はてなキーワード: 相手とは
小出しに喧嘩してたらその都度相手も修正できてたかもしれないのにね。向上心はあったわけだし
察してちゃんムーブが得意な女さんたちは驚くかもしれないが、実は男ってエスパーじゃないんだよね
人間は言わないと気付かないってことを俺は知ってるので今はっきり言っておくけど
横断歩道で車が止まっていて渡ると
余裕で避けられたけど
膝に軽く当たったのを
がんっと派手に受身を取って
前側のガラスにヒビを入れて
動かないでーって盛大に叫んで
警察呼んだ
いやほんとお金は貰えたけども
おそらくだが、増田のこの「詭弁を使ってでも相手が屈服するまで自分の正しさを押し通す」というやり方でママ友や保育周辺の人間関係を制御しているんじゃないかと邪推する。
で、それは増田が他人に負担を強いている結果だということに無自覚、ということも一貫しているが、
ちなみに、不特定多数の相手を殺そうって言っても犯罪にはならない。
だからアフィブログで、「ラブライバーを殺せ!」とか連中は喚けたわけ。
あいつらが腐女子やフェミどもに懐柔策を用いてるのは、実は逆に、暴力と恐怖で簡単に脅して言いなりにできる連中だから。
いつでも下僕にできる都合のいい存在だから、逆に飴をあげて増長させてる。
恐怖で屈服させれば、簡単に言いなりにできる。
あいつらに対して、もう懐柔策で対抗するのは悪手。
フェミや腐女子やホモ豚どもが利己的なのは、もう完全に証明されてる。
もし警戒心があったとしても、という仮定の話で、そうだとしても話すことで和やかに過ごせています、という話です。
そしてコミュニケーションをしてない段階では、タトゥーの有無に関わらず他者を警戒するのは当然であり、観察やコミュニケーションを通じてしか相手を知ることは出来ないと一貫してお話ししています
Q.
世間一般に対して「容姿で人を差別するのを止めよう」と主張しながら、個人がパートナーを選ぶのに「容姿の好みを反映させるのは個人の自由である」と主張するのは矛盾でしょうか?
A.
容姿について、社会的差別の問題と個人の好みの問題を区別して考えることが大切だと思います。
社会的差別の観点からは、容姿を理由に不当な扱いをすることは望ましくありません。就職や昇進、サービス提供などにおいて、容姿で差別することは公平性に反します。容姿は個人の能力とは無関係であり、機会の平等を阻害するからです。このような社会的差別をなくしていくべきでしょう。
一方、恋愛やパートナー選びは個人的な領域に属します。相手への魅力は容姿だけでなく、性格や価値観なども含む主観的・複合的なものです。外見的な好みは個人の自由に属する問題で、他者から干渉されるべきではありません。
従って、容姿による社会的差別に反対しつつ、交際相手の選択では容姿の好みを優先することは、論理的に矛盾しているわけではないと考えます。重要なのは、それぞれの場面で求められる公平性や自由の程度を見極め、バランスを取ることではないでしょうか。
社会全体としての平等の追求と、プライベートな選択の自由は、ときに緊張関係に立ちます。しかし、一方を重視するからといって他方を全面的に否定する必要はないでしょう。状況に応じたバランス感覚を保ちながら、差別のない社会の実現と個人の多様な価値観の尊重の両立を目指すことが肝要だと考えます。
相手のルックスについて不自然なほど言及してないあたり、本当はイケメンが好きそう笑
謙虚ぶって「私なんかが…」みたいなこと言ってるけど、結局は「程よく見下せる相手」としか会ってない
そりゃ誰と会っても好きになれないし、粗ばっかり目立つわな
「俺でもイケそうな女」を探してるチー牛と思考が一緒だよね笑
いやなんというか
例えば石丸氏の場合は金融マンとしてもメガバンのニューヨーク駐在経由で出世コースのど真ん中なわけよ。
んで安芸高田市長は給料ダウンだし都心からクソ田舎に移住でジジババ相手につまらん日常なわけさ。
どういう人かというと、 料理でレシピを守らないでオリジナリティを出そうとするのと同じように 読んでるそばからまだ理解できてないのに都度都度自分流にアレンジしちゃう人。
本を読んでいちどその通りに実践するができない。
本を読んでいるように見えて、本を使って自分語りをしてるだけであり、まったく読んでないのと殆ど変わらない。
まぁ今回のケースでは本を読んですらいないけど(youtubeの解説動画見てるだけ)
本を読んですらいないのに、YouTubeの解説動画だけみてわかったつもりになってドヤ顔で語るということ自体
「本を読むとはどういうことか」がまるでわかってない。
そんな人が「本を読んでまとめました」といっても
実際に垂れ流されるのは本の内容とはずれたただの「本人の自分語り」でしかない。
やたらオリジナルに拘っていたけれど、オリジナルのレベルが低すぎてお話にならない。
四次元殺法コンビのいう<「誰もやらなかった事に挑戦する」とほざくが大抵それは「先人が思いついたけどあえてやらなかった」ことだ>パターンしかできない。
悲しいことに。
https://twitter.com/nanashi61323635/status/1105390967333384193
こういう話って、本を出す前に原稿を読んでくれる友達さえいれば気付ける話だったのだけど
そうはならなかった。
結局本を出すまで気付けず、直前まで「自分の本は素晴らしい」と思い込んでいた。
それどころか「売れっ子になっちゃったらどうしよう」とかばかり気にしてた。
「売れっ子作家になったり、他に色々あってお金がたんまり入ってきたときは、しばらくスマホ触らないリフレッシュ期間とかを設定しよう」みたいなことを言っていた。
ここまで自分を客観視できない者が「病まないメンタルを作り上げるための方法」みたいなのを語っても誰もまともに相手してくれないだろう。
「病まないためのコツは、現実を直視しないことです」ということでしかなく、それは別の病で本来の病を覆い隠してるだけという印象にしかならない。
あまりにも社会人経験が皆無すぎて、いまでも自己評価と他者からの評価の乖離を埋められないままここまできてしまった。
蛸壺屋の「けいおん」の澪が、律という友達がいない状態で一人で引きこもり続けきてしまった。そして、もうポイント・オブ・ノーリターンは過ぎた。
もう今さら謙虚になって一から出直そうといっても無理だろうし、誰も彼を助けることはできないし、彼自身ももうなんとかすることもできないだろう。
人生にゲームオーバーはない。しかしむしろゲームーオーバーがないことがとても残酷に感じる。
誰も自分の人生を強制的に終わらせてくれない。 本人もリセットボタンを自分で壊してしまった。 もう今のままの人生を死ぬまで続けるしかない。