はてなキーワード: 論理とは
本来根拠を用意し論理的に議論を積み上げるべき(またそれが正しさを担保する)であるのに、
根拠も論理も議論もかなぐり捨てて「正しさ」の果実だけを簒奪するための政治活動が「ポリコレ」
「リベラル」が長年これにかまけていたのは大いなる傷になるだろう
最近は弱男がAIで作った画像を使って「2児の母」とか「女子大生」とかプロフに書いて、架空の女子を作って弱男の代弁させてるのが結構目に入る。
弱男のままじゃ誰にも相手にされないからって、架空の女子作って自分の代弁させてるの流石にキモすぎない?
暇な時レスバ仕掛けると理屈や理論武装が全然出来てなくてガバガバなのも良い。
女子のプロフ使ってるやつに限らず、暇アノンにしろJアノンにしろ、弱男の論理性って結構低いことが多いよな、男で論理性も無くて共感能力も無いって、脳のスペックが単純に低いんかな。
親しい友人が、陰謀論にハマりました。
趣味のSNSで陰謀論について積極的に発信するようになり、陰謀論者である主催者がおこなうパンデミック条約反対デモに参加すると言い出しました。
私は、陰謀論の主張内容にも、それを信じ広めようとする人たちの態度や振る舞いにも賛同できません。友人がそういった思想に染まることが耐え難く、陰謀論を信じることをやめてほしいし、最低限デモには行って欲しくないと思い、説得を試みました。結果、陰謀論への信仰(本人は自分の主張を陰謀論とは思っていない)を止めることは叶いませんでしたが、デモへの参加は思いとどまってもらえました。友人を説得するために手紙を書いたのですが、直接口頭で伝えることができたため、この文章を送ることはなくなりました。
せっかく書いたのにもったいない(笑)ので、供養と、私と同じように陰謀論デモへ行こうとする友人にモヤモヤしている方の気持ちを整理するきっかけになればと思い、ここに投げることにしました。また、手紙の本文中に挙げた書籍は、陰謀論の実態を知るために読んだ十数冊の中から、中立的な立場から書かれていると感じたものを選びました。特に「情報パンデミック」は読みやすくおすすめです。
なお、私の友人は「ここまで心配してくれる友達との仲を壊してまで行くのは止めよう」という気持ちからデモ参加を取りやめたのであって、陰謀論を信じること自体を思い直したわけではなさそうということを書き添えておきます。予断を許さない状況は続いています。
友人へ。もし、この投稿を見つけたのなら、陰謀論というワードで検索したか、少しでも疑問を抱いたか、だと想像します。正直、私の反対を押し切ってデモに行くなら絶縁もありうると思っていたし、陰謀論を信じ続けるのであれば今までのようには付き合えません。考え直してほしいです。
パンデミック条約反対デモに行く気持ちは変わらないと聞き、今の時点での私の思いを伝えておきたいと思い文章にまとめることにしました。返信しなくて構わないから、読むだけは読んでください。
あなたが心から日本の現状を憂い、未来を良いものにしたいという善意と熱意からデモに参加しようとしていることは、十分理解しているつもりです。その気持ちを否定したいのではありません。
でも、私との友人関係と「真実」を多くの人に知ってもらう活動、そのどちらかを選べと言われたら、今のあなたは後者を選ぶでしょう。そのことが本当につらく、悲しいです。実際にそうなるかもしれないという危機感と覚悟を持って、今この文章を書いています。
陰謀論を信じている人を説得することは困難、むしろ逆効果であることも承知の上です。本来であればスルー一択の状況だけれど、私はあなたとの友人関係を失いたくない。その一心からであって、決して非難や攻撃をしたいのではないということ、分かってください。
ここからは、あなたの信じる「真実」のことを陰謀論と呼ばせてもらいます。安易なレッテル貼りが良くないことは重々承知していますが、他に適切な言葉が見つからないので、ごめんなさい。
一部の権力者が外からはわからないように自らの利権を得るためのはかりごと=陰謀、陰謀があるという前提で世の中の事象を説明しようという試み=陰謀論、と捉えています。史料や証拠があり明るみに出ているものは陰謀、明確な根拠がないのに仮説をそのまま事実と主張するものが陰謀論、です。現在進行中で明るみに出ていない陰謀もあるかもしれませんが、明るみに出るか確実な証拠が見つかるまではそれも陰謀論の範疇といえます。正しくないかもしれないけれど、間違いを回避するためにはこのスタンスを取ることが健全ではないかと考えます。
今回のデモの主張内容、ワクチン関連死の真相解明・超過死亡の原因究明・パンデミック条約反対、これら自体は真っ当な主張に見えます。
しかし、主催者の発言などを見ていくと、おそらく陰謀論の論理、価値観を前提にしているのだろうと推測ができます。「日本を滅ぼしたい何者かがばら撒いた毒によって人がたくさん死んでいる」と言いたいのですよね。
陰謀論は、科学的根拠を精査しておらず論理が飛躍していることにも違和感があるのですが、それ以上に「全ての事象には必ず明確な原因がある」という二元論の姿勢こそに、問題の本質があるように思います。
あなたは、デモの主催者が陰謀論者であるという私の指摘に対し、彼の言うことを全て信じているわけではないと言っていました。陰謀論には、荒唐無稽なものから、真実に近そうなものまで多々あります。しかし、荒唐無稽なものは信じていないから、というのは、陰謀論を信じていないということにはなりません。
「根拠の不確かな」「それっぽい説を真実と信じ込み」「善悪二元論に帰結させ」「反論する相手のほうが間違っていると攻撃し」「自分の信じる真実を理解しない者は反対勢力に洗脳されていると憐れむ」「対話不可能な」言論に心当たりはありませんか。
あなたの主張には、おそらく正しいもの、現実に即したものも多々含まれる。しかしその根底にある信念(ディープ・ステートによる世界の支配)は、紛れもなく陰謀論のものです。ディープ・ステートの存在は、現時点ではあるともないとも証明のしようがない。それを「ある」と確信しているところに、危うさを感じます。
利権絡みで政治が歪むというのは普通にあることでしょう。歴史を紐解けば、そういった陰謀が実際に存在したこともありました。
しかし、少子化・報道・感染症対策をはじめ、あらゆる現象がそこへ帰結するというのは、いくらなんでも飛躍しすぎです。ディープ・ステートが本当にあると信じることが、認知を歪めてしまっていると感じます。
世の中には「わからない」ことがたくさんあります。答えが一つではないことも、立場が変われば意見が変わることもいくらだってあります。
ワクチン関連死の真相も、超過死亡の原因も、おそらく現時点では「わからない」のです。わからないなりに、未知の感染症になんとか対抗しようと手探りで行われた結果、思いもよらない被害が出てしまった。そんなところではないでしょうか。
もちろん、それで良かったとは言いません。原因も究明されるべきでしょう。それでも、わからないかもしれない。科学の、医学の力なんてそんなものなのです。
もし原因が判っても、今の政権は都合の悪いことを発表しないかもしれない。隠蔽を疑いたくなるのはごもっともです。だからデモで抗議する。理解できます。
しかし、それがなぜ「隠された陰謀によるもの」と結びつくのでしょうか。「明確な答えがないと不安」な気持ちを、絶対悪である何者かの所為にすることで安心したいのではないですか。
カルトやマルチや自己啓発セミナーと同じ構造です。不安を一発で拭い去ってくれる魅力的な何か、「気づき」、昨日までの自分とは違う覚醒したような気持ち。そういったものを陰謀論はもたらしてくれるのです。脳にとっては快楽です。だからハマる、依存性があるのです。
真実だからスッキリ納得がいくのではありません。スッキリするからそれを真実と錯覚するのです。
私は、陰謀論を広めようとする人たちの、自分たちの主張が絶対に正しいと信じて疑わない(ように見える)立ち振る舞いが苦手です。
世の中に、絶対的な悪や完全な正義はないと思うからです。世界の仕組みも人間の行動も、数十分の動画で簡単に説明できるほど単純ではないと思うからです。理不尽で不可解な状況に置かれたときも、一旦は現状をありのまま受け止めることからしか、理解は始まらないと思っているからです。この点において、陰謀論のスタンスとは相容れないのです。
そもそも、隠された世界的な陰謀が本当にあったとして、それを一般市民がYouTubeで手軽に知ることができるなんて、おかしいと思いませんか。
デモに集まるのは、陰謀論的な価値観の人、それに疑問を感じていない人たちだと思います。同じような意見の人に囲まれていると、その意見が多数派で正義のように思えてくる。リアルな陰謀論のコミュニティに参加することで、あなたがそちらの世界にますます傾倒してしまうことを恐れています。
デモはきっと楽しいでしょう。同じ意見の人たちと語り合い、声を上げ、この国の未来のために行動しているという実感が得られるわけですから。せめて、ここまで読んでもらって、陰謀論の「おかしさ」に少しでも疑問をもってくれていたらと思います。
また、陰謀論とスピリチュアル、自然派、マルチ、カルトは親和性が高いです。これらは、日常生活や人間関係に大きく影響します。コミュニティの内側にいると気づきにくいものですから、引きずられないよう気を付けてほしいです。
「陰謀論と言われても負けない」「陰謀論なんて信じてないけどこれは真実」「正しい情報は隠されているから自分で調べなければならない」これらは陰謀論に飲み込まれる人が必ずと言っていいほど口にする言葉です。
あなたは政治・経済に詳しい。それは誰もが認めるところです。けれど、政治に関心が高い人ほど陰謀論を信じやすく、逆に教育の高さや政治的立ち位置は陰謀論への染まりやすさに影響しないということは知っていますか。
ネットやYouTubeだけでなく、ぜひ一度関連書籍も見てみてほしいと思います。あなたに勧められた動画を見ていない私が言える立場ではないとは思いますしその点は申し訳ないと思うのですが(実はいくつかは観ようとしました。しかし冒頭から何を言っているのか意味がわからず、苦痛で、すぐに観るのを止めてしまいました)、少なくとも誰でも好きなように公開できる動画よりは、ファクトチェック体制のある書籍のほうが信頼できると私は考えています。
参考までに、陰謀論の歴史やそれを信じるに至るメカニズムを、心理学的・統計的な調査をもとに分析している書籍を挙げておきます。
「陰謀論入門」ジョセフ・E・ユージンスキ 作品社 2022年
「情報パンデミック」読売新聞大阪本社社会部 中央公論新社 2022 年
私は賛同できないけれど、陰謀論を信じること自体は個人の自由です。それなのになぜその世界観を否定するのかを、最後に書きます。
あなたは、「真実が一人でも多くの人に広まってほしい。生活が安定しなければ趣味も楽しめない。政治は生活だから、政治のことを発信していく」と言っていましたね。
しかし、まず大前提として、趣味のSNSではみんな趣味の話をしたい。人の家の生活、たとえば晩ごはんのメニューがどうでもいいのと同じように、人の政治的主張もどうでもいいのです。
もちろん発言することは自由です。時には「あ、なるほど」と思い、時には「ちょっと面倒臭いな」と思い、多くはスルーされるでしょう。平和的な、現実に即した発言であれば、ですが。
陰謀論の本質は、全てを二元論に帰結させがちなところにあります。つまり何かを語る時、一方的かつ断定的な物言いになる傾向があります。率直に言って「怖い」のです。反論なんかしたら百倍になって返ってきそうだし、話が通じなさそうに見えるのです。
それを見た人はどう反応するか。同じ意見を持つ人は賛同を表し、ますます先鋭化していく。反対意見の人は、反論して不穏な空気になるか、黙って去る。そしてほとんどの人は、そっと離れる。だって怖いから。
すると、いずれどうなると思いますか。あなたの周りには、同じように陰謀論を信じ広めたいと考える人が残り、先鋭化した思想についていけない大多数の人は離れていくのではないでしょうか。
陰謀論を広めようとする人たちは、自分たちの主張を絶対に正しいものと信じ、否定するものを断罪し、自分たちの主張に都合のよい事実のみを根拠としてつまみ食いします。
陰謀論は思想だから、言説を信じることで次第にその行動様式にも染まっていくのです。
最近のあなたの言動が、これに近づいていることは自覚していますか。陰謀論をひとつの説として受け止めるにとどまらず、その善悪二元論的な考え方を自分の中へ取り込んでいることに気づいていますか。
先月、攻撃的な言動や非科学的な情報の拡散を控えてほしいとお願いした頃、次第に過激化していくあなたの振る舞いをそばで見ていて、私はとてもしんどかったです。趣味のアカウントで積極的に思想を発信し、周りから静かに距離を置かれていることを察して切ない気持ちになっていました。非科学的な言説に対し、どう反応してよいのかわからず困惑していました。
しんどければミュート・ブロックしてくれとあなたは言いますが、実際にそれをしてしまえば、今後あなたと一緒に趣味を楽しむことはできなくなりますよね。
受け止め方は人それぞれだから、と言うのは、一見、冷静な態度に思えます。離れてもどうでもいい他人ならばそれで構わないでしょう。
しかし、私や親しい人たちに対してまで、気に入らないなら見なければいいと言ってしまうのは軽率ではありませんか。私はあなたにとってその程度の存在なのかと、悲しくなりました。
趣味を楽しむために始めた発信なのに、一緒に趣味を楽しむはずだった人々が離れていく。そして孤立すればするほどこの傾向が加速する。
信じることが自由であっても、思想を広めようと発信することには責任が伴います。その思想自体に賛否があることはもちろん、その他の発言も陰謀論的な価値観を持つ人の発言と受け取られるようになります。「結局、陰謀論を広めたいんでしょう?」「ヤベー奴の言うことはヤバい」となるのです。既に、趣味アカウントの一部のフォロワーの間ではそういう空気になっています。
陰謀論の主張内容や拡散方法に対して、不快感や嫌悪感を抱く人がいることを想像していますか。第三者にそういった感情を抱かせる発信をする人から、離れたいと思う人がいることは想像できますか。
陰謀論は、カルトやマルチと同じように、思想に染まることで人格を変え、周りに広めようとすることで人間関係を破壊するのです。
初めにも書きましたが、もっと関係の薄い相手であれば、陰謀論にハマったと感じた時点で穏便に距離を置いていました。思想に洗脳された人を見るのはしんどいし、説得することは困難だからです。
それをせず、反感を買うかもしれないこんな長文をわざわざ送り付けたのは、私があなたを失いたくないからです。あなたのためなんて言うつもりはありません。私のためです。嫌な女に彼氏を奪われそうになって焦る気持ちに似ています。結果としてどうにもならなかったとしても、黙って見ているのは耐え難い。
どうか、これがあなたに見せる最後の文章になりませんように。頭を冷やしてほしい。
言いたいことはわかるし同意するところもあるけど、そんな理想論を言われてもなって話。
「論理より感情で動く」というけど、それは自分じゃなくて社会が感情で動くんだから仕方ない。
(間違っていたとしても)周りの常識に逆らった夫婦は最も損をしやすく、現実的にはその行動のコスパが悪いっていう話なんだよな。
常識への反論がいくら正論でも、SNSで大量の批判コメントが来ることが今の日本社会を物語っている。
あなただって「プーチンは正しい。ガーシーは正しい。なぜなら~」なんて言い出す人がいたら論理も考えず反射的に感情で反論するでしょ?
誰だって、論理をしっかり考えて反論できるのは自分が当事者のことだけなのよ(経営者は育休の当事者じゃないから関心がない)。
結果的に、(大企業とか制度の導入が進んでないところで)前例のない常識破りをすると色々不利益を与えられて、
夫婦で楽になるためにしたはずの行動が、結果的にもっと大変な目に巻き込まれるということだ。
社員は経営者次第で干すことも転勤させることもどうにでもされてしまう弱い立場だから、あなたが思ってるほど男性に選択権なんかない。
そういえば、男女平等のためにスカートを男子がはいてもいいって校則ができた学校があったらしいけど、
校則があるからと(性同一性障害でもない男子が)スカートをはいていったときに学校でどうみられるのかを考えればいいっていう例を唐突に思いついた。
もし自分が楽したいだけの身勝手な考えなら、多分思い通りに楽になることは無いと思うからやめた方がいいと思うけど、
どれだけ大変な目に遭っても常識を乗り越える道を夫婦で選ぶ覚悟があるなら「頑張ってね」と言っておきたい。
そういう社会の犠牲になって頑張って変えようとする人が増えないと社会は変わらないので、矢面に立ってくれると助かる人はいるだろう。
女性が働いて男性が育児なら、女性は差別で下に見られやすい「女性」という属性で男社会で戦ってキャリアを上げていかないといけないし、
育児する男性もママ友コミュニティにうまくなじんで、自分の家庭がコミュニティから追い出されないようにしないといけない。
まぁ、今の世代が経営者になるころにはこういうことは放っておいてもなくなってると思うけどね。
「できるだけ楽に男女の負担を均等に」が目的だとすると、女性としては理解のある企業に勤めている人を探すのが最適解になるのかな。
ブクマされてたから先に書いておいた増田も追記として貼っとくね
https://anond.hatelabo.jp/20240519103938
ちなみにこういう話になるとネット上の男は「女も育休使わなきゃいいじゃん」って言い出す
って内容です
追記終わり
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
男性は育休取れないから、子供産まれても育児出来ないんだってよw
なぜか?それは育休取るとポジション失ったり上司から不興を買ったりするって知ってるからだよな
じゃあなぜ女性は育休取れるのか?
それゆえ「収入が落ちる」ことがあったり「パート勤務」に転職せざるを得なくなる
でもこう反論する男もいると思うんだよ
ってね
そして、男性は育休なんて使わない前提だから、社内に与えるインパクトが大きく
確かにそういった面はあるだろう
でもそれを認めた時点で「就職」にも「仕事の振り方」にも「給与査定」にも
いろんなところに男性優遇があることを認めることになるんだぞ?
だってそうだろ
男性社員が1年育休使いたいって言われても、珍しさからちょっと驚くぐらいで
「まあ女性が使うのと一緒か」って合理的判断に落ち着かないとおかしいんだよ
でも男性の育休だけ嫌う
それには「男性に育休を使われると会社として困る」事情がないと辻褄が合わないんだよ
じゃあ「困る理由」って?となると
となるわけだよね
「女は実力がないだけだ」とか「女は働きたがらない」とか「パートばかりするから収入格差があるだけだ」などというデータの表層だけ掬い取って都合のいい解釈して事実を包み隠すのは無理あるのw
パートでも何でもやれよ
そんな行動も起こせないなら、せめて素直に「身分の低い女と同じ立場になりたくないんです」ぐらい言えよ
煽りで話ズレちゃったけど、、、
ここまで読んだなら
男女格差の癌は「育休格差」って認めてくれたと思うので男性も育休取るように!
女に育休を押し付けるな
せめて女より年収少ないなら取れ
だったら年収が低い方が被るのが当たり前だろ
男性優遇社会で女性が男性と同等以上の年収得るより簡単なことだ
それに男性全員が取るようになれば不利益も無くなることぐらいわかるだろ?
それはつまり男性も育休を取れば女性の不利益も無くなるってことだ
「中小企業ほど男性は育休取れない」「時短勤務できない」なんてブクマも多いけど
これも「中小企業ほど女性を採用しない」ってことの裏返しだからな
考えたこともなかったけど言われてみると死の恐怖が和らぐ気がする。
死の恐怖っていっても身体的な痛みへの不安とか夢が実現できない無念さとか色々あると思うけど、自分が死んでも宇宙が存在し続ける虚しさみたいなものもある気がする。
自分は宇宙の中心じゃなくてあくまでモブの一人ってことを受け入れさせられるような、尊厳が傷つけられる感覚。
この部分は宇宙も死ぬってことにしてしまえば、自分が死んだ後も宇宙は存在し続けたとしても、あくまで有限の時間って思えば早いか遅いかの問題だけで皆んな平等。
そもそも自分が死んでも宇宙は存在し続けるっていう前提が証明できないし、論理が破綻しているかもしれないけど、うっすらと納得感はある。
https://anond.hatelabo.jp/20240520114347
が基本。
内容が薄いor面白くないのにイキってるとそれだけでキツい。
君の文程度だと訥々と書いた方がいい。
イキりすぎ。
「飯炊き女ってのが分からないバカなジャップオス諸君に説明しておこう。」
とか言い出しちゃうのは痛い。
「説明しておこう。」が最高に痛い。
のにイキリが添加されて読み苦しくなってるからまとめとしての価値もない。
あと君の主張が色々段階すっ飛んでて読んでてもわからない。
勿論すっ飛んだ隙間を想像で補足しながら読むことは出来るけど
君の文には読者にそこまでさせる魅力がない。
要するに君の話は君の頭の中で煮詰まり過ぎてる。
だからイキリまくってしまうし、主張の論理過程がとびとびになってしまう。
君の脳内ではそこに行き着くまでの経過やドラマがあったんだろうけど他人にそれはわからない。
そこまで煮詰める前のところで文にするか人に喋ってみないといけない。
君がやってるのは頭の中で千回回転させたその子への想いをラブレターにしていきなり渡すみたいな行為。
そもそもキモい奴のラブレターなんか真面目に読まないで怖がって捨てる。
死ぬのってなんで怖いのかなって思ってたんだけど、なんとなく、その後に永遠が待っているかもしれないって感じるのが怖いのかなって思うようになった。
終わりが怖いのではなくて、永遠の終わりが怖いのではないかということ。
つまり、怖いのは永遠であって終わりではないのではなかろうか。
そう考えたときに、宇宙だって始まったのだから終わりがあるはずで、例えばエントロピーが無限に増大してしまって宇宙が単一の何かになってしまえばそこで時間は止まるはずで、あぁ、宇宙も終わるんだったら自分にとっても永遠の終わりはないんだなって思うと、死ぬのが怖くなくなったように感じた。
論理的な話をしたいのではなくて、死を考えるときに心の隅に湧いてくる恐怖心が、こう考えると何故か和らいだよという報告。
自分でも論理は破綻しているように思うし、実際のところそれでどうして恐怖が和らいだのかもわかっていない。
珍しく女性に偏重した男女不平等だったけど、これも男女平等への重要な一歩だ。
たしかに導入直後は混乱もあるだろうが、根本的な仕組みとして不平等な仕組みだったので長期的に見れば良い改正だと思っている。
少なくともオレは安心して結婚して子どもを持てるな、と思ったよ。
海外でも日本人女性と結婚すると子を連れ去られるから結婚してはいけない、という呼び掛けを時々見かけていたがそういうのもだんだんと減っていくだろう。
共同親権という枠組みは維持したまま、細かい調整を随時加えていけば十分実用的で安全な仕組みになるはずだ。
あとは夫婦別姓などの他の男女平等施策も進んでいってほしいところ。
誰かが反対でもしようものなら論理ではなく、全く別の過去の行動を取り上げて人格批判や印象論での批判ばかりで、ほぼ誹謗中傷といっても良いレベルだった。
そのせいで賛成派はSNSでは怖くて声を上げられず、ノイジーマイノリティがSNSを跋扈する状況となった。
>BLが好きってことは世間で「普通」とみなされている恋愛に反感を持っているってことじゃないの?
ここで一気に論理が飛躍していて草。そして男と女の差がかなりあることがわかる。
元エントリというか男性のオタクだと「世間で「普通」とみなされている恋愛」というものを喉から手が出るほどに欲しているが絶対に手に入らない!だからオタク趣味を拠り所にしている!
『なのに何故普通の恋愛を手に入れているお前がオタク面をしているのか!』という思いを持っているのに対しこのエントリ書いた女性BLオタクは
なんかキモイオスが寄ってくる!普通の恋愛なんかいらん!オタク趣味こそ至高!『なのに何故普通の恋愛を手に入れて(幸せを感じて)いるお前がオタク面をしているのか!』
って感じがするんだよな。逆向きのベクトルなんだけど同じ量の熱量なんだと思う(スカラー量かなと思ったけど数学的にあってるか分からん)。
門川市加草のホテル営業に現実的に派遣される可能性が存在するというだけで、 古典的で論理的な見地からは、善良な社会通念に照らしてそのような技術は存在しない。理由は次のとおり
(1) 東京駅から門川市までは、新幹線+にちりんシーガイアによって行けるが、費用は、26110円程度となり、往復で、52000円となる。著しく不合理で選択される余地がない。
(2) Jetstarの格安でいって帰ってくればいいという見解。 仮に6000円の日を選択して、 ただの糞論理からは可能であるが、やらない。
理由 : 真面目過ぎるためである。 結局、 延岡に帰省しているときしか行っていない。
だいぶ前に、ふとした拍子に「好きな作品なら理由が言えるはずだ」と言ったら、「逆でしょ。嫌いなものには理由があるけど好きなものには理由がない」と返されて考え方の違いに驚いたことがある。
その時はそれも筋が通っていると感じたからそれ以上は踏み込まなかったが、思い返すにまだ腑に落ちないものがある。
それは、結局突き詰めて考えると、自分が「好きなものには理由がある」と言う場合、加点法を念頭に置いているからだ。
一般的に加点法と減点法ということを言うとき、加点法の方が分別があるとか生産的だとか言う。
そして加点法で言うならば、「好きな理由」を上げていくことが評価のスタンダードでなければいけない。
となれば、逆に「嫌いなことに理由がある」という考え方は、減点法であり、非生産的な考え方であると言えるはずだ。
しかし一方で、「好きなものはなんとなく好きで、特に嫌いな理由があるときだけ嫌い」というのも穏当な理屈であるように見える。
この、論理の噛み合わない感じが、自分の中でまだ消化しきれない。
「好きなものには理由がある」という加点法的な考え方に対して、「嫌いなものにこそ理由がある」という減点法的に見える考え方は間違っていると言えるのか。
ひとつ重要なポイントとして、「嫌いなものに理由がある」という場合の「嫌い」というのがどこまでのことを意味するのかがあると思う。
「好きなものに理由がある」自分にとって、「好きでないもの」は「どうでもいいもの」だ。特に価値がない、なくて良いけどあっても別に無視するだけのもの。
それは加点法で考える限り当然のことで、加点法で点がつかないものはスタート地点の0。そこから上がりもしないが下がりもしない。ある意味でニュートラル。
なので、「理由があるくらい嫌い」と言う場合、逆にそんなに嫌うほどのものってどれだけあるんだろうと思う。
虫が嫌いとか食べ物の味が受け付けないとかならわかるが、芸術作品など一般的な存在に対してそこまで嫌うということは、単純に珍しいものなのではないか?
その場合、「嫌いなことに理由がある」という人は、「嫌いな物はほとんどないからほとんどのものが少し好き」になるのか、「嫌いなところが目についてアレもコレも嫌い」になるのか、どっちなのだろう。
というところが、分かれ目になる気がする。
結局、普通はどっちが多いのだろう。「好きな理由があるから好きになる」ことが普通だと考える人。「嫌いなものには理由があるけど、好きな理由は特にない」という人。
後者の場合、その「嫌い」はどこまでのものを指すのか? あれも嫌いこれも嫌いで、好きな物以外は嫌いだらけという生きづらい人ならかわいそうだけど、特にこれといった理由がなければ何でも楽しめる、というポジティブな人も多いのだろうか。
また、これは加点法と減点法という観点で語って良いものなのだろうか。一般論としての加点法と減点法の善し悪しに関する議論と、どう論じ分ければ良いのだろうか?
疑問は尽きない。なんか尻切れとんぼ。
自分で整理してみて思ったけど、「嫌いには理由があるけど、好きには理由がない」って、恋愛の理屈みたいに聞こえるね。
自分はものを好きになるって評価するってことだから加点法が誠実だと思ってしまうけど、「好きには理由がない」っていう考え方は、もしかするともっとロマンチックなものを求めてるのかも知れない。
「嫌いなことには理由をつけないと失礼」という意見が多く、考えたこともなかったので驚きました。
自分にとっては嫌い(というよりどうでも良い)理由を説明しないといけないか? 大抵のことは大抵の人にはどうでも良いのがデフォルトだろ? と思ってしまうので、そういう感覚がありませんでした。例えば、鬼滅の刃に興味がない、見る気がない、っていうのに理由がなきゃいけないのかな? 子供向けの漫画を大人になって読む方にこそ強い理由がいらない? って思う。(「評判なので試しに読んでみる」は十分な理由の範囲として。それでも「興味ない」の方が強くても別に普通だよね、くらいの感覚。ちなみに増田は連載を斜め読みした。)
ただ、「嫌いに理由をつける人はすべてのことがうっすら好き」はほんとか? とコメントを見てると思うw これを言う人の言い回しが博愛主義者に見えないw
加点法は性悪説というのは、確かにと思った。自分は「すべてのものの90%はカスである」がデフォだと思っているので(カスであっても存在は否定しない)。
面白いね!