はてなキーワード: 意図とは
結局のところこれに尽きると思うんだ
俺だったら申し訳ないけど嫌だし、避けられるのであれば避けて欲しいと願ってしまうな
子供は俺自身じゃないとは言え、だからと言って自分が嫌と思うことでも他人にならしてもいいと思える人種でもない限り、普通に無理なんじゃないかと思うわ
パートナーが欲しがるからという理由なら、それは自分自身が望んだものでない以上、能動的な選択の結果でない分、なにかあれば投げ出す可能性だって大きくなるだろう
出来てさえしまえば我が子が可愛くて仕方なくなるみたいなこと言って誤魔化す人もいるが、それってどこまでも自分の都合の良いように物事捉えてるだけで、子供のことなんて実はこれっぽちも頭の中にない考え方の代表だと思う
結果論的に子供が自身の生まれに満足したケースのみが大きくフィーチャーされるばかりで、子供が満足しなかった場合、満足させられなかった場合、その責任を親は取ることが出来ない
せいぜいが悲劇のヒーローやヒロインぶって、自己満足の「それでも子供の幸せのため一所懸命頑張ります」ロールをやるぐらいで、なんならあわよくばその自分の愛にいつか子供が気付いてくれたら、とか思ってそうでもある
ていうか最悪、虐待とかに発展していっても、なんの不思議もないしな
自分が嫌なことでも、他人になら平気でそれを押し付けることのできる人間なわけだし
そんな風に自分に酔い痴れる前に、そもそも自分が自分の子供なんて嫌すぎるという考えがあったのならば、そのような状況に陥る可能性が高いことぐらい見えていたはずなわけで、そのリスクをそもそも何故犯したんだって話に究極的にはなる
意図せず子供が出来てしまうことはあると思うが、それが自身の迂闊さ故である場合は、あまりにも見通しが甘すぎて、子供が自身の生まれに満足しない未来に怯え続けて、結果的に子供が満足してくれることをひたすらに願って行動するしかできなくなる
子供が出来てさえしまえば論の正体は結局のところこれで、恐怖によって無理矢理に笑顔を作らせて幸せを演出させることに他ならない
もちろん、これは表題の通り、もし自分が自分の子供なら嫌だと考える人の話で、そうでないならこの考えが当てはまらないことは分かっている
だから、結局のところこれに尽きると思うんだ
考えて欲しい
経営コンサルタントの最大のノウハウ、いわゆる上手に経営したり、上手に生きるコツは、
クライアントの長所ばかりを集めてきて、それらを上手に調和させ、それを伸ばせばよいのです。
短所などを見つけても、マイナスになることはありましてもほとんどプラスにはなりません。
それだけに批判や欠点の指摘が、どっと飛び込んでくるのには、びっくりしました。
ネットバトル用語の「ファンネルを飛ばす」は、犬笛を吹く、信者をけしかける、の意味で使われているけど
常に勝手に飛び回っている僚機または味方機、あるいは敵の敵は味方程度の他人を好き勝手飛ばせない
意図しなくても攻撃始めるし、やってほしいと思っても攻撃してくれるとは限らないし
撃ち方止めと言おうとも止まらないし、といって形勢が変われば一瞬で去ってしまう他人はファンネルとは言えない
・1対多の数的優位を戦場で構築できること
大物ネットバトラーの一言で有象無象の小物が群がるという構図で、影響力の大小比較で言えば本体-ファンネル的構図が無くもない
旅館やレストランで女性のぶんだけご飯を減らされる問題がありました。
また、緊急避妊薬やピルは保険不適用で(しかも気軽に買える値段ではない)中絶には相手の男性の同意が必要。なのにバイアグラは70歳まで保険適用。
大学生ビル転落死の事件では、美人局に使われた少女は少年院送りなのに、共犯の男子は無罪でした。
他にも男性の消防職員がAVに出ていた時は停職6ヶ月で、風俗勤務していた女性教員は懲戒免職処分。
いただき女子に懲役9年の報道が出たのと同じタイミングで、「女性110人を盗撮・それを販売して1億5000万円以上稼いだ男性」が懲役1年6ヶ月でした。
女児の帽子に性液かけた教師は「性的意図はなく器物損壊」で、はちみつに精子入れて人に飲ませても「器物損壊で書類送検」のみ。
メール数件でストーカーと言われ逮捕された女性がいる一方、20代キャバ嬢の子が51歳のおじさんに刺された事件(この殺害された女性以外にも6人にストーカーしていた)では「女が女割を得て、男だけに贖罪を求めるのは理不尽だ。」と言われ、おじさんを無罪判決にする署名が集まりました。
性犯罪や性的嫌がらせなどから出来た「女性専用」に女尊男卑だ!!!!と怒る男性…(男性専用車両の署名は全然集まらず)
これらはたった5ヶ月以内にあった話題です。
字下げが精神障害者として人工知能から扱われているときはともかく、字下げが意図せずとして東大法卒の巡査として自転車に乗車し活動している間はどこかから字下げを東大法卒の巡査
としてデザインするようにしてあり、字下げがそのような形態になっているときに字下げが何かを言っているときは、対抗できる者がいない。客観状況から接近しようと思っても私服の警察官に見えてい
るようで、若者などが付近を通り過ぎる様子があるが、接近できない様子。接近できないとか反論できないのは、私服の巡査に見えているからだろう。ただし、字下げが自転車活動中に、
誰が字下げを私服巡査に指定しているかは不明であり、その機序も不明で、更に、指定動機の積極性消極性も不明である。自動的にそうなるだけであって誰がそのように形状を指定しているのか
分からないし、長谷川の可能性も高いが、自転車活動をしている長谷川が字下げに対してそのように人工知能を介してデザインする意図も分からない。どうしても推測するのであると、黒羽なんぞに
連行したのが最悪の見返りとも思われるが、長谷川にデザインしているのは、志村消防署警防課のもぐらだと思うし、10工場で、ニートの長谷川先生、とぼそっと言ってしまったのでそうであるが、
言ったのは10工場の看守で、志村警察署の消防司令補である佐藤政雄ではないし、消防司令補がそういうことをする動機もないし、誰がやっているのか分からない。
上川外相の発言「うまずして何が女性か」だけど、メディアの取り上げ方がヘンだという、当たり前のことを、
生みの苦しみという比喩として昔から成立している表現を、まさしくそのような用法で発言しているにもかかわらず、マスコミは一体なんなんだ。
候補の当選によって新たな知事を誕生させたいとの思いがあったとみられるが、出産を願ってもできない人への配慮に欠けるとの指摘が出る可能性がある。
一連の報道で、とても気になったのは「XXへのへの配慮に欠けるとの指摘が出る可能性」という表現。
こうして、「出産を願ってもできない人」というグループを示唆することで、それらが何かしら傷つきやすいメンタルを持っているという、配慮を要する人々としてイメージを固定してゆくのがとても気になる。これは発言の曲解よりも根が深い。(補記:なかなか伝わりにくいかもしれないが、以下で提起している問題は、<ある表現がいかに配慮に欠けるか欠けないか>ではなく、<ある表現が配慮に欠ける>というふわっとした規範的な圧力が、社会的包摂性とか社会経済的な脆弱性の分析を置き去りにして、主に政治的に利用されることの問題点だ)
実際には、出産を願ってもできない人々というのは多様だ。みんないろんな事情があるんだよ。
単に適齢期を過ぎているだけとか、仕事と両立したいなどの理由で機会を逸している、とか、あるいはそもそもパートナーに出会えないなど、
要するに、ないものねだりをしている場合だってある。経済的な問題で躓いているひともいるはずだ。
じゃあ、逆に「出産を願ってもできない人」というカテゴリーにはそういう社会経済的弱者は入りませんよ、というのかね?
体や心の障害に起因して、ある意味、病理的な意味で、出産ができない人を指すのだと定義したりしてしまう?
そうすると、今度はむしろ、健常ならできるはずのことができない人々は悔しいと思っているに違いない、かわいそうだから、産むとかそんな言葉に触れさせないよう配慮が必要っていう、潜在意識がますます透けてくる。
でも心身の問題で出産できないというのを、自分にはいかんとしもしがたい宿命的なものして捉えた場合、
それって社会経済的な理由で出産できない場合と実際のところ、地続きだと思える。
例えば、親の介護など家庭の事情で適齢期を逃した人がいたとするよね。それってその人にとっては、自分の意思で選んだわけではなく、自分にはどうにもできなかった、そういう運命だったという意味では、病理的に出産できないという宿命とさほど変わらないようにも思うんだよね。
「出産を願ってもできない人」
産みの苦しみとかいう表現を嫌がるような、そういう配慮を要するグループがあたかも存在するかのように、それを空気のように記事するマスコミのほうが怖い。
障害者や病人ができなそうなことを比喩的にでも表現するのは彼らを傷つける行為だとする空気をまん延させることは、「そういうカテゴリーの人たちを可哀そうだと思うべきだ」とする社会規範を空気として押し付けてくることだ。
そこでは、知らず知らずに、どこまでが可哀そうなグループで、どこまでが身から出たさびとみなすグループなのかの選別が空気として形成される。
実際には、よくよく考えると、どこからどこまでが配慮を要する、などと到底割り切れるものではない。誰かを傷つけるかもしれない、と配慮することはそのイメージから漏れた人を知らず知らずに排除することでもある。その意味で、病理的な意味で出産ができない人に限定して、「出産を願ってもできない人」というイメージを作り上げるなら、それは差別的ですらある。その場の雰囲気で、発言の文脈をよく考えずに配慮を求めることで、逆に、特定のグループを過度に保護し、そのグループを弱者として固定化する結果を招きかねない。
抽選結果で「落選」はやめます 都立中高説明会、表現めぐる指摘受け [東京都]:朝日新聞デジタル
これなんかも、「受験生」の感受性因子(susceptibility)を過剰に捉えていて、おかしなことになっている。
「出産を願ってもできない人」なんていうふわっとしたイメージは、そもそもそんなに必要かね?
これは、戦時中の、「兵隊さんご苦労さん」っていって兵隊を敬わせて背中を押し、銃後の守りを頑張らせようとするのと近い話で、マスコミは世間の空気をつくることができるのだから気を付けてもらいたい。
「配慮に欠ける可能性がある」という、世論を規範的に誘導する表現は、プロパガンダとしても機能してしまうので、正直、よっぽどのことがない限り使ってもらいたくない。
必要だとすれば、なぜ必要だと認識しているのか、マスメディアにはよくよく考えてもらいたい。
言論空間を浄化して、きれいな発言だけをすればいいというものではない。
浄化できるというのも幻想でしかなく、「女性なら生むべきだ」という固定観念を打破し社会的包摂性に配慮したつもりでいて、内実は単にステロタイプな別の固定観念が形成され、それが政治利用されることもある、ということも頭に入れておく必要があるだろう。
政治家の発言に過度な配慮が求められると、知らず知らずに本来の意図や文脈が歪められる恐れがある。
特に選挙に絡んだ発言については、妙な世論誘導に使われかねない。
自由な表現が妨げられることで、社会全体の健全な議論が損なわれることになる、ということの不利益をちゃんとマスメディアは理解しておくべきだ。
まず端的に言うと、日産自動車がやっていることは
「調達部門員(※1)による下請事業者(※2)の買いたたき(※3)」である。
これは”下請代金支払遅延等防止法(通称:下請法)”という法令に対する違反行為であり、
早い話、法人としての日産自動車はもちろん、それを行った一社員個人も完全なる犯罪者である。
そしてゆくゆくは日本経済全体を不況に陥らせる元凶ともなるほどの悪行なのである。
度々報道されているのに世間が今一つ騒ぎ立てないのはいまいち聞き慣れない言葉が多く、
日産自動車がやっていることの具体的に何が悪いのかが分からないせいだと思う。
ある程度の大きい会社になると、外部業者から物品を買うことだけを仕事としている部署がある。
業務内容は購入する物品の相見積(複数の企業に同じ条件を提示して価格を提示させること)候補企業の選定、
調達部門に所属する者、”調達部門員(通称:バイヤー)”としてのアイデンティティは何といっても「価格交渉力」である。
良いものを安く買い付ける。
調達部門で出世を目指すなら、これができるかできないかにかかっていると言っても過言ではない。
営業職が物品を売って売上げを立てるのが仕事なら、調達職は物品を安く買って原価低減をするのが仕事。
小中規模程度の企業では誰かが意図せずしてこういう業務を自然と兼務してるので、「調達」とかいわれてもいまいちピンとこない。
○(※2)「下請事業者」とは?
乱暴に一言で言ってしまうと、商取引における「弱者」のことである。
厳密には下請法で定められており、詳細は省く。
件の日産自動車の例に当てはめると、日産自動車は「資本金3億円以上の親事業者(=強者)」とされ、
その日産自動車と取引をしている大部分にあたる企業は「資本金3億円以下の下請事業者(=弱者)」と下請法は定めている。
日産自動車の資本金は現時点で「6,058億13百万円」。ついでに言うと連結従業員数は「131,719名」。
それに対する外部業者の大半は資本金1千万円以下、従業員数も100名に満たない。
力差は歴然としている。
この明かな力差を下請法では定量的に明確化し、弱い方を「下請事業者」と定めている。
○(※3)「買いたたき」とは?
圧倒的強者と圧倒的弱者間の商売では、絶対的な力差による理不尽的不利益が生じる。
強い方(親事業者)はいわば「選ぶ側」。相手は自身にとって都合の良いところであればはっきりいってどこだっていい。
対して弱い方(下請事業者)は「選んでもらう側」。選んでもらえなければ売上が立たず、経営は成り立たなくなる。
よって「買いたたき」が発生することは避けられない。
「買いたたき」とは、”通常支払われる対価に比べて著しく低い額を不当に定めること”である。
選んでもらえないと経営ができなくなる相手の弱い立場を見透かして、
選ぶ側が傍若無人に好きなように身勝手な条件を押し付け振舞う。
「買いたたき」とはこのような行為を指す。
概要ではあるが冒頭の用語を説明し終えたところで、もう一度言う。
日産自動車がやっていることは「調達部門員による下請事業者の買いたたき」である。
下請法は「下請取引の公正化・下請事業者の利益保護」を目的とした法律である。
公正化・利益保護を害する行為は行ってはならないと定めている法律である。
これに日産自動車の調達部門員が行っていることを当てはめてみると、
「下請取引を優越的地位を乱用して一方的に著しく低い額を不当に定め」、
「下請事業者が本来得て然るべき利益を不当に迫害」しているのである。
これに対する罰則は「親事業者の代表者、代理人、使用人その他の従業者」に
「五十万円以下の罰金」を処すると定められている。
早い話、法人としての日産自動車はもちろん、それを行った一社員個人も完全なる犯罪者である。
内閣府が5/16に発表した1~3月期の国内総生産(GDP)速報値は、年率2%減というものだった。
これはダイハツ工業で発覚した認証不正による生産・出荷停止の影響が大きく、個人消費や設備投資が落ち込んだことが一要因とされている。
1万社以上の会社にはそれ以上の数の従業員がいて、それ以上の家族がいる。
その家族たちが本来得られるはずの所得が得られなくなるとどうなるか。
当然として消費を抑え、倹約に走る。
さらに許されないのは、下請事業者の本来得られるべき利益の行先である。
例えば適正価格1,000円の部品を日産自動車が不当に500円で下請事業者から買いたたいたとする。
こうすることによって日産自動車は例えば定価300万円で販売会社に売ろうと考えていた車を
299万9,500円で売っても利益は変わらず、日産自動車が500円値下げすればその車を買おうとしていたユーザーは
500円安く買えるようになり、可処分所得が増えることになるが日産自動車はそうはしない。
変わらず300万円で売るのである。
そして不当に買いたたいて得た500円は、自分の懐に潜り込ませるのである。
調達部門員が自分の仕事に箔をつけるただそれだけのために下請事業者を買いたたき、
ユーザーを欺き、
本来ならば大々的な不買運動をして断固糾弾すべき企業なのである。
日産自動車は下請法違反の疑いがあるとして公正取引委員会から今年3月に勧告を受けている。
普通だったらここで、社内中が下を上への大騒ぎになって是正に躍起になる。
仮にも誰もが知る大企業。
許されるはずがない。
ところが。
冒頭の通り、「調達部門員による下請事業者の買いたたき」なんていわれても、
それを見越してかどうなのか定かではないが、凝りもせず、少なくとも今月になっても
外国人に対して、
約3300万円のキムリア治療・約1000万円のオプジーボ治療を
生活保護(医療費が無料)・国民健康保険で対応するのはどうなの?
もし自分が外国人で、自国に皆保険が無くて、高額医療費が必要な病気になったら
日本語学校に留学ビザで留学して、国民健康保険に加入して、低額で高額治療を受ける。
国会議員は生活保護(医療費が無料)・国民健康保険を日本人限定に改正してください!
もし自分が外国人で、自国の皆保険が不妊治療を対象にしていなくて、不妊になったら
日本語学校に留学ビザで留学して、国民健康保険に加入して、低額で不妊治療を受ける。
国会議員は生活保護(医療費が無料)・国民健康保険を日本人限定に改正してください!
オーストラリアは、留学生に留学生保険への加入を義務付けています!
留学生保険に加入するには、政府指定医療機関の健康診断が必須です!
健康診断で判明した慢性疾患などに対して、留学生保険は保険金を支払いません!
所得制限の撤廃、妻の年齢が40歳未満の場合は1子あたり6回まで、
40歳以上43歳未満の場合は1子あたり3回まで助成(通算助成上限回数の制限廃止)、
www.mhlw.go.jp/content/12401000/000840271.pdf
約1000万円のオプジーボ治療を頂く、頂き外国人をつくるな!
続々認可の特効薬
約3300万円のキムリア
約1000万円のオプジーボ
https://twitter.com/Catsuzuchan_01/status/1747572319869182459
「中国人は制度調べ尽くして、本国の家族呼び寄せて、書類用意して半ば強引に健康保険を通し日本の医療を受けさせる。
tinyurl.com/kazoku-yobiyose
前の病院でも
せっせと納めた社会保険料で。
x.com/KRow_Dr_/status/1791761901552349598
「保険が使えるから日本に来た。全額負担なら絶対に来なかった」
x.com/moeruasia01/status/1791570525325570150
症状を医者に伝え、
やり取りに時間がかかる。
そして、いつもこういった
どう見ても70代なのに、
x.com/Naniwamono1/status/1791587361350172798
tinyurl.com/gaikokujin-funinchiryou
来日中国人が日本の医療制度に“タダ乗り”しようとしている!?
「医療費に業者への費用、滞在費をあわせて200万円ほどです」
国が定めるハーボニーの薬価は5万5000円で投薬期間は12週間。完治までには薬代だけで最低465万円がかかる計算となる。
「最近、日本語がまったく話せない70代の患者が、日本に住んでいるという息子と一緒に来院し、脳動脈瘤の手術をしました。
本来なら100万~200万円の治療費がかかりますが、健康保険証を持っていたので、高額療養費制度を使って自己負担は8万円ほど。
中国で話題「日本で会社作れば、医療タダ乗り」、保険診療天国ニッポンの落とし穴
中国人の間で注目されている経営・管理ビザとはどんなビザなのだろうか。
これは、外国人が日本で事業を起こし、経営や管理に従事する場合に発給される在留資格で、簡単に言えば「500万円を投資して事務所を設ければ日本で社長になれる」といわれているビザだ
意図がある申請者は、『病気の時だけ日本に来ることもできるのではないか』と悪知恵を働かせる可能性があります。また、当人の役員報酬により保険料が決まるため、納付する保険料を月額数千円程度と最低限の金額にすることも不可能ではありません
中国人の医療ツーリズム「健康保険制度で日本の病院を利用」がトレンドに?中国SNSやブログに解説記事も
日本の医療機関を利用する中国人の存在がさまざまな媒体で報道されてきましたが、
今回新たにネットで紹介されているのが
80歳のガン患者、
年齢制限がないのです。
健康保険証を手に入れたらあとは使い放題です。
人工透析:年間500万
ガンの高度治療:オプシーボ1450万
支払いですが、どれだけ高価な治療をしても支払いには上限があります。
保険料:5000円
留学ビザは就労不可ですから、当然に住民税非課税世帯になりますので、この値段になります。
また、75歳以上の後期高齢者の場合は、さらに安くなる可能性があります。
治療がおわったら国に帰りましょう。
もしくはそもそも語学学校にも真面目に通う必要はありませんので、住民票をいれて保険証をゲットした時点で、日本に律儀に滞在する必要はありません。
www.heritage.org/immigration/commentary/look-milton-open-borders-and-the-welfare-state
www.wsj.com/articles/SB10001424127887323728204578513151809466978
tinyurl.com/tokutei-ginou
tinyurl.com/ynb6nrcd
留学生の高額治療と感染症の対策を急げ 日本に来て割安な価格で治療を受けられる「抜け穴」
オーストラリアでは留学ビザ希望者に対して、政府が指定した医療機関での健康診断を義務付けている。
検査結果は、クラウド上に置かれ、オーストラリアの担当医師もチェックするという体制になっている。
そのうえで、留学生には「留学生保険」への加入が義務付けられている。
美容の治療や出産、そして出国前から把握されている高額な医療費のかかる慢性疾患(がんやHIV感染症)等については適用されない。
x.com/May_Roma/status/1662380238288855040
www.nikkei.com/article/DGXNASDG18H11_Y4A710C1CR8000/
生活保護受給の外国人4万7058世帯 過去最多 背景に無年金や語学力不足も
2018/5/3 05:00
www.sankei.com/article/20180503-6XU5F6YLGVPTLDVS6EUOAYYMTY/
(昭和二九年五月八日)
(社発第三八二号)
www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=00ta1609&dataType=1&pageNo=1
「生活に困窮する外国人に対する生活保護の措置について」の一部改正等について(通知)
(社援発0704第4号)
www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=00tb9594&dataType=1&pageNo=1
今わたしは女児です!って言ってる成人女性は一人もいないのに、元女児という事実とともにあの頃言えなかったNOを発信するのはそんなにおかしいの?成人女性は誰もが元女児なのに?あなたもそうだったのに?
女性は元は女児なので、てのを笑ってる人ら、現女性が元女児なのはまんまその通りの意味しかないのに「女児」とか「女の子」にミーム的な変な意味を勝手に乗っけてるからウケてるのかな?て思うけどつまりは文脈が読めないんだね
大人の女性が元女児であることを主張するのはキツいってなんかで見たけど
大人の女性が私は女児です!女児の扱いをしてください!って言いだしからヤバいやつだけど元女児だからこそ現女児を不快な状況から未然に防ごうとしてるだけでしょ
元女児を名乗のがキショいって意味がわからない。男女関係なく、みんな元・児童でしょうに。
子どもの頃(年齢的に女児だった頃)、嫌な思いをした経験を覚えているから、今の女児たちが同じ思いをしないように「大人になった今」現状を変えたくて声を上げてるだけだよ。あくまで今は大人です。 今、大人になってる女性を女児として扱えなんて一言も言ってないのに、なんでそんな誤解するのか本当に意味がわからない。
読解力がないのか、それとも元ポストの人にあわよくば男児として甘やかされたい欲があるのか。
でないとそんな発想にならないよ………
そもそも男児母が「子供なんだから仕方ないでしょ」って男児に女子トイレを使わせてて、男児に怖い思いさせられた女児や元女児がいい加減女に我慢しろはやめてくれ、って言ってるの。それに対して「産めばわかる」って黙らせようとしたのが子持ち。もともと子無しを下に見てるくせに何が母親叩きだ。
自分が知る限りでは保育園、幼稚園時代に性被害に遭ったという方がおられますので2〜3歳くらいから起こるのではないでしょうか(当事者に加害の意図はなくてもです)。厳密に○歳だから、というわけでなくとも男児を見たら不意に思い出したしまうということもあるのではないかと推察します。
最近Twitterで話題になっている「全国AIアート甲子園@i-SEIFU」(https://aikoshien.wraptas.site/)のすごさについてまとめる。
以上、「全国AIアート甲子園@i-SEIFU」(https://aikoshien.wraptas.site/)のすごさについてまとめた。今後もこのようなすごいイベントがいくつも現れると予想される。すごいイベントのすごさに注目したい。
俺は本当に「この人は髪を切ったのだろうか?」と思ったときにしか「髪切った?」とは聞かない
明らかにバッサリいってるとか、そこまでじゃなくとも疑問の余地はない程度だったら何も言及しない
ただ、なんか切ってる気がするけど切ってない気もするな…くらいの感じのとき、己の観察の結果を知りたくて「髪切った?」と聞く
これはたとえば、夜に船に乗っていて、遠くに明滅する灯りが見えたとき「あれって灯台ですかね?」と聞く、そういうシンプルな(かつそこまで切羽詰まっていない)好奇心の発露だ
「なるほど…いいですね」
何がいいのかは不明
共同作業者として他人の小さなミスに気づいているのに何も言わない
「増田さんなら気づいていると思って、意図してやっていらっしゃるのかなと思いました」みたいなことを平気で言う
なんか無意味に一歩下がって「謙虚で慎ましい淑女」みたいなポジションを取りたがる
共に良い仕事をしようと一歩踏み出す姿勢が一切無く、どこまで行っても言われたことしかやらない
言われたことも本当に言われたことしかせず、今まで7人中7人が言われなくてもやってくれていた周辺作業をやらない
自分の仕事でないと判断した範囲は、どんな軽微な質問でも「さぁ」 「わかりませんね」 「知りません」しか答えない
少しでも有用な返事を返そうという思いを一切何も感じない
でもたぶん彼女の中では「与えられた環境の中で凜として頑張っている淑女」なのだろう
自己評価だけはすっごく高い
男女それぞれに相性テストをかけあうのは、何も間違っていない。
ヒトのお見合いを長く見てきたが、お見合いは試しあい、真剣での試合そのものであり、鋭くしかし華麗に行う必要がある。
婚活においてサイゼリヤデートという話題で炎上するたびに思うのだが、題名とは違って実はかなりの人間がデートの中に"サイゼリヤ"を組み込んでしまうことがある。
以下において"サイゼリヤ"は、"マクドナルド"でも"ドンキ"でも、"スターバックス"でも良い。好きな単語に置き換えて読んで欲しい。
試される側からすれば、実はお試しとしては悪く無い。価値観を知る良い機会だからだ。
問題は、それが意図せずに組み入れられてしまったのか、意図してそこに行こうとしているかの差だ。意図しているのだとしたら試し方としては相当に幼い。
ただ、相手の価値観を変えてやろうと思ってなかなか変わるものでもなく、矯正すれば良いかと気楽に考えていると概ね悲惨な結末を迎える。
(価値観を後から変える成功例は自分の知りうる限り一組だけで、あとは残らず離婚している)
以下は、結婚相談所での経験も含めて、なぜサイゼリヤデートがダメなのか、なぜ相手を試す行為が良くないとされ、実は試す必要があるのかを解説する。
(具体例は当然フェイクや組み合わせを変えたりする)
総じて、結婚相談所は「結婚できる下地はあるが出会いが無かった」お相手同士の縁を結び、そのお手伝いをするところであり、
新兵訓練所ではなく、また訓練するインセンティブも薄い(よほど成婚率が悪いとかでないかぎり、ズルズル在席してもらった方が楽)ので、
多少の背景調査が入るお堅めの合コンだと思ってもらってほぼ間違いない。
多少の違いはあるが概ね合コンセッティング業者と言われても反論はできない。
いやいやお見合いと合コンは違うじゃん!と思ったあなた。貴方の感性は正常です。
そう、男女が出会う場所として本質的に同じだとしても、やはりお見合いと合コンは違う。
事前の準備の面倒さやドレスコード、会食場所を含めて、その差異は、マナーという言葉に集約される。
けっきょっくのところ、これは礼儀、つまり相手に敬意を表すことが出来るか、という点を見られているわけだ。
試しあいだとしても、相手に敬意を持ち、それをきちんと表現した上で、さらに相手を試したり知ることができますか?という。
つまり、サイゼリヤデートは、相手にきちんと敬意を払ったうえでセッティングしましたか?と問われている。
一般的には、初回のデート場所にサイゼリヤに行くのは、試し方としては拙く、無礼だ。
そんなこと言っても、初回の相手にどうやって敬意を表せば良いのだ!と憤るかもしれない。
自分がどう思うかではなく、相手がどう思うかにフォーカスして考える経験が足りていない。
そもそも結婚数そのものが下がってきている昨今、礼儀作法にうるさいご家庭はかなり減った。
実際のところ、気の置けない友人同士であれば、手土産無しにお宅訪問しても陰口をたたかれることはまず無い。
ただ、家を訪ねるのであれば手土産くらいは持参するだろうという常識が薄れても、それが礼を尽くすことになるかもしれないと思い至れないのは致命的だ。
(ブコメにハレとケの概念について触れているものがあったが、それでピンとくるようであれば読み飛ばしてもらって構わない)
じゃあ、デートにどこに行けば良いのだ!とキレるようであればまだ救いがある。調べたり改善する余地があるからだ。
サイゼリヤでも良いような女性とお付き合いしたいのだから、良いじゃないか、と考える場合は概ね笑顔で肯定し、長く在席してもらうことになる。
パブリックとプライベートとを、それぞれに応じて異なる振る舞いをすることが求められる、ということからわかっていないことが多い。
プライベートで、例えば家にいるとき、家族になった後での家の中での振る舞いで、厳格な礼儀作法を求められると疲れる、というのはわからなくもない。
「だから、サイゼリヤで価値観のすり合わせを」となるところがマズイのだ。デートはパブリックな場所で行われるものであり、特に初回のデートはパブリックよりだからだ。
さて、デートはプライベートな行事ではあるが、パブリックな空間で行われる。
次にこれが"婚活で行われるデート"の場合は、ここに"非日常"という軸が加わる。
冠婚葬祭に普段着で行ってはいけないというのは、それは非日常だからだ。
逆に言えば、高校生のデートであればサイゼリヤであっても問題ない。日常と地続きだし、場合によってはそもそも男女で食事をするだけで非日常だったりするからだ。
最後に、相手と自分との区別がついていない、という点があげられる。
これはもちろんグラデーションがあるだけで誰しもそうだが、極端に自分が中心になっていることがある。
相手が人格を持つ自分とは違う人間なのだということが分かっていないような振る舞いをされる方がまま居る。
これは男女問わずだし、誰しもが多少なりともあるが、自分の考え方が正しく、それに沿うべきだ、と考えてしまいがちだ。
サイゼリヤデートであっても相手は楽しむだろう、それが初回のデートであっても自分は嬉しいから、というものだ。
その時にお誘いした相手はどう思うだろうという視点が欠落している。
ここが"サイゼリヤ"を組み込んでしまうことがあると言った理由だ。
休憩にスターバックスによることが優しさであると感じる方もいれば、騒がしいスターバックスにデート中に寄るのは常識外れだと怒る方もいる。
どちらが正しいとか間違っているかということではなく、その相手がそう感じるという点が重要なのだ。
そんな初回の相手をエスパーでもないのにどう感じるかわかれなんて無理だろ!と憤るのもわかる。
そう、相手のことを心から理解するのは家族であっても難しいし、逆にそんなにピッタリだと不安になる方もいる(相手が自分に無理に合わせていたのではないかと)。
その解消がコミュニケーションであり、ここで相手と意思疎通ができるかはとても重要だ。
自分の言葉で相手に伝わるように言ったはずなのに伝わらなかったというのは大きなマイナスになる。
例えば、「相手からはデートのランチの場所はどこでもいいと言われた」というのが、「どこでもいいと言ったらどう伝わるか」とすでに試されているのだ。
もちろん、慣れていないと、ディナーの予約をしたつもりが、高くてあまり美味しくない居酒屋になってしまうこともある。それは仕方がない。
問題はそこから、どう軌道修正できるか、もしくはそういったところが良いのか実は非日常のデートなら違うところが良いのか、価値観のすり合わせが出来るかが重要なのだ。
際限なく譲歩する必要は無い。ここは譲れないラインだというのをぼんやりとでも持っておくことはもちろん重要だ。
いつもデートは帝国ホテルのディナーを予約してほしいというのは、受け入れられないとか。手違いでも居酒屋を予約するような手際ではムリだ、とか。
まだ家族になってもいない相手を試すのであれば、相応の礼儀を尽くしたうえで、失礼のないように試すべきなのだ。
だから、何度かデートを重ねたうえで、段階を踏んで、「お互い普段はファミレスに行くって言っていたし、どう?」と誘うのであれば何の問題もない。
両方がともに普段着で集まって、いつも行くような店に行こうとコミュニケーションが取れてからなら、焼肉でも二郎でも好きに行ったらいい。
いきなり相手を連れて行って試すような真似をするのは、本当に止めた方が良い。考え方が幼すぎる。
礼儀を尽くしてサイゼリヤに行ったんだと主張するのであれば、それはそれでも良いと思う。似合う人が見つかると良いね。
あなたから見れば、あなたは人生の主人公で、それ以外の人間は登場人物に過ぎないと感じるかもしれないが、実際はそうではない。
まあ、そう無理することも無いと思うんだよね。業界的にはその方が助かるし儲かるから。増田にしか書けないよこんなこと。
つーか、ぶっちゃけオマエ試してる場合なの?ってことの方が多いから、経験則的に言えば全員一律相手を試してる場合ではないでフィニッシュです。
相手を試さないといけないくらいひっきりなしにアプローチを受けてますなんて人は、ホントに出会いが無いだけで結婚相談所の能力と無関係に成婚するしね。
自分がやってしまったこと(例えそれがわずかなものでも)が確実に原因で起きてしまった不幸と、まったく自分に原因のない不幸とではどちらがより耐えがたいものだろうか。
前者は「あのとき自分がこうしていなかったら…」というような激しい後悔に苛まれるだろうし、後者は そのことの理不尽さの前でおのれの無力さをおもいしることだろう。
さて、その選択はとりあえず個人の手に委ねることにして、最初の問いの「不幸」を「恐怖」と置き換えてみよう。
[A]その人自身に起こるべくして起きた恐怖
と
[B]全く原因不明の恐怖
どちらがより怖いか。まあケースバイケースというか結局はその状況に立たされなければ答えは出ないだろうが話を続ける。
[A]の原因というのを、過去にはたらいた明らかに人道に反する行為、とより狭義のものとし、 それ以外を後者にいれるとすれば、一般的に「ホラー映画」と呼ばれているものはほぼ全てが後者を扱ったものだといえよう。
原因が呪いのヴィデオテープを見たということにしろ遺伝子操作に失敗して前代未聞のウィルスに感染してしまったことにしろそれらはとくに人道に反するというほどものではなく、せいぜい無根拠な禁忌を犯したという程度だ。
そして観客はその恐怖を、襲われている者に 感情移入/同化してともに味わい、それから逃れるとホッとして、それからまたそいつに襲われて……、 で最終的には原因が解き明かされるなり逃げ切るなりで幕は下りる。作る側も、いかに観客を引き込ませるかを意図して作っているし、そこで描かれる恐怖というのはあくまで襲われる側から見たものだ。
ところで、[A]の恐怖を描いた映画がいまやほとんどないのは、非のある者がこうむる恐怖を因果応報・当然のものとしてみなし逆に追いつめていく方が主人公として描かれているからである。
すなわち正当な復讐をする勧善懲悪の物語となってしまう。当然それは「恐怖= 襲われる側への感情移入により抱くもの」の図式が成り立たないのは言うまでもない。
では[A]の恐怖が恐怖映画として成立する場合とはどのようなものであるか。
それは、執行される復讐方法が観客に感情移入など到底させないほどおぞましいものであるときである。
観客を思考停止に陥れさせるほどの残酷なもの。このとき、その恐怖はまさに恐怖そのものとしてスクリーンに映し出される。
黒沢清監督作品『蛇の道』(1998年)はこのような映画である。
いや、これだけではこの作品を ひどく矮小化していることになる。
この作品の恐怖は、あるひとつの極点に立ってしまった人間がとってしまう行為の目をそむけずにはいられないような醜悪さが、これでもかこれでもかと露呈されていくことにある。
かといってそれは単に悪趣味とかたづけられるような類いのものでは断じてない。
それが、紛れもなく人間の性質によるので、恐怖を通り越してとにかく正視しがたいのだ。
それでもひとはこの映画を見るというほとんど拷問のような行為をやめようとしないのは、その恐怖の果てにも救いがあるはずだと信じているからにほかならないのだが……。
この映画での哀川はほぼ、人間の醜悪さを次々と 引き出す媒体として存在している。またその媒体としての仕事ぶりの的確さは、この世界の物理学的法則を解明していく学習塾でのもうひとつの姿とも重なり、存在論的に否定しがたいものとなるのだ。 あえて例えるならばこの作品での哀川の存在は、ルー・リードの声の響きのようだ。優しさ/慈悲深さと、 その奥にある圧倒的強度をほこる底無しの得体の知れなさ、そしてかなり強引なのにもかかわらず 抗いきれない魅惑にも似た正しさ(のようなもの)を備えている。
いや、やはりできるだけ見ないほうがよい。レンタルビデオ屋のやくざものコーナーに、絶対的「大凶」としてなにげなく陳列されているのが、 この作品の存在としてしごくふさわしいものだとおもわれる。
(2024年5月付記:リメイク版公開の報に触れ、四半世紀前にこのような文章をひっそり公開していたのを思い出したのでまたひっそりと匿名公開させていただきました。ニュアンスを変えない程度に改行等いじりましたが、死語である「ヴィデオ」」」云々の最終2行は削れませんでした。)
長年、自分の能力は人類底辺と思って生きてきたら上を行く底辺があらわれた
4ヶ月経っているのになーんもできん
なぜか他部署に不明点を聞きに行いって(他部署なので意図がわからず)何のための質問なのか聞き返され無言で立ち去り
懲りずにまた同じ他部署へ不明点を聞きに行き今度は教えてもらうも「間違いありませんね?」と高圧的な態度で念押し
どうやら年下の女性を軒並み下に見ている上に後ろから近付いて耳元で話し掛けるため評判は最悪
業務分散のための採用だったはずが新規で負担しか増えておらず弊部署の残業時間は平均の三倍を超えた
上記参照
このツリーおよび前述 http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache%3Ahttps%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2F20240509140340 トラバ欄
どちらも元の議題には触れずに「どのくだり?」「どこ?」の質問返しを連呼して押し切ろうとしていることが確認できる
(まあこのツリーは最初から罵倒以外何も議題なさそうだけど…)
たぶん https://anond.hatelabo.jp/20240509151620 このあたりで「YESと答えてもNOと答えても意図しない主張を認めたことになる状態」に追い込まれて「詰んでいる」って言われたのがよっぽど悔しかったんじゃないかなぁ