はてなキーワード: クラスとは
こどもが小4になった。ビックリするくらいなんでもできる。クラスでLINEグループも作ってるし、仕事でいない時は一人で帰ってきて宿題やって、バスで塾まで行くとかが一人でできる。
9歳になるとこんなに楽なのを知らなかった。昔はもっと小さい時から丁稚とか言ってたからそんなもんか。
もともと一人っ子予定で、昔でいう高齢出産になる年で産んだからもう産めないけど、22とかで産んでたら、あと1人か2人いける気がする。
初めてだから全力だったし手探りだけど、2回目3回目はやらなくていいことも分かってる(例えばベビー公文とか赤ん坊の知育なんも役に立たないとか)
離乳食に神経質すぎるとか、ベビーサインは覚える前に喋り出すとか、保育園はめちゃくちゃ親切とか分かってるし、ゴールが見えてると頑張れそうな気がした。
新卒と中途即戦力の違いが今こそ出せる(産まないから出せないのが惜しい)
そう思うとなるべく1人目を早く産めるように支援することが効くんじゃないかなー。特にバリキャリと言われてるような女子。
周りでも7、8歳あけて産んだ人とか多い。
こどもが小4になった。ビックリするくらいなんでもできる。クラスでLINEグループも作ってるし、仕事でいない時は一人で帰ってきて宿題やって、バスで塾まで行くとかが一人でできる。
9歳になるとこんなに楽なのを知らなかった。昔はもっと小さい時から丁稚とか言ってたからそんなもんか。
もともと一人っ子予定で、昔でいう高齢出産になる年で産んだからもう産めないけど、22とかで産んでたら、あと1人か2人いける気がする。
初めてだから全力だったし手探りだけど、2回目3回目はやらなくていいことも分かってる(例えばベビー公文とか赤ん坊の知育なんも役に立たないとか)
離乳食に神経質すぎるとか、ベビーサインは覚える前に喋り出すとか、保育園はめちゃくちゃ親切とか分かってるし、ゴールが見えてると頑張れそうな気がした。
新卒と中途即戦力の違いが今こそ出せる(産まないから出せないのが惜しい)
そう思うとなるべく1人目を早く産めるように支援することが効くんじゃないかなー。特にバリキャリと言われてるような女子。
周りでも7、8歳あけて産んだ人とか多い。
トイレにある化粧直し用のスペース使いたいなって思うけど、繁華街のトイレだと年上の綺麗な女の人が陣取ってるから気後れする
別にガッツリ直したいわけじゃなくて、ちょっとパウダーはたきたいとかリップ塗りたいとかそれぐらいなんだけどさ
ハァ?何お前?邪魔なんだけど?みたいな目で見られるんじゃないかと思ってドキドキする
結局、その人がいなくなるまで念入りに手を洗ったりして待つか、メイク直し自体を諦めて出るかということになる
それでも夏場だとあまりにも肌がベタベタするから、トイレの個室でさっとパウダーだけはたくこともある
でも緊張してしまう
クラスの派手な女の子がディオールのリップとか塗ってる横でセザンヌの粉はたくの恥ずかしかったし
それでもテカるのは嫌だからって個室で鏡も見ずにバフバフはたいてたな
人前でメイクするのってなんかやだ
ワークマンランドセルの時はワークマンを選ぶ事で他の子からイジメや疎外感を感じることを危惧するコメには
均一化から外れることを恐れイジメられると余計な危惧。均一化をやめる事が解決策になるのに、むしろ均一化の強化に加担し続ける。
でもスマホ未所持になると「持たせない選択はそれなりの代償を伴う」「同世代と同じ話題に乗れなくなる」など
こういうの、子供同士は全然気にしない。学校で友達と楽しく過ごせてる子はランドセルが違うくらいでイジメの対象にはならない。子供本人の性格が全て。
自分が差別するから差別されるぞと人を脅す。それがまた差別を再生産することになるんだよね。ああいった連中の言うことに耳を貸さないほうがいい。
激しい同調圧力の下で育ったおじさんにはこういう若者のフラットな気持ちは理解できないだろう 若者の意見を聞くと世の中けっこう良くなってきてるように思う
ほんこれ。今の子人と違うことでいじめるとか発想にない、いい子すごく多いしね/自分は村社会を維持する側です!ってブコメで宣言しなくてもだよ
ってことを思い出せ
[B! 教育] 無印良品のランドセルの思い出 - プロムナード
[B! togetter] 小6の子が5人で遊んだらしいけどうちの子以外スマホ持って来てたらしい。クラスのグループLINEもあるらしい。ケチババア呼ばわりされてる
だいたいさ。子供の世界「だけ」多様性だなんて言うのは無責任なんだよ
それってただ
っていう幻想なの
自分は女で、小学生のとき同級生の特定の二人の男子に6年間ゆるっといじめのようなことをされてた。いじめの「ような」というのは、その場に他の女子がいれば大抵庇ってもらえたし、私以外が言い返せば何故かノータイムで撤退していった。その二人以外の男子は加勢もしない代わりに止めもしない感じ。(そもそもその二人の男子も特に人望や力があるわけでもなかった。私もだけど。)
初めは一人で怒ったり言い返したりしていたけど1反論すると待っていたとばかりに嬉しそうに内容に関係ない暴言が20倍くらいになって返ってくることの繰り返しだったから、反応を誘う初めのジャブ的な暴言に無視を決め込むことで省エネするようになった。
何かしたんじゃないかと自分でもよく考えていたけどそもそも何かするもなにも会話すらしていなかった。低学年のころの私は人見知りで、特に仲のいい数人としか遊んだり密に会話したりしないタイプだった。だからブスであることや、どん臭さとか身なりのダサさなどで苛立たせていたのかもしれない。6年生のころ、いじめっ子のうちの一人からたまたま二人きりのタイミングでまた暴言を浴びていたとき、何故そんなに絡むのか、私が悪いことをしたなら教えて欲しいと言ったことがある。正面から改まって理由を質問したのが初めてだったからか彼は面食らって「は?は?きっもw」というようなことを呟きながら狼狽えていた。それを遠くから見ていたもう一人のいじめっ子が近づいて「増田が〇〇に告白してるぞ」と大きい声で言いながらまた死ぬほど粘着してきて散々だった。
田舎で6年間ひとクラス持ち上がりだったうえに、家が同じ地区で親同士は婦人会で当然関わりがあって、功を奏さなかったパターンを考えると怯んで大人に相談することもできなかった。ほぼ周知の事実だったけど。今は言えばよかったなと思う。
中学3年のクラスで、そのいじめっ子の一人の男子(狼狽えていた方)と席が前後になった時期があった。こちらからはノーアクションなのにほぼ毎日後ろからお経のように延々と暴言を吐かれていた。はたからは、一切言い返さない私も相当異常で、自業自得に見えていただろう。
ある日私の隣の席の、別の普段静かな男子が痺れを切らしたようにその暴言男子に「いい加減にしろよ」と強めに言ってくれたことがあった。 全然仲が良かったわけでもないから、私のためというより純粋に耳障りだったんだとは思う。私が言い返さないから止まらないし。実際は言い返しても止まるどころかエスカレートするんだけどそんなことは他の小学校出身の彼は知らないし。男子に援護されたことは初めてだったから驚いたしとても感動した。いじめっ子は驚いたのかその場での暴言はモニャモニャとフェードアウトした。しかし、非常に低レベルな話だけど、ここで感謝などを述べたら、それをネタにまた粘着され、しかも今度は怒ってくれたその人も巻き込む形になってしまうのが目に見えていた。我ながら人としてどうかと思うけど、仮にいじめっ子から予想通りのことをされても、巻き込んでおいて私は黙っているしかできないだろうとわかった。だから目も合わせず、自分の机を見つめながら「ごめん」と一言絞り出すのが精一杯だった。
高校は文芸部で、大学は理系だけど研究室が論文の誤字脱字に厳しいところだったので、まともな教育を受けた人間は校正に厳しいのが当たり前だと思ってる。
旧ツイッターなどは書いたら訂正できないシステムなので、ギリギリまで一文字一文字を見直すけど、それでもミスったら仕方ないと諦めていた。
だけど、増田みたいに何度でも訂正できるところで、「てにをは」レベルの、少し読みなおせば違和感を持つようなところをいくつも間違えたまま放置している奴は、それだけでバカに見えるし、いい加減でやる気がないのが伝わってくるからそもそも読もうとも思わない。
たまに仕事でもそのレベルの文書を恥ずかしげもなく出してくる奴がいると、ヤバいのに当たったなという気持ちで混乱する。
日本の(特に理系の)教育はまったく文章を書かせないので、官公庁クラスの書類でもこんなのありかと思うような酷いものが存在する。
自分はたまたま論文力を鍛えてくれる研究室で「どこまで細かくなるべきか」を身体で覚えさせて貰ったけど、日本の技術者は計算や図面が完璧でも、ドキュメントの日本語になると「てにをは」はおろか酷い誤変換やタイポを放置しまくるような人もいて、こんなことやってると信用を失くすぞと心配になってくる。
文章の粗さは知識の抜けや態度の不安定さと同じくらい他人の信用を損なう問題だということを、少なくとも自分がちゃんとした教育を受けたと証明したいならもうちょっと意識した方が良いよという話。
(※ちなみにこの文章だと、読みなおして「馬鹿」と「バカ」の表記の揺らぎが気になるくらいの躾け方をされた。今回はあえて気づいた上で放置しておくけど。)
今ではみんな知っている。
どんな難しい問題も、ゆかたんの手にかかれば解決され、みんなが頼りにしていた。体育祭では、ゆかたんが指揮を取るとチームが一丸となり、どんな競技も楽勝だった。
そしてとても可愛かった。彼女が大雑把に結んだ髪を揺らして廊下を歩けば、誰もが振り向かずにはいられなかった。中学2年の頃には、その可愛さは美しさへと変化していた。
ゆかたんは常にみんなの中心にいた。彼女がいるだけで、その場が楽しくなる。彼女はカバンの中にお菓子をたくさん持ち歩いていて、何かあるとすぐにお菓子を人に与えた。
遅れてごめんね、この前は行けなくてごめんね、今度その人を紹介してね、遊びに行くのを楽しみにしているよ、彼女がそう言いながらお菓子を渡せば、すべての問題は解決した。
しっかりと結ばれた髪は、目元の強い意志と合わさり、ある種の風格を感じさせた。
鮮やかな浴衣が彼女の明るさをさらに引き立て、誰もが目を奪われた。みんなが「ゆかたん、きれいだね!」と褒めた。わたしはその時、少しだけ妬ましかった。少し遠くでその人の輪を見守った。
夏祭りの夜、ゆかたんと一緒に花火を見た。花火が夜空に咲くたびに、ゆかたんは笑顔で「きれいだね」と言った。その笑顔を見ていると、わたしの妬みはどこかへ消えていった。ゆかたんは本当にみんなを幸せにする力を持っていたのだ。
中学校を卒業してから、わたしたちは別々の道を歩むことになった。ゆかたんは地元の高校に進学し、わたしは少し遠くの学校に通うことになった。連絡は取り合っていたが、次第に疎遠になっていった。わたしは大学に進学し、忙しい毎日に追われるようになった。
わたしが大学2年生の夏、ゆかたんから突然電話がかかってきた。一緒に海外旅行へ行かないかと、弾んだ声で聞かれた。その頃わたしは仕送りも少なくて、バイトを掛け持ちしながら夏の集中講義にも出ているような状態で、ゆかたんの話がとても能天気なものに聞こえた。
だからすぐに断った。ゆかたんは少し驚いたようだった。彼女の頼みを断ったのは、これが初めてだったかもしれない。「次はもっと楽しいことに誘うね」と言って、ゆかたんは電話を切った。
その1年くらいあと、ゆかたんは海外へ留学したと別の友達から聞いた。海外で行方不明なったとも。
美しく成長した彼女は、羽織った浴衣をはためかせ、ユカタン半島旗を掲げて、革命の最前線に立っていた。
なぜそうなったのかは知らない。ニュースを呆然と見ていたが、次第に納得するような気持ちになっていった。
旗揚げをした場所が、ユカタン半島だったというだけの話なのだ。
彼女のことを思い出すと、最後の電話のことを考える。あの時、もし断っていなかったら、わたしも革命に加わっていただろうか。彼女の隣で、飴やなんかを貰いながら、彼女のために尽くし、命を賭けて戦う人生もあっただろうか。
考えてみるとそれも悪くない。彼女の笑顔は全てを許し、わたしは全てを許されるのだ。
あの時はごめんね、ゆかたん。わたしの嫉妬心が少しでも君を傷つけていたなら、心から謝るよ。またいつか一緒に遊びたいね。あの夏祭りの夜のように、笑いながら。
でも個人的に最高クラスでクソofクソなのは、間違いなく好き嫌い.comだ。
なんといっても「好き」と「嫌い」にしか投票できず、「普通」がないというのが、実に巧妙かつ悪質。
昭和の某魔女っ子アニメのOPに出てきた可愛らしさは微塵もないどころか、むしろかなり凶悪な仕様。
要するにスレ内での衝突が高頻度に起きやすいよう仕立てられているので、それに乗って住人同士でやり合うのは
サイト主にとって我が意を得たり、まさに笑いが止まらない状況と言える。
かつての2ちゃん(今の5ch)は、荒らしに乗らない住人がまだ一定数いることで辛うじて保っていた部分もあったが、
好き嫌い.comの場合、必ずファンかアンチのレッテルを、投稿者が自ら貼らねばならないことで、
投稿すなわちバトルへの強制参加になるも同然。
ファンやアンチ、そして荒らしの心理に長けていなければ思いつかない仕様という意味で、サイト主は詐欺師に匹敵する悪知恵の持ち主だろう。
なので、ここの住人とサイト主の肴にされる一方の、有名人およびその関係者の手でキッチリ潰されたうえで、
サイト主は(社会的に)とっとと◯ねばいいのにという気持ちが止まらない。
「こういんや?」
今日は小学生の参観日である。授業では国語辞典の使い方を教えており、子どもたちは楽しそうに大きな辞書をめくっている。
「「光」の文字を使う単語を探してみよう」というテーマで辞書をめくる子どもたち。早速「光陰矢の如し」をみつけたらしい生徒が、なぜか「こういんや!」とだけ答えたため、先生が意味を理解できなかったらしい。
生徒が開いたページを覗きこみ、漢字を確かめた先生は、もういちど「こういんや?」と首をかしげ、黒板に「光陰矢」と書いた。「ごとし」はどこにいったのだろう。もしかして「光陰矢の如し」をご存知ない??まさかね。きっと「光陰矢」という単語もあるのだろう。
次の生徒が手を挙げる。
「こうそく!」
にこっと笑って先生が却下する。多分生徒は「高速」でもなく「校則」でもなく、「光速」と答えたのでは?なぜ確認せずに却下する?
先生のさわやかな笑顔を眺めながら、ふと大学時代の友人達を思い出した。
私達は氷河期世代だ。田舎の国立大を出たくらいでは就職は困難を極めたし、教育学部の友人で、先生になれた子はただのひとりもいなかった。そもそも採用すらほとんどなかった。「先生になりたかった」って泣いてた子、何年も試験をチャレンジして講師を続けていた子、本当に先生になるのは狭き門で難しかった。
しかし、現在はうってかわっての教員不足。うちの小学校でも例に漏れず教員は全く足りていない。クラスに応じた教員が確保できず、先生がかけもちで対応していた時期まであった。きっとこれは罰なのだろう、教員の待遇を改善してこなかった罰。その罰は、我々でなく小学生の我が子達が現在進行形で背負っている。
「これ、せんせいこれ!これも!」
また「光」の付く単語をみつけたらしい男の子が辞書をひらいて単語を指差す。
「よし!それも「光」がつくな!」
これは本当に同意する。
学校で男女別の保健とかあったけれど、非モテというか極度のコミュ障には補習クラスが必要なんじゃないかって思う。
けど、それで解決できるとは思えない!!
婚活や街コンでは高身長男性は非正規でも高収入大手企業勤務男性と同じ扱いをされ
実際すぐに売れて品切れになってる
https://i.imgur.com/feVAnHo.jpg
だから婚活業者もいつも「高身長男を求める婚活女性は高望み」と説教してる
"では、30代後半女子がお見合い組むために狙いやすい男性スペックをご紹介。
2)165㎝以下の男性
身長が165㎝以下の男性は基本的にお見合いが組みにくいです。年収が普通、顔も普通なのに、身長が165㎝以下というだけでお見合いが全然組めなかったりします。"
"毎回言ってるけど条件緩和するなら是非身長170㎝以上の条件外してみてください、賢くよく稼ぎ人柄もいい人がまだ余っているのはここです!そして身長のせいでアプリで戦えず、Twitterに流れ着いたハイスペ低身長がごろごろいる。全日本男子の1/3以上が170以下なのですよ⁈(見えていないだけで沢山いる)"
34歳以上
地方在住
外国人"
"皆さま、思春期のころを思い返してください。女子に人気があったのは、
(2)イケメン
ではありませんでしたか?
高身長男子は、ムードメーカーやイケメンのような目立つキャラでなくても、「ヨシオって身長高いよね(高くてカッコいいよね♡)」と一部の女子から密かに人気があり、いつもちゃっかりモテているものなのです(しかも女性側がプッシュするケース多し!)。
個人的な見解にはなりますが、彼らは彼女が常に絶えない上に、「この男性を手放したくない!」と彼女にプッシュされ20代半ばには結婚するケースが多く、婚活市場でさっぱりお見かけしないものなのです!"
父偏差値30台の高校卒から建設業、母偏差値40ちょっとの短大卒。
実家は貧乏というわけではないが、当然裕福ではなく、質素な生活をしていた。
子供ながらにたまに外食したときにジュースやデザート頼んでいる子供を見つつ
「食べたい」って言ったらダメなんだろうな、と思って黙っていたり、
他の友達がお年玉いくらもらったとかクリスマスプレゼントに何をもらったとか
話をしているときに少し恥ずかしい思いをしたりしていた。
飛びぬけた天才というわけでもないが、塾などに行かなくても小学校のテストは普通に100点だったし、
数年に1回は学校の作文コンクールや自由研究で賞をもらったりしていた。
兄は最後まで塾通いせず地元の高校から地元では褒められる私立大へ、
お互い結婚し、子供ができ、子供が成長した今2人で話すのは「子育てって難しい」ということ。
あまり怒られることもなかった、手のかからない子供だった(親曰く)私たちは、
何をすれば効果的で、どういうことをしてあげればよいのかがわからないのだ。
そんなわけないじゃん、と思いつつ、自分たちの子を見て、子育って難しいなと思うのだった。
自分の場合は兄がとにかく良い子だったので、それを見て学んだのが大きいと思う
クラスのツートップみたいなのよりも、美術部とかでうちわだけでキャッキャしてるような女子が好き。
校則には部活動は生徒が集まって申告すれば作れるってことになっていた様だったが(今調べた)、俺のころは、生徒が動いて部活動が新しく作られたなんてことはなかった。
一方で、地元の老人会と一緒になって活動する「里山部」なんてのが突然できたりして、俺はそこに入って楽しくやってた。
少人数の部活もあった。だいたい教科別で「家庭科部」「数学部」とかそんな感じ。
俺自身の経験からすると、「人として接していない」状態というのは相手をパラメータや概念で認識している状態のことだな。
例えば相手を「20代の若い女」クラスのインスタンスだと思っていて、だから "好きな食べ物()" 関数を適用したら "オシャレなパスタ" が返ってくると思っているような捉え方だ。
現実はそうではない。
「20代の若い女」というのは単なる類型についたラベルであって、目の前の相手が(たとえ20代の若い女だったとしても)その類型に当てはまっているとは限らない。
そして相手を一方的に「類型」に当てはめて解釈しようとすることは失礼にあたる。
相手の属性を一つ一つ聞き出して理解し(かといってもちろん初対面で不躾に質問リストを浴びせるようなことは失礼に当たる)、何かのクラスのインスタンスとしてではなく属性の総体として相手を理解することが求められる。
男女逆の場合でも、合コンの相手を「商社くん」とか「コンサルくん」とかほざいてる女もいるだろ。あれも相手を人間扱いしてないわけだ。
ふと、あいつの性格とか一緒に過ごした時間とかではなく、出会ったこと自体がめちゃくちゃ自分の人生変えたなと思う友達のこと思い出した
8クラスある中学で3年間クラスが一緒だったY君。小学校(全4クラス)で一度も一緒のクラスになることはなかった。高校時代も遊んだけど学校は別。
受けた影響。
・Y君のお父さんの仕事を聞いて、その道へ続く学部(大学)へ入った
・Y君の兄の部屋の漫画にめちゃくちゃ影響受けた
どちらも今は実家に居ないし、社会に出てからは2~3回同窓会であっただけで連絡とってない。最後がもう10年前ぐらい