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はてなキーワード: 階段とは

2024-05-19

男だけど親権とれたパターン ※胸糞注意

ほとんど全員のシングルファザーは、仕事で大変な中、子育てを頑張っているのは知ってるけど

彼は男だけど親権とれて、子供を引き取って育てていた。

奥さん親権争いで負けたらしい。

その男自分母親(子供からしたらおばあちゃん)に子育てを丸投げしていて、毎週土日になると趣味ツーリングに単身で来ていた。

家に帰るとすぐ自室にこもってオンラインゲームバイクの改造に精を出していた。(フレンドだったのでわかる)

ツーリングの仲間でバーベキューをした時に、子供を連れてきていた

子供メンバーに紹介して「え?お子さんいたの?」「かわいいね~」と等と言われまくっていた。

彼は釣りスポットを下見したいと、どこかへ散策しに行ってしまった。

メンバーほとんどが独身子供の扱いがわからない。お子さんはしゃがんで石をいじって遊んでいた。

2,3人の優しいメンバーが「お肉食べる?」「とうもろこし食べる?」などと声掛けしてあげていた。

父親は「川を自転車で渡ろうぜ!」と言って、はしゃいでいた。それをお子さんは物乞いのような目で見ていた。お子さんは自分の唇をつまんでいた。

帰り際に、みんなが「お子さんお利口さんですね」などと声掛けしていたが

父親は「うちの子はいい子かもしれないけど、正直頭は良くないと思うw」と言い、嬉しそうな顔でヘラヘラしていた。

6才くらいだったので、話の内容はわかるだろう。お子さんは大人同士の話を聞きながら、常に不安そうな顔で父親の表情を読み取ろうとしていた。


「そういう話は子供が間にうけてしまうんじゃない?やめたほうがいいんじゃない?」とオブラートに包んで言ってみたら、彼は「貶しても、その分いっぱい愛情を注いでいるか大丈夫」と言っていた。


とある日、お子さんといっしょに車で出かける際に、チャイルドシートがなかった。子供は、そのまま普通に車に乗っていた・・・。

道中で お子さんが酔って吐いてしまったら、彼は急に不機嫌になった。

ちゃんと袋に吐けよ」と言っただけで、何も手を貸そうとしなかったし、運転を止めるつもりもなく、子供自分ビニール袋を持って吐いていた。

そして、そのビニール袋を道端に捨てるために「このまま置いとくと匂うから、これ、道に放置してくる。ちょっと車止めるわ。」と言った。

私が代わりに公衆トイレに中身を流して、袋はゴミ箱に捨てた。

彼はその間ずっと運転席でタバコ。私が車に戻ると「ありがとう」って言ってた。

この間子供心配する言葉が一切ないのが気になったが、私は子育て経験がないのでそんなもんなのかな?と思ってしまった。


ショッピングセンターに着くと、ゲームセンター子供メダルで遊ばせた。

私が子供についてたからだろうけど、彼は音ゲーで遊んでいた。たまに様子を見にきて「こっちのほうがいっぱいメダル出るよ」などとアドバイスして、また戻っていった。


おもちゃコーナーに行くと、お子さんが知育おもちゃカメラを欲しがった。

子供は「パパ、これほしい!これはお勉強もできるんだよ!」と言った

「・・・◯◯ちゃんは本当にこれがほしいの?」

「うん。ほしい」

「・・・◯◯ちゃんは、カメラがほしいんでしょ? これはね、お勉強するやつで、カメラはおまけなんだよ。お勉強は本当はしなくてもいいんでしょ?

「お勉強もする!お勉強もしたい!」

「・・・◯◯ちゃんカメラはほしいからそう言ってるんだよね? 本当はお勉強するやつはいらないんでしょ?」

「お勉強もするよ」

「・・・◯◯ちゃん、パパ怒らないから正直に言っていいんだよ。本当にこのお勉強するやつがほしいの?本当は、カメラがほしいだけなんだよね?」

「(涙目で)うん・・」


この時、私は別の店を見ていたので↑の会話は彼本人から聞いたんだが、

子供ってオマケが欲しいだけなんだよね。カメラけが欲しいって言うと、買ってもらえないか怒られると思ってたんだろうね。でも、ちゃん時間をかけてじっくり聞いたら”カメラけが欲しい”って言っててさ。最後には涙目になって素直になってくれたよ。あとで1万くらいするちゃんとしたデジカメを買ってあげるつもり」と言っていた。

私は、お子さんが自宅でしまじろうのダイレクトメールで届いてくるサンプルDVDを見ていて、サンプルのワークとかもやっていた形跡があったのを知っていた。

おばあちゃんとやってるから、彼はそのことを知らなかったのかもしれない。

お子さんがとてもかわいそうになってしまって、そのあとに私とお子さんでファンシーショップに入り、欲しがったものを何でも買ってあげた。


帰るときに、お子さんは階段を登りたがった。

屋上駐車場が見えてくると、まだ帰りたくない!やだやだ!と、ごねはじめた。

彼は怒って無言になり、黙ってスタスタ車に行ってしまった。私とお子さんを階段の登り口に残したまま。


階段あるし、外は真っ暗だし、子供が一人でいるのは危なさそうなので、子供そばにいた。

お子さんは「パパが行っちゃったぁ・・・・」と泣いていたが、私はまだ子供と会って2,3回だったので、うまいなだめ方がわからない。

とりあえずそのまま待っていた。10分たっても彼は戻ってこない。お子さんは「パパいなくなっちゃったぁ・・・」と泣いている。

電話をかける。出ない。私はお子さんを連れて車に向かった。彼はずっと機嫌悪そうに黙っていた。お子さんはずっと泣いていた。





お察しだろうがこれは自分元彼の話

お付き合いする前はお子さんのエピソードをいっぱい聞かせてくれて、愛情いっぱいのお父さん!というイメージで、一緒に子育てできたらいいな。と思って交際を始めたのだが、思ってたのと違った・・・


最初は「俺の誕生日プレゼント、何もいらないか専業主婦になってほしい」と言っていた。

私は中卒フリーターで、キャバクラバイトしながら定時制高校に通っていたのだが、彼は専業主婦になったら働かなくて済むよ。と言ってくれた。

私が4年かけて卒業した時には「高校卒業おめでとう!」と祝ってくれた。


いざ、お試し同居を始めてみよう、という段階で

専業主婦だと今までみたいに遊べなくなるから、少し働くとかはどう?」と言ってきた。

「じゃ、せっかく高卒になれたから、正社員で働きたいな。今まではバイトしかしたこといから、正社員になりたいな。」

正社員は(育児との両立が)辛そうだぞ~。パートにしといたほうがいいぞ。」

「実は、来年◯◯(教育系)の資格学校に通おうと思っててね・・・。その仕事正社員になりたいと思ってるの」

「お前に人に教える仕事は無理だ。やめとけ」

「でも、職業訓練校だからお金もかからないで資格がとれるんだよ」

「いや、働き始めたら、お前が辛くなる。やめとけ」



だんだん暴力的になり、モラハラ気質になり、私にああしてほしいこうしてほしい、と言ってくるくせに自分が変わる気がないところが決め手となり、別れた。

別れる前には「結婚しないでいいか彼氏彼女として付き合ってくれ」と言われて少し関係を持っていた。

結婚話が宙に消えてからは、高級なレストランを予約したり、私が欲しがっていたペンタブを「そんなの使わないから買うな」といった後でこっそり買っておいて後でプレゼントしてくれたりした。

私が「◯◯ちゃんにはパパと長く過ごして欲しいから、◯◯ちゃん幼稚園に行っている間だけにデートしよう」って提案した。彼は三交替勤務で平日休みなので、それでも問題ない。

彼は「正直に言っていいよ。他に男いるんでしょ?だからそんなこと言うんでしょ?」とヒスっていた。



お子さんは誰にでもよく懐く子で、私にも懐いてくれたのもあり、さみしかったが、子供の心の傷を増やすことになるかもしれないから、それ以降は会わないようにしていた。

彼の話ぶりで女の子大学とか進学させてもらえない雰囲気だったので、お子さんが大きくなったらの進学まわりで世話してあげようか?

それまでずっと彼の恋人で居続けようか?とか思い始めていて、それで別れるまでにかなり時間がかかってしまった。


◯◯ちゃんは、今頃は大学生くらいになっているはず。その子のことだけがすごく心に残っている。

くっそ胸糞悪い夢をみた。

日曜の夜に、べらぼうに飲み歩いていた。

普段独りで外で飲むという習慣がないから、夢の中と気づくのも早かった。3件ほどはしご酒を楽しんだ後、カラオケで3時間ほど熱唱して帰路についた。

繁華街から一駅のところに住んでいる自分は、そのまま自分の住むマンション至近のコンビニに入った。と、緑色の買い物かごを手にしたそのとき左手に持つ缶からに気付く。おそらく帰路の途中にある別のコンビニで買ったのだろう、飲みさしのコカ・コーラ500mlが握られていた。

おれは何を思ったか、そのまま缶をかごに入れ、買い物を始めた。

何を入れたか鮮明ではないが、十点ほどの商品をかごに放り込んだと思う。そのままレジの列に並ぶ。深夜というほどではない夜分、駅からほど近いとはいえ閑静な住宅街の端のコンビニだというのに、レジの近くには10人ほどがたむろしていた。なにかのトラブルだろうか。

左には近所に住む幼なじみ小学校教師の女が、中島のエンド部にいたたまれなさそうに待っていた。その右には、日焼けした小学校高学年くらいの少年。買い物を待っているのだろうか、後ろには家族の姿が見える。

おそらく、この少年は別の夢に出てきたことがある。おれのことを知っているかのように右手を掴み、幼なじみの女に話し掛ける。

二言三言、おれの体越しに会話をすると、少年は目を輝かせておれの顔を見る。

酔っていたおれは、その内容を憶えていないが、明日にでも女に聞けば分かることだろう。

その直後、少年が後ろから一回り大きい少年背中を叩かれていた。おれはそれを防ごうと少年背中に手を回す。さらにその背後にいた親は会話に夢中で気付いていないよう。おれは少年の体をそっと女の側へ寄せた。その目には薄っすらと涙が滲んでいた。

そうこうしていると、馴染みの店員が気を利かせておれに声をかけた。酔っていたおれは、説明されても何が何だかからないので、とりあえずかごを店員に渡した。

そうして舞台が暗転し少し時間が先に送られた。

コンビニ中島にある什器が一列無くなつていた。そして馴染みの店員

もしかしてコーラのせい…?」

と聞くと

「それだけじゃないんですけどね」

申し訳無さそうに乾いた笑いとともに返答した。

コーラがこぼれたくらいでこんな惨状になるわけあるかと思いつつ、黒い液体が店内に点々としているのを見て店員に頭を下げた。

それから、翌日の会社で朝礼が終わった直後にシーンが移り変わる。俺は名札がいくつか入った小学校の道具箱の片側を手にしていた。エレベータに乗る同僚を尻目に、階段を使ってそのまま自分デスクに向かう。

そうして向かう途中。会議室のあるフロアにいる俺は、パーテーション限界まで広げていたことに気付かず、その会場に入ってしまう。人はまだまばらだったが、同僚にたしなめられ会場を出つつ、何が行われているか尋ねると、とある国際機関名前学会が行われているとのこと。

そのやり取りが漏れ聞こえたのか、会場はざわつき出す。

「何で知らないの?第四会場よ、ここ」

「何年やってると思ってるのよ」

バカってどこまでいってもバカね」

そういった声がほうぼうから聞こえてくる。

すべて女の声だ。

おれは思った。クソ女どもめ、と。臨床の場を避けた自分たちは机上の空論をこね回して満足か?

ノーベル賞だってお前ら平和文学くらいしか満足に取れてねーじゃねえか。キュリー夫人を見習えよ。

と、思ったが口には出さなかった。

IQ分布を思い出したからだ。男はバラツキが大きいために、超天才も生まれるが超馬鹿も生まれるんだった、と。

そこで夢は終わり。

興奮冷めやらぬままキーボードに怒りを叩きつけた日曜の朝。

おはようございます、皆さん。ごきげんよう

anond:20240519015235

結婚できず一人で死ぬお前に俺からアドバイスをやろう

【1】掘削道具(最低でも1~3本のシャベル)とキャタピラ修理用キット、遠隔照準装置を調整するためのレンチ戦車緊急時に引っ張るためのフックを戦車に持ち込むこと。乗員全員が1つ以上の腕時計コンパスを持つこと。

【2】外付けの燃料タンクは空に確実にすること。全ての外部燃料容器を必ず空にする。

【3】運転整備士は燃料配分バルブが内部タンクに切り替わっていることを把握しておくこと。砲手は照準器のシリカゲル乾燥状態かをチェックする。

【4】外部タンクは空にするが外さなくてもよい。後ろから被弾した際にそれが砲塔への影響を低減する可能性があるからだ。中には水をいれておいてもよいが、接続パイプは外しておくこと。ただしこのアドバイス適用場合による。経験の浅い又は記憶力の低い戦車兵の場合はこれをするのは推奨しない。

【5】外付け部材で戦車に増加装甲をしたい場合、小火器用の亜鉛ボックスが最適である。砂や砕石の袋で車体を覆うのは推奨されない。初弾被弾時に乗員や車上に乗っている兵士たちへ当たったり、外部機器を損傷させて外部火災可能性を高めてしまう。

【6】戦車砲塔にある可搬スペアパーツ用ボックスには水を凡そ1/5、時には1/3ほど満たしておいてもよい。防御性能を高めるだけでなくそれは消火や衛生用途にも使えるだろう。

【7】砲弾戦闘時に必要であるが次の事項に留意すること。

 【7-1】前方のボックスには砲弾を置かない。

 【7-2】内部側面及び砲塔肩部の段差に弾薬を置かない。転輪裏の装甲が戦車では最も薄い。ここに被弾すれば爆発を確実にしてしまうだろう。

 【7-3】自動装填装置では各弾薬タイプ別に順々に1つのタイプを使ったら次のタイプロードすること。

 【7-4】コンベヤーのベルトには、きたる戦闘の種類に適した弾薬を選び置いておくこと。

 【7-5】やれる時はいつでも、主砲から発射を行った後は尾栓をメンテナンスすること。

【8】戦車兵は、拳銃だけでなく標準武器カートリッジのパックを胸ポケットに入れておくこと。

 【8-1】防護効果

 【8-2】戦車を離れた際に兵士が使える追加武装になり得る。

 【8-3】ポケットの内の1つに手榴弾を入れておくのもいいが、アンテナ固定用のもの例えば絶縁テープを追加するのもできる。

【9】標準的マシンガンを銃身を下に向けて胸にさげておく。

 【9-1】経験豊富兵士カートリッジを1つ薬室へ入れて置きセーフティにすることを推奨する。

 【9-2】マガジンへの装填はこのように行う。カートリッジ1つ→曳光弾1つ。

10戦闘を予見するにあたって、砲身内の初弾は常に対戦車榴弾にしておくこと。その弾薬ならどんな種類の機甲車両にも効くし、歩兵に対しても十分な破片を飛ばせる。全ての武装は装填され薬室に弾薬が入っていること。

11戦車操縦手が覚えておくことは、貴方は常にあらゆる所から見られているということだ!敵は常に貴方に対して武器を用いる準備をしているのを忘れないこと。

12】幾つかの方向からの伏撃を予想しておくことは戦車兵の基本的ノルマだ。

【13】No.10と同じ。

【14】行軍中、ハッチは常に閉めておくこと。戦闘中は、その車両の各特性必要となるならば周りの監視観測のためにКТのハッチは少しだけ開けておいてよい。市街戦特に高層建築のあるエリアではハッチは常に閉めておくこと。

【15】(位置的に)停まることになったら、戦車はすぐに道から外れ分散すること。その戦車は敵伏撃または射撃陣地がありうる場所に直面しているのを忘れてはならない。小隊及びそれ以上の戦車編制では、各戦車は異なる方向へ分散する。

【16】可能ならば、戦車は木の下やより生い茂った所に位置取りするのがよい。最良なのはリンゴサクランボの木だ。安定用翼のついた対戦車兵器が枝に引っかかって飛空方向が変わったことは1度のことではない。

17】停車したら、整備士は装甲ブラインドを閉じること。動く時に忘れずに開けること。

【18】最低でも乗員の一人は戦車に残るようにすること。小隊以上の編制では、1輌又は2輌の戦車を一部の乗員と共に残しておいて、或いはその他のメンツを残して、離れることができる。

【19】操縦手は車内にいる方がより安全でより信頼性があるということを忘れるな!

20】砲やロケット弾被弾したら、時には何発も受けることがあるのだが、どんなにそれで怖くなったとしても、焦って戦車を離れようとするな!車内に火災が発生していないのであれば貴方はまだ大丈夫なのを忘れるな!

【21】戦車の外にいるよりも中にいたほうがより信頼性があり安全である戦車を離れて多くの者たちが死んでいった。敵の狙撃マシンガン貴方たちを待ち受けている。

【22】煙とは火ではない!車内に煙が出たからといってそれが戦車内部で火災が起きているとは限らないのを覚えておくこと。車内で炎上が無ければ貴方はまだ大丈夫なのだ

23被弾して、戦車を離れた場合貴方が生き延びており、5分後にまだ戦車が爆発しておらず、ハッチから煙が流れているのが見える時がある。そのケースではソフトウェアが鍵になる可能性が極めて高い。すぐに戦車の中に入って、車両オペレーティングシステム再起動戦車を稼働させること。戦車内部にいるほうがまだマシなのを忘れるな。

24戦車兵よ、機動力と火力と装甲こそが貴方勝利幸運保証してくれる最たるものであることを忘れるな!

【25】開けた場所では、戦車兵はしばしばハッチを開けたままにしておくことがある。市街地ではハッチは閉めておくこと。戦車長はハッチと砲塔の隙間をあけて周囲を監視することができる。

【26】市街地を進むルート計画する際に、最も近い構造物から車体面までの距離が50m未満にするように選ぶこと。大半のRPGはこれほど近すぎると発射準備を整える時間が無い。

【27】ジャベリン市街地内部では機能しない。

28】防御において、1つの射撃タスク完了したら、隠密に射撃位置を変えること。市街地射撃する場合も同じ原則となる。

【29】夜間にある位置従事したら、隠密に場所を変えること。昼でも同じ原則となる。

【30】サボらず、掘削を行い砲塔をそこから出すようにせよ。枝葉を刈り、戦車カモフラージュ使用せよ。装甲ブラインドを閉じること。予備陣地や囮の欺瞞陣地を設置せよ。指揮官戦車を火力のカードにせよ。

31戦車とは難聴弱視なのだ、だがて敵兵はそれをわかっていない。忘れるな、敵は常に戦車を恐れているのだ!時にこちらが抱く恐怖よりもだ。たとえ周囲の状況が(合理的には)絶望的であったとしても果敢に行動せよ。己の恐怖を克服し、敵には恐怖を抱かせるのだ! No.24理解すること。

【32】戦闘任務遂行する前に、その行動予定エリアを乗員によって隠密に偵察することは強く推奨される。No.31理解すること。各事項は追加される可能性はあるものの、単に覚えておくだけでなく毎日実践すること。

33市街戦場合の覚えておくべき事項は次のものである

 【33-1】レンガ積みの建屋は主砲でより素早く破壊できる。

 【33-2】集合住宅から攻撃を受けて且つ敵の正確な位置がわからなかった場合、各階の間の階段の吹き抜け部を射撃するのが最善だ。その結果、2つの階にわたって全てを取り除ける。

 【33-3】副武装によって集合住宅パネルの末端を射撃するのはその通路に相当なダメージをもたらし、正面からは家を貫通する時がある。


読んだらウラー!と叫べ

2024-05-18

階段で女の人の真後ろに立って大声を出すと

たまにこけるよね

2024-05-17

フェミニストから距離を置く

ほんの一例の話。

細い階段で持っていた荷物を落としてばら蒔いてしまった。慌てて拾っていたが量が多く指に麻痺があるのでなかなか上手く拾えず時間がかかってしまっていた。

最初に通った若い女性は邪魔!って言いながら荷物を踏みつけて通り過ぎた上にこちらを振り返り憎しみを込めた目でにらみつけられた。悪意凄いな…とポカンとしてしまった。

後で通った若い男性初老男性大丈夫ですか?と声をかけてくれて荷物を拾うのを手伝ってくれた。ごめんさない、ありがとうと伝えた私に気にしないでくださいと笑ってくれた。

これは今日のことで昔話ではないし私は女なので異性に警戒という訳でもない。ついでにおばはんなので男性に下心がという説も100%ない。

たった一例を全てに当て嵌めるのは駄目だと分かっていても一度植えついた思考というのはなかなか離れてくれない。だから少し前に話題になっていた女性の方が助けるとか共助意識が高いって話を今は信じることが出来ない。この事件が起きるまではそう思っていたのに。

そしてどちらかといえばフェミニスト寄りだったが何でもかんでも女は正義だと言い張る思考気持ちの悪いと思った。男性にも女性にも等しく優しい人はいるし悪い人も勿論いる。ネット上の優しい身内の言葉だけではなく外の世界でこういう体験をして中立を維持するべきなのかもしれない。

感情に流されやすすぎるのも問題ではあるけど。

ともあれあの時の男性の御二方、本当にありがとうございました

anond:20240517105647

ギャルが二人で歩道橋階段を鎧の頭だけ被って降りてきて、「民衆は救われた」ってセリフ喋った直後に眼のところがカシャンっておりてくるCMけっこう好きだった

2024-05-16

中学の時、人殺しと呼ばれた

中学の時、俺に嘘告白する罰ゲーム女子の間ではやっていた。

俺は他のクラスや学年から見学が来るキモい男子として学校中に知れ渡っており、

ほぼ毎週のように誰かしらの嘘告白を受けていた。で、次はうちのクラスのAの番になったらしく

休み時間に寝たふりしながら会話を聞いているとAは

「嘘でもあいつに告白するなんて嫌。そんなことするくらいなら死ぬ」と叫んでいて

リーダーのBとかが「一言言うだけなんだからいいじゃん。あたしもやらされたんだから」などと説得?していた。

数日後にAに呼び出され嘘告白をされた。なんと返事したかは正直覚えていない。

毎週のように嘘告白されてさすがにもうまともに相手にする気にもならなかったので

はいはい罰ゲームお疲れ」みたいな返答をしたんだと思う。Aは見たことがない憤怒の顔をして

屋上への階段を駆け上がり、校舎から転落して数日後に死んだ(学校事故として処理)。

亡くなった次の日に学校に行ったらBが「お前のせいでAは死んだ、この人殺し!」と言いながら俺を殴った。

何で俺のせいなんだと抵抗したが周囲もBに同調し、結局俺は学校の大半の女子と一部男子から

卒業まで人殺しと呼ばれ続けることになる。まぁ罵声BGM毎日学校に行った俺も今考えると正気ではないが、

あの時はこれで行くのをやめたら自分人殺しだと認めたことになると思っていた。

卒業式も出るつもりだったが、学年の中で式の後に俺を屋上から落としてAの敵を討つ計画が発覚し、

担任が家に来て「あいつらを犯罪者にしたくないので式に来ないでくれ」と懇願された。

俺は無視するつもりだったが、結局仕事を休んだ親に監禁されて式には行けなかった。

あれから時間がたち、今はAの気持ちも少し分かる。自分よりはるかに格下と思っていた存在に軽く扱われ、

怒りと屈辱のあまり発作的に死を選んだのだろう。じゃあ俺はどうすればよかったのだろうか。

まり考えないようにしてきたが、思い出してしまったのでここで呪いを振りまくことにした

GWに藤の花を見に行った

大事な思い出忘れぬうちに日記しておこう

 

正確にはGW明けの7日(火)関西で一番と誉れ高い丹波白毫寺九尺ふじを見に行った。

息子が数ヶ月前からフジノハナ」と煩い。鬼滅の影響だろう。

俺は花にも名勝にも興味がない。

5歳だから植物動物に興味を持ち出す年頃だ。

日々ダンゴムシを潰したりタンポポを引っこ抜きまくったりと正常な成長過程を経ている。

 

その息子が藤の花を見たいと、凄いのが見たいと。

ならば鉄オタでもある息子のために、

大阪駅福知山 特急こうのとり

福知山京都 特急はしだて

京都新大阪 新幹線

 

スペシャル一筆書きルート立案、ちょうどJR西の期限切れ前株主優待が1枚残っていた

GW前にわざわざみどりの窓口のある新大阪までわざわざ出向いて、わざわざ行列に並んで、わざわざ購入しに行ってやった。クソ面倒クセェ

Web上ではこのようなルート株主優待では買えないのだ。

 

窓口で「新幹線JR東海管轄から別料金になります」と言われたので新快速で帰りますと変更

よっしゃ準備完了、パパは計画的に行動するのが好きなのです

 

GW最終日6日の晩

「パパ、いよいよ明日だね、ぼく興奮して眠れない、グー」

かわいい

朝、7時、いつもは8時に起こしてもグダグダなのに

「パパ早く起きて、急いで、間に合わないよ」

かわいくない

 

朝飯を食わせて着替えて出発、まっすぐに歩けない息子、始終ぴょんぴょん跳ねている、どんだけ興奮してんだ、昨今そういうのは流行らないクールにつーんってしなさいと、「ムリ」だって

大阪駅到着、特急ホームは混雑する庶民ホームと分離されているので心地よい。

朝10時、まだ勤労者達で混雑する(それほどでもなかったけど)の隣で富裕層のための特急ホーム特急こうのとりを待つ。

黄色列車ドクターイエロー在来線バージョン?)が停まっていて息子興奮。

お菓子軽食を買い揃えて乗車

ちなみにグリーン車、なぁに金はある

 

走り出す

ポケモンGOブームが去りにゃんこ大戦争にハマってる息子は車窓に興味なし、ふぁっく

 

福知山到着、外に蒸気機関車が見える、どのみち一旦改札を出なきゃならないので出る。

20分ほど駅前をウロウロした後に福知山から在来線普通市島まで戻る

タクシーで白毫寺へ

運転手に聞いたらGW中大渋滞で3時間かかったんだと、10分で到着、パパの読みは正しかった

タクシー下りて案内看板に従い境内を進む、

さぁあの階段を登れば待ちに待った藤の花!ドンと来い、ワクワク最高潮

 

。。。びみょー

 

満開過ぎていたのは仕方ないし承知はしていたが

びみょー

 

大人の俺ですらびみょー

息子は大びみょー

 

うん、俺ももうちょい迫力あるの想像してたわ

息子よすまん

 

息子は空気を察してか「でも見れてよかったね」

でもってなんだよでもって、5歳の気遣いきっつー

 

いやいやいや、立派なんですよ、ぜんぜんアリです、3時間並ぶ価値は、まぁアレだけど、俺はたぶん二度と行かないと思うけど、ディスるつもりはなく、人生で一度くらいは見に行ってもいいかなぁ、俺は二度目は無いけど、まぁ価値観は人それぞれだし、こういうのもいいんじゃないかな。

 

ともかく、気を取り直して周辺を散策したり裏山を冒険したり、それなりに楽しかったです。

息子もご満悦でした。

 

父がこれほど時間と金と労力をかけていることに価値見出して欲しい。

「47年後キミが52歳になったときに愛するパパがここに連れて来てくれたことを思い出しなさい」と教え諭した

 

タクシーを呼んで市島駅まで戻る

ポケGOを開いたらジムがあった。電車待ち暇なので息子とジム攻撃

ポケモン滞在3日目て、田舎すげぇな、ウチだと2時間で狩られるぞ。

と思ってとりあえず乗っ取ってホクホクしてたら1時間後に戻ってきた。

なんでや

 

時間に一本の在来線普通列車福知山まで戻る、列車の扉を自分ボタン押して開閉させるシステムに息子感動。

さて次の特急はしだてまで2時間ほど待ち時間ちょっとマージン取りすぎた、失敗

駅前図書館があった、最近息子は「ぜったいおしちゃダメシリーズにハマってる

近所の図書館でいつも貸出中、ここならあるんじゃないかと、貸出中だった

 

ぜったいシリーズは8冊出版されており7冊はウチの本棚にあるのだけど一冊だけ開けてある、特に意味はない、なんとなく。

人生なにかを追い求め探すってのは大事経験なのです。

仕方ないので周辺散策福知山、なんもねぇ

腹が減ったので駅前王将

息子は春巻きと焼きそばが好き

俺はビール餃子からあげ

王将を出て土産物屋に入ると明智光秀家紋マスキングテープがあり、息子は「藤の花だ、これママお土産にする」と言い張る

ちゃう桔梗やと教えたが納得しない、藤の花だと、いいよなんでも。250円、高い。

 

乗車時刻になりホーム

夢の特急はしだて

 

キター

。。。

え?こっち?黒いのちゃうの?287系やん、そこらの特急と一緒やん

 

いつも京都鉄道博物館に行くとき京都駅の隣のホームで見かけるあの黒いやつに乗りたいの!

黒いやつに乗れるって息子と約束したんだもん

 

空気を察した息子が

「でもこれもいいよね」

からでもってなんだよでもって、すまんな息子不勉強なパパで

 

振り子すら着いてねぇふつーの287系

今度黒いやつ乗ろうな

 

Wikiったらはしだて全部があの黒いやつじゃないのね、なんだよそれ詐欺じゃん騙された

ふぁっくしね

 

とにかく乗る、走り出す

京都からノープラン、疲れてるしサクッと新幹線で帰るか、エクスプレス予約はと

あれ?ログインできない?

あぁちょっと前にクレカがサ終とかなんとか、切り替えて、紐づけやり直し?

面倒くさそう。

 

17時過ぎ平日GW開け京都新大阪新快速なんて絶対に乗りたくない

WESTERで見たらちょうどいいはるかがあった、最初から買ってりゃ株主優待で安かったのに、まぁいいや。ぽちっとな、何号車にしようかしら。

京都駅33番ホームに到着だからはるかホーム挟んで真横で乗り換えなのよね、うふふ。

今乗ってるはしだてが4号車、進行方向向かって東京側が5号車、ルール通りね。

東京側が後ろ番号、これ常識

って事は、はるかを一番後ろの9号車にすれば京都駅の乗り換えスムーズ新大阪下りた後もスムーズ

パパ天才ぽちっとな

 

京都駅、ズゴー

ホームから端まで歩かされた、9号車、一番前やんけ、死ねよぼけかす、まじファック

なんではるかだけ番号逆振りなの?ねぇなんで?バカのしぬの?

 

乗車後検札で通りがかった車掌に聞いた

「お忙しいところすいません、号車番号なんですがね、いまはしだてから乗り換えて、ボクの常識だとJRの号車番号は東京起点で離れたほうを若番と覚えておりまして、古くは天皇の乗車の位置がどうのとか、ともかく、なんでこれ逆なの?おせーて」と訪ねたところ

「なんでですかねぇ、和歌山管区で下方向に走るから?かな?わからないです」、だって

 

ともかく、新大阪到着

 

新大阪駅で改札を通ろうとしたらゲートが閉まった、うへ、なんで

駅員に切符見せたら「京都までっすけど」ズゴー

そうだ思い出した、京都で降りる予定だったんだ

新快速で帰ると言いながら予定は未定でその場臨機応変ネットで買えば良いやと

乗車券差額570円だか追加で取られたムキー

 

最初から大阪福知山経由、新大阪乗車券で購入してりゃ無駄な出費はなかった

この場合単に大阪新大阪だけの乗車料金にしかならん(よね?よく知らない)

あーんもう、無駄金、ムカつく、お金無いのに。今日だけで2万くらい使ってるのよ

明日からご飯どーすんの、電気代とかガス代とか年金とか

 

かつ、新大阪で息子が腹減ったとぐずりだした。

どうしても今すぐカレーが食いたいと

入った店に子供向けのカレーがなかったのでハッシュドビーフを新味のカレーだと欺罔して食わせた。少し食ったが美味しくなかった。

 

息子も俺もクタクタタクシーで自宅まで帰りたいが、金ねぇ、頑張って歩け

地下鉄で、

息子「今日一日楽しかったね、藤の花見れて良かった、パパ大好き」(原文ママ

(ChatGPT未使用、1時間

2024-05-15

[] 2024-05-15

さて、このまえ「Elasticsearchのpython版を趣味で作ろうかな」と迷っていたが、作らないことにした。

やはりプログラミング仕事で飽きるほどやっているので、楽しむための趣味にはならない。

趣味というなら、もっとこう、受動的なものがいいのだ。動画鑑賞、読書ネットサーフィン、等。

なにかアウトプットをする趣味というのは、基本的ゴミCO2を出しているだけだと考えていい。

いや、コンピュータを使っている時点で、すでにCO2を出しているか書籍資源を使っているしね。

料理ならば自分摂取するのでまだ良いと思ったが、料理動画画像SNSでアップなんてことをすると、自称グルメのクソジジイに叩かれるのでやめたほうがいい。

ウォーキングランニング筋トレヨガ水泳、など、一人でできる運動趣味とする場合はその爽快感で完結するので社会との繋がりを意識せずに済む。

傷病手当で休んでいるとき脳トレとして数学趣味としてやっていたが、仕事をしている生活だとそのぐらいの気力がない。

たまにゲストプレイでchess.comを使うこともあるが、本格的にやっていないのでずっと初心者レベルである

自作TODOリスト管理ツールを作って、少し仕事が楽になった。頭に「すべきこと」を溜めておかなくていいので、精神を浪費せずに済む。

あとついでに作ったポモドーロタイマーも、休憩のタイマーがなるたびに階段を登り降りしたり、ストレッチしたりするようにしたので腰痛が軽減したと感じる。

そういえば、朝食がここずっとTKGだけだ。

わ~い

もう20代後半なのに、未だに毎日のように親のこと考えてしまう。もはや何が許せないのかもよく覚えていないのに、いちいち許せなくて、いちいち許せない自分のことが一番許せない、何が許せないか覚えてないのに!!(笑)

父親は私が中学生の途中頃から精神疾患を患ったらしく、そこからほとんど無職だったように思う。それまでは仕事しかしていなくてほぼ家にいなかった人だったので、知らん人が突然家にずっといる感覚(今も)。

父親は毎晩アルコールを飲み、基本的に毎晩記憶をなくしていた。夜に私たちが何を言っても覚えてなくて、「そんなこときいてない!なんで大事なこと言わないんだ!」と怒ることもあれば、もちろんどんなひどいことを私たちに言っても覚えていないので、まさに無敵。とりあえず機嫌で食卓支配するようなタイプ父親母親も仲が悪いので、私はおうちではとにかく「子はかすがい」労働。二人がリビングにいる間は険悪にならないように、父が機嫌を損ねないようにニコニコと楽しく会話を回して、できるだけ2人を2人きりにしないようにして、母親ふたりの時は父親愚痴をいっぱいきいてあげていた。えらい!

家はずっと不安場所だったけど、特に自分が寝た(ということになっている)後の時間が恐怖だった。親が共謀して(?日本語おかしいのはわかってるけど一番しっくりくる単語を使う)私を嫌っているという確信をもっていたので、私が寝た後に父親母親リビングで話していると、悪口を言われていないか確認しなければならなかった。あとはいつか母親が私を捨てて出ていってしまうかもしれない、それが発生するなら深夜だろう、と思っていたので、とにかく夜の物音を超警戒する必要があった。あとは、よく分からないことがいっぱいあって不安だったから(父親病気の詳細とか、ちらっと耳にしたギャンブル投資かで負けて作った大き目の借金?のこととか、なんにも教えてもらえなかった)、大人たちの秘密をなんとしてでも盗み聞きしなければいけなかった。そんないろんな動機があって、寝たことになっている時間のあとは、心臓バクバクさせながら息を押し殺して階段の途中に座ったり、床に耳押し付けたりして、必死に親の会話をきいていた。一番不安時間だったけど、今日悪口言ってなさそう、母親もでていかなそう、と安心を得られる時間でもあった。

父親と上手くいかないことがある度、母親には「まああの人は病気からしょうがないんだ」と言われたし、父親にも「俺は病気からむにゃむにゃ」と言われ暮らしてきたが、「じゃあ父親の「本当の性格」部分はどこなの、、、?」とずっと疑問である。前述したとおり、私は「病気」になってから父親しか知らないので、どこから病気仕業で、どこまでが「性格」なのかわからない。そこで「病気なんだからしょうがない」と言われると、もう私には心の中で怒ることさえ許されていなくて絶望病気父親の症状を受け入れない私は病気理解がなく、心が狭い悪人なのである。まあそもそもこんなことを考えていると、じゃあ「本当の性格」部分が悪だった場合は親を恨んでもいいと思っているってコト!?それってそもそもいいんデスカ!?とも思って結局私の思考が悪いし、まあとにもとにかく相手病気からこんなことを思っている時点で私が悪いのはずっと知っている。すみませんでした。本当はそんなことないよとずっと誰かに言ってもらいたいのかもしれない私はマジで極悪。(本当にそんなことなくないのは知っているので本当にそういうことは言わないでいいです。)病気父親イライラする時点で私の許されなさは確定している。心の狭い悪人であることが人生の早めの段階で確定してしまっている。アーメン。と、自分に対しては本当に事実悪人だと思うけど、これを口に出してしまうと、同じ境遇で同じ気持ちの人まで否定してしまうことになってしまうなと思うので、そんなことないよ、と言ってあげたい。きっとそんなことないよ~!

そんな居心地の悪い家だからもちろんずっと家を出たかったけど、私が家を出たら親のどちらかがどちらかを殺す殺人事件が起こるかもしれないと割と真剣に思っていたし、あの父親母親だけに託すなんて、自分けが幸せになって親を見捨てているみたいで申し訳なくて、大学でも社会人でも実家を出ることが出来なかった。というと責任感あるいい子っぽく聞こえるけど、罪悪感と責任から逃れたかっただけ(というまたまた悪人なところがでてしまっている理由)!実家を出ようと思ったタイミングは何度もあったけど、私が実家をでたことにより発生しうるありとあらゆる可能性(離婚、別居、殺人事件母親が病む、父親もっと病む、など)に対して責任を取る覚悟が持てなかった。実家が持ち家であれば適当に遠くに進学/就職して「やむを得ず」実家を出ることでその「責任と罪悪感」を回避するムーブ可能だったと思いますが、実家東京の身軽な賃貸(どこまでもゾンビのように着いてくる)のわたしにとっては、家を出ることの理由は「私が家を出たいから」しか基本的にありえず、つまり、その決断によりなにかが起きた場合、それは全て私の家を出たいというエゴのせいなのであるから、その決断をするためにはその責任を取り、罪悪感に耐える覚悟を決める必要があった。この覚悟は何年かけても全然まらなかったし、結局諦めた。諦めて、シンプル海外に逃げた!海外に行っちゃえば、私は「家を出たいから家を出る」のではなくあくまで、「『海外に住みたいから』『やむを得ず』家を出る」だけであって、別に家族を捨てたことにはならず、罪悪感から逃れつつ家をでれる、唯一の選択肢だ!と思った。他人に対してというより、家族と、なにより自分に対して正当な言い訳がつく。さすがに海外まで着いてこられることはないし!!天才である

いまは海外自分で家を借りて住んで、自分の心の安全自分で守れる環境を手に入れることができた。でもどこか満たされなくて、結局こうやってブツブツ言っている。今の「今」は確かに素晴らしくて、もう追加で傷つくことはないけれど、結局それは過去にもうついた傷まで癒してくれるわけじゃないんだな、と最近気づいた。わたし別に、うざい父が悲しかったわけではなく、うざい父から守ってくれない母(結局自分と父の方が私より大事自分>父>私)が悲しかったわけでもなく、ず~っと愛されてないなと感じて暮らしてきたのがすごく悲しかったんだなと気づいてきた。愛しているひとに面と向かって自分の死をちらつかせたりするのかな、愛している人に迷惑をかけていると知ったらお酒せめて一杯くらい減らせないのかな、あんなにしょっちゅう家出するかな、ぜんぶ「しょうがない」のかな、私よりお酒大事なのはしょうがない」のかな。愛している人が理不尽にキレられているのをみたときって「かわいそう」だけいうのかな、え「かわいそう」って感想でてくる?私は死ぬときは大好きな友達ケアなんてさせないし、お酒のん迷惑もかけないし、愛している人が傷ついていたら一緒に怒って、私は君のこと大事に思っているからね~って伝えてあげるんだからね。せめて、わたしわたしのつらさとがんばりを、誰かに知ってほしかったし、あわよくばちょっとくらい褒めてほしかった。特に、それをいちばんしてほしい人にしてもらえたら、それで良かったんだよ~。

といっても、私は虐待されていたわけでもないし、大学卒業までお金出してもらったし、もっと大変な心身の「ケア」をしていたひとたちみたいな苦労をしているわけでもないし、本当に、これで謎に辛がっているのは私のせいだと、本当に心の奥底からちゃんと知っていますすみません。でも、この辛さが自分性格の悪さに起因するものだとしても、辛いと感じた/ていること自体事実であることは自分で認めないと、先に進めないのかなという気もする。うまく言えないけど。

唐突に終わり。こんなポエムしまっておけばいいんだけど、しまっておくべきなんだけど、結局、だれかに聞いてもらいたい気持ちになってしまった、やっぱりダメ人間特におちはないのですが、私と同じような悪人がもしいたら、私たちはやっぱり悪人だけど、あなたけが悪人なわけではないんですよと伝わったらうれしいです。というのは嘘で(悪人なので)、これを書くことで私だけが悪人なわけではないことを知れたらいいなと思いました。だから共感した人がもしいたらどうにかしておしえてね。もう2桁年こんなことを考え続けて、はじめて文章にできて結構すっきりしたかも!すごい!気持ち文章にできるって大きな進歩だ、すこし元気になった、あしたもがんばろ~。

私の両親は放任主義であったので、私は色んな物語背中を追って成長した。家にある本を対象年齢などお構いなしに片っ端から読んでいたので早いうちからどうやら人間は必ず死ぬらしいということを知った。事故、病、それらに気をつけたところで寿命というので死ぬらしい。幼い私の狭い世界の中では老人といえば父方の祖母と母方の祖父母であった。当時の私は血縁関係など知らず、やたら会う回数が多くて、やたら親しげに話しかけてくる親ではない人間、その程度の認識だったが、それでもこの人たちはもう間もなく死ぬのだと思うと堪らなく悲しくて、祖父母宅に泊まり眠る時の「おやすみ」や、帰宅する際の「さよなら」で別れを強く意識してしまい泣くことがよくあった。

しかしその三名の間というのは私が思ったよりも用意されており、私が初めに対面した死は保育園の友人のものだった。友人と言っても同い年ではなく、私がそう認識しているだけだった給食調理員の女性で、友人と思っていたために意識していなかったが彼女も今考えれば当時の祖母たちとそう変わらない年齢だったように思う。

礼儀作法を知らないので何度も何度も棺の中を覗きに行っては泣いた。いくら泣いたところで目を閉じた彼女が横たわっているだけで何も変わらなかった。

二度目は小学校の2〜3年生の頃、またもや勝手に友人扱いしていた女性教頭先生だった。

学校体育館で行われたお別れの会で大きな額縁に入った彼女写真を見た。遺体があるわけではないので前のように泣きはしなかった。ただ、急だなと思った。

三度目は飼っていた猫だった。私が生まれるより前から家にいた猫の女の子しまる。

母が譲り受けて、初めは家の中で放し飼いされていたらしいが兄が生まれた時にケージに入れられるようになり、それからは基本ケージの中がししまるの全てになった。

私は私たちのせいで自由を奪われることになったししまるへの罪悪感からまり積極的に関わろうとはしなかった。

高校の帰り道、同級生数人の本当に心底どうでもいい話に付き合っている最中に母からメールでししまるの危篤が知らされた。どうしてか、私はどうでも良い話を切り上げず最後まで聞いて家に帰った。ししまるは冷たくなっていた。21〜2歳だったと思う。

なぜすぐに帰るという選択をしなかったのか、あんな会話よりもずっと大切な存在だったのに。

私よりも悲しんでいるに違いない母の前で泣くのは躊躇われて、やり場のない怒りと悲しみを階段に座ってやり過ごした。

数年後、くだらない話をしていた内の一人が飼っている猫がもう亡くなるかもしれないというLINEがきた。たしか写真映像うんざりするほど見せられていたが、私はいつも適当に聞き流していたのでどんな猫だったかはこれっぽっちも覚えていなかった。そんな猫が死ぬかもしれないと聞かされたところで正直どうしたものか反応に困ったが、眼前に迫った愛猫の死に動揺して私という藁にまですがる様子に「本当に大切ならこうなるはずだ、お前はどうだった」と問われているような感じがして口の中が苦くなった。

四度目は父方の祖母が亡くなった。同じ家に住んではいもの特に交流はなく、幼い頃から苦手な祖母だった。

祖母の部屋はニ階にあり、私の部屋は一階にある。あの日、夜、二階の台所飲み物を手に入れて自室に帰るという時、祖母の部屋からガタッと物音がして「部屋から出てくるかも」と思い微かに開いた扉を横目に逃げるように階段を降りた。少し経ってから帰宅した兄が「婆ちゃんが倒れている」と家中に知らせて、部屋の中で固まる父、父の代わりに各所へ連絡を取る母、救急車パトカーの音、集まってくる従姉妹たち、その全てを私は凪いだ目で見ていた。

父方の祖母は以前に一度死にかけたことがあり、救ったのは家の鍵を忘れた中学生の頃の私だった。

私は幼い頃から忘れ物常習犯であり、家の周りに民家がないのをいい事に家の前で欲しいものを大声で伝えて家の中にいる人間に取ってもらうというのをよくやっていた。

その日も帰宅したら玄関には鍵がかかっており、また、私は鍵を持っていなかったため外から「鍵開けて」と何度も繰り返し叫んだ。かなり長い間何も反応がなく、どこかに出かけているのかもしれない、帰ってくるま玄関先で座って待っていようかと思い始めた頃、ようやく階段を降りる音が聞こえてきた。玄関の扉が開いて真っ先に伝えられたのが「病院に連絡して」だった。

諸々が終わった後で聞くには、どうやら意識を失っており、私の声で戻ってきたとの事だった。

以降、祖母はこの話を何度も繰り返しては私に感謝した。「綺麗な真っ赤な空間にいたらあんたの声が聞こえた、だから私は助かった、ありがとう」と。顔を合わせるたびに話されるので話すのをやめるようお願いしたほどだった。

死にかけた祖母はその後何もなかったように生き続け、恐らくボケて、兄と揉めることが多くなった。兄が言うには包丁を持ち出してくることもあったらしいが、 真偽は分からない。

そんな揉め事が起こるたびに私は「あの日、私の帰りがもっと遅ければ」「私が早々に呼びかけを諦めていたら」などと思ったのだ。

ガタッと物音がした時に私が様子を確かめていたら、祖母はまた帰ってきたのだろうか。祖母あの日のように真っ赤な空間で私の声を待っていたんじゃないだろうか。あんなに嫌っていた祖母である。「あの時死んでいればこんな問題起きなかったな」とさえ思ったことがある祖母である

そんな祖母葬式で私は涙をなかなか止められなかった。悲しむ資格道理もないのにどうして涙が止まらないのか不思議自分に腹が立ってしょうがなかった。

祖母が亡くなってから父はよく兄妹たちを家に呼び、兄妹たちも呼びかけに応じて気軽に集まる。父も兄妹たちも祖母が生きていた時はそんなことしなかったのに。

五度目はまだ起きていない。

母方の祖母癌治療中で、祖父ボケが始まっているがまだまだ元気にやっている。出来る限り健康で長く生きてほしい。

いつか絶対に五度目がくる。

何度経験しても慣れない死を悲しんだり、悲しんだふりをしていることに気づけないでいたりを繰り返しながら自分の番を待つ。

みんな死んでほしくないな、死にたくないな。

2024-05-14

AVで好きな撮影場所

・前提

照明が明るい方がいい

・好き

ホテルのけっこうデカめの部屋

・割と好き

シェアハウスリビングみたいなかなりデカめの居間

普通の民家のややデカ居間

車中

階段(屋外)

いわゆるマジックミラー号

普通

電車

普通の民家の風呂

・あまりきじゃない

トイレ

オフィス

砂浜

公園

野原

例のプール

木材でできてるっぽい温泉とかの和風風呂

教室

病院

・嫌い

ソープランドのセット

なんかのスタジオなんだか、コンクリート打ちっ放しの牢屋みたいなところ

SMのセットみたいな暗くてX字の赤い磔台とか置いてあるやつ

・大っ嫌い

畳の和室

障子の和室

布団が敷いてある和室

和室

労務管理ガバガバなクソ会社に勤める人のための静かな退職マニュアル

新卒で入った会社に勤めて5年が経過した。

 

山あり谷ありな会社生活を通してわかったことは、うちの会社労務管理ガバガバなこと、真面目に働く奴が馬鹿を見るということだ。

 

効率を重視してあくせく働いたところで管理職自己申告された出退勤の記録とPCの起動時刻しか見ていないらしい。与えられた業務の量とそいつ業務効率の良さなんかは指標が無いか評価のしようがないんだ。

 

終身雇用崩壊が叫ばれる昨今においても弊社はバリバリ年功序列新卒そこそこの俺みたいな人間必死になって働くことに何ら意味を見いだせなくなった。

  

こんなクソ会社での最適ムーブは、「出来るだけ長く残業代を確保しつつ、かつ仕事以外のアレコレを適度にこなすこと」だと気づいた。

 

そんな俺のノウハウを共有し、クソみたいな体制会社であくせく働く可哀想な正直者を少しでも減らしたいというのが今回の趣旨

 

〇早めに出社する

 重要。朝早く出社してるだけでなんか頑張ってると思われるし、誰も見ていないので好きなことをできる。

 また車通勤なら渋滞電車通勤なら混雑を気にせず効率よく出社可能で単純に得。

 出社してすぐに一本メールを打っておくと、頑張ってると思われる。

 スマホの充電、資格試験勉強ニュースサイトの閲覧を行う。人が増えたらやめる。

 

〇後輩や派遣教育を行う

 人により有用。俺は定型作業がクソほど苦手なので、仲の良い派遣さんに仕事の大部分を任せている。

 責任は取るし、教育も丁寧に行う。で、俺はサボる

 

効率化のためのツール自作し、絶対に外に出さな

 重要スクリプトマクロ自作し、自分の中で使い回す。

 人には共有しない。他の人が使えるようにメンテするだとか使い方を教えるだとかまっぴらごめん。

 ショートカットキーなんかも覚えたり、タイピング勉強なんかも頑張っとくとよい。

 でもこういった勉強バカ正直に業務時間外にやるのは愚の骨頂。できるだけ社内で済ますことが重要

 

PCを持ってお散歩する

 運動不足解消のため、仕事中は歩くようにする。

 手ぶらで歩き回ってるとバカみたいなので、打ち合わせに使うかのような神妙な顔つきPCを持って歩き回るようにする。

 その際階段を織り交ぜると運動効率が上がるためおすすめ

 

〇昼休みはとにかく寝る

 重要残業を引き伸ばす関係上、家での時間が削られるのは明白。とにかく寝る。

 

〇飯はプロテインバー栄養食パンサプリメントなどで済ます

 重要。昼休み効率的に使うためには食事時間無駄。これなら仕事をしながら飯を食えるし、必要栄養価も取れる。

 

〇家での仕事会社でやる

 会社は文具の宝庫。設備を好きに使ってQOLを高めていけ。

 展示会のノベルティーで貰った手帳を開いて月の予定を考え、付箋で頭の中を整理する。

 また自宅宛に来た手紙なんかも会社に持っていって開封して、そのままシュレッダーにかけたりする。

 市役所に出したい申請書なんかもここで印刷する。

 後は資格試験過去問領収書地図なんかも便利。

 文房具購買部から適度に拝借するが、盗むレベル普通にアウトなので理性的にやること。

 

〇夜はみんなでお喋りする

 夜になるとみんな疲れるので、みんな仕事に疲れて私語が増えてく。

 適度にPCを触りつつ、みんなで仲良く残業代を稼ぐ。

 

〇人が減ったらスマホの充電、資格試験勉強、家での事務作業なんかを再開する。

  

〇帰る前にメール一本、後は歯を磨く、手を洗う、顔を洗う、水を飲む。

 重要。様々な衛生的雑務を済ませておくと、家での負担が軽減され、かつ残業を引き伸ばせる。

 

以上。今の収入にある程度満足感がある人はQOLいかに上げてくかが重要だと思う。

 

もちろん会社で頑張る人を否定する気は無いが、それが自分のためになるのか、よく考えて行動して欲しい。

ABC階段

大事金玉擦りむいた

赤チン塗っても治らない

黒チン塗ったら毛が生えた

ABC階段

大事金玉擦りむいた

2024-05-13

歯磨きながら階段上がってきて給湯室でうがいすんのやめろ上司気持ち悪いんじゃボケカス

2024-05-11

親は優雅な(?)生活に憧れていてそれへの執着が凄い

実家地方都市で平均的な庭付き一戸建て

庭はイングリッシュガーデンみたいになってて土日は母の焼いたケーキ家族みんなで庭で食べる

テーブルもおしゃれなクロスを敷いて、皿やティーカップ等はウェッチウッド/ロイヤルコペンハーゲン/マイセンetcで揃える

家の中の調度品もよく分からないが高そうな皿や絵が飾ってあり、普段ご飯もものすごく豪華

普通にフレンチみたいなご飯特別な日じゃないのに出てくる

友人から漫画の中のヨーロッパ貴族みたいな生活してるねと言われる様な家だった

これだけなら親ガチャ成功と言えるんだけど

執着が強すぎて、私の着る服、習い事部活、筆箱、鉛筆母親意にそぐわないものは一切できないし持たせて貰えなかった。やりたくなくても辞めさせても貰えなかった

ドレスとまでは行かないけど発表会で着るようなフリフリのワンピースか母の作った不格好なワンピースしか許して貰えず、嫌で嫌で仕方がなかったので、祖母にお願いしてイオンジーパントレーナー買って貰った時はヒステリーになり奇声を上げながら祖母と私の前でビリビリに破かれて1週間口を聞いて貰えなかった。

授業参観クラス男の子と話しているのを見られれば家に帰って髪の毛掴んで2階と1階の階段を往復して引き摺られたりもした。

けどこれを誰に話しても信じて貰えず、いい暮らししてるんだからそのくらい我慢しろと言われる。

大人になっても実家には帰ってないので自由にできるが、当時から友達には帰ってあげなよ寂しがってるよいいお母さんじゃん、わがままだよと言われる

彼氏を1度連れて帰った事もあるが、良い親じゃん!そんなに気にする?子供の頃の話だし子供なんて親の好きなようにしてなんぼだよと口論になり別れた。

いくら親であれここまでするのは頭がおかしいと思うがいまだに我慢できなかった自分が悪く、我慢できてたら今でも親といい関係でいれたのではと思うことがある。

2024-05-10

お酒は体に夢を見せるためにある

俺の敬愛する中島らも言葉だ。

実際、俺は今酷く酩酊しながらこれを書いているし、支離滅裂になっても構わないと思ってこれを書いている。

俺はまどろみが好きだった。

起きた時に未だとろんとしている情緒が、夢と現実の境目に居るかのようなまどろみが好きだった。

そこは現実ではない、何処かのように感じられたから。

今の情報化社会には感謝しているのかもしれない。だがそのせいでもあった。

彼女が今、何処で何をしているのかを知ることが出来たのだから

俺には幼馴染が居た。

彼女とは家が近所で、歩いてすぐに行ける距離だった。

小、中、高と一緒で、中学の時には一時距離を隔てたこともあったが、それ以降は以前のように仲が良かった。

俺は彼女のことが好きだった。しかし”関係を壊したくない”なんていうありきたりな理由でその気持ちを伝えることはなかった。

要はビビっていたのだ。

高校卒業し、俺は進学と共に地元を離れた。

幼馴染は地元に残った。彼女高校卒業して働きはじめた。

やりたいことがあったんだ。それがなにかはここでは書かない。身バレを怖れるという恐怖心は俺の中に未だまどろいんでいる。

俺はそのまま県外で就職し、彼女との連絡は続けていたものの次第に疎遠となり、連絡し合うのは正月ぐらいになっていた。

風の噂を耳にした。彼女が、風呂屋で働いているという噂を。

信じたくはなかった。それでも確かめないわけにもいかなかった。

大型連休になると俺はひっそりと帰郷し、噂の店を訪れた。

それは地元から数駅離れた駅の近く。その駅からは歩いていける場所にあった。

商店街の隅、こじんまりとした階段が顔を覗かせ、ビルテナント表記されている。

俺はエレベーターを使わずゆっくり階段を上った。足取りは重い。彼女の顔が幾栄にも脳裏をよぎった。

ただの噂だ。嘘だってこともある。俺は足を止めると顔を上げた。重々しい扉の前に立った。ひっそりと鼻で深呼吸をした。

俺はもう子供じゃない。28にもなるのだ。躊躇うことはない。

扉に手伸ばし、中に入ると受付がまず目に入った。

先払いでお金を支払うと奥に案内され、顔写真が飾ってあり、俺はゆっくり視線を漂わせた。

ある一点で止まるとそこで活動を休止させたように、俺の目には他に何も入らなくなった。

一時呼吸を忘れ、それから「…この子で」と声を絞り出した。

ソファに座って待つ間。俺は自分の手ばかりを見ていた。動悸は激しくなり、何も考えられない。

彼女が迎えに目の前に現れた時、彼女は目を見開いた。それからたことのない商業スマイルを見せ「こちらへどうぞ」と俺を案内する。

個室に入るまでには一切口を利かなかった。

靴を脱ぎ、部屋に上がる。彼女はベッドに座り、俺は彼女の前に立った。

お互いに何も言わなかった。

どうして?と俺は言いたかった。久しぶりだね、と彼女が口を開いた。

俺は俯いたまま、床ばかりを見つめながら彼女名前を口にした。

昔、ずっと好きだったことを告げた。

静かだった。物音一つしない。鼻をすする音が聞こえ、顔を上げると彼女が泣いていた。

その言葉もっと早くに聞きたかったなぁ、と彼女が言った。俺は

もっと早くに聞けてたら、違う人生だったか

彼女がそう口にするのを、俺ははっきりと聞いた。

俺は彼女の隣に座った。ごめん、と言った気がする。

彼女は俯いて静かに泣きながら俺に両手を伸ばし、俺の左手をその手で包み込んだ。

ごめん、と彼女も俺に言った。俺は泣いた。

それからのことは思い出したくない。俺は彼女に脱いでほしくなかった。手を握り続けてくれればそれでよかった。それでも離したくなかった手を俺は離してしまったのだ。

俺にはどうすることもできない。

俺は店を出て階段を降り、ゆっくりと振り返った。それから帰った。もう帰る場所はないように思えた。

戻ってきても仕事に熱が入らず今日もこうして俺は酒を飲んでいる。

まどろみたいのだ。

まどろんで現実過去狭間に居たい。

今でも幼馴染は、彼女は俺の夢に出てくる。

俺は彼女幸せにしたい。救ってあげたい。

それでも今の俺にできることはこうして酒を飲むことだけなのかもしれない。

ブルアカしらんけどアニメEDが控えめに言って神じゃね?

ゲームアニメ本編もまったく観てないけどノンクレED観ただけで大満足なんだが?

まず曲のイントロから刺さりまくるし。

波の描写とかエモすぎる。朝方の穏やかな砂浜の波のカスケードの付き方ってこうだし人間の影の付き方もこうなんだよなって再発見させてくれる。

内容は知らんけど波=ブルーで単に青春っぽい感じがするだけでなくて波と砂浜の境界に微かに不気味さがあってたぶん世界世界境界みたいな感じを暗喩してそうだし

砂浜に残る足跡の軌跡がアーカイブ的な何かを物語ってるんやろなって気がする。

その後のキャラ紹介みたいなシーンの連続カメラワーク気合い入ってていいけどそこに「交通」「階段」「季節」の各要素が重層的に配置されてるよな。

交通ルール=しがらみの暗喩かとおもったけど横断=境界を乗り越えるみたいな意味もありそう。

季節は時間の広がりだろうけど、そこに階段=成長と挫折暗喩みたいな。単なる時間経過の成長物語ではなさそうという感じを受ける。

自販機ジュース目線を入れてるのはゲームorゲームアニメ化だけだと単に俯瞰するだけだからそこに実験的に疑似的な双方向性を与えてみるみたいな試み感がして良い。

2024-05-09

男性に対して冷たい態度とるの申し訳ないと思ってるけどこっちもメンタルしんどいんだ

道聞かれても路線聞かれても手助けを求められても男性だったら全部私にはわかりませんできませんと言って代わりに分かりそうな人、力のありそうな人を呼んでる

学生時代までは素直にわかることであれば教えたり、助けたりしてたんだけど、善意に漬け込む痴漢?が多い

道聞かれてあっち方面でそこの道曲がって……と、その人から目を離して方向指して、その人に目線戻したら下半身露出してたり(距離も近い)

出張で来てて地理感なくてご飯食べれるところないですか?と聞かれて駅向こうにお店たくさんありますよ〜と答えたら、実は知ってるんです、ごはん一緒に食べませんか?とか(高校制服着てる)

乗り換えの路線からなくて○○線はどこから乗れますか?って聞かれて教えたら、あなたがさっき○○線に乗ってたの見てました。最寄り駅どこですか?とか

足悪くて階段登れないので肩貸してくれませんか?と言われて肩貸したら胸揉まれてびっくりしてるうちに走って逃げられたり

普通に痴漢とか迷惑行為も嫌なんだけど、親切心を踏みにじられるのも辛い。

未だに声かけられること多く、人呼びますねとか言うとじゃあいいですとどこか行く人も結構いるし、呼んできてくれるとありがたいですといって本当に困ってた人もいる。

本当に困ってる人だった時は疑って申し訳ないなという気持ちになって結構引ずる。

ちょっと待って、中国人はどこいった

change.orgからこんな知らせが来た

「本オンライン署名では、本文内の内容に関連する裁判判決がでたことによって、署名内容に誤った情報が含まれるとユーザーからの報告が複数寄せられました。これを受けて、賛同の受付を終了させていただきます

Change.orgオープンプラットフォームとして言論の自由を重視し、ユーザーが望む変化を生み出すことができるように努めていますが、コミュニティガイドラインおよびポリシーに基づいて、誤った情報拡散など不正行為を防止するための措置に取り組んでいます。今回の署名ページ終了について、オンライン署名信者にも共有されます

今後ともChange.orgよろしくお願いいたします。

Change.org スタッフ

いやいやいや、私が求めているのはなぜか署名コメント欄日本語じゃない言語があった理由なんですよ例えば

「不平等のが大嫌いですからサインをしていますChina出身女の子としてそんな事件はもう

いっぱい見たことがあって飽きれてしまう。東亜には平等までまだ長いな階段がある…」

※原文そのまま

これなんか明らかにおかしいでしょ。ていうかなんで日本事件関係ない中国人賛同できるんですか。今回の署名ページの削除で隠したつもりでしょうが、私はあなた達がやったことを忘れませんよ

anond:20240508192432

夢の中で螺旋階段から落ちて死んだことあるけど螺旋階段も紐なしバンジー全然好きにならなかったぞ

2024-05-08

anond:20240508114227

もはや「階段落ち」しかみるべき箇所がないよね。

ドリフを履修するには「階段落ち」が必修なのでしかたなくみるレベル映画

2024-05-06

夢ってなんなんだろうな

今日?の夢はキャバ嬢みたいな女性電気回路説明をしていた

そのうえ、なんか相手理解されなくて、ひたすら自分はごめんなさいしていた

女性女性で腰が低かった

なんで電気回路説明をしたのか、そもそも回路図間違ってた気がするし、なんなんだろう…

考えてみれば、夢の中での自分は、リアル自分とはまったく異なる判断してたりするし、

起きてから考えてみれば、あんなことするはずないんだよなあ…、と思うのだけど、

夢の中の自分は正常な判断ができていないのか、間違った判断を平気でしてたりする

なんなんだろうな

オカルトでもなく、漠然とした記憶を整理してるみたいな説明でもなく、

夢の仕組みを明快に説明してほしいよ

考えてみれば、AIが生成する絵をAIが見ている夢と表現してた気がするけど、あれも言いえて妙だよな

キャバ嬢?の夢は三度寝ぐらいで、

一度寝の夢は、街でバスを待っていると、三階建てぐらいの巨大なバスが二台連結したやつがやってきて、

なかは人が満員で乗れないので、諦めて近くの巨大な店舗に入ると、

なぜかアメリカっぽい学校教室にいて、話が全然つながってないし…

二度寝の夢は、高い場所ジェットコースターだかロープウェイだかを待っていて、

なぜかやっぱり手すりがない、このパターン多い気がする…、ので、下を見ると怖いので必死階段にしがみついてた気がする

なんなんだろうな

現実にあったこととはまったく関連がないし、どうやってこういう記憶が引き出されてるんだろう…

True Skate

注: 「True Skate」にはスケート パークが 1 つ付属しています。他のコンテンツを入手するにはインアプリをご購入ください。詳細は下記をご覧ください。

特徴:

インアプリを購入した場合のみ入手可能:

インアプリを購入して入手: (「トゥルー クレジット」を使用すれば同じコンテンツ無料で入手することも可能です。「トゥルー クレジット」はトリックミッションを通じて獲得します)

True Skate

2024-05-01

anond:20240423093412

https://apyway.exblog.jp/6657410/

2007年 11月 30日

花街 船越

 

昭和4年に建てられた、割烹料亭飯田屋さん。

中は汐入にあった新井閣のような木の階段やすてきな欄間があるんだろうな~

戦前軍人さんの社交の場だったそうです。

 

(略)

 

ここは安浦上町とならんで横須賀の三遊郭の町・・・らしい。

今でもカフェ匂いがぷんぷんと・・・

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