はてなキーワード: 重要とは
本質論を言えば「人として接する」は具体的な行動指針に還元できるものではないよ。教会に行くことが神を信じることとイコールではないように。神を信じるとは、神の存在を前提した世界に生きることだ。何故とつぜん神の話をしたかといえば、「人として接する」は実際にひとつの宗教だからだ。「個人」や「人権」の概念はキリスト教に由来するところが大きい。坂口ふみ『〈個〉の誕生』は良い本なのでおすすめしたい。
だからこの信仰について言葉で語ることは本当はできないのだけど、あえてその教義を表現するなら
あたりになると思うけど、そう言われて分からない人は分からないだろうし、こんなふうに書いてもあまり意味はない。
断っておくけど、わたしはこれが分からない人を〈悪い〉とは考えない。たんにこの神の教えに入信していないというだけだ。もちろんこの教義に照らせば「悪」なんだけども。
とはいえ、「入信しているフリ」ができないわけではない。その方法をお教えしよう。これはわたしもやっていることなのだけど、その方法というのは、「人間を徹底的に、本当に徹底的に馬鹿にすること」だ。軽蔑にしすぎて愛おしく思えてくるくらい徹底的にね。愚かで、矮小で、醜悪で、しかも自分がそうであることに全く気付かすに自信満々に生きているおかしな生き物たち。ただの自然現象に過ぎない、川の流れの中に生じた淀みみたいな存在なのに、自分は自由意志を持つと信じる憐れな自己複製パターン。そんなふうに人々を見てみよう。言うまでもなくこれは先に挙げた教義のうち上2つの完全な否定だ。しかしここで重要なのは、3つ目の教義は維持すること。つまり自分もそういう憐れな淀みに過ぎないと思うこと。これがいちばん重要なことだ。「すべてを軽蔑せよ。だがこの軽蔑によって窮屈にならないように。軽蔑によって他人に勝るなどと信じるな。軽蔑の高貴な術のすべてはそこにある。」ある詩人がこんな事を言っていたけど、これは真理だとわたしは思う。
わたしも以前は「人を人と思っていない」と他人から嫌われたものだが、このような態度を取るようになってから、そういう批判はもらわなくなった。それどころか、いっぱしの人格者だとみなされているフシがある。「人として接する」がどういうことなのか、根っこのところではまだ良くわかっていないのにね。あるいは案外、みんなそうなのかもしれない。まあとにかく、徹底的に人を軽蔑するというこの指針を試してみてほしい。「徹底的に」やるのが大事だ。「人として接する」という抽象的な表現よりはだいぶわかりやすいのではなかろうか。
あくまで個人的な考えではあるが、二つのポイントがあると思っている。1つ目が「自分の目的のためだけに相手を扱わない」、2つ目が「相手が独立した他人であることに焦点を置く」ということである。
一つ目について、例えば、あなたが誰か女性に話しかけるとする。女性がその会話に応じてもいいかな、と思う場合には、そこには大抵、明確な目的意識はない。例えばちょっと時間を潰すとか、クラスメイトと仲良くしておこうとか、その程度のゆるい意識がある程度だろう(つまり、会話するという手段そのものが同時に目的でもある)。その結果としてお互いのことを知り、親密性が上がることはあるかもしれない。けれども、もしあなたが、その女性と交際する、というステータスを得るという自分自身の目的のためだけに手段として会話をしている、というのであれば、お互いの意図は噛み合わないことになる。あなたが自分の目的だけを強く推し進めるのであれば、その女性は、自分の意思は無視された、と感じるかもしれない。あなたが極端にも「交際というステータスを得られないのであれば、会話など意味がない」という態度を取るのであれば、彼女は、あなたの一方的な目的のためにコミュニケーションリソースを利用された、と感じるかもしれない。
あなたがもし自分が「非モテ」側だという自覚があるならば、まだ一度も話したことのない異性が、あなたを恋人候補として意識しているという可能性は極めて低い。だから、明らかにお互いが恋愛を目的としている、という確実なコンテクスト(例:婚活・マチアプ)がない限りは、まずは「特に目的もない会話をできるようになり、すること」というのが人間関係の第一歩になるはずだ。
もう少し関係性が深くなり、交際を意識するようになったら、今度は2つ目のポイントが重要だろう。これは要は「一般論的な、あるいは自分自身の願望を、ノータイムで相手に投影しない」ということだ。
例えば、女性は割り勘を嫌うから、という一般論を踏まえて、今日の食事は奢るよ、という態度をあなたが取ったとする。ところが、相手の女性は、自分とあなたはただの友達だし、奢られる理由はないから割り勘にしよう、と返してきた。ここで、意地でも奢りを貫こうとするならば、相手の女性は「わたし」ではなく「女性一般」を見ていると感じるだろう。あるいは、あなたは贈り物をもらうのが好きで、だから相手に贈り物をあげたら喜ぶだろうと考えて、何かを渡してあげる。しかし、相手の女性は人からものをもらうことを、「借りを作る」と考えて苦手に思う人間で、それを拒否してくるかもしれない。こういうときに、おかしい、ものをもらったら僕は喜ぶのだから、あなたも喜ぶはずだ、とあなたが突き通すなら、それは相手の個人としての人格・思考を無視していることになる。
いや、じゃあなんで奢り奢られ論争なんてもんがあるんだ、と思うかもしれない。そりゃまあ、例えば、多数派の異性がそう考えているであろう信念を一手目の根拠にする、というのは楽な戦略だろう。楽な戦略だから、多くの人がそれを推奨する。とはいえ、もしそこで相手が「私はNoだ」と言ってきたら、相手の主張を一旦真剣に受け入れる必要があるよ、というのがここで言わんとすることだ。
それから、相手の考えは「常識的に、察すべき」だと女性は言うじゃないか、という反論もあるかもしれないが、個人的にはお勧めしない。というのも、互いの欲望の言語化ではなく、察し能力のみに依拠するコミュニケーションは、早晩破綻しがちだ。結婚まで至ろうものなら、必要なのはすり合わせの連続である。セックスレスで揉める夫婦を見てほしい。「一般的な夫婦は経常的にセックスすべきだだし、自分もそう思っていた」「一般的な夫婦は出産を機にセックスは必要でなくなるし、自分もそう思っていた」両方、一般論としてどこかで聞いたことないだろうか。どちらも、「はっきり確認させていなかったけれど、相手も同じ信念を持っているだろう」と思い込んでそういうことを言ってしまう。けれども、どちらの信念を持つか、その違いがわかるのは、できれば早い方がいいに決まっている。
注意点としては、ここに書いてあることすら必ずしも「万人の正解」ではないということだ。これを書いている人間自身、基本的には「ある程度コミュニケーションが取れてから相手を恋愛対象として考える(一目惚れをしない)」という信念に基づいていて、その分のバイアスがある。世の中には、「感情的なつながりがない時だけ性的好意を持つ(フレイセクシャル)」という人種もいるらしい。そうしたら、人間関係を徐々に構築する戦略はうまくいかないかもしれない。要は、誰にでも100%うまくいく方法なんてない、ということである。ここまで長文を読ませておいて、と思われるかもしれないが、2つ目のポイントの本質はそこにある。すると必然的に試行錯誤が必要になるし、失敗にめげない胆力がカギになってくる。
相手はあなたと同じ、思考する人間である。しかし、その思考の様式、前提、ひとりひとり大きく異なっている。今、目の前の相手がどういう人間なのかをどれだけの解像度として知ろうと思えるか、そこで人間個人としてのコミュニケーションの深さが測られる。もちろん当然、それはあなただけが頑張るべきことではなくて、お互いが意識すべきこともである。あなたがもし、相手に蔑ろにされたと思う時には、怒っていい。自分を大切にすることもまた、相手を大切にするための一歩であるのだから。
メタ認知って人類にとってかなり重要な能力の一つだと思うけど、自分が無能なクズであることをメタ認知してしまって、動けなくなってしまう。
そんなことに気づいていなかった方が有能でいられたような気もする。
三菱UFJリサーチが出したサマリレポートにブクマが集まっているのだが、
『地政学リスクの全体像の整理 | 三菱UFJリサーチ&コンサルティング』
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.murc.jp/library/economyresearch/analysis/research/report_240528/
そこで「よくまとまっている」とかコメントしてるブクマカが数人いて失笑するするしかない。なんだよそのエラソーな態度はw
そもそもネットで国際関係に関して調べる時、膨大なゴミ情報が掛かり易いわけだ。だからこういう金融系シンクタンクのレポートが出てくるまで検索を続ける、出てくるまで検索式を変えてみるっていう風に一定の基準とされる事が多いもんだろ。
大学のレポートでどっかのインフルエンサの動画を参照したとかネットで活躍する誰それのメルマガ参照とか書いたらリジェクトされるし、仕事でやったら馬鹿のレッテル貼られて渉外的な仕事からは一生干される。そういう意味で安牌なのがこういう金融系シンクタンクなわけだ。
仮にその予想や分析が間違っていても格好はつく。
特に今回みたいな「地政学リスク」を論じる時には重要だ。何しろこの10年の日本で「地政学」と来たら新聞も読まない馬鹿向けコンテンツとして有名だ。
なんでそうなるかというと、元々日本での地政学アゲの元祖は90年代の福田和也で、反米+知的スノビズムなのよ。
一方で80年代末に急な円高による海外旅行ブームと対米貿易摩擦があった。これに刺激されて「国際的」というのがバズワード化して、多くの大学に「国際学科」なんかが雨後の筍のように出来たのだが、元が必要に迫られた国際化なのでこれ以後特にビジネス教養として国際関係が重要視されるようになった。
この「国際政治と国際経済を中核とした常識化した教養」が無い人にとって「地政学」とやらはもの凄く魅惑的で、それらの踏まえなきゃならん常識を無視して、他国の本質も見えるし物事が明瞭に見える。
なんでそんなに明瞭に見えるかって言えば、白紙だからだ。白紙に線引きゃ明瞭だし自由に引ける、A国の隣にB国がある、とか中国の概要進出をブロックする形で日本列島がある、とかそういう目で見て直ぐに判るような事ばかりで構成される。
「本質が見える」「よくわかる」というのは、単純にその対象の事を全く知らないという事はしばしばである。
でも普通の人にはそうは出来ない。各国の産業の構成グラフとか、輸出入品目の図、国の成長度合いと関税品税率、航路、貿易協定の線とか、世界地図上はごちゃごちゃしてる。そこでカッコ付き「地政学」で使われてる地図図示されても「今は帝国主義じゃねーし」で終わりだ。「中国の海外進出の蓋になってる日本列島」の図を見ても「いや、中国は海洋条約に対して大陸棚方式を主張してるし」とか「11段線の元は民国の9段線とかなんとかでそれを一国主義に基づいて反射的に主張したのが最初だから…」とか余計な事を考えてしまう。
それらの知識に消しゴム掛けなきゃ「地政学」の線を引けないんだが、正直、元の記述より重要なの?この線は?って感じでリーチしないんでありますな。
そもそも現在現役の地政学講座なんかがあるのは多分英国の幾つかの大学くらいではないかな?麗澤大学とかハッピー・サイエンス・ユニバーシティにはあるかもしれないが。
そうなると議論で踏まえるべき「正統」も無いって事になるので、余計に白紙に線を引く自由度は上がる
さて一方で「地政学リスク」というのはシンクタンクや国際政治論なんかの頻出ワードだ。国家間の地理的条件が政治的緊張を産み、戦争リスクや経済リスク、世界的な不安定さに繋がるって意味で、かなりカジュアルに使われる。
こういう地政学リスクを扱う場合、ネットとか本屋の一階、特にマンガサブカルコーナー寄りの平積みとかブックオフの200円コーナーとかで情報誌仕入れようとすると、どうしても俗流「地政学」の方を引いちゃう可能性あるわけよ。
そういう時は検索式を工夫したりして、首記の金融系シンクタンクが出てくるまで頑張るっていうのが恥をかかない為のハウトゥなわけだ。
でもブクマ見ると地政学と地政学リスクを混同している人は結構いるし、それよりも目立つのはウエメセで「よくまとまっている」だ。
あのさ、これってどういう風にまとまっているかって言えば、「ネットのゆっくり地政学とかで言ってる事が書いてある」って事でしょう?そういうのと区別する為に金融系シンクタンクなどを引くものなんだよ??
因みにシンクタンクだけだとこれもダメだ。というのもネットでおかしな言論商売してる奴っていうのはみんなシンクタンク名乗ってるのでな。
はてなのこういう常識が無いせいで間抜けな情報に踊らされてるのに偉そうな態度などは外から見るとかなり目立つし結構滑稽なんだよ。
コロナの初期に社会免疫論デマに乗っかってしまい、内容を理解してないのに「SIモデルがー」と挙って言ってたのも超害悪だったし、その後はPCRデマに乗り換えてウジウジ言い訳してたのも超害悪で溺れる者藁をも掴むの典型だった。
暇コラボ事件では盛り上がったのに暇が全然成果上げないのでいつの間にか女叩きにスライドしていって、数か月間もホッテントリの1/3が扇動的な男女論と女叩き、男性差別論という状態を出来させていた。
で、いつもそんな時にやたらイキってるのが特長で、馬鹿晒してイキってる、というのがはてなのイメージになっている。
もういい加減努力もせずに知的に背伸びしてイキるのは止めるべきだし、ソーシャルブックマークなのだから踏まえるべき基礎的なコンテンツをブックマークするようにせんといかんだろ。
その理由は問わなくていいと思う
自分で選択して作らないじゃなくてあくまで作りたいけど作らない、ね
低年収過ぎて無理とか、顔型ブサイク過ぎて彼女出来ないから無理とか、病気とか
まあ色々あると思うけど
まあでも
そんな状況でも楽しく生きてる奴は少数ながらいて
女なら簡単に彼氏作れるしSNSに自撮りとかアップすればいくらでもチヤホヤされて承認欲求満たせるけど
ただ、そうもいくやつはまあ弱者では無いだろうな
知らんけど
関係者に大人がいないなーって感想だったわ ビジネスとして仕事としてコンテンツ作りしてるのにこれ?
・契約の先送り
・重要事項を伝えない
・記録を取らない共有しない
・会いたがらない
・後先考えずにSNS利用
・複数部活のスケジュールをまとめるのでマネージャーが部員より重要
・基本的にマネージャーが他部のマネージャーに頭を下げるシーン
スポーツ漫画あるあるの最初部員いなくて、他部のやつを引き抜くみたいなやつをずっと続けて、引き抜けずにずっと借りる世知辛い話
自分を過大評価して、まるで王子様やお姫様のように振る舞う連中が多すぎる。現実を見ろ。お前はディズニー映画のキャラクターじゃない。自己評価を一段落とすことがスタートラインだ。
自己啓発本やセミナーで「魅力的になる方法」なんてものを学んでも、結局は表面的なことばかり。内面を磨くなんてのは、自己満足に過ぎない。むしろ、外見を磨け。見た目が良い方が恋愛市場では有利なんだから。運動して、ダイエットして、ファッションに気を使え。それが現実だ。
「本当に大事なのは心の美しさだ」とか「外見だけが全てじゃない」とかいう連中もいるだろう。甘いな。
確かに、長期的な関係を築く上では内面も大事だ。しかし、第一印象で外見が重要視されるのは紛れもない事実。心の美しさなんてものは、外見のフィルターを通過して初めて見てもらえるんだよ。
万人受けする人間なんて存在しない。自分の魅力を最大限に引き出してくれる相手を見つけるんだ。闇雲にアプローチしても疲れるだけだぞ。共通の趣味や価値観を持った人と出会う場所を選べ。そこにこそ、「妥当な巡り合わせ」が待っているんだ。
さらに、失敗を恐れるな。
失敗は成功の母なんて言うが、それは嘘だ。失敗はただの失敗だ。でも、その失敗から学ぶことができれば次に繋がる。拒絶されたら、それを糧にすればいい。いちいち落ち込んでたら前に進めないぞ。
これは皮肉でもなんでもなく、本当に大事なことだ。どんなに外見を磨いても、戦略を練っても、最後は誠実さが物を言う。嘘をつかず、相手を尊重し、自分を偽らないこと。それが最終的に「妥当な巡り合わせ」にたどり着くための真の戦略だ。
まぁ、これだけ言っても「それは理想論だ」とか「そんな簡単にいかない」とか反論してくる奴がいるだろう。それでもいい。自分の頭で考え、試行錯誤するのも大事なプロセスだからな。
現実を見据えて頑張れよ。
その気持ちは理解できる。でも、覚えておいてほしいことがあるんだ。
まず、アドバイスというのは相手に対する慈悲の一形態だ。つまり、相手を思いやる気持ちから生まれるものなんだ。たとえそのアドバイスが凡庸に感じられたとしても、相手がそれを必要としているなら、それは非常に価値があるものなんだよ。
さらに言うと、凡庸なアドバイスというのは、しばしば基本に忠実なものなんだ。基本的なことは、時に忘れられがちだけど、それを思い出させることで相手が新たな気づきを得ることもあるんだ。
だから、凡庸なアドバイスでも恐れずに言ってみるといいよ。ただし、相手の状況や感情をしっかりと理解して、相手に合ったアドバイスをすることが大切だね。言葉の力は大きいから、思いやりを持って伝えることが重要なんだ。
私たちの行動や言葉は、その背後にある意図が重要だ。誠意を持って、相手を思いやる気持ちを忘れずにいれば、そのアドバイスは必ず相手の助けになるだろう。
年収数千万くらいある家に生まれたけど、実際は一般家庭に毛が生えた程度で贅沢な暮らしなんてできない
普通に大学までいって、親の会社に入って今管理職で年収1200万くらいはあるけど、こどおじの弱者男性だ
祖父の遺産を10億くらいもらっていて、不労所得が年2000万くらいあるけど金があったところで結局女にモテて結婚しないなら、別段幸福度が爆増するような使途があるわけでもない
「はてなの運営、運用、管理に関する法律(以下、はてな法)」において、はてな匿名ダイアリーの運営、運用、管理について定めた第7章では、126条第1項において「増田は必要があれば特定の投稿を禁じることができる」と定めている。そして具体的にどのような場合に投稿を禁じるかについては、同条2項が「前項の必要は命令を以って定める」とされている。そしてはてな法の委任を受けた「はてな匿名ダイアリー施行規則(以下、増田規則)」は201条3号にて「再投稿を禁ずる」と定めている。
思うに、はてな法が投稿を禁ずることができる場合とは、犯罪の扇動、個人のプライバシーに関わる情報、個人の名誉を毀損する表現、その他運営に重大な支障を及ぼすものなどで、それらの中で国民一般に広く保障された表現の自由を考慮してもなお看過し難い重大なものに限るという趣旨であると読み取れる。
「再投稿によってサーバーに負荷をかけ、はてなの運営に支障が生じ、また同じ投稿が繰り返されることにより利用者が重要な投稿を見逃し、よって利用者の知る自由、知る権利が害される」という被告の主張するおそれは再投稿以外の投稿によっても容易に起こり得ることであり失当である。増田規則が再投稿のみを殊更に禁じたことは不合理なものであり、同規則の当該定めははてな法の委任を超えた違法なものと評価せざるを得ず、その限りにおいて無効である。
よって原告及び利用者は私生活上の自由の一つとして再投稿をみだらに禁じられない自由を保障される。また利用者は内容に対する非難はともかく、再投稿それ自体を非難する権利は保障されず、それどころか法律を以てこの再投稿を非難する権利を付与すること自体も許されない。
なお、この判決に抵触する限りに置いて増田規則の当該定めを違法ではないとした当裁判所の判決(~『お前らが恋したいちご100%の登場人物挙げてけ』再投稿禁止事件に関して~)を変更する。
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市役所(郡部町村は都道府県)の福祉事務所(多くは〇〇センターなどの名称)に所属するケースワーカーが調査や面接を行って起案
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市役所(郡部町村は都道府県)の本庁保護部署が債権の有無や不正受給歴の有無をチェック
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保護部署の責任者(部長or課長)が調査結果を厚生労働省に持参(臣民の生存権に係る重要な書類であり郵送は禁止)
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厚生労働省社会援護局の保護課にて最終的なチェックが行われる(ここでは生活保護を支給するに当たって必要な書類が揃っているか、必要な調査が行われているかのチェックであり、保護の要否そのもののチェック権限はなし)
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宮内庁審議官と協議の上で日程を調整し、厚生労働大臣、厚生労働事務次官、社会援護局長が「下記の者について、福祉事務所に対する保護命令を発せられたく上申します」という書類を持参(臣民の生存権に係る重要な書類であり郵送は禁止)して皇居に向かう
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天皇陛下の決裁(事前に根回しと説明が行われており、この時点で天皇陛下が命令を拒むことはない)と命令
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福祉事務所は「朕の名において……下記の者を保護せよ」という命令書を受け取り次第、「保護決定通知書」を申請者に送付し保護費を支給する
気安く生活保護というが、これほどの労苦がかけられているのだ。
どのウェブ漫画か?だと言われると困るけど主要じゃウェブ漫画サイトの大体ははてなが握ってると言えるのではないかな
▽ マンガビューワ「GigaViewer」とは
Webマンガサイトやマンガアプリなどのサービスを使って、ユーザーがマンガ作品(電子コミック)を閲覧する際に必要なソフトウェアが「ビューワ」です。マンガサービスにおける読書体験の質を決定的に左右する核心的な機能であるため、高品質なビューワの重要性が高まっています。
当社では「はてなブログ」や「はてなブックマーク」などの個人向けWebサービスの提供で培った技術力を活かし、2017年にWebサイトとしての魅力を引き出せるマンガビューワである「GigaViewer(現在の「GigaViewer for Web」)」を開発しました。ユーザーが快適にマンガ作品を楽しむための各種機能に加え、サービス提供者の運用コストを削減する管理機能、広告によるマネタイズ支援など、機能とサービスの拡充に継続的に取り組んでいます。2021年11月より、Webマンガサービス向けビューワに加えて、マンガアプリに対応したビューワである「GigaViewer for Apps」の提供を開始しました。
「GigaViewer」は、以下15社・19サービスにて採用されています。
<「GigaViewer for Web」が採用されたWebマンガサイト>
「少年ジャンプ+」「となりのヤングジャンプ」(株式会社集英社)/「マガジンポケット」「コミックDAYS」「&Sofa」(株式会社講談社)/「くらげバンチ」(株式会社新潮社)/「コミプレ」(株式会社ヒーローズ)/「コミックボーダー」(株式会社リイド社)/「コミックガルド」(株式会社オーバーラップ)/「ゼノン編集部」(株式会社コアミックス)/「MAGCOMI」(株式会社マッグガーデン)/「webアクション」(株式会社双葉社)/「コミックトレイル」(株式会社芳文社)/「コミックブシロードWEB」(株式会社ブシロードメディア)/「FEEL web」(株式会社祥伝社)/「サンデーうぇぶり」「コロコロオンライン」(株式会社小学館)/「COMIC OGYAAA!!」(株式会社ホーム社)
<「GigaViewer for Apps」が採用されたマンガアプリ>
当社では今後も、自社サービスで培ってきた技術力とマネタイズを含む運営ノウハウを活用し、企業のサービス開発・運営・収益化を支援してまいります。
あ、追加の質問ね。いいよ、答えるよ。ビッグマックの片手に頑張る!
リオで初めて「ボサノバ」と認識される音楽を演奏したのは、ジョアン・ジルベルトっていうギタリストなんだ。彼が1950年代後半に、リオデジャネイロのクラブや小さなバーでギターを弾きながら歌い始めたのがきっかけだったんだよ。
ジョアン・ジルベルトのスタイルは、すごく独特で、サンバのリズムをもっと静かで控えめな感じにしたものだったんだ。これが「ボサノバ」のリズムって感じになって、みんなに広まっていったの。
彼の演奏スタイルは「バチーダ」とか「スウィング」って呼ばれることもあって、ギターのストロークとリズムがすごく特徴的なんだよね。このスタイルが新鮮で、多くの若いミュージシャンたちに影響を与えたんだ。
それと、ジョアン・ジルベルトの歌い方もすごく重要だったの。彼の声は、サンバの伝統的なパワフルな歌い方とは違って、もっと柔らかくて控えめで、まるで囁いてるみたいだったんだ。このスタイルが「ボサノバ」の歌唱スタイルとして定着したんだよ。
だから、ジョアン・ジルベルトは「ボサノバの父」って呼ばれていて、彼の演奏がボサノバの始まりとされているんだ。彼の影響でアントニオ・カルロス・ジョビンとか、ヴィニシウス・ヂ・モライスとか、他の才能あるミュージシャンたちがボサノバをさらに発展させていったんだよ。
そういうわけで、リオで初めて「ボサノバ」と認識される音楽を演奏したのは、ジョアン・ジルベルトなんだ。じゃ、今度こそビッグマック食べるね!