はてなキーワード: ピアノとは
うん。あれは良くないな。
何故かというとピアノやら絵画やらテレビやら、これまでの人類の叡智と努力の結晶、
そういったプロセスを全部なかったことにして、iPadが包含してますよ、みたいな感じになってるからだ。
流川楓風にいうと「相当テングになってやがる・・・」ってところだな。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.itmedia.co.jp/news/articles/2405/09/news084.html
この動画はTikTokの流行に着想を得たのではないかという見方がでているほか、特に日本のユーザーから、「iPadのpvほんとグロい、ユーザーに物作る人多いだろうに彼らが傷つくことを平気でやっている」「自社以外の技術にリスペクトがない」「どこかの誰かが勝手に作った悪趣味映像だと思ったら、ティム・クックさんがアップしてた。正気かアップル。。。」などと批判が相次いでいる。著名クリエイターらの間でも話題だ。
なんか海外では批判が少ないとか昔のジョブズもやってたとか信者による擁護が目立つけど
ジョブズがやったのはWindowsのPCをぶっ壊してMac買えって言ってるわけで
ギターぶっ壊してiPad買えって言ってるのはどう考えてもおかしいでしょ
このCMってメインターゲットに向けて喧嘩ふっかけてて意味不明すぎて逆に困惑する
一番謎なのは、iPadってかなりの割合で楽器演奏者の楽譜ビューワとして使われてるのにメイン扱いレベルで楽器ぶっ壊してるところ
1万歩譲ってメトロノームはiPadが代替するから破壊してもいいかもしれないが
他にも写真家の現像・レタッチとして使われてるのにカメラレンズぶっ壊してたり
顔ボールの目ん玉が飛び出してるのは何の主張なの?ただのYoutuber的な悪ノリ?
なんか「最近は守りに入りがちだから攻撃的に!」みたいな感じとノリで作っちゃった感が凄い
っていう感じでみんな困惑してる
大学でスペイン語勉強してて、そこで教科書の音読とかするときだけ吃音になる
吃音?というか、つっかえってすらすら読めなくなる
先生に「真面目に読んでる?」って言われたこともあったけど 大真面目に読んでる
普段は人並みに喋れる
特に日本語だったら人よりもすらすら喋れる方だと思う 音読とかめっちゃ得意なタイプ プレゼンも得意な方で人前で話すことに抵抗はない
ただ、スペイン語だけ読めない
日常会話でテキストなしで話すときにはすらすら喋れる 発音も問題ないと言われる
ネイティブの先生に話しかけられてもそこそこ応答できるけど、テキスト渡されてはい読んでって言われたら急に読めなくなる
カタカナで全部読みがなふったり、事前に何回も練習しても無理 というか練習の時点で無理
どう無理なのかうまく説明できないけど、ピアノ弾けない人がドレミの音階だけ見て鍵盤押してる感じ?
ド………、レ、ミファ、えーっと、次はソ、ソ…みたいな
これって吃音なのかな?
anond:20240506174540 に追記しようとしたら長すぎたので記事を改める。
私の短歌・俳句論について、異論は認めるのだが、この一句は反例とは思えない。むしろ私の認識を強化することにしかなっていない。
この句は一見情念のこもった句に見えるが、この句における一茶はあくまでも風景の一要素としてやせ蛙と並列されている。つまりは蛙ごときに向かい合って必死になっている俳人の描写である。一茶の句におかしみがあるのは、滑稽な自分を冷静に客観視できるからこそで、情念を込めてやろうという精神からはかけ離れている。
それに対して、例えば同じ蛙を描写した以下の斎藤茂吉の歌はどうだろう。
死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる
この歌は一茶の句と比べると写実的で情念の無い描写に見える。しかし、用心深く読んでみると「かはづ」(蛙)の鳴き声が「天に聞ゆる」のは作者が添い寝をしていて地面に近いところにいて、天を眺めながら聞いているからそのように感じるのであり、実際に天から蛙の鳴き声が降ってきているわけではない。実はこの歌は非常に主観的で情念によって風景を巧妙に歪めていることが分かる。茂吉にとっては「かはづ」も、それどころか「死に近き母」すらも己の寂しさや怖れの大きな比喩でしかないのである。一茶のような引いた視点など待とうとする気もない。短歌が情念の産物と言うのは、こういうことを言う。
私の論に反論するのだったら、例えば短歌は情念とはいうが、奥村晃作のただごと歌、たとえば
などはどこに情念などあるのか?と言った指摘ぐらいは欲しいところだ。
ついでだから私が、これこそ短歌は情念だと思う歌を掲げておく。
玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることのよわりもぞする 式子内親王
お疲れ様です
そもそも置くスペースが無いってことは最初から選択肢がそれだけ限られているわけで機会を奪われているということでもあるんだよね。いざピアノが欲しいとなったときに。
そういうロジックなら、郊外や地方に住んでる時点で「もしかしたら求めるかもしれない文化的機会」を喪失しまくってるという話にしかならないと思う。アップライトピアノ置けないかもなんてのとは比較にならないくらい無数の機会を。
さて、ゴールデンウィークですね。
皆さんは新しい環境に馴染めているでしょうか。はたまたあぶれてしまったでしょうか。
安心してください。人生は何度でもやり直し可能なローグライクの繰り返しです。
まず、一人の人間がオギャーとこの世に生み出されたとする
その時点で、というよりも受精した時点である程度の初期能力が決まる
STR 9
INT 10
DEX 8
CON 12
WIS 9
LUC 10
こんなもんでしょうか。
これらの数値は、モノと質によるがある程度は鍛錬によって底上げが可能。
例えば
INTは読書、会話。
CONは走る。
WISはパワハラを受ける。
LUCはゴミを拾う。身だしなみを整える。
ただ、ここの数値以外の、BAD TRAITSを持って生まれることもある。
身体欠損とか、五感の一部がないとか、昭和以前は…ここまでにしておこう。
最近では怒りっぽいとか、飽きっぽいとか、気に病みやすいとか、
そして現代、戦後から平成に至るまで人権、というものが非常に重視されてきた。
あからさまなBAD TRAITを持つもの、あまりにステータスが低い人間は
成人する前に原因不明のまま亡くなった。
種族全体、集落全体を考えれば致し方ない部分もあったかもしれない。
翻って現代、この日本語を理解できる人間として産まれてきたのなら
先人たちのお陰で、衣食住には困っていないはず。
もちろん、困っている人が一定数いることは理解していますがここでは取り扱いません。
どんなBAD TRAITSを持とうと、どれだけ低いSTRで産まれようと
成人まで生きていける社会。
否、生かされてしまう。という風に受け取る方もいるかもしれない。
自殺者が増えている、という切り口で、日本が悪い国だという方がいる。
さも、日本社会が、戦前・戦後と比べて不幸せな国になったかのように。
それも当然そのはず。
社会についていけないだろう、あるいはついていけなかった人間は、
けれど、あまねく救ったのなら、彼らが幸せな生活を送れるようにすること、
これはセットでなくてはならない。
もちろん、日本人として生きるのなら勤労、教育、納税、これらを行ったうえで、が大前提だ。
その中、ごく一部の、理由なく働きたくないでござる、という人間は放っておいていい。
ここまでが、大前提。
生まれ持った能力と特性。変えられようが無いこと。神様どうか。
わたしの目が悪いのも、ADHDでどうしても忘れ物をしてしまうのも変えようがない。
変えようがないけれども、眼鏡を掛けて、リマインダーを駆使して
それは全て先人たちの努力と試行錯誤のお陰だ。大いなる巨人の肩だ。
そしてそれらのハンディキャップは、現在進行形で見えなくなりつつある。
さてそうした時に、だ。
配られたカードが、それほど変わり映えしなくなった後、
一体なにが大事になるのだろう。
実家の太さか?生まれた国か、地域か?運か?学歴か?親か?国か?
いずれも違う。
自分の周囲にいる人間をどういう構成で固めるか、これに尽きる。
これはもう詰みかもしれない。
これはどうだろうか。それほど悪くないんじゃないか。
1人の人間が、社会的接触を保持している関係の人の数のことらしい。
150人くらいが、社会的交流が保たれる限界の数ということが有名な部分だろうが、
3~5人が最も親密な友人関係を築ける人数だというものもある。
あなたの年収は、自分の近しい周囲の5人の年収の平均値になる。
というものがある。
これが友人なのか、職場の友人なのかしれないが、
5人の平均値になるのだとして。
といったようにするか。
果敢にも、孫正義、イーロンマスク、ジャックマー、ウォーレンバフェット
とするのか。
おれは、幼少のころからインターネットの世界にのめりこんできた。
周囲に馴染む同年代がいなかったマセガキだからだ。要するにいじめられっ子だ。
一人っ子だった自分のデッキには、両親以外には1人親友がいるかいないかで、
親を周囲の四枚に加える必要は無かった。
月一回程度は気に掛けてくれたから。
高校でも大学でも、大体の場合は10以上年の離れた人間を入れていた。
年上の人間は優れているかは別にして、必ず別の視点を提供してくれるからだ。
一つ変わったのは今までいなかった年下が入り込んでいることくらいか。
ローグライクでいう選択肢、何か挑戦するものがあるかといえば、
仕事や子育てなど、人生のターニングポイント的なところになる。
攻略できる算段はないが、失敗したとしても納得がいく構成なのか。
子育てもそう。
どういう人となら、子育てという20年を超える一大事業を完遂できるのか。
お互いの両親の支援はどうか。
"こうしたら上手くいくかな"といって何かのツールでアシストするのか。
そこでベートーベンやヘレンケラーの伝記を読んで自分を奮い立たせられるのか。
そして上記で挙げたLUC、つまり運は何かと言えば、コネ・人脈の源泉だ。
自分にできる最大限の努力をしている姿を見れば、誰だってあなたを助ける。
決して腐らず、善い人であり続けろ。神様・仏様は見てくれる。俺も見る。
どの部活に入るのか。
どのサークルに入るのか。
どの会社に入るのか。
逆に何かを辞めてみるのか。逃げてみるのか。
もちろん、あなたも人"間"です。
あなたが人々に影響を与えることもできるのです。
グループを、目の前のマンモスをやっつけるよう鼓舞することもできるのです。
自信がない?
あなたのステータス、トレイツに応じた貢献の仕方がきっとあります。
さあ、春です。
巨人たちの肩に乗り、素晴らしい仲間たちと、どんなマンモスを倒していこうか。
わくわくしますね。皆さんの新しい門出に幸あれ。
家にピアノあるの?
文化資本とは社会学の用語なので、「文化資本ってなんだよ?」と言ってる間に定義をググればよい。
・客体化された形態の文化資本 (Objectified state)
絵画、ピアノなどの楽器、本、骨董品、蔵書等、客体化した形で存在する文化的財
・制度化された形態の文化資本 (Institutionalized state)
学歴、各種「教育資格」、免状など、制度が保証した形態の文化資本
・身体化された形態の文化資本 (embodied state)
ハビトゥス; 慣習行動を生み出す諸性向、言語の使い方、振る舞い方、センス、美的性向など。
地域に関係なく金があれば手に入る物、地域によって手に入りやすいもの、教育によって形成されやすいもの、マナーのように伝授され身につけるものなども含まれる。
これらに触れる機会を増やし、手に入れ身につけることで「社会的にマウントを取りやすくなるもの」(物質あるいは非物質といった区別なく、特定の社会的な枠組みにおいて追求する価値と希少性があることを示すもの)が文化資本ということだ。
チー牛はあくまでも外見の話なので整形させて下さい
それはさておき、弱者男性の俺が答えるね
男子校に入れない←俺は共学だった
文化資本を高める←言ってる意味がよく分からないせど、自分の趣味でしょそれ?でもサブカルに被れたらオタクや弱者男性にはならないと思うよ(オタクの不倶戴天の敵&サブカルはリベラルばかり)
家事をやらせる←俺は昔からよく家事をしていたし、一通りこなせるから関係ない
男子校なんて一部の少数派な上に有名な進学校とかだし逆に入りたくても入れないのでは?
家の中にピアノ置ける(勿論置いてない)
なるほど。
ここまで来て元の話(https://anond.hatelabo.jp/20240501193438)に戻ると、やはり多くの人は生のピアノを買う前に脱落するものであって、脱落する前の子供か脱落して大人になった人たちが電子ピアノを買い支えていると考えられ、それはそれで十分に文化なのだから生のピアノを置けるスペースがないとしても文化がないとは言えないということになると思うわ。
でもお前はピアノ持ってないんでしょ?
前にも言ってるけど、地域や時代によっても代表的な習い事は変わる
公立小中でも特別な理由がなければみんな習ってる程度にはメジャーな習い事。みんなやってるしうちの子もなにかやらせるかでやらせるような習い事。
逆に塾とかはまだメジャーじゃなくて中学受験とか高校から他県の高校行くほど教育に力入れてて親も医者でお金もってる家庭の人が行くようなイメージだった。
だから増田の地域や時代ではピアノはメジャーな習い事ではなく、ピアノ買うほどまでと言うと上昇志向の強い家庭が習わせてるものだという認識なんだと思う。
それは地域差も時代差もあると思う。最近は以前とくらべるとピアノ人気はだいぶ下がったみたいで、このへんでも散歩しててもピアノを練習している音が聞こえてくることがほとんどない。それと、地域差というのは、たとえばサッカーが盛んな地域もあればそうでない地域もあるでしょ。そういうこと。
俺のところは九州の地方都市(福岡市じゃないよ)なんだけど、結構クラシック音楽とかのハイカルチャーが盛んな旧城下町なので、全国どこでも同じだというわけじゃないとは思う。
そういえば、俺の入った小学校は普通の公立小学校(市立)なのにオーケストラ部があったよ。入学式でシューベルトの交響曲の出だしのところを演奏してくれたのを覚えている。