はてなキーワード: かいとは
そのへんのソープで数万もしない性行為ごときや大して高くもない妊娠出産リスクを交渉材料にデカい面して、国防負担、労災負担の男女平等から逃げる女を守るなりきりおちんぽ騎士様がなにかいうてるなあ。
子育てをする動物のメスには、母性神話とは逆に、環境が悪くなると自分の生存を優先して我が子を食い殺す冷酷な行動をする習性が広く見られるが
(母親が死ねば遠からず子供も死んで全て終わりだが、母体さえ生き残れば子供はまた産むチャンスがある、という合理的な判断)
1人1人場所移して絞め殺す判断はできるのに、自分は刃物で手首かいて洗剤ゴクゴクってなんだよ。
隣で首吊れば良いだけなのに。
その日は給料日で余裕があった。
店の中で椅子に腰掛け気だるそうに雑誌を読んでいる店主に声をかけて、サボテンを買った。
レジでサボテンを袋に入れてもらっている間、なんとなしに気恥ずかしさが湧いた。照れ隠しに「プレゼントなんすよ」と言ってみた。
「へえ、誰に?」と店主。
「サボテンはね、人を選ぶよ」。目を合わせず店主がつぶやいた。
きっと喜ぶよ、とか、センスいいね、とか、客商売ならもっと気の利いた一言もあるだろうに、と思ったが、妙に納得した。
「プレゼントです」答える俺。
「なんで?」と彼女。
テンションの上がらない彼女に内心焦りながら「なんとなく、似合うと思って」と言葉をつなげた。
その瞬間彼女の表情がくしゃっと崩れた。
「うける」
笑顔が見れて、ほっとした。
コンビニのプリンを食後に食べながら、彼女とサボテンについて話をした。
店主に教えてもらったはずのサボテンの種類はすっかり忘れた。彼女は「サボテン」では味気ないからと「トゲピー」と名付けた。
そういって彼女は少し前かがみになって笑顔をみせた。彼女は笑うと左右非対称で、右目のほうが少し細くなる。そんな顔が可愛いと思った。
サボテンを買って1年後に入籍。賃貸の更新にあわせてもう少し広い家に引っ越した。もちろんサボテンも一緒だ。
トゲピーに話しかけながら「きょうもいい天気ですね」「チョゲッッ(裏声)」なんて一人芝居をしている妻は微笑ましかった。春の日にはじめて植え替えをした。広い植木鉢にうつったトゲピーはすくすくと成長をした。
それから何度か鉢植えをおこない、トゲピーは俺の腿から腰くらいの大きさになり、妻は2児の母、俺はしがないおっさんへと変貌した。
子どもたちは習い事の合宿に行った夜、久しぶりに夫婦でゆっくりする時間ができた。
晩酌をしながら話をした。子どもたちの話が一区切りついたあと、ふとトゲピーを横目で見た妻がつぶやいた。
「実はいきなりサボテン買ってきて、なんて勝手なんだろうって思ったんだよ」
その言葉に心底驚いた。表情を察してか、妻が続けた。
「絶対お世話するの私だろうなって思って」
ぐうの根も出なかった。実際、サボテンを買ってからしばらく放置していたのは俺だった。水やりも妻がかいがいしくやっていた。
好きでやってるのだと思った、と弁明した。
妻が目を細めて、話をした。
「命だからね。最初は義務感だった。でも、トゲピーって名前つけてから、あなたが時々『お、トゲピー元気だな』とか話しかけてるの見て可愛いなって思ってたの。それと、私が妊娠しているとき、土いじりは危ないからって植え替えを率先してやってくれて、この人とだったら子育てもできそうだなって安心したんだよね」
妻とそんな話をしたことがなかったので、俺はなんと言えばいいかわからず逡巡していた。多分相当変な顔をしていたんだと思う。少し酔っているのか、頬を赤く染めながら妻が続けた。
妻は少し前かがみになってはにかんだ。左右非対称で、右目が細くなる笑顔。
10年以上前に聞いた店主の声を思い出す。人がサボテンを選ぶんじゃなくて、もしかしたら俺がサボテンに選ばれたのかもしれない。そう思うと、トゲピーはなかなか見る目がある。俺はトゲピーを見た。軒先で売られていたころより何十倍も大きく成長した彼を誇らしく思い、ビールを飲み干した。
会社とか趣味とか役に立っていると思われていないと存在意義がないって思ってしまっている気がする。
周りからの「やってよ〜」の圧に「まぁできるしな…」で答えていたらずっと役に立ってないといけないんじゃないかって思い始めてきた。
引き受けてみれば当たり前に文句は出る。納得のいかないことも多々ある。
外からの相対的な反響で作る自己じゃなくて、自分ひとりだけで満足できる精神に戻りたい。
もう生きてるだけで安心したい。
外部のなにかに心の天秤を揺るがす重さを持たせたくない。
昔から求めに行くと総スルーされて、ひとりでもくもく楽しんでると人がよってくるタイプなんだけど。
みんなそんなもんなんだろうか。
最近は誰かの企画や行動に便乗して来たのに色々言う人に嫌悪感を抱き始めている。
便乗するのが楽で、でも口出ししてしまう程度に自己が強い人なんだとわかる。
わかってるけど、なんの責任も持たないで言うだけ言ってでかい面するのはむかつきはする。
伝えないけど。
でもはてぶってそうだよな。私も便乗してるわ。
めんどくさいな〜。
もう全部めんどくさいのかも。
なにも考えないで自堕落に過ごす日々が1週間くらいほしい。
節約+投資で30歳で貯金2000万まで貯めました、とかいう人が講演してた
新NISAで月10万をオルカンとSP500にぶち込めば老後は安泰、という、よく聞くいつもの感じだったんだけど
旅行も行かないし食べ物も質素、家族5人で2LDKの安いマンション住み、みたいな節約術を紹介してて
「ここまでやれば10万を捻出できるので、資産形成しましょう!」
とか言っててドン引きした
「そのお金って何に使うんですか?」
って質問したら
俺は学生時代からずっと楽器をやってて、社会人になっても惰性で続けていた。
楽器は、単音楽器だ。だからひとりでやっても音楽として完結しにくいしあんまり面白くない。だから、いつも何かしらのバンドに所属していた。
バンドといっても、ロックバンドのような4ピースバンドとかそんな感じの規模感のものではない。
ビッグバンドとかスカバンドとか吹奏楽とかオーケストラとかそう言うイメージ。
俺は社会人になってから、いつも平メンバーとしてどこかしらのバンドに所属し、たまに雑務をやることもあったが、大体はただプレイヤーとして参加していた。
地方のこの界隈では俺は割とプレイングスキルがある方で、プレイヤーとして重宝されがちだった。
その一方で俺はめちゃくちゃコミュ障で、活動後の飲み会とかはあんまり参加しないor参加してもすみっこで延々と生ビールを舐めてるだけだった。
ただ、活動の時は割と大人数の中でも目立つくらいに「上手い側」の人間だったからか、そんな感じでも声をかけてくれる人がいたり慕ってくれる人がいたりした。
楽器自体はもちろんアクティビティとして好きだったが、それ以上に対人スキルがなくても人と接するツールとして重要だった。仕事が忙しくてなかなか時間が取れないとき、辞めようと思うこともあったが、そのことを思うと辞められなかった。半ば惰性になっても、続けていた。
20代も後半に差し掛かった頃、ネットで新たにバンドメンバーの募集があった。
そのバンドはこれから新規で立ち上げるバンドだそうで、設立メンバーを募集していた。
そして、そのバンドがやるジャンルが、俺がずっとやってみたかったジャンルだった。
おもえば、長い年月ですっかり忘れていたけど、これがやりたくて、この楽器を手に取ったんだった。そんなジャンルだった。
俺は今までになく熱量を持って応募した。
ジャンルが珍しかったためか、楽器経験はあるがバンド経験がないという人は多かった。このバンドの発起人自身もそう言う人で、とても驚いた。大人になってから楽器を始めた初心者もいた。
楽器経験も長く、バンドもいくらか経験があった俺は、右も左も分からないその烏合の衆に頼られて、俺は初めて「運営側」となってバンドに参加することになった。
運営側って大変だった。
これまで平メンバーとして参加していたバンドで、何となく知ったことや、耳に入ってきたこと、実際自分がやってきたこと、それらの知識を総動員して運営して行った。
まずは実務の部分。最初に会計の整備、予算をざっくり出して会費などが決まったら、名簿や規約の整備、活動会場の選定や手配、地域の施設を利用するための組織登録、連盟(社会人サークルの互助会のようなもん)への登録申請。
ある程度軌道に乗ったら、広報活動。SNSやWebサイト、チラシなどの運用。メンバーはまだまだ足りなかったので、かき集めなければならなかった。募集要項のとりきめ。
演奏が様になってきたら、次は披露する場を設けたい。公民館はその手のイベントを各週末にやるために奔走してる場合が多いので売り込み。他にも自主開催のために箱を手配。また会計、広報、そして楽曲の利用許可申請。
珍しいジャンルのバンドだったためか、ズブの素人から俺のように経験が長いのもいたし、セミプロみたいなのも入ってきて、メンバーはカオス状態だった。
俺はプレイングの面でもメンバーを引っ張って行かなければならなかった。
まず、ガンガン高難度の楽曲に挑戦したい人、易しい楽曲を楽しく演奏したい人、それらの要望をなるべく公約数化してセットリストを作成。もちろん著作権などの権利的に可能な範囲におさめなければならない。
そして、できるひと、できないひと、その人の得意なこと、苦手なこと、把握して、アンサンブルの整理と調整。
俺が今まで1プレイヤーとして肌感覚でやってきたことを言語化したり、音楽理論として頭に入っていることをわかりやすく噛み砕くなどして、わからない人にも伝える。そして、俺よりウエの腕っぷしの人からは、吸収したり、教えてもらったり。
メンバーたちの不満の聞き取り。あの曲は難しすぎて苦痛とか、今回のセットリストは好きな曲が少なくてしんどいとか、あの人の演奏は不快だとか、あの人が臭くてとなりで演奏するのが苦痛とか。
要望の聞き取りもした。こんな音楽や楽曲やってみたいと言う話から、合宿をしたい、BBQをしたい、とかそんなことも。
運営は大変だった。
俺には向いてないな、なんて思うこともいっぱいあった。
でも、ここでは俺がやりたかった音楽ジャンルができる。ずっとやりたかった音楽ができる。そのためなら、円滑に運営を転がすために、そしてできる限り良い演奏をするために、できることはなんでもやった。
色々やっていく中で、俺は成長した。
俺はいままで、「趣味は音楽」と言ってきたが、そうで無かったことに気づいた。俺が今までやってきたのはアクティビティとしての楽器に過ぎなかった。
生まれも育ちも暮らしも楽器経験も年齢も性別も違うまわりの人たちと一緒に、できるだけ「みんなが」納得できる演奏をするために必要な調和。その結果出力される演奏が、音楽だった。と、個人的な感想を得た。
これは、
ぶつかることは多いし、納得ではなく妥協を求めることも求められることもあるし、
アクティビティとしての楽器演奏より、だいぶ不快で、難解で、不合理で、不条理で、とても楽しかった。
次に、対人コミュニケーション能力の向上。
立場上、大きなものから些細なものまでメンバー同士のトラブルに第三者として接する機会が多かった。
コミュ障でもできる相手vs自分のとりあえず共感だけしておけばそれなりに円滑に進む(し円滑にならなかったら切れば良い)人間関係とは違って、
生々しい本音と建前と解決課題がある他人vs他人の関係に目をくばせ時にバンドのために(と言う立場で)口を挟まねばならない状況で、人の心の機微というか、人間の本質のようなものをたくさんインプットした。
このインプットによって、アウトプット=俺の対人技術も、それなりに向上したように思う。
ところで俺は社会人になってずっと、一日VSコードを触るタイプの仕事をしていた。言われたことを淡々とこなすだけと言って差し支えない仕事をしていた。
30にも差し掛かると、同じ会社に居座るにしても転職するにしても、ディレクション側というか、マネジメント側というか、そういう立場への進化を求められる気配がする。
ずっと「無理だなー嫌だなー俺には向いてないしなーでも一生ドカタの最前線(というほど先進企業でもないが)で新しい技術や言語を身につけていかなければならないのもつらい」と思いながらグダグダとitドカタをやっていた。
しかし、昨年、この「趣味」の経験から、「なんかいけそうじゃね?」と思えて、一歩踏み出すことができた。
ほかにも、このバンドで恋人もできた。今までの俺の、卑屈で根暗で斜に構えた人生では望むべくもないような、
強く優しく気立てが良く、心の底を打ち明けられる素敵な恋人ができた。
思えば、俺は趣味自体はずっともっていたわけだが、このように「自分が本当にやりたい音楽ジャンル」に触れた瞬間、人生がこのように切り開いた。趣味も突き詰めれば自分の人生の糧となる。
趣味は素晴らしいよ。はてなのみんなも、斜めや上から構えたはてな特有のセンテンスで集めたスターも確かに人生の素晴らしい糧ではあるが、
外に出て人と接する趣味もまた良い。
それはもちろんそう。
幸いにして、子どもの学費、生活費、それだけは二人がいつ死んでもいいように備えられてる。
だからこそ、嫁を口説き落とせるだけの説得力を付けていく必要はあるのよな。
放散痛(ほうさんつう)とは、痛み原因となる臓器の場所とは違うところに感じる痛みのことです。 例えば、心臓の病気である心筋梗塞のときには、胸だけでなく腕や肩、首にも痛みを感じることがあります。 これは、体の中の神経が互いにつながっているため、ひとつの場所で起きた痛みが他の場所にも伝わって感じられるからです。(ユピー病気のQ&Aから)
例えばさっき金玉がかゆくてかいてたら、口の右あたりの頬がピーンって謎の感覚がきた
いろいろある
関連痛ではない、両者に神経以外の関連はないと思う
そっかー。
650万ね…
そうなるとそこそこ下がるけど、
今の上の世代で60前後で給料減らされたり、冷や飯食わされているのを見ると
上場企業に入ったからといってずーっと安泰です、ってわけじゃないし
運とタイミングの話もあるんよな…配属ガチャだって今思えばその通りだし
受験戦争もそうだけど、いつまで戦いを続けなきゃならんのかい。
50まで?60まで?はたまた70まで?
残ってても未来が無いな、と思うところもあるねんな…
だんだんなんか蒸し暑くなってきたわよね。
なんか1回洗濯機の洗濯槽もの凄く取り外して掃除したいような気がするんだけど、
いっぺんちゃんとあれ洗濯槽は定期的に洗浄剤入れてやってるのよ。
だけど長年使っているとやっぱり洗濯機もくたびれてくるので
まあ壊れない限り替えることはないけれどちょっと気になるわね。
洗濯槽を取り外せないので、
取り外せなくても言い洗濯槽の洗浄方法ってなにか動画を漁れば見つかりそうだけど
見付けたら見付けたで大変そうな予感なので
わざわざ自分がそんな大変なことに頭を突っ込まなくて済むように
あれって多めに入れたところで
すごい綺麗になる度合いがアップするわけでもないでしょ?きっと。
だけれど
なにか多めに入れちゃいたい気持ちもあるし、
洗浄力が期待度がアップするような綺麗になるような気がするのよね。
そんな気がしない?
まあいまの洗濯物の仕上がりに不都合がある事実がるってワケじゃないけど、
1回綺麗にしてみたいな!って欲望がありのままにひしひしと沸いてくるのよ。
これから、
ふと思ったけど、
ちゃんと濯げてんのかしら?って
なんか信用できない気がして
私だけ?
たぶん、
すすぎ1回モードと通常すすぎ2回運転とで洗濯物を乾かしてどちらの仕上がりが良し悪しを
鈴木さんに鑑定いや判定してもらっても
どちらが1回か2回かって区別がつかないと思うの。
効率とか時間とかそう言うので計るんじゃなくって結局自分が気持ちよくお洗濯できたかっ!ってことに重点が置かれる重要なポイントである論点なので
そこは論点ずらしは避けてやめて欲しいのよ。
今まだ梅雨入りしていないので、
たぶん薄手のブラウスとかシャツとかは洗ってもそんなに差し支えなさそうだし、
どーも信じられないけれど
信じてみる!
うふふ。
最近帰りが遅くて
ちょっとギリギリまで寝ちゃいがちぎみな日々が続きがちなのよね。
たまにはそれも良いとしましょう。
飲みきってしまってスッキリとした味わいの爽やかな緑のグリーンの香りが口の中に広がるわ。
またなにかこしらえないとね。
だんだん暑くなってきたので
水分補給はまめにこまめにね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!