はてなキーワード: 収束とは
根拠提示しない否定というのは真正面から反論できない人の末路よな。
数ヶ月か経ったある日、私は「そろそろ自分も慣れてきたし……」と勇気を出してとあるスレに書き込みを行いました。
なんて書いたかはもう記憶が定かではないのですが、いわゆる厨房(=言動が中学生のような奴。2ちゃんねるでは蔑称)くさい書き込みだったと思います。私も若かったのです。(実際若い)
そこで私はいくつかの罵倒めいたレスをもらい、怒り心頭でさらにレスを返し…という典型的なレスバトルを繰り広げ、結果的に「半年ROMってろ」と言われ、その場は収束しました。
納得はできないものの、あのときの板の雰囲気の悪さに書き込む勇気も失った私はなんとなく言われた中でよくわからなかった「半年ROMってろ」の意味を調べました。
そこで私はその言葉が「空気読めねえ奴は出て行け」という意味を持つと同時に「ルールがわかるまで黙って見ていろ」という意味を持つということを知りました。
↑しごく状況に理解が整合した好例だと思うがこれが間違ってるなら何が合ってると?
基本的にこの手の賞は作家の為ではあるものの、普段手に取らない”賞を取ったんなら触れてみる”層がメインターゲットになっている。となると、売れている=大半の人が楽しめるであろう作品に票が集まるのはごく自然で、むしろマイナーな作品は票が分散して埋もれる。
票数が増えれば増えるほど最大公約数的な作品に収束していく。本だけでなく全てのランキングで行われる現象とも言うべき着地点。こればっかりは致し方ない。
言いたいことは分かる「その埋もれた作品をフィーチャーしろ」と。ただ、こう言うのもアレだが売れない作品は所詮売れない作品なんだ。いくら「俺は好き」と言っても人気の無いアニメは注目されねえし、売れねえ映画は誰も見ない。トートロジーになってしまうが売れるから売れるのだ。
じゃあどうするか。上記の通り票数が増えればその分個人の意見は埋もれ、所謂世間の意見に収束してしまう。ならばその影響を受けにくい比較的小規模なサンプル数の少ない個人が選ぶ偏ったランキングを片っ端から見るしか無い。
つまり書店が選ぶベスト作品!や年間ランキングを発表している個人ブログだ。個人でも仲間内でも構わないが自分達で作るしか無いしそうやって今ある賞は出来上がっていった。
ただし、その個人が好きで大量に見て読んで「これ良い」とする分には問題ないが、作品数が増えればその分負担がかかり、やはり人気作に回帰する現象が起きてしまう。我々の時間は有限でその全てを把握するのは不可能だからだ。だから他人の選評に頼る。おおよそ外れのないであろう方へ行く。そしてまた同じ様にループする。
ある一定の基準を設ける選択肢もある。ただ、毎年必ず売れてないが面白い作品が生まれるという前提のもとに成り立っているので恐らく大した作品を挙げない変なランキングとして世間からはそっぽを向かれるだろう。参考にする者からしたらそんなランキングなんてアテにならないのは言うまでもない。
ずっと胸の内に我慢していたけど気持ちの吐き出しどころが見つからないからここに吐き出す。
相手に見つかるのは本意じゃないから、匿名で投稿する。バレないためにフェイクも入れる。
恋人のことがたまにとてつもなくしんどい。たまに、とてつもない貧乏くじを引いたと思わされてしまう。
不安定な人だ、自分の機嫌に素直に振る舞える人だ。その機嫌に毎回振り回されている。
ネガティブな子だ。自身の事を嫌いで仕方なくて、試し行動が多い。その試し行動に自分が正解を出せないと軽度の自傷行為、号泣、物に当たるなどをして手がつけられない。
大人だ、自分も相手も。感情に支配されないでほしいと思ったし、伝えたこともある。
でもダメだ。相手もそれを自覚しているから。自覚している欠点を改めて口にされるとショックを受ける。結果、相手は負のループに突入していき、それをどうにかしなきゃいけないのも結局自分だから、それを繰り返していたら、疲れた。
自分にも良くないところがある。
自分は、相手を正論で責めてしまう。間違っていると思った事を間違っていると言ってしまいたくなる。
ほんと大人なのにね、昔よりは制御できていると思っているけど、自分に対しての間違った物言いにどうも否定から入ってしまう。
相性はとてつもなく悪い。喧嘩がたえない。
悪いのにもう1、2年は一緒にいる。
そのぐらい一緒にいた結果、自分が折れる方が早かった。脳内では早く終わってほしい、面倒だと思いつつもそんなことないよ、と口では慰める。そうした方が収束が早いからそうしているだけで、納得していない。理不尽だと感じる思考をむりくり押さえつけ、箱に詰めて、上っ面で謝って綺麗な言葉を並び立ててご機嫌をとる。
でもそれをしない方が結局疲れる。
はあーあ、助けてほしい。誰かなんとかしてくれんかな。離れた方がいいとかそういう領域にはいないから、自分のストレス耐性がもっとあがるとか、もっと諦めるとか、そういうことしかないんだろうな。
気まぐれにchat gptに「円周率を計算するプログラムを書け」と指示した。
級数の和nを入力するとそこで計算を打ち切って近似値を計算するプログラムということらしい。
なるほど、いかにもありそうな感じだ。
試しにいくつかのnでchat gptに計算させてみるとたしかに近似してるっぽい数値になっている。
そこで、chat gptの主張する公式(「レーマンの公式」とか言っていた)をググってみると、
ははーん、なるほどこれはいつものchat gpt君の虚言癖だなと、
手元のphython環境でそのコードを実行してみると、案の定、chat gptと計算と違う結果になった。
これだからaiは信頼できないと、chat gptに嘘つきとチャットする。
どうせデタラメだろうとphython環境でそのコードを実行してみると、今度はピタリと一致した。
nを増やして繰り返してみると、確かに真の円周率(3.141592653589793..)に収束しているように見える。
存在しない名前の、既知の公式に一致しない数式から書かれたプログラムが、
なんかこわい。
補遺1.
このプログラムでは、レーマンの公式を使用して円周率(π)の近似値を計算しています。レーマンの公式は、以下の無限級数を用いて円周率を近似します。
補遺2.
n=4000での円周率の近似値は 3.141568780556039 なので収束率はかなりわるい。
補遺3.
訂正
数式自体は正しいようだ。
弊社、リモートワークとは名ばかりで上司が進捗管理ソフトを通話ソフトも使いこなせない管理放棄ワークで、
それをいいことにエネマグラいれて、乳首責め催眠射精ASMRをBGMに、チクニーしながら仕事していた。
結果として、チクニーだけで射精してしまうくらいには感度が高まったんだが、
コロナ禍の収束にともなってリモートワークが廃止になって出社体制となってしまった。
スーツを着て電車に揺られる訳だが、スーツの布擦れと電車の振動で乳首が刺激されるだけ出てしまう。
とりあえず、乳首に絆創膏はって擦れないようにした上で、万が一に備えて老人用おむつを履いて出社しているが、
自分もにわかだからちゃんと全部把握できているわけじゃないけど
オモコロは「ふっくらスズメクラブ」というサブコンテンツがある(通称ふっクラ)
最近だと読書が苦手なみくのしんに友人のかまどが根気強く付き合ってやる感動の記事や
唯一の女性メンバーであるモンゴルナイフが男性メンバーをおふざけなしでステキに女装させてあげたり、
ちいかわの紹介動画では闇深部分ではなくちいかわとハチワレの友情や頑張りにフォーカスしたり
「ほっこり」 「感動」 「仲良し」 「弱者を取りこぼさない」 「差別、からかいをしないをしない」→だから正しくて素晴らしい、みたいな持ち上げられ方をするタイプの
コンプラをゴリゴリに守りいかにもポリコレ的に正しい記事がバズることが多かったのでそういったコンテンツを好むオタクが主要層になりつつあった
4月1日、その「ふっくらスズメクラブ」が「会社にしか友達がいない」という自虐的な意味を含む名前に変更されることが唐突に発表された
サイトのバナーもやたら低解像で黒と緑に加工されたかまどが顔を覗かせていたり
投稿された動画内のメンバーのやりとりもほっこり仲良しと言うよりウェイ系の弄り合いのホモソーシャルノリだったり
編集に雑な部分が多々見られたり今までの動画とは明らかに異なる要素があった
あまりにつまらない&雑&不穏なのでこれはエイプリルフールの冗談なのでは、
あるいはオモコロにはホラー作品に関わっている人気ライターが複数名所属しているためモキュメンタリーホラーをやっていくつもりなのでは、と憶測が飛び交った
直近で普通の恋愛ドラマに見せかけてホラーを仕込む「初恋ハラスメント」が話題になったこともありホラー説がやや優勢となったのだが、
この時に「ホラーが物凄く苦手でほっこり系のコンテンツでないと受け付けない」繊細な心を持つファン層(主に女性)が猛反発した
少しもストレスを感じたくない繊細さんにとってふっクラは安心して見られることが保証されている聖域である
その聖域で「びっくり系の要素を仕込まれて心臓がバクバクして動悸が止まらなくなる体験をするかもしれない」 「幽霊の話をされて夜に一睡もできなくなるかもしれない」可能性を忍ばされ
恐怖に震え緊張しながら動画をチェックしなければならなくなったのは絶対に許されないことだ
ホラーはゾーニングを徹底するべき、不意打ち系のホラーは加害行為だ、いずれ規制が入る、そもそもホラーは差別や偏見と切り離せないものであり……などの議論が交わされる一方
繊細すぎる、オモコロの視聴者層はいつからこんなに繊細な女性が多くなったんだ、理想を押し付け他人をコントロールしようとすることはオタクのよくない癖だ、と
そうこうしているうちにチャンネルの名称が「会社~」から「ふっクラ」に戻り、
あれは実はただただ滑ってしまっただけでモキュメンタリーの意図はありませんでしたと公式から謝罪が発表された
「オモコロって昔は冷笑系コンテンツでそれでファンを増やしたのに最近はコンプラ意識し始めて歪みが生じてるよね」 「オモコロで嘘松って言葉を使った時に女ファンがブチ切れたのウケたよなw(これは2021年の出来事)」
「「ふっクラ新規は本来のファンではない」 「お気持ち繊細女オタクは害悪すぎる」 「そんなに繊細な人はオモコロ見るの向いてない」 「昔の記事見たら卒倒するんじゃないの?w」と
というのが今の状況
昔の記事を見たら卒倒しそうと笑っていられるうちはまだよくて、そのうち本当に過去の記事が繊細さんに掘り起こされて糾弾されて取り下げになるといった事態が次々に発生すると思う
アーティストや作家、タレントなど他の界隈ではさんざんやられてきたことだ
雨穴も顔が怖すぎてうちの子が号泣して夜中に一睡もできないんです責任取れとか言われてファンシーなうさぎちゃんのお面を付けるようになるかもしれない
「繊細さん」はネットをやめて野原にレジャーシートを敷き雲の観察でもしていた方がよいのではないかと思うのだが
ああいった人たちは飛行機雲を見て発狂したりレジャーシートの下で潰されている小さな虫たちの存在を想像して発狂したりしそうなので
外に出ろと言うのも酷かもしれない
多世界解釈は量子力学の観測問題に対する一つの解釈で、宇宙の波動関数を実在のものとみなし、その波動関数がシュレディンガー方程式に従って時間発展すると考える。
この解釈では波束の収縮は起こらず、代わりに重ね合わせ状態が干渉性を失うことで異なる世界に分岐していくと考えられる。
しかし意識がどのように一つの分岐を選択するかについては疑問が残る。多世界解釈ではすべての可能な結果がそれぞれの世界で実現するとされている。
意識が一つの分岐を「選択」するのだろうか。それとも意識のすべての可能な状態がそれぞれの世界で実現するのだろうか。
この解釈は物理学者や哲学者の間でさまざまな議論を引き起こしている。特に多世界解釈が「存在論的な浪費」であるとの批判もある。
つまり観測できない多数の世界を考えること自体が論理の無駄だというものである。
ところでエントロピーは一般的には系の「乱雑さ」や「不確定性」を表す量として理解されるが、エントロピーが低下するということは「秩序」が増すということを意味する。
観測によって情報が定まることによってエントロピーが低下するという観点から見ると、系の状態が特定の状態に「収束」するという意味で理解できる。
ここで情報理論について見てみると、観測者が持つ知識が、観測対象に対して影響を与えうるのではないかという疑問が生じる。
ジョン・フォン・ノイマンは、1932年の著書 「量子力学の数学的基礎」において、精神が現象に直接的に影響を与えないという前提が科学的世界観にとって基本的な要請であるとして、実験系と測定側の境界を置けなければならないと述べている。
しかし観測主体が対象のエントロピーを低下させるという事実を無視することはできない。これは環境と対象が相互作用した場合のデコヒーレンスとは違っているのである。
熱力学第二法則では基本的に2つのことを述べており、一つはデコヒーレンスによるエントロピー増加、もうひとつは観測によるエントロピー低下である。
観測者が系に知識をもたらすことによって情報が積み重ねられていった結果、現在の世界が存在すると考えれば、本質的に情報理論こそが量子力学の基礎を成していることがわかる。
しかしこの情報理論は諸刃の剣であり、つまり世界の安定性がなぜ保証されるのか不安になるので、当面の物理学の要請として量子力学から情報理論の側面を剥ぎ取ることが要求されるだろう。
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告
5/15
「科学哲学第二」のレポートは、5/31 までに1号館1階の浅川の レターボックスに提出すること。
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告
6/3
期限を過ぎて提出されたレポートは、いかなる理由があろうとも 受けつけません。
締切を過ぎてもまだ私のレターボックスに「科 学哲学第二」のレポートを入れる者が居ますが、5/31 の午後 5:00 以降に投函されたレポートは全て破棄しました。
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告
6/4
「5/31 まで」と書いたら「5/31 の午後 5:00 まで」の意味です。
こんなことは社会常識です。
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告
6/5
他の教官が午後 12:00 まで受けつけていても、関係ありません。
反例を幾つ挙げようと、定量的に述べなければ意味がありません。
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告
6/8
なぜその熱意を使い、もっと早くにレポートを作成しないのか理 解に苦しみますが、とりあえず午後 12:00 まで受けつける教官が 過半数であることは理解しました。
よって、6/15 の午後 12:00 まで「科学哲学第二」のレポート提出期限を延長します。
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告
6/10
「6/15 午後 12:00 まで」ではなく「6/16 に浅川がレターボック スを開けるまで」ではないか、との意見がありましたが、これら は全く違います。必ず 6/15 中に提出するように。
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告
6/12
私のレターボックスに猫の死骸を入れたのは誰ですか。
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告
6/13
「私がレターボックスを開けた瞬間に波動関数が収束し、内部状 態が定まるので、レターボックスを開けるまではレポートが提出 されたかどうか分からない」と主張したいことは分かりました。
今回は、提出場所を1号館302の浅川研究室前のレポート提出 用ボックスにします。
この箱は、6/15 午後 12:00 にシュレッダー へと自動的に切り換わるので、シュレーディンガーの猫の問題は発生しません。
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告
6/16
いいかげんにしなさい。午後 12:00 は「グリニッジ標準時」では なく「日本標準時」です。
普段は日本時間で生活しているくせに、レポート提出時だけグリ ニッジ時間を求めるなど言語道断です。
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告
6/18
信じ難いことですが、「科学哲学第二」を受講する学生の過半数 がグリニッジ標準時で生活していることが分かりました。
夜型にも程があるとは思いますが、とりあえずレポートの提出は6/30 の午後 12:00 GMT まで待ちます。
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告
6/22
時間の連続性についての疑義は受けつけません。どうやらベルグソン の時間論を曲解している者がいるようですが、主観的時間がどうあれ、 7/1 の後に 6/30 が来ることはありません。
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「それで、確かに君は 6/30 中にレポートを提出したというんだね?」
「ええ、ギリギリでした」
「だが、君のレポートは私の手元には無い。君は時間を間違えたのではないかな?」
「いいえ、日に 0.1 秒も狂わない、正確な電波時計を使っていますから。
先生のレポートボックスこそ、時刻を間違えたんじゃないですか?」
「冗談だろう。GPS 補正で ±5 ミリ秒の精度で合わせてある」
「それで、24:00 GMT ちょうどにシュレッダーに切り換わるわけですね?」
「そうだ」
「うーーん。あ、そうだ。多分うるう秒の差ですね」
「うるう秒?」
これは太陽の公転周期から計算する平均太陽時と違い、原子時計によって
計られることになっています。この協定世界時と実際の天文時刻との
差を縮めるため、12/31 や 6/30 などの午後 24:00:00 に、閏年の2月29日
と同様の 1 秒を挿入することがあるんです。いやあ、このうるう秒の
間に僕はレポートを提出して、先生のシュレッダーが動作したんですね。
いくつかプランがある
一つはファンダ、米利下げに乗っかる
去年は乗れなかった、去年って利下げしてないしノリで下げただけなんだよね、乗れんわそんなん
今149円戻ってきてくれてよかった、このまま上げ続ける可能性もあるけど、どっかで巻き戻るだろうからS目線で継続しとくだけで勝率上がると思う
米国が利下げしたら、2、3ヶ月待って今度はユーロ円、ポンド円のショートチャンスが来る
逆イールドが解消したら少しずつS&P500、ダウ、ナスを売りたい
日経平均はわからん、やるかやらぬか、あまり増やしたくはないから2、3種くらいにする
株がいい感じに下がったら少しずつ買いたい
今回どのくらいの深さかが分からないけど、ピークから25%落ちたら買う感じで
ドル円は定期的に大きくリバるだろうから、S入れつつ上がりそうなら両建て短期Lしたい
最悪150円戻っても死なないように
収束からのバンドウォーク発散がいい感じだったので、使っていきたい
こんなところかなあ2025年まで
目指せ無理せず100倍
小学校1年生の頃は、知的障害の男の子を庇っていた。その子は男子にからかわれることが多く、その度に間に入って男子をたしなめていた。その男の子には懐かれて、からかわれるたびに私のところに逃げてくるようになった。2年生になるとその子は転校していった。
小学校中学年の時は、ある女の子が菌扱いされ始めた。○○菌がついた!汚ねー!みたいにはしゃぐ、クラスの邪悪な団結感が嫌だったから、私はクラスの全員が各々独自の菌を持っていることにした。足の速い子の菌がつくと足が速くなり、勉強得意な子の菌がつくと頭が良くなる。クラスの中で○○菌はご利益的な意味に変わっていった。テスト前に頭のいい子の菌を分け与えてもらうみたいになった。徐々に菌ブームは収束した。
その女の子は明らかに知的障害を持っていて、頭はフケだらけ、人前で鼻くそを食べたり、衣服が汚れているような子だった。人が嫌悪感を示す身なりをしていた。コミュニケーションをあまり取れない子だった。
その子にまともに話しかけるのは私と、後に生徒会長になる私の友達くらいで、別室登校しているその子に給食を届けに行ったり、クラスに1人で入れないときは手を繋いで一緒にクラスに向かったりした。
特別その子が好きなわけでも、仲良くしたいわけでもなかったし、正直汚いのは嫌だった。それでも、下手したらいじめに発展しそうな彼女の周りを取り巻く空気感が嫌だった。
クラスの人間達が、作文などで友情や絆の話をしたり、体育祭や文化祭で団結しようと意気込んでいるのをみても、その子の存在を無視したり冷たくしているくせに何言ってるんだと思っていた。
修学旅行のとき、班分けはその子と生徒会長と私、その他無害そうな男子で固められた。男子はこの班割りに不満げだった。移動中のバスで隣の席になり、私が窓側、その子が通路側に座っていた。その子が突然吐いてしまった。私ももらいゲロしそうになりつつも、この子がただでさえ具合悪いのに、さらに辛い気持ちになるのを防ぎたかった。大丈夫だよと言いながら、前の席に流れて行かないよう素手でゲロをせき止めた。徐々にバスの中に混乱が広がっていく。臭い、ありえない、キモい、みたいな発言が飛び交った。みんな根は悪いやつじゃないはずなのになんでそんな配慮のないことを言えるんだろう。その子は泣いていて、私はその子を慰め続けた。その子に貸したハンカチはゲロまみれになった。私も吐きそうで泣きそうだった。先生と私で一緒にゲロを片付けた。
そんなこともあってか、その子は私によく笑いかけてくれた。多分信頼してくれていた。でも私は同じ人としてというより、動物とか庇護する対象のように思っていたのかもしれない。
卒業したらその子は支援学校に行ったと聞いた。高校生になって地元のお祭りで、その子に再会した。昔よりも言葉もはっきりしていて、新しい学校で仲のいい子ができた、学校が楽しいと笑顔で話していた。会話もできるようになっていたし、身なりもまともだった。動物のようだったのに、人間らしくなったと思った。
そのとき私はぶっきらぼうな態度をとってしまった。庇護対象じゃなくなって、優しくする必要がなくなったから。私のそんな冷たさに彼女は気づいていないようだった。今も気づいていなければいいなと思う。
私は偽善者なんだろうか。
かつての同級生のことを冷たい奴らと思っていたけど、私の方がよっぽど嫌な奴なんじゃないか。
優しくすることで見返りが欲しかった訳でも、褒められたかった訳でも、周りから善人だと思われたかった訳でもない。その時はそうするのが当たり前だと思っていた。辛い思いをしている人を見るのが嫌だった。居心地の悪い雰囲気に身を置きたくないだけ、全部自分のためだった。他の人が面倒見るなら、やらなくていいなら別にやりたくなかった。中途半端な正義感なのか、義務感というか。