はてなキーワード: ブサイクとは
脳味噌ピンク型ブサイクだとヘイトを買うけれど、それなりに好かれていることが多いと思う。
ここで言う男好きは「魅力があって誑かす不二子ちゃん」的造形でなくて、シンプルにオスが好きなタイプ。
で、先日100カノを読んでいたら(100カノ大好き最高)、性欲がある女性キャラクターは同じく女性キャラクターに性欲を向けがちなのかもと思った。軽い百合枠。
男性に性欲を向けることがあっても想い人ただ一人。
不特定多数の男性に性欲を向けるキャラは今の時代だとあまり良くない感じのオカマキャラばかり。
この非対称性ちょっと面白いなと思った。フェミニズムとかそういうのじゃなく、ただの発見。
追記:
アガワさん確かに不特定多数の男に性欲を持っているかつ好かれてるキャラ造形ですね
とはいえ漫画のテーマになるレベルだとまたちょっと違うっていうかあ…そういう趣旨じゃない漫画に出てくるそういうキャラクターっていうかあ…
高校生の頃に付き合った女の子の写真見返したらブサイク過ぎて仰天した
そんなんでもキスやおセックスはめちゃくちゃ気持ちよかったから、「若い女」っていうのは絶望的に強い資産なんだなと思う
平成19年当時の女子供からブサイクだと言われて一度全部消滅し、 団藤重光氏が死んだ平成24年6月26日以降に、Twitterを立ち上げて宮崎北高校で教頭から腐っていると
言われながら教員氏名をふせて暗躍している井上修二か 令和3年だか4年かに、ままんが、86歳で死んだんじゃなかったっけ
昭和42年生まれで、昭和64年に教員になって、放送部、卓球部 有村芳郎と卓球していたのが 平成11年 学歴コンプレックスあり
お前が33歳のころの事情を隠し通そうが、俺は知っている
二次元にしろ三次元にしろ、美少女orイケメンのキャラor実在人物が大好きなオタク達が自分や周囲の仲間達のブサイクさを許容する方がおかしいんだよ。
今まではやろうと思ってもどうせ無理だから考えても仕方ないよねと諦めていた。
できないことをやろうとしても無意味だし、やれと言うのはいけないことだから。
でも、10年前20年前だったら一部の金持ちや芸能人しかできなかったようなファッション・美容・ボディメイク・美容整形なんかが今では安価で庶民にもできることはちょっと調べればわかる。
やればそこそこ以上の見た目には誰でもなれるはずだから、かつての諦めは通用しない。
オタク達はいつかどこかで、お前らあんなに綺麗なものが好きなのに毎日嫌でも見ることになる自分が綺麗になれるかどうかの確認すらしないのはなんで?と問われることになるよ。
でも仕方ないよね。
何に対しても言えることだけど、やりもしないでああだこうだと文句を垂れるエアプ野郎と仲良くなれる心の広いオタクは多くはいないからね。
男性は理解してくれないんだけど、女性が弱者男性(ごめんなさい)を見た時に感じる嫌悪感(恐怖心の場合も)は、男性がブサイクな女性を見た時のそれとは比べ物にならない
ジムだから腕を上げたり、脚を開いたりするわけだけど、やっぱりそういう人って見てくるのよ
いや、普通の男も見るやつは見るだろ。という反応がありそうだけどここだけは明確にしておきたい。
見てくるのは所謂チー牛と言われる男性だけなのよ。女性なら共感してくれると思う。
女性に被害を加えているのは弱者男性じゃあなくて強者男性だ!とTwitterで盛り上がってる人たちには悔しいだろうけど
特にトレーナーの場合は最悪。なんであえて女性専用のジムで働こうとする?
男性保育士にも言えることだけど、なぜ。なぜ!あえてそこで働く?
あれ、、、?
ってことは、、、、あっ(察し)
https://anond.hatelabo.jp:443/20240512110229
「将来の夢はパイロットです」どっちの性別で脳内再生された? どうせ男の子だろ。自分の中の差別意識に気付きましょう
…みたいなアレの何がダメか。
「現にパイロットは男が多いからそれが自然だ、差別意識のせいじゃない」とか、その手の反論は今ひとつ芯を食ってない。
差別を無くそうというのと差別意識を無くそうというのは全く別の話だ。
社会が目指すべきは後者への手当てであり、「意識」はもとより内心の自由に属する。
差別意識を人びとの脳から消し去るのが目標ラインではなく、一人ひとりが差別意識を理性の制御下に置くのが目標ラインである。
つまりは差別に関する公正さというのはセンスではなくセオリーなのだ。
では差別意識を取り除くことは不可能なのかといえば個人単位ではまあそうだ。ざっくりいえば。
確実に期待できるのは、人が死んで入れ替わることによる変化だけだ。
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「センスでなくセオリー」が意味するのは「本当に思ってることより、どうするのが正しい行いかという知識とその実行スキルのほうが重要だ」ということだ。
どう重要なのかと言うと「わたし」の足場として重要なのである。
えーまじでー?って困惑して欲しい