はてなキーワード: 人間関係とは
親しい友人が、陰謀論にハマりました。
趣味のSNSで陰謀論について積極的に発信するようになり、陰謀論者である主催者がおこなうパンデミック条約反対デモに参加すると言い出しました。
私は、陰謀論の主張内容にも、それを信じ広めようとする人たちの態度や振る舞いにも賛同できません。友人がそういった思想に染まることが耐え難く、陰謀論を信じることをやめてほしいし、最低限デモには行って欲しくないと思い、説得を試みました。結果、陰謀論への信仰(本人は自分の主張を陰謀論とは思っていない)を止めることは叶いませんでしたが、デモへの参加は思いとどまってもらえました。友人を説得するために手紙を書いたのですが、直接口頭で伝えることができたため、この文章を送ることはなくなりました。
せっかく書いたのにもったいない(笑)ので、供養と、私と同じように陰謀論デモへ行こうとする友人にモヤモヤしている方の気持ちを整理するきっかけになればと思い、ここに投げることにしました。また、手紙の本文中に挙げた書籍は、陰謀論の実態を知るために読んだ十数冊の中から、中立的な立場から書かれていると感じたものを選びました。特に「情報パンデミック」は読みやすくおすすめです。
なお、私の友人は「ここまで心配してくれる友達との仲を壊してまで行くのは止めよう」という気持ちからデモ参加を取りやめたのであって、陰謀論を信じること自体を思い直したわけではなさそうということを書き添えておきます。予断を許さない状況は続いています。
友人へ。もし、この投稿を見つけたのなら、陰謀論というワードで検索したか、少しでも疑問を抱いたか、だと想像します。正直、私の反対を押し切ってデモに行くなら絶縁もありうると思っていたし、陰謀論を信じ続けるのであれば今までのようには付き合えません。考え直してほしいです。
パンデミック条約反対デモに行く気持ちは変わらないと聞き、今の時点での私の思いを伝えておきたいと思い文章にまとめることにしました。返信しなくて構わないから、読むだけは読んでください。
あなたが心から日本の現状を憂い、未来を良いものにしたいという善意と熱意からデモに参加しようとしていることは、十分理解しているつもりです。その気持ちを否定したいのではありません。
でも、私との友人関係と「真実」を多くの人に知ってもらう活動、そのどちらかを選べと言われたら、今のあなたは後者を選ぶでしょう。そのことが本当につらく、悲しいです。実際にそうなるかもしれないという危機感と覚悟を持って、今この文章を書いています。
陰謀論を信じている人を説得することは困難、むしろ逆効果であることも承知の上です。本来であればスルー一択の状況だけれど、私はあなたとの友人関係を失いたくない。その一心からであって、決して非難や攻撃をしたいのではないということ、分かってください。
ここからは、あなたの信じる「真実」のことを陰謀論と呼ばせてもらいます。安易なレッテル貼りが良くないことは重々承知していますが、他に適切な言葉が見つからないので、ごめんなさい。
一部の権力者が外からはわからないように自らの利権を得るためのはかりごと=陰謀、陰謀があるという前提で世の中の事象を説明しようという試み=陰謀論、と捉えています。史料や証拠があり明るみに出ているものは陰謀、明確な根拠がないのに仮説をそのまま事実と主張するものが陰謀論、です。現在進行中で明るみに出ていない陰謀もあるかもしれませんが、明るみに出るか確実な証拠が見つかるまではそれも陰謀論の範疇といえます。正しくないかもしれないけれど、間違いを回避するためにはこのスタンスを取ることが健全ではないかと考えます。
今回のデモの主張内容、ワクチン関連死の真相解明・超過死亡の原因究明・パンデミック条約反対、これら自体は真っ当な主張に見えます。
しかし、主催者の発言などを見ていくと、おそらく陰謀論の論理、価値観を前提にしているのだろうと推測ができます。「日本を滅ぼしたい何者かがばら撒いた毒によって人がたくさん死んでいる」と言いたいのですよね。
陰謀論は、科学的根拠を精査しておらず論理が飛躍していることにも違和感があるのですが、それ以上に「全ての事象には必ず明確な原因がある」という二元論の姿勢こそに、問題の本質があるように思います。
あなたは、デモの主催者が陰謀論者であるという私の指摘に対し、彼の言うことを全て信じているわけではないと言っていました。陰謀論には、荒唐無稽なものから、真実に近そうなものまで多々あります。しかし、荒唐無稽なものは信じていないから、というのは、陰謀論を信じていないということにはなりません。
「根拠の不確かな」「それっぽい説を真実と信じ込み」「善悪二元論に帰結させ」「反論する相手のほうが間違っていると攻撃し」「自分の信じる真実を理解しない者は反対勢力に洗脳されていると憐れむ」「対話不可能な」言論に心当たりはありませんか。
あなたの主張には、おそらく正しいもの、現実に即したものも多々含まれる。しかしその根底にある信念(ディープ・ステートによる世界の支配)は、紛れもなく陰謀論のものです。ディープ・ステートの存在は、現時点ではあるともないとも証明のしようがない。それを「ある」と確信しているところに、危うさを感じます。
利権絡みで政治が歪むというのは普通にあることでしょう。歴史を紐解けば、そういった陰謀が実際に存在したこともありました。
しかし、少子化・報道・感染症対策をはじめ、あらゆる現象がそこへ帰結するというのは、いくらなんでも飛躍しすぎです。ディープ・ステートが本当にあると信じることが、認知を歪めてしまっていると感じます。
世の中には「わからない」ことがたくさんあります。答えが一つではないことも、立場が変われば意見が変わることもいくらだってあります。
ワクチン関連死の真相も、超過死亡の原因も、おそらく現時点では「わからない」のです。わからないなりに、未知の感染症になんとか対抗しようと手探りで行われた結果、思いもよらない被害が出てしまった。そんなところではないでしょうか。
もちろん、それで良かったとは言いません。原因も究明されるべきでしょう。それでも、わからないかもしれない。科学の、医学の力なんてそんなものなのです。
もし原因が判っても、今の政権は都合の悪いことを発表しないかもしれない。隠蔽を疑いたくなるのはごもっともです。だからデモで抗議する。理解できます。
しかし、それがなぜ「隠された陰謀によるもの」と結びつくのでしょうか。「明確な答えがないと不安」な気持ちを、絶対悪である何者かの所為にすることで安心したいのではないですか。
カルトやマルチや自己啓発セミナーと同じ構造です。不安を一発で拭い去ってくれる魅力的な何か、「気づき」、昨日までの自分とは違う覚醒したような気持ち。そういったものを陰謀論はもたらしてくれるのです。脳にとっては快楽です。だからハマる、依存性があるのです。
真実だからスッキリ納得がいくのではありません。スッキリするからそれを真実と錯覚するのです。
私は、陰謀論を広めようとする人たちの、自分たちの主張が絶対に正しいと信じて疑わない(ように見える)立ち振る舞いが苦手です。
世の中に、絶対的な悪や完全な正義はないと思うからです。世界の仕組みも人間の行動も、数十分の動画で簡単に説明できるほど単純ではないと思うからです。理不尽で不可解な状況に置かれたときも、一旦は現状をありのまま受け止めることからしか、理解は始まらないと思っているからです。この点において、陰謀論のスタンスとは相容れないのです。
そもそも、隠された世界的な陰謀が本当にあったとして、それを一般市民がYouTubeで手軽に知ることができるなんて、おかしいと思いませんか。
デモに集まるのは、陰謀論的な価値観の人、それに疑問を感じていない人たちだと思います。同じような意見の人に囲まれていると、その意見が多数派で正義のように思えてくる。リアルな陰謀論のコミュニティに参加することで、あなたがそちらの世界にますます傾倒してしまうことを恐れています。
デモはきっと楽しいでしょう。同じ意見の人たちと語り合い、声を上げ、この国の未来のために行動しているという実感が得られるわけですから。せめて、ここまで読んでもらって、陰謀論の「おかしさ」に少しでも疑問をもってくれていたらと思います。
また、陰謀論とスピリチュアル、自然派、マルチ、カルトは親和性が高いです。これらは、日常生活や人間関係に大きく影響します。コミュニティの内側にいると気づきにくいものですから、引きずられないよう気を付けてほしいです。
「陰謀論と言われても負けない」「陰謀論なんて信じてないけどこれは真実」「正しい情報は隠されているから自分で調べなければならない」これらは陰謀論に飲み込まれる人が必ずと言っていいほど口にする言葉です。
あなたは政治・経済に詳しい。それは誰もが認めるところです。けれど、政治に関心が高い人ほど陰謀論を信じやすく、逆に教育の高さや政治的立ち位置は陰謀論への染まりやすさに影響しないということは知っていますか。
ネットやYouTubeだけでなく、ぜひ一度関連書籍も見てみてほしいと思います。あなたに勧められた動画を見ていない私が言える立場ではないとは思いますしその点は申し訳ないと思うのですが(実はいくつかは観ようとしました。しかし冒頭から何を言っているのか意味がわからず、苦痛で、すぐに観るのを止めてしまいました)、少なくとも誰でも好きなように公開できる動画よりは、ファクトチェック体制のある書籍のほうが信頼できると私は考えています。
参考までに、陰謀論の歴史やそれを信じるに至るメカニズムを、心理学的・統計的な調査をもとに分析している書籍を挙げておきます。
「陰謀論入門」ジョセフ・E・ユージンスキ 作品社 2022年
「情報パンデミック」読売新聞大阪本社社会部 中央公論新社 2022 年
私は賛同できないけれど、陰謀論を信じること自体は個人の自由です。それなのになぜその世界観を否定するのかを、最後に書きます。
あなたは、「真実が一人でも多くの人に広まってほしい。生活が安定しなければ趣味も楽しめない。政治は生活だから、政治のことを発信していく」と言っていましたね。
しかし、まず大前提として、趣味のSNSではみんな趣味の話をしたい。人の家の生活、たとえば晩ごはんのメニューがどうでもいいのと同じように、人の政治的主張もどうでもいいのです。
もちろん発言することは自由です。時には「あ、なるほど」と思い、時には「ちょっと面倒臭いな」と思い、多くはスルーされるでしょう。平和的な、現実に即した発言であれば、ですが。
陰謀論の本質は、全てを二元論に帰結させがちなところにあります。つまり何かを語る時、一方的かつ断定的な物言いになる傾向があります。率直に言って「怖い」のです。反論なんかしたら百倍になって返ってきそうだし、話が通じなさそうに見えるのです。
それを見た人はどう反応するか。同じ意見を持つ人は賛同を表し、ますます先鋭化していく。反対意見の人は、反論して不穏な空気になるか、黙って去る。そしてほとんどの人は、そっと離れる。だって怖いから。
すると、いずれどうなると思いますか。あなたの周りには、同じように陰謀論を信じ広めたいと考える人が残り、先鋭化した思想についていけない大多数の人は離れていくのではないでしょうか。
陰謀論を広めようとする人たちは、自分たちの主張を絶対に正しいものと信じ、否定するものを断罪し、自分たちの主張に都合のよい事実のみを根拠としてつまみ食いします。
陰謀論は思想だから、言説を信じることで次第にその行動様式にも染まっていくのです。
最近のあなたの言動が、これに近づいていることは自覚していますか。陰謀論をひとつの説として受け止めるにとどまらず、その善悪二元論的な考え方を自分の中へ取り込んでいることに気づいていますか。
先月、攻撃的な言動や非科学的な情報の拡散を控えてほしいとお願いした頃、次第に過激化していくあなたの振る舞いをそばで見ていて、私はとてもしんどかったです。趣味のアカウントで積極的に思想を発信し、周りから静かに距離を置かれていることを察して切ない気持ちになっていました。非科学的な言説に対し、どう反応してよいのかわからず困惑していました。
しんどければミュート・ブロックしてくれとあなたは言いますが、実際にそれをしてしまえば、今後あなたと一緒に趣味を楽しむことはできなくなりますよね。
受け止め方は人それぞれだから、と言うのは、一見、冷静な態度に思えます。離れてもどうでもいい他人ならばそれで構わないでしょう。
しかし、私や親しい人たちに対してまで、気に入らないなら見なければいいと言ってしまうのは軽率ではありませんか。私はあなたにとってその程度の存在なのかと、悲しくなりました。
趣味を楽しむために始めた発信なのに、一緒に趣味を楽しむはずだった人々が離れていく。そして孤立すればするほどこの傾向が加速する。
信じることが自由であっても、思想を広めようと発信することには責任が伴います。その思想自体に賛否があることはもちろん、その他の発言も陰謀論的な価値観を持つ人の発言と受け取られるようになります。「結局、陰謀論を広めたいんでしょう?」「ヤベー奴の言うことはヤバい」となるのです。既に、趣味アカウントの一部のフォロワーの間ではそういう空気になっています。
陰謀論の主張内容や拡散方法に対して、不快感や嫌悪感を抱く人がいることを想像していますか。第三者にそういった感情を抱かせる発信をする人から、離れたいと思う人がいることは想像できますか。
陰謀論は、カルトやマルチと同じように、思想に染まることで人格を変え、周りに広めようとすることで人間関係を破壊するのです。
初めにも書きましたが、もっと関係の薄い相手であれば、陰謀論にハマったと感じた時点で穏便に距離を置いていました。思想に洗脳された人を見るのはしんどいし、説得することは困難だからです。
それをせず、反感を買うかもしれないこんな長文をわざわざ送り付けたのは、私があなたを失いたくないからです。あなたのためなんて言うつもりはありません。私のためです。嫌な女に彼氏を奪われそうになって焦る気持ちに似ています。結果としてどうにもならなかったとしても、黙って見ているのは耐え難い。
どうか、これがあなたに見せる最後の文章になりませんように。頭を冷やしてほしい。
国立大に通いながら風俗店のランカー(本指名の本数が上位の嬢のこと)をしていた。
卒業と同時に夜は上がってこの春公務員になったが、あまりにも日々がつらい。
「夜職は頑張りの結果として金がついてくるのに対して、公務員はまず安定した金が保証されているために頑張りが強制的に後からついてくる」
これがなによりしんどい。頑張っても頑張らなくても稼げる額は既に決まっているのに真面目さを強いられていることが。
ランカーでいること、毎日10万以上稼ぐことを達成するために色々工夫を重ねて働くのは楽しかった。
夜の世界の刺激に慣れてしまうと数年先の昇給や数十年先に役立つ仕事について喜べるような悠長で平和な脳みそは破壊されて、目先の快楽のみを求めるようになる。
昼職に耐えられなくなった子達は人間関係、毎日朝起きて出勤、薄給とかがつらいと言うが、それらはもちろんのこと、実際は安定した生活が肌に合わない子が多いんだろうなと思う。
昔、インディーズの漫画家がSNSに投稿した漫画に対して、「この漫画、〇〇な人にはめっちゃ刺さると思います」的なコメントを残したことがある。
すごく喜ばれたし、そのコメントを見た他の人もいいね的なものをくれた。
言語化できなかったが、俺も気分が良かった。
はてなでも、「その意見賛成です」「気に病まないで欲しい」的なコメントを残すようにしている。
やっぱり、なんとなく気分が良い。
正直、はてなの投稿には気持ちの良いコメントを残す人が少ない。
自分の話に持っていく人、全然関係ないところで議論を始める人、言葉の矛盾や間違いを指摘したがる人が気になる。
人の欲求に「優越したい」というものがある。誰かに対して自分が勝ったとき、人は快楽を得る。
これは勉強やスポーツ、仕事などにおいて強い力を持つが、人格に問題を抱えたり、人間関係が歪になってしまってトータルでマイナスになる可能性がある。
もし「優越したい」という欲求を持って人を貶めるようなコメントをしている人がいたら、気持ちの良いコメントに置き換えるかコメントしない方が良いんじゃないかな、と思う。
くじ引きに敗れ昨年度1年間PTA活動をしてたのだけど、ストレスがとても溜まったので吐き出す。
問いに対して答えが返ってこないことが本当に多い。
「これって〇〇でいいですか?」「そういえば〇〇って〜だよね、〜といえば…」
「この前決まった〇〇、発注するので内容間違いないか確認お願いします」「やっぱり〇〇じゃなくて△△がいいかな、どう思う?」などなど、、話が長引く。
平日15-16時の集まり、仕事の休憩をとって参加してるからできれば時間通りに終わりって欲しいんだけど、時間の意識が薄い。
仕事の都合で集まりを欠席すると上記のようなことを言われるけど、下の子の急病、親の送迎は言われていない。
わたしはIT企業の保守運用部門に勤めているので、障害が起きると対応が必要になる。一度障害対応でPTAの会議を欠席したことがある。その際かなり失礼なことばかり言われてうんざりしてしまった。
正直システムの障害は子供の風邪くらい急に起きるので許して欲しいのだが、仕事は都合がつけられるのにつけないのは専業主婦を下に見てる、働いていることがえらいのか?と言われてもう何も言い返せなかった。
言いたいことはたくさんある。いろんなことを効率的に進めていきたい気持ちも強い。
仕事の都合で集まりを欠席したことは申し訳ないけど、それに対して働いてるから偉いつもり?はおかしい。今回の議事は〜でした、これやっておいてもらえますか、次回は出てもらえると助かる、でよくないですかね。
あと、みんな時間の意識を持とう。無給でやってるんだからせめて少ない時間でやろうよ。何でもかんでもみんなで集まる必要なくて、役割があるんだから各自対応しよう。
でも、上手く言えないんだけどわたしみたいな考えは会社では問題ないけど、ママたちの集まりでは嫌われるのがわかる。わたしは嫌われるだけならいいけど、それが子供が仲間外れになったらどうしようと思うと思ったことも言えず、すみませんと謝ることしかできない。これが一番ストレス
今まで関わって結局ろくなことがなかったのに、それでもしばらく経つとまた興味を持ってしまう
前にも3回目のデートで恋愛話されて「今〇〇からアタックされてるけどどう思う?」的な話されて終わったし、今回も「気になってる人がいるけどどう思う?」で終了
俺は男女の友情は欺瞞だと思ってるのでノーチャンだと判断した時点でもう二度と関わらない
人間関係が1人失われる
ケーキ屋に夢を抱きすぎでは。一回バイトしてみると裏の人間関係ドロドロ具合とかブラック度合いとかスポンジ冷凍してんのかい!とか賞味期限当日のみという体で販売してんのに実は売れ残りのケーキは翌日も販売してるとか、いろいろ現実が見えてくるよ。
わかる〜、仕事とか買い物で接する程度の人間関係で満足してしまう
今ってSNSもあるし、人間とコミュニケーションする満足度の上限が低い人間はすぐ腹一杯になる
でも猫だけは別だな、猫と全然触れ合ってないと禁断症状が出てくる
その時楽しめばいい系オタクは恋愛かパチンコとかラーメンがオススメ。
卒業した学校のクラブに度々顔を出してはデカいツラして後輩である現役部員から煙たがられるOBってこんな感じなんだろうな
そもそも新しい環境でちゃんとやれてれば昔の部に顔出すとかまずやらないわけで、
わかる
人間関係に限らず最悪の状況になるまで止められないことが多い
頭を切り替えることが苦手なんだよな
一旦ある状況になったらそれをずっと維持しようとしてしまう
もう状況が変わって同じやり方は通用しないと頭ではわかってるのに突き進んでしまう
まあ病気なんだろうなと思う
増田にいる冴えない弱者男性諸君、これから伝える7つのことをすると今まで女性に相手にされなかったことが不思議になるくらいモテるぞ!
1.あらゆる毛に気を使う
清潔感を保つために髪の毛は毎日セット、眉毛ちん毛は定期的にメンテ、その他の毛(ヒゲ、胸、脇、腕、脚)は脱毛
2.匂いも気を使う
自分の臭さは気が付きにくいから体臭対策で香水、口臭対策で毎食後歯磨き
3.運動する
健康的な人は魅力UP、痩せすぎ太り過ぎは頼りない
4.姿勢を良くする
堂々として見える、あと身長が高く見える
5.ニコニコする
余裕がなく不機嫌になってる人は子供、大人としての最低限のマナー
6.本、新聞を読む
知識を仕事や人間関係に活かして収入をあげることで自信UP、馬鹿に寄ってくるのは馬鹿のみ
7.増田をやめる
アカ消して転生すりゃいいだけだと思うが、死活的に重要な人間関係を構築したアカだから、ブロックもできないしポストを不自然に減らすのもダメだしとか悩んでるんだろうな
かわいそうに
この文章は、小学校6年生からオタクグループに所属している女性の体験を振り返っています。彼女は処女の頃はオタク活動を楽しんでいましたが、彼氏ができた後にエネルギーを失い、幻滅や鬱に陥る経験をしました。別れた後、趣味が復活し、フィクションも楽しめるようになりました。また、別の彼との経験を通じて、二次元以外のコンテンツも楽しめるようになり、インプットの幅が広がりました。彼女はオタクのレッテルについても言及し、見た目やセックスとの関連性を否定しました。彼女は経験がコンテンツの好みに影響を与えることに気づき、人間関係の重要性やリスクについても考えます。最後に、元彼との関係やなぜ付き合ったかについて疑問を投げかけています。
素人童貞なんて不信を重ねている分、非童貞より信用ができません。
女性と関係が作れなかっただけで、金で女を買って非童貞になったとしてもステータスは下がります。
不誠実かつ穢れるのです。
元彼と関わるとなんで軽く鬱みたいになっていったのか。
早押しクイズみたいに。評価が高速で断定的であればあるほど頭の回転が速いと考えているようだった。
優越の欲求自体は私の中にも存在するし、それが無ければ大学受験や就職活動を乗り切れていないようにも思う。
エナドリ飲むように、優れていたいとか勝ちたいとかいった感情に酔っぱらうことで戦えるという一面はあるけど、それが人生のすべてではない。
勝つことが全く意味がないとも思わず、人生のなかの重要な一部であるとも思うけど、プライベートの人間関係に持ち込むのは相性が悪いから使い分けが必要だと今の私は考える。
しかし優勝劣敗が物理法則のようにこの世のすべてに当てはまるような世界観を手放さない人だった。
身長が低い男性や、肥満体型の男性など、女性受けがよくなさそうな容姿の同性の友達とつるんでいた。
彼女ができる可能性が低そうな友達の前で、自分が彼女持ちであることをマウント要素にしつつも、私がブスでなければもっとマウント取れたのにという不満を持っていた。
友達の前で私の容姿を馬鹿にしていた。おそらく友達に可愛い彼女ができて、「負けた」と感じたら元彼は発狂していたと思う。でも知りうる限りそんなことは起きなかった。全く女に縁がない男の具体的なイメージとして今でも彼らの姿が頭に浮かぶ。
この人のそばにはいたくないと思って別れてほしいと言ったら、すぐに別れてくれたけど悪評を流された。
訂正して回る気が起きなくて共通の知人がいるコミュニティからも逃げた。小学生のときにいじめられたことあるんだけど、それとは比較にならないほどのストレスを受けた。ストレス反応の身体症状が出まくった。このときの対人関係ストレスを上回る出来事はその後起きてない。
それ以降、伝聞の悪口を信じなくなった。その噂は丸々嘘の可能性もある。
なんで元彼と付き合ったのか。
行儀が良いコミュニティにいたのを、ブスだから私には誰も欲情しないと思っていた。男性のストライクゾーンの広さについての理解が浅かった。お互いが唯一の存在になるという女性向けコンテンツにありがちな関係性幻想に染まりすぎだった。
最初に露骨に口説いてきたのが元彼だったし、私に勃起する人がいるんだと感動した。
(これを若いブス狙ってレイプすりゃいいんだなと解釈する人間が湧きそうで本当に嫌だ)
「俺に欲情して強引に露骨に口説いて彼女になる女はいなかった。ブスにはそういう男が湧くのに。やはり女はイージーモード」と呪われそうだ。
買って済む話ではないことはわかる。ホストに貢ぐための金を得るために必死な女の時間を買うことでは解消できない種類のもの。
私大の陽は怖いけど受験勉強を真面目にやった芋なら大丈夫だろうみたいなポジティブ方面の偏見、安心感を持っていた。単純化は愚か。怠惰。
元彼の両親は偉い父親と専業主婦、うちは二馬力だったので家庭に関する感覚が全く違っていた。
元彼は父親に強要された価値観に苦しめられているように見えたけど、父親の価値観をインストールして母親を馬鹿にしているようにも見えた。
「親によって苦しめられ歪められた人を恋人が救う話」というコンテンツの影響を受けてきたオタクだったから、初めての恋人との関係を美談に仕立て上げていたが、元彼は私にまったく救われていないし、そもそも私に救われることを望んでいたか。私が空回っていただけの可能性が高い。元彼の望みは「整形ではない可愛い処女の彼女ができて高カーストの男からも羨ましがられるようになる」辺りのほうが本質的だったのではないかと思う。
オレは今まで、セックスどころか、恋愛をした経験が無かったし。
甘酸っぱい青春を過ごしてこなかった。
どちらかと言うと女性を遠ざけてきた。
実は人を好きになった事さえ、一度もないんだ。
少女マンガを描いたぞ!!! みんな読んでくれ!! こう言われて読みたいと思えるのか!!
「恋愛未経験の作者が描いた少女マンガは面白いと思えない」——だったら読者はどうなんだ?
電車やプラモデルのような趣味ならまだしも、恋愛は関係性のコアだろ!
漫画やアニメ、映画やゲーム、あらゆるエンタメは人間関係のストーリー。
「作者と違って読者は、別に恋愛未経験でも人間関係のストーリーを十分に楽しめる。」
・・・そう考えるのはウヌボレだろ。
心の余裕がなく恋愛経験がないオタクは人間関係の感受性が未発達——反論できるか?
ストーリーに深い人間関係が絡んでくると、途端に目が滑り出して、脳が受信拒否する。
うちの子は遺伝的父親(以下、Aとしよう)を全く覚えておらず、うちの妻もAとの接触は十数年間一度もなく、Aの両親から支払われていた養育費は再婚時に止めた。
なので我が家にとっては「Aなんて男は存在しない」っていう体で今まで平和に暮らしてる。
共同親権は既に離婚済みの夫婦でも適用できるらしいので、Aがそれを求めて申し立てを行うことも不可能ではなくなるだろう。
つまり、共同親権は我が家にとって特にメリットはなく、ほぼ心配ないとはいえリスクはある。
それでも俺は、共同親権が導入されることは正しいと考えてる。
自分の家庭の都合のために、「罪のない、親権を失った親」を犠牲にするのは間違っているからだ。
共同親権を推進する立場の運動家にはDV加害者が多いのかも知れない。
ただそいつらの罪は、「特にDVなどの非がないのに、配偶者と不仲になっただけで親権を失った親」には関係ないことだ。
彼らの中に「親権者として認められたい」ニーズがあるなら、それが仮に圧倒的少数派だったとしても、切り捨てることはできない。
共同親権が解禁されることで生じる新たな問題は、個別に対処していくしかない。DV加害者を見極めて親権を与えない仕組み、危険が生じたときに警察や司法が適切に介入する仕組みは必要だ。
「その仕組みを完璧に構築するのは難しいから、全ての別居親を潜在的DV加害者としてまとめて遮断しよう」という手法は許されない。
これは俺自身が、「シンママと結婚しようとする男なんて小児性愛者なんじゃないか」という偏見に苦しんだ経験に基づくものだ。
(リアルな知人にそんなことを言われたわけではない。ただネットでそれを公言するやつはとてつもなく多い)
シンママの交際相手が子供を虐待するニュースが出るたびに、「公的な審査を受けて認められなければシンママと結婚できないようにしろ」と主張するやつらが現れる。シンママとの交際を望む時点で、潜在的犯罪者として扱えという主張だ。
虐待は実父母によっても大量に行われているのに、親になるすべての人を疑うのではなく、「子供と血縁がないやつだけ疑え」というのだ。
自分と違う属性のやつが犯罪を犯したときだけ、その犯罪と属性を紐付ける。これが差別でなくてなんだというのだ。
そんなことを言うなら、シンママ自身による虐待だって発生率は高い。一度壊れた家庭は葛藤レベルが高く、人間関係の構築に失敗する例が多くなるのは仕方ないことで、それは再婚しようと再婚しなかろうと同じことだ。
この偏見に苦しんだことがあるから、俺は「すべての別居親をDV加害者と疑う」ことに反対する。
そうなれば自分のスタンスは「共同親権には賛成、だが適切な制度の整備と運用を求める」しかない。
それが自分にとって不利な方向への変化だとしても。
忙しい人向け
→暇なミドサーが出張メイドさんを利用してみたらめちゃくちゃ楽しかった!自己肯定感が爆上がりした!おすすめ!
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以下本文
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今年に入って仲の良い友達が軒並み結婚で引っ越したり、妊娠出産したりと気軽に会えなくなってしまいました。
フリーランスの在宅ワーカーなので本当に人と関わることがなくなった結果、ものすごい孤独感に苛まれるようになり、ふとTwitterを見ていたら出張お給仕をされているメイドさんを発見し、ツイートが面白かったのでフォローしたのがきっかけです。
レンタル友達を利用するか迷うくらい他者と時間を共有したかったので、サイトの情報しかないレンタル友達よりも、ツイートや配信で人となりが分かるのがかなり惹かれるポイントでした。
配信にちょこちょこお邪魔するうちに覚えてくれて、前の配信でコメントしたことも覚えてくれるようになり、オンラインである程度交流ができたところで出張お給仕を依頼。利用料金は1時間3000円。3時間をお願いしました。
内容はずっと行きたかったアフヌン。好き嫌いやアレルギーなどのヒアリングをし、予約。待ち合わせ場所と時間を決めて、いざ当日!
約束の20分前に着くも、ド緊張をかましてトイレに篭り、待ち合わせギリギリに到着!
「増田ちゃ〜〜〜ん!!♡♡」と愛嬌たっぷりで駆け寄ってくれるではないですか!
まずそもそものビジュが良いのに、あまりの可愛さにこの時点でやられます。まずい、可愛すぎる!
かなり緊張していた当方ですが、そこはメイドさん、接客業のプロなので上手に会話を広げてこちらの緊張をほぐしてくれます。
一緒に写真撮ろ〜〜〜!とこちらから声のかけにくいツーショも誘ってくれて、気遣いに嬉しくなります。
少し緊張が解けたところでどうして出張お給仕を利用したかや、お互いの話、自分の悩みなどを話しました。
どの話題でも「うんうん」と優しく聞いてくれて、久々に誰かの温もりに触れたことを改めて実感しました。
そしてすごく印象的だったのは折に触れては当方のことを可愛い!と言ってくれたこと。
当方は割と外見に恵まれず、外見が理由でいじめられた過去がある程度には難ありですが、とても褒めてくれて久々に自己肯定感が上がった気がします。
(余談ですがホストに通っていたこともあり、その時も可愛いと言ってくれましたが、やはり女の子からの可愛いの方が嬉しいし、お世辞感が少ないような気がします)
個人的にはお金を挟むことである程度の気遣いをしてもらえて、ラフさは残しつつしっかり接客をしてくれたのが最高でした。
どうしても友達だと、対等な立場だからこそ不満があったり、自分の話したいことを話しきれなかったりしたので、フラストレーションのない人間関係を作れるのはかなり魅力的です。
ということで、トータルの感想としてはめちゃくちゃ楽しかった!!!し、しっかり来月もお願いするつもりです。
以上孤独なミドサーの健忘録でした。いやぁ非常に良い日であった。
小6からずっとオタクグループにいるオタク女なんだけど、処女時代のオタク体験に特有の楽しさというのはあって、その後彼氏できて二次元オタク趣味どころか全趣味エネルギーを喪失した時期があって、その後エネルギーが復活したという変遷があった。
最初の彼氏ができたときは、恋愛に夢中になってオタクをやめたというパターンではなく、幻滅と軽い鬱みたいになって何もかもが楽しめなくなってしまった。セックスが全く気持ちよくなかったのと、前から自分がブスである自覚はあったけど本当にブスの貧乳で無価値なんだなって思えて同人誌やグッズ類を一回全部処分したし、ライト乗り鉄みたいな感じでいろいろなところに一人で出かける趣味も失ってしまった。消費も生産もあのときは完全に止まった。「生産エネルギーが凄い童貞に生産を続けさせるために童貞のままでいさせろ!」みたいな声があるけど、それはこういう理由なのかもしれないなと今でも思う。夢が壊れて読めないし書けない状態になることはあるんだなと思う。私が生産をやめて困る人は別にいないけど、その人の創作に依存している読者が大勢いる商業作家であればそういう干渉も起きるもんなのかなと思う。作家の感性に不可逆な変化が起きてほしくないと思うわなと。
別れたら恋愛・性のコンテンツとは無関係なところから趣味が復活してきて、これはこれという感じで徐々にフィクションも楽しめるようになってきた。その後、別の人と付き合ってセックス気持ちいいのかよ…となり、急に実写映画など二次元以外のコンテンツも楽しく感じられるようになってインプットの幅が広がって(これが個人的に一番デカい体験だった)、創作も寡作だけどまたできるようになった。支部でのブクマ数みたいなところでいうと前より数字出せるようになった。もちろん評価よりも自分が仕事・生活と両立できて適切な距離感でやっていけることが一番なんだけど。交流や、オフラインでの活動がかなり時間も金も溶かすので、そこが無くなっただけで他にも時間が使えるようになる。時間は有限だけど密度みたいなものはある。コンテンツなのかコミュニケーションなのかというのはトレードオフじゃないんだ、生産と消費もトレードオフじゃないんだ、インプットをたくさんすると「個性」を失って他者からの評価が減じるわけでもないんだ、というのを思う。そんなに単純なものではない。あと思えば自分のことを個性的だと思い込んでたときの自分って個性的だったのではなく、オタクのテンプレートに準じていたただの痛いアニメイトJCの延長だったのでは?むしろ類型的だったのでは?とも思う。
オタクはセックスが下手みたいなレッテルも意味がないんだよね。元彼も現夫もオタクだし、両方瘦せ型の眼鏡だから、「見た目の特徴で見分けろ」みたいなことには意味がない。違いをいうなら元彼の友達は彼女がいない人ばかりで、現夫の友達は彼女がいる人が多くて、年を重ねるうちに既婚者になっていった。そういう傾向が、今思えばあるなというくらい。見た目はまじで両方瘦せ型の眼鏡でしかない。とくに高収入とかでもない…むしろ元彼のほうが職業領域としては高収入職のルートに行ったのではないかと思う。追いかけてないけど。
元彼との交際中はメンタルデバフがかかってて何も楽しめないという感じだったし、あれを「現実で恋愛しているからフィクションが不要になってた」という解釈だけはマジでできない…フィクションは大事だし、現実に劣る存在というふうには思わない。低カーストのブスである現実の自分から逃れるためのフィクションという位置づけではなくなってからのほうが、むしろ商業という責任の生じる形でコンテンツ生産を担っている人々への敬意や感謝を持つようになった。そして今の夫と交際開始したことがバフなのかというと、バフとちょっと違って、経験値が上がったような感じがした。小中学生の頃は現実と切り離すためのオタク消費・生産であって相互の影響はないと思いたかったし強固にそう思っていたけど、今思うのは、現実の経験が「どういうコンテンツを好むか」という好みの部分にかなり影響を与える。実際にやったセックスをそのまま創作で晒したり友達をモデルにして作品に出すような行いはしてないけど、コンテンツから良さを感じとる幅が広がって多様な小説や映画などから影響を受けるようになって、インプットするコンテンツの幅と量が激増したからアウトプットも変わったという感じがする。あと経験っていうのは現実の恋愛やセックスだけじゃなくて、ほかの対人関係や仕事などの影響も結構な割合としてある。学生のころ部活で後輩を指導するような役割から逃げ回っていて、職場で後輩ができてついに「先輩」役から逃げられなくなって、案の定うまくいかないとかの経験もかなり大きかったように思う。
自分のダメさを思い知るとかも含め、人生経験があったほうがコンテンツの消費も生産も楽しい。私の場合はだけど、生産において評価の数字も前より出るようになった。ただ、それは好きな時に好きなだけ趣味の創作をして無料で公開するという一番責任の発生しない形のものでしかなく、安定性が要求される商業とは違うもの。また、人と付き合うことで鬱状態みたいになると全部にデバフかかって何も楽しくなくなるから人間関係はリスクではある。人を求めた結果、ホストやりりちゃんにハマってめちゃくちゃというケースもあるんだろう。結局、何の単純化もできない。