名前を隠して楽しく日記。
チーム対戦ゲームみたいなもんで初心者は絶対周りに迷惑かけてゲームやめろカスって思われるわけやけど
それにビビってたらどうしょうもないから「慣れてないんやからしょうがないやろ嫌ならお前が消えろカス」って思うのが大事なんやで
が結婚したそうで、これでその人の
自分自身はその人の酒乱ぶりが恐ろしすぎて
ここ数年は一緒に飲酒しないようにしており、
酔いすぎて道端に何度も捨てられたとか
誰それとやったやってないとかさまざまな武勇伝を聞いているので…
相手の人、知ってるのかな(どうでもいい)
会社員を8年くらいやって独立したら毎月130万くらい売り上げが入ってくるようになった。準委任契約なので売上にムラはなくて安定している。税金を引かれたら手取りは90万って感じだと思う。しかし、金の使い道がなくて、ひたすら株などを買っている。この状態が続いて今2年目だ。先日、必要ではないけど24回分割無料でiPad Pro(2TB)を買った。家賃は20万(都内)に住んでいる。結婚はしているが、子供はまだいない。子供を作ろうと行動しているが結果が実らない。車も持っていない。酒は飲まないしブランド品にも興味がない。選挙には面倒だから行かない。毎月の積立投資は、金とプラチナに10万円ずつ、米国ETF(ドル)を30万。積立NISA枠で10万分オルカン。残ったお金は高値掴みした個別株のナンピンをたまにしている。自営業youtuberとして毎月の収益を公開しようかなとちょっとだけ思っている。モノを増やしたくないので、このままでいいのだけど、なんか生きている実感がない。このまま眠り続けて死ぬ。
女は「恋愛相手として見て欲しいならまんことしてしてじゃなく人として接してくれ」と言ってるわけだ。
何も世の中全ての男にそうしろと言ってるわけじゃない。「私と恋愛したいなら、まずそこから正しなさい」という指摘をして下さってるだけ!笑
だから、女は自分をまんこ扱いしてくる男はスパスパ切り捨てて生きてるわけ。多分ね。
で、そんな女はもちろん「恋愛相手として見る気がない男には人として接しない」わけ。
男がすべきは、「ぬいぐるみ扱いしてくる女はスパスパ切る」ことだけだろ。
女が「恋愛相手として見てくれ」と要望してるわけでもないのに、「ぬいぐるみ扱いしないで!」とか言っても、女とお前の利害がまったく一致しないんだって。
それとも「世の女はみんな俺から恋愛相手として見て欲しいはずだ!」とでも思ってるのかな。
世の中の男女カップルの多くは自然と互いを尊重しあって愛し合っています。こんな議論をわざわざ必要としません。肌感覚でわかることです。
わからないのは悪いこととは言わないけど、わかろうとしない限り、
そんなのその人の欲求が叶わないって話をそいつ自身がどうにかしなきゃならんって領域で他人がどうこうできる範疇越えてくるじゃん
一人が気楽!女体なんかいらねー!にそいつがたどり着くか、いい感じの理想に近しいところに着地できるまで頑張るかそいつが決めるだけのことじゃん
その選択にどっちが賢いとか正しいとかある?
自分なりにコミュニケーションしながら失敗したり軋轢を生んだりしつつなんだかんだでうまくいったりして相手によっても変わったりしてそれぞれの自分なりの正解を獲得するしかない。
自分にとっての正解が誰かから見て間違っていてもそれでうまくいく界隈もあるしはてなのクソバイスだけが正解なんてことはあり得ない。
自分なりに人として接してるつもりでも相手にとっては人として接してない判定なこともある
しかも特定の相手によってはその判定が厳しくなったり甘くなったりするからコミュニケーションを重ねるうちに必定そんなクソみたいな基準は最初から無いものとして扱うしかないとなっていく。
もしも基準があるとすれば法律しかない。まず法でダメなことをしない。これが最低ライン。こっから積み重ねていくしかない。
ただ法律を超えてボコボコに殴られようとも依存してるから許しちゃうとかザラにあるので法律さえも基準足りえないこともあったりもする。
ぼくういちゃんでシコりたい😭
例の報告書を読むに、セクシー田中さんのドラマ化にあたって原作者は
報告書を信じる限り、ドラマスタッフは原作を尊重して作業を進めたが、
原作者はスタッフの提示してくる脚本がその範疇を逸脱して改変されていると感じ、強い不信感を抱いたようだ。
原作者は「映像にする上で技術的、予算やスケジュール的に必要な改変」のみを考えており、
ドラマスタッフは「同時代のコンテンツとして原作未読のターゲットに受け入れられるようにすること」も含まれると(無意識に)考えていたのが原因だ。
報告書にある具体的な改変の例を元に考えてみよう
という内容に改変した。
その理由としてドラマ側は「近時の10代20代にはリアリティがない」「父親のリストラはドラマとしては重すぎる」というものをあげている。
つまりこのドラマのターゲットは現代の10代20代(の女性)であるわけだ。
こういったターゲッティングはドラマ制作が多額の予算を投じる事業である以上、多くの企画で設定されるものである。
また、公共の電波を使っている以上、圧倒的多数の原作を読んでいない人でも楽しめるものを作らないとならない。
そう考えた時に、女性の大学進学率が上昇し大幅に入学者数が減ったと報じられている短大は確かにターゲットにとって存在自体ががピント来ないものになっているし、
人手不足と法的規制でリストラが困難な現代日本ではリストラされるというシチュエーションはかつてのそれより深刻なイメージを伴う。
また、これに関連し原作者が「心底どうでもいい」と断じた「かわいい制服の私立高校に進むことが出来なかった」という改変も、
それが悪しきジェンダーロールとされていた頃よりも世界的に肯定的に受け入れられている現代的な感覚に照らして、
視聴者がその不条理に共感を得やすい強調表現として判断したのだろう。
ドラマスタッフはこうした現代の状況を鑑みて改変案を考えたのであって、
決して安易に思い付きで改変したわけではないのであろうが、
不幸なことに「原作者はそのような現代化自体を望んでいない」ということは気づかなかったのだ。
原作者が容認していたのは台詞を尺に合わせるとかロケの都合でシチュエーションを変えるとかそういったことであって、
アラサー女性をターゲットにした雑誌であるプチコミックの漫画をそれより若い女性に向けた作品にアレンジすることではなかったのだ。
日テレの報告書はテレビ局のドラマ製作を詳しく分析した希な資料として価値があり、
原作モノのドラマ化に際して改変の原因となる理由をまとめた表(報告書80P)はメディアに関わる人間は一読すべきである。
しかし上記にあげたターゲッティングのズレは言及されず「より面白くしようとするための改変」という漠然とした項目があるのみである。
しかし、このようなドラマに必要な面白さとはなんなのか、そのためにどんなことをするべきなのかということへの解像度の低さが、
返さねぇぞ!