はてなキーワード: エシカル消費とは
増田でバズった某エントリーの通り、『株主に突っ込まれるまで無視』が正しい戦略なんですよね
なぜなら炎上に気づかない人たちは謝罪にも謝罪に気づかないからです(コストが無駄。なんなら謝罪きっかけで話を知ってしまうまである)
自分たちのメイン客が、『倫理的消費(エシカル消費)に気を使う余裕のある所得を持っていない』 or 『ネット感度低い』 とわかっている場合は、
謝罪しない方がお得です
でも何を思ったのか、よもやHuluやジブリの会社としてどっかからツッコミでも入ったのか、
倫理的消費に興味がなくネット感度の低い大衆向けサービスをやっている日テレが、
おそらく1円の得にもならないのに、まさかの内部調査チームを立ち上げ上げたんですよね
ここまででもだいぶ驚きなのに、内部調査のコメントには腰を抜かしました
26日の日テレの定例会見で「できあがった作品の二次利用などについては契約を結ぶが、ドラマ制作の詳細について契約書は存在しない」
制作過程や著作者人格権に関わる契約については、「作品ごとにはない。法律に基づいた枠組みでの了解は当然あるが、約束事を文書で取り交わしているわけではない」
コンプライアンス担当の取締役執行役員が責任者を務め、顧問弁護士ほか、外部から著作権分野に詳しい弁護士、コンテンツ制作の契約法務などに実績のある護士を招く
とりあえず、TV業界御用達の脚本家協会のひとつは下記のように書いているので、著作人格権と著作財産権、特に著作権法第20条の規定の解説から、日テレ弁護士さんにお願いしたいです
あと契約書についても日テレ弁護士さんに解説をお願いしたいです
【日本シナリオ作家協会・脚本契約7原則】
(1)「オリジナル企画」および「オリジナル脚本」の脚本家は、原作者として尊重されなければならない。
(2)「オリジナル企画」および「オリジナル脚本」が映像化に至らなかった際は、特段の取り決めがある場合を除き、いかなる場合も著作者である脚本家が任意に利用できなければならない。
(3)企画開発費と脚本料を一元化してはならず、企画段階の企画書・プロット執筆、脚本執筆には、別途ギャランティが支払われなければならない。
(4)脚本料は受注時に取り決め、長期間に及ぶ脚本執筆 の場合は随時支払われるものとし、決定稿を提出した後、速やかに支払いが完了されなけれ ばならない。
(5)企画開発および脚本執筆のために必要とする取材費、資料費、交通費その他の実費については、発注者が負担しなければならない。
(6)氏名表示に関して著作権法第19条の規定を遵守し、宣伝・広告活動の際にも配慮されなければならない。
(7)著作権法第20条の規定を遵守し、脚本家に無断で脚本を改訂してはならない。
だって現状のイラストAIで出力されるイラストって形が整っているだけの二流の域を出ないじゃん。
逆にマジでAIだけで一流コンテンツをポンポン作れて絵師いらずになったら、オタクは手の平返しでAI賛美すると思うよ。
今は絵師の権利がどーとか言ってるけど、オタク市場なんてエシカル消費とは程遠く、面白いが正義! の世界だもん。
……こういう言い方すると、オタクって凄い身勝手に聞こえるし、まあ実際そうなんだろうけど、でも著作権の理念を考えたらこの考えはむしろ正しいんだよな。
なんで著作権が存在するかと言えば、後発が自由にパクりたい放題だったら、一次創作者のインセンティブが消えてモチベ的にも報酬的にも創作が難しくなり、文化そのものが崩壊するからだ。
ただ、逆に厳しくし過ぎると今度は後発が文化を発展させることができなくなり、これも良くない。
なので、著作権周りの法の理想は、一次創作者と後発権利を調整して、『より優れたコンテンツがより多く創作される』バランスを保つことにあると思う。
この理念に従えば、二流のイラストAIを生かすために優れた絵師からインセンティブを奪うことはうまくないし、逆にイラストAIが絵師を超えた時に絵師の保護のためにラッダイトするのも同様に間違っている。
消費者の立場にいるオタクはこのことが肌感覚で分かっているから、イラストAIに対する忌避感が強いんだよ。
逆にはてななんかで反AI規制を叫んでいる人を見ると、イラストAIがこの社会に生み出すもの・損なうものに対する意識が希薄で、ただ技術フリークの視点でAIに好き勝手やらせたいだけだろって人が多いように感じる。
今のイラストAIに関する議論を見ていると、絵師が学習されない権利を訴えたり、逆にAI推進派が人間とAIの学習は本質的に同じとか言ったりしてるけど、結局それって生成の過程の話で、文化発展のためにどういうルール作りをするのが良いかっていう結果を見据えた議論があまりにも乏しいんだよな。
大人向けのオンラインセミナーが月額980円でいくらでも見れる、みたいなサービスがあるらしいんですよ。
その内容がさ、プログラミングのやり方とかエクセルの使い方とか文書の書き方なら全然いいと思うのね。
でも、
「エシカル消費」がどうたらこうたらとか、「ヴィーガンでSDGs」とかを語ってるとか
あるいは「私の履歴書」みたいなノリで偉い人が自分の人生と哲学を語る動画とかそういうものもあって
それらの価値をどのぐらい高く評価すればいいのかよくわからんのよな。
SNSの普及で、今まで有識者扱いされてた人たちがどんだけいい加減な人たちだったかってのがわかってきたじゃん。
そういう中で「人」の考え方を聞くことにどれだけの価値があるのか、
俺にはよくわからなくなってきたよ。
なんか怖いんだよな。
とてもよくわかる。
性差別とか以前に(男性の売春も同じように反対だ)ヒューマントラフィックすれすれか、そのものの、技能実習生も売春行為も存在して欲しくない。
エシカル消費って、その言葉を知らなくても、ある世代より下の人間にはわりと広く受け入れられてる概念で、(少なくとも多くの国では)、多くの人は、誰かの尊厳を傷つけてまで消費したくないと思い始めている。
野菜と風俗でなぜ違ってしまうのかという葛藤もわかる。考察も正しいと思う。目の前の人の尊厳を直接的に傷つけるのは野菜を買う以上にすごい抵抗があるってことなんだろう。でも、コーヒー農園みたいに、野菜でも、実習生による奴隷労働じゃないですよって名言されてる商品がもしあれば高くても積極的に買う人は結構いると思う。
答えになってるかわからないけど、まとめると、あなたの気持ちはとてもよくわかるし、10年後はきっと日本でもスタンダードな考えになってるんじゃないでしょうか。だといいな。
本筋ではないかもしれないけど、上記のように考えているので、目の前の人に直接的に尊厳を傷つけてでも消費するぜという風俗利用者ってなんかものすごい遠い存在だ。違法じゃなければ目の前の他人の尊厳を傷つけても自分が気持ちよければok!ていうのが、なんか猫を殺して楽しむ人くらい遠い。でも人が思いやりを持てる範囲って人それぞれ違うんだろうな。ベジタリアンの人とかの考え方は自分より思いやりが広いんだろうし。