はてなキーワード: 目黒とは
東京の街を歩いていると、誰もが幸せそうに見える。でも、それは上辺の仮面に過ぎないのかも。
心の奥底には、口に出せない欲望が渦巻いているのだ。
週末はイベントとネットワーキングの嵐。口角は上がり、会話は弾む。
でも、心の叫びは誰の耳にも届かない。いや、届かせられない。
ハードワーク明けの月曜日、ついに叫びが爆発した。そう、私はirohaが欲しかったのだ。
抑えきれない熱情。
でも、どうしても届かない。男性は握ることが出来る。
Webサイトによると、ボディケア売り場にあるらしい。だが、見つからない。
恥ずかしくて店員には聞けない。
見知らぬ人に、私の欲望を察せられるなんて、考えただけでゾッとする。無理。
3周しても、マジで見当たらない。
巨大な店内を彷徨う。
色とりどりの商品を見れば、絶対あるはずと期待が膨らむ。が、求めるものはどこにもない。
まずカーテンのついた売り場が見つけられないし、店員さんにも聞けない。
避妊具売り場をガン見するが、置いていない。
番いの幸せは公に置いても問題なく、個の幸せだけが秘匿化されすぎてる。
一体どこに売ってるんですか。
日が沈み、街に夜の帳が下りる。私の心にも、闇が広がっていく。
歩く宛てもなく、ただ街をさまよう。
これは散歩じゃない、情欲が尽きるか、体力が尽きるかの戦いなのだ。
でもここは、私の探す品をそもそも置いていないときた。松坂牛は売ってたけど。
一体全体、私は何を探しているというのか。
お会いできて嬉しい。一緒にお布団へ行きましょう。
時計の針は、もう深夜を指していた。
私は今日、都内をめぐり、自分自身を探す旅をしていたんだと思う。
早速充電してみると、LEDが点灯しない。
絶望に打ちひしがれる。
でも、私は決して諦めない女。
「今行っておかないと下手すりゃ一生行かないから、今のうちに行っておけ!」っていう場所教えてくれない? 飯屋でも観光スポットでもいい。
「下手すりゃ一生行かない」のイメージはこんな感じ(↓に書いたのは全部行ったことがあるor行く予定がある)。
グルメだと小田急相武台前駅のDolce Casalingoとか(関西から行くにはアクセスが悪い)、大久保のスパイスカレー魯珈(人気店すぎてハードルが高い)あたりは気になってる。
個人的には東電の廃炉資料館(福島)、原子力災害考証館(いわき)とか、群馬県大泉町のブラジル街?や神奈川・愛川町の多国籍エリアも行きたいんだけど、そっちは若干遠いので迷ってる。週末はレンタカーで銚子に行きます。
字のバランスの悪さや絵の下手さ、衛生観念の低さ、ボサ眉とパサついた髪なんかは自分にもかなりあてはまるので
「こういう字を書く人ってヤバいよね」「避ける時の指標になる」「発達障害があるんだろうね」「境界知能では」とか言われまくってるのを見て
今までどれだけの人生で「うわ……w」「ガイジw」「関わらんとこ」「迷惑なんだよ」「社会に出るなよ」とか思われてたんだろうと悲しくなった
(幸い?職場の人間関係を苦に退職し今年の4月から無職なので仕事関係で人に迷惑をかける心配はなくなったのだが)
あの人がマフィンを作るのをやめたとしても字のバランスがおかしくて健常なみなさんに不快感を与え批判の大義名分を与える存在であることに変わりはなくて
じゃあどうしろって言うんだろう?なぜみんなみたいに大人の字になれなかったのか分からないしみんながいつの間にか大人の字になっているプロセスが分からない
もしペン字とかを習って死ぬほど苦労して普通の人に見える字を書けるようになったとしても中身が「ガイジ」であることに変わりはないし
字が汚いこと自体が問題というか大人になってるのに死ぬほど苦労しないと普通の字が書けない異常さが問題なんだから今さら字だけ普通になっても意味がないんじゃないかと思う
だからって障害者手帳を取って最低賃金以下の作業所で働くって可能なの?色んな意味で
店を出す程度の行動力はあるわけで、病院に行ったところであなたは今までちゃんと仕事してたんだから障害者手帳を取れるレベルではないと門前払いされるんじゃないの?
周りから障害者だから作業所で働けと言われましたって申告したところで働かせてもらえるの?
お子さんもいて今まで目黒のお家で楽しくお菓子作りしてた人がいきなりあなたは障害者だと突き付けられて作業所で淡々と働くって気持ち的に可能なの?
いつの日か生活保護を受給するにしても今まで人生で楽しんでいた食べ物や着る物や住む場所や娯楽を大幅に制限されてただ生きているだけの生活をしなきゃいけないし
なんなんだろうな
生きてちゃいけないんだろうか
福祉ってなんなんだ
キチガイのくせに命があるだけでありがたいと思えってことなのか
字が汚くてルックスに清潔感がないというのは生きているだけで「こいつは犯罪者予備軍だから叩いてもいい」扱いされる異常存在であることを自覚してやっぱりちゃんと医療にかかるべきなのかと思い調べたけど
大人の発達障害について診てくれる病院が市内(田舎だからかなり広い面積)にひとつしかなくて
しかもそこはガチめの統合失調症患者が行くような精神病院だからレビューも幻覚が見えている患者さんのクレームだらけで
通うとしたらここに通うのかあ……と早速腰が重くなっている
とりとめのない書き方になってしまった
ネットの人らって社会のはみ出し者に優しくするべきみたいな話しがちだけど何だかんだでやっぱりみんな健常者側だし本音では「オカシイ」奴のことを迷惑に思ってるんだな
でも自分は生きていたい
ごめんなさい
まあ東京が生活拠点なのに新たに家を買うにあたって神奈川県(しかも横浜と言わない)というのは経済状況の判断基準になり得そう
そもそも「新たに本宅を買う」時点で旧家ではないという判断も働く
ガキ使に関しては、川崎市横浜市あたりは駅周辺が発展していて道路沿いは本当に店がないのでよく車移動をしている人の発言として実感がある。下町の出身者が都市形成の事情を知らずに他都市をディスるというギャグだと思う。
ある日、コネ入社ではと密かにウワサされていた職場の後輩が無遠慮な先輩から
「なあ、お前ってお坊ちゃんなん?」
といきなりぶっ込まれていた。
後輩が慌てて否定するも
「出たよ絶対うそ!!!ていうかお前の大学からうちの会社入るの5年振りやぞ」
と先輩はしつこい
(ちなみに、後輩はやはりコネ入社してきたお金持ちで父親が某巨大グローバルメーカーの広報部長であられた。)。
後輩が苦笑いしながら
「いやぁ……お金持ちの親ならわざわざ神奈川県に家なんて買わないですよ」
と返すと、
先輩はまるで憑き物が取れたかのように
「あっ……確かにそうだな」
と完璧に納得して一発で引き下がった。
このやり取りを傍らで見ていて、生まれも育ちも千葉県船橋市の俺は衝撃を受けた。
という論理式をイキリとかではなく物の道理としてすんなり呑み込める階層の人間がこの世に存在することに衝撃を受けた。
この先輩は生まれも育ちも日本橋で幼稚舎から慶応である。祖父、叔父、両親、兄弟全員が慶応幼稚舎出身だと言っていた。
さて、
ガキ使メンバーがドライブをしながら車内から見える看板や店などの光景を手掛かりにひたすらトリビアを披露し合ってその数を競うという企画だったのだが、多摩川大橋を渡って大田区から川崎市に突入するときに
「おっ、これ渡ったら神奈川県や」
「これだんだん難しくなりますよ~何も無くなって来ますからねえ」
と気合を入れ直してたのを見て俺は大変な衝撃を受けた。
いや、五反田や戸越とかならともかく、もう中延とか二葉になると川崎市幸区なんかと国道沿いの風景や賑わいは全然変わらないから。
ましてや馬込や池上や矢口なんかだと反町とか本牧以下まである。
今思い出した。
目黒で生まれ育った友達と会話してたらふとしたときに露悪ではなく真顔で
とまるでこっちにファクト面での誤謬があったかのような感じでツッコミを入れられたこともある。
船橋とかどう思われてんだろ。
よく、子どもを育てるには褒めて自己肯定感を高めることが大事、みたいな記事を目にしたけど、逆のことをされている。
「パパは何でそんなにかっこいいの?」とか、「パパは目黒くん(スノーマンの)に似てるね(勿論汚いおっさんなのでそんなわけはない)」とか、
あまりにも過分なお褒めの言葉をいただきまして、毎日自己肯定感が爆上がりです。
まぁ当然、物事の分別がついてくればそんなことは言わなくなるだろうし、思春期になれば父親は嫌われるもんだということは承知の上だが、
それを差し引いても過去最高に自己肯定感が高まっててそれだけであと数十年生きていけそう。
よく「パパと結婚する!」って言ってたのに…みたいなジョークというか定型句みたいなネタあるけど、あれ分かってても嬉しいんだな。
「お金がなくても作家を喜ばせる方法は図書館にリクエストすることだ」なるツイート(ポスト?)が伸びてたので https://twitter.com/jiro6663/status/1694628008366428193?t=3FxjKDajQYbjtPMwsgkrdw&s=19
現役図書館司書の視点からこの件について図書館的にどうなのか、本当に作家の為になっているのかを考えてみた
念を押しておくと田舎の小さい図書館司書視点なので一般化できるかは怪しい
①リクエストした人が必ず借りてくれるのであれば図書館は嬉しい
の2点になる
まず①から
図書館の予算は大体どこもカツカツで満足に本買えてる図書館の方が少ない
限られた予算の中で利用者が喜ぶ本を選書し、満足度の高い図書館をいかにして作るかというのは司書の腕の見せ所である
大体は児童向けや小説のシリーズ物、健康や生活の知恵に役立つ400〜500番代の本を数冊買い、余ったお金で1〜2冊ほど「これは利用されそうだな」という本をジャンル問わず選定するが、この「利用されそう」というふわっとしたものが難しい
よく動く本の傾向を見たり新聞書評や今ならYouTubeやTikTokでバズったものを選定してみたりするが、それでも買ったのに全然貸出されない本は出てくる
こういう時、誰かがリクエストをかけた本であれば確実に一回の利用は見込めるので選書会議も通りやすいし助かったりする
しかし、リクエストかけた人に借りる意思がない場合はとても困る
実際、みんなに読んでほしいと言う理由でリクエストがかかり購入したが誰も読まず書架の肥やしになっている本はある
(これはその本が悪いのではなく利用者のニーズに合致しなかった、例えば世田谷や目黒といった一等地に農業指南の本を置いて借りる人がいるのか?という話)
実際そういうことが起きたのでうちの図書館ではリクエストした本を必ず借りてもらうルールが作られた
予算もスペースも限られているので、本人が借りる意思の無い布教の為の、最低一回の利用も見込めない本はリクエストされても正直困るな…というのが本音である
作家としても、折角書いた本が誰にも読まれず本棚から動かない状況は売れたとしてもあまり嬉しくはないんじゃないかと思う
②について
図書館の本は必ずしも購入した物ばかりではない
リクエストがかかった本で、どうしても予算が足りず購入が後回しになる本はどうしても出てくる
そういう時、どこからか現れた善意の市民がちょうどリクエストかかった本を寄贈してくれることがある
それを確かめる方法は図書館には無いのて、作者の利益に貢献しているかは不明だ
また、リクエストされたからといって必ず本を購入する訳では無い
相互貸借というサービスが存在し、その図書館に所蔵が無い本にリクエストがかかった時に所蔵のある別の図書館から取り寄せて貸出することもできる
リクエストがかかった本は原則自分の図書館で購入することが勧められている
それはそれとしてどこも予算は無いので出版から時間の経っている本は相互貸借で補い合うケースは多い
よって、図書館にリクエストをかけたからと言って、必ずしも作者への貢献に繋がるとは言えない
最後に
色々書いたが予算だのスペースだの利用率だのそういう小難しい事は司書が考える仕事なのであまり深く考えず読みたい本があれば気軽にリクエストしてみて欲しい
図書館はその街に住む市民の学習や読書環境を整えるのが第一の仕事だと考えているので要望があればやれる限りは応えたい
もちろん本を書いた作家や出版社があってこその図書館なのでそちらへの感謝や還元も適切に行っていく
ただ、やっぱり市民の為にあるのが図書館なので特定の個人が推し作家の応援する為に手当たり次第リクエストかけてまわるのはなんか違うのではと思う