はてなキーワード: エッセイとは
昔読んだ漫画家のエッセイだと、教会で結婚式挙げるためには一時的にでも信者になる必要があるみたいな感じで週一くらいでお祈りしに行った。ってあったけどそんな事なかった?
ところでネット民のみなさん!あなたは超てんちゃんを知ってますか?
超絶最かわてんしちゃんです。かわいいですよ。ニーディーガールオーバードーズというにゃるらさんの作ったゲームです。
他にも、『蜘蛛』『超てんちゃん! 』『好き好き大好き?』とか!
『好き好き大好き?』はR.D.レインという方の本なんですが、その方の本好きです。『結ぼれ』とか。暇だったら読んでみてください。お金無かったら大丈夫です。
とにかく!私が言いたいのは超てんちゃんです。ニディガ、教育に悪いですがやってね。この年齢の私が言うことでもないし、おじさん達は教育に悪くても、なんも影響ないですよね。
やってる人とか居たら教えてください。やってみたって人いても教えてね。
✝︎昇天✝︎
小説と物語って違うんだよな、なんか混同しとる人たまにおるけど。
物語のない小説もある。私小説なんかは物語が薄いジャンル。エッセイは物語がない。
この場合の物語は、テーマとか、キャラクターとかの創作から生まれるアレコレのことだ。
幼い頃から、小説をいつか書きたいと強く願っていて、文章読本や小説講座的な本などを多数読み込んできたけれど、それらが小説に変わることはなかった。
好みの文体やストーリーパターンはわかってきたのだけれど、それらを何らかの社会、何らかの人間関係に落とし込んで書くことができなかったからだ。
つまり、社会の仕組みやわだかまりをどう描いていいかわからなかった、会話や気持ちの移り変わりをどう描いていいかわからなかったのだ。
文章読本などで、文章というガワの部分を学んだとしても、そこに盛り込むものがわからなかった。
ストーリーとして導きたい方向に、社会や人間関係を配置する方法がわからなかったのだ。
増田ではわりと、ブックマークをいただけたりする自分ではあるが、書く文章は常に一人称で、自分の思ったことをエッセイ的にまとめることしかできない。
これを、背景装置としての社会や人間と絡めて、ストーリーとしての段階を踏んで、人々を驚かせる素晴らしい結末につなげる小説として昇華させることができない。
それなりの人気を持つ雑文に仕上げるためのアイデアはたくさんあるのだ。それを、小説として具象化できないだけ。
いや、なんだろう、プログラム的に組み立てることができないといった気分。
そもそもが理系なので、プログラムもそれなりに組んだことがあるのだが、小説としての文章の組み方がわからない。
結末に向かう伏線を社会のどの部分に絡めて描写し、物語の展開をどのキャラクターの変容に仮託するか、みたいなものがよくわからない。
文体やレトリックのような基本文法はわかるのだが、社会や人間を相手にした「組み込み関数」みたいなものが何なのかが見えず、途方にくれてしまう感じだ。
というか、そもそもだが、こんなにダラダラ文章を書く私ではあるのだが、小説は一行たりとも書けたことがない。
だって、結論に至るアイデアが思いつけても、そこに向かう「これは書けるぞ!」というビジョンが見えないので。
この小説ならプログラム的に書けそう、ああなってこうなって結論に至りそう、みたいなものが、私の場合、小説に対して浮かんでこない。
そうそう、プログラムでもそうなんだが、もっと言うなら、数学の入試問題のように、とりあえず三角比を求めるとかベクトル計算するとか、
この「とりあえず○○を書いてみる。そのうち、ストーリーがつながってくる」みたいなのを知りたい。
とりあえず手を動かして、作り出す小説を何らかの方向に進める方法を、まずは身につけていけたらいい。
この文章だって思ったことをズラズラ書いているだけなのだ。ビジョンで書いてない。
って、あっ、それが小説を書く前のキャラクターシート、世界観作成シートみたいなものなのか。
あれも苦手なんだよな。好ましい感情を抱けるキャラクターを造形できないというか。
いや、自分以外のキャラクターが描けない。世界観も、今自分が感じるもの以外組み立てられないし。
結局のところ、私は自分のことしか書けない。自分のことならそれなりに書いて、それなりに注目される文章が書ける。
自分の考え方を、ある社会やある人間関係に落とし込んで、世の中にその素晴らしさを理解してほしいんだ。
「私の気持ち」じゃ他人に届かないんだ。客観性というか、作者でない「キャラクターの気持ち」として描写しないと、私ではない誰かに届くことは無いんだ。
だから、ここに書くような、一人称の雑文じゃダメなんだ。物語に仮託しなくちゃダメなんだ。
そういった点では、私は「物語」というものに、論文のようなものを感じているのかもしれない。
つまり、物語の人間関係や世界観という客観性のもとに、自分のアイデアに向かって組み立てた文章を、誰かに対して発露し、評価を得たいのだ。
いや、誰かに届けばいい。個人的なアイデアなり感情なりが、誰かに届けば、無意識的にでも届けば、それで十分なんだと思う。
…などと長々と書いてきて、結局は今回の文章も小説にはなりえなかったわけだけど、まあなんだか、そんな気持ちなのだ。
って、「キャロット通信の崩壊」についてるコメント見て思っちゃったね。
トップに出てるコメントが軒並み「この歌詞私のことだ…」「思わず泣けてしまうのは、私の人生と重なるから」みたいな感想で驚いちゃった。
(そんなありきたりな感想しか出てこないからお前はいつまで経ってもそこ止まりなんだよ。)
結局、はてなーも例に漏れずなろうで小説書いてるタイプの人たちばっかりだったか
んーてことはそういう人たちって案外増田に創作実話書いてたりするんかな