はてなキーワード: エイとは
最近自分の人生を振り返って絶望していたが、そもそもの原因は自分がどういう人生を生きたいのかまともに把握できずに多方面から減点法をつけているから人生がマイナス1000点に見えているかららしい。
そもそもそのどういう人生を生きたいのかが子供の頃に持っていた夢を基準にしているっぽい。
つまり俺はサッカー選手になりたかったし、ヒーローになりたかったし、ゲーム名人になりたくて、アイドル、博士、開発者、パイロット、料理人、その他もろもろのありきたりな夢を夢見てそしてそのうちの1つを叶えて普通のサラリーマンになった。
つまり俺は迷子になっていると思い込んでいるだけで本当は目的地にいるんだと思う。
たとえるなら旅行先を選びきれずに北海道と沖縄と東京と大阪と神戸と水戸と能登と香川とアメリカとイギリスと台湾とインドとその他諸々のあちこちにいきたい気持ちを抱えたままでそのどこかにいる状態なわけだよ。
今ここにいる自分も別に悪くないと割り切ればいいだけなのにいつも考えているのは「そもそも俺が目指すべきはもっと別の場所だったんじゃないのか?」という減点方式の思い込みでしかねえんだろうな。
それもこれも今時分の現状をどう思うかではなく、子供の頃の自分から見て今の自分が満たされているかどうかだってわけだよ。
どうせどんな生き方を選んだって「陰キャっぽい」「陽キャっぽい」「社会の役に立ってなさそう」「クリエイティブじゃない」「支離滅裂すぎる」「縁の下の力持ちが一番えらいのに」とアレコレ理屈をつけてそれを見下げ果てる自分がどっかに出てくるんだろうから気にするだけ無駄なのに。
あんまりもうそんなに躍起になって缶ジュースとか可愛いコスチュームの設計図、
ゲーム中のレアアイテム収集を一所懸命探すよりも私はストーリークリア優先で進めていったの!
もうさ、
だってもうストーリー上のかつての輸送ルートでチューブみたいなところをシャーって滑走して行くシーンの場面があるんだけど、
もちろんゲーム性を抜群に上げるためにゲーム的な要素があるから障害物が中にあんの。
それが厄介で1ミリでもかすったら3回ぐらいで死んじゃう、
ボス戦も難すぎるので、
ノーマルモードからストーリーモードに変更したらマイルドになるので難なく、
チューブ内障害物全当たりでも突破できちゃうマイルドさはどうよ?って思うけど逆にサクサク進めて気持ちいいのは気持ちいわ。
でもボス戦は前にも書いたけれど、
今だ!ボタンを押せ!って回避のチャンスをシステム的に与えてくれるんだけど、
そんな余裕ぜんぜんないし間違えて違うボタンを押しちゃって、
ぜんぜんアシストになっていないけれど、
それ慣れればうまくチャンスタイミングを教えてくれるボタンを押すことができるようになるので、
それでもボスは充分にめちゃ強いけどね。
プロモーション動画でよく出て来るシーンがラスボスのラストシーンかと思ったそれなんて小林幸子さん?ってさんざん使い古された言葉をいっちゃいそうにそう思ったけれど、
そのシーンから何体あとボスいるの?って言うぐらいそれ以降ボス戦多くて辛かったわ。
だんだん終盤になってくると回避不可能の即死エリクサー削り攻撃してくるので、
しかも復活できるエリクサー的な装備は1戦闘中に1個しか持てないのよ。
その即死攻撃はおおよそ2回くるので1回はエリクサーで誤魔化して2回目はなんとか回避しなくちゃいけない腕前が試される真面目なプレイが求められるの。
そのボスが放った即死玉を全部時間内に飛び道具で撃ち落とせば即死攻撃を回避できることができるの。
ふふふ、
もちろんスプラトゥーン3ではそこそこのポンコツエイムでもキルできる腕前と立ち回りはしているつもりだからある程度の自信はあったの!
でも、
これだけが唯一のなんなら難ぐらいな難ぐらいぜんぜん操作性が悪くて、
右スティックボタンで銃とかの標準が出てくるんだけど即死攻撃のそのオブジェクトにうまく狙いが定められないの!
私はそこそこのそういう自信があっただけに、
まだPS5のコントローラーに慣れていない、
これなんとか狙いやすくならね?って思って苦戦すること256戦目でやっとやっとやっとよ!
その即死回避負荷攻撃のオブジェクトを発動するまでに全部撃破することができたの!
今がチャンス!いやピンチ!
そう言うぐらい現場は混乱していて、
イヴがタキパワーを纏うパワーアップで変身してそのタキパワーの間は体力が減らないからそう言うことを気付いてから、
そのタキパワーの技でゴリ押しのあとボスの体力5ミリ!広末涼子さんが恋するのはマジで5秒!ってところでやっとのことで、
本当のラスボスも討伐!
街の用水池みたいな防火用水みたいな四角いコンクリートの枠のそんな池みたいなところで、
なんで18トンのジンベイザメが釣れんのよ!ってそっちの方がラスボス級だわ!って
魚影とはぜんぜん違うデカいカジキマグロとか釣れると笑っちゃうわ。
すっかりイヴのそのおっぱいとかお尻とかのセクシー要素とかイヴ可愛い!とかすっかり忘れちゃってたわ。
そんでね、
今こういうお話のストーリーって重厚で重めな内容多いじゃない!
ラスボス倒して街に戻って
王様に報告してみんなでわーい!って感じじゃなくって、
これ何種類かあるマルチエンディングみたいで
どのエンディングも手放しに喜べない、
なんか後味はスッキリ爽快!な味わいのエンディングではないモヤモヤの後味の重たさが今どきなのかなーって。
そのストーリーの重さにちょっとイヴ頑張ったのに気の毒だなって思ったわ。
なかなか作中で感情を露わに出すことが少ないいやほとんどないので、
イヴはどう思うんだろう本当のところは?って思うけど
私はこれから自分を信じて!ってそんな内容のことを言ってくれるから私の判断に寄り添ってくれるようなセリフ回しでグッときたわ。
でもその選択をどちらにしても
いまいちストレートなハッピーエンドとは言い難い終わりでちょっとしんみりしちゃったわ。
イヴの華やかで艶やかな見た目とは裏腹にとにかく重たいわ。
しんみり重く受け止めスタッフロールを見終わったと言う感じ。
言い方「生まれてきた!」だよ。
育ったじゃなく生まれてきた!なのよ。
バックグランド重すぎない?
最後の話の中身はとにもかくにも重いなぁ。
角煮は煮すぎると溶けちゃって無くなるけれどさ。
でもいいの私はこの話の中の謎、
つまりはこの話『ステラーブレイド』の終わりまで見届けることができたからね。
ゼルダの伝説ブレスオブザワイルドのクリアが3年ぐらいかかったから
と、言っても2年半ほったらかしだったのはここだけの話だけれど。
一気に60時間でクリアとはこれは私にしちゃー超早くない?って。
あとずーっと作中思っていたのが
作中の言い方だとアンドロエイドスって言うんだけど
いろいろホットなので今、
私も製作者側のネット記事とかインタビューとか気になって読んでいるんだけど
それか製作者側はワザとそう言うこと言って賑やかしているのかもしれないし、
でもこれちゃんと作品を辿って見ていけばイヴはアンドロエイドスと言うことは分かるから、
たぶん謎に思ってる人はイヴはアンドロエイドスだってことは納得してくれると思うわ。
それとイヴ基本ずーっと不気味なほど無表情なのよね。
多少の人との会話でのやり取りで表情が明るくなることはあるけれど、
まだ作中の酒場で出てくるアンドロエイドスのエンヤって言う人物の方が感情や表情が豊かなのよね。
動きはぎくっしゃくしているけど、
これイヴにないものを持ち合わせていると言う対照的な描画なのかしら?
エンヤは旧型のアンドロエイドスか分からないけど動きはロボット的な動きだけど表情や感情はより豊かなのよね。
今それ気付いた!
だからアンドロエイドスのバージョンに関わらず感情っていうのはあると思うの。
現にイヴを強化したりサポートしてくれる仲間のリリーはよく笑っているし感情豊かなのよね。
この空挺部隊がいる宇宙のコロニーのことも何も作品詳しく言ってるところがないし
一番冒頭の最初のシーンのタキとイヴの関係性もよく分からない、
なんでそもそもとしてアンドロエイドスが生まれた背景とか誰がそれ作ったの?とか
その人たちはアンドロエイドスとはまた別なの半分人間半分機械のアンドロイドなの?
いろいろ謎がありすぎて謎よ。
そのぐらいステラーブレイドの世界が私にとって魅力的であるとともに、
一番の魅力はやっぱり圧倒的な存在感を放っているイヴのキャラクターにある私が惹き寄せられた一番の理由でもあるわ。
ゲームはNintendo Switchで上海とスプラトゥーンが遊べたらそれで充分それでいっかー!って思っていた私をプレイステーション5の本体まで買わすとは!ってぐらいイヴはこの話で終わらせてしまうには勿体無いのよね。
またなにか安直に続編は望まないけれど出たらもちろん嬉しいわよ!
続編の話は時期尚早で涙そうそうかもしれないけれど、
何年経ってもどんなゲームのハードでもいいからまたイヴに会いたいなって素直に思わせてくれたわ。
そのぐらい魅力的で強くて美しくてカッコいいイヴなのよ。
作中のセクシーコスチュームとかアクセサリーでつけられるメガネとかで
ゲームのピタピタのバトルスーツを着た強い女性はだいたい人間が人工的に作り出した人造人間的な設定が多くない?って
まあメトロイドとステラーブレイドのその2作しか知らないけれど、
その説濃厚説有力あるわ。
メイン移動の宇宙船のテトラポットは多分絶対メトロイドのスターシップみがあってインスパイヤあると思うわ。
これは憶測だけど。
でも何だか話を終わらせちゃった終わらせたくないって気持ちもあったけれど、
一応のこのイヴの作中の中のお話は最後まで見届けられて大満足よ。
とても私にとっては楽い冒険だったわ。
またイヴに会いたいな。
うふふ。
みかんの花咲く丘公園前駅の商店街の喫茶店のモーニングで和食モーニングよ。
パンを払う手間がある和食は箸でご飯をつまめるから手が汚れないわ。
鯖重なるわね。
でも美味しいからいいのよ。
すっきりとした爽やかな緑茶の風味が広がっていいわよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
二言目にはチー牛がー!童貞がー!おじさんがー!
自分たちこそルッキズム、セクハラ、エイジズム丸出しのキモオタオバサンのくせに、自分が言われると差別がー!
これがこいつらの本性だよ。
自分や他人の理解について、それで済むならあまり説明的な言葉を使いたくないと考えてしまいがちだ。既存の言葉で説明しようとすると、端っこを捨てたり、体の肉の形を変えたり、捻じ曲げたりしなくてはならないところが少なからず出てくる。辞書に載っている言葉は対象そのものを表すためのものではなくて、指し示しているものがなんであるか理解するための補助線だと思う。その言葉ひとつですっかり代替できる人間の性質などなく、強いて言えばその言葉に近いかも、という感情や状態があるだけ。だから小説というものが、言葉でまるごとをそのまま表そうとする試みとしてあるのだろう。
でもマイノリティに関わる言葉については、説明的な言葉を使いたくないという動機だけで特定の言葉を避けるのでは取り漏らしてしまうものが多すぎる。その使い方自体に政治性や歴史的背景が帯びてくる。その言葉を意図的に使うこと自体が抵抗になったり、その言葉を避けて使わないこと自体が、その人たちをなかったことにする流れに与したことになったり、できるだけフラットに使おうとすること自体が確実にいまある差別を見て見ぬ振りすることや、既存の差別構造の再生産に与したことになったりする。
言葉を使えば私はノンバイナリであるしエイセクシャルであるなどと言うことができるが、そう言ったそばからそれを言うために捨てたもののほうが気になってしまって、眼の前の話に集中できなくなる。だから私はそういう言葉は使わない。カミングアウトなどということもしっくりこないからしない。ただ話している相手の目の前に、なんとなく性別の規範から外れた感じの私がいるだけだ。それだけでいいと思うのに、自分が選ばないことでどういうフリーライドをしているのか、私は計算することもしていない。私は先人の努力に甘えているのだろうか。あるいは私がなんとも言わずにこういう自分であることで、誰かを励ますことになっていたりしないか。
毎日死ぬことばかり考えてて、週末は当たり前のように家に引きこもって風呂キャンセルする典型的ミドルエイジクライシスです。
さらっと書いてますが、とにかく何をするにも「死ねば無意味」という言葉が邪魔をして、やる気が全く湧いてきません。
そこに来て身体的なガタがきて、スポーツはもちろん、ウォーキングもままならない状態。いわゆるよくある八方塞がりですね。
テレビを見てもネットを見ても近しい世代の訃報が毎日のように流れてきて、見ないほうがいいとわかっていながら、速報とかで不意打ちをくらっては鬱に落ちる。
見る夢全部自分が追い込まれる夢で、夢だとわかっていながら現実にも悪いイメージを引きずってしまう。
考えること全てが悪い方向に転がり、その先に待っているものは死。虚無。
それが全ての今を否定する。
あぁ、こうやって人間は鬱になっていくのかと実感するような毎日。
ただ、やっぱりこのままじゃいかんなと思って、なんでそういうふうに考えてしまうのか自分なりに向き合うことにしてみました。
そうすると、どうもなんだか死というものを色々な言い訳にしているような自分が見えてきました。
今抱えている不安というものを色々と並べてみたら、全部がなにかの言い訳みたいに思えてきて、それが何の言い訳なのかを考えたら、要するに今生きるための覚悟に対する言い訳だっていうことに気が付きました。
どうせ死んでしまうことを、ずっと何かの免罪符のようにしているように思えました。
それはたしかにそうかも知れないけど、今生きている事実も現実です。
それであれば、生きている限りは生きる覚悟が必要なのではないか。そんな感じでこの言葉に連想がつながっていきました。
これが面白くて、それまで死という虚無が襲いかかってくるとやんわりと丸め込まれてモチベーションがなくなっていたものが、「死ぬまでは生きる覚悟」を決めたという気持ちがあると、とりあえず一瞬ではねのけられるようになりました。
負の連想ゲームを、一言でキャンセルできるようになったというとわかりやすいかも知れません。
夜、布団に入ってふと不安に襲われた時、夢うつつの段階で急に死を意識してしまう時、飛び込んできた訃報に悲しみより先に虚無感に襲われた時、自分が「死ぬまでは生きる覚悟」を決めたのだと思うようにすると、それ以上不安なことを考えなくなりました。
そんなに単純ではないかも知れませんが、でも、いつ死ぬかわからないことをずっと不安に思い続けるより、どうせいつか死ぬのだから生きている限りは生きるのだというように覚悟を決めてしまえば、あとは全てを受け入れるだけになったような気がしました。
まだそう思うようになって時間が短いのでこれからまた別の不安に襲われるかもわかりませんが、他にもこんな方法があるよーなんてアドバイスが欲しいです。
突然鬱な展開でごめんね。
ただのエイジズムだよね
・キャラクターの特徴して主役級のキャラはほとんどが男で女性のキャラは脇役が多い。
(例えば性格で言えば、男キャラは優しいキャラから〜やんちゃガサツ、知的なキャラ、不細工なキャラまで色々ある)
→ロールパンナとかおくらちゃんとかドクダミふじんとかバリエーション多いじゃん
・また男キャラはおっさんキャラやジジイのキャラもいるが女性キャラは魔女以外は若いキャラがほとんどだった(※エイジズム丸出しw)
→ドリアンおうじょとかちゅらおばあとかてんどんさあさんとかいるじゃん
・あと母親と息子の関係性は結構出てくるが、なぜか母親と娘の関係性はあまり出てこない。(記載するまでもないが、子供の面倒を見ている父親キャラはほとんど登場しない)
→まあそれはね。時代性はあるでしょ。
・たまに思い出したかのように、マイノリティっぽい設定のキャラが出てくるけど、たいてい単話のみの登場でレギュラーキャラとして登場せず、設定ポルノやノルマとして消費されるだけの存在でしかなかった
お前はアンパンマン大図鑑買って俺みたいに1000話以上見てから物を言え!
ていうか釣られたわ!
飯を食わせて、風呂に入れて、歯を磨いて
『アンパンマン』を一緒に見てる
アンパンマンって今見てみるとジェンダーバイアスの塊でドン引きしたわ…
例えば、
・キャラクターの特徴して主役級のキャラはほとんどが男で女性のキャラは脇役が多い。
(例えば性格で言えば、男キャラは優しいキャラから〜やんちゃガサツ、知的なキャラ、不細工なキャラまで色々ある)
・また男キャラはおっさんキャラやジジイのキャラもいるが女性キャラは魔女以外は若いキャラがほとんどだった(※エイジズム丸出しw)
・あと母親と息子の関係性は結構出てくるが、なぜか母親と娘の関係性はあまり出てこない。(記載するまでもないが、子供の面倒を見ている父親キャラはほとんど登場しない)
・たまに思い出したかのように、マイノリティっぽい設定のキャラが出てくるけど、たいてい単話のみの登場でレギュラーキャラとして登場せず、設定ポルノやノルマとして消費されるだけの存在でしかなかった
昔、大阪大学の幼児アニメのジェンダーバイアスの研究でアンパンマンはジェンダーバイアスの塊だって出てたけど
まさにその通りだったわ
チビには他にベイビーバスやバウパトを見せてるけど、そこらはこういったポリコレに配慮してて鑑賞に耐えるものではあったが