はてなキーワード: 聖書の言葉とは
先日、わが弟の結婚式があった。
実は当方、結婚式は初めてだ。子どもの頃に招かれたことはあるかもしれないが、全く憶えていない。
当初は出ないつもりだったが、貴重な機会だと思って参加させてもらった。父、母、妹、俺の四人だ。
以下、数百字にわたって感想を述べたい。
チャペルの隣にあるホテル風の建物に入った時は、まあそんなもんかって感じだった。親族側なので、ほかの招待客よりも早めに行く必要がある。待機時間は長かったな。二時間くらい待ったよ。小ぢんまりとしたホールで、スタッフの人が泡でふわっふわのコーヒーを持って来てくれた。あれはコーヒーだったのか?
ああ、そうだ。トイレに行こうとしたら別のスタッフに停められたんだよな。すぐそこを新郎新婦(弟と嫁)がリハーサルで歩いていたらしい。やっぱり、事前に姿を見そうになると止めるものらしい。
時間が経って、ほかのスタッフの人がホールに入ってきて、親族その他参加者を呼んだ。そんでチャペルに着くと、牧師の人や讃美歌のチームがいて、青が基調のステンドグラスがあって、ドラマで見るのと一緒の光景だった。
それで、式が始める前に参加者みんなで記念写真を撮って、外国人の牧師が挨拶をして、いよいよ新郎新婦が登場するわけだよ。
いやあ、恰好よかったね。新郎は細身のタキシードがシャンと決まっていた(追記:よく思い出してみると、ズボンの右ポケットにスマホが入ってるのが明らかだった。人によっては萎えるポイントかもしれない)。その次に入ってきた新婦も、ドレスがめっちゃ清楚にまとまってる。お父さんと一緒に、ゆっくりと牧師の前まで歩いていくんだが、その後ろで参加した親戚の女の子たちがさ、新婦のウェディングドレスの尻尾のところを持ち上げながら歩いてるんだ。いや、あれには参ったね。はっきりいってお洒落だった。
それで、讃美歌があって、聖書の言葉を読み上げるのがあって、「やめるときも、すこやかなるときも」っていうのがあって、あとは流れだった。くちづけの時、弟が相当に緊張していた様子が伝わってきた。その辺は兄弟だからな、わかるのだ。
それらの儀式は、テレビドラマで見るのとほとんど一緒でびっくりした。そういうものなんだな。ドラマと違うのは、花嫁がほかの男に奪われないことくらいだ。
最後に、一時間半ほどの食事会があった。出てくるものは、ワインでもジュースでも刺身でもパンでもステーキでも、とにかく何でもうまかった。ほかの参加者ともしゃべりたかったけど、俺はわけあってあまりしゃべることができない。
ほかの親族とか、参加者の人達は大騒ぎしていた。新郎新婦を囲ってやりたい放題だったし、小さい男の子らもやっぱり楽しそうだった。はしゃいでいた。
小中学生の女の子らは、新郎の方に駆け寄っていて、いっしょに二人並んでの記念撮影を求めていた。弟はイケメンで、はっきりいっていい会社に勤めている。性格もいいのを知っているのだろう。
父も母も妹も、新郎新婦と記念撮影をしていた。俺もそっちに呼ばれたけど、結局行かなかった。俺にはいくつか障害があるから、あまり動けないのだ。できれば人前にも出たくないが、たぶん人生で最後の結婚式参加だからなあ。
俺は、ひたすらに烏龍茶飲んで、パンを食べていた。食べ物が小さいので油断していたけど、お茶漬けが出てくる頃にはお腹いっぱいになっていた。もしかして、食べ物のサイズが小さくても、上等なものだとお腹いっぱいになりやすいのだろうか。
宴も竹縄な感じになって、新郎と新婦が最後にみんなに挨拶をしていたっけ。親への感謝が主だった。ふたりが音楽とともに退場して、俺達一家もさあ帰るかとロビーに降りて、父母の着替えを待ちながら妹とゆっくりしていると、新郎の弟が帰ってきた。妹と話をしている。互いの労をねぎらっているようだ。
弟は、その後こっちに話してきた。「兄ちゃん。来てくれてありがとう」だって。「おめでとう」とだけ言って、ちょっと会話をして、「じゃあ、またな」で締めた。あいつは、俺の結婚のことは口にしなかった。したくてもできないとは思うが、ハレの場で考えることではない。
新婦側の親族がまだ残っていた。さっきの子ども達が新郎に群がっていた。男の子はスプラトゥーンの攻略法を聞いていたし、女の子はやっぱりツーショットの写真を求めて並んでいた。
それから、新婦方の親族とちょっとだけ雑談をして、それで解散になった。
楽しかったなあ。いい式だった。一生の思い出になった。
ところで、もし俺が健常者で、弟みたいにイケメンで、いい会社に勤めていたとしたら、結婚式は挙げなくないな。だって、恥ずかしいだろう。あんなに見られて。写真を撮られて。耐えられそうにない。恥ずかしすぎる……。
とまあ、いろいろ想像をしてみたが、こんなのだって結婚式に参加しなければ得られなかったものだ。参加してよかったと今では思える。弟よ、どうか幸せに。 兄より。
僕の家庭は親がカトリックだったから、自然と洗礼を受け、教義自体に違和感とか感じることはあったけど、十年間以上教会に通っているし、それを当たり前のことだと思っていた。
でもある時、サークルの予定や友達との約束が尽く教会の礼拝やイベントの日程と被り、全部潰れた時があった。社会にとって日曜日なんて土曜日と変わらないんだから、そういうことは昔からよくあったし、普通だと思っていた。でもなぜかその時はこういう考えが浮かんできた。「なぜ僕は自分のやりたいことを捨ててまで教会に行ってるんだろう」と。その行為を信者たちは「神への犠牲」として尊ぶ。でも犠牲にして何かあるの?色んなこと要求されるけど、そもそもカトリックの信者やってて良いことあったの?そこから僕は自分が宗教を信仰する意味を考え直すようになった。
確かに僕の倫理観はカトリックの教義によって培われたものかもしれない。でも宗教持ってなくても素晴らしくて尊敬できる人はたくさんいるし、むしろ神父なのにクソみたいな性格の奴だっている。正直聖書の言葉なんか一度も心に響いたことないし、それよりも自分が人生の中で生み出してきた言葉のほうが自分をよく支えている。神を信じないと地獄に堕ちるって言われても、死後のことなんて知ったこっちゃないし、ほらっ、宗教が無くても十分幸せに生きられるじゃないか。結局宗教の主な役割ってコミュニティの形成だし、僕が信者を辞めないのも、家族や今まで教会で培った人たちとの関係を壊したくないからなんだろうなと思う。多分海外で一人暮らししたら教会行かなくなるよ。
まあこんなことを言うと、「神父様や他の信者さんに相談してみなさい」って案の定言われるんだろうけど、神父や“熱狂的な”信者ってやつは、普通の人が到底納得できない「神の言葉」を延々と振りかざすだけで、何の解決にならない。多分神の言葉を万能だと思ってるんだろうな。本当に絶望している人には神の言葉なんてこれっぽっちも届かないけど、まあ彼らは絶望したことがないから分からないんだろう。
そもそも信者たちはこういうことを考えること自体を「神に背くこと」として忌避する。まあそれでもいいけど、そんな思考停止状態じゃ普通の人たちに神の言葉なんか伝わるはずないし、教会の先細りは決まってるようなもんだよね。
長崎のカトリックの神父やシスターが多い家系で生まれ育って、関東にやってきた。
ある時、近所のカトリック教会へ行ってみることにした。
システムはほぼ変わらない(献金の仕方が教会で違うくらい)ので、普通に馴染めていたのだが、
長崎の教会で聞く説教は、聖書の言葉を引用しつつ、「教えを見習って生きていきましょう」というものがほとんどで、
関東の説教は、政治が何だ経済がなんだ、とにかく政治に関する言及が多い。
「思っていた教会と違う」感じだった。
あと「キリストを信じている自分」にアイデンティティを求めているような人もおおかった。
よくネットで「キリスト教は〜」と批判的なことをいう人を見るが、
そんなことを言う気持ちもわからなくはないくらいの違和感だった。
「そんな所行かなくていいと」と言われたので、今は行っていない。
ホスチアをいただかないと、キリスト者だということを意識しなくなるけど、(根付いているともいう?)、
変なものに関わらないに越したことはないし、今日も家で、いつもどおり祈ろう。
>他の教会へ行けば?
一応沿線にある教会にはいくつか行きましたが、全部微妙だったので。。。
ミサも朝早いor夜遅いなので、あまり遠くへ行くのも困りものという感じ。
ここは長崎でも名前を聞く教会だったので、一度行ってみますね。
>聞き流したほうがいい
そうですね。別の教会に通ってみてあまりよいところに巡り会えなかったら、
長崎ほど教会が多くないから、気軽に別の所へ行ってみようとしても、
そこそこ距離が離れているんだよね。
どこも駅から遠かったりするし。。。。
私がそう言ったけど、夫は、通した。
私は、そんな日にお嫁さんになるなんて恥ずかしいと思った。
でも、今は、忘れないからいいか、と思ってる。
ねえ、1行あけたいけど、できないよね。
あとで調べよう。
数字にめっぽう弱いから、新年に、家族が何歳になるか調べるから。
で、わ~30歳になっちゃうじゃん、わ~30周年かよ、となった。
喧嘩ばかりしてきた。
殴られたこともある。
今でも、喧嘩ばかり。
許せないことも、今も色々とある。
もうとっくに親と暮らしてた年数も超えてる。
生活は楽じゃない。でも、これからも、がんばっていくしかない。
離婚?したいって、よく思ってたよ。
意を決してだったんだ・・・。
でも、失敗に終わった。思い出したくない不倫の思い出。
どうにもしようがないと神様に頼りたくなって、
「よく我慢しましたね」
と言ってもらった。
とも。
という私に、
「でも、人間は神様のように完璧じゃないから皆離婚してますよ」
と言った。ものすごいショックだった。
私は、聖書の言葉「男は女のかしら」を信じてきたのに。
ま、いいか。
http://www.jwstudy.com/docs/study_hours_per_baptism/
誰も興味がないだろうけれども。
エホバの証人がやたら来るのは、一ヶ月にどのくらい伝道活動をしたかを報告するシステムがあるから。
日本人はこの数字上げに関して世界一熱を入れている。他国の信者が驚くくらい。
互いに愛し合うことより数字入れることの方がわかりやすいし、記録として張り合いやすいからかな。
組織は誰が何月に何時間伝道していたかという記録を過去何年分も遡って記録している。
伝道時間とは、エホバの証人じゃない人間にエホバの証人の教義を伝えるためにかけた時間を指す。
正規の伝道者になったら最低一ヶ月1時間は伝道活動を報告しないと「不活発」ということで、頭数から除外される。
どんなに熱心に聖書を読んでいようか、仲間の信者を助けるために奔走していようが、伝道してないとダメ。
「奉仕活動」と呼ばれているんだけど、地域ボランティアや被災地支援、介護なんかは含まれない。
そんなわけで現役エホバの証人として神に、そして仲間に受け入れられたかったら伝道は欠かせない。
この伝道時間というのは実質信者の格付けランキングになっていて、時間が多い人ほど重んじられる傾向にある。
伝道時間により伝道者、補助開拓者、開拓者、特別開拓者、宣教者というクラス分けがあるんだけど
海老名市にあるものみの塔聖書冊子教会日本支部、通称海老名ベテルの精鋭に選ばれた場合
何歳から何年間開拓奉仕をして来たかで、休みの日も違えば割り当てられる部屋も違う。
まず家を訪ねる場合、伝道開始した最初の家を訪ねた時間から、最後の家を訪ねた時間までを計算する。
途中道ばたで喋っていたり、移動したりする時間をどの程度記録に入れるかは個人の裁量に任される。
また手紙やメール、電話の場合は手紙を書き始めてから書き終えるまでを数える。
さて、補助開拓者から宣教者までは伝道時間のノルマがあるから1時間でも多く伝道したい。
特に月末・年度末は切羽詰まって、勢い質より量になる。
そのため伝道時間の「経費」とみなされる活動に自ずと力が入る。これを「時間を入れる」という。
遠くの家と遠くの家をピンポイントで訪ねてみたり、同僚に唐突に聖書の話をしてみたり
エホバの証人でない親族や友人知人にご機嫌伺いの手紙を書いて、最後にちょろっと聖書の言葉を書いたり
すごい人になると、一回家に帰って小一時間くつろいで、それも「休憩時間」とみなしてしまう。
そんなわけでエホバの証人は聖書の話を聞いてくれる・断らない相手にしがみつく。
聖書研究を始めた途端にいろんなエホバの証人が何かと話しかけてきたり、手紙を寄越したりするのもそのせい。
同じ相手に話しかけると「再訪問」という別枠のカウントも入り、これも熱心さの目安とされる。
もちろん出版物を提供したり、聖書研究を司会したらそれも件数でカウントされる。
こういう数字がいいメンバーは集会や大会で「模範的な伝道者」として賞賛される。
どれだけ長年熱心に仲間を支援していても、信者でない人を隣人として愛してきても
布教の成果が出て相手がエホバの証人になると、そこから数字はカウントされなくなる。
もちろん「時間が入らなくなる」ので、難癖つけて献身を渋るような本末転倒な事態も起きる。
(そして献身した後は「奉仕が忙しいから」とアフターケアをしなくなる。)
ブルックリン本部の出版部から来た人が「聖書通読をしましょう」という講演で
「日本は数字を出すのが好き。もしも聖書通読の数字を報告することになったら、年間1000時間とかすごい人が出るだろう」
と言っていたが、その通りだと思う。
日本のエホバの証人は他国と比べてとりわけ熱心に伝道活動をしているわけではない。
ただ数字を上げることへの熱中度は群を抜いている。
ちなみにどれだけ寄付したかは発表されないので、寄付への熱意はかなり低い。
施設維持費として最低いくらかかるかは明確にされており、簡単に計算できるけど、しょっちゅう赤字。
■追記■
http://anond.hatelabo.jp/20090121111543
(M) 我々はいまだ若い国家だ。だが、聖書の言葉を借りれば「幼子らしいこと」をやめる時が来た。
(A)米国はなお若い国だ。しかし、聖書の言葉を借りれば、子供じみたことはやめる時が来た。
(Y)我々の国はまだ若いが、聖書の言葉には、子どもじみたことをやめるときが来たとある。
(M) 我々が、不朽の精神を再確認する時がきた。より良い歴史を選ぶことを再確認し、世代から世代へと受け継がれた高貴な理想と貴重な贈り物を引き継ぐ時が来た。
(A)不朽の魂を再確認し、よりよい歴史を選び、世代から世代へ受け継がれてきた貴い贈り物と気高い理念を前進させる時が来たのだ。
(Y)我々の忍耐に富んだ精神を再確認し、より良い歴史を選び、貴重な才能と、世代から世代へと引き継がれてきた尊い考えを発展させるときが来た。
(M) それはすべての人々は平等、自由で最大限の幸福を追求する価値があるという、神の約束である。
(A)それは、すべての人は平等かつ自由で幸福を最大限に追求する機会に値するという、神から与えられた約束だ。
(Y)尊い考えというのは、すべての人は平等で、自由で、あらゆる手段により幸福を追求する機会を与えられるという、神からの約束のことである。
(M) 我が国の偉大さを再確認する時、我々は偉大さが決して与えられたものでないことを理解する。
(A)米国の偉大さを再確認する上で、私たちはその偉大さは所与のものではないと理解している。
(Y)我々の国の偉大さを再確認するとき、我々は、偉大さが決して与えられたものではないことに気づく。
(M) 自分で手に入れなければならないのだ。
(A)それは、自ら獲得しなければならないものだ。
(Y)それは勝ち取らなければならないのだ。
(M) 我々のこれまでの旅は、近道では決してなかったし、安易に流れるものでもなかった。
(A)私たちの旅に近道はなく、途中で妥協することは決してなかった。
(Y)我々の旅は、近道でも安易なものでもなかった。
(M) それは心の弱い、仕事より遊びを好み、富と名声からの喜びのみを求める人々の道でもなかった。
(A)仕事より娯楽を好み、富と名声の快楽だけを求めるような、小心者たちの道ではなかった。
(Y)我々の旅には、仕事より娯楽を好み、富と名声の喜びだけを望むような、臆病者のための道筋はなかった。
(A)むしろ、(米国の旅を担ってきたのは)リスクを恐れぬ者、実行する者、生産する者たちだ。
(Y)むしろ、我々の旅は、危機に立ち向かう者、仕事をする者、創造をしようとする者のためのものだ。
(M) 恵まれた人の場合もあるが、多くはその仕事については知られず、長く困難な道のりを歩み、我々を繁栄と自由へと運んでくれた人々だ。
(A)有名になった者もいたが、多くは、日々の労働の中で目立たない存在だった。彼らが、長く険しい道を、繁栄と自由に向かって私たちを運んでくれたのだ。
(Y)それらの人々は、著名な人たちというより、しばしば、無名の働く男女で、長い、でこぼこした道を繁栄と自由を目指し、我々を導いてきた人々だ。
(M)我々のために、彼らは、ないに等しい荷物をまとめ、海を渡って新しい生活を探した人々だ。
(A)私たちのために、彼らはわずかな財産を荷物にまとめ、新しい生活を求めて海を越えた。
(Y)我々のために、彼らは、わずかな財産をまとめ、新たな生活を求めて大洋を旅した。
(M)我々のために、彼らは額に汗して働き、西部に住み着き、鞭(むち)打ちに耐え、硬い土地を耕してきた人々だ。
(A)私たちのために、彼らは汗を流して懸命に働き、西部を開拓した。むち打ちに耐え、硬い土を耕した。
(Y)我々のために、彼らは、劣悪な条件でせっせと働き、西部に移住し、むち打ちに耐えながら、硬い大地を耕した。
(M)我々のために、彼らは(米独立戦争の戦場の)コンコードや(南北戦争の)ゲティズバーグ、(第二次世界大戦の)ノルマンディーや(ベトナムの)ケサンで戦い、死んだ人々だ。
(A)私たちのために、彼らは(独立戦争の)コンコードや(南北戦争の)ゲティズバーグ、(第2次世界大戦の)ノルマンディーや(ベトナム戦争の)ケサンで戦い、命を落とした。
(Y)我々のために、彼らは、(独立戦争の戦場)コンコードや(南北戦争の)ゲティスバーグ、(第2次大戦の)ノルマンディーや(ベトナム戦争の)ケサンのような場所で戦い、死んだ。
(M)歴史の中で繰り返しこうした男女がもがき、犠牲を払い、我々がよりよい生活を送れるように苦労してきた。
(A)彼らは、私たちがより良い生活を送れるように、何度も何度も奮闘し、犠牲を払い、手がひび割れるまで働いた。
(Y)しばしば、これらの男女は、我々がより良い生活を送れるように、手の皮がすりむけるまで、もがき、犠牲になり、働いた。
(M)彼らは、米国が我々の個人的な希望の集大成よりも大きい存在だと思っていた。生まれや富、党派の違いより偉大だと思っていたのだ。
(A)彼らは、米国を個人の野心の集まりより大きなもの、出自の違いや貧富の差、党派の違いよりも偉大なものだとみていたのだ。
(Y)彼らは米国を、個人の野望を合わせたものより大きく、生まれや富や党派のすべての違いを超えるほど、偉大であると考えていた。
敵がいるもいないもなにもかも仮定の話だからねえ。
遠い未来か近い未来、首相かなんかが「もう、日本に日本人ばっか住んでるっていうのやめようと思うんだどう?みんな混血しちゃえばいいじゃん」
って言われた場合の反応の問題の話だからさ。
で、オッケー派とやだな派ができるだろうという話で、やだな派の立場から
・まず、立場はイーブンである事、単に文化の問題であり、文化を維持しなければならないという理由はない
・日本国内では両立しえない事
・両立する可能性のある調停案の提示
・だめなら戦いかな。イーブンだしどちらの側にも正統性はないけど。
ってとこまででしょ。あくまで仮想敵の話。
ちなみに確かにキリストの時代は貧しくて、それを紛らわす為の言葉でもあったんだろうけど、聖書の言葉としては現在でも豊かな国でも貧乏な国でも信じる人はいるからねえ。