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はてなキーワード: 見地とは

2024-05-17

   町子は令和元年12月頃は、最近若造は好かんちゃ、昔のごつなりてーという言動があって、令和6年2月12日に怪しいから縣人の自宅に直接確認しに行ったがベッドの上に枯れた

 悪魔のように寝ていて、話しかけると、 なんけ、とだけ言われた。会話にならない、強力に話しかけないと反応しない、敬一は夜間の勤務に行っており、2階の部屋はすっからかんで、配信使用している

   赤いパソコンが新しく設置されていて、右の部屋はすかすかだった。

    3階のままの残酷から検討すると、前野町1丁目一帯には人間性を具備する者が在住していない。 もう5年前にじゅりちゃんの、ねえちょっと酷過ぎない?という書き込みがあったがそれも

  ここ数年は失効している。

    この問題社会全体的な考察からすると、専門技術的に、評価見地、 拡声器で同じことばかりいうようになったとか、そもそも、6階のババア配信の内容を変えた。おぺちの劣化ぶりも酷い。

  数か月前から、 苦しいです、きついです、の繰り返し。都合が悪化しペチラボリモコンに支障が出るようになると黙ってツイートを5時間に停止し、寝ているため、その間に実施されている様々な

   装置駆動に対して機能しなくなる。 何かといえばうるせえ糞と言い始めるが、目上の人間にいうようなことではない。クソガキが。

2024-05-15

    ①  裁判官検察官などの学識や技能のある者は一般的にはもっと風情のある団地に住んでいると解され、前野1丁目公営住宅とか、ときわ台メリーガーデンのような腹黒そうな

       ゴミが住んでいる建造物には文化的見地から学識、技能経験者は住んでいない。例えば、坂下1丁目アパートとか、新河岸の方のより風情のある文化的街区の住んでいると

       思われる。

    ②  ときわ台メリーガーデンに住んでいるのは、 2階の腐れ東大生、上階の自演のクソジジイ、ガキの集まり、Brilliaときわ台ソライエレジデンスの管理人基地外、クソガキ

       リヴァージュシティも同じようなものほとんど変わらない。前野公営住宅には、自演者が大量に住んでいる。

    ③  メゾンときわ台は、 3階にババアが住んでいて、4階に老衰した40代がいる。 202号室は、イスラム人とアメリカ人。201号室は魔女おっさん。3階に筋肉男が室内を

       うろついているのを確認付近の、  サンライズという名前の家から不審な女が出入りしている。

2024-05-14

    問題文に既に出ている左側の数式を右のMに掛けている数式で割り、 その割った全体の代数式に対して、抽象的な見地からうまいこと式変改をしてから、AMGMを使ってるだけだから

 ここで要請されているのは制限された可測集合上における、健康管理支援員の小島による、計算技術 でたー、であって、これをやっていくと

   邪魔な数式が消えて、 Mの最大値は、 √9/42 か何かに成る奴だろ。

    定数倍で押さえられている k の最大値を求めろという問題が、 平成初年の東大入試に出たが現在では多くの参考書採用されており受験生に周知であって解き方も知れ渡っており

   逆に、上のIMOの解き方は知れ渡丁ないし、誰も知らない

   門川市加草のホテル営業現実的派遣される可能性が存在するというだけで、 古典的論理的見地からは、善良な社会通念に照らしてそのような技術存在しない。理由は次のとおり

    (1) 東京駅から門川市までは、新幹線にちりんシーガイアによって行けるが、費用は、26110円程度となり、往復で、52000円となる。著しく不合理で選択される余地がない。

    (2) Jetstarの格安でいって帰ってくればいいという見解。 仮に6000円の日を選択して、 ただの糞論理から可能であるが、やらない。

  理由 : 真面目過ぎるためである。  結局、 延岡帰省しているときしか行っていない。

  病的でローマン的な見地からは、 いくらでも手段があると思うが、 私はそんな思想をしていないので、論外である

    ①  気が狂ったように走って行く。 ②  手段がないわけではないから、やれる方法で行く。

2024-05-12

働きながら毎日料理する30代夫が、料理をする魅力を語る

私は今32歳で、子供は1歳3ヵ月。妻は専業主婦をしている。

料理基本的に私の担当だ。妻は子供離乳食だけ作る。

今は旦那さんが料理することも多いのだろうが、仕事をしながら毎食しっかり作っている、という話をすると、驚かれることが多い。

と言うことは、こういう生活スタイルは、まだあまり一般的だとは言えないのだろう。

自分料理担当して、3~4年くらいになる。

元はというと、(無自覚だったけれど)自分はかなり食にうるさい方だったらしく、

おいしくないもの我慢できない。それがプレッシャーになる、ということで、自分料理をするようになった。

ただ料理(食事)が好きなだけじゃん、と言えばそれまでなのだが、

別に元々自炊する習慣がついていたわけではない。学生時代や、社会人生活最初の方は、かなり適当食生活をしていた。

必要になってやり始めて、だんだん面白くなってきたのだ。

から、今回の話は、必ずしも生まれつき料理好きな人にだけ当てはまる、というわけではない、と思う。

自分料理をする上で、最もいいな、メリットだな、と思っている点は、

家での料理が、「一石多鳥」である、ということだ。

自分そもそも合理的な行動が非常に好きなので、料理という一つの動作で多くのメリットを同時に実現していることを思うと、それだけで嬉しくなる。

自分料理をすることのメリットは何か? 挙げていけば、下記のようになる。

節約になる。

健康になる。

③好きなものが食べられる。

④食への理解が深まり、味覚をより探求できる。

趣味としてのリラクゼーションになる。

仕事でのタスク遂行能力が上がる。

⑦妻に喜ばれる

以下、順番に説明する。

節約になる。

これは言わずもがな、だ。一部には、「自炊お金がかかる」と言っている人もいるようだが、そんなわけはない。

短期的に見れば、確かに一定の初期投資必要かもしれないが、一旦ルーチンが確立してしまえば、中長期的なコストはどう計算しても自炊の方がやすい。わざわざ計算式で表現するのが馬鹿らしいほどだと思う。

料理器具などについての議論は一旦おいておくとして、ぜひ注目してほしいのは、「保存の効く食材について」だ。

ある程度料理をするようになるとわかるが、案外、日常的な料理日本人使用する食材調味料レパートリーは限られている。

また、そのレパートリーを大別すると、

(a)生鮮食品のように足が早いもの・・・肉、魚、卵、葉物野菜牛乳ヨーグルト、など。

(b)ある程度日持ちのするもの・・・玉ねぎジャガイモにんじんねぎにんにく生姜昆布鰹節味噌醤油、酒、ワイン蜂蜜、塩、砂糖コショウ、その他種々の調味料、など。

となる。

ポイントは、(b)に分類される、日持ちのする食材のうち、特に根菜類を、例えばイオン場合であれば火曜市などの安価に入手できる日に、

常に一定数以上確保しておくようにすることだ。

(b)の分類の食材が常に冷蔵庫ストックされており、調味料なども揃っていれば、

あとはその日の気分次第で、適当に(a)分類の生鮮食品と組み合わせて調理する。

肉類も、日によって、この日は豚ロースが安い、この日は鮭が、などと変わっていくので、

特別なこだわりがなければ、こうした特売に合わせて食材をチョイスすると、より割安に材料調達できる。

こうした方式を導入すれば、仮に一人暮らしだったとしても、食材無駄にせず、常にジャストな分量の食事を、最も安い価格で実現することができるはずだ。

健康になる。

これについては、妻の嗜好をかなり取り入れたところがある。今となっては、むしろ出来合の食事を食べることがかなりストレスになってしまい、一食でもコンビニ食などで済ませるのは、非常に嫌になった。

野菜を取りやすい、というのは当然そうだ。

しろ調理済みの惣菜や、飲食店食事で、一日に必要野菜摂取量を十分に確保することは難しい。

また、これは料理をするようになって気づいたことだが、

調理済みの食品には、大抵の場合、多くの食品添加物使用されている。

昔は食品添加物など「そんなシャラ臭いこと気にしてられるか」という印象だったが、今はほとんど全ての買い物で、食品成分表示確認するようになった。

具体的に、何は取るべきではなく、何は取ってもいい、という情報はあまりにも細かな話になってしまうし、自分自身でも完全に把握できているわけではないので、立ち入らない。

が、実際にコンビニスーパーなどで普通に販売されている食材の中にも、専門的な見地から見て十分に安全とは言えない添加物が多数使用されているようだし、

加工食品をあまり摂取しない生活の方が、(少なくとも主観的には)体調がいい状態で日々を送れているように感じる。

また、砂糖や油などの、体調への影響度が大きい成分についても、

自炊をする中で、それぞれの分量や性質自分の体調に与える影響の度合いを、実経験観測していくことができる。

こうしたPDCA自炊をしていると自然と回るようになるので、自然ダイエットにもなり、体調管理もつながっていると思う。

③好きなものが食べられる

これも当たり前と言えば当たり前だが、自炊による料理のおいしさ、という点では、個人的にはYoutube以前と以後で、自炊を巡る状況は大きく変わっている、と思うのだが、どうだろうか。

コロナ以前の、あまりYoutube上での料理動画が充実していなかった頃は、ホットクックを見るか、料理本を見て作るか、くらいが基本的選択肢だった。

ホットクックは玉石混淆だし、料理本は色々試すにはハードルが高く、またレシピ通りに作っても必ず美味しくなるわけではない。

また、いずれの場合でも、レシピだけを見て作っていると、料理の背景に、ベースとなる基礎があることが理解しにくかった。

その点、例えば食材の切り方一つ、食材の投入タイミング一つでも、動画で示されれば、そこで用いられているテクニックは一目瞭然だ。

また、「これは本当にすごいな」という、作って感動するレシピがかなりたくさんあるのもYoutube料理動画凄さだと思う。

誰の料理が好きかは好みが分かれるところだろう。個人的には、コウケンテツさんは、このジャンルでは本当の天才だと思う。ほとんど全てのレシピ動画に、味という観点だけでなく、作りやすさ、シンプルさ、という観点からも、驚くような工夫が凝らされている。毎回非常にクオリティが高いのに、ありふれていない。単純に仕事として憧れるところがある。

Youtubeがあることは、今から自炊を始めることの大きな理由の一つになるのではないか

④食への理解が深まり、味覚をより探求できる。

上記のように、Youtube動画ちゃんレシピ工程確認しながら多くの料理経験していくことで、料理全般を下支えするセオリー体感にわかるようになってくる。

例えば、

 ・料理において、塩はどのような役割を持っているか

 ・どのようにして旨味を構成するか?

 ・〇〇の食材には、どのような調理法が、なぜ合うのか?

 ・〇〇の食材は、季節によって味がどう変化するか、いつが美味しいのか?

 ・なぜこの順序で食材を投入するのか?

 ・この食材で風味づけする意味は何か?

など、無数に論点がある。

もちろん、素人なので、こういう事柄について体系的にわかっているわけではないが、それでもかなり感得できるところがあるのは確かだ。

このことによって、例えば外食に行った場合も、

「なぜこのような料理の仕方になっているのか」「この料理のうち、何がユニークなのか?」「なぜこれが美味しいのか?」などを考える上で、それを言語化し、考えるためのヒントが自分の中で非常に多くなる。

また、それに対する考察が、日常料理にもフィードバックされるために、自分家族の食の経験がより豊かなものになっていく。

これは、とても創造的で、面白い頭の使い方だと思う。食をよく楽しむと、「ああ、人生を豊かに楽しんでいるな」という気に、ふとなる瞬間がたくさんある。

趣味としてのリラクゼーションになる。

これも、個人的にそう感じる、というレベルのことに過ぎないかもしれないが、料理食材は、「人間自然との強力な接点の一つ」だ。

この前たまたま流れてきた動画の中で、養老孟司さんが、

サラリーマン一年のうち3ヶ月は田舎に行って農作業をするべきだ」

というようなことを言っていた。

これは、人間は(人間以外の)自然に触れることで、人としての自然なあり様を取り戻せる、などというような話の文脈で言っていることのようだったが、

やはり現実的にはこれはなかなか難しい。

一方で、都会に暮らしていると、自然に触れることによって自分の心身が整えられる感覚があるのも、自分としては実感するところだ。

料理は、一つの自然である、と考えることもできる。

例えば、食材を茹でている鍋の中で、いろいろな食材の色を眺めていると、何となく癒されるものがある。

また、料理をすれば、その色彩を眺めるだけでなく、実際に手で触れ、匂いを嗅ぎ、それを味わう、という、五感総合的に用いたプロセスを、自然経験する。

これが、日常生活を生きる上での、癒しになっている面は非常にあると思う。これは、例えば電子機器などが介在するような趣味とは、少し異なる位置づけの趣味として考える必要がある。

仕事でのタスク遂行能力が上がる。

料理は細々したタスクの積み重ねだ。日々確実に、決まった時間に、下記のような要素を十分に考慮した料理提供する必要がある。

 ・おいしさ

 ・栄養

 ・原材料費

 ・材料調達(買い出し)

 ・家族の好み(カスタマイゼーション)

 ・新規レシピの導入

 ・在庫管理

 ・洗い物の段取り

これらの左脳的なタスクも、非常に奥深いものがあり、上記を同時に達成するためには、細かなオペレーション上の工夫や、機材の導入などを適切に行なっていく必要がある。

私自身は一介の勤め人だが、上記のようなスキルは、一般経営者が求められる全般的なスキルと通ずるところがあるのではないか、と思う。実際に、経営学等における考え方を、日々の料理管理活用している部分も色々ある。

こうした事柄について改善を行うためには、個々の作業をただ行うだけではなく、全体の工程俯瞰した上で、このプロセス全体を創造的に組み替えていく必要がある。

ここまで色々語っているが、自分料理に実際に日々費やしている時間は、平均で30分程度のものだろうと思う。

このような工夫を継続的に行うことで、「涼しい顔をして高品質アウトプットを出し続ける」ような仕事の仕方を、多少なりとも身につけることができつつあるのではないか、と思っている。

⑦妻に喜ばれる

結局、これが一番大事だ。

よくある言説として、「時給に換算するとこれは〇〇円だから外注した方がいい」などというものがある。

かに資本主義原則から考えれば、原則的に自給自足は不合理であり、分業こそ正義、というのは、理論的には正しいだろう。

しかし、近頃子供も産まれ、よく考えることは、

自分がすることのうち、何を内部化し、何を外部化するか、ということは、生き方のもの規定する哲学だ」ということだ。

それこそ原理から言えば、ありとあらゆることを外注化することができる。

料理外注化すること、子育て外注化すること、(仮想的に)家族・友人を外注化すること、(パッケージ化された娯楽を楽しむという点で)趣味外注化すること。

技術が発展すれば、例えば「息をする」というようなことも外注できるだろう。

原理を考えれば、デカルト式に、「我思う」以外の事柄は、全て外注可能である、と言うことができるかもしれない。

しかし、やっぱり自分はそういうあり方には、本質的な喜びはない、と思う。

食事を作り、家族と食べる、という行為は、「息をする」のと同じカテゴリーに入る、自分に属する行為だ、と、今の自分は感じているらしい。

まあ、どこにラインを引いていくかは、人それぞれだ。それが生きる姿勢の反映ということだと思います

2024-05-10

私は2022年6月8日から203号室の住人であり、202号室に誰が入居しているのか知りませんし、あなたの顔も見たことがありませんし、今回あなた警察官110番通報し、警察官が外のベランダに立っていた時に初めてあなたを見ました。常識的見地から、会ったこともない隣の部屋の入居者に大音量ラジオを聞かせるような人はこの世に存在しない。あなたの部屋から2024年4月7日に大声が聞こえて、あなたの部屋から誰かが飛び出して外で騒いで部屋に戻って来たのを聞いた。従って、あなたの部屋には、中国人女性が一緒に住んでいると考えていた。さらに、2024年1月9日には、202号室には、あなたとは違う男性が出入りしていた。以上のことを総合的に考えて、2024年5月10日の昼間の時点で、あなたの部屋に向けてラジオ大音量で流す合理的理由がない。あなたは以上のことの説明を受けたときに怒り出す性格をしているが、精神疾患か何かがあるのではないか。また、私は、201号室に誰が住んでいるのかも知らないし、201号室の人とも202号室の人とも顔を見たことがないし話をしたこともない。2024年5月10日に何回も203号室からラジオの音が聞こえてきたと言っているが、それに対して、そんなに怒る必要性があることであるのか。

 I have been a resident of room 203 since June 8, 2022, I do not know who occupies room 202, I have never seen your face, and this time I saw you for the first time when you called the police officer 110 and the officer was standing outside on the balcony. From a common sense standpoint, there is no one in this world who would allow a loud radio to be played by a resident of the next room who has never met you. I heard loud voices coming from your room on April 7, 2024 and heard someone run out of your room, make noise outside and come back into your room. Therefore, you believed that a Chinese man and a woman were living together in your room. Furthermore, on January 9, 2024, a man different from you was in and out of Room 202. Taking all of the above into consideration, there was no reasonable reason to play the radio loudly toward your room as of midday on May 10, 2024. You have a personality that becomes angry when the above is explained to you, but you must have a mental illness or something. I also do not know who lives in room 201, and I have never seen or talked to anyone in room 201 or 202, and you say that you heard the radio from room 203 several times on May 10, 2024, and that there is a need to get so angry about it Is that something you need to be so angry about?

2024-04-17

anond:20240417111740

現代生物学見地においては、これはありえない

だそうで。

2024-04-15

死刑効果

ニュースを見て。

昔は執行するよって前日に告知してたら死刑囚自殺されたそうで、

その反省から今は1~2時間前に告知するようになっているらしいです。

へー、人間ってそういう感じなんですね。

そして今、1~2時間前の告知は「不必要残酷」だからもっと前に告知すべしという訴訟が起こされてるのだとか。

でも逆に、事前告知が自ら死を選ぶほどの恐怖を与えたと考えたら、

ある意味死刑のものよりも前日に告知するほうがシビアなのでは?

という気もしないでもないんですが。

恐怖を与えるというより、恐怖を醸成する時間を与える、というか。

なにをもって人道的とするか、ですよね。

死刑囚毎日のように執行の恐怖に怯えているとはいえど、

それが何日も何年も続けばやがて日常になり、

執行はとりあえず今ではない。まだ先のことだ」と思い込むようになることで

自我を保てている部分もあるんじゃないでしょうか?

から執行は直前に告知されるものだとあらかじめ知らされていたほうが、

ある種のあきらめによって執行までの日々を「比較的人道的」に過ごせるのでは?

しろそんな精神状態から「1日」も死に向き合うのは単純にキツそうじゃありませんか?

などと思ってみたり。

たとえば、「毎日0.01%くらいの確率執行するかどうかの判定が自動で行われる」とか、

ランダム要素を事前告知してたらどうなるんでしょう?

実質的には現行の死刑制度も同じようなものですが。

その判定を機械やらせて、当たり(?)が出たらゴハン24時間後くらいに効果が出て、瞬時に死ぬような薬が入るようになるだとかしたら?

死刑囚ゴハンを食べなくなって死にますかね?

それとも飢餓に耐えかねて、毒入りかもしれないゴハンを恐る恐る食べて、やがてそれが日常になるんでしょうか?

日常を生きて、ある日パタリと死ぬ

そっちのほうがいいという死刑囚もいるのではないでしょうか?

そもそも宗教者による最後説教をうけて絞首台にのぼりボタンを押されて死ぬというような

からさまなクライマックスを用意するのがなぜか当然とされています

もともとレールを外れた死刑囚に、さらに「更生ののぞみが皆無だから死刑」なんて処遇を与えておいて、

なぜかその人に自分と向き合い人道的見地を取り戻すようなことをさせる。

というのはとても矛盾だと思うんですが?

死刑囚でなくても、死に向き合うよりも「なんだかよくわからないけど気付いたら死んでいた」ほうがいいという人は多いのでは?

自分に向き合うようなことが苦手だからこそ死刑になるような行為に手を染めた人間なのだ

しかも、反省は結局無理でした。

から死刑になったのに、この期に及んでなぜ人間らしさを求めるのか。

もう死ぬんだからいいでしょ?これ以上面倒なことはしたくないよ……というのが

そういう死刑囚本音だったりしそうじゃないですか?

そういうやり方を選べるオプションがあったら、

果たしてそれを選ぶ死刑囚はいるのか?

そのやり方は人道的だといえるか?

人道を外れていることを理由に死を与えられる人間に、人道に戻る義務を負わせるのが果たして人道的なのか?

などが気になりますね。

2024-04-14

知らない方が幸せ

昔、ふかわりょうが当時のおバカギャルタレント相手に「無知は罪です!」って大声で怒鳴っていた。

その抜き身すぎる言葉が今でも脳裏に焼き付いている。

増田別にそうとは限らないとは思うものの、彼の言いたいことはわかる。

彼は芸人からという理由こそあれ、自分とは知識レベルがかけ離れた人間と話すことを強要されていたのだ、そりゃあ辛い。

相手により賢く居ようとする努力を求めたくなるのも無理からんだろう。

 

だが、果たして知ることはそんなに美徳だろうか?

大抵の真実なんてもの、知らない方が幸せだ。

幸せであることを罪悪だと断じる者がいるとすれば、その者こそ真の悪ではないだろうか?

 

好奇心は猫を殺すという。好奇心旺盛な者は死するということで、これは単なる戒めに留まらず、様々な分野の専門家までもが好奇心生存において不利であると述べている。

わかりやすもので言えば、災害科学の分野で語られる「(専門家以外は)原因を探ろうとせずとにかく逃げろ」というものなんかがある。こと災害においては知ろうとする姿勢危険を招くのだ。専門家ですら、きちんと対策が施せない場合には退避を優先するというのに、素人に出来ることなたかが知れる。その場に立っていられるのは適正に準備を講じた専門家のみなのだ

また馴染みの浅い分野で言えば、脳科学見地からも、「情報中毒」なる新語提唱され始めている。自分がよく知っていることをより深く知りたいという衝動に駆られ、情報化社会である現在はその衝動が容易に達成される。だが、そもそもその事柄情報は限度がある。

結果、より深く知りたいという欲求が行き着く先は不必要情報収集へと向かい、やがて新しいことを学ぶ意欲や機会の喪失に向かう恐れがあるそうな。

まりシーンを弁えることが肝要なのであり、なんでも知ればいい、知ろうとする姿勢がいいなどというのは、ひどい欺瞞であるのだ。

 

これはあくまで、好奇心マイナス面を恣意的に抜き出したものであることには注意が必要だ。

だが私は敢えて問いたい、知ることは本当にプラスであるのか?と!

なぜ二時間前の私は、タイトルすらわからない好きな素人モノが「本当に素人なのか?」などと不要な疑問を抱き、あまつさえシチュエーション検索し、タイトル特定し、出演者の詳細までもを確認したのだろうか?

その場に立っていられるのは、適正な準備を講じたプロのみなのだ、わかっていた。わかっていたはずなのに、なぜ裏切られたと感じるのか。

果たしてその拾い物の動画素人モノという情報以上に有益情報は得られたか? 否、断じて否!! 素人ではなくプロであるなどと、素人モノにおいては不必要情報以外の何物でもないのだ。

こうして私は新たな素人モノ開拓の意欲をすっかり失ってしまった。

2024-03-30

内閣府タスクフォース会議中国ロゴリベラル沈黙しているのは、これが赤狩りから

会議資料はほぼ全公開、発言動画YOUTUBEで公開、だから大林委員提言中国国益だというものがあれば、

個別に精密に検証可能状態。でもそんなのは出てこない。「ロゴが動かぬ証拠!!!」「成田闘争・・・」「孫正義・・・

みたいな外形の話だけで「アカを国政に絡ませるな」という議論をして気持ちよくなっている人たちがいる。大林委員は確かに発言素人クサくて空気読めていないところもあるが、役所側は是々非々で、「その点はこういう事情でこうなっているので今はできない、継続検討」「改善に向けては〇〇の見地から継続した議論必要」等と押し返しているのでそれでいいのではないかと思う。

https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kisei/conference/energy/e_index.html

2024-03-23

ワイズ先生性交同意年齢引き上げ根拠非合理論制度趣旨メモ

ワイズ先生(@YS_GPCR)が、性交同意年齢の16歳以上引き上げについて合理的根拠がないと主張されている。

ttps://twitter.com/YS_GPCR/status/1770800526998819269

こういうふうに、説明つかないでしょ?

から14歳と成人が交際性交してはいけない」という倫理観合理的理由はないと、当方は主張しています

ttps://twitter.com/YS_GPCR/status/1771143471996551171

??

14歳性教育が足りないため、成人は14歳性交すべきではない、という理屈は、年齢差5歳以下なら犯罪とならないことと辻褄が合わない」

に対して

「同年代同士の性交は少ない」

ことがなぜ反論になるのかわからないし、

中絶率の高さがなんの関係があるのかわからない。

ttps://twitter.com/YS_GPCR/status/1771402538862150118

権力勾配」って、学校先生と生徒とか上司とかの関係を言っていると思うんですけど、権力を利用して手籠めにしたのか、同意のある関係なのかは、個別判断すればいいわけで、一律で禁止する合理性がない

ttps://twitter.com/YS_GPCR/status/1771404710995779643

これは「砂山の詭弁」の変形ですね。今回の性交同意年齢の議論は、グラデーションがありボーダーラインを便宜的に決めるしか無いもの一種です。だから14歳を主張する人に「13や15はいけないのか?」と詰問することはできる。

だけど、同じ論法は16や18を主張する人にも使えてしまう。意味がない。

個人的には性交同意年齢引き上げには合理性があると思うが、改めてその理由を問われると即答できない。そこで、政府答弁による公式制度趣旨を調べたので、メモとして共有しておこう。

第211回国会 法務委員会 第17号

 強制わいせつ罪強制性交等罪は、性的自由性的自己決定権保護法益としております性的行為に関する自由意思決定の前提となる能力そもそもない場合には、暴行等の意思決定に影響を及ぼすような状況がなかったとしても保護法益侵害されると考えられるところ、その能力がないと言える年齢として、現在十三歳未満、すなわちおおむね小学生の年齢層の者は行為性的意味認識する能力が一律に欠けるということから現行法では十三歳未満がいわゆる性交同意年齢とされていると考えられます

 もっとも、性的行為に関して有効自由意思決定をするための能力の中身といたしましては、行為性的意味認識する能力だけではなく、行為相手方との関係において、行為自分に及ぼす影響について自律的に考えて理解したり、その結果に基づいて相手方対処する能力必要であると考えられます

 そして、十三歳以上十六歳未満の者はおおむね中学生の年齢層でありまして、性的意味理解する能力が一律に欠けているというわけではないことから、一律に相手方や状況を問わず性的行為に関する自由意思決定の前提となる能力に欠けるとまでは言えない一方で、先ほど申し上げた後者能力は十分に備わっておらず、対等な関係の下でなければ性的行為について有効自由意思決定をする前提となる能力に欠けると考えられるところでございます

 そして、相手方が年長である場合には、一般に、その年齢差が大きくなるほど、両者の間の社会経験知識差異などによりまして、その年齢差自体から対等な関係にあるとは言えなくなると考えられるところ、この性交同意年齢の問題は、性的行為したこと自体直ちに性犯罪が成立するとするものとする規定でありますことから刑罰の謙抑性の観点から、双方の年齢が要件を満たすだけで例外なくおよそ対等な関係はあり得ず、有効自由意思決定をする前提となる能力に欠けると言えるものであるものとすることが必要であると考えられます

 本法律案におきましては、そのような観点から心理学的、精神医学見地も踏まえまして、いわゆる性交同意年齢を十六歳未満とした上で、十三歳以上十六歳未満の者に対する性的行為について処罰対象となる得る者を、その者が生まれた日より五年以上前の日に生まれた者としているところでございます

アウトラインで要約すると、以下となる(なお、「意味認識能力」などは便宜的な表現専門用語ではないことに留意。3/25一部修正)。

以上のように考えるとワイズ先生議論に対する違和感は、被影響認識能力関係対処能力当事者の年齢差に大きく左右されることを無視している点に根差すことに気付く。直観的に考えても、14歳と15歳のカップルと、14歳と25歳のカップルの違いは何かといえば、年長者と年少者間の年齢による社会経験の差と、その差が年少者側に与える影響の度合いである。

もっとも、改正刑法の年齢区分関係対処能力などの獲得と本当に対応していると証明できるかと問われれば、なお議論余地はある。しかし、その点は単なる科学的な問題にととまら価値判断問題でもあり、国会多数決で決めるという民主主義によって決する他あるまい。

追記(3/25さら追記):性交同意年齢引き上げは法としては十分に合理的

結論を書き忘れていた。

以上より、性交同意年齢を引き上げて性交を一律で禁止することに、少なくとも法が備えるべき合理性はあると自分は考える。もちろん、年齢区分妥当性について、生物学のように厳密に実証することはできず、この点につき異論はありうるだろう。しかし、理論的、経験根拠を有する制度趣旨政府から提示され、国会一定議論が交わされた上で多数決刑法改正をした以上、性交同意年齢引き上げは法としては十分な合理性を持つ。

ワイズ先生は年齢区分客観的妥当性について議論を続けそうな雰囲気だが、もともと法律というのは完全に客観的というわけではい。法は価値判断包含するものであり、最終的には選挙で選ばれた国会議員が多数決するという民主主義によって制定する他ない。逆に、価値判断ほとんど含まない問題については民主主義不要である。例えば、ある物理現象メカニズムは何かは、選挙で選ばれたわけでもない物理学者達が数理モデル化と実験を行い、その論文化と討議を通じて合意形成して決まる。ここには価値判断対立がなく、ほぼ客観的議論が決する。法律はそうではないので、多少の客観性の欠如は国会議員の多数決で補う他ない。

少なくとも、以下の「年長女性嫉妬」という下世話な動機法改正されたわけではないのは確かだ。

ttps://twitter.com/YS_GPCR/status/1771403509134758353

これはもともとの論点の「性交同意年齢を引き上げようとするのは結局年長女性嫉妬」という根拠の一つだけど、権力勾配のある性的関係を一律で禁止しようとするのは、望んで高権力相手を好きになる人の自由を踏みにじってるわけです。それを「グルーミングされただけ」などで押し切る強引さがおかし

追記2:ワイズ先生批判派への疑問

ttps://marshmallow-qa.com/messages/0ba4dc8f-aeef-493f-b199-88ebcde853fd?utm_medium=twitter&utm_source=answer

不同意的、強制的な関係を防ぐために、成人と未成年で"真実の愛"が成立する例が一部あったとしても潰す」とか

未成年には判断力、同意能力がないので、未成年同士の□□も違法」とかを認めないので辻褄合わなくなるんだと思う。

不同意的、強制的な関係を防ぐために、成人と未成年で"真実の愛"が成立する例が一部あったとしても潰す」とほぼ同旨の政府側答弁が、既になされている。

第211回国会 法務委員会 第17号

鎌田委員 

(中略)

 例えばなんですけれども、十五歳で高校入学しました、それで、シングルの成人の教員相思相愛、愛し合うんですね、気持ちで愛し合いました、そして、結果、性行為を交わしたとします。それで、高校卒業と同時に婚姻関係となるケースも考えられます。私が高校時代なんかは、同級生高校卒業したら結婚しちゃったというのは割とあったんですね。

 このケースなんですけれども、円満に、穏やかに結婚生活夫婦生活を行っていたとしても、今現在行っている、営んでいるそういう御家庭があったとしても、当時、お連れ合いのどちらかが、男女限りません、どちらかが十五歳当時でした、そのとき行為を交わしていましたということが判明すると、その片方のパートナーは、六月以上十年以下の、有罪拘禁刑罰則対象となりますね。

松下政府参考人

(中略)

 十五歳の高校生と二十三歳以上の大卒先生という前提で申しますと、その年齢差は五年以上年長という要件に該当いたしますので、結婚したとしても、それからその結婚生活円満だったとしても、その行った当時の年齢差ということで判断すべきことでございますので、改正後の刑法第百七十六条第三項又は百七十七条第三項の罪が成立し得るということになります

例えば無許可拳銃所持の内、美術的な鑑賞目的の事例が極少数存在するが、その他のほとんどの事例はそうではなく何らかの犯罪行為の準備が疑われるので一律に所持そのもの処罰する、というロジックは十分に合理的である。同様に、成人と未成年で"真実の愛"が成立する例は極少数存在するが、他のほとんどの例はそうではないので一律に処罰する、というロジックは理に適っているように見える。

なぜワイズ先生批判派は上記ロジックを援用しないのだろうか。また、ワイズ先生はこのロジックならば異論はないのか。何が論争の争点だったのか、よく分からなくなってしまった。

2024-03-01

画像生成AIこそ人類創造性の結晶

画像生成AIは、画像劣化した形で圧縮してそのまま再現しているだけ。だからパクリだ」という発言をよく見かけるようになったので、少し専門的な見地から反論しておこう。まぁ、本当は「取り込んだ画像を丸パクリして出力しているだけだ」と主張したいけど、それは明らかに事実に反するのでそういう言い方をしてるんだろうけどね…。

まず、画像生成AIと非可逆の画像圧縮技術本質的に同じものだ、というのは事実だ。実際に、画像生成AIを新たな圧縮技術に応用できるのではないか、という話はすでに出ている。なぜなら、これはどちらも「情報抽象化」を行うものからだ。情報からその本質的な部分を抜き出し、情報量を減らした形で蓄えておいて、あとから有用な形で利用できるようにする。

我々が非可逆圧縮において「画質の劣化」と呼んでいるものは、画像の中の本質的でない部分を省くと細部が抜け落ちる、という側面をネガティブに言っているだけだ。逆の見方をすれば、情報本質的でない部分を削ぎ落として有用な部分を活用する技術非可逆圧縮であり、画像生成AIであると言える。

画像生成AIについて「劣化圧縮」ということを言う人たちは、「絵の丸パクリ咎められないよう誤魔化すための方便だ」くらいの気持ちで言っているのだろうけど、私は、これこそが画像生成AI本質であろうと思う。つまりちょっとしたプロンプトから破綻の少ない豊かな情報再現できるのは、すなわち画像生成AIが、情報の優れた抽象化方法を獲得しているということだからだ。

ところで人類歴史において、優れた抽象化創造性の発揮として捉えられてきた。ならば、生成AIモデル人類文化表現した抽象芸術であり、創造性の発揮そのものなのでは?

そんなわけで、生成AI批判的な人たちが言う「劣化圧縮」こそが画像生成AI創造性の根源なのだ創造性の欠如が生成AIの「問題」だというのなら、その主張は明らかに誤りだ。

2024-02-24

ヤニカスが石を投げられない喫茶店

anond:20240201220158の続き。 

 

 駅にある喫煙所の扉を開いて外に出たら、通り掛かった外国人の方が眉をしかめ「oh,bad smell」と呟かれました。

 どうやら私は国際的にくさい存在だったようです。

 少し傷付きましたが「グローバルバッドスメラー」って横文字にすると何かのインフルエンサーぽい気がしますし何だかカッコいい気がするからセーフ、という事にしておきましょう。

 さて、そんな感じで今日もヤニカスok喫茶店を紹介して行きますね。

 

[秋葉原 カフェモコ]

 お店の場所JR秋葉原電気街口を出て3分からいくらい。昭和通りに面したビル一角にひっそりとある喫茶店です。

 店のシンボルタバコ吹かすおじさんのシルエット。ヤニカス的にはとても魅力的で勇気付けられるマークですよね。

 店内入ってすぐのカウンター商品のオーダーと会計を済ませるスタイルで、頭上は色とりどりの輝く電飾で彩られていて縁日ぽい雰囲気

 そして商品一覧のボードと共に、様々な国の紙幣クリップで大量に留めてあります

 ドルとか人民元はもちろん、全然知らない国の紙通貨が一面に飾られていて、見ているだけでワクワクしてきますね。

 紙幣の隅に「thank you〜」とか書かれていたので、おそらく外国人観光客の方が残していったものでしょうか?

 ジンバブエドルとかあったら面白いなと思って注文待ちの間に探しましたが、最近老眼が気になり始めているおじさんアイでは発見出来ませんでした。残念。

 

 B1F、1F、2Fとフロアがあって2Fのみ喫煙可。

 オーダー完了してお会計を済ませると、食事は後で届けて下さるとの事なので飲み物だけ貰って喫煙可能な2Fまで上がります

 ここで注意点がひとつ

 お店の心遣いにより、飲み物は全てカップのフチ辺りまでたっぷり並々と注がれているんですね。

 つまりコーヒーをこぼさないように階段を上がるのに、かなりの技術必要でして非常に難易度が高いんですよ。

 タイミング悪く、階段の途中で他の方とすれ違いなどが発生するとコース取りの難しさは天井知らず。

 気分はまるで繊細なドラテクで峠を攻めるイニシャルDの拓海さん。訪れた人のバランス感と巧みなコーナーワークの見せ所なんですよ。

 ええ、もちろん私は毎回こぼしてますよ?

 カフェモコ峠は初心者にとって難しいコースですからね。仕方がないのです。

 

 さて慎重な足捌きで階段を踏破すると、そこは喫煙可能席というエルドラド

 店内壁紙や照明もお洒落レトロな素敵空間で、店内BGMジャズボサノバが流れています

 後はヒョウとか虎とかネコ科の猛獣の置物が、店内のあっちゃこっちゃに設置されています

 多分、秋葉原という土地柄とお洒落絶妙バランスで交わり合った結果として、このような面白不思議洒落空間形成されたのでしょう。

 地政学見地からしても大きく間違ってはいないんじゃないでしょうか。

 よく知らないですけど。

 

 店内は秋葉原喫煙者が集まって居るようで大体混んでます

 空いてた窓際のカウンター席に腰を下ろすと、テーブル上には先客であるカエルの置物。

 このカエルさん、王冠を被っているのに物憂げな表情で頬杖をついたまま体育座りをしておられまして。

 よく見ると首元に六文銭みたいなネックレスが掛かっており、そこに付いている缶バッジに何か文章が書かれています

 『私は暴力が嫌いだ』

 ……詳細は不明ですが、とても苦労をされているようですね。店内に居るネコ科の猛獣達に甘咬みされたのかも知れません。

 どんな目にあったか彼は語ってくれませんでしたが、お互い強く生きて行きましょうね。

 カエルさんが受けたであろう仕打ち想像し、ちょっぴり切ない気持ちで飲んだコーヒーは苦みと酸味が薄いタイプ

 飲みかけで放置してしまっても、あまり酸っぱくならないコーヒーでした。

 大井町のポットリーに続き、イケオジなマスターさんは私の中で勝手に「コーヒーを美味しく淹れてくれる妖精さん」に認定します。

 

 そんな感じでコーヒーを飲みながら料理提供されるまで、店内を見渡してたのですが……

 後ろの席にはイチャつくカップル。

 私と同じ窓際のカウンター席では、オーダーした商品と一緒に持参した人形撮影を楽しんでいる方。

 両者が混在する喫茶店など秋葉原くらいでしかお目に掛かれないんだろうな、などと考えながらコーヒーを啜る汚いおじさんである私。

 バラエティ豊かな人々を包み込み、ボサノバBGMにして実に緩やかな時間が流れます

 

 料理の紹介。

チーズホットドッグ

 パンからはみ出るソーセージチーズたっぷりかけて焼かれた逸品。

 パンとお皿の間に薄黄色プレートみたいなのがあって、何だろうと思ったらチーズ羽根みたいになってました。

 羽根餃子なら知ってますが、羽根ホットドッグは初めてです。

 更にプレートの空きスペースは許せないと言わんばかりに、ポテトチップスが山盛りで付け合せられていまして。

 何だかアメリカの風を感じるディスプレイですね。アメリカホットドッグとか食べた事ないですが多分そう、部分的にそう。

 見た目に圧倒されつつ、付属したケチャップマスタードをビッチビチに振りかけて頂きましょう。

 齧り付くと、温かで焼きたてっぽいふっくらしたパンソーセージチーズケチャップマスタードの夢コラボが口の中で弾けます

 こんなの美味いに決まってるじゃないですか。

 口の中が油っぽくなったらコーヒーで口を洗い、思い出したようにポテチを齧り、カリカリになった羽根チーズを摘む。気分はまさにアメリカキッズです。

 コーラの方がよりキッズぽい感じになったかなと思いながら食していたのですが、気付けば口の周りと手がベトベトに。

 あらやだ。今のおじさんの食事風景ったら、まんまアメリカンなキッズじゃないですか。

 提供されたホットドッグキッズみたいに手掴みで思うがまま食し、無事完食。ベタついた口と手を紙おしぼりナプキンで拭ってから〆にクッキーを頂きます

 童心を思い出させてくれる、とても素敵なメニューですね。

焼肉ドッグ

 ホットドッグバンズレタスを敷き、焼肉を挟んだ逸品。……正確にはパンの隙間に肉を詰められるだけネジ込んだ逸品です。

 もちろんプレートの空きスペースは美しくないですからポテトチップスもどっさり付いてきますよ。

 囓ると甘辛いお肉の味が口いっぱいに拡がります。散らされた白ゴマも良いアクセントで美味。ご飯が欲しくなってしまますね。

 これはフォークが一緒に提供されたのですが、お肉だけだとちょっとしょっぱいですし、パンを齧ろうとすると使うタイミングなさそうなので、結局使用できませんでした。

 カフェモコ上級者の方はどう使うのか、が少し気になります

 

焼きそば

 極細麺をたっぷりキャベツソーセージに絡めて焼き上げた逸品。

 皿にどっかりと盛られた焼きそばの上には刻み海苔紅ショウガも横に控えています

 そして何故かパンも一緒に提供されます

 ……パン??

 頭に疑問符を浮かべながらよく見ると、中央に切れ込みが入っていました。

 なるほど! これ使って自分焼きそばパンを作れ、という事ですね。

 カフェコスタイルでパンの隙間に限界まで焼きそばをネジ込んで、紅ショウガを散らせば、おじさん謹製焼きそばパンが完成。

 焼きそばパン作れるとか、遊び心があって素敵過ぎませんか。

 ちなみにパンに挟んでも普通焼きそばくらいの量は余ります

 味としては縁日で食べる焼きそばをオシャレにした、すごくいい感じのソース味でした。

 

カルボナーラ

 とろっとろなカルボナーラパスタの中心に卵黄が鎮座し、ピリりと胡椒の効いた逸品。

 残ったパスタソースに着けて食べる用なのか、こちらもパスタ本体とは別にパンが一緒に提供されます

 パスタソースの絡み具合、卵黄のまろやかさ、胡椒の刺激がとてもいい感じで美味しかったです。

 パンバターの効いた少し甘めなクロワッサンで美味でした。

 

 カフェモコの料理は何を頼んでも「物足りない」と感じる事がないです。

食べ物を頼むって事はお腹が空いてるって事だよね? よし任せとけ! 必ず君のお腹幸せで満たしてあげるよ!』みたいな感じでしょうか。

 とにかく食事を頼んだ客をお腹いっぱいにしてあげたい、という店側の思い遣りがビンビン伝わって来ますね。

 頼んだ食事メニュー全てにクッキーついてきてますから食後の口直しもバッチリです。

 喫煙される方には大きく頷いて頂けると思うのですが、満腹になった直後に吸うタバコのまぁ美味しいこと。

 食後はタバココーヒーを楽しみつつ、昭和通りを行き交う人々を眺めながら優雅時間を過ごしました。

 店の奥には昭和通りを見つめる虎の置物も居ますし、多分これがカフェモコのカウンター食事した際の正しいマナーでしょう。

 しか秋葉原も変わりましたね。

 私が初めて訪れた時は駅前ジャンクパーツ横丁みたいのがあって謎の部品がいっぱい置いてある、みたいな場所だったのに。

 当時の人に「秋葉原はお洒落になって、道端にメイドさんがいっぱい生えてる」って言っても誰も信じないでしょう。

 そんな時代の流れを懐かしみつつ、おじさんは秋葉原を後にしたのでした。

 

 以上、ここまで読んで頂いてありがとうございました。

 また都内喫煙可能喫茶店を紹介しようと思いますので、見かけた方は読んで頂ければと思います

2024-01-26

金光翔 『<佐藤優現象批判

インパクション』第160号(2007年11月刊)掲載

目次

1.はじめに

2.佐藤優右派メディアでの主張

 (1)歴史認識について

 (2)対北朝鮮外交について

 (3)朝鮮総連への政治弾圧について

3.佐藤優による主張の使い分け

4.佐藤優へ傾倒する護憲派ジャーナリズム

5.なぜ護憲派ジャーナリズム佐藤を重用するのか?

 (1)ナショナリズム

 (2)ポピュリズム

 (3) 格差社会

 (4)「硬直した左右の二項対立図式を打破」―〈左〉の忌避

6.「人民戦線」という罠

 (1)「ファシズム政権樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤擁護する

 (2)「論壇」での生き残りを図るために、佐藤擁護する

7.「国民戦線」としての「人民戦線

8.改憲問題と〈佐藤優現象

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

10.おわりに

1.はじめに

 このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。

 だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディア排外主義のものの主張を撒き散らしている。奇妙なのはリベラル左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。

 佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場記述検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。

 「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動共鳴する特定編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチ共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社カラーや論壇の左右を超えて小さなリスク共同体が生まれ編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞社会面を中心に、従来型の検察官邸主導ではない記者独自調査報道が始まる。」「この四者(注・権力民衆メディア学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論公共圏形成していく。」

 馬場見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点であるある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義体制下の護憲派が、イスラエルリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。

 以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮武力行使在日朝鮮人団体への弾圧必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的ものである。「戦後民主主義」が、侵略植民地支配過去とまともに向き合わず在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象しか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。

 私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤右派メディアで主張する排外主義を、リベラル左派容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在ジャーナリズム内の護憲派問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。

 馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である佐藤自身は自ら国家主義であることを誇っており、小谷野敦言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本右翼なんか一人もいない」。

 佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店朝日新聞出版物では、排外主義ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?

 この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。

2.佐藤優右派メディアでの主張

 まず、佐藤排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。

(1)歴史認識について

 佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本ロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立日清戦争日露戦争引き起こした。もし、日本ロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮にらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージ金正日に送るのだ」。朝鮮植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのもの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢反論することは当然のことだ。」と述べている。

 特に大川周明テクスト佐藤解説から成る日米開戦真実大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本近現代史に関する自己歴史認識開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である

 「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国アメリカイギリスによる植民地支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種棲み分け理論である日本人はアジア諸民族との共存共栄真摯に追求した。強いて言えば、現在EUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカ日本妥協を繰り返せば、結局、日本アメリカ保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民活動家の眼には、日本列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリスアメリカはつけ込んだ。日本こそが中国植民地化と奴隷支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。

 右翼たる佐藤面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。

(2)対北朝鮮外交について

 佐藤は、「拉致問題解決」を日朝交渉大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエル国権侵害でもある。人権国権侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在北朝鮮ミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義選択肢には戦争問題解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題解決」においても、戦争視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。

 さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮米ドル札偽造問題が、アメリカ自作自演だった可能性が高いという欧米メディア報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカ情報源情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証根拠も示さずに(反証必要性を封じた上で)、「北朝鮮情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤現在右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。

(3)朝鮮総連への政治弾圧について

 佐藤は、「在日団体への法適用拉致問題動く」として、「日本政府朝鮮総連経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネス利益を得ている勢力牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。

 漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件摘発拉致問題解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮日本交渉する気にさせるのが警察庁仕事。そのためには北朝鮮資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関民族学校などへの強制捜索に理論根拠提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。

3.佐藤優による主張の使い分け

 排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。

 佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。

 一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループサイト上での連載である地球を斬る〉では、「慰安婦問題をめぐるアメリカ報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的立場から日本政府謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題 Permalink | 記事への反応(1) | 18:32

2023-12-10

ビリーアイリッシュカミングアウトフォロワー10万人くらい外れた言うてたけど、結局どんだけセクシャルマイノリティ見地を広げようと努力しても一般人差別意識なんて大して変わってねんだなって。

別にビリーアイリッシュクィアだろうがなんだろうがフォロワーには関係無いのにな?どっからかそういう話題振られない限りそういう話をメインに語る訳でも無いだろうに。

2023-12-05

アニミズム的な見地から見たヴィーガンに興味深い事例が一つ。

X(Twitter)でスーパー精肉売り場の画像に、透明度を上げた動物画像を合わせて、動物の魂が漂っていて云々で食肉を批判しているんだけども。

魂が漂うのであればそれは屠殺された工場なりであって、すでに部位ごとにバラバラになってパック詰めされた精肉に魂が宿っているというのであれば、

それは魂と心の根源が身体の部位そのもの、それぞれが完全な形として宿るっていう発想になるので、一体どういった考えからそういう風に至ったのか知りたかった。

聞いたらブロックされたから未だにどういうなりたちなのかは分からないけど。

2023-11-29

絶対真理教ユートピア

https://anond.hatelabo.jp/20231128152804

科学的社会主義は一つしかないわけではなく」などというのは、科学的社会主義客観的な真理性を否定する相対的見地にほかならない

真理は一つしか存在しない。真理は誰にとっても真理である。よって現状が間違っているのならそれは誰にとっても間違いである。

間違いを指摘すれば誰でもそれが間違ってると理解できる。よって分派活動などする必要は無く、一人で間違ってると指摘すればそれでことたりる。

だがあなたのその指摘は正しいとは思えない。なぜなら現状が間違ってるのなら誰でも間違ってるとわかるはずなのに私には間違ってると思えないかである

2023-11-28

anond:20231128205007

そもそも優生思想否定するのは科学的な見地に基づいたポジショントークであるから

社会国家要請による優生思想の導入は防ぐ余地がないし防ぐ必要がない

どういった命を残すかについては議論余地があるが特定人物にだけ重くのしかかるコスト

今の制度では分散できないし分散させる気もないし分散させるなら反対する

優生思想といったところでやってることは救済なのだから文句を言われる理由がどこにあろうか?

これは介護なり医療でも同様

民間企業にとって利用価値のない人間求職活動をさせることは社会的に害である

こういう人間には以下の対策をする事が望ましい。利用価値のない人間障害者雇用で仕方なく採用する場合を除いては民間企業にとって徒に採用コスト押し付け行為であることを行政にはよくご理解いただきたいものである



共産党内部統制民主集中制志位委員長

2年前の衆院選において、吉良よし子日本共産党常任幹部会員が述べた表現規制発言について「共産党の良く分からん奴」、「こんな女性議員ちょっとした発言」などとして共産党全体の問題とはしない擁護が見られた(https://anond.hatelabo.jp/20231126202929

だが、共産党員が外部に対して意見を表明する場合、党の意に反した発言をすることができない。これを民主集中制という。(https://anond.hatelabo.jp/20230212205420

はてなにおいてもとある共産党員のブロガーが除名に追い込まれたことで、一部で話題になった。(https://m-dojo.hatenadiary.com/entry/2023/09/07/015416

では、民主集中制が具体的にどういうものなのか、志位委員長はそれにどう向き合ってきたのかを、志位委員長が書いた論文「変節者のあわれな末路」を例に見ていこうと思う。

本当は除名問題が盛り上がっているときに書きたかったが、古本で一万円もして手が出なかった(https://www.amazon.co.jp/%E6%8A%95%E9%99%8D%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E8%80%85%E3%81%AE%E8%A6%B3%E5%BF%B5%E8%AB%96%E5%8F%B2%E8%A6%B3-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A/dp/B00KSRE60K)。なかなか国会図書館に行く機会がなかったので今となった。

伊里一智事件

論文「変節者のあわれな末路」は、分派活動を行ったとして除名された伊里一智氏(当時大学院生)を全面的批判した論文となっている。

伊里一智事件とは、党員宮本顕治議長。当時の日本共産党トップ)の辞任を求めた事件で、分派活動とされ、最終的には党から除名されている。(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E9%87%8C%E4%B8%80%E6%99%BA

論文「変節者のあわれな末路」について

この伊里一智氏を徹底的に批判したのが、当時党青年学生対策委員だった志位和夫氏であり、また、ここでの大批判志位和夫氏の党内での出世きっかけになったとも言われている。

当時党中央委員会青年学生対策委員だった志位和夫宮本顕治の直接の指示を受け、党の規律に背いて他の代議員に対し働きかけた分派活動と断定した。

(前掲Wikipediaより)

赤旗掲載され、論文集「投降主義者観念論史観」(日本共産党中央委員会出版局)にも収録されているこの論文は、志位委員長の、そして共産党の体質が色濃く出ていると思うので分析していきたい。

ちなみに、論文集「投降主義者観念論史観」は伊里一智氏批判のための書物であり、端書と目次を紹介する。有力幹部でもない単なる一党員にここまでするのかとも思う。

(はしがき)

本書で批判対象となっている東大大学院生「伊里一智」なる人物は、1970年代かば以来展開された反共反動攻勢のもとで、日本共産党路線確信を失って、不まじめで小ずるい、しかピエロ的な反党分派活動にのりだし、日本共産党から規約にもとづいて除名された人間である(後略)

(目次)

反動攻勢へのみじめな屈伏(赤旗

◯ふざけた計画、ふざけた弁明(赤旗

反動攻勢への政治的思想的屈伏(河邑重光)

◯変節者のあわれな末路(志位和夫

反共分裂主義者への容認、屈服を吐露する(行方克也)

原水禁運動変質・解体への賛美と共鳴金子博)

◯退廃と遊戯の「哲学」(志位和夫

◯敗北の「哲学」(長久理嗣)

偏向記者の異常な立場赤旗

虚構の「ゆらぎ」(小林栄三)

◯『朝日ジャーナル』の「歴史逆行の道」(河邑重光)

◯党規律否定の「言論出版の自由」論(水口春喜)

民主連合政府スローガンをめぐって(赤旗

◯「国政選挙での一進一退」とはどういうことか(赤旗

論文「変節者のあわれな末路」の分析

本来であれば伊里一智事件の経緯と合わせてみていった方がいいのだろうが、それをすると異常に長いものとなってしまうので志位委員長の考え方が出ているであろう部分を抜粋し、コメントを付していきたい。

なお、双方共産主義者であり、どちらがいかに正しく共産主義理解しているのかという議論もしているが、そこには踏み込まない。正直意味わからんし。

以下、引用は全て志位委員長論文「変節者のあわれな末路」より抜粋したもの

結社の自由にもとづいて自発的意思政党に加入した者はだれであれ、出版言論自由をふくむ自らの基本的人権をその政党目的実現にむけて行使すべきである

いきなり凄いのが出てきた。仮に自民党総裁が、「自民党員はその基本的人権自民党目的実現のために行使すべき」とか言ったらどんな反応があるだろうか。

いくら政党等の団体所属していたとしても、基本的人権は各種団体よりも優先されるものであり個々人が自由行使できるもの認識しているが、日本共産党においてはそうではなさそうだ。

わが党は、「伊里」が、彼の反党文書のなかで、理論派閥容認」「党外出版物での批判容認」「横の交流拡大」などの、民主集中制を完全に否定する主張をおこなっていることを、彼の解党主義分派主義のあらわれとしてきびしく批判した

やはり、志位委員長も党内に派閥ができることや党の外での共産党批判NG認識しているようだ。

あと、注目すべきは「横の交流」も民主集中制的にはNGと考えていることだろう。

党の末端はあくま中央から指導されるものであり、末端同士で連携することは考えていないようだ。分派活動になるからだろうか。

科学的社会主義は一つしかないわけではなく」などというのは、科学的社会主義客観的な真理性を否定する相対的見地にほかならない

すなわち共産党客観的な真理性を体現していると言うことだろう。

坂本中央委員からつぎのような指導を受けたことをみずから明らかにしている。

「議案提出の主体は、…代議員有志など複数であってはならない」「党会議の事前に文書を配布することはできない」「事前に他の代議員と討論したり、自分提案に対する支持を、…求めてはならない」

坂本同志の発言は、「伊里」によってところどころゆがめられているが、こうした「伊里」の"証言"によっても、彼のおこなったような分派活動規約で禁じられたものであることを、坂本同志がはっきりと指摘していたことは明らかであろう。

まず目につくのは複数名(連名)の提案は認められないところだ。複数名での提案は、党内に派閥を作ろうとしている(分派活動)だと言うのだろうが流石に無理がないだろうか。

ちなみに伊里一智事件においては伊里一智氏ともう一名による連名だったそうだが・・・

次に、事前の議論多数派形成を認めていない部分だ。会議をやった経験のある方ならわかると思うが、これでは何も提案するなと言っているに等しい。いきなり重大案件を突きつけられて判断できる人はそうそういない。

結局、常日頃から末端を「指導」できる中央意見しか通らないと言うことだろう。

◯「伊里」の本が、いかに低劣な内容

◯三文反共雑文を書き送る売文家たちと同じ地点まで、「伊里」が転落してしまっている

◯「伊里」が本のなかでおこなっている弁明は、卑劣を通りこして、こっけい

◯「伊里」が語れば語るほど、その言葉から卑しい分派主義者本質が、すけてみえ

おまけで志位委員長による罵詈雑言集をつけといた。

余談1

やたらと大仰な言葉遣いする割に、漢字問題ないところまであえて平仮名で書くのは共産党文化なのかな(「もとづいて」「不まじめ」「ふくむ」「おこなった」「ゆがめ」「だれ」など)。書き写しにくくて仕方なかった。

余談2

やたらと「分派活動」という用語が出てくるがそもそも日常的な用語じゃなさそうなので、辞書を引いておこう。

共産党場合は党を分裂させようとする行為、という認識問題ないと思う。

デジタル大辞泉より)

ぶん‐ぱ【分派

1 主となるものから分かれ出ること。また、分かれたもの

阿蘇の—の一峰の右に」〈独歩・忘れえぬ人々

2 主となる勢力から分かれて別に一派をなすこと。また、その一派。「—を立てる」

ぶんぱ‐かつどう〔‐クワツドウ〕【分派活動

つの団体内部で、信条利益などの相違から派閥をつくって、主導権を握ろうと争ったり、団体基本方針とは別の行動をとったりすること。

追記

ブコメより

投降主義者観念論史観』と,伊里一智の著作『気分はコミュニスト』がネットにアップされてたhttps://sites.google.com/view/sokokutogakumonnotameni/%E9%A6%96%E9%A1%B5 後者増田言及してる宮本批判のもので、不破にも触れられてる

国会図書館まで行った俺の立場

リプライより

誹謗中傷で訴えられても知らないよ

訴えられちゃうのか怖いなぁ

法律詳しくないけどいくらくらい賠償請求されるんだろう

2023-11-20

anond:20231120121446

批判っつーかそもそも雄の気を引くためにデカパイデカ尻になるのが正解ってのが生物学見地なんでしょ

雄も雌も生物学的に正しいことしてるのに批判するって精神そもそもおかしいのでは?

2023-11-19

anond:20231118203326

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/189/054189_hanrei.pdf

これは引用しないの?

一般に、政教分離原則とは、およそ宗教信仰問題は、もともと政治的次元を超えた個人の内心にかかわることがらであるから世俗権力である国家地方公共団体を含む。以下同じ。)は、これを公権力の彼方におき、宗教のもの干渉すべきではないとする、国家の非宗教性ないし宗教中立性を意味するものとされている。

憲法は、政教分離規定を設けるにあたり、国家宗教との完全な分離を理想とし、国家の非宗教性ないし宗教中立性を確保しようとしたもの、と解すべきである

社会的文化的諸条件に照らし、国家は実際上宗教とある程度のかかわり合いをもたざるをえないことを前提としたうえで、そのかかわり合いが、信教の自由保障の確保という制度根本目的との関係で、いかなる場合いかなる限度で許されないこととなるかが、問題とならざるをえないのである。右のような見地から考えると、わが憲法の前記政教分離規定の基礎となり、その解釈指導原理となる政教分離原則は、国家宗教的に中立であることを要求するものではあるが、国家宗教とのかかわり合いをもつことを全く許さないとするものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いが右の諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものであると解すべきである

憲法二〇条三項は、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない。」と規定するが、ここにいう宗教活動とは、前述の政教分離原則の意義に照らしてこれをみれば、およそ国及びその機関活動宗教とのかかわり合いをもつすべての行為を指すものではなく、そのかかわり合いが右にいう相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであつて、当該行為目的宗教的意義をもち、その効果宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである。その典型的ものは、同項に例示される宗教教育のような宗教布教教化宣伝等の活動であるが、そのほか宗教上の祝典、儀式行事等であつても、その目的効果が前記のようなものである限り、当然、これに含まれる。

政教分離の射程範囲を、条文と学者の本の引用議会議事録だけによって、「宗教政治上権力行使するかどうか」の話に矮小化するのはよろしくないと思うよー。

2023-11-04

anond:20231104033207

歴史に限らず学問国語も含め回答者の内心なんて問わないし学術見地学者の内心を含まない客観性を求めているし、

そして学生学者の内心やモラルは本人が社会的生活を営む上で問われることで、全く別の問題だけど、賢くない人たちはここからまずわからないってことか?

2023-10-06

実はジャニーズ含め芸能人全般が嫌い

好きな人からすると憤死しかねない、しかもとりとめのない文なのでみないでね笑

小さい頃からジャニー氏は性加害で裁判起こされていること、そのほかも週刊誌レベルではあるが性加害を起こしていることがあげられていること、金屏風、AV女優当てがい、いつまでも結婚できない etc

ジャニーズがいかにまずいか、それに加えそも強い事務所にいるアイドルも闇があると聞かされ育っており、実際自分も変だな、おかしいなと思うことが多かったのでしっかり嫌いな人間に育ちましたとさ。

歌もダンスも演技も下手なのに、本当に上手い人を事務所が押さえ込んで前に出してくること、歌番組で街中で聞いたこともない曲をさも売れているように何グループ披露するのが本当に嫌いだった。

反面、事務所意向に従わざるをえず辛い思いをしているのかもねと勝手に哀れんだりはしていた。

売れてるグループはみんな身長が小さくて顔の系統がある程度タイプ偏っているでしょ?とテレビを示されてゾッとした思い出。

普通芸能人もまるで興味がない。

交際結婚破局出産人間だったら普通にするだろ。

女子アナ結婚出産もまじで興味がない。

替えの人なんて何人もいるだろうに不思議だ。

感覚的に会社の受付のお姉さんが産休入るから代わりの人くるよくらいなんだけど、全国ニュースにするほど?

とりあえずジャニーズ性加害問題については、

被害にあった人には補償ケアをする

・加害した人は更生プログラムを受ける

・加害側の代表として事務所は再発防止と発生した経緯を公表する

メディア自分たちが今まで報道しなかった経緯とこれから姿勢について報道する

くらいが必要かと思う。

こういう性被害・加害のとき対応のこと勉強してないかわからんけど。

この前の会見に参加していた事務所記者側、双方偉そうにできる立場でない。

またいくら会社幹部になったとはいえ普通社会人経験のないアイドルだけを会見に出すのは会社としてありえない。

一般的見地から、もしくはメスを入れた側の人が入るべきだったように思う。

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