はてなキーワード: 範疇とは
親しい友人が、陰謀論にハマりました。
趣味のSNSで陰謀論について積極的に発信するようになり、陰謀論者である主催者がおこなうパンデミック条約反対デモに参加すると言い出しました。
私は、陰謀論の主張内容にも、それを信じ広めようとする人たちの態度や振る舞いにも賛同できません。友人がそういった思想に染まることが耐え難く、陰謀論を信じることをやめてほしいし、最低限デモには行って欲しくないと思い、説得を試みました。結果、陰謀論への信仰(本人は自分の主張を陰謀論とは思っていない)を止めることは叶いませんでしたが、デモへの参加は思いとどまってもらえました。友人を説得するために手紙を書いたのですが、直接口頭で伝えることができたため、この文章を送ることはなくなりました。
せっかく書いたのにもったいない(笑)ので、供養と、私と同じように陰謀論デモへ行こうとする友人にモヤモヤしている方の気持ちを整理するきっかけになればと思い、ここに投げることにしました。また、手紙の本文中に挙げた書籍は、陰謀論の実態を知るために読んだ十数冊の中から、中立的な立場から書かれていると感じたものを選びました。特に「情報パンデミック」は読みやすくおすすめです。
なお、私の友人は「ここまで心配してくれる友達との仲を壊してまで行くのは止めよう」という気持ちからデモ参加を取りやめたのであって、陰謀論を信じること自体を思い直したわけではなさそうということを書き添えておきます。予断を許さない状況は続いています。
友人へ。もし、この投稿を見つけたのなら、陰謀論というワードで検索したか、少しでも疑問を抱いたか、だと想像します。正直、私の反対を押し切ってデモに行くなら絶縁もありうると思っていたし、陰謀論を信じ続けるのであれば今までのようには付き合えません。考え直してほしいです。
パンデミック条約反対デモに行く気持ちは変わらないと聞き、今の時点での私の思いを伝えておきたいと思い文章にまとめることにしました。返信しなくて構わないから、読むだけは読んでください。
あなたが心から日本の現状を憂い、未来を良いものにしたいという善意と熱意からデモに参加しようとしていることは、十分理解しているつもりです。その気持ちを否定したいのではありません。
でも、私との友人関係と「真実」を多くの人に知ってもらう活動、そのどちらかを選べと言われたら、今のあなたは後者を選ぶでしょう。そのことが本当につらく、悲しいです。実際にそうなるかもしれないという危機感と覚悟を持って、今この文章を書いています。
陰謀論を信じている人を説得することは困難、むしろ逆効果であることも承知の上です。本来であればスルー一択の状況だけれど、私はあなたとの友人関係を失いたくない。その一心からであって、決して非難や攻撃をしたいのではないということ、分かってください。
ここからは、あなたの信じる「真実」のことを陰謀論と呼ばせてもらいます。安易なレッテル貼りが良くないことは重々承知していますが、他に適切な言葉が見つからないので、ごめんなさい。
一部の権力者が外からはわからないように自らの利権を得るためのはかりごと=陰謀、陰謀があるという前提で世の中の事象を説明しようという試み=陰謀論、と捉えています。史料や証拠があり明るみに出ているものは陰謀、明確な根拠がないのに仮説をそのまま事実と主張するものが陰謀論、です。現在進行中で明るみに出ていない陰謀もあるかもしれませんが、明るみに出るか確実な証拠が見つかるまではそれも陰謀論の範疇といえます。正しくないかもしれないけれど、間違いを回避するためにはこのスタンスを取ることが健全ではないかと考えます。
今回のデモの主張内容、ワクチン関連死の真相解明・超過死亡の原因究明・パンデミック条約反対、これら自体は真っ当な主張に見えます。
しかし、主催者の発言などを見ていくと、おそらく陰謀論の論理、価値観を前提にしているのだろうと推測ができます。「日本を滅ぼしたい何者かがばら撒いた毒によって人がたくさん死んでいる」と言いたいのですよね。
陰謀論は、科学的根拠を精査しておらず論理が飛躍していることにも違和感があるのですが、それ以上に「全ての事象には必ず明確な原因がある」という二元論の姿勢こそに、問題の本質があるように思います。
あなたは、デモの主催者が陰謀論者であるという私の指摘に対し、彼の言うことを全て信じているわけではないと言っていました。陰謀論には、荒唐無稽なものから、真実に近そうなものまで多々あります。しかし、荒唐無稽なものは信じていないから、というのは、陰謀論を信じていないということにはなりません。
「根拠の不確かな」「それっぽい説を真実と信じ込み」「善悪二元論に帰結させ」「反論する相手のほうが間違っていると攻撃し」「自分の信じる真実を理解しない者は反対勢力に洗脳されていると憐れむ」「対話不可能な」言論に心当たりはありませんか。
あなたの主張には、おそらく正しいもの、現実に即したものも多々含まれる。しかしその根底にある信念(ディープ・ステートによる世界の支配)は、紛れもなく陰謀論のものです。ディープ・ステートの存在は、現時点ではあるともないとも証明のしようがない。それを「ある」と確信しているところに、危うさを感じます。
利権絡みで政治が歪むというのは普通にあることでしょう。歴史を紐解けば、そういった陰謀が実際に存在したこともありました。
しかし、少子化・報道・感染症対策をはじめ、あらゆる現象がそこへ帰結するというのは、いくらなんでも飛躍しすぎです。ディープ・ステートが本当にあると信じることが、認知を歪めてしまっていると感じます。
世の中には「わからない」ことがたくさんあります。答えが一つではないことも、立場が変われば意見が変わることもいくらだってあります。
ワクチン関連死の真相も、超過死亡の原因も、おそらく現時点では「わからない」のです。わからないなりに、未知の感染症になんとか対抗しようと手探りで行われた結果、思いもよらない被害が出てしまった。そんなところではないでしょうか。
もちろん、それで良かったとは言いません。原因も究明されるべきでしょう。それでも、わからないかもしれない。科学の、医学の力なんてそんなものなのです。
もし原因が判っても、今の政権は都合の悪いことを発表しないかもしれない。隠蔽を疑いたくなるのはごもっともです。だからデモで抗議する。理解できます。
しかし、それがなぜ「隠された陰謀によるもの」と結びつくのでしょうか。「明確な答えがないと不安」な気持ちを、絶対悪である何者かの所為にすることで安心したいのではないですか。
カルトやマルチや自己啓発セミナーと同じ構造です。不安を一発で拭い去ってくれる魅力的な何か、「気づき」、昨日までの自分とは違う覚醒したような気持ち。そういったものを陰謀論はもたらしてくれるのです。脳にとっては快楽です。だからハマる、依存性があるのです。
真実だからスッキリ納得がいくのではありません。スッキリするからそれを真実と錯覚するのです。
私は、陰謀論を広めようとする人たちの、自分たちの主張が絶対に正しいと信じて疑わない(ように見える)立ち振る舞いが苦手です。
世の中に、絶対的な悪や完全な正義はないと思うからです。世界の仕組みも人間の行動も、数十分の動画で簡単に説明できるほど単純ではないと思うからです。理不尽で不可解な状況に置かれたときも、一旦は現状をありのまま受け止めることからしか、理解は始まらないと思っているからです。この点において、陰謀論のスタンスとは相容れないのです。
そもそも、隠された世界的な陰謀が本当にあったとして、それを一般市民がYouTubeで手軽に知ることができるなんて、おかしいと思いませんか。
デモに集まるのは、陰謀論的な価値観の人、それに疑問を感じていない人たちだと思います。同じような意見の人に囲まれていると、その意見が多数派で正義のように思えてくる。リアルな陰謀論のコミュニティに参加することで、あなたがそちらの世界にますます傾倒してしまうことを恐れています。
デモはきっと楽しいでしょう。同じ意見の人たちと語り合い、声を上げ、この国の未来のために行動しているという実感が得られるわけですから。せめて、ここまで読んでもらって、陰謀論の「おかしさ」に少しでも疑問をもってくれていたらと思います。
また、陰謀論とスピリチュアル、自然派、マルチ、カルトは親和性が高いです。これらは、日常生活や人間関係に大きく影響します。コミュニティの内側にいると気づきにくいものですから、引きずられないよう気を付けてほしいです。
「陰謀論と言われても負けない」「陰謀論なんて信じてないけどこれは真実」「正しい情報は隠されているから自分で調べなければならない」これらは陰謀論に飲み込まれる人が必ずと言っていいほど口にする言葉です。
あなたは政治・経済に詳しい。それは誰もが認めるところです。けれど、政治に関心が高い人ほど陰謀論を信じやすく、逆に教育の高さや政治的立ち位置は陰謀論への染まりやすさに影響しないということは知っていますか。
ネットやYouTubeだけでなく、ぜひ一度関連書籍も見てみてほしいと思います。あなたに勧められた動画を見ていない私が言える立場ではないとは思いますしその点は申し訳ないと思うのですが(実はいくつかは観ようとしました。しかし冒頭から何を言っているのか意味がわからず、苦痛で、すぐに観るのを止めてしまいました)、少なくとも誰でも好きなように公開できる動画よりは、ファクトチェック体制のある書籍のほうが信頼できると私は考えています。
参考までに、陰謀論の歴史やそれを信じるに至るメカニズムを、心理学的・統計的な調査をもとに分析している書籍を挙げておきます。
「陰謀論入門」ジョセフ・E・ユージンスキ 作品社 2022年
「情報パンデミック」読売新聞大阪本社社会部 中央公論新社 2022 年
私は賛同できないけれど、陰謀論を信じること自体は個人の自由です。それなのになぜその世界観を否定するのかを、最後に書きます。
あなたは、「真実が一人でも多くの人に広まってほしい。生活が安定しなければ趣味も楽しめない。政治は生活だから、政治のことを発信していく」と言っていましたね。
しかし、まず大前提として、趣味のSNSではみんな趣味の話をしたい。人の家の生活、たとえば晩ごはんのメニューがどうでもいいのと同じように、人の政治的主張もどうでもいいのです。
もちろん発言することは自由です。時には「あ、なるほど」と思い、時には「ちょっと面倒臭いな」と思い、多くはスルーされるでしょう。平和的な、現実に即した発言であれば、ですが。
陰謀論の本質は、全てを二元論に帰結させがちなところにあります。つまり何かを語る時、一方的かつ断定的な物言いになる傾向があります。率直に言って「怖い」のです。反論なんかしたら百倍になって返ってきそうだし、話が通じなさそうに見えるのです。
それを見た人はどう反応するか。同じ意見を持つ人は賛同を表し、ますます先鋭化していく。反対意見の人は、反論して不穏な空気になるか、黙って去る。そしてほとんどの人は、そっと離れる。だって怖いから。
すると、いずれどうなると思いますか。あなたの周りには、同じように陰謀論を信じ広めたいと考える人が残り、先鋭化した思想についていけない大多数の人は離れていくのではないでしょうか。
陰謀論を広めようとする人たちは、自分たちの主張を絶対に正しいものと信じ、否定するものを断罪し、自分たちの主張に都合のよい事実のみを根拠としてつまみ食いします。
陰謀論は思想だから、言説を信じることで次第にその行動様式にも染まっていくのです。
最近のあなたの言動が、これに近づいていることは自覚していますか。陰謀論をひとつの説として受け止めるにとどまらず、その善悪二元論的な考え方を自分の中へ取り込んでいることに気づいていますか。
先月、攻撃的な言動や非科学的な情報の拡散を控えてほしいとお願いした頃、次第に過激化していくあなたの振る舞いをそばで見ていて、私はとてもしんどかったです。趣味のアカウントで積極的に思想を発信し、周りから静かに距離を置かれていることを察して切ない気持ちになっていました。非科学的な言説に対し、どう反応してよいのかわからず困惑していました。
しんどければミュート・ブロックしてくれとあなたは言いますが、実際にそれをしてしまえば、今後あなたと一緒に趣味を楽しむことはできなくなりますよね。
受け止め方は人それぞれだから、と言うのは、一見、冷静な態度に思えます。離れてもどうでもいい他人ならばそれで構わないでしょう。
しかし、私や親しい人たちに対してまで、気に入らないなら見なければいいと言ってしまうのは軽率ではありませんか。私はあなたにとってその程度の存在なのかと、悲しくなりました。
趣味を楽しむために始めた発信なのに、一緒に趣味を楽しむはずだった人々が離れていく。そして孤立すればするほどこの傾向が加速する。
信じることが自由であっても、思想を広めようと発信することには責任が伴います。その思想自体に賛否があることはもちろん、その他の発言も陰謀論的な価値観を持つ人の発言と受け取られるようになります。「結局、陰謀論を広めたいんでしょう?」「ヤベー奴の言うことはヤバい」となるのです。既に、趣味アカウントの一部のフォロワーの間ではそういう空気になっています。
陰謀論の主張内容や拡散方法に対して、不快感や嫌悪感を抱く人がいることを想像していますか。第三者にそういった感情を抱かせる発信をする人から、離れたいと思う人がいることは想像できますか。
陰謀論は、カルトやマルチと同じように、思想に染まることで人格を変え、周りに広めようとすることで人間関係を破壊するのです。
初めにも書きましたが、もっと関係の薄い相手であれば、陰謀論にハマったと感じた時点で穏便に距離を置いていました。思想に洗脳された人を見るのはしんどいし、説得することは困難だからです。
それをせず、反感を買うかもしれないこんな長文をわざわざ送り付けたのは、私があなたを失いたくないからです。あなたのためなんて言うつもりはありません。私のためです。嫌な女に彼氏を奪われそうになって焦る気持ちに似ています。結果としてどうにもならなかったとしても、黙って見ているのは耐え難い。
どうか、これがあなたに見せる最後の文章になりませんように。頭を冷やしてほしい。
基本のハンバーガー
トマトが冷たくバンズとソースとで温度差があって、温度の統一感がないため嫌いな人もいる
チーズが挟まってる方が美味しいと思う人がいたり味のバランスに対しては個人差のバラツキがある
ゴーダー&チェダーの味
リッチなチーズの味がするが、チーズの味の好みは個人差があるので万民向けじゃない
チーズモリモリ食べたい人が多めにお金出して食べるようなハンバーガー
味のバランスの完成度が高い
魚をガツンと食べたい人向け
魚をガツンと食べたければモスバーガーに行く必要はそもそもない
強烈なファンがいるが人を選ぶ
海老は大きめで美味しい
ただモスバーガーでは海老カツバーガーより美味しいハンバーガーが多いのでわざわざこれを選ばなくても良かったりする
ハラペーニョが入ってて辛い
辛いのが全くダメな人は食べられない
辛さとホットドッグのチープなジャンクさがちょうどいいハーモニーを奏でる
味は良いのだがボリュームがそれほどない
ポテト食べたいならマクドナルドで買った方が美味しくてたくさん食べられる
美味しい
すぐなくなるのが欠点
まあまあ美味しいシェイク
しお
@sodium
海外で「痴漢が少ない理由」を聞いたら「痴漢なんてしたら被害女性に引っ叩かれて、周囲にいる男達にボコボコにされるに決まってるじゃん!」って明るく答えている女性がいて羨ましかった。
これ、重要なのは「被害女性が引っ叩く」だけではなく、その後の「周囲の男達にボコられる」という部分。
当たり前だけど、女は男に力で勝てないし、相手は犯罪するような奴だから、「被害女性が引っ叩く」だけなら、「痴漢が激昂し、被害女性を暴行強姦する」につながりかねないのよ。
被害女性が安心して痴漢に抵抗できるのは、「周囲の人(特に男性)が味方になって、痴漢を一緒に捕まえてくれる」という信頼感があるから。
それ無しに、被害女性が一人で犯罪男性に立ち向かえるわけないじゃん。
男だって、明らかに力で勝てない相手から体に密着して犯罪行為仕掛けられて、周囲の誰も味方になってくれないかもしれない状況で、抵抗できるかと言えば難しいと思うよ。下手に抵抗したら殺されるかもしれないわけで。
日本で女性がすぐにNOを言えないのは、「声さえ上げれば周囲が絶対に味方になってくれる」という信頼感が無いからだと思う。
実際、ちょっと前までは痴漢に声をあげると、被害者の方が責められることも少なくなかった。今でも被害者の落ち度探して責める人いるけど。
しお
@sodium
犯罪って普通人目につかないところで起きる。当たり前よね。見つかっちゃうから。
でも痴漢は被害者が絶対に気がつく犯罪で、しかも人混みの中でも起きる。
被害者が被害を自覚していて、すぐそこに加害者がいて、周囲にはたくさんの人がいる。
なのに助けを求められない。
求めても助けてもらえないどころか自分が責められたり、加害者から報復される可能性の方を考えてしまうから。
加害者が悪いのは当然として「加害者ではない一般人」が被害者の味方をしてくれるという信頼すらなく、被害者は孤立させられる。
しお
@sodium
「なんで先生に報告しないんですか?」
「嫌だと言わず、先生にも報告せず、誰かなんとかしてくれるのを待ってるなら、それは他力本願すぎますよね」
嫌だと言ってやめてもらえるなら、先生に報告して必ず解決するなら、その信頼があるなら、イジメられている子の多くがそうすると思う。
その信頼がないから、かえって悪くなってしまう可能性があるから、そうできないだけ。
信頼がない理由には、過去に信頼を失うような体験がある。自分の体験でなくても人の体験でも。
そうして「言うだけ無駄」「言わない方がまだマシ」と学習してしまっている。
フェミニストは少子化を問題にしていない。問題にしていたのは女性差別。
学校教育で男女平等を習うのに社会に出たら男女不平等なので、そこを問題にしていた。
それと、男女共同参画とか女性活躍社会だと煽ったのは政治的な作為によるものなので、本来のフェミニストが問題視していた範疇を超えてる。
海外で「痴漢が少ない理由」を聞いたら「痴漢なんてしたら被害女性に引っ叩かれて、周囲にいる男達にボコボコにされるに決まってるじゃん!」って明るく答えている女性がいて羨ましかった。
これ、重要なのは「被害女性が引っ叩く」だけではなく、その後の「周囲の男達にボコられる」という部分。
当たり前だけど、女は男に力で勝てないし、相手は犯罪するような奴だから、「被害女性が引っ叩く」だけなら、「痴漢が激昂し、被害女性を暴行強姦する」につながりかねないのよ。
被害女性が安心して痴漢に抵抗できるのは、「周囲の人(特に男性)が味方になって、痴漢を一緒に捕まえてくれる」という信頼感があるから。
それ無しに、被害女性が一人で犯罪男性に立ち向かえるわけないじゃん。
男だって、明らかに力で勝てない相手から体に密着して犯罪行為仕掛けられて、周囲の誰も味方になってくれないかもしれない状況で、抵抗できるかと言えば難しいと思うよ。下手に抵抗したら殺されるかもしれないわけで。
日本で女性がすぐにNOを言えないのは、「声さえ上げれば周囲が絶対に味方になってくれる」という信頼感が無いからだと思う。
実際、ちょっと前までは痴漢に声をあげると、被害者の方が責められることも少なくなかった。今でも被害者の落ち度探して責める人いるけど。
女性にもっとNOと言うべきと思うなら、女性が安心して犯罪者にNOを言えるような社会にするべきだと思う。
https://twitter.com/sodium/status/1786957266966687973
犯罪って普通人目につかないところで起きる。当たり前よね。見つかっちゃうから。
でも痴漢は被害者が絶対に気がつく犯罪で、しかも人混みの中でも起きる。
被害者が被害を自覚していて、すぐそこに加害者がいて、周囲にはたくさんの人がいる。
なのに助けを求められない。
求めても助けてもらえないどころか自分が責められたり、加害者から報復される可能性の方を考えてしまうから。
加害者が悪いのは当然として「加害者ではない一般人」が被害者の味方をしてくれるという信頼すらなく、被害者は孤立させられる。
これは加害者と被害者の問題ではなく、社会の問題でもあると思うなあ。
「なんで先生に報告しないんですか?」
「嫌だと言わず、先生にも報告せず、誰かなんとかしてくれるのを待ってるなら、それは他力本願すぎますよね」
嫌だと言ってやめてもらえるなら、先生に報告して必ず解決するなら、その信頼があるなら、イジメられている子の多くがそうすると思う。
その信頼がないから、かえって悪くなってしまう可能性があるから、そうできないだけ。
信頼がない理由には、過去に信頼を失うような体験がある。自分の体験でなくても人の体験でも。
「カラオケ行こ!」のヤクザに可愛げがありすぎることで、現実のヤクザとの関わってはいけなさが軽視されてしまうのではないかという問題(ファンタジーヤクザ問題)に端を発する話。
現代では未成年を性の対象として見ることのタブー度合いが10年前とは比較にならないほど上がっているが、未成年とヤクザが関わる話が大々的に上映されてしまうのはどうなのか。表現の自由の範疇ではあるが、おじさんと少女の恋愛を肯定的に捉えられた時と性質は似ている。
「強いオスによる支配」は野蛮であり、文明的ではないのだが、これを否定的に捉えるのが苦手な人々が存在する。同じ口で「立場の弱いオスが若いメスを搾取する」ことは糾弾しがち。別に弱者男性論とか男女論をやりたいわけではないが、ここはシンプルに矛盾してるように思う。
2014年のほうね。
私の50年間に、私たちの国は一度も戦争しませんでした。戦争でもうけたりはしましたけれど、でも戦争をしなかった。そのおかげが、僕らの仕事にとっては、とても力になったと思います
この部分、よくわからないことがあるんだけど。
宮崎駿がここまで言うってことは宮崎駿としては「とにかく戦争ダメゼッタイ」な価値観だと思うんだけど、もしその価値観でいくなら
日本が戦争しなかったと言ったら「でも戦争で儲けてましたよね?」ってツッコミが入るのを予想して、予防線として言ったと仮定すると
「戦争で儲けることは少なくとも悪いことである」っていう自覚は宮崎駿にはあった、ってことにならないか?
もうその時点で、宮崎駿の価値観からみた「日本が戦争しなかったこと」の実質的な価値って十分形骸化してると思うんだけど。
なんかもう「他人の戦争で金儲けした」のを敢えて言ってまで「戦争しなくてよかったー」って言うおじさんってことじゃん?要は。
その戦争で犠牲になった人とかにとっては滅茶苦茶神経🐡で、いや神経逆撫でしてくるおじさんってことにならん?
「明らかにおまえらの家族友達死んでるけどワイらは儲かった。けどワイらは手を汚さんで済んでよかったーホンマよかったー」みたいなことじゃん究極?
「理解が遅れてるから発話の訓練しちゃいけないという道理は聞いたことがない。」非常に心強い。サンクス。
単なる状況の整理なんだけど、医師もあなたも、言語聴覚士のサービスがあなたの子供に良い影響を与えるという点では同じ意見だね。医者が言語聴覚士界に変な気をまわしているってだけで。
どうやら過去にも他の親が言語聴覚士について相談したら凄い剣幕で怒られたといった話があるらしい。
今日話した感じも「言語聴覚士の支援は不要!」というのが内心ありそうな印象ではあった。
あと、後から調べて知ったのだが、医師の書類というのがどうやら訪問リハビリ・看護の指示書になるようで、自分の範疇外だけど自分が管轄しないといけないのが事務手続き的に手間だったり面倒というのはあるのかもと邪推してる…。
○ご飯
朝:なし。昼:キュウリの浅漬けに海苔かけたやつ。キュウリと納豆和えて海苔かけたやつ。バナナ。夜:バナナヨーグルト。間食:柿の種。チョコ。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、おやすみなりー。
SAGA PLANETSから2019年に発売された18禁美少女ゲームの全年齢移植版を遊んだので感想を書く。
前作金色ラブリッチェのファンディスクにあたり、ヒロイン達のアフターストーリー、前作で攻略できなかったミナと絢華のルートと、それと本作独自のエピソードが読める。
前作は、身分の高さや生まれの不幸から来るそれぞれの苦悩と、それを跳ね除けようと努力するために“カッコつける”テーマが魅力だった。
まずアフターストーリーの方はプレイ時間もそれぞれ30分ほどの短編で、内容もあっさり目。
この辺は全年齢移植版であることも大きな原因なので仕方ないかな。
次にミナのルートはかなり期待していたのだけど、ちょっと期待度を上げすぎたのか、しっくり来なかった。
ミナは北欧のソルティレージュという架空の国家の王族で、メーンヒロインのシルヴィアの妹にあたる第十王女。
幼い見た目枠ながら、主人公の市松央路をビシバシ教育する強い態度が良きキャラ。
掘り下げると面白そうな王族の派閥争いのエピソードは前作から色々と布石が打たれていたんだけど、ルートに入った途端、その辺はノータッチ。
恒例の央路が釣り合う男性になるようカッコつけて夢を探すエピソードも、探さないとだなあ、と探すことを表明するところでおしまい。
正直、テーマの掘り下げはかなり中途半端でプレイ時間の大半はイチャイチャパートだった。
イチャイチャパートも、前作や共通ルートで気に入ったミナのキビしくも優しい両面性はなりを潜め、彼女が甘えてくる展開が多め。
もちろん、そういう方向が無しだとは思わないんだけど、気に入った部分とは違う内容だったので、期待の方向を誤ってたかもだ。
強気で上から叱ってくれるミナが好きだったので、それを踏まえたエピソードが読みたかった。
上流階級を自称し庶民の主人公が居るだけで不機嫌になっていた彼女とのルートは、面白かった。
前作の絢華は性格悪い子なんだけど、今作ではコミュ障、陰キャっぽいシーンが増えていて、性格の悪さの方向性が変わっていた。
前作のイジメっぽいパートについて反省し謝罪するエピソードもあるし、メタ発言も駆使してそこのフォローしていたりと、色々と手を尽くしているのが感じれた。
メインキャラたちの因縁とは直接関係ないサイドストーリーながら、上流階級が上流階級と呼ばれる所以、ノブレスオブリージュなど、本流に通ずるテーマを別の視点から描いているのが面白い。
ルートの主役が誰なのかはネタバレになるため伏せるが、前作のあるルート終盤から分岐する異なるストーリーが楽しめる。
前作終盤で存在が示唆されたSFガジェットの掘り下げをしつつ、あくまで前作の選択は尊重しながらも、前向きになったエピソードだ。
あれほど八方塞がりな状況だと繰り返し言及してきたため、かなり無茶で唐突な設定が生えてきている。
ここについては、製作陣も承知の上のようで、続編映画あるあるを言うコメディパートなどで、自己言及的な弁解をしていたのが面白かった。
ただ、多少無理な設定であっても、やっぱりハッピーエンドは良かった。
前作の苦くて静かで悲しいエンディングとどっちが好みかは人それぞれだろうけど、ファンディスクなんだからこれはこれで良き。
ファンディスクであることを踏まえれば、良い意味でIFと少し後の物語を描くことに終始していて、続編ではない作りだ。
主人公の市松央路のカッコつけるシーンが好みだった僕としては、今作のルートではどれもそのエピソードが少なかったのは惜しかった。
とはいえ、彼の手に収まる範疇は前作までで、今作のようなルート群は特別なSFガジェットが必要だったと思うと、ある種の納得感もあった。
弱者男性というのは基本的に教養がないため、知識や感性を最低限持ち合わせていないと楽しめない芸術は全て毛嫌いしている(なぜならば、自分に理解ができないから)。
この傾向はどんどん加速しており、もはやライトノベルすら読めず異世界転生やなろう作品しか楽しめないようになっている。
彼らにとっては、異世界転生やなろう作品、その他の美少女アニメこそが芸術であって、彼らの理解できる範疇にない芸術は「表現の自由」にすら入っていない。
弱者男性がアンチフェミ、表現の自由戦士を兼任して、自分たちが好きな表現しか守りたがらないことを考えればわかりやすい。
彼らにとっては、自分が理解できないものは存在するべきではないし、そうした芸術を愉しんでいる女性が恐ろしくて堪らないのだ。