はてなキーワード: ツールとは
醜さを晒すの承知で気に食わねぇ事言ってる奴らに噛みついて嫌がらせ、怒りの感情で繋がって仲間意識を共有する
総じて、「繋がるという幸せ」を得るため以上の行動をしてるところを見たことがないなぁ
女をあてがえ論もそれのツールの一つだろ
たとえば、ある人間が子供の頃から対話型AIと話して育っていき、健康情報を含めて蓄積していれば、そのAIは親よりも、友達や恋人よりも、もしかしたら本人よりもその人のことを理解し、適切な助言ができるかもしれない
使用者は最も自分を理解してくれる存在を得て、ツール側は膨大な個人情報を収集する
アンチ広告ブロックは、適切な広告ブロックツールを選定し、間違ったフィルタの使い方をしていなければ、ほとんど回避できるはず。
具体的には、広告ブロックコミュニティでフィルタの更新が盛んに行われている、uBlock OriginかAdGuardを選ぶこと。
ちなみにuBlock OriginをuBlockと略す人がいるが、uBlockという名前のブロッカーもあり、複雑な経緯を省いて雑に言うとuBlock Originの偽物なので使わない方がいい。
正しいフィルタ設定は、基本的には、デフォルトの状態のままが無難。いろいろ自分でフィルタを追加したり、マイルールを作りすぎると、ルールの競合などが原因でうまく働かないことがある。
FadBlockマルウェア化のようなことが繰り返し起こっているのに、「広告ブロッカー入れろ」というのは詳しくない人を潜在的な危険にさらしています。どのブロッカーをなぜ入れるべきかまで述べましょう。
みなさん「広告ブロッカー入れろ」と気軽に言いますが、「広告ブロッカー」や「アドブロック」で検索して出てくる、各ブロッカー公式以外の結果は虚偽だらけです。一般の方が適切なブロッカーを選ぶのは非常に難しいのでは。
とのこと。また、かつては有名だったAdBlock/Adblock Plusは、
①日本語サイトの広告や不具合に対応せず、②広告ブロック解除要求に対応せず、③詐欺サイトやリソースマイナーをブロックせず、④迂回広告に弱く、⑤寄付やプレミアム加入を求めるポップアップを頻繁に出します。
そういったツールを使ったことない人に導入を提案して「これでPTA活動が効率的になるね、提案ありがとう」となるか、「そんなことしなくで今のままでいいじゃんめんどくさい人だな」となるか。わたしは後者になる気がしてそんな提案できない…
私はWebアプリケーション開発に関わっているエンジニアであり、社内の多くのエンジニアもWebやネイティブアプリの開発に従事しています。会社の規模は日本国内で言えば大きい方です。
そんな会社で働いている中で、最近著名なエンジニアが入社しました。私はその方をSNSなどで拝見しており、どんなアウトプットを出すのかとても楽しみにしていました(ただし、その方は私とは関わりのない部署に配属されています)。しかし、3週間が経過した現在、もやもやすることがあり、この日記を書いています。
まず、前提として、入社して3週間でアウトプットを出せる人は世の中にそう多くはないと思っていますし、それが高い職位で雇用されているなら尚更だと思います。なので、3週間経って何もアウトプットがないのは仕方ないことだと思います。システムに関する知識(解決したい課題、要件、仕様、関係者、社内事情、技術領域などなど)がまったくない状態で、そのキャッチアップに時間がかかるのは誰しも同じだと思います。
しかし、この3週間でその方がどういうアウトプットをするのか見たかったので、バージョン管理システムのログや社内チャットツールで色々と確認してみると、どうもその方は外部の登壇資料を作ることしかしていないようでした(実際には自社の仕事もしていましたが、登壇資料が9割を占めているように見えました)。
この行動に対してもやもやすることがありました。それは、「まず自社に貢献しないのか?」「登壇料をもらっているならそれは副業の範囲内であり、プライベートでやるべきではないのか?」です。その方がどういう期待値で入社しているのか分からないので、もしかしたら登壇も仕事の一環なのかもしれません。それでももやもやします。そもそも、自社の利益にその登壇は本当に貢献するのか?というところです。外部に登壇するくらいなら、自社向けに発表と質疑応答を行い、社内エンジニアの能力向上に貢献するほうが良いと思います。
よくある反論として「自社の宣伝になるから良いのでは?」というのがあります。それも理解できるのですが、それは自社で得られたノウハウを宣伝する場合に当てはまると思います。しかし、その方は入社後ほとんど自社のシステムに関わっていないので、その反論は当てはまらないと思います。
また、副業として登壇料を受け取っているようです。自分には直接の害はないのですが、これって会社から給料をもらっている時間に副業していることになり、副業規定に抵触するのでは?と思いました。私自身も副業でソフトウェア開発をしていますが、本業の時間に副業をしても良いのだろうか?と疑問に思いました。また、それが普通に許されているのもなんだかなーと思いました。まず、自社に貢献しろよ、と。
私がすごいと思うソフトウェアエンジニアは、やはり自社の課題をスマートに解決する方々だと思います。ですから、登壇ばかりしているエンジニアに高い給料を払っているのがもやもやします。
最後に、その方の職歴について思ったことがあります。あまり詳しくは書きませんが、おそらくそれなりに高い職位(テックリードなど)で雇用されていたと思います。職位が高ければ高いほど、成果を出すのに時間がかかると思いますが、その方は結構なペースで転職しています。それ自体は構わないのですが、もしかして自社に貢献できず、居場所がなかったのでは?と勘ぐってしまいます。この勘ぐりを加速させる材料として、その方の登壇や記事にはほとんど自社の話がないこともあります。
実は他にも色々ともやもやすることはありますが、このくらいにしておきます(登壇内容などにも疑問はありますが、それは個人の自由なので)。
まだ3週間しか経っていないので、これからどうなるのか分かりませんが、引き続きウォッチしていきたいと思います。離れた部署にいる人間から見えていることなので、細かいところは違うと思います(思いたいです)。これからどうなるのか、楽しみです。
競技プログラミングって知ってるか?要するにプログラミングの腕試しをするコンテストだ。で、昨日、AtCoderのコンテストで起こった事件がプログラマ界隈をザワつかせてる。
何があったかって?ChatGPTが使われて、普通なら上級者しか解けない問題が解かれたんだよ。おかげで、自分の実力じゃありえない順位に入ったやつが出てきたわけだ。
これに対して競プロコミュニティが大炎上。「ChatGPTが界隈を破壊する」「おもんない」って声が上がって、規制しろってムードが一気に広がった。
普段、親AIを気取って反AIを馬鹿にしてるプログラマたちが、自分たちの立場が脅かされるとたんに反AIに早変わり。
要するに、自分たちの「城」が危なくなると、途端にAIを敵視し始めるんだよ。
この現象は、技術の進歩が人々の立場や考え方にどれだけ影響を与えるかをよく示してる。
AIは便利で強力なツールだけど、それが人々の仕事や趣味にどんな影響を与えるかについては、まだまだ議論が必要だってことだな。
githubでなにか作ったものをアップロードするのは、自分向きではないことに気がついた。
私が仕事で作っているようなwebアプリケーションというのは、誰でも使える一般性の高いものではなく、もっと特定のビジネスに依存した特殊なものである。
だから一般的な誰でも使えるようなものを作るというのにはあまり慣れていないのだ。
なにか作る場合はkaggleのほうが遊び場として向いていると思っている。
kaggleで「コンペ」に参加するつもりはないし、あれはBERTが出現したぐらいからは、少なくともNLP(自然言語処理)界隈は不毛な場となってしまった。
指標があれば不毛なハックがある。それが現実というものである。
それに業務で実用レベルで使えるモデルというのは、もっと運用のしやすいシンプルなモデルである。
モンスターアンサンブルで精度がSOTAでーすピロローン!なんてことには興味がないが、コンペはそれを目指している。
ではなぜkaggleが良いかと言うと、データセットが転がっていて、notebookも簡単に作成できるからである。
「このデータをこうやって使うとこういうツールが作れる」「このデータをこうやって分析するとこういう知見が得られる」というのは、「web開発用のMVCフレームワークを作ります」よりも具体性がある。
そして特定のデータに対するモデリングをするために論文を調べるようなことになった場合は、勉強にもなる。
私は昔、自然言語処理のブログを書いていたが、実験したことのコードを載せるタイプの記事が多かった。
ところが自称データサイエンティストや自称NLPエンジニアがツイッター上で「ゴミのようなブログを書くな」と言っていて、自分が言われている気がして怖くなったのでブログを閉鎖した。
そういう「政治おじさん」との接触を最大限減らすには、ブログというフォーマットではダメだと思うわけである。
私のマグカップには"Talk is cheap, show me the code."と書かれている。
これはリーナストーバルズの名言だが、政治おじさんが近寄らない場所というのは、具体的なコードが存在する場所であると言えよう。
対戦ゲーム
まずメタが存在して、一定数の参加者がいて、競技性があるのなら立派な趣味になる
それでいて、メタの変遷があって、ある程度の歴史があればなおよし
コミュニティもきちんとあればなおよし
ソシャゲと区別したのは、ギャンブル依存症と同じ無料のドーパミン中毒ゾンビが増えているから。
→やったことないんだろうが、細部のこだわりは本当に性格が出るぞ
→好きな人間なら、一度は描いてみたり、書いてみたりするだろう
そこに自分なりの解釈を入れたり、他人の解釈や書評を見たりするだろう
アニメと区別したのは、単純に"周囲と仲良くなる"ツールとして消費している人間が増えているから。
ま、結局はどのような姿勢でその物事と向き合うか、だけだから本来は貴賤なし、だけどね。
巨大資本が入り込むと決まって衰退するのよな。
最近Twitterで話題になっている「全国AIアート甲子園@i-SEIFU」(https://aikoshien.wraptas.site/)のすごさについてまとめる。
以上、「全国AIアート甲子園@i-SEIFU」(https://aikoshien.wraptas.site/)のすごさについてまとめた。今後もこのようなすごいイベントがいくつも現れると予想される。すごいイベントのすごさに注目したい。
人は窮地に立たされると、自分で自分をコントロールできなくなり得たい結果とは真逆の結果となるケースがしばしばある。
子供を見ているとまさにそのような行動をとることがある。
おもちゃで遊びたいがために奇声を上げたり、ご飯で遊び始めたりするが親はそれを宥めるために早く食べてから遊びなさいと伝える。
その言葉を聞くとおもちゃで遊べないものだと思い行動が悪化する。
この場合子供はおもちゃで遊びたい、親は早くご飯を食べさせたいという両者の対決が生まれる。
子供をコントロールするためには、体罰や無理をさせることが必要という世論を唱える人もいる。
おれはその発想にも一定の理解がある。
親側も同じようなものだ。
早くご飯を食べさせて食器を洗いたいという願望があるからこそ、怒って子供に食事を強要させる。
返ってそれが行動の悪化を招いているのではあるのだが。
怒っている当の本人は知る由もないだろう。
人間が人間たらしめるのは理性や知性や【美学】、ポリシーなのではないかと思っている。
その数が少ければ少ないほど、自分の欲望に忠実になるしかないはず。
そして、感情に支配される人生を不本意な方向に歩むしかなくなるのではないか。
おれは仕事や育児、日常生活、食事、色々な場面に【美学】を持つようにしている。
そして、自分自身がその美学に反していたとしても受け入れるようにしている。
【美学】にこだわりすぎると、設定していた【美学】が自身に悪影響を及ぼすこともあるからだ。
しょせん【美学】は生きやすくするためのツールなのであってツールに支配されてはいけないと考える。
〜すべき、確定、マスト
という言葉は苦手だ。
次回は【克服】について記載したいと思う。
飲み屋でビール片手に、後輩に語りかける感じで話すよ。今日は、AIがどれだけプログラマーに影響を与えてるか、特にChatGPTについて話そうと思うんだ。
まず、ChatGPTってのはすごいよ。俺たちが昔必死に学んだことを、秒で答えちゃうんだから。でも、だからって俺たちプログラマーが完全に不要になるわけじゃないんだ。実際、ChatGPTが得意なのは単純で定型的なタスクなんだよ。例えば、基本的なデータ処理スクリプトとか、テンプレートベースのコード生成、単純なデバッグやエラーハンドリング、そしてドキュメント作成なんかはChatGPTに任せられる。
じゃあ、俺たちプログラマーの役割はどうなるかって?もっと高度な問題解決とか創造性が求められるようになるんだよ。複雑なシステムの設計や高度なアルゴリズムの開発は、やっぱり人間の得意分野だ。ChatGPTにはまだそこまでの理解力や創造性はないからね。
でも、これまでインターンやジュニアプログラマーがやってきた基本的な作業がChatGPTに取って代わられると、彼らが経験を積む場所がなくなるんじゃないかって心配もあるよな。これにはどう対処すればいいか?
まず、教育の場を再定義する必要がある。メンター制度を強化して、シニアプログラマーが直接ジュニアを指導するのがいいだろう。リアルなプロジェクトに参加させて、実際の問題解決を体験させるんだ。ChatGPTはサポートツールとして使えばいい。例えば、基礎的な質問にはChatGPTが答えて、シニアはより複雑な問題や高度な質問に対応する。
次に、ソフトスキルの育成も重要だ。チームでのコミュニケーション能力やコラボレーションスキルを磨く機会を増やすんだ。ペアプログラミングやコードレビューを通じて、実際に協力して問題を解決する力をつけることが大切だ。
それに加えて、高度な技術トレーニングも必要だ。オンラインコースや社内ワークショップを活用して、最新技術を学ぶ機会を提供するんだ。ジュニアプログラマーが自分で学び続ける意欲を持つようにサポートするんだよ。
シニアプログラマーやメンターには、新しいスキルセットが求められるようになる。技術的な専門知識はもちろん、教育能力やフィードバックの提供方法、対話スキル、プロジェクト管理能力、そしてモチベーションを高める力が必要になるんだ。俺たち自身も常に学び続け、適応し続ける必要がある。
だから、ChatGPTが登場したからといってプログラマーが不要になるわけじゃない。むしろ、俺たちの役割はさらに重要になる。AIと共存し、お互いの強みを活かしながら、より高度なスキルを身につけていく必要があるんだよ。
未来のプログラミングの姿は、AIと人間が協力し合うことで成り立つ。新しい技術を学び続け、常に自己研鑽を怠らずにいれば、どんな時代でも必要とされるプログラマーでいられるはずだ。AIをうまく活用しながら、俺たちの強みを最大限に発揮していこうぜ。
山あり谷ありな会社員生活を通してわかったことは、うちの会社の労務管理がガバガバなこと、真面目に働く奴が馬鹿を見るということだ。
効率を重視してあくせく働いたところで管理職は自己申告された出退勤の記録とPCの起動時刻しか見ていないらしい。与えられた業務の量とそいつの業務効率の良さなんかは指標が無いから評価のしようがないんだ。
終身雇用の崩壊が叫ばれる昨今においても弊社はバリバリの年功序列、新卒そこそこの俺みたいな人間が必死になって働くことに何ら意味を見いだせなくなった。
こんなクソ会社での最適ムーブは、「出来るだけ長く残業代を確保しつつ、かつ仕事以外のアレコレを適度にこなすこと」だと気づいた。
そんな俺のノウハウを共有し、クソみたいな体制の会社であくせく働く可哀想な正直者を少しでも減らしたいというのが今回の趣旨。
〇早めに出社する
重要。朝早く出社してるだけでなんか頑張ってると思われるし、誰も見ていないので好きなことをできる。
また車通勤なら渋滞、電車通勤なら混雑を気にせず効率よく出社可能で単純に得。
出社してすぐに一本メールを打っておくと、頑張ってると思われる。
スマホの充電、資格試験の勉強、ニュースサイトの閲覧を行う。人が増えたらやめる。
人により有用。俺は定型作業がクソほど苦手なので、仲の良い派遣さんに仕事の大部分を任せている。
人には共有しない。他の人が使えるようにメンテするだとか使い方を教えるだとかまっぴらごめん。
ショートカットキーなんかも覚えたり、タイピングの勉強なんかも頑張っとくとよい。
でもこういった勉強をバカ正直に業務時間外にやるのは愚の骨頂。できるだけ社内で済ますことが重要。
手ぶらで歩き回ってるとバカみたいなので、打ち合わせに使うかのような神妙な顔つきPCを持って歩き回るようにする。
〇昼休みはとにかく寝る
重要。残業を引き伸ばす関係上、家での時間が削られるのは明白。とにかく寝る。
重要。昼休みを効率的に使うためには食事の時間は無駄。これなら仕事をしながら飯を食えるし、必要な栄養価も取れる。
展示会のノベルティーで貰った手帳を開いて月の予定を考え、付箋で頭の中を整理する。
また自宅宛に来た手紙なんかも会社に持っていって開封して、そのままシュレッダーにかけたりする。
文房具は購買部から適度に拝借するが、盗むレベルは普通にアウトなので理性的にやること。
〇夜はみんなでお喋りする
夜になるとみんな疲れるので、みんな仕事に疲れて私語が増えてく。
〇人が減ったらスマホの充電、資格試験の勉強、家での事務作業なんかを再開する。
〇帰る前にメール一本、後は歯を磨く、手を洗う、顔を洗う、水を飲む。
重要。様々な衛生的雑務を済ませておくと、家での負担が軽減され、かつ残業を引き伸ばせる。
以上。今の収入にある程度満足感がある人はQOLをいかに上げてくかが重要だと思う。
部署やその人に与えられているリソースはどうせ有限なので、このリソース量でこういうレベルの新人をアサインされた場合の成果物出力はどうなりますかって本人と上司が現実に向き合うのが一番速い。
同じレベルの成果物として教育や研修明けの人間を出力してほしいなら、まばらな入力レベルが(入力する事業部や人事の)問題だったり、均質化するためのリソースが足りないという話なので。
何度も同じことを口頭でいうのは即座にやめさせるべき。書面に書きつけたりデジタルツールで履歴を残して振り返れる様にしないと言われた側は頭に残らないと思った方がいい。
MBTIなる性格診断ツールが流行りだして以来から、長らく疑問だったことが最近自分の中で肚落ちした気がするので述べていこうと思う。
というのも、なにか当たり前のように「MBTI何?」のような質問が飛んでくることが多くて、そのたびにMBTIの名前を借りただけの16診断を何をもってそこまで信頼しているのだろう、とか、なんで当たり前のようにやっている前提なんだ、とか、我ながらひねくれたような気持ちを抱いていたんだけど、そういう人々の一部が、どうしてそんなことを聞くのかが少しわかったような気がしたんだよな(もちろん、流行っているから話題の一つとして提供しているだけの人がいるということは理解したうえで、今後の話を聞いていただけるとありがたい。俺はENTPらしい)
それは、他人と自分との違いに対する理解がものすごくざっくりとしている人がおおい、ということ。これは別に俺が他人をすごく理解できるというわけではなく、むしろ俺はなぜそうなるんだ?と他人との不理解を繰り返して来た側なのだが、その根幹には「そりゃ自分とは違う遺伝子を持ってて違う環境で育っているのだから価値観も能力も違うよな」という、ものすごく当たり前の事実があったからで。
しかしどうやら、ここ最近この常識と思っていたところが常識ではないのではないかと思い始めた。親ガチャ、という単語が流行っていた時にも思っていたのだが、俺がその単語に対して抱いていた「親が違うのであればそこで生まれた子供は自分じゃないんだから、お前はその親のもとでしか生まれることができないのでは?」というような疑問を突き詰めて考えていってたどり着いた結論が、世間の「自分」の定義がものすごく緩いということだった。なんとなく生まれ変わりみたいな思想がもともとある日本だからこそ、「自我」や「魂」のような不変のものが、ただ今はこの器にいるだけ、のような認識をしている人が多いように感じた。つまり自分とは「魂」っていう思考になるんだよな。
そして、それは他者への無理解へとつながってるんじゃないだろうか?例えば、容姿に優れていない人は、容姿が優れている人なりの悩みを一蹴することがあるように。自分なら容姿が優れていたらそんなことで悩まないというような論は、ただお前がブスなうえ想像力がないだけだと思うが、「自分があの器に入っていれば」という理想論的なものがこの無理解的な感情論につながっているように思うんだよな。
つまるところ、本人が自覚的か否かにかかわらず、「俺か、俺以外か」という、ローランド的な分類で人を見ている人がこの世にはある一定数存在するのだと思う。他者がNPCのようなものに見えるのであればそりゃ無責任で無理解な発言も飛び出すよな(勉強できる奴が勉強めっちゃやっても結果出ないやつに対して努力不足に感じるのも自身からの視点しかないからであって)
で、こういう人種にとって、きっとMBTIってものすごい発明だったんじゃないだろうか。いままで自分か、それ以外かっていう二パターン、もっというなら自分と波長が合う人(理解できる人)と理解できない人がいる世界を、少なくとも16種類に分けて見せたんだから。この人はこういう種類の人なんだ、じゃあたしかに私とはこういうところが違うんだろうな、っていう他人に対する不理解を理解するための、大きな手助けになったんじゃないかと思う。だから最初に、この人はどの種類の人なんだろう、を聞こうとするんじゃないだろうか。その人の世界にいる人間は、ポケモンみたいに16種類のタイプ分けがされているのだから、確かに俺も新しいポケモンが出てきたら何タイプか、考えてしまうし。
ただそれが少し、危うくなっている人も時々見かける。そもそも言葉とか分類っていうのは、実態とは必ずずれる。実態はもっとふわふわした気体のようなもので、言葉とか分類とかはがっちりとした固体のようなものだ。あてはめようとすれば必ずはみ出るところがあって、だから俺たちはいろんな表現を尽くして、なるべく実態に近似するように人を評価していく。しかし、MBTIに記述された世界に生きている人にとっては、実態よりも分類が優先されているような気がする。本当は70億の人がいれば70億通りの違いがあるはずなのに。
ガキの頃は嫌いになればそいつのすべてが嫌いだったような単純的な評価しかできなかった俺も、ある程度年を重ねてそれが他人の一面でしかなく、たとえば仲間には情に厚いところがあり、それが翻って俺に対する攻撃性になっていたんだなとか、他人の顔色に敏感なこの人はこういう家庭環境が根幹になっているのだろうかとか、少しだけ世界の解像度が上がったように感じている。
偏見で申し訳ないんだけれど、たぶんMBTIを信じている人とかはこういう文章を読まなそうだから、別にそういう人たちに届いてほしいわけではないけれど、意外と色眼鏡を外してみたら、人は多様で面白いよ、という話をしたかった。最近、DeathNoteのリュークみたいになっている。リゼロの人の人生を追体験できる本、ああいうのすごく面白いよなあ。
ただ勉強/学歴は他の能力を証明するためのツールに過ぎずそれ単体ではあまり用をなさないということが言いたかった
男作者がBL描いてた!女だと思ってたのに!想像しちゃうから配慮して!
ここで自語りしちゃうんだけど、私は漫画読み始めた時、作者は全員女だと思ってたんだけど、
とある少年漫画単行本で、あの折り返しの部分、自著欄?あの作者の自画像とかあるところ、あそこで初めて作者が男だ!漫画描いてるの男なんだ!
男も漫画描くんだ!!!って思った事があるんよ、小学生の頃の話だけど。
そんな事あったから、漫画(小説でも何でも創作物に対して)で性差関係ないって知ったんだけど、そう言う経験なかったのかな、かわいそう
誰が何描いててもよくない?きゅんきゅん少女漫画読んで、作者の実体験とかなのかも!って思って読んでんの?きしょ
女が描くBL読んで、これは妄想だからオッケー!とかなの?同じ穴の狢!みたいな感じなの?
創作者に対して不誠実すぎて無理なんだけど?理想を押し付けるな。
てか、作者に対してそういう「想像しちゃう!」って言うやつ、恋人持ってる知り合いの情事を想像しちゃう!って言ってそう。きもいな。
あと、これは1000000回言ってるけど、気にしちゃう作者は匿名ツール使うな。あれは悪。絶対使わん。反論あるなら面見せろって思ってる。
あと、女はみんなうっすら男が嫌いって、どこ発祥?めちゃくちゃ味のないガムみたいな言い回しで、芸がないと思う。もっとあるだろ。他人の言葉使って自分の思想を語ってるな、出直せ。やる気出せ。
あと、同人女の感情の漫画、みんな読み過ぎてて、本当にそれ思ってる?影響されてそう思ってる!って思い込んでるだけじゃない?浅い浅いもっとオリジナルティ出してください。