとか言っている人はこの手のネタに無反応だよね。かわいそうに・・・・キタムラさんの名前が出ているにも関わらずねえ
うるせぇサヨクが
はえーinhumanitiesには分からん世界ですわ 早くhumanになりたーい
博士号を持っていない人文学者や社会学者を馬鹿にする理工系を見ると、はらわたが煮えくり返るよな。 お前ら3年でとれるレベルなんだろうけど、こちとら、お前らでは逆立ちしても...
博士号って教授目指す以外に意味ある? ないならクソほどどうでもいい
まーた自称インテリ?
博論まとめきれないのはシンプルに論文書く練習が足りてなくて、文理でレベルがどうのって話じゃないんだよな。そういう甘えは学士と一緒に卒業しなよ。
横のうろ覚えだが文系の博士号って教授でも持ってなかったりするくらい取るのが難しいんじゃなかったっ
実効性の無い資格はトロフィー要素でしかないからどうでもいいよ
その簡単な練習すらできてないのが文系とも言えるかな
自分が知らない分野を見下すのはただのアホっぽい
文系の自虐やで
理学だと修士の教授とかよくいるね ほかの学部はどうなんだろ
良エントリ保存 これもいい https://anond.hatelabo.jp/20231120071046
そういや農学部卒な俺の恩師も普通に単位取得退学だったな。ドクター論文は確か30過ぎに書いてた。 自分が学生だったのももう20年前とかの話だけど。
文盲か?農学部は人文系じゃないだろ
ざっくり文系/理系で分けるなら農学部は理系にとりあえずなってるけど、幅が広いいんだよ。 分子生物学みたいな理系の先端に近いとこもあるし、農業経営とか農業政策とかみたいな...
経済学部も逆の感じでこれ
それくらいの年代だととにかく大学教員の成り手が不足しててどんどんポストにぶち込んでた時代