はてなキーワード: 視聴料とは
職場の食堂行くとテレビのチャンネルがNHKでちょうど「ちゅらさん」と「虎に翼」やってる時間に飯食うことになるんだけどさ、どっちも笑えるぐらいレベル低いよな。
説明ゼリフの連続みたいな脚本、それを棒読みしてるだけの俳優、リアリティもなければ面白みもない動き、学芸会とはこのことだなって感じ。
確か「ちゅらさん」って朝ドラの中では評価スゲー高かったよね?
でも改めて見てもこの酷さよ。
皆して沖縄風を装おった変な喋り方するのに精一杯でほぼ棒読み。
演技に感情が全く籠もってないんだよね。
指先の演技みたいなのも全く出来てない。
狭いスタジオの中の狭い価値観で狭苦しく合格を貰うだけの内容。
まあそもそも脚本やストーリーテリングが全く持ってお粗末というかさ、奥行きというものがないんだよねえ。
1話15分って短さを活かしてワンテーマを確実にこなしていくような作りにすればいいのに、半端なクリフハンガーを繰り返して細切れにしていって、そんで1週間分全部つなげても結局しょーもない話にしかなってない。
NHKが視聴料徴収して低レベルなドラマ作ってるのはもうしゃーないけど、こんなものを評価してる日本人が大勢いるってことに絶望しかないわ。
「ちゅらさん」「が今見たら駄目駄目に感じるのはしゃーないと思う。
でも、「虎に翼」の出来は2024年にお出しするにはショボすぎる。
「虎の翼」の何が終わってるかって、語りたいテーマについての掘り下げが足りてないんだよね日本ドラマ全般がそうだけど。
「女性の社会進出」ってお題目を掲げてそこで満足して、毎話毎話思い出したように「そうだ。このシーンでそのテーマ言及してみませんか?」と思いつきのように脚本に入れてキャストに棒読みさせる。
ひえぇ~~~~~~恥ずかし~~~~~~~~~海外ドラマがとっくの昔に卒業してることをまだやってる。
これじゃ小学生の作文だよ。
テーマに沿ったことをそれっぽくやって「それっぽいことしてるでしょ?」をアピールして花丸貰おうとするだけじゃ駄目だよ。
最初の段階で全体の構想をしっかり練って、全体の背骨をまず一本通し、それぞれのキャラクターにも設定や物語としての背骨を一本一本通していく、そういう最低限の下準備をせずにその場の思いつきだけで見切り発車はプロの仕事じゃないって。
「視聴者の反応を参考にしてある程度フレキシブルに動かしていきましょう」みたいな言い訳でもして最初の作り込みをサボりまくってることを会議で誤魔化してんのかもだけど、そのやり方じゃ世界水準じゃ話にならねえっての。
ほんまありえんぐらいに程度が低いなあ。
そして昔からずっとそうだった。
映画はそこそこ作れてるけど、それは黒澤明みたいに映画監督としての映画監督が作った時に面白いものが出来てただけ。
ドラマの技法を取り入れるに従ってどんどんしょーもないものばかりになっていった。
日本のドラマはレベルが低くて、ドラマ業界が作った映画は酷いものばかり。
映画業界はレベルが高い部分もあったけど、ドラマ業界の連中に毒されることによってどんどん駄目になった。
つまりさ、日本のドラマ業界は昔から今までず~~~~~~~っと学芸会しかしたことがないわけ。
ほんましょーもないよ。
【追記してみる】
結局ニュアンスの話というか、客と店とのちょっとしたじゃれあい程度のことだったんじゃね?
こういうやりとりって食べ放題ではよくあったりするんじゃないの?
それを食べ放題なんかまず行かない人間たちがよってたかってあーだこーだ言って、
諍いなんてなかったとこに論争生んで、「議論が深まった」ですか?
本当にお前らは謙虚さがない。
そもそもマナーとか暗黙の了解とかなんて、その界隈の中だけのものなのに
そこに土足で踏み入って勝手に騒ぎ立てて。
茶道の茶会にも暗黙の了解があるように、食べ放題に暗黙の了解があってもいいだろ。
「自由の敵」なんて大仰なことを言うけど前に、自分がまず相手に敬意を持ってるか自問しようよ。
敬意があれば謙虚さを持って、自分の関与すべき範疇外のことはほっておけるはずだろ?
実際に自分が食べ放題店で何らかの不利益被ったのなら戦えばいいさ。
そうでもないならほっとけばいい、それだけの話。
(追記以上)
goldheadさんも、ブクマカも
行かない人間がその界隈の「暗黙の了解」について議論するなんてアホかよ
例えばMLBの「書かれてないルール」だって時代によって変わるだろうけど、それは選手たち現場が判断することで、本来は観客がごちゃごちゃ言うのもおかしいが、
MLBは興行であり客は入場料なり視聴料なり支払ってるからまだ口出しするのわかる
でもgoldheadさんもブクマカも、その店にも客にも何にも関係してないだろ?
なんでそんなとこにクビ突っ込んでいってキレ散らかしてんだよ
アホだし無礼
まぁブクマカみたいないっちょかみ野郎どもがアホで無礼なのは知ってたが
NHKのよくある質問の回答には、放送の自主性、正確な情報発信、教育番組、福祉番組、古典芸能などを根拠に
とはいえインターネットが一般人にまで広く普及した現在を考えると、ここまで大きな組織を維持する必要はないような。
個人的にはNHKのドキュメンタリー番組は好きだしEテレは妻がノイローゼになるほど子供に見させられていて受信料も払ってる。
スクランブル化して必要な人だけ視聴料を支払うという方法を主張する人もいるけど、個人的にはNHKは縮小・解体の方向性が正しいと思える。
教育や福祉、古典芸能、相撲なんかはどこか別のところで細々とやればいいし、儲からないなら政府がその運営組織に補助金を出せばいいと思う。
死んで償ってくれ という考え方もあるが、そうなると、猶予と 楽に殺してくれ となり
結果 ヒロポンをはくれ となるから やはり おなじになった。多角的にこうやって、くだらない可能性から1つ1つ検討をしていき
コロナにより、経済が弱り果てた という事態を鑑みると まずは 冗談めかして コロナを鑑みひrポンを街頭で無償配布せよとことあるごとに言う事態となった。
これで、説明は満足言ってもらえるだろうか?可能な範囲で丁寧に説明した。あとは様々な専門家に知見を応援してもらってほしい。
コロナの緊急事態で都市閉鎖とは直接は関係ないが、影響はある。統合的に判断するとまだ早いと思っていた意見を 当面 格上げせざるを得ない事態であると すこし 警戒を強めている。
他方 以前からそのようにそちらも言っているが
代替案としては娯楽が必要であり、これはすでに行われたとの報告があるが テレビを所有していない家庭にテレビを配布せよというのは至極正当であり、実施された自治体があるようでそれらは満足行く政策だと考える。緊急性はそちらのほうが上だろう。我が家は直接的にはテレビはない状態だが、いくつかの補助手段を組み合わせることで視聴は可能であり 実際NHKの受信料を支払っている。
ゆえに 必要に応じて 補助機材を復活させ かつ 組み合わすことでテレビの視聴をするかもしれない。
ご家庭で直せる範囲で要修理状態とはいえかつ自分の技術力を考慮すると修理可能ではある、受信機は生きている。ゆえに視聴料は支払っている。
なぜNHKがあるかというと、それは「メディア」というのがものすごい公共性の高いインフラだからだ。電気ガスより公共性が高い。なくても社会は一応成立するからな。上下水道含めた水利、道路など交通、これらは「ないと社会が崩壊する」レベルの公共性が高いインフラ。メディアの価値もそのくらいある。
なぜなら、俺らの生きてる民主主義社会では「情報を偏在させない」ことが最も重要だからだ。民主主義社会というのは「みんなで判断すればそれほど間違わない」ことを前提にしてる。でもこれは「みんなが間違った情報しか与えられていない」状態だと当然機能しない。だから、独裁をする国ではメディアを規制するし、独裁『したい』国はいつでもメディアを規制できる存在にしておきたい。北朝鮮が前者、そして、後者に限りなく近いのが……言うまでも無いよね。先進国の割に「報道の自由度ランキング」が低い某国なんかは限りなくその状況だ。
NHKが「公共放送」なのに「国営」でないのは(そして視聴料を税金化できない/しないのは)、メディアが「国家」によって所有されたらその国家の運営者に都合の悪い情報が出てこなくなる(情報の偏在が起こる)からだよ。民営化しないのも同じ理由で、広告主に都合の悪い情報が出てこなくなる。複数のメディアが競争し合えばある程度はその状況は防げるかもしれないけど、メディアを全て民間に任せると「(誰かにとって)儲かる情報」しかメディアに乗らなくなるよね。たとえばNHKの報道番組の内容見てみれば分かるけど、どれもこの社会で起きている重要な問題に関わっているけど「どこかの広告主の不快を買いそう」「売れなさそう」なテーマばかり。こういう情報は、NHKが民営化したり「ぶっ潰され」たりしたら、全て消えて無くなって私たちの視界に入らなくなってしまうだろう。
公営の病院、公立の学校、上水道事業、ゴミの収集……等々、この社会には「儲からないけど誰かがやらないといけない仕事」というのはたくさんあって、NTT、JR、郵政が民営化できたからといって、なんでも民営化できるというもんじゃない。NHKよりコンスタントにいい報道をやってる民放、災害時にCMも入れずひたすら繰り返し冷静に情報を流し続ける放送局、そういった点で国民から一定の信頼を得ている放送局、そういうものが民営で他にあるなら、メディアの仕事を全面的に民営化するのもいいかもしれないが、残念ながらそんなものはない。
今のところ、この社会でNHKがしている仕事というのは他で替えがたい。政権の干渉をはねのける力の弱さとか方向性がブレブレとかいろいろ不満や問題点はあるものの、根本においてはぶっ潰されては困る存在であり、ぶっ潰したい人にはその価値が見えていない(あるいはむしろ充分以上に理解している)のだと思う。
どうしてこんなことになったのだろう。
小学生でも分かる単純明快な政策と、確かに国民を苦しめ続けるNHKの視聴料取り立てへの不満から、
新政党ながらもN国——NHKから国民を守る党——は1議席を得ることとなった。
そこまでは(有権者にとっては意外だったかもしれないが)何の変哲もない結果でしかなかった。
しかし政界に落ちたこの小さな雫の一滴は、静かに政局の水面を揺らし、やがて大きな波紋をなす。
ある小政党の合流。
次から次へとN国に関するニュースが舞い込み、ある人は面白がり、ある人は失望を表明した。
NHKをぶっ壊す。それだけを主要な政策に掲げ、他の政策は自由。
政党にしては極めて束縛の少ない集団に、その束縛に疲弊した議員が大勢集まった。
N国の代表は分け隔てなく彼らを迎え入れた。
それから幾年が過ぎた。
今やN国が第一党となり、衆議院・参議院共に2/3の議席をゆうに越える勢力となった。
今でも政策はただひとつであり、他の政策は自由。見方によっては一党独裁だ。
しかしそれは、政党の頂点に立つ者たちが他の議員の意見を事実上封殺して、
数の暴力を以って行っていたかつての政治よりも、はるかにマシな政治をしていた。
政党政治というシステムを、党として政策をほとんど持たない党が破壊したのだ。
人々も政治に興味を持つようになり、地域の議員に意見を送る市民も増え、
政党ではなく政策で議員を選び、投票率も増え、政治を堂々と話せる風潮が広がりだし、世の中も良くなった。
多くの政策を実行していたN国だったが、一つだけ実現できないものがあった。
この政策を実現してしまえば、この政党を続ける大義名分がなくなってしまう。
誰も口には出さなかった。誰もがこの政治の体制を続けて欲しかった。
でもNHKだけはぶっ壊せない。
どうしてこんなことになったのだろう。