はてなキーワード: 倶楽部とは
2位 仙台ギャラクシーエンジェルズ
3位 | ノ ヽ
4位 / ● ● | クマ──!!
5位 ∩___∩
6位 浦和レッズ
7位 楽天
8位 | ( _●_) ミ
10位 彡、 |∪| 、`\
13位 能登かわいいよ能登
14位 (___) / (_/
15位 | / ) )
16位 マ●コ
18位 | /
19位 | /\ \
21位 ∪ ( \
22位 \_)
25位 仙台(゜л゜)フンヌさん
27位 Online Striker
29位 ⊂彡
30位 _ ∩
34位 水橋かおりんズ
35位 ほっちゃーん! ほ、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!!
38位 田代まさし
40位 曾我サターン
いたって普通でしょ。
ソースはわたし(なのでn=1なんだけど)。なので以下は全部自分語り。
女体には普通に興奮するので男性向けエロコンテンツをよく見る/読む。
DMMの月額500円AVサブスクを半年くらい前まで週1頻度で見てた。好きなシチュエーションはマッサージもの(変態紳士倶楽部の水着シリーズが好きだった)。不倫ものとか女性向けAV見てた時期もあった。いろいろ移り変わるよね。なんか性欲落ち着いたから今はそんなに見てない(けど見たくなったらまた契約すると思う)。
マスターベーション(女性風に言うとセルフプレジャー?)は週一くらいかな。昔はピンクローター、今はiroha(TENGAの女性向けセルフプレジャーグッズブランド)使ってる。欲しいの色々あって悩むわ。
エロ漫画は今でもムラムラしたら買う。岡田コウとか。女児が酷い目にあってるのとかネトラレとか好きだよ。師走の翁も好きなんだけど絵がうますぎて逆にムラムラしないみたいなところある(でも絵がめちゃくちゃうまいので買う)。水龍敬も好きだな。オープン痴女っていいよね。エロ漫画は良質な短編漫画を数多く読める一手段でもあるから楽しい。
クジラックスの「ろりともだち」も実はかなり好きだったな。まああんな作品だから、人前ではとてもじゃないが好きだなんて言えないが。
あ、二次元コンテンツの二次創作もしてる。自分はBLとか、女体化エロが好きです。
レイプとか陵辱とかのの激しいシーンって、物語としての緩急が生まれるので、そこで楽しいってなってる面もある気がするね。もちろん興奮もするが。
キュートアグレッションもそう。一時期、pixivのR-18Gにハマってた時期もあったな。グロ見て「ウワ……ッ」ってなるあの興奮って性的興奮とすげー似てるよね。自分はあくまで別物なんじゃないかと思ってるが、そこに境を引かない価値観もよくわかる。
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とっちらかっちゃったけど、
なにが元増田に対して言いたいかって言うと、自分の性癖に怖がらずに、むしろ色々取り入れたらいいんじゃないかってこと。あとレイプ陵辱暴力は確かに興奮するけど、例えるならばめっちゃ味の濃い料理なので、そればっか食ってたら舌が鈍くなるんじゃないかってこと。まあ鈍くなってもいいと思うけどね、自分の人生だし。
あ、あと、二次元やエロコンテンツと、三次元の「お付き合い」は全く別物だよ!
生身の人間と肯定し合う喜びは、エロコンテンツだけじゃ絶対に得られないよ。これはマジ。あと三次元の生身の対象に興奮するようになるにはある程度慣れや訓練は必要かも。ゆっくりやればええねん。
【追記】
お昼休みに見にきたら思ったよりコメントついてて笑った。お胸の話すきねぇ。
つーかさー、やっぱりそうだよね、胸の話を家族にするのも、兄のことを言及してる私の思考も変だよね?
でも察して欲しい。娘の胸を平気で貧乳だの言う倫理観の家に育ってるわけ。普通の感覚してたら匿名SNSだろうとこんな投稿せんのよ。
父親が「成長してきた」とか言って胸突いてきたり、年頃の娘がいるのに全裸で風呂出てくるのを母にお願いしないとやめてくれなかったり。小さい頃は私も兄も起きてて親に構って欲しいと布団潜り込んでるのにセックスやめなかったりとかダメな家なの。大人になってやっと理解したけど、リアルじゃ誰にも言えんくて苦しい。
小さい頃からその環境だとどこまでがおかしいのかわかんなくて、高校の時に父親にセクハラされた話とか外でしたらドン引きされて。外じゃ吐き出せなくてここよ。
カウンセリングにもいってみたけど、いざ行くと「人に言ったらいけない」って頭いっぱいになって言えない。関係ない話して「多分自分でどうにかなる話なんですけど」って言っちゃう。紙に書き出したけど渡せなくて。自分がおかしいのか周りがおかしいのかわかんなくて。
だから、こういうところで否定されると安心するわ。ダメな思考だ。知ってる知ってる。
童貞喪失は兄が某掲示板に「安価で告白する」ってスレ立てたことがあって、そこに書いてあった。特定した経緯は私にまで安価行動してきたから。前から「妹が〇〇してたw」って盗撮した画像をSNSにあげるのを消させるって出来事があって、寝てたら急に変なこと言うから調べたら速攻出てきたわ。性的なのはないけど、ネタ画像は勝手にあげるんだよね。腹立つわ。
風俗はね、兄が家族との大喧嘩ののちに、まあまあでかい事故にあってしまったために実家の兄の部屋からお薬手帳とか探さないといけなくなったとき。
最初は本当に温泉のポイントカードだと思ってて、親が「お兄ちゃん、スパでリフレッシュしてるって言ってたね…ちゃんと話聞いてあげれば良かった…」ってしんみりしてたんだけど、なんか違和感あってよく見たら風俗。あわあわランドは擬態下手くそでバレそうだったから即回収。
ちなみに喧嘩の原因は兄が家からお金ちょろまかしたこと。ちょろまかした時期とポイントカード裏の日付が近くてな…。PS4の横に鎮座する据え置きオナホを隠しながらどつき倒すか悩んだ。本人曰く風俗には使ってないらしいけど。つーか、大事な書類と風俗のポイントカード一緒すんな。
家も自分も感覚変なのわかってよかったわ。ただ吐き出し先がないんでね、これからも増田で吐き出させてもらうよ。
______
私、Dカップなの
親と兄に貧乳だ、Aカップだと言われ続け、学生の時は何も考えずにAカップのブラを買ってたが、独り立ちしてからちゃんと測ったらDカップだったの
正直、貧乳って家族に言われるの嫌だったから、私はDだからもう貧乳って言うなよ伝えたくて
親に言ったら、だからどうした最初から調べなよと言われ(お前がAカップなんだからAカップのブラを買えと言っただろ)
兄に言ったら、お前のそのサイズでDはないwwww間違ってない?と言われた
親はね、若干のネグレクトあるからどうしようもない。教えてないことを常識だから知ってるだろって言い出す人たちだから仕方ないとして。
兄がさあ。
童貞じゃないのよ、大学生の時に彼女いたし、童貞捨てた瞬間彼女の家こもって帰ってこなかったし。
部屋に「大人の温泉倶楽部」とか「あわあわランド」とか風俗店のポイントカード(お姉さんのコメント入り)あったし。
二次元好きすぎてリアルな胸のサイズ感狂ってるんだろうけど、生身の女を知っててもなおわからんか。お前何カップの女なら貧乳じゃないって言うんだと。
ずいぶん昔話だけど。
就職で上京して初のやっと初の一人暮らしした俺が、とにかくやってみたいことはデリヘルの中でもニューハーフデリヘルを呼ぶことだった。
思い返せばきっかけは、大学2年の頃にできた彼女にアナル開発され、その魅力にハマった俺は別れてからできた彼女では物足りず、自分自身でのアナニーに手を出したことだった。
さらに、有名M性感(新大阪秘密倶楽部)ではがっつりアナルを攻めてもらえると聞きつけ、大学卒業前に4回ほど通った。そこでははじめてアナルバイブやペニバンを味わうことになる。
同時並行でハマったのがニューハーフAVである。特に「あやか」という今は引退してしまっているが当時は出まくってきたAV嬢にどハマりする。
ニューハーフAVを見てると思うことはひとつである。このホンモノチンポを入れられてみたい、である。そして検索する限り、あやかは東京のニューハーフデリで働いており、2万円程度で家でセックスできるのだ。
こうして上京した俺は満を辞して(実際にはチンが座して)あやかを呼ぶことになる。
あの本物のあやかが自分の部屋にいる、それだけでも大興奮なのに一緒に風呂に入った時にはもう我慢できず、あやかのチンポにしゃぶりついてしまった。
ニューハーフ初体験でホンモノチンボ初体験の22歳の処女アナルである旨を伝えると、そもそもニューハーフ風俗は若い客が少ないらしく、あやかも心なしか一気に勃起していたように思う。
ベッドに移ってからは早かった。
思う存分しゃぶらせてもらったあとは、気がつくと四つん這いにされ、アナルにバイブをつっこまれた状態で口にあやかのチンポをイマラチオさせられていた。この時の興奮は今でも忘れない。
その後体位を正常位(もちろん俺が下)に変え、ついにあやかのチンポ挿入となった。アナル開発済みだし直前までバイブ突っ込まれてたし、そこまで苦労なく挿入されたが、憧れのホンモノチンポ、それもあのあやかのチンポが入ってくる感触はたまらなかった。ついに初アナルセックスである。
徐々に激しさを増していくピストンに喘ぎ声が止まらず、おもわずぎゅっとしてもらいディープキスされながら突かれつづけた。
感動的なセックスだったなと余韻に浸ろうとしていると、射精したばかりの俺のチンポをあやかがしゃぶり始めた。お掃除フェラなんてありがたいなと思っていたのも束の間、一気にバキュームされていく。射精したばかりだというのに、あまりの激しさにまた勃起しはじめた。
再び勃起した俺のたちんぼをあやかが掴むと、一気にコンドームを着けローションを塗りたくった。そして今度は、僕の上にまたがりあやかのアナルへと挿入したのだ。
僕の上で激しく腰を動かし、2回目はあやかのアナルで果てることとなった。
あやかは3回くらい呼んだし、自分用のディルドとか買うようになったし、ニューハーフヘルス、M性感色々いくし、ドライオーガズムできるようになったし、ニューハーフだけでなく普通に男性ともセックスするようになった。
今は既婚だが、未だに男に抱かれている。
みんなも未知の扉開いてみよう。
ベイコート倶楽部、エクシブの上位施設だね。「離宮」系列より下だけど「エクシブ」よりは良い、中間クラスだ。うちの会社もエクシブの会員権持ってるんだけど、一時期は「東京ベイコートの会員権買いませんか」って結構セールスがかかったよ。
ああいうのは法人や経営者のオーナーが多い。で、社員の福利厚生として使ったり、オーナー一族が使ったりする。会員権もってれば宿泊自体は安い。
会員制リゾートってビジネスモデルが面白くて、新施設の会員権販売という形で会員権を売り出す。つまり建てる前からキャッシュインするので、土地建物の減価償却のことを考えずにオペレーションだけに集中できる。さらに会員権販売が好調なら年会費も入ってくる。一方で、施設の平均稼働率(≒満床率)が上がっても、宿泊費を取れる客が多くない(ほとんどが会員の年間利用権内宿泊)ので、そんなに儲からない。いろいろと普通のホテルとは違う仕組みになっている。本当かどうかはわからないけど、エクシブの営業は「正直、占有権を使って宿泊したお客様に晩ご飯を外で食べられると赤字です」と言っていた。
かつては大学生だった。今から約20年前のことだ。地元の公立高校で必死に勉強して、勉強して、勉強して、青春のすべてを犠牲にして京都大学法学部に合格した。一浪だった。いわゆるイカ京みたいな京大生がたくさんいる中で、自分もその1人から脱出しようと頑張ってみたが、結局だめだった。
40歳が間近になった今では、没落というか、いや元々高い位置にはいなかったのだが……今は、普通に非正規労働者をやっている。契約社員みたいな仕事に就くこともあるが、あまり続かない。1年くらいで辞めることが多い。結局、学歴って大したことはないんだよなぁ、と実社会で働くようになった今では感じる。
これから、大学時代の話をさせてほしい。暗い話になる。みんなジメジメした話は嫌いだろう。だから、すぐに終わらすよ。頑張って五千字以内に収める。リアル一人称が僕なので、以降は僕でいくことにする。
入学式を終えて大学生になった僕は、どこかのマンガで見たようなサークル勧誘活動を眺めることになった。どういう風に勧誘があったか、さすがにまったく覚えていないが笑
でも、僕にはあまり声がかからなかった。ルックスはいまいちで、特にスポーツ系からは全く声がかからなかった。浪人生活がたたって不健康に見えたのだろうな。
文科系からは何度か勧誘された。漫画研究会とか、小説を書く倶楽部とか、山登りの会とかも見学に行ったっけ。結局、どこにも入らなかった。高校時代はバリボーをやっていたが、大学の部活はいわゆるガチめのところが多い。通用しないとわかっていた。
それで、大学1年生(※正しくは1回生)の時は、ごく普通に講義に出て、帰りに図書館に寄って、たまに帰り道にラーメン店を巡っていた。実家は美山町の貧しい農家だったが、親が優しかったので仕送りをたくさんくれていた。月に8万ほど自由に使えるお金があった。
アルバイトを始めたのは、かなり後になってからだ。大学2年生の春だった気がする。退屈に負けて繁華街にあるマクドに応募したんだっけ。
そんな時だった。1年生の秋頃、学内であるチラシを見かけた。『みやこ音楽祭』なるものの開催案内だった。京都の学生有志で集まる大学間サークルで、くるりとかの有名バンドを呼んで京都の音楽を発信しよう、みたいな団体だった。
チラシには第1回の文字はなかったけど、結局第8回まで行われることになった。僕の時は、西部講堂という古めかしい場所があるのだが、そこでライブをやっていた。
いろんな大学の学生が集まる、しかもライブイベントのスタッフなんて、こんな体験は二度とできないと思った。小学校も中学も高校も、文化祭でリーダーをやるタイプではなかった。下働きだった。
数年前のアニメだと、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』で、高校生だけでアメリカ風のプロムをやろうみたいな場面があって、ゆきのんが実行委員長で、八幡が陰の立役者で、いろはすが現場リーダーだったと思うんだが、僕はその現場の下働きだった。
それで、みやこ音楽産業みたいな名前の団体があって、そこに電話をかけて参加申し込みをした。もうほとんど覚えてないが、西部講堂付近のカフェで面接があったのかな、その場で誓約書みたいなやつを書いてスタッフとして登録した。
若い人達がやってるんだろうなぁ、と思っていたら、みやこ音楽祭を立ち上げたのは20代半ばの人達だった。とっくに卒業年齢だったのだが、京大にはあえて留年をして大学の看板を使っている人もいる。ハタチくらいの有志が集まって~みたいな団体ではなかった。
まあ、そうじゃないと、第1回目からくるりや向井秀徳や矢野顕子は呼べないはずだ。伝手があるのだろうなと察したのを覚えている。
もう想像できると思うけど、ここでも下働きだった。現場で机とか、椅子とかを運んだり、他大学へのチラシ配りとか、やはり音響機材を運んだりとか、ライブ中の警備とか、掃除とか、そういう下働きをしていた。
いろんな学生が集まるサークルなだけあって、多様性に富んでいた。僕は4年分すべて参加したけど、僕のような中核ではない臨時スタッフまで入れると軽く50名を超えていた。なんだかんだでマーケティング活動は抜群だった。もし、経営の才能がある大学生がここで活動したなら、きっといい経験になったと思う。
思えば僕は、アニメや漫画でいうところのモブキャラだった。その団体の中核メンバーはほとんど京大生だったけど、中には同志社とか、立命館とか、京都産業とか、龍谷とか、いろんな人が揃っていた。
僕は京大生だったけど、4年間活動してもずっと臨時スタッフだった。そういうところには潜り込めなかった。かと思えば、才覚のある大学1年生(仏みたいな名前の大学の女子だった)が入ると、次の年からは中核メンバーとしてスカウトされていた。
そういう光景を目にして、つくづく自分が嫌になった。自分は臨時スタッフなので、次の年も参加したいと思えば、またチラシを見つけて応募する必要があった。
それで、イベント初回の時は、その1ヶ月後には打ち上げ会があった。その会では、今の自分から見ても相当気持ちが悪い光景が繰り広げられていた。京大の近くにある居酒屋での開催で、和室の座席を貸し切っていた。席の配置は自由だったけど、大体男女が別々に固まる。40人ほどだった。
ただし、主催者の方で誘導して、男女がある程度向かい合わせになるようにする。それで、京都大学の学生のうち、女子と向かいになった人達が、飲み会が盛り上がっている半ばでこういうアピールを始める。※京都の方言は標準語に直している。
「俺、浪人して経済(学部)に行こうと思ってたけど、総合人間でもまあいっかと思って」
「高校の頃の模試は全国で二番だった。医学科行きたかったけど、キツそうだからやめて看護(保健学科)にした」
「お前らまだ若いからいいじゃん。俺こないだのTOEIC220点だったぞ。大学入ってから頭が悪くなっていく一方だよ」
(3/21追記)コメントを受けて。以上は飲み屋での会話だから、卑屈な謙遜がかなり混ざっていると思う。会話自体は確かにこのとおりだ。
こんなノリで会話を始めて、自分の財布から京都大学の学生証を取り出して、目の前の女子に見せびらかす。こんなことを彼らは四年間ずっと続けていた。見ていて情けなかったけど、かくいう自分も、隣の人に振られる格好で一度だけやったことがある。
「え、え、自分京大なん? リッツ(立命館大学)かと思ってた」
「法学部なんですね!! すごーい」
「機材を運んでる時、気遣いがすごかったですね。警備中もずっとお客さんの方を見てた。ほかの人はサボってライブ見てたのに」
今思えば、女子は気を遣ってくれていた。こんなに恥ずかしいことを、当時は若かったとはいえ、自尊心に負けてこんなアホみたいな、つまらない、人間として三級品にも等しい、救いようのない子どもじみたことをしていた。トイレの手洗器に張り付いたタンカスの方がまだ魅力的だった。
で、そんなことをしていると、向こうから中核メンバーが乾杯にやってきた。すると僕の周りにいた京大生は、借りてきた猫みたいに大人しくなる。それで、女子は彼らの方を眩しい視線で見つめるのだ。目のキラキラ感が違う。
……でも、当時の僕は受け入れていた。これが正しい形なんだって思っていた。強い人間がモテて、強い人間がいろいろ持っていくのは当然だと思っていた。僕だって、京都大学に合格した時は、中学校や高校の先生や後輩から神扱いだったし、親族からもすごく褒められたし、母親は泣いていた。
でも、違うのだ。大学が保証する個人の能力というのは、実社会で必要な力のせいぜい20〜30%だ。ほかの能力面がダメだと社会では通用しない。
結局、在学中に目立つことはできなかった。自信が持てるような体験はなかった。学業成績は中の中ほど、アルバイト先は今は亡きマクドナルド河原町三条店で、そこでは全スキルをほどほどに鍛えた。就職活動はコツコツとやって、結果は京都銀行に内定した。しかし、自分という存在に確信がもてないまま、あっという間に四年間が終わっていた。
銀行でのことは話したくない。嫌な思い出だし、気が付けばすごい文章量になっている。増田でこんなに書いたのは初めてだ。
掻い摘んで話すと、社会人一年目から地獄だった。地方支店からキャリアが始まったのだが、預金口座とか、金融商品の営業がまったくできなかった。
営業としての適性がなかった。ぜんぜんだめだった。当時の成績はゼロに近かった。ほかの同期は、月にひとつ以上は契約を取ってくる。高卒で入った男の子や女の子ですらそうだった。
同期に馬鹿にされて、上司には激詰めされて、居場所がなくなって、しかしクビにはならない。いっそクビにしてほしかった。京都の山間部に住んでいる親には「うまくやってる」と嘘をついていた。
三年目のある冬に、メンタルが完全にダメになって仕事中に交通事故を起こした。運転中に手が震えて、ハンドル操作ができなくなった。それで免許停止になってしまって、人事との面談では……もう雇い続けることは難しい、次やったら本当にだめだ、みたいなことを言われた。クビにはならなかった。
まだ次があるのかと思った。上司からは、「お前は京大だからな!! 地銀に入る京大なんか珍しいからな!! できる!! なんとかしてみろ」と何度も言われた。
結局、次の交通事故を起こす前に辞めた。退職手続きはあっさりだった。相応のレベルの会社らしく、有給消化や退職その他の手続きは出社しなくても全部やってくれた。今でも感謝している。
それからは坂道を転がるみたいだった。どの仕事でも2年以上続かなかった。期待していた仕事でも、やってみるとぜんぜんダメだった。先日は、市役所の会計年度任用職員をクビになった。現業の仕事をするポジション(剪定、伐木、廃棄物処分)で募集があったので応募した。
書類選考が通って、市役所の役職者が面接をしてくれた時に、「え……京大なんですか……?」と愕然としていた。自分以外に応募者が10人以上いたけど、現場仕事未経験の自分でも内定を取ることができた。
もうわかっていると思うが、結果は散々だった。口頭での指示を理解できず、とんちんかんな行動を繰り返して、何度も怒られて、1ヶ月も経つ頃には役職の人に呼ばれて三行半を付きつけられた。
「すんません……こないな自分が言うのもなんですけど、事務職やったら……」
「事務職はもうパートさんがおるさかい。あんたには任せれへん」
「すんません」
会計年度任用職員の試用期間は1ヶ月だった。こういうわけで、先日見事にクビを切られた。情けない限りだ。いや、もう僕はこういう状態に慣れてしまった。これでいいのかもしれない。
これからも、アルバイトで日銭を稼いで、スーパーで閉店近くに八割引きになっている惣菜を買って、コンビニでストロング無糖ドライを買って、二級品の梅干しを入れて、ウィルキンソンで割って飲み続けるんだと思う。
最後に知っておいてほしい。学歴は仕事の結果には関係がない。最近読んだ『科学的な適職』という本で、アメリカの研究で学歴と仕事の結果の相関係数が0.1とあった、との記述を見た。つまり、ほとんど関係ないのだ。マイナス相関でないところは皮肉に感じる。
そろそろ仕舞いにしよう。こんなおっさんの愚痴を聞いてくれてありがとう。適度なところで死ぬようにする。いつも布団に入る時に思う、「目が覚めた時に死んでいればいいのに」って、本当にそう思う。
――ああ! 誰かがあの肉體からあの魂を取除いてくれないかなあ!――「造物主」が何かのはずみで手違ひをしたとしか思へませんからね!
未來のイヴ ヴィリエ・ド・リラダン (著), 齋藤 磯雄 (翻訳) P.99
3/21追記 この本の引用が上の言葉の元です。こんなところまで自分の言葉じゃなくて申し訳ありません。
もし若い人がこの日記を読んでいるのだとすれば、学歴と仕事能力は関係ないって、それだけでも心に刻み付けてほしい。そうすれば、僕のような人間を少しは減らせるかもしれない。
騙せないと分かった時点で放置。客から言ってきたときだけ仕方なく対応するって感じ。内見すら用事があると言って行かない。
悪い不動産屋ともっと悪い不動産屋しかないからその中からマシなところを探すしかない。
契約書も一方的。契約書を書き換えたりすることは一切ない。この契約書で納得できないなら帰ってって言われる。
騙されているフリをしないと契約できないので入居時・更新時・月次でヒドい内容じゃないか確認してそれ以外はスルーするしかない。指摘は無意味。たまに〇〇倶楽部・なんとかサポートみたいなのに加入させられて賃料とは別に月次でお金を取られるところがある。
大家はいい人もいるので、大家の当たりを引ければそうそうトラブルはない。
経験上、大家が企業なら共用部の掃除がしっかりされているかだけ確認すればいい。業者は仕事でやってるだけだから全部ドライ。放置されてなければいい。
個人なら値引きもフリーレントもなんにもしないところは地雷の可能性高い。千円でもいいから値引き交渉してみて、成果がなければやめた方がいい。玄関ホールの明かりまで消すようなドケチだった。勝手につけたらわざわざ直に文句言いに来たわ。
値引きしてくれたところは終始いい人だった。一階に住んでたから良く会ったけど穏やかだし、修理とかもすぐやってくれた。
年明けたけど振り返っておく。
上半期は成長に停滞感があった。5 月で現職について満 3 年が経ち、コンフォートゾーンに入りすぎていた。
いつもと同じメンバーでいつも通り Rails や React を書く仕事に不満はなかったが、成長のためにもっとチャレンジングなことをしたかった。
夏頃、ちょうどチーム異動の打診がやってきたのはラッキーだった。
9 月からは新しいチームに配属されて、チームメンバーや仕事の進め方、技術スタックまで全てが変わり、新鮮な気持ちで働けた。
go が書けるようになったことや、MVC + ORM 以外のバックエンドアーキテクチャを学ぶことができたのは大きな成長につながったと思う。
APEX のランク戦でダイヤ帯に行った。春が終わる頃まではほぼ毎日欠かさずにやっていたと思う。
ダイヤ帯に行ってからは目標がなくなったので引退気味になっていたが。友達とおしゃべりしながら遊ぶ分にはまだまだ楽しい。
ポーカーはあまり上手くなれていない。戦法が凝り固まってしまっている。ターンでブラフレイズを打ったりポラライズベットができるようになればもっと強くなれると思う。座学がまだ足りていない。
人との出会いを増やすために一人で飲みにいくようになった。知らない人と話すのはいい。バーの店員と仲良くなったりした。
やっとマッチングアプリを辞めた。もう一生やらない。
https://celstore.shop-pro.jp/?pid=171912527
ダウンは似合わないけど、これはダウンとマウンテンパーカーの中間みたいな感じでよい。1LDK に売っていた。
映えスポットに行ったら服にカメムシが大量について萎えたが、俺の足はカメムシより臭かった。
RubyKaigi で行った。松坂牛を会社の金で食いまくった。
中目に住んで 2 年になり、旨い店がわかってきた。
めちゃくちゃ安いのに旨い。
2022 年短かすぎだろ。