名前を隠して楽しく日記。
ちょっと長いけど、内容的には納得感のある回答かな。
ヤリチンは表面上人間扱いして穴の人格を満足できたから穴に棒を入れられたわけじゃん?
穴を得られない弱男は表面上すら人間扱いされたと思われない勘違いのゲロカス行動を人間扱いしてやってると誤認してるから女という性別全体を憎悪しつつ絵に描いたり映像記録としての女体をオカズに棒を自分で扱くしかないというところになぜ思い至らないのか謎過ぎる
タレント事務所が金を出すからタレントイメージのための改変をガンガン要求する。もちろん原作のキャラクターとかどうでもいい。
もともとが短髪でみんなに覚えてほしいから、長髪のキャラ設定とか全部無視。
その結果ぶっこわれた脚本を書かされるのは脚本家なわけでそういう意味では被害者だよね。
まあそもそも優秀なドラマ脚本家とやらはそこら辺の要求を盛り込んだうえである程度破綻しないものを作るプロであって面白いものを作るプロじゃないんだろうけども。
ともだちになりませんか?一緒に歌とか、歌いたいです。
広告ブロックに対して強制的に無効にしたり、広告で活動が成り立ってるから止めてください!とか情に訴えたりするのは自由だけどさ、なんでユーザーが広告ブロック使ってるか考えた事ある?改善するとしたらそこじゃないの。
これって人間扱いしないのはその通りだけどあれは満員電車という過酷な環境下で長い年月をかけて醸成された伝統文化みたいなもんだよな
ドつきまわす勢いで強引に乗るとか呼吸を確保するために弾き飛ばすみたいなのがもう文化的なルールになってる。
市内全域全人類が蘇民祭ルックだったらやべー集団だけど蘇民祭の会場であの格好なのはそれはもう蘇民祭なんだよ
だから満員電車という特殊な祭り会場での特殊な儀礼としては人間扱いしないのが文化的に正しい
海外から来たひとはそれを見てカルチャーショックを受けるけどその景色から「遠慮しない」要素だけ取り出して解を得たと思うのはあまりにも一面的な見方なんだよ。
その判定にさんせいです
ねむい
「セクシー田中さん」の報告書で「難しい作家」と言及されていることにネガティブな反応が多くて驚きと反省を得た。
私はゲームコラボという形で著名IPをお借りすることが多いのだけど、出版社のライセンス担当者と話す中で、「難しい○○(先生、委員会、プロデューサー)」という表現はよく使われる。
①監修が緩い作品
③監修が厳しい作品
の3種に分けた際に、③について事前共有として使われる言い回しだ。
監修が緩かろうが厳しかろうがやることは同じだろと思うかもしれないが、どんなものでも期限と予算があるので、その中でやれることには限りがある。
「この作品はやれることに制限がかかったり、監修に時間がかかったりして、当初予定よりも売上が見込めなかったり、期間や費用が余分にかかる可能性が高いですよ。それでも良いでしょうか?」という意味合いで使われる。
「セクシー田中さん」の報告書中でも、少なくとも小学館側はこの文脈で使っているはずだけど、日テレ側は意図的かニュアンスをずらしてきてるように感じた。