はてなキーワード: 私の運命とは
この疑問は私の心にずっと渦巻いていた。
そして、ある日、奇妙な夢を見た。
騎乗の男装の麗人がバラを咥えながら必死の形相でギャロップしながら近寄ってくるではないか!
私は彼女に何か恨みでもあるのだろうか?
それとも、彼女は私に恋心を抱いているのだろうか?
彼女は馬を止めて、私の前に降りた。
彼女の顔は真っ赤で、目は潤んでいた。
彼女は恥ずかしそうに言った。
「あなたに伝えたいことがあるのです。私はあなたが大好きです。ずっとあなたを見ていました。あなたと一緒になりたいです。どうか、私の気持ちを受け入れてください」
「あなたは私の運命の人です。いつか必ずあなたを幸せにします」
そして、彼女は風のように去っていった。
それからと言うもの、借金を繰り返しては酒とドラッグに溺れる日々であった。
「ちくしょう……! なんで俺がこんな目にあわなきゃいけないんだ!」
それはとあるカジノのスロットマシンから出てきた一枚のコインだ。
(これよ!)
そして彼女は悟った。
自分はこの為に今まで生きてきたのだと。
ギャンブルをやめ、真面目に働くようになったのだ。
やがて彼女は億万長者となった。
だが、それだけでは終わらなかった。
それもただ買うのではなく、自分の運気を上げるために風水や占いを勉強し実行した。
また、当選番号を見るだけで的中させることが出来るという占い師の元に通い詰め、ついには自分だけの特別な能力を手に入れることに成功した。
しかし、それでも満足しなかった。
もっと大きなお金を手に入れなければ……! そう考えた時、彼女の頭に名案が浮かび上がった。
彼女が思いついたのは、かつての勝利で巨万の富を築いた亀が主催するレースだった。
そこで一着になればどれほどの大金を稼げることだろうか? そう考えるといても立ってもいられなかった。
すぐにでも準備に取り掛からなければならない。
私はこの世界を作りこの世界の法を敷いている創造主のことを信仰していないのだなと気づいた。創造主はただの創造をした人であり、それだけの特に担ぎ上げるような、何か頼りになる人間ではないのだ。
私がこのようなことを言うのは、私が中学生の時に負ったトラウマ故である。私は時の巡り合わせで治安の悪い学校で嫌な思いをし続けた。それで自分はそこで真面目な生徒としてやって来た(まあ怖い先生がいたのもあるが)けども「悪魔」は私の心をすり減らした。そして一時自傷行為に走った。
学校を卒業した後もトラウマは残り、他人への不信感なども残った。そしてそのトラウマを逆撫でするような理不尽なことも少なからずあった。そして、それに対し現実を受け止めろといった人もいた。
私はその度に法を敷いた想像主を憎んだ。想像主は最初から私の運命を予定されて、辛く惨めに恥をさらして生きることを天下世界に公約したのだと。私はその創造主を殺したいと思ったし、その殺意は自分を合理主義や快楽主義に走らせた。創造主すなわち神は石ころのようなレゾンデートルと同じく本当に絶命しろと呪った。
しかし不思議と私は神社にお参りすることは続けたし宗教は否定しなかった。単なる世俗的行事とか、精神的行為として考えてたのだろうが、不思議とそれが私の創造主殺しと矛盾すると考えなかったのだ。
とはいえ結局これが私の心のなかで完結している、人に説明できない事象としてあり続けるのも違和感はあった。そしてその違和感に答え違和感を解消したのは遠藤周作の本であった。自分の心の中の「妄想」を語ってくれて名誉回復をしてくれた気分であった。「海と毒薬」「沈黙」では信者の信仰上の苦悩や矛盾を唾棄する世界の法やそれに対するキリストの愛を語った。「イエスの証人」では、卑怯な世界の法を変えられずとも、広く深い満ち溢れる愛を振りまいてきたキリストの姿を描いた。そして、「深い河」では何者をも包摂する存在が残酷な法理の世界にもあることを示してくれた。
私はそれらを読んで、私が創造主を憎んでからも、心の縁としていたもの=神の正体を知り安心した。
今はコロナ禍という創造主がずけずけとでしゃばり図々しく存在を示すことが出来て下品な笑いを上げている時である。私にとってはさもありなんと思うが、私は自分を支えるものを知っているし信じている。それは私を今日まで勇気づけてくれたものである。私はそれを神と呼び、自分が生きたいと望むときに神は現れる。
久しぶりにこんな熱量があってせっかくなので残す。
映画「糸」
まず菅田将暉と小松菜奈の出会いから始まる。2人とも中学生、初っ端から子役。菅田でも菜奈でもないシーンが続く。苦手なんよなこういう主人公とヒロインの若かりし頃みたいなシーン(私情)。似てる人探してきたのかな、オーディションの募集要項に『菅田将暉似』とか書かれてたのかなとか余計なこと考えてしまう。それもそうだが2人が出会ったときの菅田(子役)の自転車からの転け方あれはやばい。転けたというより飛んでたし絶対絆創膏で足りる傷じゃないでしょ。なあ。
菜奈の家庭が荒れてて菅田といる時間だけが楽しい…救い…みたいなよくある展開。虐待シーンは普通に胸糞悪かった…やめてよね。てか菜奈が作ったお弁当食べてるとき、菅田がどこからともなく出してきた綱みたいな紐を「これミサンガにする!」って言い出したときはびっくりしたな。糸にかけてはいるんだろうけど。わりと生活に支障出そうなレベルで太かったよあのミサンガ。10年後も菅田は手首につけていたけど……。(まじかよ〜)
なんやかんや結局菜奈の家族は夜逃げしてしまうんだけど菅田、菜奈の家を見つけ出して菜奈をどうにか助けようとする。が、警察に見つかり引き離される2人。いくら好きな女のためとはいえ北海道で1人で動く菅田の行動力エグすぎ。中学生よ?北海道て広いし寒いじゃんか。あと今時こんな若い演者さんでもキスシーンあるんだね…。「青森に知り合いのおじさんがいてそこにいけばなんとかしてくれる」このシンプルな嘘の謎が最後まで解けず、シンプルに謎でした。どうするつもりだったんだ。
大人になった2人が再会。菜奈、綺麗になったね…。お互い気持ちは残っていながらもパートナーがいる2人。菅田は榮倉奈々と、菜奈は斎藤工と。なんかさあ、これを言ったら糸もクソもなくなるんだけどあのまま菜奈と斎藤工が2人で暮らす話を見たかったわあ。事業を成功させて金ならいくらでもある、でも何か足りないみたいな顔したたくみがキャバクラで懸命に稼ぐ菜奈と出会うわけ。菜奈とたくみ、せっかく2人で暮らすとこまでいったのにね。会社がダメになって全部放り出して逃げたたくみを菜奈はちゃんと見つけ出して、それでも一緒にいようって言ったのにね。お前の居場所はここじゃないって言ってたくみ、またいなくなっちゃった。埋めてあげてほしかったよ、菜奈に。うまくやれそうに見えて不器用でどこか似ていてお互いに足りないものを補い合うような2人をもっと見ていたかったよ。菅田とはすれ違いまくるよ。それでよかったのに。(よかったのに)
菅田、榮倉奈々と結婚したよな。病気で死んじゃうんだけど。その病気の体を懸けてまで産んでくれた子ども、いるよな。榮倉奈々のこと、愛していたよな?菅田。
めちゃくちゃ端折るがもちろん2人はもう一度再会して、やっぱりあなたが私の運命の人!糸は繋がる!みたいな感じで終わるんだけど。
菅田さぁ〜、わかるよ?気持ちはわかる。菜奈が近くにいるってわかってなんかどうしようもない衝動で会いに行く!!てなる気持ちはわかる。でもあの榮倉奈々との娘を放って菜奈のもとへ行くのはマジでない。ないわー。いくら運命の相手とか運命の糸だとしても。愛していたよな?そして娘のこと、愛しているよな?
(ここからは超私の感想だけど)べつにさ〜、糸ってたった1人と繋がってるものではなくない?巡り巡って確かに菜奈とはまた会えたけどさ。それを繋げてくれたのは榮倉奈々だったし。いっぱいいたじゃん周りに友達とか、職場の上司(松重豊さん 良かった)とか、榮倉奈々とか、その家族とか、娘とか。たとえるならよ、榮倉奈々との子どもなんて自分が紡いだ糸じゃん。元から繋がってたものだけじゃなくて自ら繋げていくものもあると思うしそれが人生の醍醐味だと思ってるし。
まあ、展開的にあそこに娘連れてったら盛大に「「「糸!!!!」」」って出来なかったからだろうとは思うけど。ほんと全てが2人を中心としていて他はその後付けって感じだった。まあそんなもんか。ようやく2人が会えて抱き合うシーンでこれでもかと打ち上がる花火。爆発事故みたいな音してた。あんな音したらさすがに見るでしょ、花火。見てよ、綺麗だったから。エンドロールで斎藤工と榮倉奈々の名前が横並びになっていて、当て馬枠で流してやるなやと思いました。
淡い初恋の記憶は淡くて綺麗なまましまっておいて、たまに思い出すくらいがちょうどいいんじゃないか。運命とこじつけは紙一重なのかもしれない。(訳:小松菜奈と斎藤工が永遠であってほしかった)
エンディングの菅田将暉&石崎ひゅーいの糸、よかった。途中で突然流れたシンガポール語?の糸、あんなん笑うやん。ゆるして。おわり。
もちろん次の人と一定期間はお付き合いしなければならないが、少なくともそんなに何人もの人と付き合ったり十年以上も待つ必要もない。
ずるずる未練を引きずるのは、そうした熱愛を求めることをやめないからである。
恋愛なんざよく言われるように麻薬の一種であるに過ぎない。だから依存症に陥っていると自覚すべきなのだ。
これがなかなか、わかっていてもどうしても求めてしまうのが依存症の無限ループ。
だったら、次付き合う人にその麻薬、すなわち熱愛の快楽を求めなければ良いのだ。その人にはそんなものはない、と最初から諦めよ。
その上で、人間同士として付き合えばよろしい。
あなたに必要なのは依存症からの脱却・寛解であって、もう一度あの素晴らしい世界に浸ることではない。
・・・と偉そうに書いてみたが、私は単に運が良かっただけなのかもしれない。
昔々、私はある天使みたいな女の子と出会い、あっという間に恋に落ち、その女の子なしでは生きていけないほどの恋愛をした。
よくある話だが、彼女の宗教を私がどうしても受け入れることが出来ず、別れる他道がなかったのだ(後で考えたらそうでもなかったんだが、まぁいいw)。
実行には移さなかったが、その宗教団体施設に放火しようと思ったり、別れてからもその女の子に酷い長文の、ほとんど意味不明な黒歴史手紙を何通も送ったりした。
危害は加えなかったものの、ストーカーと言われても仕方のないような尾行行為を何度もした。
だが、その私の苦しみを唯一知る、ある知人女性がいた。
私はその女性も好きだったが、その女性は結婚していたし、不倫する気などなかったし、何年も前に叶わぬ恋と諦めてただ憧れていただけの女性だった。
だから、たまに話する程度の友人関係だったのだけど、なんでも話出来る仲だったので、その失恋のことも色々と話した。
別に苦しいから相談に乗ってという話をしたわけでなく、私は強がりを見せて笑いながら「別れたよ」程度に話していただけだったが、彼女は十二分に私の苦しさを察していたのだろう、「私の職場に可愛い子がいるから気晴らしにその子とデートでもしておいで」と紹介してくれたのだった。
紹介されたその女性は、私の三歳年下で、確かに「可愛い」が少なくともタイプではなかった。
失恋した相手とは全く違う感じの女性で、私は恋愛対象としては全く興味も湧かなかった。
まぁいいや、言われたように気晴らしにでもデートしてみようかと、初めて会ったその日、ドライブデートとなった。
適当に会話は続いたが、特に楽しくもなかった。作り笑いの時間だけが過ぎ、心の中で何度もため息をつきながら夜になり、その子を送り届けようかと「どの辺に住んでるんですか?」と聞いた次の返答に私は目が点になった。
「・・・まだ帰りたくないんです」
「は? え? どうして?」
「・・・・・」
押し黙って、無表情のまま進行方向を見つめるだけのその子。まさかもしかして俺のこと気に入っちゃったの? と思ったけど後で分かったがそうではなかったのだ。
そして延々深夜までドライブを続け、とうとうその子はこう言ったのである。
「どこかで一晩泊まりたい」と。
(なんだよ、そんな普通の外見してて、意外にもエッチしたかったのか、こいつ)などと思いつつ、そういや最近数ヶ月全然してなかったなと自分でも思ったのでラブホに入った。
そして一戦交えて、眠ったあとの朝、やっと彼女から解放されたのだけど、その晩の電話で彼女は「私はそんな女ではない」と。
実はその子には彼氏がいたのだが、一ヶ月ほど前から行方不明・音信不通になっていたのだった。
それで、私と会った目的も彼女なりにその辛さを忘れたかった為であって、エッチもその為だったらしかった。
そしてその日から何ヶ月間かはお互いに失恋のお悩み相談ぽい関係になっていった。
だからと言って、好きになっていったかというとそうでもなくて、単純にお互いに前の失恋などどうでもよくなっていっただけの事。
でも、取り敢えず気が付いたら普通に付き合うような関係になっていった。
少しずつ多少は好きになっていったかとは思うけど、前の大恋愛した彼女のことを忘れたわけでもなく、内心では比較してしまっていたし、そんなに好きなわけでもないその子とは何度も喧嘩したのでその度に別れた方がいいのかとも考えたけど、何故か別れられなかった。
ただ一つ言えるのは、私は自分でも気づかないうちにいつの間にかあの苦しみから寛解していたのだった。
妻が私の運命の人だった、とは思わない。
私の、片手で間に合うほどしか付き合っていない女性の中で飛び抜けてダントツに大好きなのはやはり、宗教が原因で別れた彼女である。
でも、たとえその彼女と再会しても、多分もう二度と恋に落ちることはない気がする。
あんな苦しいのはウンザリだし、人生のいい思い出としてそのページは閉じておきたいから。
もし運命の恋とか、一生に一度の恋みたいなものが本当にあるとするなら、私の運命の恋はもう終わってしまったと思う。
この話をすると、年上の人は必ず「若いなあ」とか「何度恋したってそう思うよ」とか、そういう言葉をくれるし、私もなんだかんだ言ってそうなんだろうな、とも思う。しかし、それでもあんな大恋愛は二度とないんじゃないかとも思う。
付き合っていたのはたった1年程度だった。その前後も入れれば5年くらいにはなるけれど。今思えばそんなドラマチックな出来事もなかったかもしれない、何せもう随分前のことになるので、鮮烈だった記憶も薄れてきた。
それでも一生に一度の運命の恋であったと今も思う。私も彼も若かったから、余計そう思うのかもしれない。もしくは思い出としてひたすらに美化され続けていくからかもしれない。まさしく身も心も焦がすような、そんな思いをずっと抱いていた。
今は新しい恋人がいて、良好な関係を築けていて、とても幸せだしこの状態がなるべく長く続いてほしいと思う。当然とても大切で、愛しているといって差し支えないと思うのだが、あの彼ほど好きかといわれるとそうでないと思う。
ただ一つ言っておきたいのは、今の恋人が決して二番手になっているというわけではなく、ただ「歴代の恋愛ランキング」で言ったら彼が1位だということだ。今の恋人のことは、今の時点で一番好きだ。かつての彼のことは今は割とどうでもいい。生きているのか死んでいるのか、それさえもあまり興味がない。
ただ、あのまだ20代に差し掛かろうかという若さでもって、必死に全力で愛し合ったあの時の彼に注いでいた愛情が、私の人生における最大火力だったと思うだけだ。あの、私を守るように、それでいて暴力的なほどに愛してくれた彼のことは今でも好きだと思うが、その彼はもういまどこにもいない。いなくなってしまった。死んでしまったといって差し支えない。今生きている彼はほとんどもう別人のようになってしまったのだから。
今の恋人にそれだけの熱量を注げるようになりたいとも思わない。あの熱こそがかつての彼と私を引き裂いてしまったと思うから。今の恋人には今の恋人にあった愛し方があるし、現時点でそれはきちんとできているように思うので、あの火力はもう私には必要ない。
もし、時をやり直せるのなら、私は彼とやり直したいと思わなくもないのだが、それでも結局彼は変わってしまっただろうし私とは道を違えるだろうから、それならそもそも出会わない方がいいなとも思う。これを人は未練だとか言うのだろう。
彼のことを断ち切りたくて、彼と出会った土地から上京して数年経った。たまに彼のことを思い出す。会いたいとも思う。だけどそれは私のことが好きだった彼であって、そんな人はもうどこにもいないのだ。然様なら大好きだったあなた。
小さい時から勉強が出来て、運動もまずまず、それなりに容姿も良かった
私は自分には出来ないことはない、そう思っていた。
「自慢のお嬢さんですね」
「優秀ですね」
誰もがそう思っただろう。
正直語学も何もせず、飲んでばかりで大学生活はちゃらんぽらんだった。
結果、第一志望の某コンサル会社には落ち、残ったのはとある企業だった。
8割がそう思う会社だった。
やけになった私は、とりあえず勢いで入社を決めた。
「飛び込みは週に100件」
ひたすら数字どうやって作るんだと詰められる日々。
営業成績も伸びない。
つまらない
…
はじめての挫折だった。
メンタルの強かった(はずの)私だが、1年目は泣きまくった。
たぶん1年で5回は泣いたな。
なんとか営業成績もあがってきて2年目になった。
ついに辞めることを決意。
だった。
と思ったが辞めたかったので承諾した。
やっと辞められた。
正直ブラック企業はつらいことばかりだったが、今思えば人間的に成長できた
気もする。
何よりも人を見下さなくなった。
学歴だけで判断していたが、人に対して向き合えるようになった。
自分なんてまだまだだ。
と自覚することができた。
こなせるようになった。
(てかブラック企業の時以上につらいことは世の中にほぼないらしい)
私をまともに育ててくれてありがとう。