はてなキーワード: 義務とは
https://twitter.com/mane_bu_com/status/1791692316035453241
ハンディキャップのある子の熱がなかなか下がらないので、かかりつけ医に紹介された病院の救急に向かい、子は車で待機させ、親のみが受付に行った際、本人がいないため受付ができないと言われたよう。
返信や引用リプで、救急だから、トリアージが必要と説明されるが、受付が説明しなかった、もっと患者に寄り添ってほしいなどのお気持ちを表明。
その他、この学校に関しても色々問題を抱えているようだ。担任の指導力が低いようで、挙げ句痣までできてしまったよう。
これは虐待に当たるかもしれないが、ポストを追っていくと、絶対に担任のせいだ、確信があると事実が確定する前から一方的な物言いをしていた。
この担任の知識不足などは散々に叫んでいるが、自分の知識不足はさも知らなくて当然という態度を取っていた。
この人、気に入らないことに対しては、絶対に自分が正しいと思っているのだろう。
バッドコミュニケーションの最たる事例かと。
下手くそなんだろうな。
ただ、こういう保護者ってハンディキャップを持っている母親に何故か多いと感じてしまう。あくまでも私の感想だけど。
所謂子持ち様のような人と似ている。
助けが要るのであれば、もっと外側の人とうまくやればよいのに。
ちなみに、どこぞのポストでトリアージには掲示義務があるという知識を得たようで、それ以降、気に入らないポストへは「掲示義務がわかりにくいのがいけない!」のような一本槍の返信をしているが、教えてもらった武器でよくも戦えるなぁといった印象。
結婚の有無にかかわらず出産は25歳までに第一子、30歳まで第二子を義務付けよう
その代わり男は若いうちに搾精して用が済んだら兵役で戦争の前線に立たせる
これが真の男女平等
ちなみにこういう話になるとネット上の男は「女も育休使わなきゃいいじゃん」って言い出す
女を苦しめることができるし、男の行動は変えない理由ができるからだ
でも国は男にも育休使う方向に舵切ってるし、なんなら育休制度自体が世界的にみて一番充実してるからな
国の方針は明確だよ
ネット上の男がたまに女叩き棒として利用するゴールディン氏も
ゴールディン氏は、日本の父親の育児休業のしくみについて「最も優れた政策の一つ」としながらも、取得が進んでいないとの見方を示した。
「サラリーマンは自身の仕事のキャリアに影響することを恐れて育児休暇を取りたがらない傾向があり、せっかくの日本の手厚い育児休暇の実際の取得率は14%にも達しておらず、世界の中でも低い方だ」
と言っている
そもそも夫婦2人とも育休取れず育児できない社会を望む人なんて少数派だよ
外国人に対して、
約3300万円のキムリア治療・約1000万円のオプジーボ治療を
生活保護(医療費が無料)・国民健康保険で対応するのはどうなの?
もし自分が外国人で、自国に皆保険が無くて、高額医療費が必要な病気になったら
日本語学校に留学ビザで留学して、国民健康保険に加入して、低額で高額治療を受ける。
国会議員は生活保護(医療費が無料)・国民健康保険を日本人限定に改正してください!
もし自分が外国人で、自国の皆保険が不妊治療を対象にしていなくて、不妊になったら
日本語学校に留学ビザで留学して、国民健康保険に加入して、低額で不妊治療を受ける。
国会議員は生活保護(医療費が無料)・国民健康保険を日本人限定に改正してください!
オーストラリアは、留学生に留学生保険への加入を義務付けています!
留学生保険に加入するには、政府指定医療機関の健康診断が必須です!
健康診断で判明した慢性疾患などに対して、留学生保険は保険金を支払いません!
所得制限の撤廃、妻の年齢が40歳未満の場合は1子あたり6回まで、
40歳以上43歳未満の場合は1子あたり3回まで助成(通算助成上限回数の制限廃止)、
www.mhlw.go.jp/content/12401000/000840271.pdf
約1000万円のオプジーボ治療を頂く、頂き外国人をつくるな!
続々認可の特効薬
約3300万円のキムリア
約1000万円のオプジーボ
https://twitter.com/Catsuzuchan_01/status/1747572319869182459
「中国人は制度調べ尽くして、本国の家族呼び寄せて、書類用意して半ば強引に健康保険を通し日本の医療を受けさせる。
tinyurl.com/kazoku-yobiyose
前の病院でも
せっせと納めた社会保険料で。
x.com/KRow_Dr_/status/1791761901552349598
「保険が使えるから日本に来た。全額負担なら絶対に来なかった」
x.com/moeruasia01/status/1791570525325570150
症状を医者に伝え、
やり取りに時間がかかる。
そして、いつもこういった
どう見ても70代なのに、
x.com/Naniwamono1/status/1791587361350172798
tinyurl.com/gaikokujin-funinchiryou
来日中国人が日本の医療制度に“タダ乗り”しようとしている!?
「医療費に業者への費用、滞在費をあわせて200万円ほどです」
国が定めるハーボニーの薬価は5万5000円で投薬期間は12週間。完治までには薬代だけで最低465万円がかかる計算となる。
「最近、日本語がまったく話せない70代の患者が、日本に住んでいるという息子と一緒に来院し、脳動脈瘤の手術をしました。
本来なら100万~200万円の治療費がかかりますが、健康保険証を持っていたので、高額療養費制度を使って自己負担は8万円ほど。
中国で話題「日本で会社作れば、医療タダ乗り」、保険診療天国ニッポンの落とし穴
中国人の間で注目されている経営・管理ビザとはどんなビザなのだろうか。
これは、外国人が日本で事業を起こし、経営や管理に従事する場合に発給される在留資格で、簡単に言えば「500万円を投資して事務所を設ければ日本で社長になれる」といわれているビザだ
意図がある申請者は、『病気の時だけ日本に来ることもできるのではないか』と悪知恵を働かせる可能性があります。また、当人の役員報酬により保険料が決まるため、納付する保険料を月額数千円程度と最低限の金額にすることも不可能ではありません
中国人の医療ツーリズム「健康保険制度で日本の病院を利用」がトレンドに?中国SNSやブログに解説記事も
日本の医療機関を利用する中国人の存在がさまざまな媒体で報道されてきましたが、
今回新たにネットで紹介されているのが
80歳のガン患者、
年齢制限がないのです。
健康保険証を手に入れたらあとは使い放題です。
人工透析:年間500万
ガンの高度治療:オプシーボ1450万
支払いですが、どれだけ高価な治療をしても支払いには上限があります。
保険料:5000円
留学ビザは就労不可ですから、当然に住民税非課税世帯になりますので、この値段になります。
また、75歳以上の後期高齢者の場合は、さらに安くなる可能性があります。
治療がおわったら国に帰りましょう。
もしくはそもそも語学学校にも真面目に通う必要はありませんので、住民票をいれて保険証をゲットした時点で、日本に律儀に滞在する必要はありません。
www.heritage.org/immigration/commentary/look-milton-open-borders-and-the-welfare-state
www.wsj.com/articles/SB10001424127887323728204578513151809466978
tinyurl.com/tokutei-ginou
tinyurl.com/ynb6nrcd
留学生の高額治療と感染症の対策を急げ 日本に来て割安な価格で治療を受けられる「抜け穴」
オーストラリアでは留学ビザ希望者に対して、政府が指定した医療機関での健康診断を義務付けている。
検査結果は、クラウド上に置かれ、オーストラリアの担当医師もチェックするという体制になっている。
そのうえで、留学生には「留学生保険」への加入が義務付けられている。
美容の治療や出産、そして出国前から把握されている高額な医療費のかかる慢性疾患(がんやHIV感染症)等については適用されない。
x.com/May_Roma/status/1662380238288855040
www.nikkei.com/article/DGXNASDG18H11_Y4A710C1CR8000/
生活保護受給の外国人4万7058世帯 過去最多 背景に無年金や語学力不足も
2018/5/3 05:00
www.sankei.com/article/20180503-6XU5F6YLGVPTLDVS6EUOAYYMTY/
(昭和二九年五月八日)
(社発第三八二号)
www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=00ta1609&dataType=1&pageNo=1
「生活に困窮する外国人に対する生活保護の措置について」の一部改正等について(通知)
(社援発0704第4号)
www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=00tb9594&dataType=1&pageNo=1
慶応義塾長の伊藤公平氏が「国立大の学費を年150万円に」と提言し、大学関係者に波紋を呼んでいる。この提言に対し、国立大学協会の『国立大学の授業料のあり方について』(平成5年)から、「国立大学の授業料は、本来、受益者である国が費用を負担すべきものである」という主張を引用し、同氏に批判的なツイートが流れてきた。
ttps://x.com/MaihaiStyle/status/1791449766070808602
ttps://x.com/gomaaaaaoil/status/1791269984351797652
ttps://x.com/kmoooooog/status/1780813111601373203
そもそも、「大学教育・研究には外部経済性がある」というならともかく、「その受益者が国である」とまで言い切ってしまっていいのかは疑問であるが(学問の自由とも矛盾しうるのでは?)、百歩譲ってその主張を認めた場合、国立大のみならず私大の授業料も受益者である国が負担すべきという話になるのではないかという疑問を感じた。しかし、そこは天下の国立大学協会、なぜ「私大の授業料も国が負担すべき」とはいわないのか、その理由をしっかり説明している。
P.3(※太字は引用者による。以下同。Claude AIでPDFのスクリーンショットをテキストデータに変換したので誤字あり)
国が直接責任を負っている高等教育の存在理由については、私立大学との対比で教育面と研究面の両面から見る必要がある。
教育面については、専門分野別の入学者数をみると、国立大学は自然科学系および教育系を中心に、一方私立大学は人文社会系が中心になっている。大学入学者を地域別にみると、私立大学は関東・近畿の大都市圏に入学者全体の64%を抱えているのに対し、国立大学はほぼ全国均等に入学者を受け入れている。地域別分布のみならず出身家庭の収入別からみても、国立大学は依然として教育の機会均等に寄与している。
研究面については、まず研究者養成にしめる役割について、ついで研究実績についても述べる。研究者養成を大学院への平成4年度入学状況でみると、国立大学の修士課程への入学者が私立に比して約2倍であり、博士課程では2.6倍に達している。大学院生の分野別分布をみると、人文社会系では国立の約2倍の学生が私立に入学しているが、施設・設備に経費のかかる理系では一部の私立大学を除けば、国立大学が主要な役割を果たしている。
この事実は研究実績に反映している。これまでに行われたいくつかの調査によると、理系分野では一部の私立大学を除くと、論文数のみならず、論文の総引用数でも国立大学は私立大学を凌駕している。ただしこの場合、国立大学には理系研究者の絶対数が多い点も勘案すべきであろう。
さらに国際的義務として推進が求められている先端的重要基礎研究の多くが、主として国立大学と大学共同利用機関で進められているという現状がある。
なるほど。要するに国立大学は一般に私大より優れているのだから、国立大学に「選択と集中」をせよ、ということですね。国立大学に見劣りするのだから、私大の授業料も国が負担すべき、とは主張しないのも納得。
30年前の国立大学の先生方は「選択と集中」がお好きだったんですね。
実に面白い( )。
次回の華大さんと千鳥くんで取り上げられるテーマに「学校で新しい教科の授業を作るなら何がベスト」っていうのがあるけど
自分は
「生涯スポーツ」
だと思う
体育の授業に於ける、技巧や忍苦を強いられるスポーツではなく
「好きなスポーツを選んでやっていきましょう」っていうスタンス
(※「eSPORT」は含まない)
まあ、基本的に「一人でやれる」やつが良いだろうけど。ずっと続けるんだから仲間が居ないと出来ないスポーツは難しい。そうすっと自ずと種目が限られてくるだろうけど
(でも生涯スポーツを行うことが当然になればチーム制のスポーツもみんな延々とやるだろうから、仲間に困らないとかあるかもしれないな)
健康維持・成人病予防・メンタルの安定・頭脳の活性化・その他諸々の為、生涯スポーツを義務化するべき
今現在自分は全然運動してないんだけども。そして並外れた運動音痴だけども。それでも継続的に走ってる時とか筋トレしてる時とかって「真人間」になった感じがして良かった
義務にでもならないと誰も運動しない。自分の様に「仕事で疲れ切ってるから」とか言ってさ
それじゃだめなんだ
残金がないから。
文春のほうで和久井が1000万のシャンパンタワーを依頼と書いてある。
(シャンパンタワーは祝い事の時にやることが多いので、例えば開店時や嬢の誕生日など。業者発注があるので1ヶ月前締切とか前もって締め切る)
お金を渡したのが開店時(12月)ならば開店時にはシャンパンタワーをやっていなくて
おそらくシャンパンタワーは3月22日の被害者の誕生日。3月23日(というよりは3月22日の深夜)の被害者の配信でも触れられている。
で、その日の和久井が「(被害者)殺す」とか、「手も繋いでくれない!」「他の卓のほうがたくさん付いている(被害者の誕生日なので被害者のお祝いにたくさんの人が来店し満卓だった)」とか騒いだので他のお客さんに迷惑だからシャンパンタワーにシャンパン入れる前に退店させた。
シャンパンタワーは業者が準備しグラスは回収するから別の日に、みたいなことはできない。だから当日キャンセル扱いで返金なしの流れ。
どんな店だって「従業員殺す」とか騒いだら警察呼ばれるし追い出されると思うので、騒がず大人しくしていたら1000万のシャンパンタワーは見れたんじゃないのかなと思うし返金する義務はないだろうなぁ。
続きです。
しかし、結果的に言うとマンガ部も違った。こんな言い方が正しくないのは分かっているが、みな意識が高すぎるのだ。真面目にマンガに取り組もうとしている人たちばかりだった
「人は経験したことだけしか描けない」という信念のもと、学外活動にも熱心だった。いろいろな経験を積むことで、その経験が作品に、キャラクターに深みを与えるのだと。マンガが好きだからマンガしか読んでない奴には面白いマンガは描けない。そう断言してはばからない人たちだった
しかし俺はその考えには否定的だった。なぜならエロは自由だからだ。エロく感じるなら現実など無視して良い。腹ボコも子宮姦も感度3千倍もリットル単位の精液も、どれも現実にはありえない。だがありえないからこそエロいのだ。現実に縛られずに自由に描けるからエロマンガやエロ同人はエロいのだ
そして俺は漫画家になりたいのではない。エロの二次創作がしたいだけだったのだ。そのためだけに絵を練習してきたのだ。男などは描きたくはないが、竿役がいないと始まらないので仕方なく練習した。毎回毎回異空間に閉じ込める訳にも行かないから、背景も勉強して練習した。もちろん女体もしっかり練習した。だがしかし、精緻な設定も重厚なストーリーも人生経験もエロ同人には必要ないし、そもそも俺にそんなものを生み出せるはずもない。生み出そうという気持ちすらない。俺にとって重要なのは、読子やまほろさんをんほおさせること。それだけだからだ
とはいえ先輩方の絵は上手かったし、デッサンの勉強会なども定期的に行われていて、同期で入ってきた部員も何人かいたので、しばらくはこのままでいいかと思い、部に残ることにした。表向きは俺も漫画家志望だということにして
マンガ部では定期的に部誌を発行しており、部員は全員それに載せる作品を描くことが義務だった。作品を落とすことは一度目はセーフだが二度目はペナルティ(部員全員に食事を奢る、部誌の印刷代を出すなど)を課すという厳しいものだった。なので落とす人はほとんどいなかった。が、これに毎回苦戦していたのが俺だ
だってそうだろう。自分が一から考えたマンガなど、俺は一度も描いたことがない。ストーリーがあるマンガも描いたことがない。だが見様見真似でコマを割ることを覚えたりと、マンガの形式を少しづつ学べたのは良かったと今でも思う
そうして大学生活や部活動にも慣れ始めた頃、ついに俺は念願を実行に移すことにした。そう、エロ同人作家としてデビューすることだ
いきなりコミケはハードルが高すぎるし、何よりもサークルの当落があるので、本ができても落選では意味がない。だからまずは手近なイベントにしようと俺は考えた。ネタとしてはやはり、当時人気だった「おねがい☆ティーチャー」が鉄板だと俺は予想した。印刷所も手配し、同期にも手伝ってもらって原稿も描き上げた。この同期は真面目でエロマンガやエロ同人などには良い感情は無かったが、それでもマンガであることには変わりはないと割り切って手伝ってくれた。マンガとして成立しているかもきちんとチェックしてくれた。コマ運びや大ゴマの使い方など、エロ絵しか描けない俺の絵を「マンガ」にしてくれたといっても過言ではない。ただ、俺が本当にやりたかったのがまさにエロ同人だったと知っていたら手伝ってはくれなかっただろう。そういう意味では騙したみたいで、今でも時々申し訳無さを感じる
そうして出来上がった俺の初のエロ同人誌は、自画自賛だがなかなかのものだったと今でも思う。もちろん今から見れば何もかもが荒削りだし、絵だって素人にしてはまぁまぁ、というレベルだ。当時と今とでは要求されるレベルが違うが、それを勘案すれば「まぁまぁ」だった(今基準ならクソ認定されるかもしれない)
そして結論から言うと、俺のこの初エロ同人誌は完売した。ビビって100部しか刷らなかったのを後悔した。初めてのイベント参加で、初めての本なんか売れるわけがない。そうネットでは言われていたので、100部というのもかなりの冒険だったのだけど、当時は最低ロットが100部からだったので仕方なかった。今のオンデマンド方式なら部数は自在だから、30部ぐらいにしていたかもしれない。それはともかくとして
初めてのエロ同人が完売したという事実に俺は喜びに打ち震えた。たった100部とは言え、初めての参加で初めての本だ。それの「完売」の勲章は何物にも代えがたい。今までの努力が認められた気がした。エロ同人作家として価値を認めてもらった気がした。子供の頃からなりたかったエロ同人作家に、いちおう俺はなれたのだ
そこから俺はイベントごとにコンスタントに新刊を出すようになっていった。この頃にはとらのあなが最大勢力で、信長書店やメッセサンオーといった同人を扱うショップも多くなってきた。一方で長年お世話になっていたLLパレスは悲しいことに規模を縮小していったが、こういうショップが勃興することで、俺は部数をどんどんと伸ばしていった。イベントで売れ残っても、その在庫をショップが引き受けてくれるのだから、スペースの限界まで持ち込めるのだ。100部から始まった俺の本の印刷部数が4桁後半になるのもあっという間だった。実家から離れて一人暮らしを始めたのもこの頃だった
一方で同人活動にかまけて、学業どころか大学生活が破綻するようになった俺は留年の危機を迎えていた。おまけに世は就職氷河期真っ只中である。だが俺はまったく気にしていなかった。この頃の俺は1000万円以上の収入をエロ同人から得ていたからだ。就職も卒業もする意味も理由も俺にはまったくなかった。が、親に懇願されたのもあって、卒業だけは一応しておくかと思って追試でどうにかなった。大学側の温情も多分にあってのギリギリ卒業だった
親からは就職をどうするのかと何度も問い詰められた。いまの状況ではまともな就職など出来ない。だからしばらくフリーターをやると言うと、それなりに納得していたようだった。エロ同人作家もフリーターも似たようなものだ。だから俺はここで本当の「エロ同人作家」になった。大学生のお遊びではない、本物になったのだ
さて、無事に大学も卒業して「職業、エロ同人作家」となった俺は、変わらずに活動を続けていた。好きなアニメやゲームを見ては妄想と股間を膨らませて、いかにこのキャラをアヘアヘ言わせるかだけを考えていた。清楚なタイプならギャップ萌えでダブルピースも悪くない。ロリロリでもアリだ。ちょうどこの頃はメスガキ分からせという概念も生まれつつあって、それに乗った俺は絶好調だった。少なくとも表面上は
だが、当時は分からなかったが実は俺はほんのりとスランプを感じていた。マンガの技術は桁違いに向上したし、画力だってプロと比べても遜色ないほどに腕を上げた。しかしやってることや描いてる内容は最初のデビューの作品から何も変わっていない。いや変えられなかったからだ。技術レベルは上がっても、「中身」は小学生レベルなのだ。小学生の描くバカみたいなマンガをプロが清書してるだけのようなものなのだ。誰を描いても、何を描いても「うんこ! おしっこ! ギャハハ!」だ。そういうものを延々と再生産しているという事実に気がついた時、俺はゾッとした。結局のところ、俺はエロ同人「作家」としては何も進歩も進化もしてないのではないか。そう思った
学生の頃、マンガ部の真面目な先輩たちが真面目にマンガを描いていたのを見て、意識が高くて違うなぁと思った。俺にはそんなものは不要だと考えた。エロ同人に必要なのは、一にも二にも画力とエロスだけだ。そう信じていたが、そうではなかった、エロとはそんな単純なものではない。…俺はそんな風に段々と思うようになっていった。エロスとは人間の真実を浮かび上がらせる深奥なる営みの一部なのだ、と。今頃になって先輩たちの「人は経験したことだけしか描けない」という言葉が俺の心をえぐるようになっていった
しかるに今のこの俺はどうだ。実際のセックスなど知らずに、小中学生の妄想をただ絵で表現しているだけの、エロスも人間も描いていないただ手先が器用なだけのバカなのではないか。小手先でエロい絵を描いてるからある程度評価されてるだけで、「作家」としての評価は下の下なのではないか
俺は「漫画家」になりたかった訳では無い。ただエロ同人作家でありさえすれば良かった。だがエロ同人作家であろうとするなら、同時に「漫画家」的な資質も要求されるのだということを、俺はようやく思い知った。エロいからというだけで、設定など無視してキャラにアヘ顔ダブルピースをさせるなど、そもそも作品を理解していないから出来ることだ。果たしてそれは二次エロとして正しいのか。エロ同人作家としてあるべき姿なのか。そんなことを突きつけられた気がした
今から思えばそれは事実だった。だが当時の俺に、その事実を受け入れ、飲み込む度量はなかった。なまじ売れていたからこそ、自分が真のエロ同人作家ではないという事実が受け入れられなかった。あれほど憧れたエロ同人作家として成功したというのが、すべて幻だった、勘違いだったなど受け入れられるはずがない
だから俺は、「本当のセックス」を知るためにまず風俗に行くことにした。実際のセックスを体験すれば、それが何らかの形でマンガにフィードバックできると考えたからだ。そのフィードバックを得られれば、俺は一つ上のエロ同人が描けるようになる。そう信じた。マンガ部の先輩たちが言っていた「人は経験したことだけしか描けない」という言葉に、今更のように俺はすがった
だが、「実際のセックス」は俺の求めたフィードバックもインスピレーションも、何も与えてはくれなかった。実際のセックスはさほど刺激的でもなく、快感という点でも右手に大きく劣るという有り様だった。しかし一つだけ大きな学びがあった。「セックスはいうほど気持ちよくはないが、しかし女の子とイチャイチャするのはたまらなく心地良い」のだ
話は少し前後するが、俺は外面が良いというのは何度も書いた。芸能人レベルのイケメンとまでは言わないが、雰囲気イケメンぐらいではあった。身長だって175センチあって、武道で鍛えてはいたので細マッチョだったから小中高と女子には受けは良かった。告白されたことも何度かある
でも俺はそれらを断った。なぜか? それは真実を知ることで幻想が壊れることが怖かったからだ。そして己の欲望をありのままにぶつければドン引きされるのが分かっていたからだ
俺とて子宮姦など現実にはできないことは知っているし、そんな長大なナニも持ち合わせてはいない。感度3千倍なら脱法ドラッグあたりなら何とかなるかもしれないが、それとてリスキーが過ぎる。なにより俺には妹がいると最初に書いたが、そのせいで「現実の女」に対する期待値などゼロだった。「人語を一応は解する邪悪な獣」である妹が俺の中では現実の若い女性のモデルケースだったので、そんなのの類似品と「お付き合い」など出来るはずがないし、したくもなかった。故に俺はセックスへの憧れ、期待を持ちつつも実行には至らなかった。現実の女子などは鬼神のごとく敬して遠ざけるのが最良なのだ
とはいえ性欲は人並み以上にあったので、ヤりたい気持ちは常にあった。ヤれそうなタイミングもあった。しかしエロ同人的な世界観を内面化している自分が、常識的なセックスで満足するとは思えなかったから踏みとどまれた
話を戻すと、いざ実際に現実の女子と致すと、なるほど予想の通りにさほど気持ちよくはなかった。全くの想像以下だった。しかし、事前事後に快感とは別の多幸感のごときが押し寄せてきたのだ。これは予想外、想定外だった。幸せホルモンがドバドバと脳内に分泌されている。セックスとは竿の快楽だと考えていた自分にとっては、これは盤外戦のような感覚だった
だがこの感覚をマンガにフィードバックはできない。竿役のおじさんや触手が多幸感を感じたというのをどう表現しどうエロに昇華できるというのか。悩み、迷走した結果、俺は今まで通りの路線で続けることにした
ところでこの頃、自身の迷走もあって売上はよくて現状維持、ネタによっては大きく落ちることもあった。かつて数千部を誇った発行部数も在庫として積まれるようになっていった。そして何度も言って恐縮だが、俺は外面はまぁまぁいい。高校生の頃からの習慣で、イベントには常にピシッとした装いで参加していた。それは落ち目になったこの時でも変わらなかった
後にどこかで聞いた話だが、腐女子などもイベント参加のために気合の入れた服や装いを用意するらしい。大事な同人イベントや敬愛するサークルのスペースに訪問するのに、勝負服を着ないでいつ着るのか、という文化があるらしい。俺の装いへのこだわりもそれに近い、と感じた。俺はエロ同人誌が好きだった。それが頒布されるイベントも好きだ。それへの、そこへの敬意として正装をする。それらに対して恥ずかしくない格好をする。もちろん自分なりの、ではあるけれど、それが「礼儀」なのだと俺は思う
そして迷走してはいたものの、まだある程度の売上があったこの頃、この俺のファンだと名乗る女性がサークルスペースに現れた
まだ続きます。。。
オレはあんまり男らしくないよ、って言ってた男の人を思い出した。
年上。
デート一度。
でも女目線から見て、化粧直しの時間を計算に入れないスケジュールを立てるのは、男らしくないとかじゃない。
物理的に長いコンパスの広い歩幅と体力で(しかもスニーカー履いてて)そのペースに合わせなきゃならない立場を考慮して巡る範囲狭めたりタクシー呼んだりしない人に欠けてるのは、男らしさじゃなくて。
大人としてのマトモさ、だと思う。
でも下駄をはかされた特権的な立場にいるにも関わらず弱者にばかり負担をかけて社会的責任を片務させてる男性も結構多くて、彼らは男らしさから解放しろといいながら大人としての社会的責任を放り出して女に甘えてる
元増田がどうかは分からないけど、男らしさって男らしさじゃなくて、力を持ってるものが当然果たすべき社会的義務では? という疑問は男性すべてが自問すべき
なのに女性と交際して子どもを持ちたいと言われる確率をガン無視して
家族を作る備えを全く怠る——…つまりカネを持たない、のは大人の男性として準備ができてない、という意味になる。
でも厳しいこと言うけど、特に理由もなく、基本的なスキンケアさえ怠って周囲の心理的安全性をタバコのように汚染して——…つまりキモいままで、カネさえ貯めないのは、大人の男として合格レベルの男性力があるとは言えないでしょう。