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はてなキーワード: 結果論とは

2024-06-12

お仕事効率厨彼女

たぶんはてな人達は、相手の人のことを擁護しそうな、そんなお仕事愚痴の話。

たぶん、どこの職場にも一人くらいはこういう人いると思う、ありふれた愚痴の話。

増田は楽しく書く場所なので、楽しく書いて流させてちょーだい。

 

新年早々からプロジェクト始動し、それに加えて従来の仕事も並行して進めていたんだけど、新年度の人事異動で他の部署事故が起き、玉突き事故が起こって我が部署結構ダメージを受けた。

残業をしてもしても果てがないし、みんな限界に近く、実際倒れた同僚もいた。

このままじゃ本当にいけないねーってことで、また別なところから応援の人を寄越してもらうことになった。

たぶん上からは遣り手って思われていて、このまま行けば恐らく管理職になるんだろうなあっていう人。公務員でいうなら主査みたいな立場の方である

先月からこの応援の人が来ているんだけど、開口一番こんなことを仰せになった。

 

「この部署はとにかく非効率なので、私がすべての仕事効率化して差し上げます

 効率が悪いせいで、これだけの人数がいても回っていないんです。

 大変忙しい皆さんの残業ゼロにしてあげるのが、私がここに来た意味です」

 

同僚みんなでぽかーんとしてしまった。

私の中でこの遣り手の彼女あだ名効率厨に決まった。

部署に頭を下げて応援を呼んだのは、既に私たちが取りかかっている仕事を手伝ってもらうという意味が大きかったんだけど(あくまでもこの方は応援でいらっしゃる方なので)、

なぜか今取りかかっている仕事のやり方の確認見直しが始まり、そして「これは非効率からやるな」というお達しがいくつか下された。

彼女立場的には上司ではないので、私や同僚が従わなければならない理由はあまりない。

しかし、口調こそひたすらに丁寧語であるが、妙な威圧感があり、それから口がよく回るので、生半可に反論しようものなら言いくるめられる。

ここら辺は文章だけでは上手く伝えられず、それが非常に残念である

あとナチュラルこちらを見下した言動を取るので、ぜひ増田の諸氏にも聞いて頂きたかった。

まりにも自然に見下すので、呆気にとられて反論ができないのだ。

 

私がやっている仕事は、効率だけ求めてもあんまりいいことがない、と私は捉えている。

かにやるべきことだけやれば、すぐ終わるんだろうと思う。

ただ、やるべきことに加えて多少は気を回すことも求められる仕事ほとんどだ。

例えば、仕事ひとつに、週に一度データを吸い上げて所定のフォルダにアップして共有するって作業があるんだけど、どうして定期的にデータを吸い上げるかというと、そりゃ経過を確認したり、異常が見つかったらアクションを起こすためだ。

もしも異常に気付かず放置したら、結構な損害も出るし、他人人生にそれなりの打撃がある(大袈裟な言い方だけど、金銭的な意味でも時間的意味でも打撃を与えることになる)。

なので、データを吸い上げたら、最新のデータをアップしたこと簡単な注意点を加えて連絡のメールをしていたんだけど、

「毎週同じ場所にアップしているってみんな分かってるんだから、そんなメールは送るだけ無駄だよ、やめなさい」って言われてしまった。

(この件に関しては上司が不在のときに言われた。後日上司相談したところ、従来のやり方でいいと言われたので元に戻った)

 

メールひとつ送るとか送らないにしても、こういうやり取りがあって、それ自体がひどく煩わしい。

と同時に、こちらでは今まで必要だと思ってやってきたことに対して、この効率厨さんは特に考慮することなく、手数を減らすことだけを求められて、辟易している。

そして大変ありがたいことに、彼女効率的に仕事をしているか監視もしてくださっているのだ。

我々の一挙手一投足、メールひとつひとつにまでを確認してくださる。

果てには、こんなメールには部署全員にCC入れる必要ないよねとか言われた。

効率のためなら共有は要らないらしい、なるほど、大変参考になります

メール以外の、例えば作成した書類ダブルチェックなどをお願いしてみても、その書類の作り方がいかに非効率かを説明されてやってくれない、というような状況である

そんなに色々言うならばあなたがやってくれるんですか? と聞くと、それは私の仕事じゃない、とのたまう。

 

仕事感情不要かもしれないけれど、人間にはどうしても感情がある。

これまで大量の仕事をこなしてきて、肉体的にも精神的にも疲弊していた同僚の一人は、我々のこれまでの仕事否定し、私たちを全く慮ってくれない発言の数々を受けて、また寝込んだ。

私自身も1ヶ月はなんとかやれたけれど、もしこの効率厨の彼女正式に異動ということになったら、耐えられるかどうか正直分からない。

効率うんぬんよりも、まず否定から入ることが何よりつらくてしんどいんです……。

書きながらこの1ヶ月のことを色々考えたけれど、まずはこれである。全く寄り添ってくれないことが、思っているよりつらかった。

 

効率云々は置いておいて、彼女にはズルいしひどいなーって思うところがある。

自分で「これはいいアイデアだ」と思ったら確認取らずにすぐに行動する。

上長許可とか取らず、上長の目を盗んで独断ガンガン進めてしまう。

ひどいとき上長が在席していても勝手に進めちゃう。さすがにこれには上長氏も怒ったけど「私は正しく効率的なことをしている」と考えているらしく、まったく悪びれない。

実際、彼女勝手に片づけてくれたけれど、彼女以外置き場所を知らない(我々に共有されていない)書類がいくつかある……。

上長がいないときには効率うんぬんの演説が始まる。

もう勘弁して欲しい、こちらの精神がすり減っていく。

上長結構会議で不在の場合が多く、そうなると雑談と称してこの演説が始まる。

その中でこの部署いかに非効率かということも語られる。

最初にいらしたときも、上長は紹介もそこそこに会議に行ってしまったので、自己紹介代わりに演説をされてしまった。これが本当によくなったと思う。結果論なんだけれど。

 

書いてスッキリしたのでおやすみなさい。

最近はあまりよく眠れなかったが、今日は長文を書いたしなんとか眠れそうな気がします。

 

2024-06-08

松本人志さんはクリーンな人だったんだろうな。

彼がテレビに出なくなって数ヶ月経つ。

現実というのは冷酷なもので彼がテレビに出なくなっても何ひとつ問題なく業界は回っていく。

あと1年もすれば完全に過去の人になるだろう。

松本さんの影響力は、一日一日と目減りしていくばかりだ。

そういった状況にあるにも関わらず、あの報道のあとに続く暴露記事のようなものがほぼ「ゼロであるという事実

これはどういうことなんだろうか?

私はもうちょっとエグい話が次から次へと暴露されていくのだとばかり思っていた。

この件の、当事者である文春も続報がいくらでもある、弾は山のようにあるんだというような風を装っていた割には数ヶ月経っても何も出してこない。

確か、松本さんがマッサージ店で本番強要を行い、その被害者警察被害を訴えた、というようなことも報道していたように記憶しているが、あの件などはどうなったのだろうか?

この本番強要のような違法行為被害者警察に訴えた場合過去の同様の事件における芸能人の事例を考えても警察有耶無耶にするようなことはないはずだ。

にも関わらず、彼が取り調べを受けたというような話も全く持って聞かない。

まず、これはほぼ確定かな?と思うことは彼が特権的地位を利用して女を食い物にするというような行為したことがなかったのだろうなということだ。

これは「私も松本性的暴行を受けました、、、」というような枕営業したことがある元タレントたちがひっきりもなしに出てくるなんてことがなかったこからもわかる。

さらに彼が度々参加していたという手下たちが集めた女性との飲み会報道されたようなひどいものではなかったのだろう。

でなければ、もっと被害者」が出てきてもおかしくないはずのものだ。

彼が地方に行く度に手下たちは、女性を集めて接待を行い、セクハライベントを行っていたというのだから、延べ人数にしたら相当の参加者がいることだろう。

にも関わらず、文春が報道した他には「被害者」が出てこない。

これは一連の報道内容と符合しない結果だ。

更に突っ込ならば、あの報道が加熱していた当時、文春は続々と「被害者」の情報が集まってきていると主張していたはずなのに、その後の続報がない。

以上のことは、あくま結果論しかないのだが、おそらく松本人志さんはクリーンな遊びしかしていなかったんだろうな、と推定される。

でなければ、今の状況になっても何ら展開がないのは辻褄が合わない。

2024-06-04

日テレは結局脚本家を守っていない

小学館のほうのセクシー田中さん報告書を読み切ったが

日テレが出した報告書だと脚本家の非が大きく見えたものが、小学館のほうだと脚本家は仕方なかったという結論になっており、脚本家を守るような内容になっているのが何故だろうかと。

日テレ立場としても節々に脚本家を守りますという意図は読める。わりとわざとらしく。

しかし内容を読めば脚本家がこんなことを言ったので、日テレは困り果てちゃったよぉという内容なのだ

小学館の気付きは遅かったのかもしれないが、気づいてから脚本家を責める姿勢を止めている。

SNSを見た芦原先生に対して脚本家がなにも知らない可能性があると言うほどだ。

時系列をみればSNSトドメだったようにも見えるが、すでにこの時点で芦原先生限界なのである

結果論小学館の読みが正しく日テレ脚本家へのディスコミュニケーションが極まっていたのだ。

小学館脚本家批判する姿勢を全く取っていない。また内容証明なども大して問題にしていない。これは意外な態度であった。

しかし庇ってはいない。庇ってはないが事実を羅列するとそれが正しいといった感じである

また両文を読んで疑問に思うのが、制作側のスタッフが一人の若手プロデューサー中心に回っており、現場は大混乱に陥っていそうなのだが、チーフプロデューサーがなかなか出てこない。

しかたかチーフは来れなかったと日テレ結論づけているが、流石にどうだろうこれは。一人のプロデューサーが背負う責任にしてはかなり大きい事案だ。

たここに出ていないスタッフが気になる。演出存在だ。演出といえば映画で言うところの監督位置である

スタッフを見ると映画経験もあるベテラン日テレドラマ監督演出に参加している。しかしこの人物報告書ほとんど出てこない。

現場は何を知っているのか正直非常に気になっている。若手プロデューサーはこの現場ちゃんと把握していたのか?脚本家意見大事にせず、原作者意見無視し、なにに従ってドラマ制作していったのかが全くわからない。よく完成させて放送できたもんである

果たしてこの報告書日テレが庇いたかったのは誰なんだ?

日テレ演出制作スタッフ範囲を広げて追加で聞き取りすべきだろうし、小学館は…もしかしたら裁判に持ち込む気なのかもしれないが、ここで膿を出し切るのは後のために重要だろう。

これじゃあ円盤ボックスがでたときにつくようなスタッフインタビュー以下の内容だ。

2024-05-31

anond:20240531130733

すぐそこと今すぐが15分だったことがわかったのって結果論だったんだろ?

anond:20240531110922

15分で家族が来たのは結果論家族が来るのが1時間後だったらどうすんだ?ずっと待つのか?

警察なら仕事として待てる=責任も持てるがお前は責任も持てないうえに自己満足で連れを待たせている。そういう想像力のなさに呆れてんだろ。

2024-05-20

考えて欲しい もし自分子供なら自分という親の元に生まれたいと思うか否か

結局のところこれに尽きると思うんだ

俺だったら申し訳ないけど嫌だし、避けられるのであれば避けて欲しいと願ってしまうな

子供は俺自身じゃないとは言え、だからと言って自分が嫌と思うことでも他人にならしてもいいと思える人種でもない限り、普通に無理なんじゃないかと思うわ

パートナーが欲しがるからという理由なら、それは自分自身が望んだものでない以上、能動的な選択の結果でない分、なにかあれば投げ出す可能だって大きくなるだろう

出来てさえしまえば我が子が可愛くて仕方なくなるみたいなこと言って誤魔化す人もいるが、それってどこまでも自分の都合の良いように物事捉えてるだけで、子供のことなんて実はこれっぽちも頭の中にない考え方の代表だと思う

結果論的に子供自身の生まれに満足したケースのみが大きくフィーチャーされるばかりで、子供が満足しなかった場合、満足させられなかった場合、その責任を親は取ることが出来ない

せいぜいが悲劇ヒーローヒロインぶって自己満足の「それでも子供幸せのため一所懸命頑張ります」ロールをやるぐらいで、なんならあわよくばその自分の愛にいつか子供が気付いてくれたら、とか思ってそうでもある

ていうか最悪、虐待かに発展していっても、なんの不思議もないしな

自分が嫌なことでも、他人になら平気でそれを押し付けることのできる人間なわけだし

そんな風に自分に酔い痴れる前に、そもそも自分自分の子供なんて嫌すぎるという考えがあったのならば、そのような状況に陥る可能性が高いことぐらい見えていたはずなわけで、そのリスクそもそも何故犯したんだって話に究極的にはなる

意図せず子供が出来てしまうことはあると思うが、それが自身の迂闊さ故である場合は、あまりにも見通しが甘すぎて、子供自身の生まれに満足しない未来に怯え続けて、結果的子供が満足してくれることをひたすらに願って行動するしかできなくなる

子供が出来てさえしまえば論の正体は結局のところこれで、恐怖によって無理矢理に笑顔を作らせて幸せ演出させることに他ならない

もちろん、これは表題の通り、もし自分自分の子供なら嫌だと考える人の話で、そうでないならこの考えが当てはまらないことは分かっている

から、結局のところこれに尽きると思うんだ

考えて欲しい

もし自分子供なら自分という親の元に生まれたいと思うか否か

anond:20240520171203

世襲が上手く機能する場合もあるけど独裁体制みたいになる場合もあるんで結局ケースバイケースの結果論しかないのでは。

2024-04-16

今季菅野はい

結果論ではなく投球を見るだけでこいつ勝つだろと確信できる

2024-04-13

anond:20240412143938

いずれも単なる憶測に過ぎず現時点で全てハズレなのに、何故か大谷好意的憶測は許されるという

なお、憶測が当たってたとしても結果論であり、そもそも憶測ものを言うこと自体が同レベル

2024-04-10

anond:20240410062956

デモをして訴えても変わらないならみんなで一斉に一緒にやめる

みたいなことができない

会社に対して権利主張できない愚か者日本人の発想

意味のあるなしとか結果論じゃないんよね

お前の私見がどうであれ、

実際の結論裁判官次第

争うのに愚かも無意味もクソもない

必要な主張をすることに何の問題もない

2024-03-27

彼はどうすりゃよかったのか

私は彼の書くものが好きなんだけれど、一体どこから彼は過激になってしまったのか。最初からだったのか。弱者論やジェンダー論に触れてるうちに、あるいはエゴサしてるうちに、インターネット猛毒にやられたか。見ていると、玩具にされたり批判を含めて否定されることが許せない人のようだった。仲間内から批判被害と捉えているようだった。というか発達障害があってもなくても、インターネット無限玩具にされて正気でいられる人居ないかもしれない。わたし発達障害持ってるけど、リフレイン定型より酷い。だからずっと考えてるはずだ、彼は彼を傷つけた人間たちのことを。そうするとどうなるかと言うと被害体感が何倍にもなって不安定になる。(どこかで見たなと思ったがそれは私の母だ)。そして傷つきやすくなって、ぽっと出の批判で激昂する。それも彼の周りにはYESしか言わない取り巻きがいるので、増幅されるだろう。

彼を見てるともしかするとこうやって自分で作ったコミュニティを何度か破壊して来たんじゃないかとも思う。

インターネットを放り出して全然やれないなんか言ってんの?位の温度感の方がきっとよかっただろうな。発達障害があって、たくさんの批判ネガティブ意見ストレスフルで見るのは得にならないことが多すぎる。特に有名になってからは。でも、そんなの結果論だ。

休むが一番優先!って言ってた時の彼が好きだったのになぁ。これが難しいんだろうけどなんもかんも忘れられるところにいってあなた誰も知らないところで休んでくれればな。別に名前を捨てても逃げてもいいじゃないですか。やります!って言ってやれなくて、笑われてもいいじゃないですか。インターネットを放り出して、万歳して逃げ出してもいいじゃないですか。今のあなたはもうそんな状態ではないのは重々しょうちで、これはただたんに勝手なこと言ってるだけなんだけれど、あんなやつらに沢山かまってないで、あなた文章がたくさん読みたかったよ。

2024-03-20

結局ウクライナはすぐ降伏してた方がマシだったよね

結果論じゃないよ、答え合わせだよ

最初からすぐ降伏すべきと言われてはいたからね

2024-03-14

anond:20240313234529

せやで。

ちなみに葬儀場の話は府立大学の近くに建設予定のあった話ね。

結果論だけど阪急スクエアリニューアルもされたことで、店も多くなって楽しくなったし、パチ屋の話が潰れて良かったわ。

2024-03-12

anond:20240312122933

とうすればダウィンチやピカソ大友鳥山みたいな「革新」を起こせるような画境を開けるの?

ひたすらやっても、っていうかみんな漫画家自分なりにひたすらにやってる、あるいは考えた量と描いた量だけなら彼ら以上の人もいると思うんだけど、それでもその他大勢作品しか作れず埋没して死んでいくだけだよね?

もう何それって素質の有無ってやつ?でもそうやって革新を起こせて自分には素質があったと初めて結果論でわかるだけだから、そうでないうちは自分に素質があるかもと突き進むか、諦めながら『もしかして素質あったかもしれないけど不確定なことに時間努力注いでもしょうがないよな』って思うしかないのか?

革新を起こした本人でさえ、「この絵なら確実に革新を起こしたと評価される」と確信をもって自由自在そういう絵を生み出していたわけじゃないと思うの。

自分自身に素質があるかどうかは他人を介してしかからない…

anond:20240312090240

「子は鎹」は結果論

って書き方なんだから慣用句の類であることは読み取れるやろ。

「子は鎹」は結果論

そもそも子が現れた事で発生するアクシデント夫婦仲が悪くなるのに、それを子が取り持つというのは意味不

なのでこの言葉は嫌い。

2024-02-26

anond:20240226110255

本当にインフレ追従目的だったら、オルカン選択肢として下の下だぞ。インフレリスク全然関係ないリスクを取りまくっているから。もちろん、それでラッキーインフレ追従以上のリターンを得られる可能性はあるけど、結果論として儲かっても目的外のリスクを取っていた過ちは過ちだ。

2024-02-25

アイドルマスター界隈って女性オタク界隈みたいな所あるよな

・(筆者男です)(追記しました)男だけど異常に胸がデカキャラが苦手

ttps://anond.hatelabo.jp/20240208215941

女性オタクの棲む暗い池について

ttps://note.com/meisounote/n/nbed9573f66a5

先日、これらの記事を発端としてインターネットでは何度目かの「女性オタク界隈特有文化に男オタクがたまげる」イベントが開催された。

件の記事がどれだけ性格かは定かではないが、女性と思われる一部のアカウントらの反応を見る限りはそう大きく間違ってはいないように思える。

(私見を述べさせてもらうなら女性オタクにはクレーマー気質人間が多いというよりは男性オタク界隈でもクレーマー気質人間は発生しているが無視されるかボコボコにされるかの二つが殆どでその一方で女性オタク界隈ではそのような人物相手でもまともに取り合ってしまう人が現れてしまうため増長されやすいという構造があるのではないかと考えている。)

本題に入ろう。実はこの手のイベントが開催される度にいつもとある考えが自分の頭の中に渦巻いていた。

自分がいた頃のアイドルマスター界隈にもこういう所があったな」と。

自分は既にアイマス界隈から距離の遠いところに来てしまって久しいため今でもアイマス界隈が当時のままなのかは判りかねるが、当時のアイマス界隈でも所謂「学級会」や「お気持ち表明」と称されるイベントは定期的に起きていた。

ちなみに内容はというと「担当アイドル※の設定が変更されてしまった」「担当アイドルイベントでの出番が少ないような気がする」「一向に担当アイドルCVが決定しない」「担当アイドルSSRが後回しにされている気がする」といった主に担当アイドルの扱いの悪さに対する不満が殆どである

※厳密には異なるのだが概ね「推し」のようなものだと思ってもらって構わない。。

そうしてこの手の話題になる度にアイドルマスター界隈(と女性オタク界隈)の性質について少しずつ考えていたが、この度ようやく考えがまとまったためここにそれを垂れ流すことにした。

といってもそこまで難しい話をするつもりはなく、言葉にすればシンプルな事である結論を先に書かせてもらうと要するに重要なのは「その作品に対してどれだけ『真剣(マジ)』になっているオタクいるか」という事である。「どれだけ深く入れ込んでいるか」と言い換えてもいい。

念の為に予め言っておくがこれに揶揄意図は一切無い。しっかり線引きはしましょうという留保くらいはつけておくが元アイドルプロデューサー自分としてはむしろコンテンツ真剣(マジ)な姿勢で挑む事には好意的ですらある。学校文化だって斜に構えた態度でいるよりも真面目に取り組んだ方がなんだかんだ満足感が高い訳だし。

正直に告白すると、男性オタクよりも女性オタクの方が真剣(マジ)なオタク割合が高そうだという偏見自分にはある。創作経験があるオタク多寡ミーム定型文に頼らない感想の出力。フィクションの展開の影響を受けて実際に体調を崩す。推しと対面して泣く。ライブで気絶する。同担拒否。いずれも(男オタクにもこういう事例が無い訳ではないだろうが)女性オタクによく見られるケースという印象が強い。

アイドルマスター界隈もまた同様に真剣(マジ)なオタクの多い界隈である。(もう一度記しておくがあくま自分が界隈にいた当時の印象と伝聞を元にした話であり今でもそのままなのかは判らない)

何故かというと、それはアイドルマスターリアルフィクションの境目を壊す試みにずっと大真面目に取り組んできたコンテンツであるからだ。ぶっちゃけ異常者の域に片足を突っ込んでいる。

例えばアイマスライブには演者自身が演じているキャラクターを舞台上で「再現」するという文化がある(もしかしたら他の二次元アイドルコンテンツにもあるかもしれないが)。あれは自分に言わせれば二次元上のキャラクターを三次元人間の上に降ろそうとする一種の降霊の儀式だ。声優ネタキャラクターに逆輸入されるかつての風習もその精神性の延長線上にあったものだと自分解釈している。

それになんでも最初アイマスであるゲームセンターアーケード版の時点からフィクションリアル侵食してくるような試みは存在していたそうだ。なんと、しばらく店舗に通っていないとプロデューサー(プレイヤーの事)に見捨てられたのではないか不安になったアイドル達が実際にEメール送信して切実に訴えかけてくるというのだ。今やバンダイナムコ常套手段である女の子」を見捨てられないという男の本能、その脆弱性を突いた卑劣人質商売がこんな早くから行われていたとは、驚きの極みと言う他ない。

当時が全盛期だったニコニコ動画という動画サイトに、原作ゲーム動画編集して制作した担当アイドル自作MV投稿したり、担当アイドル二次創作小説紙芝居(ノベマス)を投稿したりして、それで同志である視聴者コメント交流していていたニコマスという文化も、リアルフィクションの境目を曖昧にし自分はこの子担当プロデューサーであるという自覚、いや錯覚を強める事にきっと大いに貢献した事だろう。残念ながら自分世代ではないため当時の空気感を伝聞や当時の動画を視聴する事で推し量る事しかできないが、自分にはこの時代が「プロデューサー」というロールプレイをするにあたって最も恵まれていた時代だったように思えてならない。

そしてそのリアルフィクションの境目を壊そうとする姿勢は「シンデレラガールズ」(デレマス)にも受け継がれる(デレマス場合商売っ気がやや強すぎる気もするが)。

代表的ものはやはり悪名高い「総選挙システム、そしてそれに端を発する声有り・声無しという概念だろう。初期のデレマス(当時はモバマスと呼ばれていたそうだ)はどのアイドルにもCVが付いておらず、ゲーム内のイベントであるシンデレラガールズ総選挙で上位に入賞するとそのアイドルCDデビューが決定し、それに伴ってCVも決定するという流れがあったらしい。勿論、ここでいうCDデビューとは現実世界でそのアイドルの歌とトークが収録されたCDが売り出されるという意味であり、故にデレマスPにとって総選挙とは「実益」が絡む完全に「現実」の話となる。

そしてデレマス総選挙における「有権者」とは、(奇妙な日本語ではあるが)プロデューサー(ユーザー)の事である。そのため同じ現実人間である同僚プロデューサー達に対して担当アイドルプレゼンもとい演説を行い、投票を呼び掛けるというまるで現実選挙のような活動を行うインセンティブが発生する。その「選挙活動」に端を発する文化として、互いに手持ちの票の一部を相手担当アイドル投票し票交換を行うグループが現れたり広くプレゼンを募って気に入った担当アイドルに手持ちの票を分けるユーザーが現れたりなどがあるが、最も自分の印象に残っているのはやはりプロデューサー自身インフルエンサー化であろう。それもプロデューサー活動の末に自然自分も有名になっていたという結果論ではなく、みんなに担当アイドルの魅力を知ってもらうためにはまずは自分自身が有名になり影響力を持つ存在にならねばという戦略ありきである自分プロデューサーの端くれとして彼らがそうした理由理解できるし感情についても共感はできるつもりなのだが、やはりこの現象俯瞰で眺めた時にどこか滑稽である事は否めない。(こうした現象現実にも存在し、例えば作品宣伝するために自分自身が有名になる事を出版社から求められる作家アカウントなどがある。)

シンデレラガールズとは姉妹のような立ち位置にある「ミリオンライブ」(ミリマス)にもこの選挙というシステム採用したイベント存在する。とはいえミリマスの場合提示された幾つかのテーマにそれぞれ登場する幾つかの役の枠を奪い合うというルールであり、フレーバーとしては選挙というよりはむしろ公開オーディション表現した方が近い。そして当然これも現実CDとして発売されるため、やはりミリマスP達もデレマスP達と同様に戦場に赴く事を半ば強いられている状況下にあると言っていいだろう。

そうはいってもデレマスと違って最初から全員にCVが付いているミリマスでは声有り声無しの格差存在しないぶん比較平和なのではないかと思う人もいるかもしれない。その見方に一理ある事は認めよう。だが、ここにもまたここだけの地獄があるのだ。

ミリマスの選挙イベント最大の特徴はゲーム内の特設ページにてそれぞれの役の得票状況がリアルタイムで確認できるという点だ。端的に言って心臓に悪い。例えば自分担当アイドルが他のアイドルと熾烈なデッドヒートを繰り広げていたりなどしたらもう大変だ。そのうえ対抗馬が主人公自分担当アイドルラスボスであるかのような風潮が界隈に浸透し、ジワジワと追い上げられ始めたりなどすればもう終わりだ。いや、終わった。

ちなみにリアルタイム故に成立するミリマス特有戦略として、特定時間帯に集中的に投票を呼び掛ける一斉投票という戦略がある。逆転の雰囲気意図的に生み出す事で同陣営にはこれだけの数の味方がいるのだという安心感を与えて戦意を維持してもらい、逆に対抗馬にはプレッシャーを与えて戦意の低下を狙い、更には浮動票層の関心を惹いて余った票の使い所をアピールする事もできる、気取った表現をさせてもらえば一石三鳥の戦果を狙う事ができる戦略である。まあ、最も効果があるのは手持ちの票が潤沢な最初の一、二回程度でそれ以降は尻すぼみのように効果が小さくなっていくのだが。ただしこれはあくまで当時の話であり、メタゲームが回りきっているであろう今でもこの戦略有効なのかは既にアイマス全体から離れて久しい自分には最早判りかねる事である

(誤解の無いように書いておくと自分アイマス全体から距離を置くようになったのはこのようなプロデューサー活動に嫌気が差したからではない。むしろこういった選挙イベントアイドルマスターというコンテンツにおける醍醐味の一つですらあると思っている。確かに当事者にとっては入れ込めば入れ込む程苦しくなっていく地獄の催しかもしれないが適切な距離さえ取れればこれほどエキサイティングイベントもそう無い。自分アイドルマスター界隈から離れたのはこの終わりも無ければ変化も無いサザエさんのようなコンテンツに追い続ける意味を見出せなくなったからだ。端的に言うと、ただのマンネリである商業的には到底採算が採れない企画だろうが個人的な願望を言わせてもらえば、リアルタイムで一年の時が経つ毎に作中でも一年の時が経ち、アイドルも一つ歳を取り、そしていつか終わりを迎える。そういうアイドルマスターを今は体験したいと思っている。Vtuberではダメだ。リスナーではVtuberと一対一の関係を築く事はできず、所詮はただの one of them にしかならないからだ。だからアイドルマスターでなければダメなのだ。)

今もう無くなったがある時期までのアイドルマスター界隈の一部(?)には「『担当アイドル』と『推し』は別物だから一緒にするな」という風潮が確実に存在していた。ここまで読み続けてくれた人であればもう理解してもらえるだろうが、当時のアイドルマスター界隈において「担当する」という言葉は「推す」とは異なり相応の責任を負う覚悟があるという意味を含んだ重みのある言葉だったのだ(とはいえそれは無論ロールプレイ範疇に収まる程度のものしかないが)。南無阿弥陀仏とさえ唱えれば誰でも担当プロデューサーを名乗ってもよいとされている時代の今時のプロデューサーからしたら到底理解できない馬鹿げた異常な感覚かもしれないが、これもアイドルマスターがかつて有していた一つの側面だったのだ。運営側人間でもないのに架空版権キャラクターの世間への売り出し方を真剣に悩む、そんなプロデューサーがかつてはいたのだ。そしてこんなに真剣(マジ)だからこそきっと学級会やお気持ち表明も起こりやすいのだろう。

これを読んで「アイマス怖……近寄らんとこ……」と思った方は安心してほしい。運営もも時代にそぐわないと判断したのか今のアイマス比較カジュアルスタイルになっており、そこまで気負わなくても気軽に遊べるようになっている(はずだ)。だから興味があるなら軽い気持ちで手を出してくれて構わない。あとはバンナムが二度とは戻れない深い沼の中へと勝手に引き摺り込んでくれるから

この記事自分が言いたかった事はひとまずこれで全部だ。ここからはほぼ余談になってしまうがせっかくだからシャニマスについても触れておこう。流石にこの時代になると他のアイマスで見られたようなプレイヤー責任感を感じさせるような取り組みは無いのだが、リアルフィクションの境目を壊そうとする点ではシャニマスもしっかりアイドルマスターの一員である。ただシャニマス場合シナリオ中の表現描写演出等によってアイドル達は現実に生きている人間であるとしてその日常の一コマ写真のように切り出そうとするというストロングスタイルであり、自分の語彙ではこれ以上の説明はなかなか難しい。他の取り組みとしては普段アイドル達が使用している靴箱(靴入り)の再現セットの展示、畳まれていたり畳まれていなかったりするジャージが床に置かれているレッスン室の再現セットの展示、ほとんど環境しか収録されていない事務所内の定点カメラ映像を六時間ぶっ続けでYoutube配信するなどがある。どれも意図理解できるがどこか変態所業じみた取り組みばかりになってしまうのは少々困り所だ。

ここまできてアイドルマスター界隈でもあり女性オタク界隈でもあるSideMに触れないのも不義理な気もするが、他のアイマスと比べると中途半端しか触れられておらず界隈の雰囲気についてもあまり詳しくないので正直語れる事があまりない。何か言える事があるとすればせいぜい「いい加減Mアニ二期を制作しろ」という事くらいだ。偉そうなタイトルにしておいて肝心な部分がこの体たらくなのは申し訳なく思っている。本当にすまない。

2024-02-24

anond:20240224192936

うん、だから従うよう努力するにはこの世の全ての漫画アニメゲーム見えなければ原理上は不可能じゃん。

そうじゃなくて従った気になってるのはせいぜい運を天に任せた結果偶然キャラかぶってなくて結果論としてドレスコード遵守できたってだけのことじゃん。

2024-02-16

anond:20240216103312

それは結果論相手次第では「なにモタモタしてんのよ!」という展開になっていてもおかしくなかったところだと思う。(個人的経験あり)

2024-02-15

からピーピーうるさい、除雪車か?

雪でスタックした中型車のバック音だった

2時間近くずっとなんかやってる

結果論としては全部雪かいたほうが早かったなアレ

段ボールいるー?

2024-02-14

フィクトセクシャルが少数派だからって迫害まがいの法律を残し続けないでほしい

ネットがあるから無修正が見放題というが、これは結果論

ネットがなかったとしてもいまだに無修正解禁してないだろどうせ。

三次元で抜けるやつだけが合法的恋人婚姻関係ソープ()で三次元の裸体を見ることができる。

二次元の裸体は微妙だが結合してるシチュ修正なしには見られない(ことになっている)。

これはおかしい。フィクトセクシャル迫害してるとしか言いようがない。

なぜわいせつ物陳列罪だというのか。なぜわいせつ頒布罪だというのか。

公然わいせつ」の言葉の通り、公然でないわいせつ存在する。

ようするに我々自身はみな歩くわいせつ物であって、衣服を着ることによってその公然性をなくしているだけだ。

(公然局部露出した一点で公然わいせつ罪で裁かれた判例があるのがいい証拠だ。局部はそれ自体わいせつであってそれを持ったわれわれは元来わいせつなのだ。)

ではその程度で公然性が否定されるのなら、わいせつ物にあたるエロ漫画だってゾーニングしっかりしたうえで包装もして買わないと中が見れない、表紙等もともと見える部分にはわいせつにあたる表現がないようにしてるなら、違法性がないようにすべきじゃないか

なぜ、人間が服で裸体を覆うことと、エロ漫画わいせつではない表紙で覆うことを、同等として扱わないのか?そこ論理的説明できるのか?できねーだろ?

はっきりいって、わいせつ頒布なんかと比べちゃえば、セフレという関係のほうがよっぽど公序良俗を乱してるだろ。恋愛関係の先のセックスというわけではない、抜くためだけのセックスを堂々としてるなど、それこそわいせつだろ。

フィクトセクシャル迫害するのやめろや。

2024-02-10

チビたちとたぬかなで作り上げた世界線~2年後のチビへ~

170センチ以下は人権ない。

あるフレーズが物議を呼んでからだいたい2年たった。

そろそろ答え合わせをしたい。答え合わせをしたくて仕方が無い。

というかチビに聞きたい。

「本当にこの世界線でよかったんですか?」

結果論になってしまうが自分がもしチビなら思ってたんと違う世界すぎる。

あの時、たぬかなを燃やすという選択肢を取ったチビたち。

かに効果はあった。プロははく奪、ぼっこぼっこにたたかれ連日ニュースに。

自粛もするはめに。一瞬で築いていた?地位はなくなり無職の仲間入りをした。

この時はちびたちも正義ここにあり!と楽しかっただろう。

しかし、本当にこんなんでよかったのか?本当に???

暇すぎたのでもしよかったら暇な君も一緒に考えてもらいたい。

まず、たぬかな炎上前とたぬかな復帰後で比較をしたい。

たぬかな炎上

チビに対して特別何かミームがあったわけでもない。何より当時はまだ人権があった。

たぬかなはプロとして活躍

数人しかこない配信過激発言

たぬかな復帰後

プロはく奪されるも配信者として復活。

ちびは攻撃性があるだのチビネガキャン切り抜きが出回る。

知名度を帯び、たぬかなは勢いを増した。(増したというかほぼ0からとんでもない知名度を手にした)

そして、何よりたぬかな復帰後で変わったことは

「170センチ以下は人権が無い」がミームしたことだ。

ちび達は毎日ノリで人権が奪われる日々だ。

悲しいことがあるとすればチビ以外は人権発言に対してそれほど正義感もくそもなかったのである

この前も都内でちびが人権が無いという話をしている学生を目にした。

明らかに昔より気楽に言いやすくなっている。

咎める人はもういないだろう。ネタになってしまったのだから

炎上理由や当時の意見を見てみると「人権がないという発言は良くない。ちびにも人権はあるし、気楽にしてはいけないものだ」という内容が多かった。

しかし今となってはチビたちは人権をノリで奪われる日々になってしまった。

正直言ってたぬかなの功績はよくも悪くも確固たる持ちネタを取得し、世に広めたことだろう。

今じゃ若者で知らない人はいないだろう。だって普通にテレビニュースになってたんだ。

なぜこんなことになってしまったのか?

シンプルにちびが攻撃性を帯びている点にある。

一番引いたのはたぬかなのツイートリプライに6000人のちびが終結して誹謗中傷していた

普通にひいた。

どんだけ攻撃性高いんだ。余裕なさすぎるだろ。

寄せられたリプライ

プロはく奪ざまあ」

「160です。これでも頑張って生きてます

「170センチ以下です。僕に人権ありますか」

などだった。

ねーよ。なんだよその質問。もう無いだろ。あるって言ってほしいのかよ。じゃあないよ!

これ面白いのをとったとかじゃなくて6000リプライざっと要約するとほんとこんな感じだ(十件くらいしか見てないけど)

連日ツイートでもぶち切れお気持ち表明を繰り返したおかげで、ほとんどの人が「170センチ以下は人権が無い」というフレーズは知っている状態になった。

ほんとうにこれでよかったの?

前にとある有名人が「筋トレしてる人はバカ」とさんざんバカにしたインライがあったけどネットミーム化しなかった。

筋トレしている人がツイートで「俺たちが傷つけていいのは筋繊維だけだろ?」という流れが起こったからだ。

もし、これで腹を立てて粘着質に攻撃をしていたらネットミーム化し、筋トレしている人たちはバカにされていたことだろう。

しろ有名人で影響力は数人しかみない配信者の比じゃない。それなのにミーム化しなかった。

しかし、攻撃性と余裕のなさが取り柄なとある集団対象になったとき誹謗中傷を繰り返し燃やしに燃やして回った。その結果人権をはく奪された集団がいるらしい。

そもそも大前提誹謗中傷することが間違いじゃないのか?



あの日に戻ってやり直そう。

やり直すのはたぬかなじゃない。誹謗中傷してしまう腐った根性を持った君たち一人ひとりだ。

もし、あの日燃やしていなかったらこんな気楽に「170センチ以下は人権ない」と言えるものではなかったはずだ。

前まではクラスで「170以下は人権ないだろ笑」と言ったならばよく思わない人が一定数ちび以外にもいただろう。というか言いづらいフレーズであった。

しかし、今となってはどんな人でも気楽に言える言葉の一つになってしまった。なんならどちらかというと笑顔になる魔法言葉だ。

言った人をもし咎めようものなら「いや、ネタでしょ・・・」となり、至極まっとうなことを言っている人が空気読めないという流れになってしまう。

そんな世界線になった。

たぬかなを燃やして正解だったのか?意見があればぜひ書き込んでみてほしい。

当然、人の容姿を悪く言うことが良くないことだ。

ただこれはチビとたぬかなで始めた物語だ。どちらかがかけてもこの世界線は無かったんだ。

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