はてなキーワード: 用心棒とは
新宿で殺人事件 もはやなれてしまった速報を ただ見て流して数日経った後Twitterを見たら
続報で金銭トラブル スーパーカーを売却して何千万 と言うタブロイド系のアカウントやネットニュースの記事が出てきた
更に加害者の車好きの人はの
"ストーカー行為があったとして、警視庁から2度ほど注意を受けていた"
"神奈川県警"に「被害にあっている私が、なぜストーカーの犯人と言われなくてはならないのか」
"その5日後、再びつきまとったとして、ストーカー規制法違反の疑いで逮捕された"と言う
警視庁はストーカー行為の背景に金銭詐欺を理解してたのか 被害者の女性の発言を全て信用したのか知りたい所だが
ストーカーされている理由も調査せずにとりあえずうざい人を警察に訴えれば警察が追い払ってくれるこれが通用するなら
ねずみ講の犯罪者が金を返してくれと迫ってくる被害者にストーカー規制法を盾に警察を用心棒にできてしまうと思う
更に登記簿の代表取締役等住所非表示措置が令和6年10月1日から施工されるとニュースでみた
新宿の加害者が被害者の自宅を当時経営してたガールズバーの登記簿経由で知り得たのかもしれない
世の中には悪徳企業が沢山ある それらを追求するのに登記簿はかなり重要な鍵となる プライバシーだとか言われているけどやましい事がない限る隠す理由はないと思う
「みんなの力で暴力」の立て看板の全文は「「みんなの力で暴力追放」で、実は暴力事件が沢山あった地域だったっていう棘がバズってるけど、
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2306458
「暴力はいいぞ、ケンシロウ」のアミバとか「暴力は全てを解決する」のコマとか入れられているが、こういう看板のいう暴力って一般的な暴力じゃないのよ。民暴なのよ。
こういう看板は昔は沢山あったけど今は限られている。今は駅前、寂れた商店街、警察署が多い。
その看板の名義見た事あるだろうか?警察、ライオンズクラブ、ロータリークラブ、商工会、JC(青年会議所)が多いのだ。
ライオンズクラブ、ロータリークラブは共にフリーメイソンのスピンオフみたいな組織で経営者が多い。地域の実力者や法人が加入しているのでコネが欲しい経営者も加入する。
で、一番多く建てられた時期は平成の初期だ。
この当時、ヤクザ問題が深刻化していて、ハリウッド映画にも凶悪なYakuzaとしてよく登場している。
ヤクザは様々な犯罪を起こすが、国家権力、特に警察が重要視していたのが経済がらみの犯罪や犯罪紛い行為だ。
今では考えられないが、当時は会社の経済活動にヤクザが絡んで来るというのは当たり前の風景だった。総会屋などは商法改正でパージできたが、民事紛争でヤクザが出張ってくる事件屋とか、不動産物件を購入や落札したのにヤクザが居座っている占拠屋とか、会社間の債権がヤクザに売られて取り立てに来るとか、色々とキリがない。他社と揉めたら会社の前に右翼の街宣車が来て「糾弾」が始まったりする。
必ずしも金を要求されるわけじゃないが、どこかに対して経済的な見返りをしないと収まらない。その相手はヤクザの企業舎弟やヤクザに金払った会社だったりする。
一度関係が出来ると延々としゃぶられる。
こういう状態に関して警察が働きかけて「紛争でヤクザを使うな」と呼びかける為にそういう看板を設置させたのよ。「暴力団を使うな」じゃないのは、企業舎弟とか経由するからヤクザと直接の関りとならないから。
今はこの「暴力」追放が使われなくなったのは反社という概念が出来て浸透したから。
平成初期はその概念も無く、ヤクザがあちこちで経済活動に関与しているのは当たり前の状態だった。そこからヤクザを取引や紛争解決の場から排除しようという流れに持って行くための警察の活動が「暴力追放」という看板の設置だったわけ。
新暴対法は1991年に施行されたが、最初はあまり効力を産まなかった。
ところがそこから警察があらゆる手段を取るようになってかなり物騒な事件が続出した。例えばパチンコの三店方式は警察がパチンコ店主を説得して導入させたものだが、この導入初期には営業中の店への銃撃事件やダンプ突っ込み、バキュームカー逆噴射、店主の傷害事件などが起きている。
それらに対して警察は身を守るという約束をして用心棒を兼ねて警察OBの天下りをさせるようになった。パチンコもうけ過ぎの構造はこういう経緯があって出来たもんだ。
当然今までトラブル解決をヤクザに依頼していた会社はマル暴デカに脅されるし、企業舎弟との取引がある会社も切れと警告される。ヤクザは「警察と俺等とどっち取った方が安全か判るよな」と脅す。
そういう中で民暴という概念を啓蒙して流れ作るために警察が経済人の組合抱き込んで設置させてたのがああいう「暴力追放」看板なのよ。だから設置者がPTAとかじゃなくて経済団体ばかりなのだ。
ってー事で「暴力追放」看板は古い(平成初期)のばかりなのだ。21世紀に入ると反社概念が周りはじめて対反社条例などがどこにでも出来、「暴力追放」概念は過去のものになったから。
あと、ヤクザが地場産業企業とくっついていたので、市長がヤクザ関係者とかそういうのも普通にあった。
何しろ高度成長期まで遡れば、労働争議に会社にやとわれたヤクザが突入してストライキしてる側を殺したりとかもあったわけで。
地上げで、ヤクザ金融から金借りた債務者のどっかの経営者が普免しかないのに大型ダンプ運転してハンドル操作ミスって「偶然」地上げ受けてる家に突っ込んだり、放火されて死んじゃったりとか。
そういうの根絶するにはその犯罪取り締まるだけじゃなくて、面制圧して干す必要があり、それには経済活動から排除するっていう機運が必要だったのだ。
平均寿命を持ち出して上か下かを口にするならまだいい。
でも大抵の人間は自分の今の年齢を基準に他人の享年について、人生の残り時間がどうだったのかを概算して論じたがる。
不愉快だ。
自分が10代の頃は60の人間が死んだ時に「まあもうジジイだしなあ」と言っていた癖に、自分がいざ60代になったら「60なんてまだ全然若いのにねえ」と口にする。
んだそりゃオィ?
小学生の読書感想文じゃねーんだから何でもかんでも「もしも僕が桃太郎だったら、怖くて鬼退治なんて行きません。行く行く詐欺をしてテキトーに村人からチヤホヤされて、ある日鬼ヶ島に行くふりをして夜逃げしてからどこにも帰れないまま1人と3匹で野党か用心棒かをして余生を過ごすと思います」みてーな話に持っていくなっての。
「俺には分からねえ幸せと苦しみがあって、俺には分からねえ勝利と敗北があったらしいな。でも何も分からねえから何も言えねえな」で終わらせろって。
それ以上あーだこーだ言いたがるのは結局、「僕このニュースの感想にこんなこと思っちゃった!それは僕の感性がこうで僕がこういう人間だから!皆どう思う?僕の感覚っておかしい?」っていうテメーの自分語りの承認欲求稼ぎでしかねーんだよ。
柔術始めたての頃はブラジルでバーの用心棒の仕事をしながら夜な夜なストリートファイトに精を出していた。
その時期には一度現在も所属しているボンサイからは破門を言い渡されてるが
先輩で兄のように慕う現RIZINファイターのホベルト・サトシ・ソウザが頼み込みなんとか免れている。
朝倉未来が路上の伝説(笑)と呼ばれていたのかいなかったのか知らんけど
クレベルはそれをブラジルでやっていた筋金入りのヤバいヤツだ。
今回、鈴木千裕VSパトリシオ戦で鈴木が勝ったことにクレベルがリングサイドで大喜びしていたら
パトリシオの兄でファイターのパトリッキーに突き飛ばされたのに腹を立て
控室まで追いかけて行って背中に飛び蹴りをしたというクソヤンチャエピソードが盛り上がったが
普通にそういうことをする奴ではあるんだよな。
その瞬間、自分がこれに片足突っ込んでる気がし始めた。
女と2人きりで旅行した。その人とは共通の趣味から仲良くなって、これまでも2人で遊びにいくこともあったり、SNSのDMなんかで他愛もない話をすることもあった。その中で、行きたいところとかやりたいことがお互い重なって一緒に旅行するに至った。元カレや恋愛の諸事情(世間一般では彼氏がいるのに私は〜とか最近マチアプで〜的な内容)の愚痴を吐かれることもしばしばあったけど、正直この時点で都合の良い友達ムーブされているってことに気付けば良かったのかもしれない。
で、その旅行はというと楽しかったし、同じ部屋で隣同士のベッドに寝たけど何も起こらなかった(起こさなかったとも言える)。ただそうは言っても、単に遊びに行くとかじゃなくて異性と2人きりで旅行に行くってことは流石に好意があったりしないとやらないことだよねと思ってた。少なくとも普通の男性はそうじゃないかなぁと思うし、自分自身は恋愛経験がなかったのでこの段階まで来たら少しばかりそう思ってしまっていた。でも、このぬいペニショックという言葉を知って色々と調べていくうちに、自分が女に「ぬいぐるみ」として扱われているのだとしたら、愚痴を吐かれてたこと、そして隣のベッドで寝ていても心配にならないオスとして受け入れられていたことへの合点がいってしまい、現状その方が納得できるような気がしてしまった。
他人に嫌われておらず、無害な人間だと思われること自体には安心感を覚える。しかし、自らの無害であるというその一面を利用されていると思うと、誰であれそれ以外にどう思われていようと大体の人はなんとも言えない気持ちになるはずだ。
今回に関しては、"横で寝ていても襲われる心配をすることのないぬいぐるみ"という真正のぬいぐるみと同じ働きをしてたかもしれない。それに側から見れば一緒に行動していればカップル以外の何者でもないので、外では用心棒的な役割もはたしてしまっていたかもしれないし、ホテルとか移動手段についても、思えばほとんど自分が手配してた。ぬいぐるみが旅行の手はずも整えて、用心棒の働きもしてくれたら最強だと思う。この旅行で、都合の良い存在として愚痴を吐かれていたことよりもさらに自分が「ぬいぐるみ」であることを認識できてしまい、これまで抱いていたぼやけた複雑な気持ちが、明らかなはっきりとしたものになっていた。
多分こっちがその先のことを持ち掛けるなり手を出そうとしたら、破綻するのだろう。一応自分がこうやって冷静に?奥手になって?勘違いしてないがために、ぬいペニの手前で立ち止まっているというのが今の関係か。
一応その人とはまだ旅行して遊ぶ予定もあるけれども、よく言えば男友達、ストレートに言えば都合の良い「ぬいぐるみ」扱いをされていて、そう思われたが最後、もうずっと変わらないのかと思うと、恋愛関係にないので割り切りやすい反面、これがずっと続くとも思えず終わりも見えているので、何をしても憂鬱にもなる。ただ、だからといって、ここからどうすればいいか分からないし、向こうにそう思われてしまっている以上何もできないけどね。
男女の友情というものも成立こそするとは思っているけど、結局若いうちだけな気がするし、成立してもこんな感じでものすごく脆い気がする(要はお互いの状況次第)。ああ、人との関係構築とはなんて難しいことなんだろうと思う非モテ童貞の嘆きでした。
そのうちそういう経歴の人は用心棒として重宝されるようになるかもしれない。