はてなキーワード: マル暴とは
「みんなの力で暴力」の立て看板の全文は「「みんなの力で暴力追放」で、実は暴力事件が沢山あった地域だったっていう棘がバズってるけど、
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2306458
「暴力はいいぞ、ケンシロウ」のアミバとか「暴力は全てを解決する」のコマとか入れられているが、こういう看板のいう暴力って一般的な暴力じゃないのよ。民暴なのよ。
こういう看板は昔は沢山あったけど今は限られている。今は駅前、寂れた商店街、警察署が多い。
その看板の名義見た事あるだろうか?警察、ライオンズクラブ、ロータリークラブ、商工会、JC(青年会議所)が多いのだ。
ライオンズクラブ、ロータリークラブは共にフリーメイソンのスピンオフみたいな組織で経営者が多い。地域の実力者や法人が加入しているのでコネが欲しい経営者も加入する。
で、一番多く建てられた時期は平成の初期だ。
この当時、ヤクザ問題が深刻化していて、ハリウッド映画にも凶悪なYakuzaとしてよく登場している。
ヤクザは様々な犯罪を起こすが、国家権力、特に警察が重要視していたのが経済がらみの犯罪や犯罪紛い行為だ。
今では考えられないが、当時は会社の経済活動にヤクザが絡んで来るというのは当たり前の風景だった。総会屋などは商法改正でパージできたが、民事紛争でヤクザが出張ってくる事件屋とか、不動産物件を購入や落札したのにヤクザが居座っている占拠屋とか、会社間の債権がヤクザに売られて取り立てに来るとか、色々とキリがない。他社と揉めたら会社の前に右翼の街宣車が来て「糾弾」が始まったりする。
必ずしも金を要求されるわけじゃないが、どこかに対して経済的な見返りをしないと収まらない。その相手はヤクザの企業舎弟やヤクザに金払った会社だったりする。
一度関係が出来ると延々としゃぶられる。
こういう状態に関して警察が働きかけて「紛争でヤクザを使うな」と呼びかける為にそういう看板を設置させたのよ。「暴力団を使うな」じゃないのは、企業舎弟とか経由するからヤクザと直接の関りとならないから。
今はこの「暴力」追放が使われなくなったのは反社という概念が出来て浸透したから。
平成初期はその概念も無く、ヤクザがあちこちで経済活動に関与しているのは当たり前の状態だった。そこからヤクザを取引や紛争解決の場から排除しようという流れに持って行くための警察の活動が「暴力追放」という看板の設置だったわけ。
新暴対法は1991年に施行されたが、最初はあまり効力を産まなかった。
ところがそこから警察があらゆる手段を取るようになってかなり物騒な事件が続出した。例えばパチンコの三店方式は警察がパチンコ店主を説得して導入させたものだが、この導入初期には営業中の店への銃撃事件やダンプ突っ込み、バキュームカー逆噴射、店主の傷害事件などが起きている。
それらに対して警察は身を守るという約束をして用心棒を兼ねて警察OBの天下りをさせるようになった。パチンコもうけ過ぎの構造はこういう経緯があって出来たもんだ。
当然今までトラブル解決をヤクザに依頼していた会社はマル暴デカに脅されるし、企業舎弟との取引がある会社も切れと警告される。ヤクザは「警察と俺等とどっち取った方が安全か判るよな」と脅す。
そういう中で民暴という概念を啓蒙して流れ作るために警察が経済人の組合抱き込んで設置させてたのがああいう「暴力追放」看板なのよ。だから設置者がPTAとかじゃなくて経済団体ばかりなのだ。
ってー事で「暴力追放」看板は古い(平成初期)のばかりなのだ。21世紀に入ると反社概念が周りはじめて対反社条例などがどこにでも出来、「暴力追放」概念は過去のものになったから。
あと、ヤクザが地場産業企業とくっついていたので、市長がヤクザ関係者とかそういうのも普通にあった。
何しろ高度成長期まで遡れば、労働争議に会社にやとわれたヤクザが突入してストライキしてる側を殺したりとかもあったわけで。
地上げで、ヤクザ金融から金借りた債務者のどっかの経営者が普免しかないのに大型ダンプ運転してハンドル操作ミスって「偶然」地上げ受けてる家に突っ込んだり、放火されて死んじゃったりとか。
そういうの根絶するにはその犯罪取り締まるだけじゃなくて、面制圧して干す必要があり、それには経済活動から排除するっていう機運が必要だったのだ。
1978年日大文理学部入学。日大闘争終結から9年たった当時でも、学生運動の名残りが色濃く残っていた。成田空港どうのこうの、日米安保どうのこうのといった立て看がキャンパスのあちこちに乱立し、学生の不穏な動きを警戒してか入構の際には学生証の提示を求められた。登校して学生証を見せなきゃならないのは、日大と防大だけだというようなことが、学生の間で自虐的にかたられていた。その年の冬休みの前だったのか後だったのか記憶がはっきりしないが、ヘルメットをかぶり、ゲバ棒の代わりに竹竿を持った一団が何か叫びながらキャンパスを駆け抜けた。学内はあっという間にお祭り状態。数百人の学生が集まり、あちこちでアジ演説が始まった。その後大学はロックアウト。漸く学内に入れるようになると、見るからにマル暴風の男たちが歩き回っている。大学が雇ったスト潰しか?そればかりか、袖に国s館大学の刺繍が入った特攻服を着た若者が彼らに付き従っている。何故本校の在学生でさえ学生証が必要なのに他大学の学生が我が物顔でキャンパス内を跋扈しているのか。流石にノンポリの僕もこれには怒りを覚えた。
その年の後期試験は中止になりレポート提出だけになった。十数年後懐かしさで母校を訪ねると、なんら身分証などの提示を求められることもなく自由にキャンパスに入ることができた。少しは日大も変わったのかと思いきや、今回の一連の流れを見ると相変わらずのヤクザ体質。これでは在校生は勿論の事OBも日大出身と胸を張ることはできない。
メディアを賑わせている指定暴力団山口組の分裂騒動。分裂の理由としてはカネをめぐる不満や、勢力を強める弘道会に対する古参組員の反発などが取りざたされているが、「そもそもの発端には、警察のいきすぎた徹底摘発の姿勢がある」と語るのは、元捜査4課(マル暴)の刑事として辣腕を振るい、現在は組織犯罪に対する企業コンサルティングを行う有村仁司氏(仮名・68歳)。
「暴力団対策法に始まり暴力団新法、組織犯罪処罰法、暴力団排除条例。法律による取締り強化が、ある程度の犯罪の抑止力に繋がっているのは事実だけど、現場で捜査をする刑事からすれば『しょせんは頭でっかちのキャリアが考えた机上の空論』に過ぎないと思えることも多々ある。現場の刑事にすれば、必死で集めた情報も、法律が施行される度に白紙に戻ってしまう。反社会勢力と対峙してきた俺の実感からすれば、暴力団による犯罪が多様化し、見えづらくなっていくのは、俺がマル暴の新米刑事だった第1次頂上作戦からすでに始まっていたんだよ」
有村仁司氏
「もし抗争が始まれば、これまでの規模とは比べ物にならない。まさに最終戦争になるよ」(有村氏)
第1次頂上作戦とは、昭和39年から44年まで行われた、映画『仁義なき戦い』でもおなじみの警察による暴力団壊滅作戦。高度経済成長のまっただなか、西日本を中心にした全国各地で抗争を繰り返す“秩序の破壊者”たる暴力団に対して、徹底した実力行使に出ていた時代だ。
「頂上作戦の結果、暴力団の地下組織化は進んでいった。確かに、東日本に比べて、西日本の暴力団は縄張り意識が薄く、暴力と頭脳さえ秀でていれば、よその組の縄張りを土足で犯してもいいという考え方なので、この対策は当たり前の措置。が、この事件以降、人間同士の対話が成り立っていた侠客が、だんだん会話のできない相手に変貌していったというのも事実なんだよね。ヤクザ並みに強面で、チンピラに対しては罵詈雑言でねじ伏せるといったマル暴が多くなり始めたのもこの頃だったかな。『俺たちヤクザは名前のとおり“ブタ”(オイチョカブで893はブタの目)なんだから、警察はもちろん堅気には礼を尽くせ』なんて話していた親分が、“警察は敵”と、途端に態度を変えたこともあった」
その後も相次ぐ警察によると取締り強化によって、武力行使による勢力拡大が封じられ、極道の金看板を掲げることもためらわれるとなれば、「カネを稼ぐために地下に潜るのは当たり前」と有村氏は続ける。
「そうして企業舎弟といわれるフロント企業が増殖するわけだけど、警察側にしてみれば、暴力団の組長や幹部が作って直接関与しているタイプのフロント企業には目を光らせることができる。けど、表面上は無関係を装って、暴力団の資金提供に寄与しているタイプのフロント企業の捜査は、資金の流れは功名に覆い隠されているし、難航を極めたね。山口組でいえば、そういったシノギ上手のヤクザが今の弘道会系で、山健組のように昔ながらのヤクザは、暴力団排除条例で弱体化した。銀行口座も作れなければ、生命保険契約も認められないんだから、資金力に差が出るのは自明だよ。第一勧業銀行ほか、大企業の幹部数十名が、総会屋への利益供与で続々と逮捕された事件があったけど、あんな大事件が長い間明るみに出なかったのも、“フロント企業の共生者”に対する捜査の難しさを物語っている」
武力闘争から頭脳戦へ。非合法の経済活動で裏マネーを増幅させる――そんな暴力団のシノギが膨張していく背景にあるのは、「大組織による全国制覇の副産物」と有村氏は推測している。
「郊外に大資本のスーパーチェーンが参入すると、地場の産業が衰退して多くのシャッター商店街が生まれるけど、あれと構図は一緒。小さな組がそれぞれの小さい縄張りを守って小競り合いを繰り返すだけなら、山口組がここまで肥大化することもなかった。肥大化を防ぐために、警察トップは暴力団壊滅を目指して暴対法、暴力団新法と取締りを強化していくわけだけど、大組織こそ表のビジネス活動をうまく利用しているからね。捜査4課の目に止まるのは、枝の枝の枝にある組や、一本どっこの小さな組が犯す、小さなシノギばかり。結果、小さな組織はどんどん潰れて、大組織はどんどん肥え太るっていう構図が生まれたわけだ」
暴対法によって、みかじめ料や恐喝など“暴力団的なシノギ”こそ減ったが、上部組織の摘発なしに弱体化は図れない。そこで、下部組織の犯した罪でも暴力団のトップをあげられる「使用者責任の追及」を可能にした暴力団新法が04年に施行され、08年にはさらにその使用者責任を拡大させる改正暴力団対策法が生まれる。
「裏社会に与えるインパクトは大きかったし、組織全体の萎縮化を図ることには大きく貢献した。ただ、取締りが強化されるほどに、暴力団は新しいビジネスモデルを確立して、それに対応できない組との間の格差は開くばかり。今回の分裂騒動の根っこにあるのもそういうことだろ。ただ、分裂したところで、根本的なシノギ自体は変わらない。現行の暴対法を元に警察が“与し易い”と判断した側――つまり神戸の側ばかりを狙うようになれば……」
完全に逃げ場を失うような締め付けは、また新たな火種を生み出す爆弾となることは過去の歴史が証明している。今後の成り行きを注視していきたい。 〈取材・文/日刊SPA!取材班〉
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神戸山口組の本部脇に設置された特別警戒所前で暴力団追放を訴える警察官ら=3日、兵庫県淡路市
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国内最大の指定暴力団山口組(本部・神戸市灘区)が分裂し、離脱派が結成した神戸山口組(本部・兵庫県淡路市)が指定暴力団に指定されて今月で1年がたった。その後も抗争とみられる事件が全国で20件(13日現在)発生した。住民らは不安を募らせ、警察は警戒を強めている。
10日、淡路市。神戸山口組本部を兼ねる俠友会(きょうゆうかい)事務所で、神戸側の直系組長が集まる月1回の定例会があった。本部脇に掲げられた看板には赤い太字で「暴力団追放」。1週間前に開設されたばかりの兵庫県警の特別警戒所だ。捜査員が、出入りする組長の監視を続けていた。周辺に住む男性は「本部の存在は淡路島にとって大変な脅威。住民が一丸になって排除の活動を続けたい」と話す。
神戸山口組は5日、神戸市中心部にも新拠点を設けた。中央区二宮町3丁目の延べ170平方メートルの4階建てビル。登記簿によると、もともとは政治団体代表が所有していたが、3月下旬に所有者が変更。神戸側ナンバー2の若頭(わかがしら)の寺岡修・俠友会会長(68)に代わった。組関係者によると、「連絡所」として使用し、系列の組員が日替わりで当番をしている。
県警幹部は「淡路島は遠いので、少人数の幹部が集まりやすい拠点を作ったのだろう。組事務所とみなすべきか見極める」と警戒する。ただ、半径200メートル以内に小中学校などはなく、県暴力団排除条例で定めた組施設の設置禁止地域には当たらないという。
ここから西へ約300メートル先には、神戸市内で唯一の山口組直系団体の事務所がある。別の県警幹部は「新拠点は山口組ににらみを利かせる狙いがある。抗争の火種にならないよう監視を続ける」と話す。
退職したので打線組んでみた。お客さんの職種としては建設土木が多かった。
自分としてはそこそこ経験しがたいエピソードだと思うんだけど、みんなもっと色々経験してるものなんでしょうか?
教えて下さーい!
1(ニ)新入社員として初めてお客さんの会社で行った業務?は◯◯円以内の範囲で金額の異なる10通見積書の作成
3(中)事務所に国税局が令状を持って来所。サボってたのでサイトを閉じようとこっそりパソコン触ろうとして厳しく追及される。
4(一)3の査察の原因はお客さんが脱税した金を暴力団に流していたこと。(所内では暗黙の了解だった。)
5(補)お客さんが夜逃げ。知らずに会社を訪ねて出くわした闇金業者に関係者と思われ車に詰め込まれる。
6(右)お客さんがある所に日本刀を送りつけて逮捕。ちな殺人の前科あり。
7(左)そのお客さんが何を思ったか同業者の実名を出した暴露本を出版。その地域の書店では店頭に平積みされるベストセラーに。
8(三)夏にお客さんを訪ねると社長と強面の4人が熱心に高校野球に見入っており、好きなのか尋ねると野球賭博と返答。
9(投)お客さんに飲みに誘われてフルスモークのベンツで迎えに来られ、その日以降アパートの住民に一目置かれる。
まだ起訴前なんで、特定される情報はぼかすけど、気の毒に同じ車両に乗ってた人なら判る程度にちゃんと書く。
ちょっと前の金曜日、会社帰りに帰宅の為に会社最寄駅から電車乗った。
会社最寄駅は始発の駅で、タイミングが良いと並んでても座れる時がある。
混みそうな時間帯にも関わらず、幸いにも端っこの隣の席に座ることが出来た。
出発まで5分ほど、背負っていたリュックを膝上に置き、スマホで技術系ブログなどを漁る。
インターネット中毒なのか、外界の景色が見えなくなる程に熱中して読んでしまう時がある。その時もそうだった。
電車が動き出したのは覚えてる。後、隣の人が若干臭かったことも。
始発駅から1つ目の駅を出た頃、隣に座っていたおっさんが動いた。
一瞬そっちを見るが、立つのか伸びをしているのかと判断して、視線をスマホに戻そうとするその横で、振りかぶって返ってくる肘。
まさか、電車で全く知らん人、ましてや無害だろうと判断した人からの突然の攻撃に備えられるはずもなく、目で追えていたものの、顔面にクリーンヒット。
考えさせてくれる暇も与えられず2発目。
突然脳天を揺さぶれ、顔面にモロにくらい、茫然自失、戦意喪失。
おっさんは更に立ち上がり、殴り始める。
引く周りの乗客。
一通り殴って気がすんだのか、平然と座る男。
俄然高まる緊張感。
その後は、おっさんから引き離す様に立たせて、間に入ってくれた果敢な男の人に全てを任せ、立ち上がり再び威嚇するおっさんが取り囲まれ、駅のホームに取り押さえられる様を他人事の様に見てた。
犯人が暴れてるので、取り押さえ男衆に混じり4人掛かりで抑え、警察に引き渡す。
殴られて顔腫れてるわ、もみくちゃにされて片目のコンタクト失くされてるわ、後頭部の鈍痛がある中、警察官の尋問で、待たされ続ける。
取り敢えず早く病院行きたかったのに、やっと出てきた警察官渋る渋る。
自分で呼んだ方が良いよとか言われたが、上司が応援にきてあっさり承諾。なんじゃそりゃー。
取り敢えず、CT異常なし。
この時点で、23時過ぎ。
一昔の前のアイドル風な風貌に、マル暴で鍛えられた静かな迫力。
不器用にノートパソコンに調書を書いてくれ、2時過ぎまで対応してくれた。
途中、長過ぎてもう適当で良いよーと思ったり、感謝はしつつも調書もAmazonレビューポエム的な、拘りがあるのかなーとか思ったりしてた。
2時半頃、調書も被害届けも書き終わり、送ってくれることに。
本部長さん、今朝5時から働いてるのに、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。本当にありがとうございました。
警察官や刑事さんも、みんな言ってたが、本当に死んでしまえと思った。
あと、何にも出来なかった、やられた後に反撃さえ出来なかった自分が情けなくて、何か本当に悔しい。