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はてなキーワード: 油絵とは

2024-05-26

シイノキ

気が付いたら匂いがしなくなっていた。

確実に老化がすすんでいる。いつの間にか50歳になっていた。

10代の頃、部屋のゴミ箱から放たれる使用済みティッシュのあの強烈な匂いは今はもうしない。

先日、興味本位自分の男の匂いを試しに嗅いでみたときのことだ。





今月初めのGWに、妻と二人、新緑の山のふもとの温泉に出かけた。

こうして二人で元気に旅行ができるのはいつまでだろうか。

青空のもと、山々は一斉に咲いたシイノキの花の淡黄色で見事に彩られていた。

シイノキは5~6月頃に穂状の花を咲かせる。

極相林となったシイノキの開花は圧巻だ。山の色を塗りたての油絵の絵具のように大胆に変えてしまう。

そんな新緑の美しさに気が付いたのは、つい最近のことだ。

どうして今までこの美しさを知らなかったのだろう。風が気持ちいい。

山全体からむせかえるほどの花の香りに圧倒される。

若さ生命力を新緑の山々の空気に感じざるを得ない。

若い頃放っていた青々しい匂いが、つーんと頭の先のほうでよみがえる。

ひょっとすると、だからこそ、新緑の生命力がより強く感じられるのかもしれない。

冷静な言い方をすれば、新緑の美しさのなかに自分自身の老いを鏡のように見つめさせられているのだ。

そういえばシイノキを詠んだ万葉集の歌があったような気がした。

検索したら、こんな歌だった。

家にあれば笥(け)にもる飯(いい)を草まくら旅にしあれば椎の葉にもる

さな椎の葉しかなくとも旅の途中だ、しょうがない、という状況。

状況に応じて満足しなければならないという人生の不変の真実垣間見られる。

検索ついでに目に入った芥川龍之介は、この歌を次のように評していた。

椎の葉の椎の葉たるを歎ずるのは椎の葉の笥たるを主張するよりも確かに尊敬に価している

芥川龍之介 侏儒の言葉より

やれやれ、わかるのだが、ますます年相応の生き方を考えなければいけないと説教された気分だ。

いまよりもっと年を取って、生活ダウンサイジング真剣に考えないといけないときがくるだろう。

いや、とりあえずまだいい。来年また新緑の季節がくれば、また思い出そう。そっとつぶやく

だけれど、5年後、10年後は今よりも喘息がひどくなっていて、新緑の季節にホントにむせてしまって歩けないかもしれない。

2024-05-15

anond:20240515084353

油絵の具で赤色意味するセンセイ、そんなにシェア席巻してるんだあ😲

2024-05-06

AIラフの線画を整えて指定した色やライティングで生成してくれるようになったら一気に使い出す人増えるだろうな。

でも、デジタル時代になってもカメラができても油絵とか古典的技術で描く絵画とか滅んでないから手を使って描く人間は滅ぶことはないだろうし、何なら手描きも売りになるかもしれない。

今だにドットゲームも好まれてたりするしね。

2024-04-20

油絵

油絵が面倒くさすぎてパソコンばかりになっとる!パソコンで背景なしの好きなものだけ好きに描いちょるが、やはり油絵の具の綺麗さって、何物にも代えがたいなとも思う。でもめんどくささが勝ってしまう!昔はパソコンスペックもなくて、いちいち動作遅くてやばかったけれど、myパソコンを買ってから数年、ようやくデジタルペインソフトにも慣れてきて最高だ!

2024-04-13

anond:20240412215137

言いたいことがいくつかまとまりとしてあるので箇条書きの形式でまとめる。

・たとえば乙女ゲーにどっぷりだったりZEROSUM読んだりしてるような分かりやすオタク週刊女性とかワイドショーとか見てると思うだろうか?

しろ彼女らは世間に疎いと言われるぐらいにはそういう井戸端会議ネタになるような、市井の地に足のついた、言い換えれば「夢が微塵もない現実的情報」は積極的に拒絶してる感じするが。ピーターパン症候群も持ってそうだし。

(むしろそういう二次元系のオタクってピーターパン症候群的な童心が残ってることがそれになってしま必要条件で、レディコミの生々しい内容を好める成熟した大人とは対極の存在に思える)

琥珀の夢で酔いましょうが電子書籍サイトでレディコミに分類されているのがなんだうと思った。

「メシヌマ」よりはよほど男でも楽しめる余地ある青年マンガっぽい中身に感じるのだが、なにをもってレディコミなのか

(rentaやbookliveではレディースコミック女性漫画に括られていて、シーモアやめちゃコミでは少女漫画に括られているので、全会一致というわけでもないが)

・フィーヤンはレディコミといわないという主張があって気になったんだが文句なしのレディコミってどんな作品だろうね。グランマの憂鬱とか認知症になった魔法使いみたいな、おばあさんが主人公作品はほぼレディコミで確定かね。傘寿まりこは少女漫画出版社側が言ってるが。

・レディコミには「男が容姿に対して可愛いと思うようなキャラが出てこない」というのが最低条件としてあるんだろうか?

たとえば乙女ゲーで例はひと昔古くて申し訳ないが薄桜鬼やうたのプリンスさまにはヒロイン可愛いという理由で男がヒロインだけ目当てでそういう乙女ゲープレイしてる事例はあった。

しかしレディコミだとキャラが可愛くて男のファンがつく、みたいな魅力がキャラにある作品は(ほぼ)皆無じゃなかろうか。

性的嗜好を刺激するような不細工さというのでもなく、ほんとうにただだぱっとしない売れ残りの女おばさんという感じ。

それはレディコミの定義に関する必要条件みたいなものからだろうか?またこれにはは意図的男性ファンから排除しようとする目的もあるのだろうか?

(ほぼ、と書いたのは「アラサー独女シマちゃんベランダレシピ」)はレディコミならが可愛いヒロインだったから」

・レディコミには今流行りの画風からは外れたひと昔以上前の画風の作品が多い気がする(流行りの絵柄と一致しないのは、逆に画風が流行りにはいままでなかった未来に進んでいるからという場合も想定されるが、そういうわけではなさそう)

とするなら、レディコミを読むのは懐漫を読む感覚を、味わいたい、あるいは懐漫の雰囲気で新作の物語を読みたいからという人も多いのだろうか。

・レディコミや、コアブックス風刺漫画などが「漫画」という主語言及される資格を持っている違和感

たとえばカズオイシグロのようなノーベル賞作家小説を読む人と、フランス書院エロラノベ(だけを活字主体媒体としては)読む人がいたとして、

前者は当然「小説を読むのが好き」というだろうが、後者の人が「小説が好き」とは言わないと思う。

形式的な分類では純文学エロラノベも確かに小説なのだが、あまりにも書き手読み手双方が持つ文化の間では隔たりがある。

そして前者やSFでもミステリーでも大部分はそれを読んでいることに対して、「小説が好き」ということには違和感は感じられないが、エロラノベをもっぱら読んでる人が「小説を好き」といっては、単に媒体だけ共通項の文化圏が他の小説好きの文化圏を侵してるかのような感じになる。

からこの場合は「小説好き」というのは別に他の「小説らしい小説が好きなわけではない」ことから自己認識に遭わないから、「エロラノベが好き」というより狭い括りでの言及の仕方になるんじゃないかと思う。

同じことはレディコミ等と他の漫画あいだの関係にも言えそうで、レディコミはジャンプに比べれば「漫画らしい漫画」というところからかなり遠いところにあるものだと思う。

夢を見せる漫画不条理をみせるにしてもドラマティックな展開があるのが漫画多数派ななかで、レディコミは読者投稿に基づいたりするから淡々現実描写するだけになる。夢も希望もない。

作者がpixivもやっていてその作品が熱心なファン萌え語りの対象になるような漫画と、作者がインスタやっててネット記事のおまけコーナーで中年主婦リアルを描いてるような漫画では、それを取り巻く文化圏は全く相反して交差することもないと思う。

前者は漫画代表(求心力の中心)たりえるが、後者漫画コマ割りや吹き出し感情記号化という形式だけを倣っただけの内容面では全然別物を描いてるのにその分類に対して間借りしているだけに見える。

まさに、学習漫画進研ゼミ販促漫画を読むのが好きだった人が「漫画好き」にあてはまるのかなあ?と同じような感じ。それに対する態度も文化典型的漫画好きとは全然異なっていると思う。

あるいは「絵」とは形式抽象すれば「色の違いによって平面に表現する」ことで、この点で油絵風景画かラノベイラストレーター絵描きで、作られたものは絵なのだけども

そこで「絵が見るのが好き」というとき、前者と後者を両方同時に内包し得るのかなあと。両者はその供給需要もひっくるめて生い立ちの時点で全く異なる文化圏にいるもの同士だろう(もちろん美大出の漫画家レーターもいるっちゃいて前者の文化にもなじんでる人もいるだろうがむしろ例外的)。

そういう意味で、レディコミを読んでる人に向けての「漫画好き」と、少女漫画を読む人に向けての「漫画好き」(あえてレディコミを漫画という総称用語言及してよいのならだが)は、言葉が同じというだけで実質別物の意味合いと捉えた方が自然じゃなかろうかと。

こういうふうに思う固定観念による認知の歪みなのだろうか。

大人にとっては「向け」などないようなものなのに、漫画に対して出版社がいちいち手間かけて性別の年齢で分類するのはなぜか考えたが、まさに子供のためなのだろうと思った。

まり少女漫画」は子供の女から読めるが、男の子にはわない。「ヤンレディース」は高校生とか大学生じゃないと楽しめない確率が割とあるし、これまた男の子やその高校生大学生は楽しめない。

そして「レディコミ」は大人になってからじゃないと楽しめないが、逆に大人からみれば少年漫画青年マンガルポ漫画も楽しめるという具合。

からこそ大人視点でみるとこういう分類ってなんの意味があるんだろうと思えてしまうことがあるが、視点を切り替えればいいのだった。

子供にとって自分に合うものを探すには便利な目安」なのだと思った。ラノベという分類の定義はほんとうにあってないようなものだが。

・ちなみにレディコミなら今は天使腐臭という漫画なら面白そうで読んでみたく思ってる

2024-04-03

現代アートでは「苦労して本人が描いているか」は評価に影響しない。有名アーティスト自分スタジオ設立し、スタジオメンバーが手を動かして作品を作っているケースが多い。アーティスト本人はアイデアを考え、作品コンセプトを練り、発表の場を作っていく。

そして「作品物体を作っているのか」も関係がない。有名なマルセル・デュシャントイレ作品「泉」以降、すべての作品はレディ・メイド既製品)であり、アーティストが行うのは制作ではなく「選択であると考えられている。

油絵を描くにしても、アーティストは絵の具やキャンバスなどの既製品を購入(選択)し、どの色を使うかを選び、どこにどのように配置するかを選んでいる。既製品の使い方を選択し続けている。

何か新しいもの存在していなかった物体を作り出しているわけではなく、既製品選択の組み合わせが新しいアイデアを生み出しているか大事ということだ。

きっとこれは生成AI時代で役にたつ考え方だ。

AIツールの種類を、ツールバージョンを、プロンプトを選択する。出力した画像の組み合わせ方を、画像の使い方を、画像説明付けを選択する。ツールによって作り出すもので、何を成し遂げたいのかを常に選択する。

見る側はその選択意図評価し、価値を見出すことになる。

知らんけど。

現代アートでは「苦労して本人が描いているか」は評価に影響しない。有名アーティスト自分スタジオ設立し、スタジオメンバーが手を動かして作品を作っているケースが多い。アーティスト本人はアイデアを考え、作品コンセプトを練り、発表の場を作っていく。

そして「作品物体を作っているのか」も関係がない。有名なマルセル・デュシャントイレ作品「泉」以降、すべての作品はレディ・メイド既製品)であり、アーティストが行うのは制作ではなく「選択であると考えられている。

油絵を描くにしても、アーティストは絵の具やキャンバスなどの既製品を購入(選択)し、どの色を使うかを選び、どこにどのように配置するかを選んでいる。既製品の使い方を選択し続けている。

何か新しいもの存在していなかった物体を作り出しているわけではなく、既製品選択の組み合わせが新しいアイデアを生み出しているか大事ということだ。

きっとこれは生成AI時代で役にたつ考え方だ。

AIツールの種類を、ツールバージョンを、プロンプトを選択する。出力した画像の組み合わせ方を、画像の使い方を、画像説明付けを選択する。ツールによって作り出すもので、何を成し遂げたいのかを常に選択する。

見る側はその選択意図評価し、価値を見出すことになる。

知らんけど。

2024-03-25

anond:20240325014644

油絵はわいも中学までわからんかったけど中高一貫美術先生がまさに油絵彫刻の人だったし

美術部の先輩も写真みたいな絵を描いて(美大に進学したあと)職員室前に静物画が一枚ずっと飾ってあった

そういうハイレベル学校に入れてる時点で実家文化資本モリモリ勢だろ。

実家が太い」というのは「金持ち」という意味じゃないぞ。

anond:20240323152228

一時の「のびのび」のために奨学金つかうんじゃ意味ないけどな。おじさんがんばって支えておやり

 

油絵はわいも中学までわからんかったけど中高一貫美術先生がまさに油絵彫刻の人だったし

美術部の先輩も写真みたいな絵を描いて(美大に進学したあと)職員室前に静物画が一枚ずっと飾ってあった

今はユーチューバー柴崎さんで厚塗り覚える人も多いんだろうなー。

2024-03-24

anond:20240323152228

油絵というのはほんの一例に過ぎなくて

他には新幹線だったりサイゼリヤだったりスマホから席を指定できる映画館だったり

ありとあらゆることがそうなんだよな

子どもの頃、「放課後に近所の店に寄り道して」どのメーカーお菓子を買っていたか、なんて雑談にも参加できない

わからんやつにはわからんだろう

anond:20240324143121

油絵ではないけれども、自分貧困母子家庭出身家族の誰もアートに関心のある人はいなかったけど、小5の頃には漫画原稿用紙で漫画描いてたよ。家族から馬鹿にされながら。

PILOTインクGペン丸ペンスクールペン、さじペンミリペンカラス口、ケント紙、スクリーントーンお小遣いで少しずつ揃えて誰に言われずとも一人で勝手に描いてた。

エヴァ流行って、レタリングも誰にも習ってないのに一人で勝手に覚えた。だって極太明朝体自分簡単に描けてしまうのが楽しすぎたから。

貞本義行の美しいカラーイラスト油絵風のタッチなのは何故だろうと調べてアクリル絵の具に辿り着いた。

そこから水彩絵の具やカラーインクポスターカラーの違いなどを知った。

当時はインターネットが無かったから本で読んで覚えたんだったかな。

世界堂新宿本店が家の近くにあったか画材道具というものを直接目にする機会が多かったというのもあるかも。ということは結局は環境大事ってことになるのか……?

それを言ったら、生まれときからネット環境があって調べようと思えば何でも調べられる今のほうがずっと環境的に恵まれてる気もするが。

周りから馬鹿にされようが貧乏だろうがなんだろうが、何かに興味が持てる人間勝手に一人で伸びていく……こともある。少なくとも自分東京在住という環境以外には恵まれてる点はなかったけど、興味があることに関しては伸びた。興味がないことはまったく伸びなかった。

元増田が言いたいことってつまり大学に行くと今まで自分が興味を持ってなかった分野にまで視野が広がるってことだろう。

anond:20240324124106

あなたの言ってることは事実だけど、学校の壁飾ってある油絵を見て「油絵は絵の具を盛り上がるくらい塗り重ねるものなんだな」と思える小学生はほぼいない。

結局、家庭の文化資本だったり、親や親しい人間の興味関心だったり、引いては身の回り油絵に関する情報がどの程度溢れているか明暗をわける。

そして、東京および23区内のご家庭は、その情報に触れる機会が山里に比べて段違いに多い。だから元増田の言ってることは間違ってないよ。

anond:20240323152228

油絵を見る機会ってそんなに無いかな。世田谷区小学校出身だけど、油絵なら名画のレプリカが校内に飾ってあったけどなあ。

百歩譲って校内に飾ってなくても美術室になら油絵って置いてないか

自分はそのあと区立中学に進学して美術部に入ったけど、美術部の部室(美術室)には部員が描いた油絵もたくさん置いてあった。

あと役所病院開業医総合病院ともに)もなぜか油絵が飾ってある確率高くない?

本当に油絵を観る機会がなかったのではなく、単に興味がなくて視界に入ってなかったのでは。

anond:20240323152228

県の美術館行けば油絵なんでどこでも見られるだろ

anond:20240323152228

歴史教科書の絵も、偉人肖像画も、油絵だったということを大学生にして初めて知った。

知的障害があっても大学進学できる我が国は本当に豊かな国やね

anond:20240323152228

油絵なんか知らなくても問題はない。

しろSTEMができるかどうかだ。

特にこれから微積統計必須

大学行っても微積統計が出来ない奴らは文句ばかり立派な無能になるだけだからな。

2024-03-23

anond:20240323224710

それなんだよな。

美術館で絵を絵画として見て初めて「学校にあったあの絵もテレビで見たこの絵も油絵だったのか」って気づいた。

知らなければ存在しないのと同じということに気がついて怖くなったわ。

anond:20240323152228

揚げ足をとると、地方田舎の小中学校高校美術室には油絵の1枚くらいあるだろうし、職員玄関ロビーなんかにもどこぞの画家OBが書いた油絵の1枚くらい飾られてるはずだから「見たことなかった」は無いと思う

図工や美術時間では、そういう展示物を使って「油絵とはどんなものか」を授業すればいいのにと思った

大学へ行くということ

4月から大学生になる親戚の子に寄せて。

自分大学生になるまで、「印刷物ではない油絵」を見たことがなかった。

自分北関東山里出身だ。最寄りの駅まで車で30分、まともな蔵書のある図書館は近隣の市まで行かなければなく、一番近い美術館がどこにあるのか未だに知らない。そういう場所で生まれ育った。

両親は芸術にまるで興味がない人だった。

高校生の頃、美術の授業で油絵を描く機会があった。

水彩画のような塗りしかできない自分教師は「もっと絵に絵の具を乗せて」と言った。

しかし、当時の自分は何を言われているのか理解できなかった。

油絵というものを見たことがなかったからだ。

今思えば、当時は教科書や本に載っている絵が油絵なのか水彩画なのかさえ気にしたことがなかった。

時が経ち、自分都内大学に進学した。

大学には、それなりの家庭水準で育った人が多かった。周りは皆幼い頃から音楽美術文学に慣れ親しんだ人ばかりだった。

そして、なんといっても都内はあちこち美術館がある。

先輩や同期に連れられ、自分美術館へ足を運んだ。

そこで初めて油絵を見て、「美術先生が言っていた油絵とはこういうものだったのか」と実感した。

歴史教科書の絵も、偉人肖像画も、油絵だったということを大学生にして初めて知った。

もし地元で生涯を終えていたならば、自分油絵がどんなものかを知ることはなかっただろう。

美術だけではない。音楽にしても、文学にしてもそうだ。

様々な芸術を見聞きし知った今、それらに出会わない人生が「自分人生であったかもしれない」と思うと、ときどき空恐ろしい気持ちになる。

学歴にこだわるような年齢ではなくなった今も、自分大学へ行って良かったと心の底から思える。

志望した大学でなくとも、名のある大学でなくとも、人生を豊かにする学びをひとつでも得られたならば、大学へ行く価値はある。

卒業、おめでとう。これから始まる新生活を、どうかのびのびと楽しんで欲しい。

2024-01-27

anond:20240127174626

油絵始めたばかりの初期の絵を見るとお世辞にも絵の技術があるとは言えない感じだったからなあ。

よく言えば味がある絵、個性的な絵ではあったが。

今は評価確立してるから「あのゴッホの初期の絵」という価値がついてるけど、なんも知らん状態であの絵を見ても「おお、頑張ってじゃがいもの絵を描いたんだね・・・なんか暗いね・・・雰囲気が」ってなるやん。

「生きているあいだは評価されず悲劇的な人生を送った狂気画家」というバックストーリー込みでゴッホ評価されてるでしょ。

2024-01-17

日本将棋連盟は「棋譜著作物はある」を主張して欲しい

「なるほど棋譜著作物だ」と思ったのは山口恵梨子女流二段が以下のようにワイドショーで語っているのを聞いたとき

将棋って、けっこう強くなるにつれて、見えてくる世界が変わってくるんですよ。

私たちこれ物語みたいにけっこう見えていて、その自分の作ってるストーリー相手の作ってるストーリーをつなぎ合わせて一つの本にするみたいな感じのイメージです。

なので強い人が見えてる世界と私とかが見えてる世界将棋知らない人が見えてる世界全然のものが見えてるんですよ、木なんですけど、ただの。

棋は対話なり。二人の棋士が死力を尽くして一つの物語を紡いでいる。その結果として残る棋譜著作物でなかったらなんなのか。

第4回ABEMAトーナメント チーム稲葉VSチーム斎藤の最終戦久保九段と都成七段の熱戦。

観た人すべてが感動すると言われる一局でした。

都成七段が投了したとき、その心情が痛いほど伝わり、勝者も敗者も解説聞き手視聴者も、誰も声を上げることができませんでした。

試合後のインタビューで勝った久保九段は以下のように語りました。

一生懸命やってるんだぞっていうのが

将棋生命を賭けてるんだぞっていうのが

棋譜で見せられたんじゃないかと思うので

その点では良かったかなと

棋士が命を賭けて残す棋譜。それが著作物でないとしたらなんなのか。

棋譜著作物でないが、「日本語という普遍的文字を並べたもの」や「普及しているキャンパス一般販売されている油絵の具をのせたもの」を著作物として保護するのはどうしてなのか。

一手、一手、たとえば初手7六歩を著作権保護してはいけないけど、それらが連なった一局は、棋士が命を賭けて紡いだ物語であり、著作権保護すべきと考えています

2023-12-26

anond:20231226122350

俺はその意見には真っ向から反対で、画力あくまで基礎力なので作者がやりたいこと、伝えたいことを実現するための力だと思うし、(こういうことがやりたかったんだろうなぁ、画力が足りなくて確証が持てないけど…)みたいに感じさせてしまう時点で作品として格が低い

よつばとヘルシングプロの中でも相当画力が高いと思うし、それらとカイジとかドラゴン桜とかと比べたときに本当に「好みの問題」と言えるのだろうか?

カイジドラゴン桜も内容の部分がウケて商業的に成功したわけで、彼らが作画担当としてやっていけるかと言うと絶対に無理だろう

ただ一方で、たとえば

自分の絵柄を受け入れてくれる人に東方キャラおっぱいの魅力を伝えたい」

みたない一点突破目的イラストを書き続けていくなら、その目的に見合った画力さえあれば事足りるわけで、美術館に入り浸って巨匠油絵半日睨んだり、予備校で一日何時間デッサンしたりする必要はない

でもこういう人たちが青春美術漫画に捧げてきた人たちと争って商業舞台活躍できるとは思わない

2023-12-05

芸大とかって最新の技術で、普通の事をしましたってレベルが入れるとは思えないのよな。釘だけで家みたいな造形物作りました!ってのがむしろ良いって世界だと思うんだよな。

写真発明されても、抽象画とか油絵描いてる人達が目指してるし。

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