はてなキーワード: 突っ込みとは
世の中には美容を頑張ってる、筋トレがんばってる、子育てがんばってる、仕事頑張ってるみたいな気合いいれてる女子の動画もたくさんあるけれども
ずっとがんばってる、努力している人ばかり見ていると私のメンタルが疲れちゃうので
エミリンのダイエット本を出した後にリバウンドしているゆるい感じはなんとも心地いいのである
岡田斗司夫だってダイエット本出した後リバウンドしてるけど楽しそうに笑って生きている
みんなYouTuberに厳しいなと思う
エミリンを叩いている人は体型が細くて化粧がうまくて、自炊をがんばって、仕事もこなしているのか??
お前たちは完璧なのか??そんなに完璧な人間が見たいなら違う女YouTuberの動画を見ればいいのになんでアンチするためにわざわざ嫌いなYouTuberの動画を見てるんだと突っ込みたい
元々GW明けに、セクシー田中さん問題の調査結果を公表する予定が延期になって、現状お預けをくらってる段階。
日テレ、「セクシー田中さん」調査の公表「GW明け早々より遅れる」
https://www.asahi.com/sp/articles/ASS4Q2JTFS4QUCVL04ZM.html
現状の報道では、一体何が問題だったのか、あまりにも説明が足りていない。調査が第三者委員会主導ではないだとか、突っ込みたい部分も多いが、とにかく問題が一刻も早く明らかになることを望んでいる。
それはそれとして、最近の日テレやばいよね。24時間テレビでの着服とか。最近だと土曜改革の失敗なんてあるし。昔から鼻につく感じがして嫌だったけど、ついに断罪される時が来るのか。
見かけは美少女なOL(21)が1日に5000キロ近いカロリーを接取する漫画。
食べるという最も原始的な本能を極限まで刺激することで脳を壊して快楽を得るという最も原始的なドラッグ漫画とも言える。
夜24時にコロッケを買い食いする異常生活圏OLが結婚式のビンゴで当てたいい炊飯器を使いこなすために飯もオカズもパスタも全部炊飯器で作ろうとする漫画。
飯を食えば当然のようにトリップし、更には扉絵からラストページに至るまで作中至る所に突っ込みどころと狂気が染み付いたLSD的なドラッグ漫画とも言える。
売れっ子ミステリー作家のお爺ちゃんが生まれついての不器用により諦めた料理人人生を実力はあるのに経営戦略に失敗した店に通うことで昇華する漫画。
主人公はただの人格破綻者だが、ヒロインたちはそんな主人公の作品に出てくるキャラへの推し活として犯罪を繰り返すという愛という麻薬に染まったドラッグ漫画とも言える。
自分を野原ひろしだと思い込む異常者とも言われるほどに野原ひろし感のない野原ひろしが主人公の料理漫画。
作中の会話に意味不明なクイズが仕込まれたり、時間の流れが完全にバグっていたり、ストーキングされていると思い込んでいるキャラが出てきたり、多様な狂気が癖になるカクテルパーティー系ドラッグ漫画とも言える。
昭和の九州では飲酒運転はセーフという法整備の穴を突いた合法ドラッグ漫画とも言える。
表紙を見るだけで分かるほどにアヘっているドラッグ漫画とも言える。
シャワーで軽くでもボディソープ使って洗いすれば誰しも無臭になると昔は思い込んでた
その後の人生で、
50人ほどの素人女性とセックスを経験したが、ガチ無臭マ〇コの持ち主は1人か2人しかいなかった。
洗って乾いたらもう臭い人、
洗って乾いても無臭で耐えうるけどベッドインあたりではもう臭い人、
洗って乾いてベッドインしても無臭で耐えうるけど興奮して濡れたらもう臭い人、
洗って乾いてベッドインして興奮して濡れても無臭で耐えうるけど愛液出たらもう臭い人、
2人だけいた奇跡の無臭マ〇コの持ち主は、こちらがチンコを突っ込み以後セックスが中盤戦にでも差しかからない限り無臭だった
うち1人は、外を歩き回ってデートしたあとそのままホテルに行き、部屋に着くなりノーシャワーでクンニを強行したことがあったがそれでも無臭だったからビックリして絶賛してしまったことがある
無臭マ〇コは素晴らしい
ここで俳句の解説するとボロクソ言われるのが落ちなので、リアルで相談した方がいいよ。
…というのは、俳句は滅茶苦茶コンテクスト(文脈)に依存する芸術だからだ。短歌31文字が対決的な文化(歌合せとか)を成立させてきたように「向き合う他者」に言葉を届ける能力をもつのに対して、俳句は仲間内のような座の中で成立してきたように「コンテクストを共有する仲間」の間で盛り上がるタイプの道具であり、背景となる文化文脈を共有していないことが多い現代社会(特にネット上)では、説明したところで、「そうとは限らないのでは?」みたいな突っ込みが山ほど入るのが目に見えてる。「なんでそう言い切れるの?」「必ずしもそうとは限らない」etc……いやうるせえわ。俳句ってそういうモンなんだから仕方ねえだろ。
それを踏まえた上で、可能な限りの解説をするぞ。長いので暇人向けだ。ちなみに、調べて作者名見て「あー」(嘆息)と声が出そうになってあと調べるのはやめた、から、ほぼ推測のみで書く。まあ、ちょっと古い昭和の俳句だわ、くらいに思いながら聞いてくれ。ちなみに、俺はこの句、一読して「短歌的な俳句だ。それだけに、短歌増田が感心したのは分かる」と感じた。俺自身は、こういう俳句は作らないと思う。理由は後述する。
「ここで昼餉(ここでひるげ)」
初手から6字で字余りだ。字余りについては今更説明しないが、基本的にはあんまりやらない。なぜなら、基本的にはリズムを壊したり重たくしたりしてしまうからだ。わずか17字でつくる詩で、およそ1/3のリズムが崩れかねないというのは、かなりオソロシイことだ。逆に言えば「その危険を押してでもやりたい」と作者が判断したときだけ、リスクを背負ってやる。素人にはあまりお勧めしない手法だ。さて、作者はわざわざ字余りをして、「さあ、この辺(の場所)で昼飯にしようかな」というメッセージを伝えているわけだ。何とも人を食った話だが、昼飯の場所が決まっていないということはこの人が日常の中にいるわけではないことを暗示してる。まあ、単に定年で暇になって毎日あちこちの公園やらデパートやらで飯を食ってる爺さんという可能性もゼロではないが、後で出てくる夏という季節にそんなことをする爺さんもあまりいないだろうから、ここで作者はそれなりに若く、夏の最中に野山を歩き回っていると推測される。これで一気に「作者の年齢、場所、状況」に関する情報が得られるのだから、字余り使った値打はあると言えばあるが、それ以上に作者がここであえて句のリズムをもったり重たくさせたのは、「いい年したおっさんが夏の昼間にハイキングしてる」という「のんびり感」を演出しようとしたためであるかもしれない、とも推測される。その意味では、この初句、のんびりして見えて人を食ったような、それでいて計算もあるやり手の初句だ。ちなみに、この初句、体言止めで切れる。俳句はやはりどこかで「切れる」ことが推奨されるが、それは句の焦点をはっきりさせるためだ。句切れの前に焦点があるか、後にあるかはケースバイケースだとしても。
ただ、それにしても「ここ」が山とか自然の中、は分かったが、どんな場所なのか、また、ここで昼飯にしようと思ったのはなぜか、作者はいまどんな気分なのか、とかは分からない。それは、続く部分で種明かしされる。(よって、ここでは句切れの後、つまり「種明かし」パートが句の焦点だと考えられる。)
「真赤な夏の/花佇つゆゑ」
最後に「ゆゑ(故=理由)」とあるが、普通に考えたらこれまた俳句では普通やらないおきて破りである。句の中でこういう「理由の明示」みたいなこと、ダメだろ普通。なぜかというと、基本的にカッコ悪いからだ。たとえば「閑けさや岩にしみいる蝉の声」を、「蝉の声岩に染むゆえ閑かなり」とかやったら、なんかいろいろ台無しだろう? ネタ晴らしというかなんというか、たとえそういう意図を込めていたとしても、言わずにそこを感じさせて感心させるところがさあ、まあ句の仕掛けなんだから、答え言っちゃったらもう何かダメじゃね?とふつうはまあ思うんだよ。でもこの句はもう少し進化した句で、理由を言っちゃった上で「え?それが理由になるん?」と読み手に突っ込ませることを狙った作品なのだな。突っ込みさせた上で、「え……理由…?………になるんか、…ならんこともないか、うーん、なるほど」みたいな。最初ののんびり路線がここで効いてくるわけだ。作者は「それが理由なん?」という突っ込みに対して"のんびり"という姿勢をとることで「それが理由ですが、何か?」と返してきているわけだ。そうやって自信満々に言われるとなんかこっちが間違ってる気もするし、そう言い切られたらそうかなあ、と少し納得感がないでもない……と思わされた時点でもう作者の術中に落ちているのだ。この作戦、小難しく解釈しようとする人であればあるほどハマる。
もっとも、そういう、突っ込みさせつつセルフ納得もできる「微妙な線」を狙うのはなかなか難しい。だから、それを実現させるために作者は2つほど仕掛けをしてる。
一つは「真っ赤な夏の花」だ。これ、普通なら夏に咲くその花の名前を入れる部分だよな。たとえば朝顔ならアサガオ、向日葵ならヒマワリ……だいたい花の和名なんてそんな長いものじゃない。少なくともただ花それ自体を指すのに9字も使うのって、俳句始めたての人の句なら真っ先に直されそうな部分だ。でも、その上でだ。聞いてみるけど、この花何だろうな? 日本の、ハイキングで行くような野山に、真夏に「真っ赤」な花なんて咲いてるか? あとで「たつ」という言葉がある以上、人の背丈程度には高さがあってすっと伸びた草花だ。さて何だろう? 作者の答えは「知らん!」だよ。知らないから「真っ赤な夏の花」なのだ。おいおい、そりゃねえだろ、と読者に突っ込ませておいて、そこで作者はぬけぬけと「だからここで飯にするんだ、悪いか?(ニヤリ」とやってくるわけだ。無責任に適当にやってるように見せながら計算もあり、でも基本的に楽天的で天衣無縫な語り口の句だ。それが初句の「のんびり」加減と相まって、この句に独特の雰囲気を醸し出していることは否定できない。なんだったらここで笑い出しちゃうような面白みがある。
二つ目は「佇つ」だ。学のある人をこれで引っ掛けようという腹だ。この字、音数から考えれば「たつ」と読ませているのだろう。だがこの字に原則として「たつ」の読みはない(少なくとも家にある広漢和辞典(全四巻)でみる限りはない)。一般的な読みは「たたずむ」で、じーっと立っている、という意味だ。「たつ」に宛てたのは、その意味を合わせて感じさせたかったからであろう。花はいつまでもじーっと立っているのだから、人間が「立つ」のと同じ字でない方がいいんじゃありませんか、というか、「佇む」には途方に暮れて立ち止まる、みたいなニュアンスも漂う。何か、その夏の花が所在なくじっと立っているので、仕方なくしばしのひと時を一緒に過ごす、みたいな感じだ。なんだろう、ひょっとしてこの「真っ赤な夏の花」というのは、山道を歩く途中で一緒になった、真っ赤なサマードレスを着た女性か何かの比喩なんではないだろうか、みたいな、そんなちょっと色気みたいな解釈・深読みが(実際、俳句読みはその手の暗喩、創作をよくやる)この「佇」一字から立ち上ってくるのである。そうなると、花の名前が特定できなかったことも、何だかそのための仕掛けであるようにすら見えてきて、うーん、と悩まされるのだ。当然、そこまで考えての、このルール違反の用字である。
結果、山歩きの途中花の下で飯食うかあ、というだけの句が、俄然ストーリー性、物語性、ロマンスの色彩まで帯びてくる。が、もちろん現実にはそんなことはないのであって、実際ただ飯をくっただけなんですけどねー、という緩い種明かし(そもそもそんなロマンスが勃発したら俳句なぞ作っている暇はないので)を前提に、その幻想を楽しむ、そんな句ということに落ち着くわけだ。
そんな風に、この俳句はなかなか外連味(けれんみ)のある、仕掛けとイメージてんこ盛り、物語調の俳句で、実に面白いと言えば面白い、一般的な俳句の目指すところとはちょっと外れた句だ。一般的に俳句はもっと、瞬間的、即物的、断片的に風景を切り取るのが基本なので、まあ普通は「季語+感情」でつくるとこから始めるのが適切だろう。この句も、山道で赤い花に出会った瞬間の感情を句にしてると言えなくもないが、それにしてはいろいろな仕掛けが人を食っていて、また、無用に物語調で独特だ。一般的な俳句なら、たとえば「握り飯ハイビスカスの色に染む」とかでいいわけだが、この句はその瞬間の風景以上に、遊び、のんびり感、山道を歩いてきてよいしょと腰を下ろすそのしぐさ…からああ花がきれいだな、という一連の感情を全てこの一句に込めようとしてるのだ。これを17字でやるのは、本来かなり無理筋なので、普通はもうちょっとワンショットに切り分けようとしたりするか、あきらめて短歌にいくかするだろう。その無理をやってる(そして、そこそこ成功もしてる)のがこの句の面白いところで、たぶん短歌増田が感心したところなんじゃないか。
まあ、こういう句、狙って作るのはなかなか難しい(ちなみにこの作者・中村草田男は、こういうのをやたら作るのだが、ひどい失敗も多いので有名な人だ)。そういう意味でも、まあなかなかない句ではあると思う。あと、何も知らずにいろいろ書き飛ばしたので、もっと知ってる人から突っ込み入れてもらえたら感謝する。
外国人排斥が中国、日本、インドの「経済的苦境」を引き起こす:米国大統領バイデン氏 - Times of India
インドは排外主義的ではなく、最も歓迎的な国の一つ:S・ジャイシャンカール外務大臣 - エコノミック・タイムズ
S・ジャイシャンカールは、ジョー・バイデンによるインド経済に関する「外国人嫌い」発言に反論し、市民権改正法を擁護し、偏向メディアを批判し、モディ首相のリーダーシップを称賛した。また、多様な社会に対するインドの開放性と、公正なグローバル・シナリオの重要性を強調した。
S・ジャイシャンカール外相は、ジョー・バイデン米大統領がインドを「外国人嫌い」と表現し、経済的に問題を抱えていると言われる国々とグループ化していることを否定した。
「まず第一に、我々の経済は停滞していない。「インドは常に......インドは非常にユニークな国だ......世界の歴史上、非常にオープンな社会だったと言える。
ジャイシャンカールはまた、ナレンドラ・モディ政権がこのような歓迎を促進する法律を制定したことを挙げた。「CAA(市民権改正法)があるのは、困っている人々に門戸を開くためだ。
大臣はさらに、CAAに批判的な人々を叱責した。「CAAのせいで、100万人のイスラム教徒がこの国の市民権を失うことになると公言した人たちがいます。「なぜ彼らは責任を問われないのか?誰も市民権を失っていないからだ。
彼は、"非常にイデオロギー的 "な西側メディアの一部が、グローバルな物語を形成することを望んでおり、それゆえにインドを標的にしていると述べた。
「それは、自分たちが世界の物語をコントロールすべきであると常に信じている層である。
「彼らは多くの場合、政治的情熱を公言している。「彼らはインドの他の政党を公然と支持している。彼らは具体的な問題に首を突っ込み、立場を取ってきた。もし彼らがコメントや判断を下すのであれば、それがどこから来たものなのかを認識して受け止めたい。つまり、客観的な判断ではないのです。彼らは、今起きていることに利害関係があると公然と宣言している人たちだ。何が起きているのかに自分たちの役割があると信じているのだ。
このような流れから、報道の自由に関するインドのランキングの低さは、政治的な打撃であると大臣は述べた。ガザでの戦争に対するアメリカの大学での抗議行動を "示唆に富んでいる "と称し、"インドで運動が起こるたびに、大衆にどう対処すべきかについて多くの講義を受けた "と述べた。「今日のテレビの映像を見てほしい。つまり、大げさに言えば、彼らが何を説き、何を実践し、何を意図し、何を客観視しているのか、あるいはしていないのか。それが現実だと思います。だから、これは公的機関やシンクタンクの報告書だと言うかもしれない。別の手段による政治だ。だから、私はそれを認識し、それを告発する」。
パキスタンでの標的殺害をインドのせいにする報道について、彼はこう述べた。統計的に、テロリストが大勢いるところでは、何かが起こる。今、彼らはテロリストの産業というものを作り上げている。
大臣は、ナレンドラ・モディ首相を一生に一度の指導者だと評した。2015年から2018年まで外務次官を務め、2019年に外務大臣に就任したジャイシャンカール氏は、その信念から外交官を経て政界に転身したのだと語った。
(★はおススメ度)
皿やコップはもちろん、ナイフ・フォーク、包丁やおたまなども2セット以上そろえて、交互に食洗器に入れる。
これをやると毎朝、食洗器から食器を出さなくても良くなる。
きっちり同じものを揃える必要は無い、なんとなく交互に使えるぐらいの数があると快適になる。
食洗器を買うと一番やりたくなるのがこれ。ただ、個人的にはおススメしない。
なぜなら、鍋は食洗器の庫内で場所を取るので他の食器を入れるスペースが減る。
食洗器用で定番のティファールの取っ手がとれるフライパンは、きれいになるけど、外側のペイントがどんどん白く曇ってくる。あの白い曇りを取り除く方法があったら教えて欲しい。あと、あの取っ手の角度が使い難い。
では、手洗いになった鍋やフライパンをどうするか、そこで最近は100均でもよく売ってるシリコンたわし。華道のけんざんを薄っぺらくしたみたいに、短いシリコンの刺がわわわわっと出てるやつ。
あれで鍋類のドロドロした汚れをざっとぬぐってからふつうのスポンジで洗うと、洗い物スポンジが汚れず長持ちする。
そして、使ったシリコンたわしは毎回食洗器に直行。ちなみに、鉄鍋用のステンレスたわしも食洗器に突っ込める。
こちらはシンプルにおススメ。家族が水筒持ち歩く家は毎日何個も水筒とその蓋を手洗するのが憂鬱だとおもうが、食洗器対応なら毎日突っ込むだけ。なんらら2セット買おう。
食洗器対応のステンレスボトルは結構前からあるんだけど、色とかデザインがあか抜けないモデルがちょっとだけしかなかったのが、最近ようやくバリエーションが増えてきた。
水筒って子供的にはこだわりポイントだったりするので、キャラ物までは贅沢言わないからカラバリとかもうちょっと頑張ってほしい。
同様にステンレスタンブラーも食洗器対応のモデルがある。内側もコーティングされてる奴は飲み物の味が変わらないのでおススメ。
プラ製のファンだと無理だけど、最近は鉄製のシロッコファンタイプが増えてるので、換気扇のファンごと食洗器にどかっと入れて洗える。
防汚加工とかもあるので頻繁にはしない方がいいが、年に1・2回やるとすっきりする。
コンビニでもらえる竹製の丸割りばしを沢山溜めておいて、使いまくる。調理の度にどんどん別の箸を投入。使いまわしはしない。
沢山使っても、食洗器につっこめば、あとはがっと置き場に戻しておくだけ。竹のクセで反ってきた奴はどんどん捨てる。
菜箸も100均でシンプルな奴を数セット分買ってきて使いまわすと良い。とにかくどんどん洗えるので、気兼ねなく使い切りつつ再利用できるのは精神衛生的に良い。
キッチンシンクの排水口用に売られているステンレスメッシュのゴミ受けを2つ用意して、毎日最後に溜まった生ごみを捨ててから食洗器に突っ込み、交互に使う。
ゴミ受けを持ち上げたらティッシュで軽く排水口を拭って、そのティッシュでゴミ受けにへばりついた残滓を拭うと良い。
排水口のドロドロ汚れと決別できる。排水口に蓋があるタイプならステンレスの蓋も2セット用意して洗う。
余談だけど、使っている食洗器用洗剤はチャーミー クリスタジェル、中性で研磨剤も無いので食器の痛みが少ない印象。
ただ、茶渋とかは残るので時々スポットでPix 食器洗い機用洗剤を投入している。茶渋に関してはPixが一番よく落ちてコスパも良い。
冷水筒などは内側をスポンジで軽く磨いてからPixにかけるとびっくりするぐらい新品みたいになる。スーパーとかドラッグストアではあまり扱いが無いがAmazonで買える。
20代後半の男。
自分や転職組の先輩や同期との会話を通して感じた公務員になって良かったこと、悪かったことを紹介する。
・緩い上下関係
もちろん常識的な範囲での先輩や上司への言葉遣いや挨拶はみんな心得ているが、前職のような厳しい上下関係はない。
お辞儀判子もないし、通りすがる度に正対して挨拶する必要もない。飲み会でも正座する必要はなく、課長すら自分の料理や飲み物は自分で取る。
・ノルマがない
前職のようにカード、定期、投信とノルマを課されることはない。事務処理の締日はあるが、遡って処理できるし間に合わなかったら来月付にすれば良いだけ。
前職は昼休みでも顧客が来れば対応したし電話も出なきゃ行けなかった。外食や外出も基本禁止だった。
今は昼休みは自由に外食や外出できるし、窓口に人が来ようが電話が鳴ろうが昼休みなら対応しない。
部署にもよるが、基本的に先輩たちは一年目から有給をほぼ使い切っていたらしい。
・先輩や上司が味方になってくれる
前職ではトラブルが起これば基本的に上司は顧客側に立って「お前は何をしたんだ!」って感じだった。顧客が大口なら尚更である。
今では怒り狂った市民が来ようが上司や先輩たちは基本的に自分の側に立って「そちらに不備があったのでは?」という感じのスタンスを貫いてくれる。正直こっちにミスがあったとしてもそれを事前に報告していれば「こちらに問題はない」という態度を取ってくれる。
・飲み会が多い。
盲点だった。先輩や上司は平日の真ん中でも朝まで飲んで青い顔で出勤してくることがある。痛風率高め。
・残業
残業は普通にある。電話や来庁者がいなくなった定時後に事務処理を集中して行うので仕方がない。ただ、自分で「この週は残業して事務仕事を片付けて、来週は定時で帰る」という様に管理できるので苦痛ではない。
前職では不祥事防止のため残業禁止で支店のみんなで一斉に退社していた。事務仕事もノルマもあるので残業禁止は普通にきつかった。
・研修がない
必要な仕事の知識、電話対応、全職場共通のシステムの扱いを一通り身につけてから支店に配属だった。
自治体は基本的に入庁式の直後に部署に突っ込み、新人も戦力にカウントして配置を行っている。初日から何もわからない状態で仕事をするため、知識0で市民対応をして市民をたらい回しにし怒らせてしまったり、書類を同姓同名の別の市民に発送してしまうミスもあった。ミスで詰めてくる上司や先輩がいないので良いが、何もわからない状態で周りと同じ仕事をしなきゃいけないのが大変。
という意見を見て、自分は楽しめた方だったが、不満がないわけではなかったことを思い出した
特に、テロの動機がショボすぎて、なんか特にテロ側に感情移入できないというか…
しかし、リコリコの楽しみ方は、ストーリーとか世界観ではなくて、あれはお笑い芸人のコントを楽しむというか、
会話の駆け引きを楽しむような楽しみ方であって、
だから、世界観とか設定とか、そういう物語として考えると、途端にショボくなるのは否めないんだよなあ
動機が不明瞭というのは、テレビの仮面ライダーのショッカーが幼稚園バスをジャックするようなもので、
動機とかよく分らんが、なんか悪いことをしている存在が必要なんだな、という感しかない
それはそれでいいのだけど、そこから先に首突っ込みたい視聴者は白けちゃうんだよな
わかる、わかるんだけど、
足ねぇだろって突っ込み待ちか?