はてなキーワード: 一億総とは
もっと具体的に言えば、統計を「平均」のことだと思い込んで、「分散」を考慮に入れて議論することができないから。
個々のデータと平均値の差の2乗の平均のこと。分散が大きいとデータのバラツキが大きい。
分散の平方根を「標準偏差」という。平均値を50とし、標準偏差を10とするようにスケールし直したデータをおなじみ「偏差値」と呼ぶ。
分布が正規分布に近い場合、凡そ68%が偏差値40〜60の間に収まる。また95%が30〜70の間に収まる。
もともとの日本の「一億総中流」のような、多様性を否定する信仰がさらに「平均以外に意味はない」というバイアスを強めている可能性がある。
日本人にはもともと「普通」を定義しその中に収まるという強い欲求があるために、たとえ義務教育で統計の基礎を学んでいても、その中から「平均」という普通の定義だけを学び、「分散」という多様性の定義を学ばない心理的取捨選択があるということだ。
増田自身、男女の能力差に関して「統計的に考えろ」とここに書いたら、「女は男より(平均で)下だと統計が言ってるんだ」と騒ぐやつばかりで話にならなかったことがある。
統計的に言えば、「普通」と言うのは、例えば偏差値40〜60のように平均以上以下に幅を持って定義しなければ意味がない。平均の周囲どれだけに何%が収まるのかという分散の発想なしに「普通」は本来定義できない。
「生活保護基準」と「相対的貧困ライン」は、それぞれ別の定義で、別の目的で作られた概念だが、結局は同じ層だよねってなることが学術的に知られている。
https://cir.nii.ac.jp/crid/1390853651279758080
相対的貧困ラインは「可処分所得(手取り)」が中央値の半分を下回る水準であり、これは収入格差が大きいほど当然拡大する。
欧州などは10%程度に抑えられているが、日本のように16%もの相対的貧困層がいる場合、「生活保護の本当に必要な人」は1000万人〜2000万人は見積もる必要があると統計を理解していれば必ずわかるのだ。
大昔、ダウンタウンがスポーツ選手を呼んでひな壇トークする番組を見た
ある女性トッププロゴルファーがマイナースポーツ選手に向かって
「なぜそんな金にならんスポーツをしているのだ?」と突っ込んだ
俺はなるほどと膝を打った
漠然とした思考が頭の中にあるが、深くは考えず言語化もしていなかったテーマが一気に晴れた瞬間
同じ身体能力や知能があっても選択するスポーツ(に限らず職業や人生)で収益性は変わる。当たり前だ
人気があり金が回るスポーツの方が実入りがいい、損なスポーツとそうではないスポーツが生じる。
金になる分野は競争も激しいが、リスク含めた費用対効果がきれいに均衡することは無い
芸能人が「一般人」というセリフを口にするたびにイラッとしていた
特殊人の彼らはテレビ電波を使い自分の能力に最大限レバレッジをかけて収益を得る
プロゴルファーも芸人も皆自分の収入を自分の才能、労働の正当な対価だと勘違いしている
スポーツ選手や芸能人がスキャンダルでメディアスクラムが起きると
今更何いってんの?
プライバシーやある種の自由を商材に変えたのは自分ではないか、
大衆にウケる人間を演じる対価として効率の良い人生を得ながら、損失、リスクは受け入れられない
甘くね?
お笑い芸能人やサッカー選手が強姦をしたのかどうかなんて真実はどうでもいい
大衆はそれを面白おかしく扱い、あるいはそれが虚偽であろうが叩き、社会から抹殺するゲームのコマとして消費するだけだ
不健全な世の中だ?
そう思うよ、クソだ
でもそんな不健全な世の中でなければそもそも君らの職業は不要なんだよ
人はゲスく、無知で享楽的だから君らの見せる芸やパフォーマンスが職業として成り立つのだ。
バカ番組をアホみたいに垂れ流し、その片棒をかつぎ、自分でバカを啓蒙育成しておきながら、
いやぁぁぁぁぁwww
オモロい
なんか、一億総ガマンできない社会に突入しつつあって嫌な気分になる
今回の飛行機のペット救出のこともそうだけど、「ペットを連れて行かない」とか「ペットがいるから長距離旅行はしない」みたいな我慢をする気がない人がかなりいるんだよね
子どもがいたら高級レストランには行けないねとか、夫婦2人だけで長期間旅行に出たりできないよね、って、それは子どもをもうけたいと思った時に我慢しようとは考えなかったんだろうか、みたいな話、最近よく見かけるようになった
本当は昔からいて可視化されてなかったのかもしれないけど、なんと言うのか、「すべてが自分の望み通りになるまでいくらでもワガママを言いまくっていい、思い通りにならない人をいくらでも殴りつけて言うこと聞くまで傷つけていい」って人がすごく増えて、その結果余計窮屈な社会というか、隣人を尊重しないで踏みつけてでも自分のテリトリーを拡大したいというような人が増えて、しんどさを感じる
自分とその周りだけ幸せならそれでいいのだろうけど、全員そうなったら社会を保てなくなると思うんだけど、そんなことないのかな
佐々木朗希の更改越年が早期ポスティングに関係してると仮定して書くけどさ
佐々木には少しでも早くメジャーに行きたいという要望があり、佐々木の力で優勝したり稼いだりした球団にはそれを拒否する権限があるってだけの話じゃないのか?要望を出すこと自体を非難する向きもあるけどそもそも主張しないことには交渉も始まらないんだからしょうがないだろ。対立する意見があるから交渉しているだけの話だろ少なくとも建前としては。(密約については話がそれるから触れない)
ドラフトで一方的に所属球団を決められ、FAを取るまでは脱出することもできず、結果が出せなければ放出される。個人事業主として能力を発揮する野球選手と、その能力を必要とする球団が利害関係に基づいて契約を結んでいるだけなんだから通すべき筋もクソもないんだよ。寮費食費コーチング?投資が外れることなんて珍しくもないだろ。
どんな選手にも長所と短所があり、短所をすべて克服して渡米する選手はいない。佐々木は、91イニングでWAR5.3を稼ぐほどの出力と引き換えに耐久性に難を抱えるタイプの選手なのかもしれない。数年かけて耐久力を備えた本物の最強投手になる可能性を考慮したとしても、未熟な状態で渡米し、外野が「失敗」と表現するような結果に終わったとしても、それは佐々木個人の問題だろ。メジャー球団もそんなことは知った上で獲得するわけで、「他人に迷惑をかけるな」みたいなナイーブな非難は的外れで筋違いだ。
かの有名な「たかが選手が」に野球人やファンはいきりたったが、あれは結局のところ偉そうな爺さんが気に食わなかっただけなんだな。一億総ナベツネ時代だ。
クリスマスが差し迫った今日だが、私には恋人なるものは居ない。これまでも、そしてこれからも作る予定はない。このまま歳を重ね、1人で生きていく決意を強固にするために、今日という日にわざわざこの文章をしたためているのだ。
兎に角、現代の日本社会ではルッキズムが加速しすぎている。美に金がかかりすぎる。埋没だの二重整形だの、あっちをいじればこっちが気になりだし、その数は枚挙にいとまがなく、女の美に対するあくなき探求心はとどまるところを知らない。いつの時代も、男性は美しい女が好きだ。だが、女が美しくなりすぎた結果、美の基準は年々上がり続けている。もはやインフレ状態である。
そのようなレースに参加したら最後、いくら金があっても足りない。私は労働が嫌いだ。私は特別な才能もないしがない社会人であり、できれば残業もしたくなければ今流行りの副業もやる気はない。(というか、会社が副業禁止のお堅いJCTなので出来ない)今あるお金で慎ましやかに人生を生きていきたい。美に使うお金は書籍を買ったり、スポーツを楽しむお金に使いたい。
私自身に特別美しくなりたいという欲望がないので、(自分の顔に吐き気を催すレベルの💩のような顔では無いため)結婚さえ諦めれば、この一億総美女になろうチキチキ対抗レースから脱出できる。最高である。これ以上のことがあろうか。いや無い。
この決意をいつまででも心に刻んで生きてほしい。
間違っても美に狂って貯金を削らないようお願いしたい。