はてなキーワード: 「ありがとう」とは
確かに私も、発達障害ゆえの生きにくさを克服するためにひたすら下手に出て卑屈に生きてきてた時期は「ありがとう」とか「ごめんなさい」が言えない(というか感謝の気持ちが湧かない)人だった気がする。 - 頭の上にミカンをのせる
https://www.tyoshiki.com/entry/2024/03/21/005308
「障害者にとってありがとうというは苦痛」というと叩かれがちだけれど、こういう悲しい事情があることを考えるとちょっとだけ優しくなれるかも - Togetter
https://togetter.com/li/2334545
俺は「ありがとう」言われる方が苦手な人だ。俺自信、間違いなく非定常、有り体に言えば精神異常者だけど、抑制も効く行動可能者なので健常者の部類だろう。
定常行動が苦手なだけで、やれなくはないし、理解もあるし、感覚も伝わる。高血圧心臓異常のせいでヘルプマークは付けてるけどな、椅子に座りたいんで。
「できる当たり前」をしてやっただけなので「ありがとう(感謝)」なんてのはいらんのだ。妻にもそう言っているが、妻が不機嫌になるので受け入れている。妻は精神疾患者であり、俺の世話が必要なので。
ただ「やってもらって当たり前だろ!(車椅子)」みたいな態度には「だったらそこで乾いて死ね」ってマジで思うので「オマエのプライドなんか知ったことか」としか思わん。
なので「ありがとう、なんて言わなくていいぞ」ってのが俺の結論だ。
車椅子の連中があんなにイキリモードなのは「歩けない以外ただの健常者、場合によっては暴力的な定常者」ってことなだけ。腕の力も強いからより暴力的なのだろう。
精神を病んでいる人たちで「生きづらい」だけの人はもっともっと卑屈だし、面倒はあるが、優しい。
杖突きジジイなんかも暴力的だね、足腰が悪いだけで、頭が「暴力的な定常者」だから。
見るからに分かりやすい「ハンディキャッパー」だから偉そうなんだよ。そういう風に周囲も気を使ったからだよ。ワシが育てたどころが、世間が育てたんだよアイツラ。
確かに私も、発達障害ゆえの生きにくさを克服するためにひたすら下手に出て卑屈に生きてきてた時期は「ありがとう」とか「ごめんなさい」が言えない(というか感謝の気持ちが湧かない)人だった気がする。 - 頭の上にミカンをのせる
https://www.tyoshiki.com/entry/2024/03/21/005308
「障害者にとってありがとうというは苦痛」というと叩かれがちだけれど、こういう悲しい事情があることを考えるとちょっとだけ優しくなれるかも - Togetter
https://togetter.com/li/2334545
俺は「ありがとう」言われる方が苦手な人だ。俺自信、間違いなく非定常、有り体に言えば精神異常者だけど、抑制も効く行動可能者なので健常者の部類だろう。
定常行動が苦手なだけで、やれなくはないし、理解もあるし、感覚も伝わる。高血圧心臓異常のせいでヘルプマークは付けてるけどな、椅子に座りたいんで。
「できる当たり前」をしてやっただけなので「ありがとう(感謝)」なんてのはいらんのだ。妻にもそう言っているが、妻が不機嫌になるので受け入れている。妻は精神疾患者であり、俺の世話が必要なので。
ただ「やってもらって当たり前だろ!(車椅子)」みたいな態度には「だったらそこで乾いて死ね」ってマジで思うので「オマエのプライドなんか知ったことか」としか思わん。
なので「ありがとう、なんて言わなくていいぞ」ってのが俺の結論だ。
車椅子の連中があんなにイキリモードなのは「歩けない以外ただの健常者、場合によっては暴力的な定常者」ってことなだけ。腕の力も強いからより暴力的なのだろう。
精神を病んでいる人たちで「生きづらい」だけの人はもっともっと卑屈だし、面倒はあるが、優しい。
杖突きジジイなんかも暴力的だね、足腰が悪いだけで、頭が「暴力的な定常者」だから。
見るからに分かりやすい「ハンディキャッパー」だから偉そうなんだよ。そういう風に周囲も気を使ったからだよ。ワシが育てたどころが、世間が育てたんだよアイツラ。
でも記憶にある限り一度も、国民のために政治を回してくれてありがとう、なんて聞いたことない。
もちろん被支援者は「ありがとう」を発することに、より正確にはいちいち他人の手を借りなければならないことにストレスを感じている。
でもそのことが問題になるのは例えば災害被災者のようなケースだ。
機能回復の見込みがない身体障害者は、そういうことについてはある意味覚悟ができている。乙武洋匡の図太さとかあっけらかんとした態度を見よ。
バリアフリーにまつわる事案は、基本的に銭勘定と技術マターだ。「ありがとうと言え」とか「ありがとうというのも辛いんだ」とか、そんな枝葉末節の感情的要素ばかりに着目する意味がない。
なんでも善悪や感情の話にしてしまう、悪しき心理化のパターン。
そもそも我々みんなが現代文明の技術によって生かされている。助けてあげる側・もらう側などという別は存在しない。
「誰かが騒いで闘わないと何も変わらない」とかいうたわごともバカの口に膾炙しているが、化成肥料の製造技術は弱者のために闘って勝ち取ったものではない。軽い車椅子だってそうだ。単にニーズに応えて優れたものを作ろうとして作っただけ。
車椅子で不便したというインシデントがあったらじゃあ具体的にどうすればカイゼンできるのかなと考えるべきであって、誰かを吊るすことしか思いつかない能無し正義マンはお呼びじゃない。
車いす使ってる身体障害者が映画館で拒まれたからぴえんして炎上の延長線をあちこちでわーわーやっとりますが
車いす使ってる人は介助されたら「ありがとう」って言うのが当たり前だろって話から
車いす使っている人に「ありがとう」を強制する社会はよくないって話になって
車いす使っている人は「ありがとう」を言わなくていい!までエスカレートして
その理屈が健常者は日常生活を送る中で「ありがとう」を言わないだろうとか
自分はお店で親切にされてもサービスなんだから「ありがとう」を言わないとか
世間一般と比べて割と現代的・進歩的な考え方が尊ばれる事が多い(と俺は信じてる)はてなでこの増田みたいな言説にそれなりの賛同が集まるのは単に概念が知られてないだけなんじゃないか?と思ったので書く
この冒頭20字足らずの時点で、合理的配慮を車椅子ユーザーに対するサービスだと思っていて、言い換えると障害者=受益者だと思ってるだろ。これは「障害」を障害者個人が持つマイナス特性だと捉える「個人モデル」というヤツで、20世紀に廃れた考え方なのよ
一方、日本を含む今の国際社会は障害を「社会モデル」で考えるのが常識なのね。一言でいうと、「社会が“五体満足で定型発達な健常者”向けにできてる」ために、それ以外の人が不利益を被ってる状態が「障害」の正体だ。例えば仮に、街に段差や隘路が全く無かったとしたら、車椅子ユーザーであることに何の障害も無いだろ
彼ら障害者が特別なサービスを受けて優遇されるわけじゃない。俺ら健常者が「既に特別なサービスを受けて優遇されてる」のよ。俺らが既に受けてるサービスから排除されてきた人らに対して、遅ればせながら可能な限り穴埋めしますよ、と。これが合理的配慮なわけ
そうは言っても現実に金も人も有限じゃないか? 社会の整備にコストが掛からんわけないだろ。少なくとも、「障害者に対して割くコスト」って考えを止めろ。それは「社会に対して割くコスト」であって、個人に関連づけて言うなら「健常者がこれまでに得た利益の還元」だ。自分の考えを変えるのにコストは掛からん。今すぐ変えろ
この増田だけじゃない。本件に関して「サービスを受けたら“ありがとう”を言うのが常識だろ」とか言ってる君ら全員これだぞ。彼らに「ありがとう」を言わせる前に、俺らが社会に対して「健常者を優遇してくれて“ありがとう”」と言わなきゃならんし、障害者に対して「健常者ばかり優遇されて“ごめんなさい”」と言わなきゃならん。「ありがとう」「ごめんなさい」はコミュニケーションの基本だとか言ってる君らは当然言うよな?
そりゃ理念は理念だよ。理想論的な部分もあるだろうさ。でも、現場ですぐに実現できないからといって考え方まで現状維持を是とするのは現実主義でも何でもない、単なる知的怠惰だろ?
何かまとまらないので、障害の「社会モデル」の考え方についての真面目な説明は首相官邸のページとか見て下さい
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tokyo2020_suishin_honbu/udsuisin/pdf/kyo02.pdf
具体的でわかりやすい例示はこのへんとか
前の上司がやたら「すごいね」「ありがとう」を連呼するタイプだった
ExcelとかWindowsのちょっとした操作だけで「増田君すごいね~」「さすがだね~」「増田君がいて助かったよ~」とか言われても本当に大したことないから(マクロでもないセルの書式設定くらいのレベル)逆に嫌味かよと思ってたんだけどそうやって持ち上げて雑用させようとしてるんだなと思ったら腑に落ちてそこからは真面目に聞かないようにした
それ以来ちょっとしたことにやたら「ありがとう」連発してくるやつは信用しないようにしてるし自分もべた褒めはしないで挨拶程度に留めるようにしてる
「ありがとう」言っとけば働いてくれるだろと思ってるやつも「ありがとう」言われたから働いてやるよみたいなやつもどっちも近付きたくない
車椅子をはじめとした障害者の人って、健常者よりも一生で言うお礼の数が多いわけで、気遣いを辟易する気持ちもわかるんだ。
だって、本当なら人に声を掛けなくてもできたかもしれないことが、他人ありきでしか動けなくて感謝が義務になる。
機嫌悪くても、本当は人が嫌いでも、自分の力だけでは動けない。その上「ありがとう」と言わないと手を貸した他人はイラッとするでしょ?
他人からしたら「たまたま貸した人」だから、助けるのが当たり前のような態度されたら嫌だ。でも当事者は何十何百回と貸され慣れたうちの一つだから、完璧な対応が取れないときもある。
「助けてくれた人には一言お礼ぐらい言う」というのは正論だが、そもそもそれは「自力で完結させる」という選択をできる人の理屈な気もする。
自力でできるのに人の手を借りたということと、できないから借りるしかなかった、は似ているけど後者のほうが苦しいのではないだろうか。行動をするたびに、他人の影が付いて回る。
その苦しさを他人にぶつけずに生きている人のほうが案外貴重だったりしないか?ただ、健常者同士であれば関わることが少ないだけで。
一人で生きたくても他人の手を借りないという選択が取れないというのも、障害の一つなのかもしれない。
自分は接客業なのに、客を前にすると「ありがとうございます」の言葉が喉をつっかえて出てこないときがあった。
何度も口内炎を作り、家とは違い滑舌が回らない10文字には憎しみしかなかった。それでも客は聞きたかったのだろうか。
なら、もう「ありがとう」の価値を落として、ボタン一つでお礼言ってくれる機械でも普及させようよ。
「いらっしゃいませ」と声を出すたびに「これこそ機械でいいじゃん」とずっと思っていた。
そっちのほうがお互い楽だ。
具体的にはトイレに行けない試験を受ける場合、受験前1時間の間にトイレに10回くらい行くし、そうでなくても1日10回以上トイレに行く
なので他人と行動しているときに「すまんトイレ行ってくる」がめちゃくちゃ発生する
まあトイレなんかみんな行くんだが、トイレ行った10分後にまた「すまんトイレ行ってくる」が発生したりする
このときの俺の感情は「待ってくれてありがとう(負い目なし)(言うだけ無料)」ではない
「ごめんなさい」は言う
「待たせてごめんなさい」もいうし「意味わからんくらいトイレいってごめんなさい」の気持ちもあるし、「俺じゃなければこんな面倒な思いさせなくて済んだのにな」の気持ちもある
そもそも俺はこのシチュエーションが嫌いなのでなるべく他人と行動をしないようにしている
だからそもそもごめんなさいを言う頻度が少ないので、耐えられる
でも他人に迷惑をかけている自覚はある(そんなこと感じる必要はないですよ、みたいな話はあるだろうが、「なるほど〜じゃあ平気でいよっと」とはならない)(だってみんな迷惑かけられると怒るじゃない?)(俺も外でタバコ吸ってるやつがいると「くせーな」って思う)
そんなに「人にやってもらうなら、ありがとうは当たり前」であるならば
コンビニやスーパーのレジではさぞみんなの「ありがとう」の声が飛び交ってるんでしょうねぇ— 赤木智弘 (@T_akagi) March 17, 2024
これに対してX民は全員「言うのは当たり前」みたいな感じになっているけれども、
俺は言わないんだよ。スーパー・コンビニ店員の「ありがとうございました。」のタイミングで会釈だけしてる気がする。
なんで言わないか考えたら「ありがとうございました」に「ありがとう」で返すのタメ口感があるから結構抵抗がある。
でも「ありがとうございました」で返すのは長くて言いにくい。では「どうも」について考えたらあんまり抵抗ないしもしかしたら言ってるかもしれん(どうももタメ口じゃね?)。
「ありがとうございました」に対して何も返さないのは悪いから会釈になる。
でも飲食店ではだいたい「ごちそうさま」って言ってる(ごちそうさまもタメ口じゃね?)。
最近のここらへんの投稿が気になったので、40代で結婚相談所に入って成婚できた経験も踏まえて書いてみようと思う。
確かに、消極的な人もいたけど、そういう人とはお見合いより先に進まないことが多いのであまり印象に残らない。
3人中2人が成婚しているので、成婚実績は66%ですごく良い。積極的で魅力的な人が33%もいる。
ところが、相手の男の立場から見るとお見合いで積極的なA子に出会える確率は4/76なので5%ちょっとしかない。20人に1人の確率になる。だから会っている人の印象としては、たまに積極的な人がいるけど、ほとんどの人は消極的か、こちらから好きになっても選ばれない、となるのだと思う。
実際に例にあげたような積極的な人はすぐに真剣交際のステータスに変わっていたので、あっという間に成婚してしまったのだと思う。
戦略としては次のようにすると良いと思う。
積極的で人を好きになりやすいタイプの人はすぐに成婚してしまうので、新規会員から積極的に申し込む。
例えば次のようなもの。これは、相手のプロフィールを検索するときの条件にするだけでなくて、自分のプロフィールにも書いておくといいと思う。
プロフィール写真がカジュアルな人、プロフィールが短い人、プロフィールに悪条件が書いてある人などでも、実際に会ってみたら良い人はいるので、気にならなければ積極的に申し込む。
何も考えずに写真を見て申し込むと美人ばかりに申し込みがちになるので「美人投票では上位に来ないかもしれないけど、自分の好みのタイプ」というのを意識して申し込む。
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あそこまで極端じゃなかったけど、なんか気に入らないとか周囲からしたら全然真っ当でも何でもないけど本人的には"ちゃんとした"理由とかでイジメに走る女子
真田たちみたいに表向きには明るくて活発な人たちで、いわゆる陰キャ側の私とは今までこれといった関わりもなかったのに(同じクラスというだけ)いきなり陰口のターゲットにされた時期があった
やられてる間は理不尽でしんどかったし、しんどいけど親とか学校とか周りの大人は当てに出来なかった
心たちと違って学校に行かないことは許容されなかったので仕方なく通ってたら、向こうが飽きたのか何か別の理由があったのか、よく分からないまま私は陰口のターゲットではなくなった
それからしばらく経った頃、陰口を言って盛り上がっていた女子の一人が私によく話しかけてくるようになった
どうも例のグループから弾かれたらしく、その時には彼女がターゲットになっていた
今まで好き勝手に人に嫌な思いをさせておいてよくもまあ……と思わなくはなかったが、嫌な人たちと同じことをするのもどうかと思ったので、彼女の話し相手になったり二人組で何かする課題の相手になったりする程度のことはしていた
そんな風にしていたある日、掃除の担当場所に向かいながら彼女と話していたらハブった側のグループがすれ違いざまに「(私)さん、(彼女)の相手してるとかかわいそ〜」とあの聞こえるっちゃ聞こえる声量で言われたことがあった
いやお前らにだけは同情される筋合いないだろうとか、そもそも本心で思ってもないだろうとか突っ込みたくはなったけど、口には出さなかった
俯いていた彼女に「気にしないほうがいおよ」と月並みな言葉をかけると、彼女は「ありがとう」と返してきた
でも内心では面倒臭えと思っていた
ハブられた途端にぴえんの絵文字みたいになってすり寄ってきた彼女(マジでどの面下げてきたのか分からない)のことも、他人で憂晴らしか何かをするグループの女子たち(雁首揃えて他にすることないの?)のこともとにかく面倒臭かった
ただ今更この環境を壊すとそれはそれで面倒臭いことになりそうだなという打算的なことも考えていた私は、結局この変な人間関係を年度末まで続けていた
なにもかも面倒臭かったが、面倒臭がり故に全部なあなあにして過ごした数ヶ月間だった
学年が上がると彼女ともグループの女子たちとも別のクラスになり、あっさりと彼女たちとの関わりは終了した
進路も被らなかったし当然知らないし今どうしてるかも分からないしなんなら記憶の彼方に押しやられていたけど、金ロー見ながら思い出したからここに書いて寝ることにした
映画の方は真田がどうなったかは特に描かれなかったけど(真田がどうなるかなんて関係ないからね)、なんとなく中学時代のあの女子たちみたいな感じで面の皮を厚くして図太く生きてそうだとは思った