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はてなキーワード: 上品とは

2024-05-19

15年ぶりに食ったてんや天丼が不味すぎて泣いた

 私が初めての東京に来たのは就職活動だった。中央線を降り、昼食に駅前のチェーン蕎麦屋へ入ったたところ、あまりのまずさに悶絶したのが初めての東京体験だった。料理漫画関西人がしばしば言う「東京蕎麦はドブ色してて出汁はきいてないし、麺はヘナヘナで食えたもんじゃない」は誇張でもなんでもないんだ、ということを実感し「やっぱり庶民の食いもんは関西だよな」という関西人ありがちな偏見を強くした記憶がある。

(もちろんこれは単なる偏狭思い込みであって、東京人の味覚が鈍いわけではなく、件の蕎麦屋本業が立ち退き業だからというだけであって、それなりの蕎麦屋はそれなりの蕎麦を出してくれるということは、当時の若い私にはわからなかった。)

 しかしこの偏見を粉砕してくれたのがてんや天丼だった。何気なしに入ったてんやワンコイン天丼をあまり期待せずに頼んだところ、その旨さに打ちのめされた。もちろん料亭だの高級天ぷら屋だのは関西にもある。だが500円でここまでのものを出せる天ぷらやは関西にはない。カリッとした衣、濃厚なタレ、多彩なネタ、これらが500円で出てくる奇跡に感動を覚えた。ガッツリした衣にタレが染み込みちょうどいい塩梅となったところがうまい。米やタレの掛かっていない硬い部分と口の中で混ざるとなお良い。塩や天つゆで上品に食べる天ぷら膳ではこれは決して味わえない。これが500円?関西じゃぜったい無理でしょ。東京恐るべし。やっぱ東京って日本一大都会だわ。

 その後毎週末にはてんやに通い、関西帰省したときてんやが無いことにがっかりするくらい入れ込むようになった…のだがその後私は地方工場勤務となってしまった。地方ではてんやが無い。しかし/しかも、そのころ結婚した妻は揚げ物が嫌いだったせいもあり、結局揚げ物自体と離れる生活を15年くらい過ごすことになってしまった。だがこの度、ついに、本社栄転、ということで帰ってきたのだ!東京に。てんやよ!私は帰ってきた!

 ああ15年間焦がれた天丼とついに再開できる。そう思うと胸は高鳴り、期待で唾は溢れんばかりだった。だが一口食ってでてきた言葉は「なんやこれは。クソ不味やんけ」だった。関西を離れて20年も経つと日常関西弁が出ることはなくなる。が、理性のタガが外れたときはやはりどうしても関西弁が出てしまう。関西庶民向けの店ではだせそうもない、あのクオリティはどこへ行ったんや。ネタは良い。タレも相変わらず美味い。米は変わっているだろうけど違いはわからへん。だが衣はすっかり変わってしもうた。すっかり薄くなり、柔らかくヘナヘナの衣、こんなスーパー惣菜天ぷらみたいなのはてんやない。あのてんやはどこへ行ってしまったんや…。憧れ続けて期待値が上がりすぎて失望してしまう、なんてことがよくあるのはもちろん知ってる(昔好きだった同級生同窓会で再開したときとかみたいに)。だからてんやのタレだけ買って帰って近所のスーパー惣菜コーナーの天ぷら使って天丼作ってみたんや。ほしたらほとんどてんやと変わらん出来や。流石にネタスーパーよりてんやの方が良いけど、衣は全然変わらへん。なんかもうがっかりや。スーパー惣菜とは一線を画した揚げたてカリカリ天丼てんやのウリとちごたんか。これやったら「さん天」の方がマシやないか。あっちは490円でエビ2本入っとるし。

 ネットで調べてみたところやはり衣は変えたらしい。ものは言いようだが、サクサク感を狙ってタピオカ粉を使うようになったとか。まあでも自分なりに考えるとなんだかんだいって衣が薄くヘナヘナになったのは時代要請だったのだとおもう。

こんなところだろう。もうてんやへ行くことはない。というかおそらく1年に1回くらい行って毎回がっかりする、そんな店になるのだろう。てんや天丼は死んだんだ。いくら呼んでも帰っては来ないんだ。もうあの時間は終わって、僕も人生と向き合う時なんだ。

というわけで1500円以下で衣がガッツリした天丼を食える店を東京住み増田諸兄がご存知なら教えてほしい(23区+多摩地区くらいで)。いかがだろうか。

2024-05-17

フェミニスト大嫌いな人こそ、特権階級の女様が主人公ドラマ、虎と翼を見るといい

なぜなら主人公は「ひたすら恵まれている」ハイポジションリベラル女子」だから。日頃から女はズルいと怒り呆れがちな人たちが真っ先に鼻で笑うタイプの恵まれた女だから

ドラマ主人公の寅子は、投資銀行に勤める父と良妻賢母の母という大正昭和初期のアッパークラスの、それもリベラル色の強い理解あるご家庭に生まれて、その潤沢な社会資本を余すことな享受して弁護士の道を自由に邁進している。そして勉強大好きで周囲が態度を変えるほど頭が良く生まれついてもいる。そして子供のころから正義感がある。家柄が良くまっすぐ育った明るい優等生

大学に行っても目立つタイプ、拗らせミソジニーを発動する拗らせエリート同級生男子が、いつの間にかそのまっすぐな人柄にやられて好意を抱いたりする程度にはモテる

寅子の家には、父が面倒を見ている司法試験合格を目指す書生がいて(アッパークラスのご家庭ならでは)この書生とも「私たち同じ道を進む仲間よね」という異性友達ムーブをぶちかましているが、書生は寅子に片思いである。そしてこの書生よりも寅子の方が圧倒的学力がある。要するに立場的にも、恋愛的にも経済的にも非対称性が生じている年上の男性を寅子は「異性の友人」として遇している。中々のタマである

寅子は、前述した好意を抱かれていた拗らせエリートに「彼女結婚してくれとはいえない、彼女の夢を奪うことになるから」と思われて振られてしまうのだが、それまでどっちつかずの態度だったくせにいざ振られるとショックを受けたりするし、せっかく弁護士になったのに依頼が来ないのは私が結婚していない(社会的信用がない)からだ、と思いつき慌てて縁談を探してもらうがうまく行かない。そりゃそうだ。

ところが助け舟で、寅子に片思いしていた家の書生から結婚をしたいと言われる。渡りに船逃げ恥のような「条件偽結婚」だと思い込みスピード結婚を承諾するが、前述のとおり書生は寅子に片思いしていたわけで、初夜にぬいペニ状態となる。かわいそうな仲野太賀…。

と、寅子の痛さを中心に4月ドラマが始まって今日までの1カ月半を振り返った。フェミニスト嫌いの諸氏や、女はずるいと常々思っている諸氏が叩き放題の「豊かさという下駄を履いて産まれた恵まれた女様」それが寅子である伊藤沙莉が演じていなかったら大変なことになっていたと思う。

だが伊藤沙莉の演じる寅子はとっても魅力的である

「虎と翼」は、現代問題昭和初期の物語に練り込んでいる疑似歴史感が臭うドラマだが、一方でモデルになっている三淵嘉子は実在の人で、ドラマにおける寅子のキャリアや背景はモデルのそれをなぞっている。恵まれリベラルな家に生まれ弁護士になり、戦争時代突入し、色々あって戦後日本初の裁判官になるスーパーウーマンである

ドラマの寅子も恵まれた家に生まれ、厳然とした性差別がある世界を、明るく、元気に、強気に突き進んでいく。そして突き進む中で彼女は、自分が周囲と比べ恵まれていること、「自由選択ができるという」下駄を履いて生まれてきたことを徐々に自覚していく。

寅子が持って生まれた豊かな資源は、裏返せば、女に人権がなかった時代には、ここまで特権的に恵まれてなければ法曹界で働く道を切り拓くことができなかった、ということの証左だ。そしてこれを現在に照らせば、形式上男女平等になった現在の女は寅子に比べれば矜持や頑張りが足りない、という振り返りもできるし、現在でもまだまだ形式的しか男女の機会平等は達成されていないよなと振り返ることもできる(医大入試における性差別不正はつい最近出来事だが、あの時は差別だと批判する意見と、女はズルいから消耗が強い診療科を選ばないため合理的配慮だという意見に二分されていた)。

これは、女性人権がなかった頃を引き摺って今も残る男性優位の古い価値観を、改めてマーカーでなぞっていく作業であり、同時に現代の女が抱える特権性の問題も照らし出す作業でもある。

そしてドラマの中では、現代にもしっかり残っている、個人幸福を削るような価値観を改めて再発見することになる。

結婚しなければ社会的信用が得られない」、「エリート男が生きていくには従順に従う女が必要」、「女の弁護士なんて信用できない」、「自分より優秀な女は生意気で目障りだ」、「適齢期を過ぎると縁談がない」、「人は生まれた国や家や身分に縛られる」、「平等を求める声は不平等利益享受する側には届かない」、「上品批判下品な妬みには勝てない」、「お金がないと社会的意義の高い仕事につけない」などなど。昨日どこかのSNSでだれかがぼやいていそうな内容である

これらは女だけではなく、男も同様に削られる呪い価値観である。学友たちはこの呪い価値観によって法曹界で働くという夢を立たれていき、寅子は弱い立場に置かれた人を助けたいという正義実践に加えて、諦めなくてはならなかった仲間への思いを「使命」として背負う人生を選ぶことになる。

平等と戦うに十分な恵まれ武器を持って生まれて、更に先駆者の使命を背負った寅子は、おそらく来週から戦争ターンではどんどん「恵まれていたもの」を奪われていくことになるのだと思う。世紀の愚戦・負け戦の太平洋戦争ってそういうものだったから。男は戦争に行くし残った老人や女子供は空爆さらされる。男も女も人がたくさん死に経済活動は退潮する。

その時でも寅子は「正義」と「使命」をもって生きていくのだろうと思う。モデルの三淵さんは生き残ったし、何しろドラマ主人公なので正義や使命は捨てないだろう笑。

たくさんのものを奪われてなお「正義」と「使命」を失わない女がどんな生き方をするのかのドラマを私はとても楽しみにしている。

そして、形式上の機会が平等になった世界で、これまでずっと恵まれていたはずのものをどんどん奪われ不満が溜まっている人たち、「女は狡い」、「現代の女は特権階級だ」と思っている人こそ、奪われても正義と使命を捨てなかった人のドラマを見てほしいと思う。

フェミニズムドラマくっさー、と思う人も多かろうが、お勧めしたいのには、単純にドラマとして良くできているのもある。

寅子は「戦う女戦士」みたいな感じではまったくなく、前述通りそこそこの空気読めないわがままな、脇の甘い生き方をしていて、いちいちナレーションに突っ込まれている。ナレーション尾野真千子で、芝居がかったナレーションだがコメディの良い味付けになっている。

寅子の両親や兄夫婦明治家族観(男が働き女は家を守る)できわめて円満夫婦関係に描かれている。一方で嫁姑ちょっとしたストレスも描かれたり。父は帝人事件(疑獄事件)の当事者になり、リベラルエリート父親会社での立場に縛られる姿をシリアスに描いてもいる。

また、法曹界への女性進出を後押しする立場であるリベラル派の教授弁護士がしっかりと性差別をしていてフェミニズムにおける父権問題提示していたりもして、本当に痒い所にまで手に届く配慮がされている。セリフやシーンの伏線もとても豊かでドラマとして見ていて普通に面白い出演者はみな手練れの俳優だらけで演技へのストレスはほぼない。

単にドラマとしても面白いので、ぜひ。

フェミニズムドラマとしての側面については、あまりブコメが集まっていなかったがこの記事分析がとても分かり易かったhttps://bunshun.jp/articles/-/70764 これ読むと「女のためだけのドラマ」じゃないことがよくわかると思う。

ところで最後全然話は変わるのだが、昭和初期というのは実はWWIIジャンプして戦後と地続きになっていたかなり民主的かつ退廃的な時代だったらしい。「富国強兵」を叫んで強国を目指していた大日本帝国から現代にいたるGDPの推計推移をみると「戦争が無かったらこグラフの線が素直に上がっていたのではないだろうか」と感じさせるラインが描かれる(https://www.nippon.com/ja/in-depth/a04003/ 中ほどのグラフ)。まあ実際は戦争しないと色々糞づまっていたわけで後付けの皮算用しかないが。

ともかく、人が自由を求めそして退廃を享受できる程度の十分な豊かさが生まれていたのが大正末期から昭和初期の時代。ちょうど朝ドラで描かれているこの時代は、結構現代に近い時代だったりもする。

しかし、このニッポンドットコム笹川財団由来のかなり右寄り情報サイトなのだが、それでも「高度成長期ストック90年代で尽きてその後の策がねえぞ」という分析になっているのが、ちょっとだけ面白いですね。

anond:20240517115622

すごくわかる

逆にぐちゃぐちゃに混ぜるのは他人がやってるのを見るのすら不快

食事の前や後に手を合わせて上品ぶってるのにぐちゃまぜされるのはもっと不快

2024-05-16

久々にブリタニーハワード投稿でも見るかと思って1年以上ぶりにインスタログインしてみたら本当にゴミみたいな広告3エントリに1回くらい流れてくるんだけどヤバ

これみてクリックなりタップなりするやつ本当にいるのか?

下品というのも上品なくらい文言も絵面も売ってるものヤバい

youtubeとそんなに変わんないか…でもなんかヤダ

2024-05-15

多子子供幸せにするって無理ゲーじゃない?

都内家賃高めの区の私立幼稚園に通い始めて知ったのは、裕福で多子のご家庭も結構いるということ。

父が高収入、母が美人上品かしこ専業主婦の家庭が7割、残り2割が父も母も優秀な夫婦(この場合母の顔は中上)の組み合わせ、1割があんまり夫婦

で皆この少子化に3,4人当たり前。皆様は実際は大変だろうけど、優雅な顔で卒なく園、子供全員の習い事複数ママ友付き合いをこなされてる。

話してみると多くの皆さん賢くて優しくて勤勉なのよ。

でもお手本のように素晴らしい親御さんの下でも多子の子大体顔死んでるのね。

2人くらいまではうまくハンドリングすれば、子供全員幸せそうなんだけど。多子の子ってもちろんいつでも顔死んでるわけじゃないけど、顔死んでることが多い。

追記:確かに顔死んでるとか目が笑ってないとかはあまり主観的だったかも。優しい大人への喰いつき具合とか。

親の愛情リソース関心リソースを諦めてる感じ。

そして3人4人になると親もも子供の話す事平気で無視したりするようになるね。

別にそれでも立派に育つと思うし、今でさえ優秀な子供達だと思う。

でも親が子供を一人の人間として尊重し関心を持ち関われるリソースを鑑みても、少なくとも親から愛されてる実感は少なくなるだろうなと思う。

まあ別に親以外で充足できればいいだろうけど

2024-05-14

張り切って仕事する中年女性が苦手

家の近くのスーパー夕方、ほぼ毎日勤務してるスーパー店員中年女性がいるんだけど、

とにかく声がデカくて張り切ってる。

下品な感じじゃなくて阿佐ヶ谷姉妹みたいな高くて突き抜ける上品な声質。

いらっしゃいませーーー!ありがとうございましたーーー!〇〇のお預かりでーーーす!袋どうされますかーーー!?うん、まぁうるさい。

仕事終わって疲れてスーパーで買い物してるとあの元気の押し売りみたいな声を聞くと疲れる。

たぶん他の客も同じようなこと思ってるんじゃないかな?都内オフィス街にあるスーパーから客層はサラリーマンの男が多い。

客が少ない時も他の従業員にあーだこーだと仕事のことで話してる。仕事大好きなんだろうな。

普通に見たら大きな声で接客して感じが良いんだけど、なんか「私すごく頑張ってる!」というのを見せつけられているようでイラっとする。

他の店員はよくいるスーパー店員と同じでローテンション。まぁそれが普通だよね。というか、夕方だし客も仕事終わって疲れてるのにハイテンションで張り切った声出されると聞いてるだけでもしんどい

そういうのは時と場合によるよね。

居酒屋で客が酒飲んでハイテンションなら店員ハイテンションだと「ノリ良いね!」ってなるけど、スーパーで客も店員もみんな疲れてダラーっとしてるのに1人だけハイテンションで「みんな元気無いわよ!」と言わんばかりに声張られるとムカつく。

でも悪いことしてるわけじゃないし誰も注意できないよな。というか他の店員はこのおばさんをムカつくと思ってないかもしれないが。

2024-05-13

最も過大評価されている作家三島由紀夫

三島由紀夫日本代表する文豪憂国の士といわれるが、過大評価され過ぎだと思い、所感を書いておく。

駄作が多すぎる

三島由紀夫はかなり多作作家で、小説戯曲だけでおそらく200作を超える。

新潮社三島由紀夫全集バカデカサイズの全42巻からなり、通読した人間三島専門家くらいだろう…専門家すら怪しいが。

なぜならあまりにしょーもない作品が多すぎるから

三島由紀夫といえば金閣寺。少し落ちるものとしては仮面の告白潮騒美徳のよろめき鏡子の家憂国豊饒の海がある。

しかし他の95%の作品・・・

私は三島由紀夫が好きで、小説だけでなく戯曲を含めて結構読んでいる方だと自認しているが、若者がつまら観念を語るだけの作品、あまり紋切り型恋愛作品が多すぎて、読むのが時間無駄苦痛だ。

打率の低さは擁護しきれないほどである

三島由紀夫vs東大全共闘

2021年に『三島由紀夫vs東大全共闘』という映画が公開された。三島由紀夫 = 憂国の士という共通認識を前提とした筋書きのようだ。

しかし当時(1969年)の共通認識は「ややこしい人がクビを突っ込んだな」である

当時の三島由紀夫はボディービルディングに熱中したり、鍛えた裸を披露するために自分映画写真集作ってみたりと、脇道にそれる活動が多く、作家としての存在感が薄らいでいた。

それどころかいい年したおじさんなのにUFO超能力の探求にハマったり、ハタチそこそこの若者を誘って私兵部隊を結成したり(後に市ヶ谷駐屯地突入した楯の会である)と、お騒がせキャラクター確立していた。

まりUFO超能力に興味があり、自分映画写真集をつくり、若者を集めて軍事訓練を積ませている40過ぎのおじさんが、ソ連マルクス主義の嵐が吹きすさぶ東大に入って論戦しようというのであるいくらなんでもツッコミどころが多すぎるよ。

当時は同性愛天皇礼賛主義への偏見が強かったこともマイナスイメージ形成しており、三島由紀夫は"へんなおじさん"であった。

楯の会事件

散々語られていることだが計画性がなさすぎる。拡声器すら用意していなかったとは…。

社会思想を訴えることについて、本気度・想像力が足りない。

偉い人を人質にとって吠えれば自衛隊が動くと思ったのだろうか。組織とはそのような属人的ものではない。

ずさんな計画のわりに、割腹自殺の準備だけはキッチリしていたらしいが。

派手に割腹たかっただけでしょ。割と当たっていると思う。三島由紀夫エッセイ映像インタビューで度々語っているお気に入りエピソードに、終戦の日に夏の静かな日差しを見ていると自分は"生き残ってしまった、後に残されてしまった"という強い感覚を持ち、それ以来死に場所を探しているという話があり、その"死に場所"を選んだということなのだろう。

三島自己満足に付き合って死んだ若者たちが可愛そうだ…。

最後

三島由紀夫エッセイストとして優秀だとおもう。"高貴なる野蛮人たれ"という言葉を残した。上品で、教養があり、裕福な人間一見洗練されているようではあるが、実は個性がなく退屈で、柔順で、脆弱人間なのである種の誇り高き野蛮さを備えておくべきだという三島由紀夫の主張。この主張は私の人生の指針にもなってきた。

ただ文豪憂国の士というのは過大評価であり、観念に引きこもるあまり最期は周りに迷惑をかけて死んだへんてこ作家、くらいが妥当評価だと思う。

リベラル京都市長選は不正選挙 リベラル面しながら自民王国のクソド田舎田舎訛りの気持ち悪りい関西弁でクソ田舎で一生終わってろ」

リベラルくんさぁ……これは一体何なんだい?

17 安倍晋三🏺 (ワッチョイW f77a-srmh) 2024/02/04(日) 23:02:30.90 ID:phgkcbEl0

京都土人チンチャ草

 

77 番組の途中ですがアフィサイトへの転載禁止です (ワッチョイW d710-t82a) 2024/02/04(日) 23:08:25.66 ID:CbV26hez0

どうやら土人なのはほんとだったみたいだな

 

220 🌝自民維新参政統一教会政党🏺 (ワッチョイW 97c9-JMKI) sage 2024/02/04(日) 23:25:16.47 ID:AJFaXf/20

所詮大阪民と同レベルの土民なんだな

 

10 番組の途中ですがアフィサイトへの転載禁止です (ワッチョイW 578b-nPro) sage 2024/02/05(月) 02:47:12.54 ID:+nq/dr820

野党が勝った方が市民のためになるのに京都人はアホやな

 

32 安倍晋三🏺 (ワッチョイW 9f17-aObh) sage 2024/02/05(月) 10:15:28.26 ID:ffEfbOM20

ニチャニチャした皮肉言いながら素手便器磨いてる民族には土民という単語すら上品すぎて褒め言葉になるわ

 

4 安倍晋三🏺 (アウアウクー MM0b-aObh) sage 2024/02/07(水) 22:08:48.75 ID:QAH2dlymM

素手便器県産のものはばっちいから不買するわ

 

9 ゲリゾー🏺 ◆ABeSHInzoo (ワッチョイW 9f5f-YiS1) 2024/02/10(土) 10:36:56.94 ID:wKyKNFJ20

今どき自民公認のヤツに投票する正義感の欠片もない屑共が多い土地って証明だな

 

12 森羅万象担当大臣アフィサイトへの転載禁止🏺 (オイコラミネオ MMeb-C9z+) sage 2024/02/04(日) 23:02:14.49 ID:wMEtJ9bdM

京都民度が低いな

 

36 安倍晋三🏺 ◆.abeshinZo (ワッチョイW 7f84-lqa/) 2024/02/04(日) 23:04:19.62 ID:zpz2RPS70

また不正選挙

 

275 安倍 (ワッチョイ 9f56-MO48) 2024/02/04(日) 23:31:31.15 ID:vKXPgepR0

また終わり近くに何故か逆転しやがった

明らかな不正選挙

 

401 安倍 (ワッチョイ 9f56-MO48) 2024/02/04(日) 23:48:56.93 ID:vKXPgepR0

ネタ抜きに不正選挙可能性は常に考えておいたほうが良いぞ

ここ日本だぞ。何があっても不思議じゃない

京都市長選挙、嫌儲開票速報★2 [256556981]

ttps://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1707052344/550

 

18 abe (ワッチョイ 9f56-MO48) 2024/02/04(日) 22:18:37.52 ID:vKXPgepR0

マジで奇跡起きてくれ

本当にこれ以上自.民だと京都財政破綻するぞ

 

36 安倍 (ワッチョイ 9f56-MO48) 2024/02/04(日) 22:23:16.32 ID:vKXPgepR0

ネトウヨ発狂して中華人民共和国京都京都市とか言ってて草

マジで面白いコイツ

 

550 安倍 (ワッチョイ 9f56-MO48) 2024/02/04(日) 23:27:49.61 ID:vKXPgepR0

京都って京大もあるし「文化の都、リベラル都市ですよー」みたいなツラしときながら

結局は自.民王国のクソド田舎かよ

前橋の爪の垢のクソ煎じて飲んでおけよ、カッペ府民マジでゴミだな京都人って

田舎訛りの気持ち悪りい関西弁でクソ田舎で一生終わってろよ

2024-05-12

詩とか俳句短歌について思うことメモ

もう人生の折り返し点をすぎて久しい。目を通す文字は、仕事書類ばかりとなった昨今。

でも小学校高学年から中学生にかけての頃に、文学少女に憧れた時期があった。

書店の奥のほうにいっては新潮文庫コーナーで、適当に数冊手に取っては解説に目を通したりしていた。

まれて初めて自分で買った詩集は、井上靖詩集だった。小学校5年生か6年生の頃だと思う。

頁を開いたとき、これは詩なの?というのが最初感想だった。普通に文章だったからだ。

調べてみると、井上靖の詩は、散文詩という形式らしい。なにが自分の知っている詩と違うのだろうというところで

「韻」という言葉もその時初めて知った。

井上靖詩集を手に取ったのは、国語教科書に載っている著者の本でなるべく読みやすそうなものを探したからだった。

というわけで、あすなろ物語のついでに手にしたのが、人生最初詩集だった。

小中学生の頃、国語の授業で、詩や短歌に少し関心をもった私は、韻を踏む、という作法が苦手だった。

季語などルールがあったり、韻で楽しめなければならない、みたいなもの短歌俳句だとすると、ちょっと縁がないなと。

特に覚えているのは、中学校の時習った在原業平短歌に、かきつばたを詠みこんだものがあるが、韻だけでなく、言葉ニュアンスにいろいろな仕掛けを作らないと詩として成立しないのかと思うと到底自分には向いてないジャンルだった。しかし、そうはいっても、短い言葉で何かを表現してみたいという思いは消えず、ひそかに詩集をつくって引き出しの奥底にいれていた。


井上靖の詩のなかに

幼少の頃、川辺の石段の下で手を洗っているとき不意に石鹸が手元を離れ、深みに落ちていったという情景の詩があった。その喪失感をその後の人生でも刻まれているという内容だった。これなら自分でも書けるかもしれない、と思った。

自分世界表現の仕方や詩の味わい方を学べたのも井上靖の詩の影響が大きかった。

例えば、雪という詩がある。


 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

 こういう二行の少年の詩を読んだことがある。

 十何年も昔のこと、『キリン』という童詩雑誌

 みつけた詩だ。雪が降って来ると、

 私はいつもこの詩のことを思い出す。

 ああ、いま、小学校教室という教室で、

 子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。

 この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。

 勤勉、真摯調和

 そんなものともどこかで関係を持っている。

井上靖詩集運河」より

中学生の私は、なるほどと思った。

詩というのは、雪が降って鉛筆の字が濃くなったという描写やその言葉なかにあるのではなくて、物語は書かれてない背景のなかにあるのだなと。

鉛筆の字という描写だけだったら、だから何?という感想しかない。しかし、鉛筆を持つ誰かの表情を想像し、その背景を想像して足してあげることで一枚の絵になる。

井上靖の次に手に取った詩集もよく覚えている。

武者小路実篤だった。やぱり散文詩だった。

当時、大好きだった先輩が「友情」を読んで感動したといっていたので、友情ともう一冊詩集を手に取った。その後しばらくして、私の失言が原因で先輩は私からフェイドアウトしていった(つまりフラれた)ので文学をダシに先輩と仲良くなろうという作戦は失敗した。しかし、武者小路実篤の詩はそんな私をなぐさめる言葉にあふれていた。

いじけて 他人にすかれるよりは 欠伸(あくび)して他人に嫌われる也 夏の日。 嫌う奴には嫌われて わかる人にはわかってもらえる 気らくさ。


ほどなくして、種田山頭火という自由律俳句というジャンルを知った。

山頭火面白い普通俳句じゃないところがいい。規律から解放されるってすばらしいことだと。

定型詩嫌いな私にとっては、ある意味で、俳句短歌エントリーポイントとなって、

新聞の俳壇や短歌欄に時々目をやるようになった。

いわばお勝手からこっそり入門したような形だ。

しか俳句は、季語の煩わしさにどうしてもなじめず、自分には遠い世界のままだった。

いつしか手にしていたのは、興津要解説する江戸川柳 誹風柳多留だった。古典落語にはまり始めた時期だった。

剣菱という酒を飲むことを江戸時代の人が剣菱る(けんびる)と言っていた、など、現代言語感覚と近い、興味深いことがいろいろと書かれていた。

エロい川柳結構好きだった。今でいうサブカルチャーだ。

その後は巴毎晩組み敷かれ

木曽義仲の元を離れ、和田義盛に見初められ身柄を預けられた巴御前、ネトラレ系の元祖ともいうべき味わい。思春期の私はこうした江戸時代川柳妄想たくましく想像し、手が動いた。五七五だったら、こっちの世界のほうが楽しい

一方、短歌のほうは、というと、当時の朝日歌壇は毎週とても楽しみにしていた。

俵万智サラダ記念日ベストセラーになったからというのとは全く関係なく、プロではなく、市井のいろいろな人が短歌を詠んでいるということが興味深かった。

例えば、こんな一首。

わが胸にリンチに死にし友らいて雪折れの枝叫び居るなり

あさま山荘事件を起こした連合赤軍幹部坂口弘収監中の東京拘置所から毎週のように短歌朝日歌壇投稿していた頃だ。

朝日歌壇では他にも穂村弘がいた。短歌表現する世界の幅広さを朝日歌壇で知った。

そして渡辺松男太田美和が常連投稿者として名を連ねていた。

風花って知っています

さよならも言わず別れた陸橋の上

渡辺松男太田美和は実社会で互いに関係があるわけではなく、それぞれの思いを歌に込めていたのだと思うけど、なぜか不思議と互いに呼応し合うものがあった。これは当時の歌壇リアルにみていた人にしかからないことだけど。雨の森や樹々など独特の世界観を表現する渡辺松男に対して、雨の日に部屋にこもれば憂鬱発酵すると詠んだりする太田美和。

生活で恋をしていた私は太田美和の言葉自分を重ね合わせた。


でもこのころが私の文学少女期のおわりだった。

大学卒業したものの、就職できずに苦しむ時期がやってきた。就職氷河期というやつだ。

生活が一変した。

書店で立ち寄るのは、奥の文庫コーナーではなく、店の前の新刊コーナーであり、資格取得のコーナーだった。

購読紙も朝日新聞から日経新聞に代わり、東洋経済となった。

世の中からどんどんと取り残されてゆく焦りでいっぱりになっていた。

山頭火武者小路実篤もへったくりもない、そんなことより面接資格だ!という日々。

就職が決まってからは、病気になったら人生終わりだし、干されたら終わり。もう一歩先に、もう一歩とただひたすら走り、走らされる人生が始まった。

たまに思い出しては、現代短歌最近の潮流を知りたくなって、枡野浩一の本を手に取ってみたりはしたものの、ピンとこなかった。

若い頃あれほど好きだった渡辺松男も改めて著作をみると作風が変わったのかと思うほど、何一つ言葉にくすぐられることなく、不感症になっていた。変わったのは自分のほうだ。


それから数十年、あるとき気が付くと、新しい家族が増え、家が建ち、旅行などしている。

そういえば何十年も詩や短歌を目にしていない。寺山修司の本は引っ越しのどさくさでどこかにいってしまっていた。

思春期のことを遠く思い出すようになった。実家の部屋の引き出しにはまだヘンな自作ポエム集が眠ってるはずだ・・。自分死ぬ前にはなんとしても奪取してこないといけない。

中年になっていいかげん自分限界を悟って、ふっと一息いれた、という形だ。

ふと思い出すのが、最初に買った井上靖詩集

 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

この二行の子供の詩を、何十年も経って思い出す井上靖感覚がとてもよくわかるようになった。


これは人生の楽しみを食に見出して、ワインをたしなむようになってから思ったことでもある。

詩を楽しむということとワインを楽しむことには、ひとつ共通点がある。

どちらもウンチク語ってめんどくさい奴がいる、という意味じゃない。

鉛筆の字が濃くなる、という情景として、勤勉で真摯子供の姿を思い浮かべる、という

文として書かれていることと、書かれていない想像の背景の補完的な関係は、ワイン食事、一緒に食事するひととの関係によく似ている。

ワインの味や香りは、それだけで勿論、それぞれのワインに特徴があるし、品種ビンテージ気候土壌などさまざまな情報がある。

しかワインのおいしさを決めるのはそれだけではない。過去に飲んだ記憶とか、一緒に食べているもの、そしてそのとき話題、体調などに大きく左右される。

だって同じことで、喉が渇いているときの一杯と会議中にやり込められているときの一杯は全然違うはずだ。

マリアージュという言葉があるように、ワイン一種調味料として機能するため、食べ合わせ重要だ。

またワインプロファイル情報あるかないかも味を左右する。

ブラインドで呑むワインはどんな高級ワインだろうが、初見ワインしかない。ワインの特徴まではわかってもそこまでだ。

逆に偽の情報表現かに補完してしまえば、コンビニ販売しているワインを高級ワインと偽って出してもたいていの者には気が付かれないだろう。

ワインを色やら香り、余韻など物理的に因数分解した表現ができても、美味しさは客観的規律として表現することはできない。

詩も同じだと思う。規律ばかりを語るひとがあまりにも多い。本居宣長には悪いけれど、歌をつくるのは道だとしても楽しむのは道じゃないと思うんだよね。

井上靖が「小学校教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。」というとき井上靖にとってその詩に初めて出会ってからの何十年間が効いてくる。井上靖は詩は規律ではなく、詩との出会い方だと教えてくれた人だ。

その情景を自分のなかでセットできるかどうかは、鑑賞眼の問題ではない。

どちらかというと、そのような情景がセットされてしまう、長年の思いの蓄積、その詩と出会ったときメンタル、いわば偶然の力だと思う。

渡辺松男太田美和が並んで歌壇掲載されていたあの空気感にしても、あのとき限りのものだったのだろう。

失恋をして武者小路実篤の詩に慰めれられた思い出もそう。まさに一期一会

先ほど、卒業してから詩どころではなくなったと書いた。

そのとき自分が置かれれる状況やそれまでの経験によっては、詩に対して、鈍感になることだってあるのだ。


ところで、先日、Yahoo芸能ニュースをみていたら、TBSプレバトというバラエティー番組で、俳句を競う企画があって、ある芸人俳句先生から5点と酷評されたと報じていた。

お題は「文房具」で彼女が読んだのは

消しゴムが 白き水面に ボウフラを

というもの。作者は「頑張って勉強して、消しゴムを何回も消すと、消しカスがたくさん出る。それが白いノートにたくさん積もっていると、ボウフラのように見えるという句です」と意味説明したものの、腹が立つ、とまで評者先生にののしられている。

ちょっと間抜けた感じはするものの、正直、なんでそこまで素人俳句酷評されなければならないか理解できなかった。だが、番組演出脚本としてはそれがオチなのだろう。

演出もさることながら、これは、他の出演者俳句が以下のようなものだったことも影響しているように思えた。

迎え梅雨 紙端に滲む 友の文字

虹の下 クレヨンの箱 踊り出す

天王山 黒ずむ袖に 薄暑光

薫風や 隣の君と 教科書

こんなふうに優等生を気取った俳句がずらりと来たら、それは「お約束」として、こき下ろすしかないのかもしれない。

バラエティー番組のなかで俳句を味わうということはつまり、こういうことなのだ。その芸人に対するイメージ作品クオリティが補完されてしまうのだ。

しかし、この句が仮にお笑い芸人ではなく、どこかの学校児童生徒が作ったものであったとしたらどうだろう。

消しゴムをかける姿は、情景としては授業中であることを示唆している。5月番組文房具からまだ気持ちフレッシュだ。だけどがんばろうという気持ちは長続きしない時期でもある。

ぼうふらにみえるほど消しゴムをかけるくらいだから、授業中、何度も消していて、その間、ノートをとる手が止まることになっただろう。

それでも授業はお構いなしに進んでいく。溜まってゆく消しごむのカスからは、授業についていく焦りとともに、生徒のひたむきさ、間違って消すことが多い生徒のどんくささも垣間見られる。

いかげん疲れたかもしれない。めんどくさいと思ったかもしれない。

一方で白い水面(ノート隠喩)は、清潔さや純粋さを象徴している。

ふと手を止めた瞬間に、そこにボウフラがいるようにみえた、というのは、一瞬立ち止まってボウフラ?などとくだらないことを想像してしまった自分の不純さや切れた集中力で抜けてしまった気力(投げ槍感)との鋭い対比となっている。

と、このように解釈すれば、俳句としてむしろ「ボウフラを」で間抜けた形で止めた意味が出てくる。そこから先は、苦笑いなのだ

ボウフラを季語と認めるかどうかはわからない。しかし、純粋に詩としてみれば、消しゴムとボウフラという組み合わせは非常にユニークだ。

また、どんくさいもの弱者がボウフラというノート上のより小さい存在視線フォーカスする、という手法小林一茶方法とも通じるところがある。

番組の評者は、この芸人俳句酷評したうえ、次のような添削をしたという。

しかすはボウフラみたい夏休み

夏休みかよ。口論の途中で勝手に話の前提を変えられたときのような不快感を覚える添削だった。消しかすって文房具じゃないし。

しかし、誰しも詩に対して鈍感になる、そういうことはある。端的にあれバラエティ番組からね。

ただ、私の場合、やっぱり俳句には縁遠いのだろうと思った。俳句がメインのカルチャーであろうとする、優等生を選ぼうとする、そのいやらしさも嫌だ。上品そうな季語を競うかのような世界一種ルッキズムだ。夏休みかいって勝手おめかしさせようとするんじゃねーよ。

そういうところがまさに、かつて私が川柳などのサブカルに引き寄せられるひとつ動機だった。ボウフラにシンパシーを感じる感受性は恐らくはかつて親しんでいた落語川柳で身につけたものだろうからゆりやん一句を悪くないと思うのは邪心かもしれない。そもそも番組ADがテキトーにつくりましたってオチかもしれないんだけどね。

300円でおいしく飲めるワインもあれば、駄作でも楽しめる作品もある。そういうことだと思う。

2024-05-11

過去1年間で買ってよかったものを書く

俺のスペック

30代中盤、男。

まりに暇なので考え付く範囲で書いていく。


服)ユニクロ タックワイドパンツ

何本も買って仕事からプライベートまで幅広く使ってる。

フォーマルカジュアルを両立させつつ、少し前の流行であるワイドパンツでもあるという隙のないアイテム

それでいてユニクロらしく生地感がよくザ・無難という感じもあるので、どんな場面でも使えるポテンシャルを持ってるところが好き。

これさえ履いとけば上半身は何を着てもいいという自由度もある。


靴)ホカオネオ

モデル名は不明。クッション素材まで黒色で統一されてるやつ。

スポーツ用品店店員さんに勧められて買った。

とにかく履き心地がよくて歩きやすい。アディダススニーカーとかと比べたら勝負にならないレベルで満足感ある。

それでいてあまり主張しない見た目なので、どんな服にも合わせられる。これも仕事普段使いの両方で使ってる。

リピート確定。


バッグ)無印 肩の負担を軽くする撥水リュックサック

仕事用。

とにかく安くてガシガシ使えるものを選んだ。

特筆すべき点は何もなく、収納面は甚だ不足しているが、毎日使って摩耗しても少しも惜しくないという点では強いし、

外見的にはロゴも何もなく主張しないのでおっさんとしては使いやすい。


携帯iPhone 14 Plus

以前は13だか12だかのiPhone miniを使っていたけれど、バッテリーの持ちがあまりに悪いので、最もバッテリーが持ちそうなこれを選択

結果としては大正解で、休日に1日弄っていてもバッテリーが余裕で持つし、画面が大きいので漫画動画を見る時のストレスのなさが凄い。

デメリットとしては大きさと重さだが、これはすぐに慣れた。iPhoneProほどは重くないので、男性なら問題なく使えるレベルだと思う。


椅子)OKAMURA Sylphy

椅子選びは間違うといろいろ苦労しそうなので、一番無難そうなメーカー選択

注意してほしいのは座面がメッシュとクッションの二種類あるという点で、自分は座り易さを優先してクッションを選んだ。

色はフレームが白で、座面がベージュ

座り心地がとてもいい上に、部屋とも合わせやすくて気に入ってる。


PCM1 Macbook Air

メモリ16GB、ストレージは1TB。

以前はWindowsユーザーだったので移行するのに多少苦労したが、総合的には満足してる。

撮った写真動画編集するという用途ではほぼほぼ不満のないPC

コストパフォーマンスという面ではWindows機より断然上という感覚がある。

ただファンレスで熱を持ちやすいので、ガチクリエイターが使うと寿命が短くなるかもしれない。

欲を言うともう少し軽いと助かる。


カメラレンズSony FE 24-70mm F2.8 GM II

いわゆる標準ズームレンズ

最初サードパーティ製の安めのレンズ検討していたが、どうにも欲しくなって購入に至った。

撮れる絵は解像感がとにかく高くて使いどころを選ばない一級品だが、値段が高いのでそれに見合うかというとアマチュアレベルでは判断できない。

これさえ持っておけばもう他の標準ズームに目移りしなくていいという利点はある。


車)BMW 220iクーペ

BMWの2シリーズは色々混在していて分かりにくいが、FRクーペというニッチモデル

最初は6気筒のエンジンを積んだ240iを検討していたが、そんなヤンチャな車に乗る年でもないし、より長く乗れそうな車ということで220iを選択

BMWなのでぶっちゃけ人には勧めないが、BMWに魂を売り渡している人間なので他の選択肢は無い。

見た目のヤンチャさとは裏腹に、走りはとにかく上品で、それでいて鼻先も軽く動く。

他の車とは違うという所有欲を満たしつつ、どこにいっても控えめで恥ずかしくないというバランスの良さはかなり気に入ってる。

外見は若干好き嫌いがある挑戦的なタイプ一世代前のトヨタ86匂いを感じさせる。


NISAオルカン

とりあえず1年の上限額いっぱい買った。

投資門外漢なので良し悪しが全く分からないが、いまのところ10%くらい上がってるのでこのまま2、30年寝かせたい。

どこで売ればいいのかという問題は1ミリも考えてないが、とりあえず老後に備えているという安心感を金で買ってる感がある。

2024-05-10

anond:20240509232918

あめぞう2ちゃんねるに比べたらTwitterなんて上品すぎるんだが

あいさつ代わりに「死ね」は当たり前で殺害予告日常茶飯事だったからな

2024-05-08

無限鼻くそがわく

最近過ごしている環境空気が悪いのかなんなのか、無限鼻くそがわく。

でも指でほじるのもな……と思って放置してると、時と場合によっては笑った瞬間に鼻からラッカラの鼻くその断片みたいなもの鼻息と共に排出される。

マスク社会で助かったな、と思いながらも、あまりにも情けない気持ちになる。

じゃあ仕方ないか……と思って、定期的に指でほじくりだしては、悲壮感に暮れる。

よくある「アイドルうんこしない」みたいなやつ、あるじゃん

アイドルでも鼻くそは生成されるんかな……鼻くそなさそう、いやそれはさすがにないか……とか考えて、でも確実に私はアイドルよりも多く鼻くそが出てる!鼻くその生成速度からしてブス。人生終わってるだろ……とか勝手被害妄想を描いては今日も鼻の中を掃除する。

実際問題、世の中はどのくらいの速度で鼻くそが溜まるの?どうやって掃除してる?

せめて上品鼻くそを処理したい。育ちが下品すぎて、指を使う以外の発想がない。

ちなみにティッシュでとろうと思ったら、鼻くそを鼻奥に追いやりそうで怖い。

上手な鼻くそ回収方法を教えてほしい。

下品」に寛容な下地ができつつあって嬉しい(創作

ここ10年くらい不安だったと思う

どんどん上品になってしまって

特に心配されてたのが海外進出だったと思うけど

昔みたいに映像を売ってお茶の間で流すというよりは配信でみるのがスタンダードになった結果

案外下品というか、表現の自由担保される部分も残ったようで

ある程度担保できる場所さえあればなんとかなるというか

結局下品もある程度ないと面白さは作れないというところにここ1,2年で回帰しつつあり少し安心した

ポリコレ必要だけどピークは去年か一昨年くらいだったと思う、ピークアウトしたと願う

 

というわけなので、我々には横島くんが必要

ちちしりふとももー!

2024-05-05

anond:20240505084410

京都民はゴミのことを上品に「ごもく」という、だから絶対に「五目御飯」「五目炒飯」「五目焼そば」を彼らに注文してはいけない

2024-04-30

会社合同説明会外注コンパニオンさんを雇いたいのだが社内から抵抗が強い

俺の先輩、肩書的には同格なので先輩と呼ぶが、40手前の女性がいる。仮にTさんとしよう。Tさんは非常にバリバリ仕事のできる方で、10歳ほど年下の下っ端採用担当者である俺に色々教えてくれる面倒見の良い人でもある。

そしてぶっちゃけ美人だ。尾野真千子素人っぽくした感じというか、一般人としてはかなりすごい美人だと思う。中途の採用面接をしてると、特に30半ば以上くらいの人だと男女問わずTさんの顔を最初ガン見してる人が多い。

しかしそんなTさんにも勝てないものがあった。年齢である

昨年秋、某社主催の新卒向け合同説明会、弊社も久々のリアルイベント出展したのだが、なんとも客入りが悪かった。特に男子学生の着席数が非常に少ないとの結果となった。

そこで俺、Tさん、そして主催某社の担当営業を交えて反省会をしたところ、営業マンが「他社平均と比べてすごい悪い数字ではないが、即効性のある対策をしたいなら、この場にいる人事・採用担当の皆さん限りということで……」と前置きをしつつ話した理由は次の2点だった。

かに、合説当日に他社ブースを見て回った感じにおいては、やっぱり分かり易く派手な色使いだったり明らかにキレイ系若い女社員のいるブースは客入りが良かった覚えだ。

俺はなるほどなーと思いつつ話を聞いて、そしてその反省会MTGである

Tさんはブチ切れていた。普段滅多に怒ったりしないTさんである。そしてその怒りを俺にぶつけてきた。

普段そんなに怒らないTさんがそうもブチ切れていたのがそもそも意外だったし、もっと言うと営業マンの話した内容はそれなりに妥当感があったから、Tさんとしては勿論面白くはないだろうが、とりあえずどう改善すべきなのか、という話が面白いわけがないので、仕方ないではないか。俺だってダメ出しをされているのである

そっから色々あったのだが、Tさんはもう自分が呼込み係として合説に参加したくないとおっしゃる。そして残念ながら採用チームで一番若いのはダメだしされた俺である

そうなると社内別部署から見た目の良い20代前半の女性社員応援を募らなければならないわけで、そして実際それに該当する女性社員はいるにはいるのだが、採用に全く関係ない部署なので露骨に「見た目が良くて若い女に協力させた」感が半端ない(=人事はその女性社員美人評価している、とバレる)し、そもそも該当者がそういう呼込み係とか嫌がるタイプである

よって、俺としてはプロイベントコンパニオンを雇いたいわけだ。ぶっちゃけそんなすごい高額というわけでもない。正社員を1日休日出勤させる人件費+数万円と思えば、「見た目が良くて若くて愛想良く呼込みをしてくれる」ということが保証されているプロを雇う対価としてはお安いであろう。

それを上申したところ絶賛社内で揉めている。

自社の説明するのに社外の人間やらせるのか美人で釣るとか下品じゃないか機密漏洩心配はどうなんだとか云々。

いや、どう考えてもプロに頼む方が後腐れなくて絶対良い上に即効性があるんだが。

もうイベント約1か月前だよ。どうすりゃいいんだ。助けてくれ。

anond:20240429074516

いやアレ精液クサイじゃん

…目の前を通り過ぎた二十代のベビーカー押してた若い父親アンチャンは「新芽匂いキツイ」なんつーて上品に前を歩いてた若い母親にブーたれてたけどな

2024-04-25

三大「お」を付けても上品にならない言葉

便所

お腐れ様

おちんぽ

  

他には?

2024-04-20

anond:20240420215726

日本人って白人から見るとエルフ

イメージですよね?

・年取らない(年取ってても容貌が変わらない)。

・小柄で痩せ型が多く俊敏。

上品大人しいが、怒ると怖い。

自然に対する愛着が深く、特に植物大好き。

簡素でかつセンスが良い。

歴史伝承豊富。歌好き。

あちらのイラストなんか見ると、案外黒髪も多いし、 顔も頬骨が高くて、東洋人っぽい容貌なのが結構多い (ロード・オブ・ザ・リングではエルロンド等はそのタイプ)。

ヒロイン二次絵でオナニーしている理由が分かった

内容をあまり知らないゲームアニメなどの版権キャラでもオカズにしている事がある。

VOCALOIDスマブラポケモンの女キャラ艦これなど、版権物の内容は知らないけどかわいいヒロインセックスされてる二次絵をpixivとかで漁る習慣がもう10年以上経ってる。

最近になって、何で抜いているんだろう?何が良いんだろう?とふと疑問に思って、

自分が今まで抜いてきたエロ絵の共通点とかを思い巡らしてみると、

自分に無いカッコよさを異性に求めているから、ヒロインオナニーしている」という事に気付いた。

ヒロインの見た目がかわいいから抜いていたと思ったが、実は「優雅なカッコよさ」が肝だったのであった。

エロ絵として描かれているヒロインエロいことをしてても、持ち味のカッコよさはブレていない。

ヒロインの胸や局部露出したりヒロインセックス行為をしてても、カッコよさは持っていてヒロインに余裕があるように描かれているから魅力的。欲している醜さよりもカッコよさが上回って完全には快楽に溺れていないか上品さが残ってる。

アイドル凋落してAVに堕ちる例ではないが、もし性根が腐ってしまっているのをヒロイン体現していて(顔とかのデザインに表れてて)普段からクールさが抜けてるようだったら、その女がセックス行為をしてても下品で惨めな娼婦に過ぎないような魅力や期待の無さになる。

「いや、その女がかわいいからオカズにしているんだろ」という指摘があるかもしれないが、それは自分好意や親近感があるから副次的で「かわいい」と思ってるので、それで錯覚して「かわいい」をオカズにする理由にしてしまっているという事なんだと思う。

それをオカズにする理由が「かわいい」だったら、他の二次絵もかわいい物ばかりだからそれもオカズにしてないとおかしいので。

(または、自分がカッコいい物を得たトレードで、ヒロイン自分好意投影してヒロインかわいいと思っている可能性。)

「『カッコよさ』の感じにピンと来ない。例えばどんなカッコよさなの?」と指摘されるかもしれないが、

例えばマリオというキャラは、「カワイイ」のではなく「カッコいいおじさん」であるというのを近藤浩治さんが言っている例が類推できる。


自分が小さい頃から何かと不細工とか劣等感を感じていたりしてか、自分に無いカッコよさを何気に求めているのかもしれないと。(フロイト的には無意識(夢)は願望であるというので。)

それを性によって支配する事で性欲だけでなくカッコよさも充足をしているのではないかという理屈に至った。

結局、ヒロインを愛でてるようで自分を愛でてる事に思えてしまった。

(余談: 異世界系の物語が働き盛り以降の世代に割と人気があるという事を聞いたが、社会うだつが上がらず活躍していなかったら、異世界活躍している主人公自分の願望を重ねても不自然ではないと思った。)

そもそもなんで二次絵で抜いているか?という疑問については分からないが、斎藤環先生の「アニメの絵で自慰が出来るかどうかがオタクの基準」にヒントがあると思われる。

2024-04-19

チー牛女、垢抜けを決意する 1日目

転職してからもう何年も使ってる最寄駅の壁は前からこんなに煤けた色だっただろうか。

初めてこの通路を通った時は、最寄りがこんなにきれいなだってことに密かにモチベーションを上げて面接に挑んだような気がする。

から目を離して看板を見上げる。エスカレーターを登って、ホームに着いて、先頭車両へまっすぐ向かう足に淀みはない。

一連の動作身体は覚えてるのに慣れない景色を見ている。毎日いか歩きスマホをしていたかが浮き彫りになって少し怖くなった。

昨日充電せず寝落ちしてしていなかったら、ずっと気がつくことはなかったんだろうな。

辺りを見渡すと、1人の人はほとんどが俯いてスマホを眺めている。私もいつもはこの風景の一部なんだと思うと、1人だけ夢から覚めてしまったような変な感覚に囚われて、帰宅するまではそれを楽しむことにした。

 

こうして見ると、世の女はみんな可愛い

SNS見て病んでる人は外に出ろ 美女なんかいいから」という言葉勝手に安堵してた自分が恥ずかしい。外に出て勇気をもらえる人は私とは次元の違う容姿で、芋ブスが共感するのなんか身分違いにも程があったことに気がついてしまった。

みんな髪の毛は綺麗にセットされていて、ほんのりシャンプーのいい香りがして、化粧も姿勢も崩れてないし、平均体重を下回ってるはずの私よりもずっと細い人がそこらじゅうにいて、なんか上品な服を着てる。

私はこのホームの中で、最も階級が低いダサくて清潔感のないおばさんなんだ。三食チーズ牛丼なんだ。

洗濯物の山から拾い出したしまむらのシャツと、GUセールになってたやたら厚手のパンツが急に気になり始める。前髪を整えてみるけど、半年以上美容室に行ってない、セットもしてないような髪はすぐに元の寝癖に戻った。

 

可愛くなれるとは思わない。ただ、このまま生きてたら私は化け物になる。なんとかしないと、取り返しがつかなくなる。

やらなきゃいけないことは山ほどある。やめるべきこともたくさんある。

 まずは帰って、風呂に入って、髪をちゃんと乾かしてから寝るところからだ。

 

2024-04-14

anond:20240414001946

ちンげハンター多いけど上品クるって持られてネート大作ハタス3

2024-04-12

エクレール それはシュークリームを細長くしたようなもので、シュークリームと違っているのは、表面にチョコレートがかかっていること

エクレール

それはシュークリームを細長くしたようなもので、シュークリームと違っているのは、表面にチョコレートがかかっていることだ。これをたべるには、上品ぶってフォークなどでつついていたら、なかにいっぱいつまっているクリームがあふれだして、しまつのおえないことになる。そばを、つるっとすくってたべるように、いなずまのような早さでたべなくてはならない。そのため、フランス語でも、この菓子名前を「エクレール(いなずま)」というのである

明は、口をできるだけおしあけて、その大きなエクレールを口のなかにおしこんだ。すると、かたいようでやわらかい、やわらかいようでかたい、その皮のなかから、かおりのよいクリームが、どっとながれこんできた。

うまかった、舌がしびれ、口じゅうがとろけそうなほど、そのエクレールはうまかった。明は、目をつぶった。

2024-04-08

anond:20240408140618

タイプによって全然違う。

陽キャ普通にその辺のマイルドヤンキーと変わらず、ちょっと上品または教養深くなるくらい。

陰キャオタク話(アニメに限るわけではない)か仕事の話で、歳食って来ると子供ネタが大半になる。

あとまあ世界情勢の話(例えば、イスラエルヤバすぎるでしょ。歴史的には…、みたいな感じとか)とかも入るかなあ。これは人によるけど。

2024-04-06

釣り初心者に勧めるとなると、ついつい釣れる事や手軽さを優先してサビキとかハゼ釣りに連れて行きがちらしいけど、それもどうなんかなって思う。

自分がガキの頃、「釣り」と言ったらアタックガツンと来て竿が思い切り弧を描いて、ドラグギチギチに締めて大物と力比べするようなやつを真っ先に思い浮かべてた。

そういうのを期待してたから、初めて本牧へサビキやりに連れて行かれた時はなんか肩透かしを食らった感があった。

一本針にイソメなりミミズなりを掛けるんじゃなく、なんかくせーやつをちっせー網に詰めて針をジャラジャラと垂らして待つ。

アタリも来てんだか来てねーんだかよく分からんまま上げてみて、カタクチイワシが掛かってたり掛かってなかったりする。仕掛けもすぐ絡む。

親父の方は投げでイシモチ釣ってたりして羨ましく思ったけど、自分がやってもまるで釣れそうな気配がない。

割とすぐに飽きて、変な釣り方ばっかりしてヒトデとかウミウシが掛かったりした。そっちの方が面白かったかもしれない。

妙典ハゼ釣りの方が楽しかった。ボート漕いで、川の上で釣り糸垂らして待って、水流に揺られながらおにぎりを食う体験には得も言われぬ趣があった。

ただやっぱり20cmくらいはある魚にグッと竿を引かれてみたいよなって思った。釣れるのは全部ハゼで意外性がないし。外道キスでも釣れたら面白いんだろうけど。

静かで手軽な釣りもそれはそれでまあいいんだけど、やっぱ魚のパワーを感じてみたいよねって思う。

でもどちらの釣りも持ち帰って食った時の味は割と覚えてる。そんな好きでもないイワシ唐揚げが妙に美味く感じたし、店でも食えないハゼ天ぷらキスとはまた違った上品な感じの味で今でも結構好物だ。

あとガキの頃は釣りに連れてってやると言いつつ、天気が〜季節が〜潮が〜云々と何かにつけて延期されてたのが不満ではあった。最悪釣れないとしても、海行って釣り竿振り回すという事に意義があったのに。

まあそれはガキの頃の話だけど。そういう興味や、釣れなかったら釣れなかったで結局拗ねる面倒臭い子供心は忘れずにいたい。

やっぱケチらずに船出すか、それか釣り堀なんか行くのも良いのかもしれない。というかまずどんな釣りをしたいか聞くのが一番なんだと思う。おれと違って静かな釣りを求める人もいるんだろうし。

おれは今磯でウツボ釣りたい。

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