はてなキーワード: 理想論とは
常識だろうが法律だろうがそれが理想論であることには変わりないので何の反論にもなってない。
法律なら、それに逆らうのが大変だという現実が変わるとでも思ってるの?
中小企業を訴えるとかまさに理想論の極みで頭悪すぎでしょ。「訴えるぞ」と言ったら相手が謝るとでも思ってるの?
逆らうことで会社だけじゃなく自分も時間・金銭・精神の全ダメージをかなり負うことになるのに。
弁護士雇って証拠を集めて莫大な資料を作って裁判に持ち込んで、相手から脅迫とか嫌がらせとかされながら年単位の戦いをするのがどれだけ大変か理解して言ってるのか?
育休が取りやすい大企業とかに入れなかった人が育休前提で転職するにしても、実働時間が少なくなるのに受け入れたいところがどれだけあるかな?
もちろんないとは言わないし、世の中も変わりつつあるから現実的にはそれが一番いいのかもしれないけどね。
言いたいことはわかるし同意するところもあるけど、そんな理想論を言われてもなって話。
「論理より感情で動く」というけど、それは自分じゃなくて社会が感情で動くんだから仕方ない。
(間違っていたとしても)周りの常識に逆らった夫婦は最も損をしやすく、現実的にはその行動のコスパが悪いっていう話なんだよな。
常識への反論がいくら正論でも、SNSで大量の批判コメントが来ることが今の日本社会を物語っている。
あなただって「プーチンは正しい。ガーシーは正しい。なぜなら~」なんて言い出す人がいたら論理も考えず反射的に感情で反論するでしょ?
誰だって、論理をしっかり考えて反論できるのは自分が当事者のことだけなのよ(経営者は育休の当事者じゃないから関心がない)。
結果的に、(大企業とか制度の導入が進んでないところで)前例のない常識破りをすると色々不利益を与えられて、
夫婦で楽になるためにしたはずの行動が、結果的にもっと大変な目に巻き込まれるということだ。
社員は経営者次第で干すことも転勤させることもどうにでもされてしまう弱い立場だから、あなたが思ってるほど男性に選択権なんかない。
そういえば、男女平等のためにスカートを男子がはいてもいいって校則ができた学校があったらしいけど、
校則があるからと(性同一性障害でもない男子が)スカートをはいていったときに学校でどうみられるのかを考えればいいっていう例を唐突に思いついた。
もし自分が楽したいだけの身勝手な考えなら、多分思い通りに楽になることは無いと思うからやめた方がいいと思うけど、
どれだけ大変な目に遭っても常識を乗り越える道を夫婦で選ぶ覚悟があるなら「頑張ってね」と言っておきたい。
そういう社会の犠牲になって頑張って変えようとする人が増えないと社会は変わらないので、矢面に立ってくれると助かる人はいるだろう。
女性が働いて男性が育児なら、女性は差別で下に見られやすい「女性」という属性で男社会で戦ってキャリアを上げていかないといけないし、
育児する男性もママ友コミュニティにうまくなじんで、自分の家庭がコミュニティから追い出されないようにしないといけない。
まぁ、今の世代が経営者になるころにはこういうことは放っておいてもなくなってると思うけどね。
「できるだけ楽に男女の負担を均等に」が目的だとすると、女性としては理解のある企業に勤めている人を探すのが最適解になるのかな。
冷蔵庫もないのに
コンロと電子レンジはある
でもレンジはこわれててターンテーブルが回転しないからあっためにかたよりがあるからあんま使いたくない
そりゃおれだって野菜と魚とりたいけど保存できないし調理もめんどくて大変だしさあ!!!
カネもかかるしさあ!!!!
ネットで無責任にあーしろこーしろっていうだけいって責任とらないやつらといっしょだよね!!!!!!
理想論ならいくらだっていえるしこっちだってわかってんだよ!!!!!!!!
カネをくれ!!!!!!!10奥くらいくれたらいいよ!!!!!!!!
りりちゃんが巻き上げたお金はそのまま惜しげも無くホストに流れていってるわけで
お金の価値っていったいなんだろうって考えさせられる事件ではある
俺たちが毎月の数十万円に固執するわけ、将来のためとして数百万を守り続けるわけ、割り勘でスマホの電卓で割り算してしまうわけ・・・
そういったことからの解放というのは理想論ではあるけど現実社会に生きる上でどうしてもみんなそういう些細なところで小さく生きてしまっている
りりちゃんは別に投資をしてるわけでもないからお金の使い方としては褒められないけど、お金の動かし方として、その生き方の純粋さにおいてやはり尊敬してしまう
MBTIなる性格診断ツールが流行りだして以来から、長らく疑問だったことが最近自分の中で肚落ちした気がするので述べていこうと思う。
というのも、なにか当たり前のように「MBTI何?」のような質問が飛んでくることが多くて、そのたびにMBTIの名前を借りただけの16診断を何をもってそこまで信頼しているのだろう、とか、なんで当たり前のようにやっている前提なんだ、とか、我ながらひねくれたような気持ちを抱いていたんだけど、そういう人々の一部が、どうしてそんなことを聞くのかが少しわかったような気がしたんだよな(もちろん、流行っているから話題の一つとして提供しているだけの人がいるということは理解したうえで、今後の話を聞いていただけるとありがたい。俺はENTPらしい)
それは、他人と自分との違いに対する理解がものすごくざっくりとしている人がおおい、ということ。これは別に俺が他人をすごく理解できるというわけではなく、むしろ俺はなぜそうなるんだ?と他人との不理解を繰り返して来た側なのだが、その根幹には「そりゃ自分とは違う遺伝子を持ってて違う環境で育っているのだから価値観も能力も違うよな」という、ものすごく当たり前の事実があったからで。
しかしどうやら、ここ最近この常識と思っていたところが常識ではないのではないかと思い始めた。親ガチャ、という単語が流行っていた時にも思っていたのだが、俺がその単語に対して抱いていた「親が違うのであればそこで生まれた子供は自分じゃないんだから、お前はその親のもとでしか生まれることができないのでは?」というような疑問を突き詰めて考えていってたどり着いた結論が、世間の「自分」の定義がものすごく緩いということだった。なんとなく生まれ変わりみたいな思想がもともとある日本だからこそ、「自我」や「魂」のような不変のものが、ただ今はこの器にいるだけ、のような認識をしている人が多いように感じた。つまり自分とは「魂」っていう思考になるんだよな。
そして、それは他者への無理解へとつながってるんじゃないだろうか?例えば、容姿に優れていない人は、容姿が優れている人なりの悩みを一蹴することがあるように。自分なら容姿が優れていたらそんなことで悩まないというような論は、ただお前がブスなうえ想像力がないだけだと思うが、「自分があの器に入っていれば」という理想論的なものがこの無理解的な感情論につながっているように思うんだよな。
つまるところ、本人が自覚的か否かにかかわらず、「俺か、俺以外か」という、ローランド的な分類で人を見ている人がこの世にはある一定数存在するのだと思う。他者がNPCのようなものに見えるのであればそりゃ無責任で無理解な発言も飛び出すよな(勉強できる奴が勉強めっちゃやっても結果出ないやつに対して努力不足に感じるのも自身からの視点しかないからであって)
で、こういう人種にとって、きっとMBTIってものすごい発明だったんじゃないだろうか。いままで自分か、それ以外かっていう二パターン、もっというなら自分と波長が合う人(理解できる人)と理解できない人がいる世界を、少なくとも16種類に分けて見せたんだから。この人はこういう種類の人なんだ、じゃあたしかに私とはこういうところが違うんだろうな、っていう他人に対する不理解を理解するための、大きな手助けになったんじゃないかと思う。だから最初に、この人はどの種類の人なんだろう、を聞こうとするんじゃないだろうか。その人の世界にいる人間は、ポケモンみたいに16種類のタイプ分けがされているのだから、確かに俺も新しいポケモンが出てきたら何タイプか、考えてしまうし。
ただそれが少し、危うくなっている人も時々見かける。そもそも言葉とか分類っていうのは、実態とは必ずずれる。実態はもっとふわふわした気体のようなもので、言葉とか分類とかはがっちりとした固体のようなものだ。あてはめようとすれば必ずはみ出るところがあって、だから俺たちはいろんな表現を尽くして、なるべく実態に近似するように人を評価していく。しかし、MBTIに記述された世界に生きている人にとっては、実態よりも分類が優先されているような気がする。本当は70億の人がいれば70億通りの違いがあるはずなのに。
ガキの頃は嫌いになればそいつのすべてが嫌いだったような単純的な評価しかできなかった俺も、ある程度年を重ねてそれが他人の一面でしかなく、たとえば仲間には情に厚いところがあり、それが翻って俺に対する攻撃性になっていたんだなとか、他人の顔色に敏感なこの人はこういう家庭環境が根幹になっているのだろうかとか、少しだけ世界の解像度が上がったように感じている。
偏見で申し訳ないんだけれど、たぶんMBTIを信じている人とかはこういう文章を読まなそうだから、別にそういう人たちに届いてほしいわけではないけれど、意外と色眼鏡を外してみたら、人は多様で面白いよ、という話をしたかった。最近、DeathNoteのリュークみたいになっている。リゼロの人の人生を追体験できる本、ああいうのすごく面白いよなあ。
中川翔子の「保健所に連れて行くなっ」炎上、10年経ったらネット上に残ってなくてびっくりした
家で猫飼えないけど4匹の子猫を拾ってしまい、2匹の里親は自力で見つけたけどもう2匹の引き取り手が見つからず
保健所に連れて行くなっ!で吊し上げて信者に攻撃させた中川翔子
保健所=猫を殺すところのイメージだけで「お前が殺した自覚を持て」で追い詰めた春名風花
なによりも2人とも保健所に連れて行くくらいなら元の場所に戻せと主張していてドン引いた
正直どんなに頑張っても救いきれない猫はいるよ
中川翔子はそのあと猫を外に出して外猫にを産ませたみたいなニュースもあった気がするけど、やっぱりな
やっぱり外猫肯定派の猫好きが1番の敵だよ
仲良しって言うとレベルが低く聞こえるけど、政治って理想と体面と建前と妥協の世界なので原理原則の理想論を振り回して、それに背く人間を叩いてればいいってもんじゃないのよ。別にどこの誰のこととは言わないけど。
とにかく、凄い守銭奴だったんだな
しかも経営が下手、一瞬で金を溶かす低い経営能力、金遣いの荒さ、自分の店員に給与を未払い、運転資金があっという間に底を付く…
客に愚痴として、運転資金が…、みたいなことを言っていたことは容易に予想できる
加害者はそこでお金を出すよ、助かるー、みたいな軽いノリの話だったのではなないか(少なくとも被害者側の感覚では
なにしろ、被害者は店の経営を継続することや、新規出店することしか頭にない
そういう上昇志向だけで足元やリスクを見ない駄目な経営者だったのは明らかだと思う
しかし、加害者側が出した数千万のお金さえも一瞬で溶かしてしまう被害者の経営手腕
そんな状況で勘違いした加害者がプライベートにまで入り込もうとするので、邪険にするようになり加害者が店内で暴力沙汰
出禁にするも、金を返せとしつこかったので、ストーカー規制にした…
そのうえ、最初は自分の経営能力の低さで運転資金を枯渇させたのに、閉店をすべてストーカーのせいにする始末…
理想論だが、彼女が経営能力が高ければ、こうはならなかったのではないか?
アークナイツ、2部になってシナリオが面白くない、ロドスとロンディニウム自救軍の行動がひたすらに不快で、ずっと「何でこいつらさっさと死なないんだろう。プレイアブルを殺せないのはともかく、クロヴィチアとかステインレスの婆さんくらいさくっと殺せよ」って思ってた。今日ふと、あいつらのやってることって、意識だけが無駄に高くていろんな問題に頭突っ込んで的はずれな理想論を開陳するけど、自分達以外には理解されず、今ある問題を解決する能力もまるでない日本のリベラルとそっくりだと言うことに気がついて全て腑に落ちた。
思い返せば一部でも感染者問題の解決と言う理想論をかかげながら、ウェイの手駒になって感染者掃討に従事してたし、イベントでは大抵手遅れになってから現地入りして、暴徒化した感染者をボコってるし、言ってることとやってることがチグハグなんだよ。少数の思想エリートに率いられた思考停止集団が、人権人権とまくしたてるのに、他者には自由な意思を持つ権利すら認めず、意見が異なるものは集団でネットリンチする日本リベラルとそっくり。
2部になってからは製薬会社の本業をそっちのけで重役総出かつ個別行動でロンディニウムのサルカズに殴りかかって返り討ちに合ってるし。掲げる理想に能力が追いついてないし追いつけることもないので、余計なことには手を出さず、自分達の理想の世界に引きこもって純金でも作りながら慎ましく生きれてればいいのに。
相変わらずゲームとしては面白いけど、今後はストーリーを読むことはないかな。理想論だけは立派だけど、実力が全く伴わない馬鹿のお話なんかリアルだけで十分だわ。
議論が白熱してるけど、落ち着いてほしい。
連中が多数いることについては、理解してるよね。
ソイツらが、性加害フィクションに影響されて「嫌がってる女で喜ぶのはオレだけじゃなかったんだ」
女性たちは、それを想定して恐怖してんの。
で、
って言ってる人たちがチラホラと散見される。
そんな人たちに聞きたい。
生成AI自体を合法のままで野放しにしてたら、現実の女子中学生が男子によって裸に剥かれる。
これは既にアメリカで問題になってて、普通のピンナップ写真からクラスメイトの女子のヌードが生成されてる。シェアされたのが発覚して初めて問題になった。
目の前で交通事故が起きた時に率先して助ける人って少数派だと思うんだけど、Twitterではそういう人間を非難する声が多数派でビビる。
もちろん、見て見ぬ振りを擁護したら叩かれるに決まってるから、擁護派は何も言わないというのもあるんだろう。それにしても満場一致でその意見だから怖い。
いちいち助けていたら、電車を逃すかもしれないし、講義に遅れるかもしれない。大事な会議に人助けで遅れましたと言って、苦い顔をされる未来を想像するかもしれない。単純に労力もかかる。
そして、その割にメリットには少ない。それに、助けなくても罰則が下ったりしないし、他の誰か様がやってくれるかもしれない。
ただ、見て見ぬ振りをするのは冷たい事で、どちらかと言うと悪い事だというのは事実だと思う。
でも、だからと言ってこの件に関しては、理想論だけで人を叩くのは少し想像力が足りないと思わざるおえない。
長々書いたけど、助けるのが普通っていう認識がガチの多数派なら土下座します。
あと、そういう風潮の方が実際に助ける人が少しは増えそうだから良いよねっていうのはそうだと思う。