はてなキーワード: 恋愛とは
その時は好きな理由が一つ増えるだけでは
わかるわー。「優しいから」「身長が高いから」とか好きな理由を全部言語化してもらった上で、
腐女子やってるくせにリアルで恋愛したり結婚したりしている人って一体なんなんだろ
BLが好きってことは世間で「普通」とみなされている恋愛に反感を持っているってことじゃないの?
リアルの男なんて毛むくじゃらで汚いし荒っぽいし声大きいし怖いしマジで女にとって害でしかないと思う
そんな男と女が二人セットでツガイになるのが普通とされている世間の風潮も嫌い
そもそも恋愛なんて女が損するばかりで何にもメリットがないじゃん
妊娠の恐怖を背負うのは女だし性欲の解消も男にもたらされるメリットだしこっちは男のために化粧も服も金をかけないといけないのに男はそれほど金をかけずに済むしそれでいて平均賃金は女のほうが低いし甲斐性なしの男が増えてご飯を奢るのすら渋る有り様だし今の世の中男女で恋愛する価値なんてないと思う
もちろんこういう思考が世間的に異常だとされているのは知ってるよ
でもこの異常な思考を責められることなくむしろ共感しあえるのが腐女子のコミュニティじゃないの?
そうやってリアルの男なんかに煩わされない理想の恋愛を楽しむことができるからみんな腐女子になってBLを楽しんでいるんじゃないの?
ツリーに「彼氏を売り子として連れてきた」みたいな話があったけど本当に信じられない
彼氏がいたり夫がいたりリアルの恋愛を楽しんでいるような腐女子は本当の意味の腐女子じゃないと思う
「最近の女オタクはファッション感覚で腐女子名乗ってるな」ってずっと思い続けてきた私だけど男オタクにもそういうのあるんだと思って少し安心した
オタク趣味は私のような人にとっての「救済」だったのに、オタク趣味以外にも生きる道があるような人がファッション感覚でこちらの領域に入り込んでいることにゾッとする
わかるわー。「優しいから」「身長が高いから」とか好きな理由を全部言語化してもらった上で、
その特徴にすべてマッチしながら「別に好きではない人」を世界中から1人だけでもいいので探し出せるかと言われたら
探し出せる自信があるわ(恋愛系の話がわかりやすいので恋愛の話とする)。
以前、左右固定・相手固定のいわゆる固定厨の人が「逆カプや別カプを見ただけで頭を抱えてしまう」
というのを見かけた。
頭を抱えるだけでなく、時にその逆カプという字面にすら殺意がわいてしまうという話も聞いたことがある。
これを一種の病気としてとらえるならばむしろシンプルなのかもしれない。
しかし、それ以外の話題ではスムーズに会話ができて社会的にも適合している人間が
どうしてその「二次創作のカップリング論」にだけ目をむき出しにして感情をあらわにしてしまうのか…
つまりそのカップリングすらも原作者には意図していない可能性もあり…?
相手固定でも左右固定でもない原作についてはどう思っているのか…?
原作者がその固定厨の想像するカップリング以外を描き始めたときその固定厨はどうなるの?
気になる。
別件かもしれないけれど、「カップリング決めてないのでA×B、B×A両方タグつけた」というのは
友情エンドではないということ?
それってリバカプではいけない何かがあるということ…?というのもまあまあ気になります。
カップリングのタグをつけるということはある程度ゾーニングするという意味でも
どちらかに転ぶ可能性もあり、つまり必然的に左右が生まれると思う。
(左右を表すのタグをつけているし)
ただ、例えばキスだけの関係で凹凸を必要としないのであれば、それもまた表記に困る。
はたまたただ自分が予約できなくなる事を防ぐ為なのか
なんとなく後者かな、という気がしているんだけど、どっちにしろ週イチ6時間とか出来るようになってからやってくれ、って感じだな
とりあえず弱男って俺の観測範囲ではここでしか見ないんだけど、使われ方としては、
恋愛弱者、金銭・社会的弱者として使われてる気がするんだけど、どっちかというと前者の意味合いが強いように思われる
例えば社会的に上手く行ってなくても恋愛では強者として振舞える、いわゆる「ヒモ」的な男を弱男とは呼ばない気がする
でもなんとなくだけど、彼女がいる男でも、自分の社会的な地位というか、仕事で上手くいってないとかいう奴も弱男を自称してる感じもある
個人的には、恋愛、社会的両方兼ね備えてこそ弱男という気がするんだが、なんか弱男を自称する男自身がそれを認めないというか
自分を弱男にカテゴライズする事がアイデンティティーになってる感すらある
そもそも、弱男って「じゃくお」それとも「じゃくだん」、どっち?
国分町のホストクラブで共有されていた、客を操る手順を記したマニュアルです。
職業安定法違反(有害業務の紹介)の疑いで送検されたのは、国分町のホストクラブNOBLEの元店長、草苅亮二容疑者(36)と元ホストの神尾優光容疑者(23)です。
2人は2023年、客の女性に対し性風俗店の仕事を紹介した疑いが持たれていて、マッチングアプリで女性と知り合って店に呼び込み1000万円以上をカードなどで支払わせて借金させていたとみられています。
草苅容疑者は源氏名の神代剣から取った剣塾という研修会を開き、500万円売り上げるまでの物語などと書かれたマニュアルを従業員に共有していました。
「風俗店で働かせることで金を作らせる」「恋愛感情を巧みに利用し担当ホストの売り上げに貢献したいと思わせる」「継続的に金を使わせる」など、マニュアルには客を操る手口が書かれています。
宮城県警は、草苅容疑者らがマニュアルを共有することで、2022年の開店時から店ぐるみで犯行に及んでいたとみて余罪を調べています。
客を陥れるマニュアルを共有 ホストクラブの客に性風俗店紹介した疑いで店長ら2人送検 | khb東日本放送
身内にも「いや、それ詐欺だよ・・・」って案件に巻き込まれながらも、
周囲の説得にガンとして耳を傾けない、相手は自分を騙してないと主張する奴普通にいる。
一流のいただき女子はたぶん別れてからもカモから「彼女が幸せになれたのならよかった」と思われている。
途中で「出した金返せよ。出した金、はした金なんでしょう」とか言われる奴はマジで3流だと思う。
世の中には最後まで「騙されたことにすら気づいてない詐欺」案件がいっぱいある。
その域に達する自信がないやつは詐欺になんか手を出すべきじゃない。
刺されて死ぬよ。
結婚相談所で起こったイレギュラーなお見合い事件が面白おかしく共有される昨今だけど、リアル社会での恋愛という1部リーグ、マッチングアプリの2部リーグで敗退して、相談所という3部リーグで敗者復活戦を目論むサドンデスをしている中で、スムーズにことが運ぶことの方がレアではないか
↓これほぼ全部当てはまるんだけど。これから生きていくのが怖くなった。
ギバーおじの特徴
・独り身が多い
・全部自己責任の考え
・仕事にやりがいを感じてなくて、ただなんとなく生活のために出社している
・夢や希望がない
・お金の使い道がない
・寂しいと感じている
・癒しを欲しがっている
・清潔感は一応ある
・ネット世界に興味無い(TwitterとかFacebookとか)
・熱中する趣味はない
・気遣いをしてくれる
・こちら目線でいつも考えてくれる(待ち合わせ場所はそっちに合わせるよ👴🏻など)
・無駄な誘いをしてこない
・一人でいることが多い
だいぶ前に、ふとした拍子に「好きな作品なら理由が言えるはずだ」と言ったら、「逆でしょ。嫌いなものには理由があるけど好きなものには理由がない」と返されて考え方の違いに驚いたことがある。
その時はそれも筋が通っていると感じたからそれ以上は踏み込まなかったが、思い返すにまだ腑に落ちないものがある。
それは、結局突き詰めて考えると、自分が「好きなものには理由がある」と言う場合、加点法を念頭に置いているからだ。
一般的に加点法と減点法ということを言うとき、加点法の方が分別があるとか生産的だとか言う。
そして加点法で言うならば、「好きな理由」を上げていくことが評価のスタンダードでなければいけない。
となれば、逆に「嫌いなことに理由がある」という考え方は、減点法であり、非生産的な考え方であると言えるはずだ。
しかし一方で、「好きなものはなんとなく好きで、特に嫌いな理由があるときだけ嫌い」というのも穏当な理屈であるように見える。
この、論理の噛み合わない感じが、自分の中でまだ消化しきれない。
「好きなものには理由がある」という加点法的な考え方に対して、「嫌いなものにこそ理由がある」という減点法的に見える考え方は間違っていると言えるのか。
ひとつ重要なポイントとして、「嫌いなものに理由がある」という場合の「嫌い」というのがどこまでのことを意味するのかがあると思う。
「好きなものに理由がある」自分にとって、「好きでないもの」は「どうでもいいもの」だ。特に価値がない、なくて良いけどあっても別に無視するだけのもの。
それは加点法で考える限り当然のことで、加点法で点がつかないものはスタート地点の0。そこから上がりもしないが下がりもしない。ある意味でニュートラル。
なので、「理由があるくらい嫌い」と言う場合、逆にそんなに嫌うほどのものってどれだけあるんだろうと思う。
虫が嫌いとか食べ物の味が受け付けないとかならわかるが、芸術作品など一般的な存在に対してそこまで嫌うということは、単純に珍しいものなのではないか?
その場合、「嫌いなことに理由がある」という人は、「嫌いな物はほとんどないからほとんどのものが少し好き」になるのか、「嫌いなところが目についてアレもコレも嫌い」になるのか、どっちなのだろう。
というところが、分かれ目になる気がする。
結局、普通はどっちが多いのだろう。「好きな理由があるから好きになる」ことが普通だと考える人。「嫌いなものには理由があるけど、好きな理由は特にない」という人。
後者の場合、その「嫌い」はどこまでのものを指すのか? あれも嫌いこれも嫌いで、好きな物以外は嫌いだらけという生きづらい人ならかわいそうだけど、特にこれといった理由がなければ何でも楽しめる、というポジティブな人も多いのだろうか。
また、これは加点法と減点法という観点で語って良いものなのだろうか。一般論としての加点法と減点法の善し悪しに関する議論と、どう論じ分ければ良いのだろうか?
疑問は尽きない。なんか尻切れとんぼ。
自分で整理してみて思ったけど、「嫌いには理由があるけど、好きには理由がない」って、恋愛の理屈みたいに聞こえるね。
自分はものを好きになるって評価するってことだから加点法が誠実だと思ってしまうけど、「好きには理由がない」っていう考え方は、もしかするともっとロマンチックなものを求めてるのかも知れない。
友人たちは家族を持って子供を産んでるか、バリバリ働いて輝かしい経歴を築いているが、自分はボロイワンルームでASMRを聴いて久し振りにときめくという体験をしている。仕事はしてるが見た目は非常に汚くて小太りで冴えない。ネットの弱者男性対女みたいなのからも外れているしょうもない人生を送ってる。
女向けのASMRなんてあるんだね。もう結婚とか無理だし、いかに迷惑をかけずに死ぬかを考えていて、(会社の定年になったら死のうかなあとか)恋愛とかも全くやる気がなく過ごしていたんだけど、YouTube流し見していたら好みの声のASMR流れて、本当に数年ぶりにときめきみたいなのを考えていたんだけど、でも他の人はリアルな人間と関係を築いているし、この音声の対象年齢ももっと若い人たちだし、マジで生きてる意味ないなってなっちゃった。東京でボロボロの服を着て髪がボサボサのやべーアラフォー独身女は生きる資格はない。少なくとも自分にはない。
もう早く死にたいね。
少なくとも薩摩趣味の頃は女を差別し排除した男集団は、穢れたつまらぬ女と恋愛など出来ない美少年様との恋愛こそ至高って感じでホモだったのに、いつ頃から同性愛排除になったのだろう。
結婚したいのかよくわからないけど、なんとなく一人は嫌な気がしていて、それでいて本当に彼氏を作ろうともせず、真っ当に頑張って結果を掴んでいる人に嫉妬し、じゃあ資格でも取ろうとか前向きに動いてるふりするけど、結局身にならず、やはり自分は恋愛や結婚に向いていないと思い、でも完全に結婚したくないのかというとよくわからなくて、ずっとループ
27歳、今まで恋愛経験なし、彼氏なし、処女。一般的に言って何か欠落しているので、ここまでこじらせているのだと思う。アプリはやった。でも続かなかった。合コンにも行った。でも、自分は選ばれないと謎の卑屈さを発揮して連絡を続けなかった。
卑屈、卑屈、卑屈、それは間違いなく心の底にこびりついていて、勉強なんて学生時代にせず遊び惚けていたから、就職していざ頭の良い人たちの社会に入ると、本当に悲しくなる。金持ち喧嘩せずとは本当のことで、「持っている」人たちは劣った人間が集団に居ても、優しい。何があってもこいつが同じ土俵に立つことはないという余裕なのか、今までくぐってきた修羅場なのか、本当に優しいのだ。すごいことに彼らは家柄も知性もある上に、体力もあるし努力もするのだ。
レベルが同じくらいの人たちは、同じボリュームゾーンで付き合って、結婚していく。思いのほか若いうちに。晩婚化なんて正直感じない。みんな30歳までにはきちんと相手を見つけて、覚悟を決めて、身を落ち着けていく。それか、同年代の時期にはすでに一人でも自分の道を貫いていこうと思える強さが備わっている。実際そんなことないのかもしれないけど、切り替えもうまいんだよなあ。そう考えると、どうすればいいかわかんないなんて、こんなことでもやついてめそめそしている時点ですでに一つ次元が低いところに生きているのだろう。
「わたし結婚とか本当に無理だと思う」とか言っていた友達ほど本当にさっさと相手作って結婚していく。本当にこじらせている仲間はもういなくなってしまった。卑屈だから、正直同棲の話とか、結婚の話とか全然聞きたくない、結婚式だって行きたくない。お金はちゃんと出すから幸せな状態を見せつけてこないでほしい。だって1年前までは「むり~笑」とか言い合ってたのにこれだよ、なんと自分の惨めなことか。そしてそんなことに引っかかっている自分が矮小で、一番残念な自覚がある。
自由はいい、というかフリーだった時期しかないからそれ以外がわからない。適切な異性との距離とかわからない。どうやって距離を詰めればよいのか、何かアクションを起こして拒まれた際にきっと立ち直れない自信がある。手探りで正解を探せる時期は学生まで、いまの年齢で経験が無さ過ぎて、かつプライドが高すぎるのだろう、トライ&エラーができるほど打たれ強くない。
うだうだ言わずやってみないと何も始まらないというのは間違いないが、続いたためしがない。アプリなど何度DLしただろうか、1か月以上続いたことがない。ダイエットも、美容も。勉強だってすぐ飽きる。意志が弱い、本気で変わろうと思ってない、やる気がない、きっとそうなのだろう。やはり本気ではないのだ。
そんなこんなで自分に甘く、他人をうらやみ、勝手に卑屈になって辛くなっているだけの自分だが、最終的に結婚したいのか?と自分に問うと、やはりわからない。わからないという言葉で現実をみるのから逃げているのだろう。きっとこのループを3か月周期くらいで繰り返して、35歳くらいになって、いよいよこりゃあ、うまくいってわんちゃんもない、限界だ、とはっきりとした時には何が見えているのだろう。
私が小学6年生のころには、この国の女性軽視はおかしいと思っていた。
そうした中で生活しているうちにうっすら芽生えた男性嫌悪は未だ拭えないでいる。
私のその夏の自由研究はなぜ女性天皇はいけないのか、というものだった。
調べてみると、これは女性軽視とはまた別の問題があることがわかったが、これは私の不信感を払拭しなかった。
若い(もしくは若くない)女性が、弱者男性(この言葉がどういう定義なのか、私にはよくわからないのだけど)をチー牛と煽る(?)のはこの女性軽視の社会の中で育った私たちがうっすら持っている皮膜のような男性嫌悪からくる部分も少しあるのではないかと思う(実際、弱者男性(?)はほとんど女性軽視的な思考を持っているように見える)
弱者男性という言葉はあっても弱者女性という言葉はあまり聞かない。
女性を軽視した社会の中で、社会に優遇されている(ように感じる)男性と恋愛をするのはとても難しいと感じる。
この国で子供を産み、育てることもそうだが、ほぼ敵のように感じる人間とどうしたら恋愛などというものに発展するのか、興味がある。
これは同人女個人からの意見なのですが、同人女全員ががそう思ってる訳じゃないから……主語を大きく発言しては欲しくないな、と感じました。
腐男子でも腐女子と同じように、2次元のBLはフィクションとして見ている方はちゃんといます。ですから二次創作でBLを創作する場合も男性の方も多くの女性ファンと変わらずファンタジーとして嗜んでおります。腐女子に比べて腐男子の数は少ないので苦手に感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、話してみるとそこまで差異が無いです。私も知り合いにヘテロの腐男子がいなければ同じような偏見、もとい不信感や嫌悪感を抱いていたかもしれません。
また同人活動をしている人の中にはゲイやバイの方もいる可能性はありますが、個人的に男性目線の恋愛観やBL作品に興味深いものがあります。
もしどうしても実体験の有無などを気にしてしまうのならば、そこは基本的自由に創作することが許されている二次創作界隈です。二次創作者様へ攻撃的になさらず、作品を買わない、作者をブロックするなどの自衛なさるのが良いと思います。
ここだけの話、ワイは持たざる側なので不倫された女性にマジで共感できない。
だって恋愛できる容姿に生まれて経済力もあって結婚して健康な子供までいて
不倫されたという汚点が許せないんだよね
まだ欲しいんだ。欲張りだなって思う。
人間の業はとどまるところを知らんなって思う