はてなキーワード: 思想とは
私「確かに~」
健康診断の予約にある、乳がんと子宮頸がんの検診にチェックを入れた。
健康はメチャクチャ気を使っている。今までもオールA。何も問題なし!運動もして睡眠時間もたっぷりで食生活ばっちり!
健康診断当日、何事もなく検診を終わらせていく。乳がん検診がくそいてぇ!!!!!!なのが問題だっただけで特に止められることもない。そして子宮がん検診へと進んでいく。
個室には女性の看護師さんが私の情報を見て「血圧計りますね~」と。私は血圧のあれに腕を突っ込む。終わった後にいくつか質問をされた。
私「「は?」
か、彼氏?か…………?普段聞かなさすぎる言葉だったが脳がフル回転して過去を検索し始める。
私「いないです」
顔色一つ変えずこの言葉が出た。
看「男性の友人で仲いい人は?」
私「いません。女子校だったんで」
ここで気が付く。も、もしや子宮頸がんって…
看「この検診ってね、子宮にぶっさすのよ。綿棒的なものを。それで子宮破裂の恐れってあるわけ。加えて経験のない子はめちゃいてぇ。それに子宮頸がんって基本的には対人もんなのよ。例外はあるけど、経験のない子の場合する必要はないんだよね。危ないだけ。今まで生理不順などもないし、健康的な体している。有事がないならしないほうがいいよ。リスクでかすぎ」
看「しなくていい」
私「じゃあしません」
そうか。経験ないとしなくていいのか、これ。無知だった。超音波検査はと思ったがこの健康診断ではなかった。
お辞儀して部屋を出て最後の採血へと向かう。あ、採血採りにくいらしいんです。と定型文を言ってぼーっと意識を飛ばす。意識飛ばさんと針を意識してしまって痛いからな。
ネットでやたら見る「子宮頸がんって20代もなるんだよ!検診を受けよう!」的なものを思い出す。そうか、普通は経験するのか。そうだよな。普通は高校・大学で彼氏の1人や2人、いるよな。んで、有事も当然あるよな。知ってるさ。(※経験してなくてもがんになる場合もなくはないので一概にはいえないが。生理に問題がなければしなくていいのが普通のようだ)
高校の時に子宮頸がんワクチンを受けた。予防できるならしようとワクチンは受けるタイプだった。今のところ恩恵がないということか。そうすっか…。
いつかSNSでみた「女子校・男子校に通うと一生の友だちはできるが、一生恋愛ができない」という投稿が笑いながらジワジワ効いてくる。
今回の採血する人めっちゃ下手で両腕真っ青になっちゃった。私の恋愛事情は真っ白だがな。
いたらいいですね!いるわけないだろ。今までも今も、男友達すらいたことない。
そもそも男と喋ったのいつだ…?会社の人や家族をノーカンしたら…店員?
検診が終わり、母と食事をした。
母「検診どうだった?痛かった?」
私は「必要ないって言われちゃった~彼氏いたことないからさ」と本音でなんともドアホな返事をした。
母「あ、そう!まじでいないんだ!この前のディズニーは本当に女と行ったの?」
私「ネットの女友人」
母「じゃあ年越しのお泊まりは?二人っきりって言ってた女子はまじで女子?」
私「そやつも女子校の友だち」
あとはなんとなく話して健康診断の話は終わった。
そして電車に揺られて考える。
母は当然子宮頸がんがどんな検査をするか知っている。つまり私に子宮頸がんの検診を持ち出したのも「この子もいい年だし、有事くらいはしてるでしょう」ということか?
すまん。母。私はな、27年クリーンで無事だ。
なんだか申し訳なくなった。と同時に「経験しなきゃ子宮頸がんならんのか」という考えも生まれた。むしろ「経験したら子宮頸がんのリスクがあんのか!」と怖くもなった。「ってことは子宮頸がん受けたやつってみんな経験済みか!?」と馬鹿な考えになった。「え、じゃあ母は27の段階でもう…」と思って考えるのをやめた。
ふと目の前を見ると、座っていたカップルが本格的にイチャイチャしていた。「こいつらやってんのかな」と思ってしまい、いろいろと恥ずかし、情けなさを感じた。
ブックマークなんてのは通りがかりの無関係な素人が小学生並みの感想を書くスペースであって、それ以上にはなりようが無い
それをちょっと歳をとって経験値があると勘違いしている人たちや、政治宗教思想派閥に囚われて口を挟まずにいられない人たち、記事の主張に対してではなく言葉尻を捕まえて否定することで自分が賢いとマウントを取る人たちによって目眩しされているだけ
中国人とかが入れてるのは文化の違いだから別に何とも思わないけど、
現代の日本社会においてはデメリットはあってもメリットは一つも見いだせないので、日本人が入れてると相当に強い思想のヤバい人なんじゃないかってちょっと身構えちゃう
結婚相談所で働いてて男女ともに一定数いるのが、奇跡待ちの人。
とても長期間利用してくれるので悪い客じゃあないんだが、お金の無駄かなぁとは思う。
男だと極端に年収の低い人(婚活は平均年収が高いので400万でも低く感じると言う女性が多い。現に600万以下は足切りされる)
政権交代したら、まず何を差し置いても、改憲発議の禁止と、右翼思想の禁止と、宗教団体のフロント政党禁止だけは絶対にやれよって思う。それだけやれば再度の政権交代はないだろ。後はじっくり70年かけて自民党政治の痕跡を潰していけばいいんだから。
そんな感心するかねえ
「ゲイと友情婚」なんて性嫌悪こじらせた女さんの定番ファンタジーで既出も既出なんだから珍しくもねえじゃん
(他に「阿佐ヶ谷姉妹路線」みたいなのもあるけど、好き勝手夢見るだけで実行なんかしないのは同じでしょ)
主人公は史実準拠で二度結婚させるしかなくて、しょうがないからおもしれー女+逃げ恥パロみたいな展開でごまかした
本命に振られた後都合よく二番手が出てくるのも別に今回が初めてじゃない
あれも大概女向けポルノだけど朝ドラ自体がそんなもんだし、今回ああも思想露骨に押し出すならそりゃ女のミサンドリームにだって寄り添うでしょ、としか思えない
「所詮実家が太い人らのおままごとでしょ」という批判をかわすためだけに存在するような、農家出身親ガチャ外れ姉は売春自分はカフェ勤務苦学生宝塚みてーな男装とてんこ盛り設定
そして今回のアレ
ビューティフル・マインドだって最強のふたりだって元ネタの人を知っていたら驚くような改変がされまくっているんだろうけど、日本人からすると「ま、面白ければ、ね?」としかならんわけよな。
というか予防線として貼ってる「これは実在人物そのものじゃなくて、その人を元ネタにしたキャラクターの話です」が逆に胡散臭さを加速させている感じもあるよね。
「これはアーサー王ではなく、アーサー王の英霊をベースにした美少女です」とか予防線貼られて好き放題やられていることに対して「え、織田信長はそんな思想じゃないと思うけど?」と逆になってしまうというか。
まあ一番大きいのは「その昔な、こんな面白い人生を歩んだ人がいて、本人自体も凄く面白くて皆に知ってほしいんですよ」という話をしたいのではなく「おっ、政治思想的に都合のいい実在人物がいるじゃ~~ん」からスタートしてる所が鼻につくのかもなあ
轟がゲイなのを忖度だなんだとケチつけるやつらうるせえーーー!
セクシャリティに忖度もクソもあるか、昔から今日までみんなここにいるんだよ
展開が唐突だったというのも無自覚の差別だというのもうるせえーーー!
構成が弱いんじゃという批判も差別、なわけあるか。クィアリーディングとエンパワーメントだけが正解なのも困る
アーティストだけは常に「何が芸術であるのか」を、過去の積み重ねと、自分の思想と技巧、現在の社会と経済のバランスの中で問い続けている。
個人的には
「観客にその問いを読み解くためのリテラシーがあるのか」(観客のリテラシー課題)
「高いリテラシーを求めるとするなら、横浜トリエンナーレのようなイベントでそれを行うのは妥当なのか」(主催者やキュレーター課題)
「アート業界の潮流として、エンタメ化するのか社会・経済・哲学を扱いアカデミック化するのか」(業界課題)
みたいな切り分けかなと思った。
熱量が薄れて文章が短くなり、対象へのリスペクトが失われて興味本位の乱文になり始めている。かつてのように事実関係をきちんと確かめず、表層的な調査や単なる和訳で終わっている。
短文では、読者の知的好奇心も満たせまい。
そろそろ潮時だろう。
投稿日 | 記事名 | ブクマ数 |
---|---|---|
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ネットの浅瀬ではこれくらいが限界だ。ネットにアップロードされていない郷土史的な情報は、書籍に当たらなければならない。当たり前だが情報はタダじゃないのだ。汗を流して足を運ばねば、肝心のところはわからない。
得られたのは、論文ではほんの一行で済むような事実を実証するのにも、膨大な労力が費やされている実感だ。以前はライターになるのはどれくらい大変かを実感したと書いたが、こういう実感は、泥臭い調査をする真っ当な情報発信者に対する敬意を持つことにつながる。
はっきり言って、ブルマーが学校で採用されていた地域・年代を正確に理解することは、一個人の能力を超えている。redditで質問スレを立てることも考えたが、調査対象の地域と年代が膨大になると気づき、諦めた。学校で採用されていた地域の大まかな分布は、イングランドから北欧・中欧・東欧を含む共産圏、それから日本とごく一部の東アジア地域、及びイスラエル、というのが当面の結論だ。イスラエルをヨーロッパにも分類しているウィキペディアを見ると納得できそうだ。だが、例えばイングランドのすぐそばのアイルランドではブルマかどうだったかさえ分からない(追記:ブクマカによれば、イスラム圏では体育の授業がない地域もあるそうだ。そうなると、女性の体育の授業があった地域ではかなりの割合でブルマーが採用されていたことになる)。
ぜひとも、どこかの大学で研究してもらいたい。できれば、日本の研究と同じように、採用された経緯や背景にあった思想、つまり自立と恥じらいの葛藤・共犯みたいなも知りたい。
ブルマをはいて運動していた人がいつまでも生きているわけではない。SNSの画像も理由もわからずにBANされる。アーカイブはいつまでも保存されるわけではない。魚拓を取ってもいつまで残るか。
ところで、証言といえば不思議なのは、ブルマーについて好きだったとか嫌いだったかとか腹が立ったとかと情報発信しているのが、ほぼ英語圏と日本語圏に限られていることだ。服装フェティシズムがこの言語圏で強いのか、個人が情報発信するモチベーションの違いなのか、自分の検索能力なのか、理由はわからない。
例えばチェコのフェイスブックでも、ブルマーがどうだったかとかあまり書かれていない。懐かしいとか今の子はもっと運動させるべきとかそんな言葉が多い。
もちろん、書きたいこともないではない。例えば天皇陛下のお好きな映画は大林宣彦「転校生」だが、ってことは小林聡美のトップレスをご覧になったのかなとか、そんな小ネタがある。
しかし、どう書いてみても面白おかしい小話になってしまい、リスペクトが失われているのがよくわかる。表現の自由とつなげたところで、面白く書く自信が無い。だから、終わりにする。
以上。
よくもここまで続いたもんだ。
いつか誰かがこの研究を引き継いでくれることを祈って擱筆する。
はてな匿名ダイアリーとはてなブックマーク、それから他のSNSで拡散してくれた皆様、そして読んでくれたあなた。
お世話になりました。
【終】
また彼は人生に対する快楽主義的な姿勢が持つ欺瞞性を理解していた。
先の戦争以降、西洋思想のほとんど全て、特に「進歩的」思想は皆、人類は安楽、身の安全、苦痛の回避以上のことを望んではいないと暗に仮定していた。
こうした人生観においては、例えば愛国心や軍事的な美徳といったものが存在する余地はない。
兵隊の人形で遊ぶ我が子を見た社会主義者は普通、不安に駆られるものだがブリキの兵隊の代わりを思いつくことは決してできない。
どうしたわけかブリキの平和主義者ではその代わりにはならないのだ。
自らの喜びなき精神によって並外れて強くそれを感じ取るヒトラーは、
人類が欲するのは安楽と安全、短い労働、衛生状態、避妊、一般化して言えば常識に適ったもの、
それだけでないことを知っているのだ。
少なくともときおりは闘争と自己犠牲、そして言うまでもなく太鼓と旗、忠誠を誇示するための行進を人類は求める。
経済理論としてはともかく、ファシズムとナチズムはどのような快楽主義的人生観よりも心理学的にずっと堅固なものである。
書評 アドルフ・ヒトラー著「我が闘争」 ジョージ・オーウェル
https://open-shelf.appspot.com/ReviewOfMeinKampfByAdolfHitler/chapter1.html
はじめに言っておくが、この内容全体が狂人の思考だから、一切共感は得られないと思う。自分が思考の整理のために書いている。できない理由探しにも捉えられられる文章なので、苛立つ人もいるだろう。というか大多数だと思う。
それでも許せる人だけが読んで欲しい。なお、この先「音楽ライブやフェス」をまとめて「ライブ」と書く。
私はライブに行くことができない。人混みだとか、環境や財力とかは問題ではない。あえて言うなら、私は私のことを「どのライブにも行くに値しない人間である」というふうに考えている。
音楽ライブに行くためには、どのようなアーティストに行くかの選定と、そこに対する深い知識が必要だ。
いくら優れたミュージシャン、自分のお気に入りのミュージシャンであっても、知名度や同世代(筆者は所謂Z世代に分類されるようだ)からの評価的にその名前を出して場が盛下がるのであればリソースを割くべきではないと感じる。
そして、私にとってより大きな問題なのが、「ライブに行く人間たるものそのアーティストの全てを知らねばならない」と言う感覚である。
ライブではどのような曲が演奏されるかは、その瞬間まで完璧には予想不可能である。ゆえに、可能な限り、すべての楽曲を把握していなければならない、と思っている。前で述べた、盛り上がる有名な大物アーティストほど、この傾向は強まる。少し大袈裟に言えば、そのアーティストの(せめてA面)全曲に聞き覚えがないと楽しめない気がする。しかしこれは時間的にとても難しい。
(余談だが、SNS上でセトリが公開される文化と言うのは、追いつこうとしているからでは、知らない曲が出る対策ではと言うふうに私は解釈している。絶対に違う)
若者に人気のアーティストは大概発表された曲数が多く追いつけず、曲数が少ないアーティストはそもそも盛り下がる。そんなジレンマがある。有名かつ物故者の場合は追いつけるが、そもそももうライブがない。
知らない曲を知ることができる、新しいアーティストに出会えると言うのはよくある言い分だと思うが、そもそもそんな無知な状態で、ライブに行って良いものか、ミュージシャンとその全ての曲を知るファン(絶対に存在する)への明確な侮辱ではないだろうか。
ヒット曲だけを追った「にわかファン」がライブという参加できる人数が限られる聖域に来ることは、単にサブスクで聞くことと違い、心の奥でしかめ面をされるのではないかと思ってしまう。実際ノることもできないで間違え、冷ややかな目で見られることも容易に想像がつく。
おまけに、このような私にとって、チケット代は高い。平気で安くても5000、6000円取ってくる。おまけに交通費などもかかる。全曲知らない確証がある状態で、そんな大博打をできるか?私にはできない。
ここまで言っていて、意外と思われるかもしれないが、別にライブなどのノリ、空気は嫌いではない。別のジャンルのそうした会にも行った経験はある。しかし、ことこうした音楽では、全てのコンテンツを聞くことができない。むしろどう頑張っても全て追いきれないジャンルの方が、受けは悪いが気楽だ。