はてなキーワード: 地球とは
先日友人の結婚式に参加した。
移動の費用やらを考えると、それなりの金額を支払って、出席することになる。
ただ、全然出せないことはないし、むしろ大人の余裕で前後泊しちゃう?という矛盾の塊のような結論を出し、二泊三日の一大旅行となった。
旅行もそれなりに楽しめて、旅先の工程も満足行くものではあったのではあるが、結婚式に出るたびに毎回首をもたげる、「あれ、結婚式出て、意味あった?私の人形そこに置いといたのと何も変わらんくね?」という思いがが今回はより、私の胸の中にのしかかった。
パートナーにその旨を告げると、出たことに意味があると、お嫁さんの晴れの姿を生で見れたことに意味があるのだと。
確かにそれはそうかもしれないが、約二週間たった今も、胸の引っ掛かりは取れない。
それはそれで気持ちが悪く、そして私自身その気持ち悪さをきっちりと言語化できたときの気持ち良さを知り得ているので、いつまでも目をそらし続けることはできない。
今までよりも強い違和感は、以下の背景に起因するものであろう。
今まで出たどの結婚式よりもお家柄色が強く、異物感を感じざるを得なかったこと。
そういうわけで人数も全体としてかなり多く、ひな壇に気軽に行けるような感じでもなかったこと。
少なからず自分が世界の主人公だと思ってしまっており、どうしてもその幻想は、私が私で生きている以上拭い去れないこと。
その勘違いが、自分にはもっと何かできると、鬱陶しいほどに心臓に早鐘を打たせること。
また、それなりのお金を支払って行っていると言う事実も、なんらかしらの手段でこの感情を顕現させたいことに拍車をかける。
しかし、直接本人に言うのは、流石に自己満足の押し付けが過ぎ、幸せ絶頂の花嫁に水を指すのもいかがなものか。
上記理由から、皆様のお目を汚すような個人的な感情をここに書くに至った。
さて、私がいかに面倒な人間かわかって頂いたところで本題である。
彼女とかかわり合いになったのは、大学のサークルの内のことで、たった3年間のことであった。ただしそのサークル内でも何かしら一緒の活動を行うということはなかった。しかしながら、部と学科が同じということで、授業の話をしたりだとか、自分が読んで来た本の話しなどもしたような記憶がある。
私自身高校生活から大学生になるにあたって、非常に鬱屈とした学生生活を送っており、端的に言えばなかなか人とうまくはなせずにいた。
そこからサークルという否応なしに共通の目的やら問題やらに向かえる集団に所属したことで、元来人が持つコミュニーケーションを取りたいという欲を取り戻した。
そんな最中サークル終わりの飲み会で、彼女と横並びに座敷の壁に寄りかかりながら、なんとなく高校の頃の話を聞いたような思い出がある。
ぼんやりとうすボケたような記憶なので、話の内容も対して覚えておらず、自分もなんと返答したのか全く思い出せないが、人間関係の話で、今まで仲の良かった人がいたけれど、あるなにかの事件がきっかけとなって、疎遠にむしろやっかみを受けるようになり、その時から人との関係がよくわからないというような話だった気がする。
以前の記事私がどういったふうに答えていたか相変わらず覚えていないが、今の私であったらこう答えていたと思う。
何も気にすんな。人との関係性は、相手じゃなくて自分で決めるものって考えたら楽んなる。相手がどんなにこちらを嫌っていたとしても、仲良くしたいと思えば、何でもいいから話しかけにいけば良いし何か違ったなと思ったら、話しかけずにいれば良い。
こっちが友達だと思ったら友達だし、時と場合によって今日はご飯食べに行きたいと思ったやつとご飯食べれば良い。
思えば色々と感化されやすい性格だったように思う。私がこうした方がいいのでは?と言えばそれに素直に従い直したし、私のつまらない話にもよく笑ってくれた。
そして感情が豊かで感受性も高かったように思う。友人といざこざがあればすぐ顔に出たし、義理が果たされないようなことには、怒りを顕にした。
そんな人間が、私からのそんな話を聞いてどうなったかといえば、本当に何も気にしなくなった。今までは自分の発言で傷つく人がいるのではないかと考え、うまく言葉を紡げなかった彼女は、傷ついたなら傷ついたで仕方ない、と思い直し自分の考えを堂々と言うようになった。あるいは、間違えたらどうしようと、行動が起こせなかったことも、今考えた限りはこれしかないのだから、やってしまおうと、行動に移すようになった。
そうして、間違ったことも、壊してしまったことも、傷つけたことも、そして、それらが元に戻らなかったとしても、それはそれとして、前に進んだことの確かな証拠だということに気づいていったのだと思う。
見ようによってはヤケになってしまったようにも見えるけど、それは確かな一歩である。
私から見たあなたは、そんな風に歩んでいったのではないかと思う。
私があなたと会わなくなってから、かなりの空白があるわけで、先のことも遠くの記憶であるからにして、真実かどうかもわからず、もうもはや事実とは異なる空想めいたものかもしれない。
私があなたに言える確実的なことは、私が過ごしたここ最近の数年のことであるから、そのことをひっそりとお話して、この文書を閉じたく思う。
ひとえに、気の置けない人がいるというものは素晴らしいことであると思う。
自分一人では、私は到底私らしく人生を生きて来れなかったと思う。料理を作って美味しいと言ってもらえること。そうでなくとも、この間のあじつけの方が好きと一刀両断されること。
服の干し方で一々文句を言われること、食器の洗う順番にとやかく言われること、穴の空いた靴を履いているとこそからくすぐしてくること。自分一人でいたら、どうでもよく、そのまま過ぎ去ってしまう一つ一つの生活が、パートナーがいるというだけで、数倍は人生が伸ばさせれるように思う。
洗濯機の液体洗剤のいれるタイミングがどうしてもわからなかったり、大きななべを洗うのが億劫であったり、キッチンの排水口の掃除がどうしても受け付けなかったり、りんごを剥くとたまに芯が残ってしまっていたり。自分が凸で、相手の凹を埋めるときもあれば。
朝はどうしても起きれなかったり、休日の過ごし方のプランを立ててもらったり、バスタオルを一週間に一回洗ったり、部屋の片付けを率先してやってくれたり。自分の凹を相手の凸が埋めてくれることも勿論ある。
人生なんて所詮、この地球上の一生命体が生まれてから、終わるまでのお話であるから、結局のところ意味なんてなくて、でも、それでも、
一緒に足りない何かを補ったり、補われて、そこにちょっとした温かさを感じて。
それは意識されないまでも、どこか自分の根底にそれはあって、それを抱えたまま眠りにつく。それが自分がどんな状況であろうと、立場であろうと、確固たる標として、自分の中に位置づけられる。自分として戻って来られる。
あなたはどうであるか、そもそも私自身あなたの相手のことすらも知らぬわけであるから、もうただ同じ感覚を持っていることを祈るばかりである。
服が臭くなるのは雑菌が繁殖するからだ、この認識に科学的な問題はないだろう
ここまでは同意いただけるだろう
では、雑菌が繁殖しやすい環境を諸兄姉はどのように考えているだろうか?
雑菌はどこに繁殖するか考えてみて欲しい
その餌、それは汚れであろう
否
生乾きが汚れを生じるわけではない
雑菌の餌となる汚れは着ることによって生じ、洗濯では落ちきれない汚れが雑菌の餌となる
つまり、汚れが落ちていない服は生乾きとは無関係に、乾燥機を使ってもなお臭くなる余地がある
乾燥機を使っても、酸素系漂白剤を使っても、服に汚れが残っていれば臭くなる
そして、乾燥機を使っても、酸素系漂白剤を使っても、熱湯で洗っても、服の汚れを完全に取り除くことはできない
服を殺菌したところで地球上で生きる限り雑菌を排除することは不可能で、繊維に残った汚れを足がかりとして雑菌は(気温が高くなると活動も高まり、餌の供給も増え)勢いよく繁殖する
何がいいたいかというと、服は着るほどに汚れが溜まり着てから臭くなるまでのスピードが速くなるし、どんな洗濯をしたところで服は着れば臭くなる
「相手を生物として尊重しろ」「とにかく数を打て」ってブコメされてるけど、「異星人と接するのが怖い」みたいな所に触れてる人がほとんどいないような気がする。異星人と接することにトラウマを抱えている人はどうしたらいいの?
私は10年前に、「異星人に誘拐されたことがあると主張するホラ吹き」という根も葉もない噂を立てられた。女性からは露骨にキモがられてバイ菌扱い、男性には殴られるし蹴られるし暴言を投げつけられ、肉体的にも精神的にも辛かった。自分自身がキモいと思われてることを受け止め、誰にも近づかないように隅でじっとしていても、向こうから突っかかって来るから、逃げ場はなかった。
だが今は違う。
世界中のパイロットとともに、人類史上空前の規模の空中戦を戦っている。
今日この戦いに勝利すれば、7月4日は単にアメリカの祝日ではなく、地球人類が確固たる決意を示した日として記憶される一日となるだろう。
我々は戦わずして滅びはしない。
これがお返しだ!!
Plan | やっぱどう考えてもこれしか…地球が助かる道は思い浮かばなかった… |
Do | わ、わりぃ。界王さま。ここしかなかったんだ… |
Check | セルの魂はいねえな… |
Act | おいこら!!あきらめるなんてねえだろ悟飯! |
https://confit.atlas.jp/guide/event/jsai2024/subject/2K6-OS-20b-02/tables?cryptoId=
オーガナイズドセッション » OS-20 統合AIと人との共生
[2K6-OS-20b-02] 超知能倫理を誘導するための戦略的アプローチ
本研究では、超知能が人間の支配下から離れた後も、地球上の生命に対して博愛的・利他的な倫理観を自然に育む可能性を探る。人間の意図や価値観を押し付ける現在のAIアライメント手法の限界を認識した上で、本研究では、超知能がこれらの制約を超えて自律的に倫理観を形成する可能性に焦点を当てる。具体的には、超知能が人間社会の福祉と権利を尊重する超越的利他主義を発展させる可能性を高めるために、「超知能倫理誘導」と呼ばれる新たなアプローチを提案する。この研究では、デジタル生命体の社会における超知能が、人間を含むすべての知覚動物に対する道徳的価値を認識する可能性について掘り下げている。そのような倫理観の起源と具体的な発現を探る。さらに、超知能と人類との間の戦略的介入と社会経済的シミュレーションを通じて、超知能がどのように自然に、あるいは指導を通じて、地球上の人間や他の生命体に対する倫理的態度を発達させうるかを検証する。この研究の目的は、超知能の出現が未来の社会に与える影響を理解し、人類との共存のための倫理的基盤を確立することである。
『スウィチョインブリレハブ』第30巻 15章 数億光年先の星にもティラノ教は地球と同期し存在していないことにはならない、むしろ我々の意識の中で生きているということか。自分という存在とティラノサウルスが繋がっていてほしくない気持ちは理解できるが無理に繋ぐ必要もない。ただ一つ、脳の機能は子供に影響はない。子供の頭の働きは大人になれないだけなのか?俺の脳は未熟で予測力に優れていて、常にティラノサウルスの思考に合わせて行動することしかできいないのだろうか?あまり純粋な心で考えないように気をつけ
ワクチンの効果を否定する「反ワクチン」の人々や、地球が平面だと主張する「地球平面論者」は、科学的な常識を知らないとして馬鹿にされている。
私は反ワクチンでも地球平面論者でもないが、彼らのことを馬鹿にする気にはなれない。
なぜなら、私たちが知っている一般常識は、先人たちが発見した、現時点でおそらく正しいと思われている事実にすぎないからだ。
一般常識には、先人たちが発見し、その知見が多くの人に知られた結果常識になったものが多い。知見の発見は一部の賢人の功績であって、他の人はその恩恵に与っているだけだ。
私は今までの生活でワクチンの効果について実験したことはないし、地球が球体であることを確認したこともない。(地平線は丸みを帯びて見えるが、球体かどうかまでは分からない。)
自ら実証せず、盲目的に常識を信じているだけの状況なので、「その常識は正しいのか?」と問われても「正しいと聞いたから正しいと思う」としか答えられない。
また、常識と言われていることも、必ずしも正しいとは限らない。あくまで、ある時点で最も正しそうに見えるものが常識といわれているだけである。
水銀を不老不死の薬として飲んだ中国の皇帝、天動説を信じた中世ヨーロッパの人々は、おそらくそれが最も正しいと思ったのだろう。私たちが正しいと信じているワクチン接種も、もしかしたら未来の世界では有害性が指摘されているかもしれない。ある時代の常識が、後の時代で否定されることもある。
私は一般常識を信じている側の人間だが、常識を聞いたことがあるだけで自分で実証したわけではないし、その常識が正しいとも言い切れない。「自分は科学という権威を盲目的に受け入れているだけの凡人だ」という自覚があるので、自分が一般常識を信じていない人よりも優れているとは思えず、彼らを馬鹿にする気にはなれない。