はてなキーワード: 学説とは
(追記)
ありがとう、助かる。
どっか落としてるだろうとは思ってたが、仕事終わりに自分の文章なんかマトモに読めねえんだよな。
句点イレル。そういや同じ現場だった校正者もよくやらかしてたな。元気してるだろうか。
「一番最後」はママで。副詞的用法だと「ぶっちぎり」みたいなニュアンスを感じるから、おっしゃる通り強調表現の範囲内として個人的には違和感ないかな。もちろん要指摘事項だが。
“?”の後ろに文章が続けばスペースあり、後ろが “」”の記号ならスペースなし、“これはいったい何年前の学説なんだ?って” と促音でもスペースなし、が校正ルールってことかなーと思いながら読んだ。
だいたいそう。最後の場合はスペース入れる表記ルールも多いけど、俺は一文としてつながりがあるならアキなしの方が好き。
校正って、文章の体裁を整えるだけじゃなくて、内容のチェックも求められるじゃん。
そこまで求めるのかって思うわ。
この前もゲームの歴史みたいな本が、事実と違うって炎上して回収騒ぎになって、校正は何をしてるんだって出版社が文句言われてたけど、こそまで調べられるなら著者に書かせないで出版社が自分で書くだろっていつも思うわ。
文章の体裁を整えるのは校正で、事実関係の確認や内容に踏み込んだ指摘をするのが校閲であり、それぞれ別の仕事である……ってのは大昔の話。
写植がなくなり、ネットが普及した今じゃどっちもやるのが当たり前になった。
校正しろって言われても最低限の事実確認はするし、校閲しろって言われても行頭二分アキ折り返し天ツキー、だ。
現代じゃ校正も校閲も業務自体はラクになったんだろうが、そのぶん求められることが増えた。どっちの方がマシなんだろうな。
ゲームの歴史も、あんだけミスがありゃ業界素人の校正者でも1個や2個ぐらいは事実との齟齬を見つけてたかもな。でも「校閲は何をしているのか」って増田にも書かれてるように、校閲者のひと声で進行がストップするなんてまずありえない。
「じゃあAIでいいじゃん」ってブコメがあったが、全くその通りだと思うぜ。
(本文)
なんか一瞬だけ校正が話題になったらしいがな、あんなんロクな仕事じゃねえ。
俺はこの業界に入った直後の飲み会で「この仕事、20年くらいで頭おかしくなって失踪しちゃう人多いから気をつけてね」って笑いながら言われたぞ。
俺はあと何年もつんだろうな。もう壊れてるかもな。
だいたい、どこのどいつがしょーもない誤字脱字を見つけられて感謝するんだ。
「いやいや、自分は感謝している」ってか? 嘘つけ、とんちんかんな指摘が来たら逆上してSNSにアップするんだろどうせ。指摘がとんちんかんかどうかも出版社や著者によって変わってくるんだからな、まったくやってられねえ。
ある案件で鉛筆を入れれば烈火のごとく怒られ、ある案件では鉛筆を入れなかったことにねちねち詰められた。
あの時の判断はどっちも間違ってなかったって、俺は今でも思ってるけどな。
一番クソなのは表記統一だな。あんなの気にする奴なんかいるか?
「つながる」だろーと「繋がる」だろーと、混在してようがどっちでもいいだろ。
一文中の漢字と仮名のバランスガーとかそんな高尚なもんじゃなく、単純に気にして読んでる奴なんて誰もいねえんだよ。
「繋」は俗字だから直せだと? うるせーな、てめえは校正者か?
今どき「繫」を使ってるメディアなんかねえだろ、たぶん。
著者をキレさせて、読者にそっぽを向いて、出版の奴らしか気にしないようなエセルールを厳守して満足してるわけだ。
ダーシや3点リーダがひとつだろうとふたつだろうと、どうでもいいんだよ。
誤脱拾わせるのなんてWordにでも任せとけ。
「非常に複雑な判断が求められるからAIには無理」とか言う奴も多いから聞かせてもらうけどよ、人間の脳みそって本当にAIより出来がいいのか?
俺にはとてもそうとは思えねえ。あと5年か10年もすりゃ余裕で超えるだろ。
うさんくせえアフィ記事の段落ひとつをまるまるコピペして、ちょろっと表現変えただけでファクトチェックは全部ぶん投げるクソライター。
専門分野より先に日本語を学べってレベルで主述関係がメチャクチャで、挙げ句の果てに自分とこの専門用語さえ間違えてるクソ学者。
そんなものにセコセコ鉛筆入れてるこの仕事も、ロクなもんじゃないに決まってる。
AIはファクトチェックができないって? なるほど、どうなんだろうな。
だが、専門家でもない俺らのファクトチェックなんざ、たかが知れてるだろ。
どうせパソコンかたかたやって、ネットのマトモっぽいサイト見つけて「うーん……これはたぶん公式!」って適当な認定して、そこから情報がきちんとコピペされてるかチラッと見る……やっぱもう5年か10年もありゃ、普通にAIでもできそうじゃねえか?
「××駅から徒歩10分!」とか書いといて、GoogleMap見たら30分はかかりやがる。
俺ら御用達のコトバンクだって、これはいったい何年前の学説なんだ?ってのがザラにあるじゃねえか。
だが校正ってのはとにかく時間がねえ。出版ルートにおける一番最後、要するに下水道だ。
著者がなかなか書きやがらねえ。編集がなかなか回してこねえ。そのくせ締め切りは動かねえ。ならどうするか? 校正の時間を削るんだよ。
つまり一番どうでもいい工程なんだってことは、出版業界の共通認識なんだろ?
ブルシット・ジョブよりタチが悪い。
若者の台詞なのに「これはら抜き! い抜き!」とか鉛筆入れてる初校を見ると「バカかテメェは?」とか言いたくなるんだよ。
そんときばかしは著者に同情するな。「あの校正者をクビにしろ!」とかクレーム電話の1本や2本入れるかもしれねえ。
仕方ねえから初校にフィードバックすると、すげえ不満そうな顔されんだよな。
正しい日本語ってなんだ? それは著者の表現したいものより大切なのか?
著者の頭の中にある世界を、誤字脱字なんか余計なノイズなしに、そのまま100%伝えるんだって。
気づけば俺は、「十年と一〇年で表記がユレてます」なんてクソどうでもいいことばかり憧れの作家に抜かしてるわけだ。
でも仕方ねえじゃねえか。
木っ葉校正者の地位なんてカスみたいなもんだから、身を守るには野暮な指摘を入れるしかねえんだよ。
「私はちゃんとここに気付いてますけど、あえてママにしているんですよね?」ってアピールをしとくんだ。
誰だって入れたくねえよ、こんな鉛筆。でもそうしなきゃ、いつ契約を切られるか分かりやしねえ。
正直な話、俺は小説より漫画が好きだからよ、いつもジャンプのことを考えてるんだ。
暗殺教室知ってるか。あれに有名な誤字があるんだ。
「転んだ」が「殺んだ」になってるってやつな。
俺は今でも、あの41話をチェックした人のことを思っている。
そんなクソ盛り上がるシーンなんだから、松井先生もそりゃお得意の言葉遊びをするだろうさ。
俺がもし「(念)この『殺んだ』は『転んだ』の誤表記ではありませんね?」なんてお伺いを立ててる奴を見かけたら、もう絶叫しちまうよ。
当たり前だろ。マジで冷めるから鉛筆だろうと死んでも入れるなよ、そんな指摘。
ところがどうだ、実際はマジの誤植で、編集部からお詫びまで出た。
いったいどうするのが正しかったんだろうな。
やっぱり指摘をしとけば、防げるミスだったんだろうよ。
でもな、答えを知っちまった今でも、俺はやっぱり「殺んだ」をスルーするのが一番だと思うんだ。
たとえ校正者として間違った態度だとしても。
「私はあなたとあなたの作品を信頼しています。だからこの表現には何も指摘を入れません」
そういう仕事をしてえよな。
ただまあ、もう一つだけ欲を言えば、俺が恐縮しながら入れた鉛筆が、作品の世界をちょっとだけ広げることにつなげられたなら……。
いいや、それは下心がありすぎだ。何様だよ、お前は。
だから俺は明日も結局、ホームページ代わりにインスタを使ってるオシャレ飯屋に悪態をついたり、聞いたこともねえ企業が前株なのか後株なのかを必死こいて調べたり、シャーペンの先っぽで一字一字ゲラの文字をぷちぷち押さえたりするだけなんだ。
誰にも求められてない仕事のためにな。
ああ、クソッタレ。
世の中には三つの話があると思っていて、
1.倫理学や人類文化学や政治学や法学等を含めた、専門家が調査や学説や歴史等に基づいて、学術的な定義を積み重ねて行う学術的議論(これは体系的な知識が必要で、素人が簡単に参入できない)
2.データや文書や遺伝子検査血液検査などの単なる事実の集合(+専門家による解釈)
で、いわゆるオタクやネット民は1と3を混同した話し方をしていることがよくあるので物凄く気になるんだよな。
1と3は明確に相容れないものなので。
正義とは何か、差別とは何か、などの議論は基本的には1の領域である。
なぜならネット民は差別に関する定義の変遷、思想の変遷、歴史や諸問題、学説、論文、法制度、各国や各種団体の対応、社会問題に関する体系的知識を専門知として得ているわけではないから。こういった学説や論文は査読や批判反論、再反論など長い道のりを経て、洗練されてから1つの学説としてのポジションを獲得する。
オタクの言う「定義」は、『その辺の人が特に専門的体系的知識もなく関係ないまま、ただ個人的になんとなく考えてたこと』だったりするので、こんなネット空間に触れていたら大衆の知性がどんどん落ちていくのではないかと危惧している。
内容が「人による」「人の考え方次第」の域を出ない素人談義にすぎない。1なら定義はズレないし内容が人によるとか人次第にはならない。
議論が可能な程度に統合された意見ではない。単なる積年の感想だ。
差別という言葉を日常的に聞いたことがあって辞書で引いたレベルの知識量で適当に使ってるだけの耳学問だろう。
専門家は123を完全に区別して使っているが、ネットの有象無象は123を混同しており、そんなネットの有象無象の意見をさらに参照・引用して(例:HNマスダ氏は○○○を唱えているが、のように)メチャクチャなネット談義が活発に行われている。
誰の判断なのだろう?この人の?個人的にいいと思う、悪いと思う、こう思う、なら分かるのだが、ここでも断定されている。
1と3が区別できてないのだろうと思う。
そこを取り違えて自分たちが行っている安全のための差別をさも自分たちが正義かのように語るのが危険なわけでさ。そうして差別は拡大していくんですよ。
拡大するかどうかにつき、この人に差別史の知識はないだろう。やはり、1と3が混同されている。
この後も似たような語調が続くのであるが、
例えばすでに存在する学説の引用であるならまだわかるのだが、市井の人がなんとなく自分なりに定義することや感想を持つことを、定義とは言わないし、見解とは言わないのだ、ということをネットに親しむ人は分からなくなってしまうのではなかろうか。
人の認知は必ず歪むし人は利己的である。3のように誰でも思ったことを言うだけなら、マッド気質の人が殺人の自由を主張することだって意見になってしまうし、適当なことを意見として言うことも可能だ。定量化もされていないままの意見は議論にはならない。
だから、3は3として、体験や感想は体験や感想として重視され尊重されるが、1とは区別しないと社会全体がまともな議論のできない国へと変わっていってしまう。
その社会的な損失を考えると頭が痛い。
燃やすという単語もそうだが、オタクやアンフェミども、真面目に教養がない。
大学レベルの社会科の知識がない。どころか、中学生レベルでも怪しいやつしかいない。
本も読まないから下手したら小学生レベル。亜種で論文だけ読んでるが社会科の知識はない基礎なしタイプもいる
彼らの意見のほぼ全てが、検索避けをしましょうとか推し活のタグの使い分け?とかそういうレベル、いわゆるオタク文化のローカルルールにすぎず、常識がない
法や社会科や倫理といった実社会のルールや学問からはとんでもなく遠い床屋談義ばかりで驚く。そらツイフェミと会話なんかできるわけない。
一般女性ツイフェミは大学で授業を受けたり学術的なジェンダー本をよく読んで勉強熱心だし、そもそも大学教授や研究者がツイフェミの走りだし
いわゆる女性蔑視的な法クラや学者先生はまだ会話できるだけマシなのだが、古代人は女性が採取をし男性が狩をしていたという説やフロイトを見てもわかる通り、大昔の女性蔑視に染まった学説を支持していたりするだけで、批判の対象とはなれど、デタラメを言っているわけではない
これが売れている理由は分かる。
世の中には、YouTube広告のダイエットサプリとか、金運が上がる方法とか、そういうのに金を落とす連中がいる。
この本の内容は、古今の自己啓発書に書いてあることの、ほんの表面だけをさらったようなもので、何の新規性も無い。
で、そういう誰でも書けそうな薄っぺらい内容を、全く無関係な学説や史実で権威付けしている、ソーカル論文みたいな本である。
適切なデータを示さずに学説の奇抜さを競ってる社会学系の学者・評論家とか
疑似科学でも何でもいいから児童に自分たちの思う道徳を押し付けたい教育業界の人など
とりあえずおつかれ
試験も、勉強してた1年間も、どっちも大変し、できるかぎり頑張った。
でも、多分今年もダメだと思う。
試験はそもそも適切な解決ができなかった、論点の記述が不十分だった、考えやその道筋を上手く書けなかった。思うところは色々あるけど総じてうまくいかなかった。
めちゃくちゃ悔しくて多分、今が一番後悔の気持ちが強いだろうから今の気持ちをとりあえず文章として書き出してみようと思う。
冷静じゃないし正しいかどうかはわからないけど今のそのままの気持ちとして。
文章に吐き出してスッキリして、それで片付けちゃだめだぞ。何回も思い返して心に刻んで、そんでまた頑張れ。来年は絶対に受かろう。
司法試験は前に一度受けた。
院しかしらず試験を受けたから自分が全然できなくてきつかった。
だから1年は家で復習したら思い出すし定着もすると思ってた。
自分なりに適度に勉強して少しずつできるようになってる気がした。
成績が良くないのはもちろん、添削のコメントに出来が不十分なのではなく、そもそも答案としておかしいという趣旨のことが書かれていた。
しっかり絶望した。
勉強しようと思ってもこれまでの方法ではダメだってことばかりが浮かんで集中できなかった。
このままでは落ちると思うとずっと怖かった。
周りの人と差がどんどん広がる。一人取り残される。
そんなことばっかり考えて試験を迎えた。
①短答式
民法の問題はごちゃごちゃしたしてる。冷静に考えればわかる問題も試験会場でやったらすんなりいかない。
家で合格点とれるかなレベルじゃ全然ダメ。もっとスラスラと出てくるようにしなきゃ。考えてたら間に合わなかった。
特に憲法は論文で問われない範囲や事案に則した細かい判例の構造、言い回しが重要なのにあいまいな理解でわからなかった。
統治分野については全くと言ってもいいほどわからなかった。他の法律とちょっと違うから感覚が通用しなかった。
刑法は対立する自身がとらない学説について理解が不十分で思い出す時間が無駄だった。
②論述
必要ないことまで書いたせいで無駄に時間がかかって、結局いびつな解答になってしまった。
これは3つ理由があると思う。
1つ目は論点に対する知識自体が偏っていて、その結果として答案のバランスも崩れてる
結果的に、問題の事案について不十分な検討のまま、知ってることを一方的に吐き出すだけの答案になってしまった。
他にも単純に論点についての知識が不十分だったから正確に解決できない部分があったり、条文に引き付けて記述できなかった。
もう少し勉強してたら出来たところがいっぱいあった。
もっとやればよかった。
くやしいんだけどもう遅い。
全部終わってる。
これまではわからない論点をただ覚えて理解してる気になっていた。
ちょっとばかし論点を知ってるだけで勉強した、わかってる、そんな気になってた。
はずかしい。全然足りない。
問題を解くためのには事案の分析して、結論までの道筋立て、そこで問題になり得る点を判例の考えに当てはめて解決しなくちゃいけない。
自分は頭が良くないから事案の分析には十分時間を使いたい。そのためには判例の知識をいつでも素早く引き出せなきゃいけない。
道筋を立てるのも苦手だから事例の答案例の流れを見て、実際に手を動かして染みつかせるしかない。
判例の事案を覚えて検討・解決の手順のバリエーションをストックするのも必要。
・今年やること
まずは、まだまだ足りない判例や学説の知識を正確に抑えて素早く正確に引き出せるようにならないとだめ。
判例なら事案の内容、解決へ流れの把握、問題点とその判断方法の理解。
このときの理解は判例の言葉の意味と論理をしっかりと抑えること。それがスラスラ出てくるようにすること。
これは学説も同じで言葉や概念を正確にとらえ問題点についてそれらの概念を扱って論理な思考回路をスラスラと追えるようにする。
学説の場合には対立する説も同じように理解するべきだし、両説の異同、とくに結論の違いの把握は必須。
次にそれらの個別化された論点や理論が検討すべき異なる事例においてどのように適用されるか使い方を自分の頭で考えて、手を動かす。
そうじゃないと実際の問題解決に役立たない別に事例、もしくは抽象的な話しかできなくなる。
これは頭が良くない自分にとって一番重要というか難易度が高いように感じる。
・今の気持ち
やることは概念を正確に理解して問題の解き方を学んで、自分でも使えるようにする。より速く正確に。
なんだか書いてたら結局は勉強の当たり前のことばっかりになってしまった。
試験を受ける前も試験を受けてるときもどうしようもなく苦しかった。
でも試験前のどうにもできない、何もできない苦しみは少し減った。
うまくいくかわからないけどやってみようを思えることは出てきた。
ちょっと前向きにはなった。
来年の試験までは今年と同じような道を歩まないようにここに書いておく。
途中から思いつくまま書いててよくわかんなくなった。
この辺が頭の悪さを表してる。
文章もスッキリしてまとまったのなら、気持ちもやることもスッキリして頑張れてることを期待する。
県営プールの水着撮影会、埼玉で「18歳未満の出演禁止」検討…学説では水着は「衣服」
https://article.auone.jp/detail/1/2/2/162_2_r_20230617_1686996641728704
中止要請は過剰な介入
刑法が専門で青少年保護に詳しい園田寿・甲南大名誉教授に水着撮影会を巡る問題の受け止めを聞いた。(聞き手・伊賀幸太)
撮影会には、刑法や児童買春・児童ポルノ禁止法違反は見当たらない。判例に従えば、性器などが見えない限り「わいせつ」ではない。学説上、18歳未満の水着は「衣服」と理解され、水着姿の写真自体は児童ポルノに該当しない。
つまり、犯罪とはいえない水着撮影会をどう規制するかがポイントとなる。
子どもの自己決定権は子どもの権利条約で認められている。出演を強要した場合などを除き、イベントに参加したいという個人の意思は尊重されるべきだ。中止要請は「過剰な介入」と言わざるを得ない。将来犯罪が起こるかもしれないという理由だけで、表現の自由を制約することはできない。不当な手段が見つかった時だけ中止にすればいい。
科学コミュニケーションとか陰謀論の否定コストみたいな話だな
陰謀論者というのはYouTubeや個人ブログで30分くらいで得た知識で理論武装しており、それらを作る人もそもそもデタラメなので誰でも適当に30分で書ける
学問について正しく想像できないし、知識を持たないために学を軽視しており、自分は正しい知識を持ってると強く思い込んでいる
専門家は20年30年かけて体系的に学んでおり、新情報をキャッチアップし、知識や経験にかかった時間は数万時間にも及んでいたりする
話すのにも考えるにも調査を経て、細かな学説や議論にも配慮し正確性を担保しようとするので、何時間も何日もかかることもざら
一言だとしてもそこには数万時間分の本が何冊も書ける知識が背景にあるのをギュッと縮めて喋っている
前者は、相手に「自分が理解できるくらい分かりやすい範囲での短く明瞭な反論」を求めている
こいつらの言う「具体的」とはそういう意味
なんとなく自分が納得感を得られるかどうかという判断基準で会話を進めようとする
専門家の反論というのは基本的に膨大な体系的知識を前提にしないと読み解けず、高い科学的リテラシー(人文科学含め)が読み手に求められ、不明瞭でわかりにくく、短い説明でも何十万字の長い説明の部分的な切り出しの要約にすぎなかったりする
専門家同士だと互いに短い質問ややりとりでも相手の知識量を判断することができ、前提知識は共有済みなので、それなりに短いやり取りで議論が成立する
無学な人が雑なネット知識で考えた何の時間もかかってないどうでもいい陰謀主張に専門家が反論しようとしてるときというのは、何時間も費やして丁寧な検証やデータに基づく反論をすることを求められるという非対称性がある
しかもそれを仮に実行したところで、説明の量はとんでもなくなることもあり、陰謀論者の求めてるど素人にも分かりやすくてバカに納得感のある説明にもならず、かけた労力に見合う効果は全く得られないという話
「誰がやっても同じ結果になる」ってこと
主張じゃなくて、実際に起こることだから、世界のどこで誰がやっても同じ結果が出る
でないと電気を作り出したり家を建てたりできない
でも宗教は再現性がなく、これをやれば同じ結果が出るって訳じゃない
客観性というのは、過程や結果が誰にでも客観的に観察ができるということ
「死んだら輪廻転生する」ということを、誰もその過程や結果を観察できない
その点科学はちゃんと誰が見ても過程や結果が分かるようなものが学説となる
そりゃ後から覆えされるのもあるけど、それはその過程や結果の観察が足らなかったとか、学説の立て方に穴があったとか、そういう場合
でも科学の世界は厳しいから、論文の査読はもちろん、実験で客観的に観察できるか、再現性があるか厳しくチェックされる
でも宗教はそんなことしないんだよ。
ここでの「ゆっくり解説」の定義:ゆっくりボイス又はボイロを使って解説をしている、まんじゅうが居なくても良い
「ちょっと調べた」とかコタツ記事のレベルを超えてるゆっくり解説をまとめる
他にあったら教えて
(なんかYoutubeへのリンクが貼れなくなってる?量多いからかも)
三崎律日/Alt F4 著書持ち ニコ動からやってて有名なので今更かとは思う
カカチャンネル こちらもニコ動からやってた古参、最近は起業家の話とか調査報告書の解説もやってる
@cakachannel
この人の動画は雑学というレベルではない、地理x人類史が非常に面白い、参考にした本もたまに教えてくれる
@GeoYukkuri
著書持ち、ざんねんないきものブームの火付け役(で合ってる?)クセは強いが投稿頻度がエグい
@henchrou
@RuiScience/
@9wari.zatugaku
ちょっと得するゆっくり学園 茶番でゆるいと思わせておいて内容は結構しっかりしている
@yukkuri-gakuen
うわさのゆっくり解説 ここもクセ強いけど内容が濃い、40代以上に結構刺さる内容が多いかも
@uwasa33
リーキのゆっくり世界解説 他であまり扱ってないような地域雑学ネタが豊富
@user-gb9ku2pk6m
@doboken
俺の世界史ch 世界史に影響を与えたランキングは完結するのか!?
@myworldhistorych
@user-tl9xk9wz3p
@user-lg3merasikyou
@mond_hitorica
よつばch
ひたすら家系図出して偉人達をいじる ハプスブルク家と女帝ソフィアが好きになる、笑える系
@yotsuba-ch
ちょっと毛色が違うけど、テレビではあまり見かけないような手の届くレベルの部屋紹介が多いので面白い
@YukkuriFudosan
@_anariso_
ーー
進化生物学chも好きです、ちょっと難し目だけど、性別がどこから来たのかとか好き
個人的に解説系は作業用BGMになってる、けど上にあげたチャンネルはたまに作業妨害してくる、地理の人とかすごいよ
最近解説系の最初に「間違ってるかも」って言う人減ったね、あれニコ動の文化かな?
間違いは沢山あるだろうからコメントも読んだり優しく指摘したりしよう、1人でやってるだろうしまあ間違うよ
ゆっくりするところ 事件事故系を淡々と話す、趣旨と違うかと思って除いたがほぼ全部見てる
ゆっくりゴシップちゃんねる この人も古参だよね、日本住血吸虫の解説は個人的に一番良かった
サラセツチャンネル 事件事故炎上の解説だけど、皆の注目が去った後どうなったかを解説する、意外な発見がある
あとしくじり系は後発で沢山出たよね、ただどうしても煽りが強くなるから結局カカチャンネルに戻る
日本史が入ってないことに気づいたけど、やっぱり前提知識が問われることが多いんだよね、そんな中、縄文系解説は学説がどんどん変わってるみたいで面白い
雑学系より時事ネタが多いけど、ずんだもんの有名どころってだーまめあたり?
八甲田山遭難事件で何があったかとかちゃんと知らなかった、地元なのに
思い出したけどニコニコだといつかやる社長良いよね、奇人変人偉人シリーズおすすめ
イーロン・マスクがテスラ社で成功してTwitter社で成功しなかった理由は、テスラ社とTwitter社では適切な行動(リスクの取り方・試行錯誤のやり方・リーダーシップスタイル)などが異なるのに、テスラ社と同じ仕事のやり方をTwitter社でもやっていたことだと思う。
「古いガソリン車企業(トヨタやGM)に挑む革新的なEV専業ベンチャー」という立ち位置の企業だ。
なので、
SNS業界ではトップ企業に近い。自動車でいうとトヨタ。なので、
企業の立ち位置が違うのだから、それに合わせたリスクの取り方・振る舞いをすべきだったのに、マスクはしなかった。
結果として世界規模に影響を与えるSNS企業のCEOとして評判を毀損したし、それがTwitter自体の評判の毀損にもつながったと思う。
事業の肝は物理的な仕組みだ。EVの走行システムやロケットの打ち上げシステム・機体など。
物理的な仕組みに対しては実験がやりやすい。何かを試した後もとに戻しても物理特性や反応は変わらないからだ。コイルの巻き方を変えて性能が下がってので巻き方をもとに戻したら、物理法則が変わって、変更前のパフォーマンスに戻りませんでした、とかはない。
なので、テスラ社では、アナウンスなしで、矢継ぎ早に、いろんなことを実験するのが、試行錯誤のやり方として良い、ということになる。
事業の肝は「TwitterというSNSを多くの人が使ってくれること」だ。
なので実験をやるなら気をつけないといけない。人は実験したあとにもとに戻しても、前と同じ反応を示すとは限らないからだ。例えば、API連携をほぼ廃止した後ユーザーの反応が思わしくないので廃止前のAPI連携に戻します、といってもユーザーは廃止前と同じように行動してくれない可能性が高い。
なので、Twitter社では実験をする前にユーザーにしっかり説明する必要があるし、あまり色んなことを矢継ぎ早に変えるのは良くない、ということになる。
マスクはテスラ社でやったようにTwitterのサービスに「実験」を重ねた。うまくいかなければ元に戻せば良い、と考えている節がある(急に変更を戻したりするので)。
でも、人間相手のサービスでは元に戻しても行動はもとに戻らない可能性が高い。結果的にTwitterというサービスが「信用できないサービス」とみなされつつあり、そうなってしまうと実験前のサービスに戻してもユーザは戻らない可能性がある。
リスクの取り方とも関係するが、先進的な(リスク許容度が高い)ユーザーが選んで買っているテスラと違って、Twitterはユーザーの幅がとても広く、リスク許容度も様々だ。そこを見誤ってしまい、ユーザーが感じるサービスの信頼性を下げていると思う。
適切なリーダーシップの取り方は組織の状況によって異なる、という学説がある。とある組織で有効なリーダーシップの取り方も、他の組織では有効ではない、ということ。
組織とリーダーシップの相性を診断するやり方としてフィードラーモデルが有る。 3つの観点から組織を見て、「タスク志向型」「人間関係志向型」の2つうち、どっちのリーダーシップが適切かを判定する。
マスクのリーダーシップスタイルは、一貫して、指示型でタスク志向型に見える。
つまり、権限委譲せずにメンバーに対してやることを指示するし、人間関係よりも組織としてタスクをこなすことを重視する。そしてハードワーキングを求める。
さらに、社員のモチベーションは高いしハードワーキングに対する許容度も高い。わざわざベンチャー企業に就職しているのだから。
なので、テスラ社ではマスクのリーダーシップが機能したのだと思う。
加えて、社員のモチベーションは様々だしハードワーキングへの許容度は低い。Twitterが好きで入社している人・給与が高いから入社している人・安定しているから入社している人……色々な人がいるから。
結果的に、マスクのリーダーシップスタイルは全く機能しなかったのだと思う。
マスクはTwitterのCEOとしてリーダーシップを発揮するためには、もっとメンバーの心情に寄り添ったり、チームを心理的にまとめる行動を取るべきだった。
でもマスクはテスラ社やスペースX社での成功があるので、変える必要を感じなかったのだろう。あるいは人間関係志向型のリーダーシップを取れないのかもしれない。
アトピーで幼児期質の高い睡眠がとれなくてハッタショになるんじゃないか。
てな学説を聞いたことがないので、これ思いついたのって俺が最初?と優越感に浸ったが、すぐにむなしさがやってきた。
何々だから何々だ、みたいなあるものとあるものを単純に因果関係で結びつけた形の主張を素人がして評価された試しがない。
そんなの誰でもできることだからだろうね。因と果の考え得る組み合わせの一つを上げたに過ぎないものなわけで、それならそもそもコンピューターの方があらゆる組み合わせを求めればいいだけなので優れている。
数学のなんとか予想もその内容の形式何々だから何々というものであることに変わりはないが、数学のそれの場合や因や果として提示する数式に職人芸が光っていて、コンピューターなぞで導けることでないから、たとえ予想でも評価されるんだな。