「感受性」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 感受性とは

2024-05-19

上川外相発言「うまずして何が女性か」だけど、メディアの取り上げ方がヘンだという、当たり前のことを、

ちゃんと指摘しておかないと日本はどんどんおかしくなる。

生みの苦しみという比喩として昔から成立している表現を、まさしくそのような用法発言しているにもかかわらず、マスコミは一体なんなんだ。

候補当選によって新たな知事誕生させたいとの思いがあったとみられるが、出産を願ってもできない人への配慮に欠けるとの指摘が出る可能性がある。

一連の報道で、とても気になったのは「XXへのへの配慮に欠けるとの指摘が出る可能性」という表現

こうして、「出産を願ってもできない人」というグループ示唆することで、それらが何かしら傷つきやすメンタルを持っているという、配慮を要する人々としてイメージを固定してゆくのがとても気になる。これは発言曲解よりも根が深い。(補記:なかなか伝わりにくいかもしれないが、以下で提起している問題は、<ある表現いか配慮に欠けるか欠けないか>ではなく、<ある表現配慮に欠ける>というふわっとした規範的な圧力が、社会的包摂性とか社会経済的脆弱性分析を置き去りにして、主に政治的に利用されることの問題点だ)

実際には、出産を願ってもできない人々というのは多様だ。みんないろんな事情があるんだよ。

単に適齢期を過ぎているだけとか、仕事と両立したいなどの理由で機会を逸している、とか、あるいはそもそもパートナー出会えないなど、

要するに、ないものねだりをしている場合だってある。経済的問題で躓いているひともいるはずだ。

じゃあ、逆に「出産を願ってもできない人」というカテゴリーにはそういう社会経済的弱者は入りませんよ、というのかね?

体や心の障害に起因して、ある意味病理的な意味で、出産ができない人を指すのだと定義したりしてしまう?

そうすると、今度はむしろ、健常ならできるはずのことができない人々は悔しいと思っているに違いない、かわいそうだから、産むとかそんな言葉に触れさせないよう配慮必要っていう、潜在意識ますます透けてくる。

でも心身の問題出産できないというのを、自分はいかんとしもしがたい宿命的なものして捉えた場合

それって社会経済的理由出産できない場合と実際のところ、地続きだと思える。

例えば、親の介護など家庭の事情で適齢期を逃した人がいたとするよね。それってその人にとっては、自分意思で選んだわけではなく、自分にはどうにもできなかった、そういう運命だったという意味では、病理的に出産できないという宿命とさほど変わらないようにも思うんだよね。

出産を願ってもできない人」

産みの苦しみとかい表現を嫌がるような、そういう配慮を要するグループがあたか存在するかのように、それを空気のように記事するマスコミのほうが怖い。

そういうの、すごく傲慢上から目線だと思わないのかね。

障害者や病人ができなそうなことを比喩的にでも表現するのは彼らを傷つける行為だとする空気をまん延させることは、「そういうカテゴリーの人たちを可哀そうだと思うべきだ」とする社会規範空気として押し付けてくることだ。

そこでは、知らず知らずに、どこまでが可哀そうなグループで、どこまでが身から出たさびとみなすグループなのかの選別が空気として形成される。

実際には、よくよく考えると、どこからどこまでが配慮を要する、などと到底割り切れるものではない。誰かを傷つけるかもしれない、と配慮することはそのイメージから漏れた人を知らず知らずに排除することでもある。その意味で、病理的な意味出産ができない人に限定して、「出産を願ってもできない人」というイメージを作り上げるなら、それは差別的ですらある。その場の雰囲気で、発言文脈をよく考えずに配慮を求めることで、逆に、特定グループを過度に保護し、そのグループ弱者として固定化する結果を招きかねない。

抽選結果で「落選」はやめます 都立中高説明会、表現めぐる指摘受け [東京都]:朝日新聞デジタル

これなんかも、「受験生」の感受性因子(susceptibility)を過剰に捉えていて、おかしなことになっている。


出産を願ってもできない人」なんていうふわっとしたイメージは、そもそもそんなに必要かね?

これは、戦時中の、「兵隊さんご苦労さん」っていって兵隊を敬わせて背中を押し、銃後の守りを頑張らせようとするのと近い話で、マスコミ世間空気をつくることができるのだから気を付けてもらいたい。

配慮に欠ける可能性がある」という、世論規範的に誘導する表現は、プロパガンダとしても機能してしまうので、正直、よっぽどのことがない限り使ってもらいたくない。

必要だとすれば、なぜ必要だと認識しているのか、マスメディアにはよくよく考えてもらいたい。

とりわけ政治家発言については、言論多様性重要だ。

言論空間を浄化して、きれいな発言だけをすればいいというものではない。

浄化できるというのも幻想しかなく、「女性なら生むべきだ」という固定観念を打破し社会的包摂性に配慮したつもりでいて、内実は単にステロタイプな別の固定観念形成され、それが政治利用されることもある、ということも頭に入れておく必要があるだろう。

政治家発言に過度な配慮が求められると、知らず知らずに本来意図文脈が歪められる恐れがある。

特に選挙に絡んだ発言については、妙な世論誘導に使われかねない。

自由表現が妨げられることで、社会全体の健全議論が損なわれることになる、ということの不利益ちゃんマスメディア理解しておくべきだ。

2024-05-18

anond:20240517170726

オタクアリバイ作りで作品を通過してると思う。

ほとんどのオタクは。

あんまり知られてないけど、

作品について語れるオタクは実は少ない。

ゴジラ観たよ」どこがよかった?「…」

ダンジョン飯面白いよね」どこがいい?「…」

感受性どころか、記憶さえしてない。

観たという事実だけを求めて作品を消化してる。

90年代の子ども時代アニメ観て過ごしたという先輩と話したんだが、

作品ストーリーはおろか、キャラクター名前さえ覚えてないのには戦慄した。

趣味として時間を注いだのに、のちの人生に一切影響を残さない空しさ。

オタク人生って何なんだろうね…

2024-05-17

みんな見てくれ! 恋愛経験のオレが少女マンガ描いたぞ!!

オレは今まで、セックスどころか、恋愛をした経験が無かったし。

甘酸っぱい青春を過ごしてこなかった。

どちらかと言うと女性を遠ざけてきた。

実は人を好きになった事さえ、一度もないんだ。

・・・だけど、そんな純度100%童貞のオレが!

少女マンガを描いたぞ!!! みんな読んでくれ!! こう言われて読みたいと思えるのか!!

恋愛経験の作者が描いた少女マンガ面白いと思えない」——だったら読者はどうなんだ?

電車プラモデルのような趣味ならまだしも、恋愛関係性のコアだろ!

漫画アニメ映画ゲーム、あらゆるエンタメ人間関係ストーリー

「作者と違って読者は、別に恋愛経験でも人間関係ストーリーを十分に楽しめる。」

「十分楽しめるようにエンタメ作品は作られるべきだ。」

・・・そう考えるのはウヌボレだろ。

安定した社会基盤を持つと趣味を楽しむ心の余裕ができる。

心の余裕がなく恋愛経験がないオタク人間関係感受性が未発達——反論できるか?

ストーリーに深い人間関係が絡んでくると、途端に目が滑り出して、脳が受信拒否する。

恋愛描写ノイズになる。だからオタクこそ恋愛すべきだ。

オレの持論を聞いてくれてありがとう・・・オレは、オタク趣味を楽しむのにも能力必要だと思ってる。作る側じゃなくてもね。

臭いオタクは界隈の足を引っ張るし、社会性は身につけとけ。

人間から逃げるな人を好け。

2024-05-13

グッとフレーズという番組

歌詞セリフをクソデカテロップで映す番組で、ザッピングなどで目にする度に脳内岡崎体育が「気に入っている歌詞を画面いっぱいに貼り付けて感受性さぶれ」と歌い出して困っている

2024-05-12

anond:20240510183045

痩せ型だが血糖値スパイク問題には長年悩まされてたので、助かる。とてもありがとう

インスリン感受性改善することを色々やりました。劇的な変化を得るには16時間断食糖質カットをセットで一週間程度行うと、だいぶ血糖値の乱高下が収まります。それまでは麻薬の禁断症状みたいな感じになりますが。もっと無難方法では、よく寝る、ストレスにならない程度運動する、酢水を飲むなど。空腹に心地よさを感じられる平穏さを得れば何でも良いなという結論に至りました。特に睡眠重要

詩とか俳句短歌について思うことメモ

もう人生の折り返し点をすぎて久しい。目を通す文字は、仕事書類ばかりとなった昨今。

でも小学校高学年から中学生にかけての頃に、文学少女に憧れた時期があった。

書店の奥のほうにいっては新潮文庫コーナーで、適当に数冊手に取っては解説に目を通したりしていた。

まれて初めて自分で買った詩集は、井上靖詩集だった。小学校5年生か6年生の頃だと思う。

頁を開いたとき、これは詩なの?というのが最初感想だった。普通に文章だったからだ。

調べてみると、井上靖の詩は、散文詩という形式らしい。なにが自分の知っている詩と違うのだろうというところで

「韻」という言葉もその時初めて知った。

井上靖詩集を手に取ったのは、国語教科書に載っている著者の本でなるべく読みやすそうなものを探したからだった。

というわけで、あすなろ物語のついでに手にしたのが、人生最初詩集だった。

小中学生の頃、国語の授業で、詩や短歌に少し関心をもった私は、韻を踏む、という作法が苦手だった。

季語などルールがあったり、韻で楽しめなければならない、みたいなもの短歌俳句だとすると、ちょっと縁がないなと。

特に覚えているのは、中学校の時習った在原業平短歌に、かきつばたを詠みこんだものがあるが、韻だけでなく、言葉ニュアンスにいろいろな仕掛けを作らないと詩として成立しないのかと思うと到底自分には向いてないジャンルだった。しかし、そうはいっても、短い言葉で何かを表現してみたいという思いは消えず、ひそかに詩集をつくって引き出しの奥底にいれていた。


井上靖の詩のなかに

幼少の頃、川辺の石段の下で手を洗っているとき不意に石鹸が手元を離れ、深みに落ちていったという情景の詩があった。その喪失感をその後の人生でも刻まれているという内容だった。これなら自分でも書けるかもしれない、と思った。

自分世界表現の仕方や詩の味わい方を学べたのも井上靖の詩の影響が大きかった。

例えば、雪という詩がある。


 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

 こういう二行の少年の詩を読んだことがある。

 十何年も昔のこと、『キリン』という童詩雑誌

 みつけた詩だ。雪が降って来ると、

 私はいつもこの詩のことを思い出す。

 ああ、いま、小学校教室という教室で、

 子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。

 この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。

 勤勉、真摯調和

 そんなものともどこかで関係を持っている。

井上靖詩集運河」より

中学生の私は、なるほどと思った。

詩というのは、雪が降って鉛筆の字が濃くなったという描写やその言葉なかにあるのではなくて、物語は書かれてない背景のなかにあるのだなと。

鉛筆の字という描写だけだったら、だから何?という感想しかない。しかし、鉛筆を持つ誰かの表情を想像し、その背景を想像して足してあげることで一枚の絵になる。

井上靖の次に手に取った詩集もよく覚えている。

武者小路実篤だった。やぱり散文詩だった。

当時、大好きだった先輩が「友情」を読んで感動したといっていたので、友情ともう一冊詩集を手に取った。その後しばらくして、私の失言が原因で先輩は私からフェイドアウトしていった(つまりフラれた)ので文学をダシに先輩と仲良くなろうという作戦は失敗した。しかし、武者小路実篤の詩はそんな私をなぐさめる言葉にあふれていた。

いじけて 他人にすかれるよりは 欠伸(あくび)して他人に嫌われる也 夏の日。 嫌う奴には嫌われて わかる人にはわかってもらえる 気らくさ。


ほどなくして、種田山頭火という自由律俳句というジャンルを知った。

山頭火面白い普通俳句じゃないところがいい。規律から解放されるってすばらしいことだと。

定型詩嫌いな私にとっては、ある意味で、俳句短歌エントリーポイントとなって、

新聞の俳壇や短歌欄に時々目をやるようになった。

いわばお勝手からこっそり入門したような形だ。

しか俳句は、季語の煩わしさにどうしてもなじめず、自分には遠い世界のままだった。

いつしか手にしていたのは、興津要解説する江戸川柳 誹風柳多留だった。古典落語にはまり始めた時期だった。

剣菱という酒を飲むことを江戸時代の人が剣菱る(けんびる)と言っていた、など、現代言語感覚と近い、興味深いことがいろいろと書かれていた。

エロい川柳結構好きだった。今でいうサブカルチャーだ。

その後は巴毎晩組み敷かれ

木曽義仲の元を離れ、和田義盛に見初められ身柄を預けられた巴御前、ネトラレ系の元祖ともいうべき味わい。思春期の私はこうした江戸時代川柳妄想たくましく想像し、手が動いた。五七五だったら、こっちの世界のほうが楽しい

一方、短歌のほうは、というと、当時の朝日歌壇は毎週とても楽しみにしていた。

俵万智サラダ記念日ベストセラーになったからというのとは全く関係なく、プロではなく、市井のいろいろな人が短歌を詠んでいるということが興味深かった。

例えば、こんな一首。

わが胸にリンチに死にし友らいて雪折れの枝叫び居るなり

あさま山荘事件を起こした連合赤軍幹部坂口弘収監中の東京拘置所から毎週のように短歌朝日歌壇投稿していた頃だ。

朝日歌壇では他にも穂村弘がいた。短歌表現する世界の幅広さを朝日歌壇で知った。

そして渡辺松男太田美和が常連投稿者として名を連ねていた。

風花って知っています

さよならも言わず別れた陸橋の上

渡辺松男太田美和は実社会で互いに関係があるわけではなく、それぞれの思いを歌に込めていたのだと思うけど、なぜか不思議と互いに呼応し合うものがあった。これは当時の歌壇リアルにみていた人にしかからないことだけど。雨の森や樹々など独特の世界観を表現する渡辺松男に対して、雨の日に部屋にこもれば憂鬱発酵すると詠んだりする太田美和。

生活で恋をしていた私は太田美和の言葉自分を重ね合わせた。


でもこのころが私の文学少女期のおわりだった。

大学卒業したものの、就職できずに苦しむ時期がやってきた。就職氷河期というやつだ。

生活が一変した。

書店で立ち寄るのは、奥の文庫コーナーではなく、店の前の新刊コーナーであり、資格取得のコーナーだった。

購読紙も朝日新聞から日経新聞に代わり、東洋経済となった。

世の中からどんどんと取り残されてゆく焦りでいっぱりになっていた。

山頭火武者小路実篤もへったくりもない、そんなことより面接資格だ!という日々。

就職が決まってからは、病気になったら人生終わりだし、干されたら終わり。もう一歩先に、もう一歩とただひたすら走り、走らされる人生が始まった。

たまに思い出しては、現代短歌最近の潮流を知りたくなって、枡野浩一の本を手に取ってみたりはしたものの、ピンとこなかった。

若い頃あれほど好きだった渡辺松男も改めて著作をみると作風が変わったのかと思うほど、何一つ言葉にくすぐられることなく、不感症になっていた。変わったのは自分のほうだ。


それから数十年、あるとき気が付くと、新しい家族が増え、家が建ち、旅行などしている。

そういえば何十年も詩や短歌を目にしていない。寺山修司の本は引っ越しのどさくさでどこかにいってしまっていた。

思春期のことを遠く思い出すようになった。実家の部屋の引き出しにはまだヘンな自作ポエム集が眠ってるはずだ・・。自分死ぬ前にはなんとしても奪取してこないといけない。

中年になっていいかげん自分限界を悟って、ふっと一息いれた、という形だ。

ふと思い出すのが、最初に買った井上靖詩集

 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

この二行の子供の詩を、何十年も経って思い出す井上靖感覚がとてもよくわかるようになった。


これは人生の楽しみを食に見出して、ワインをたしなむようになってから思ったことでもある。

詩を楽しむということとワインを楽しむことには、ひとつ共通点がある。

どちらもウンチク語ってめんどくさい奴がいる、という意味じゃない。

鉛筆の字が濃くなる、という情景として、勤勉で真摯子供の姿を思い浮かべる、という

文として書かれていることと、書かれていない想像の背景の補完的な関係は、ワイン食事、一緒に食事するひととの関係によく似ている。

ワインの味や香りは、それだけで勿論、それぞれのワインに特徴があるし、品種ビンテージ気候土壌などさまざまな情報がある。

しかワインのおいしさを決めるのはそれだけではない。過去に飲んだ記憶とか、一緒に食べているもの、そしてそのとき話題、体調などに大きく左右される。

だって同じことで、喉が渇いているときの一杯と会議中にやり込められているときの一杯は全然違うはずだ。

マリアージュという言葉があるように、ワイン一種調味料として機能するため、食べ合わせ重要だ。

またワインプロファイル情報あるかないかも味を左右する。

ブラインドで呑むワインはどんな高級ワインだろうが、初見ワインしかない。ワインの特徴まではわかってもそこまでだ。

逆に偽の情報表現かに補完してしまえば、コンビニ販売しているワインを高級ワインと偽って出してもたいていの者には気が付かれないだろう。

ワインを色やら香り、余韻など物理的に因数分解した表現ができても、美味しさは客観的規律として表現することはできない。

詩も同じだと思う。規律ばかりを語るひとがあまりにも多い。本居宣長には悪いけれど、歌をつくるのは道だとしても楽しむのは道じゃないと思うんだよね。

井上靖が「小学校教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。」というとき井上靖にとってその詩に初めて出会ってからの何十年間が効いてくる。井上靖は詩は規律ではなく、詩との出会い方だと教えてくれた人だ。

その情景を自分のなかでセットできるかどうかは、鑑賞眼の問題ではない。

どちらかというと、そのような情景がセットされてしまう、長年の思いの蓄積、その詩と出会ったときメンタル、いわば偶然の力だと思う。

渡辺松男太田美和が並んで歌壇掲載されていたあの空気感にしても、あのとき限りのものだったのだろう。

失恋をして武者小路実篤の詩に慰めれられた思い出もそう。まさに一期一会

先ほど、卒業してから詩どころではなくなったと書いた。

そのとき自分が置かれれる状況やそれまでの経験によっては、詩に対して、鈍感になることだってあるのだ。


ところで、先日、Yahoo芸能ニュースをみていたら、TBSプレバトというバラエティー番組で、俳句を競う企画があって、ある芸人俳句先生から5点と酷評されたと報じていた。

お題は「文房具」で彼女が読んだのは

消しゴムが 白き水面に ボウフラを

というもの。作者は「頑張って勉強して、消しゴムを何回も消すと、消しカスがたくさん出る。それが白いノートにたくさん積もっていると、ボウフラのように見えるという句です」と意味説明したものの、腹が立つ、とまで評者先生にののしられている。

ちょっと間抜けた感じはするものの、正直、なんでそこまで素人俳句酷評されなければならないか理解できなかった。だが、番組演出脚本としてはそれがオチなのだろう。

演出もさることながら、これは、他の出演者俳句が以下のようなものだったことも影響しているように思えた。

迎え梅雨 紙端に滲む 友の文字

虹の下 クレヨンの箱 踊り出す

天王山 黒ずむ袖に 薄暑光

薫風や 隣の君と 教科書

こんなふうに優等生を気取った俳句がずらりと来たら、それは「お約束」として、こき下ろすしかないのかもしれない。

バラエティー番組のなかで俳句を味わうということはつまり、こういうことなのだ。その芸人に対するイメージ作品クオリティが補完されてしまうのだ。

しかし、この句が仮にお笑い芸人ではなく、どこかの学校児童生徒が作ったものであったとしたらどうだろう。

消しゴムをかける姿は、情景としては授業中であることを示唆している。5月番組文房具からまだ気持ちフレッシュだ。だけどがんばろうという気持ちは長続きしない時期でもある。

ぼうふらにみえるほど消しゴムをかけるくらいだから、授業中、何度も消していて、その間、ノートをとる手が止まることになっただろう。

それでも授業はお構いなしに進んでいく。溜まってゆく消しごむのカスからは、授業についていく焦りとともに、生徒のひたむきさ、間違って消すことが多い生徒のどんくささも垣間見られる。

いかげん疲れたかもしれない。めんどくさいと思ったかもしれない。

一方で白い水面(ノート隠喩)は、清潔さや純粋さを象徴している。

ふと手を止めた瞬間に、そこにボウフラがいるようにみえた、というのは、一瞬立ち止まってボウフラ?などとくだらないことを想像してしまった自分の不純さや切れた集中力で抜けてしまった気力(投げ槍感)との鋭い対比となっている。

と、このように解釈すれば、俳句としてむしろ「ボウフラを」で間抜けた形で止めた意味が出てくる。そこから先は、苦笑いなのだ

ボウフラを季語と認めるかどうかはわからない。しかし、純粋に詩としてみれば、消しゴムとボウフラという組み合わせは非常にユニークだ。

また、どんくさいもの弱者がボウフラというノート上のより小さい存在視線フォーカスする、という手法小林一茶方法とも通じるところがある。

番組の評者は、この芸人俳句酷評したうえ、次のような添削をしたという。

しかすはボウフラみたい夏休み

夏休みかよ。口論の途中で勝手に話の前提を変えられたときのような不快感を覚える添削だった。消しかすって文房具じゃないし。

しかし、誰しも詩に対して鈍感になる、そういうことはある。端的にあれバラエティ番組からね。

ただ、私の場合、やっぱり俳句には縁遠いのだろうと思った。俳句がメインのカルチャーであろうとする、優等生を選ぼうとする、そのいやらしさも嫌だ。上品そうな季語を競うかのような世界一種ルッキズムだ。夏休みかいって勝手おめかしさせようとするんじゃねーよ。

そういうところがまさに、かつて私が川柳などのサブカルに引き寄せられるひとつ動機だった。ボウフラにシンパシーを感じる感受性は恐らくはかつて親しんでいた落語川柳で身につけたものだろうからゆりやん一句を悪くないと思うのは邪心かもしれない。そもそも番組ADがテキトーにつくりましたってオチかもしれないんだけどね。

300円でおいしく飲めるワインもあれば、駄作でも楽しめる作品もある。そういうことだと思う。

2024-05-10

ドカ食い気絶と血糖値スパイクに関するすベての間違った言葉について

 増田は元々「市販ペペロンチーノソース、味が濃すぎるからパスタ二人前が丁度良い」とか言いながらドカ食い糖尿病寸前まで行っていた馬鹿デブである

 齢30を過ぎ、尿に変な泡が立ち始めていよいよこれはヤバいと一念発起し、30kg痩せた過去を持つ。

 そのとき健康的に痩せるために血糖値インスリン関係については大分勉強したので、「ドカ食い気絶」に関する雑な言葉が踊りがちな昨今、自分の知る限りの知識をこのタイミングでまとめておく。

 間違っていること、曖昧な部分あるかも知れないが、それは本職の医クラさんがはてブにもいるので頑張って補足していただきたい。

 

そもそも血糖値は何故上がるのか

 そもそも我々素人勘違いしがちなところとして、「血糖値が何故上がるのか」についてのメカニズムのものがある。

 血糖とは、食事摂取した糖が直接出てくるものではない。

 食後血糖値というものは30分もせずに上がり始めるものだが、食後30分ではほとんどの食べ物がまだ胃の中。胃は胃酸によって食べ物を「消化」する器官であって、消化されたものを「吸収」するところではない。

 じゃあ血糖はどこからくるのかというと、主に体内に貯蔵されたグリコーゲンである人間動物)は即席エネルギー源として常に肝臓筋肉グリコーゲンを貯蔵しているが、食事を取るとそれがいらなくなるので血液を介して脂肪細胞に届けて貯蔵するのである

 食事摂取した糖質量そのもの血糖値上下には直接的な関係がない(間接的にはある)ということをまず抑えておきたい。

 いくらか指摘がありますが、この「直接的な関係」という言葉に込めたニュアンスは、基本的には(↓の一文目)だと思っていただきたい。増田あくま論文レベル校正を行えるものではないので、言い回しの細かい部分への訂正はこれっきりとします。ある程度は読み手責任で「等」等を補ってださい。

 

 専門家からの明確な指摘があったわけではないが、この下りは正確さに疑問があるため次のように修正する。血糖値の上昇には多数の要因があり、↓の補足にあるようにGI値などはあくまで目安でしかないため、経口摂取した糖質量に比例して血糖値が上がるような単純な関係ではない。

 

血糖値スパイクとは

 というわけで、血糖値スパイクとは、単に大量の糖質を取ったから大量の血糖が流れるというような話ではない。

 大量の糖質を取っても、食事直後に流れるのは肝臓に貯蔵されたグリコーゲンだし、また健康的な膵臓をしていれば、消化吸収された糖も適切にコントロールされる。

 では何故血糖値スパイクが起こるのかというと、それは主に「インスリン」の働きが悪いかである

 インスリンは、先ほど言った「肝臓に蓄えた糖を血糖として放出し、脂肪細胞に蓄える」というはたらきに関するホルモンであるインスリンがはたらくことによって、血糖は脂肪へと変換されて蓄えられていく。

 つまり逆に言えば、インスリンの働きが悪いと血糖を脂肪に変換する回路がうまく動かないということである

 結果として、血糖値が下がらずに血糖値スパイクが起こる。表面的に言えば、インスリン血糖値を下げる働きをするものなのだ

 

高血糖で眠くはならない

 「血糖値スパイク」に関する大きな間違いのひとつが、「高血糖で眠くなる/気絶する」という話である

 これは完全に間違いで、高血糖は体組織にさまざまなダメージを与えるが、それによって眠気とか(気絶のような)短期的な意識障害は起こさない。

 よく言う「食後の眠気」は、一般的には「低血糖」で起こるものである

 これまで述べたように、食後すぐに肝臓に蓄えられた糖が血中に放出され、「血糖」となる。その血糖は「インスリン」により脂肪へと変換を促されることによって脂肪細胞に貯蔵されなおす。この過程で血中の糖質量が変化するのが「血糖値の上げ下げ」である

 この血糖値の上げ下げの結果、「血糖値スパイクの後には急激な低血糖も起こす」というのが、「食後に眠くなる」メカニズムである

 特に難しい部分のようなので追記。「インスリンの働きが弱まることで、それを補うように分泌が過剰になる(そのせいでまた働きが弱まる)」という「インスリン抵抗」の負の循環によってこういう乱高下が起こりやすくなる。完全な糖尿病になってしまうと、インスリン機能が失われるので自然には血糖値が下がらなくなります。)

 

 以上のことからわかるように、「血糖値スパイク」も「食後の眠気」も、本来「ドカ食い」という一時的行為のものとは関係がなく、そういう不健康生活によってインスリンの働きが弱ることで起こる複合的な現象なのである

 

ドカ食い気絶とは?

 よって「ドカ食い気絶」なる、昨今既成事実化されようとしている現象は、厳密に言えば存在しない。

 医学的にも定義されてないし、そもそも「食後に眠くなる」要因については上で述べた低血糖以外にも他の機序によって説明されることもある。

 胃腸血液が集中することによる疲れだとか、自律神経に関する問題だとか。

 もちろん無理な大食い、不摂生生活身体に悪いことは言うまでもないのだが、ある種の非科学的な迷信と言えるところまで話が膨らんでしまうとそれは良いことではない。

 ドカ食い気絶なる概念の既成事実化によって、逆に妙な(実在しない)健康不安煽りはしないかと、増田危機感を覚えるものである

 

レス、補足

 

2024-05-09

花言葉』なるものについて

綺麗なもの純粋に見れてない。

花が意味するものを後付けで決めるなって話だし、統一されてなくて多過ぎるのも気持ち悪い。

はっきり言って花言葉感受性が欠落した風流気取りのカス向けの概念

口にした時点で見下す。

2024-05-01

減塩レシピに強い料理研究家おしえて

齢35にして高血圧予備軍と診断された。親や弟も高血圧なのでそういう家系なんでしょう。

そんなわけで減塩を始めた。つくった料理を記録して、手計算塩分相当量を計算する。1日7gくらいを目標にゆるく続けている。

減塩おもしろい。料理なんて塩とうまみがあればたいてい美味しいし、なんだったら多少塩っ辛いくらいが丁度いいまであるが(和食に限らない。食パンハムチーズ載せてトーストとか朝食の定番だがこれやると平気で2g超える、コンソメスープを付けようものなら1食3gコース)、その真理に反するので、必然、さまざまな涙ぐましい工夫が必要になる。

減塩始めて早々に気づいたのは、いわゆる「ネットバズるレシピ」の塩分の多さ。ホッテントリ見るの好きだから、よく上がってくる「筋肉料理人」「しにゃごはん」「山本ゆり」はよく作っていたが、減塩意識しはじめると、大方どのレシピも塩けが多いことに気づく。そうじゃないのもあるが稀。まあ塩は美味しいからしゃあないよなあ。自分が食べる時は、適宜調味料減らしたりとかで調整している。

料理がうまくなるコツは、好きな料理研究家の本を通しで3周くらいすることだとクックパッドの偉い人も言っていた。というわけで、減塩レシピに強い料理研究家探してます。教えてくださるとうれしいです。

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(余談)塩分感受性はひとによりけりで、しっかり減塩しても血圧下がらないひともいるらしい。自分最近ようやく下がってきたが(115/75前後)、減塩が効いてるのか、ウォーキングが効いてるのか、単に暖かくなってきたからかはわからない。今はいクスリも多いし、毎日ラーメン食べて汁まで飲むとかは論外にせよ、それほど減塩に気を付ける必要は実は薄いのではないか個人的には思う。自分ゲーム感覚で楽しめているので今後も続ける予定。

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(余談2)最近好きな調味料ラー油豆腐にかける麺つゆの量を減らして、代わりにラー油を少しかけると美味しい。あと、一番の減塩は「食べないこと」だと思う。それがいちばん難しい。

2024-04-26

画面の向こうにいる人間気持ちなんて知らねえよ

お前はマリオに踏み潰されるクリボーや、勇者の通常攻撃で瞬殺されるスライムみたいなもん

倒してもいくらでもおかわりが出てくるようなゲーム雑魚感情移入するのは、感受性の高いハッタショくらいです

クリボーを踏み潰し、ワドルディを吸い込み、スライムを薙ぎ払い、草むらの野生ポケモン経験値にする

その程度の存在

2024-04-24

anond:20240424144103

逆に映画デートをしてお互いに楽しめるなら感受性とか物の考え方がめちゃくちゃ合ってるってことだから末永く付き合っていける可能性も高い

2024-04-19

宝石の国っていうほど鬱展開か?

言うほどでもなくない?

カムときも終盤騒ぎ立ててる人たち多かったけどあれ何なの?感受性が高いアピール

2024-04-18

anond:20240418114405

この手のクッキーって、旅行先の土産物屋でよくある「北海道に行ってきました」プリントクッキーと同じだろ。

センス無い(六花亭やもりもとのお菓子に比べて、もらってもあまり嬉しくない)のはともかく、ツイッター写真上げてまでたたくことかよ。

無視して食わなけりゃいいだけだろ。

 

というか、この手の「もらったものに公の場で文句を言う」って、男ではほとんど見られず、ネットで見るのは女ばかりが言ってて、

かつての「デートサイゼリア」「プレゼントジュエリー4℃」もそうで、男だと「おごって貰えた、プレゼント送ってくれただけで嬉しい」となるところなんだよね。

いかに女が「貰えるのが当たり前」な恵まれ立場で甘やかされて感覚がマヒしてるかの証左だと思うんだよね。

 

というかこの手の

「一部少数の感受性豊かな(変な)女性達が、個人的お気持ちである自分不快感という感情の原因物を身の回り(=社会から排除するために、「女性への配慮が足りない」「〇〇のことを考えろ」という心にもない建前を持ち出して無理やり社会全体の問題として火付け炎上させようとして、その無茶な理屈建てを批判される」 

というパティーンスープストック産休クッキーよりもずっと前から男性向け創作物表現)では何度も繰り返されてきてるよね。

そのときはてブでは

「そうだそうだ、この表現問題だ!この表現肯定するのはアンフェ、女性差別、キモいオタクだ!」

て火付けの肯定レッテル張りブコメが多数ついてスター集めて上位ブコメになってたよね。

排除対象が男向けなら賛同ブコメばかりつくのに、女向けだと途端に燃やす側が批判されるのな。

はてブって理屈よりも「男ならたたく、女ならかばう」ていう家父長制全開の性差別主義者が多くを占める場なんだな…

2024-04-17

anond:20240417123302

ただ、元増田が誰に向けて書いているのかわからず、何が言いたいのか釈然しません。増田には発言者主語がでかいから、それを当て擦っているようにみえるのですが…

客観的には、元増田投稿には、ネタ的な内容にミソジニーアンチフェミ的な発露が込められているように思えますし、

そのような印象を抱くことや、反感を抱くことを否定する気は毛頭ありません。

他のブコメにもありましたが、あの投稿自体がセクシストの主張になっているという指摘も一面として正しいです。

あの元増田揶揄に対して建設的なコメントをするのであれば、そういった倫理的な内容にするしかないでしょう。


ただ元増田の内容は、コンテキストを汲んだうえでポジティブ解釈すれば風刺的な内容でもあるため、

「そういう性質を持つのは”女性”だけではない」と正しい反論をしてしまうのは、

属性を雑に批判された故にミラーリング的に返してしま感情機微があったように感じられますし、

反射的で表層的だなっと自分は感じます自分はそれを言いたいだけです。

恣意的解釈であり、冷笑的ですし、自分感受性の偏り故の見解かもしれませんので、批判は受け入れます


あの増田はとりあえず”返答する意志がある”ということを示したくて公開したものでした。

まともなものにしようとすると時間がかかりそうだったのと、増田自身が飽きてほったらかしにすることを防ぐという意味もありました。

いずれにしろ、hapzeさんのお手を煩わせてしま申し訳ありませんでした。(増田ブコメで”見てくれ”って書いたかもしれませんね…すいません…)

このあたりは特にお気になさらず。自分も寝る前に気づいてパパッと返信しておこうと自分本位で行動しているだけですし、感情的に書き散らしたところもあります

ただこのエントリに何か反論等なければ以降は返信なくて大丈夫です。ご丁寧に対応してくださりありがとうございました。

あとURL引用した結果ツリーが別のエントリと合流してしまったのは申し訳ないです。仕様知りませんでした…。

2024-04-11

HSPについて(愚痴)

これはあくまでも私の愚痴であって、特定の人に対してのヘイトではありません。

私にはHSPの人の思考が全く理解が出来ない。

この事をTwitter(現X)などで呟いた瞬間、HSPへのバッシングとみなされ、袋叩きに合うのは分かっているが、どうしても繊細で感受性が強いから私はこうなんです!と押し付けてくるフォロワーに対して何とも言えない感情限界を感じただけだ。

私自身、メンタルがそこまで強いわけではなく、仕事などで色々あったりし、限界値を越えてしまうと、ちょっとした事で「ああ、何をやってもダメだし、こんな世界とはお別れしたい」とかなりのネガティヴ思考に落ちる時もあれば

人生たーのしー!世界は私のために回っている!」となるほどハイテンションな時もあるので、上がったり下がったりするのは誰しも同じと思っている。

ただ、冒頭にも書いた通り、相互フォロワーの中にこんな私とは正反対自称HSP感受性も強く、ニュース芸能人などの訃報を見るだけで気分が落ち込んで辛くて泣いてしまう人が居る。

それも個人性格だし大変そうだなと感じる事はあれど、そこまでは気にしてなかったが、最近になり?となる事が増えてきた。

私が訃報ツイートなどのニュースRTしたあと、必ずといっていいほど「亡くなったニュースを見て辛い。しんどい。」と呟き、そのあとすぐHSPさんはこんなに大変!だから配慮して。といったような内容が書かれたツイートRTしてくる。

1度なら分かる。

だが、毎回である

それに気づいてからは段々とHSPって面倒くさい。

なぜ壁打ちをしている内容をそのフォロワー配慮しないといけないのか?繊細だからって押し付けてくるのはおかしいのじゃないか

こんなことを考えてしま自分性格はかなり捻くれて思いやりが無いのでは?と考えてしまい、そんな自分が嫌になり、ツイートの内容も当たり障りがない内容ばかりを書いてしまう。

最近では自衛のため、HSPや繊細さんと書かれたツイートが表示されないようミュート設定をし、快適なタイムラインになるように努力はしているが、小蠅の如くどこからともなくすり抜け流れてくるHSPツイートイライラしてしまうし、イーロン仕事しろ!と謎の八つ当たりをしてしまっている。

ここで、そのフォロワーブロックミュートにしてしまえば解決するのでは?と思われそうだが、HSP関連の事さえ無ければ、趣味も合い、気も合うフォロワーなのでなかなか切るという決断が出来ないでいる。

そうして今日自己嫌悪を感じながら、小蠅のように流れてくるHSP関連のアカウントをひたすらブロックする作業を繰り返している。

anond:20240411140450

そんなやつおらんやろ

感受性パラメータ振り切れてるやん

2024-04-05

anond:20240405142735

年を取って感受性が衰え昔のように新規作品にのめりこめない

次々出てくる新作の速度に追いつけず世界観を毎回覚えるのが大変

そうして新しいコンテンツを追えなくなった元・オタク表現の自由ジェンダー論ばかり語って作品自体は語らない謎の存在になっていく

2024-04-04

anond:20240403162502

マディソン郡の橋の一説を元増田に捧ぐ

日に日に無神経になっていくこの世界で、わたしたちは瘡蓋だらけの感受性の殻に閉じこもって暮らしている。どこまでが大いなる情熱で、どこまでからまらない感傷がはじまるのか、わたしにはよくわからない

元増田感受性乾杯

昔はあったのに今はなくなってしまったもの

若さ

時間

感受性

・金

・罪悪感

倫理観

恋人

自由

社会的立場

・両親親戚との縁

2024-03-30

anond:20240330132452

この元増田みたいな人たちって転調が激しいのが凄い音楽っていうもの凄い勘違いしてるから

作品を売り上げとかでしか語れないオタクみたいなもの

感受性がないんだよね

リズム感やグルーヴ感のような音楽の最大の身体性を感じられない

バカなんだよな

2024-03-17

「歳をとると感受性が衰える」ってやつ

40半ばでも全く意味がわからない。

次々新しいジャンル出会うし広がっていく。

本読んでも漫画読んでもyoutube音楽聞いても涙が出る。

しろ若い頃よりガンギマることが増えてきた気がする。

 

レゲエなんて全然からなかったのに今はビンビンに来るし(ARAREとかCHEHONとかRED SPIDERとか)

推しっていうのもわかるようになったし(平本蓮が大好き)

ある種のC級アイドルがなんでいいのかもわかるようになった。(YABACUBE)

 

ただかわりに若い頃に好きだったもの別に全然特別じゃない

最近気づいたけど自分が20歳ぐらいまでに好きだったものを至上のものとして終生ずっと好きな人って結構いて

そういう人と話すと同年代なのに全然話が合わない。(若いのものほとんど印象薄れてるか忘れてるから

  

「歳をとると感受性が衰える」って言うのの正体は

若い頃のことずっと覚えててそれが一番好きって言うタイプの人のことなんじゃない?

同じ物がずっと好きでも世間ではそれの供給は減ったり絶えたりしてくるので結果的に心が動くことが減るっていう・・・

2024-03-15

年々ポンコツになっていく

小さい頃からポンコツ特性がたくさんある

・よく忘れ物や無くしものをする。

絶対やらなきゃいけないタスクから逃げようとする。

・人の気持ちがわからない、配慮のない発言などをして怒られる。

・興味のないことには全く能力を発揮できない。

・何かをやっている時に別のタスクが挟まると、それまでやっていたタスクを忘れてしまう。

働き始めたあたりからある程度は改善できた。

持ち物を全部かばんに入れることで忘れ物を減らし、面倒なタスクや興味のないことから逃げずに向き合うようにした。

人の気持ちがわからないのは相変わらずなんだけど、前職でメンタルをぶっ壊してから感受性が増したのか、共感能力には目覚めた。

でも年齢を重ねるに連れ、

「何かをやっている時に別のタスクが挟まると、それまでやっていたタスクを忘れてしまう」がどんどんひどくなってきている。厄介なことに、「パニックを起こしやすい」が追加されてしまった。

今は接客業してるんだけど、レジとか受付とかしてるとき、混雑してれば並ぶじゃん、客が。それを見ただけでギャーッと火がついてパニックになる。早く捌かなきゃ、待たせたらいけない、早くするにはすべてを早くしなければいけない、そして間違えてはいけない、丁寧な対応もしなければいけない。

でも身体がついていかない。早く動きたくて仕方ないのに動いてくれない。脳みそもついていかない。一瞬計算ができなかったり、言うべき言葉が出てこない。客の言うことがすぐに理解できなかったり、口が勝手に何かを喋るけど、それが本当に正解なのかがわからない。(クレームが来てないからたぶん大丈夫なのだと思うが、全然自信がない。)

パニックが落ち着いたところで、幻聴が始まることが多い。聞こえないフリをしてやり過ごそうとするがこれが難しい。自分自分を責め立てているだけ、と分かってはいるけど、家族友達の声で罵倒されるし、その罵倒反論する術がない。だって自分は何もできない役立たずのポンコツからね。

前職はメンタルぶっ壊れて記憶喪失と遁走をした。転職して4年目ぐらいまでは気楽に働けていた。ポンコツだけどパニック幻聴もなかったから。

5年目を越えたあたりからパニック幻聴がひどい。職場限定かな?と思ってたら自宅でも度々起きるように。単語レベルだった幻聴だんだん長文を喋るようになってきた。

パニックは混雑しやすい土日祝勤務のときによく起こす。幻聴は週4ぐらいはあるかも。夕方になると、母親自分を呼ぶ声(もちろん幻聴)がして一気に全ての症状が無くなる。だから夕方が好き。

少しずつ少しずつおかしくなってるし、純粋スペックも下がりつつある。「そういうものですよ、それが老化ってやつですよ」ってのは分かっている、分かっているのだが声がそれを認めてくれない。ポンコツは早めに殺処分しましょうねって言う。正論からなんにも言い返せない。

まあここまで書き連ねたけども、ごはんは三食食べてるし、早寝早起きちゃんとしてる。実家ぐらしってのもあるし、こんなポンコツでも仲良くしてくれる友達はいる。でも今書いたことは全部は話せない。

なんかそのうち死にそうでやだな。後始末で迷惑かけたくない。

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