はてなキーワード: うなぎパイとは
名古屋メシ、という括り方が正しいか分からないが、日本に打って出るポテンシャルがあるにも関わらずそれほど知名度がないという意味で妙香園について語りたいと思う。妙香園というのは名古屋に本店を置くお茶屋さんで、売りは焙じ茶である。
妙香園について語る前に、まず、読者諸兄は「焙じ茶」というものに対してどのようなイメージがあるだろうか。商店街のお茶屋さんの店舗で茶葉を焙じる機械から香ばしい香りで客を引き寄せ、試飲に誘い、そして100グラムくらいのパックを購入してみるものの、自宅で抽出してみて首を傾げ、そのまま茶葉を使い切ることなく、年末の大掃除で賞味期限が切れた茶葉を引き出しの奥でみつけて処分する、というそんな印象ではないだろうか。
妙香園に関していえば、そのような存在とは真逆のものであると私は胸を張って言える。自宅で妙香園の焙じ茶を淹れると、まさに店頭のあの香りが自宅のキッチンで立ち上るのである。残念ながら、名古屋人たち自身はこの妙香園の実力について認識していないように思う。筆者は東海地方出身で東京での生活が20年以上なのでそれが残念なのである。
冒頭の記事のタイトルに戻る。名古屋メシというものは、全般的に、味覚の総量が大きく、コスパがよく、それでいてカジュアルさがあるという共通点がなんとなくあるように思う。そういう意味において妙香園は(食い物ではなく茶だが)まさに名古屋メシカテゴリとして語られるべきものだと思う。名古屋に行った時には名駅地下街で妙香園の焙じ茶を買おう。私自身はほかで茶葉を買うということ自体が少ないので分からないが、大した値段ではないと思うし店の敷居も低い。名古屋人のあなたは、いつも名古屋土産として買っている、坂角のゆかりや赤福やらうなぎパイではなく、妙香園を買ってみよう。あなたにとっては只の妙香園に過ぎないが、彼らは妙香園の焙じ茶を知らない可哀想な人々である。あなたが妙香園を与えることによって、彼らがもともと持っていた焙じ茶に対する限定的なイメージを拡張し、つまりは彼らの人生を豊かにすることになるのだ。
コメントとトラバが付いているのが嬉しいので追記する。誤字を少し修正した。
私自身の妙香園エピソードを少し語ろう。引越しの時に、地元の母親が持たせてくれた妙香園を手土産として各部屋に持参して行った。マンションの上階に住んでいた大家が後日、「あのお茶すごいね、あの香り!」と褒めてくれた。いや、勿論社交辞令かもしれないが、「香りに対する驚き」というのは妙香園に関する特有の反応だと思う。
そういえば、積極的にテレビCMとかを打ってるわけではないのでそんなものかもしれないな。売店自体はいろんなところにあるから試してほしい。
あんまり、有名どころの焙じ茶とかと飲み比べてるわけじゃないから、リアクション鈍くてごめんな。
俺が妙香園の関係者ではないと強弁したところでそれを客観的に示すものなどない。妙香園のことが好きだという意味では身内みたいなものかもしれない。妙香園の認知が上がれば俺の幸福度があがるので、その意味では利害関係者とも言えるな。どう?この回答でいいかい、坊や。
これは全くそう。俺が思っていたのは名駅の新幹線の売店で土産を買う時の選択肢が、坂角、赤福、うなぎパイの三本柱なんだが、名古屋人はそのローテーションで満足してないか、ということである。ここまで熱弁しておいてなんなのだが、俺自身、新幹線の売店で買えるのが楽で、名古屋土産のメインは坂角の徳用パック(箱に入ってないやつ)なんだよね。ちょっとこれからは気合を入れ直して、土産で妙香園を配りまくるようにしてみようと思う。
一点書き忘れたことがある。焙じ茶にはいくつかのラインナップがあるが、私がいつも飲んでいるのは「強火」と書かれた、赤緑のおしゃれなパッケージである。同じおしゃれパッケージだと、水出しやテトラパックもいいと思う。「強火」以外の妙香園焙じ茶は飲んだことはないが、母親によると「強火」こそ妙香園らしい濃厚な香りと旨みが楽しめるらしい。
皆様ご存知の通り、人が活動すればするほど新型コロナは感染拡大する。影響の多寡こそあれ、夜遊びでも会食でも出社でも登校登園でも。
よって感染拡大を防ぐには何かを自粛の名のもとに犠牲にせねばならない。極めて小さくなった「自由」という名のパイを奪い合っているのが現状だ。
そして感染拡大するにつれパイはますます小さくなる。このままではパイは無くなる。
この現状は絶滅危惧種のウナギに似ていると思う。日本人はウナギを食べるのを自粛しているか?むしろ、どうせ絶滅するならその前に食いたい、という人も多いのでは?
今日もそういう奴の享楽により「自由」という名のパイは食われている。
そして、自粛してもパイが他人に食われてなくなり、何ら報われる事なくこの愚民めがと十把一絡げに罵声を浴びせられるだけなら、いっそ愚民らしく食い尽す側に回った方がマシでは、という気持ちが湧いてきている。
追記:
小論文と小籠包は似ている。同じようなことを考えている人がいるはずだと考えて検索したら、大量にそのようなツイートが出てきた。『うなぎなう』と同じくらいあるのではないか。つまり小籠包はうなぎだということがわかった。うなぎ料理といえばひつまぶしだ、というかそれくらいしか知らないが、つまりひつまぶしのうなぎじゃない部分が小論文に相当するわけか。かける汁が小論文なのだろう。ここで冷静になって考えてみると、小論文が汁で小籠包がうなぎである可能性もあった。『包』という漢字に着目すれば、汁がうなぎを包んでいると考えるのが妥当だから、小籠包が汁で小論文がうなぎということになる。小論文といえば皆に嫌われる課題の代表格だが、うなぎは皆に好かれている。どうしてこのような差が生まれてしまったのか。うなぎは美味しいが小論文は食べられないというのが原因の一つとして考えられる。つまり小論文を美味しく食べることができれば皆が小論文を好きになり、小論文とうなぎは同一の存在に近づく。小論文を書くのは紙で、紙を食べるといえばヤギだ。しかし実のところヤギに紙を食べさせるのはあまりよろしくないらしい。やはり小論文を食べるのは難しいか。しかし希望は残っていた。小論文を書く場所は紙とは限らない。べつにWordでもテキストファイルでも、内容が小論文であれば小論文であることには違いあるまい。近年は新型ウイルスによる感染症を避けるため授業のリモート化が進められているから、それに合わせて小論文が電子化されるのも十分ありうる話だろう。しかし電子化したものを食べるのは紙を食べる以上に困難だ。やはり難しいか。ここで、電子化したデータは様々な形式でエクスポートできるということに気づいた。つまり、食べられる形式で小論文をエクスポートすれば小論文を食べることができるようになるということだ。どこかの童話に出てきたお菓子の家みたいに、お菓子の小論文というものを考えれば、小論文を食べることが可能になる。厳密にはうなぎはお菓子ではないのだが、うなぎパイというお菓子があるので、まあ問題なかろう。しかし、400字程度の小論文でもお菓子にするのはそれなりにコストがかかる。たとえばバースデーケーキを例に考えると、お誕生日おめでとうの10文字程度しか情報を持つことができない。したがって小論文ケーキはバースデーケーキのおよそ40倍コストがかかってしまう。あまりにも値段が高騰してしまった。近年はうなぎの値段が高騰しているから、それで適正かもしれない。
なんでそんな名前にしたんだお前は
こちとら出身地聞かれたときに静岡県って答えるのがイヤで浜松って答えてるんだよ
当たり前だろ俺はしょっぺえ浜松生まれ浜松育ち、なんやかんや駅前がにぎわってる静岡とは文化が違うんだよはんぺんだって白がいい
そこへなんだお前は、浜松町お前、関東圏の人らに出身浜松ですって言ったとき「あっモノレールあるとこですね~」って返されるけどねえわなんだモノレールって、名鉄より赤くない赤電のことか?
そりゃお互い様だと思いてえよ、でもお前その地名こっからとってんじゃねえかマジかよどの辺が浜松なんだ?行ったことねえけど浜松町は都会だろ、ブラジル大使館もうなぎパイ工場もないだろ?アカウミガメの産卵だって見たことねえようなビル街なんだろ?なんで浜松名乗ったんだよ、どうした?浜松出身の田舎者がごめんな