はてなキーワード: 同音異義語とは
氏のSF小説は二作目かな。
超情報社会が実現した未来。身の回りの全てから大量なデータが取られる世界でその処理を補佐する装置をほぼ全員が装着し、いやおうなく収集されるプライベートや秘匿情報は多情報に加え他人を見れる・自分を見られない(隠せる)上位と情報が制限されさらに他人を見られない・自分を見られる(主語がないと日本語って難しい)下位という階級制度ができあがっていた。
そんな世界でおおむね一般人の最高階級であるクラス5(大臣級が最高位の6)の主人公はありえないような情報を扱う能力を持つ…いわば"クラス9"の少女と出会う。
知るknowと脳の同音異義語の単純なお遊びがタイトルっすね。
んー感想としては面白かった!でもあっさりだね!なんかちょっとはぐらかされた気もするぞ。
全知の果ての結末があれとリンクするってのはとても興奮した。
主人公は少女にわざと情報を渡さなかったものがあったからそれをもってして全知の欠けとして引き止めるのかと思ったらそれを渡して送り出すのはそっちかぁぁぁぁ!となりました。
中盤でクラス*というキャラがでてきて謎の概念バトルが始まってですね。なんだか描写がとある魔術の禁書目録みたいだなぁと笑った。気が抜けた…のがマイナスといっていいか。一回こっきりだったけど。オマージュだったのかな?息抜きにはなった。
他、好きなシーンは坊さんの知識をちゅうちゅう吸い尽くすシーン。問いに答えているテイがいつの間にか無理やり知識を吐き出されている関係に変わり本人はそれに気付かず疲弊していくっていうのが好き。吸智鬼って感じ。
全知の表現は他に、十分な情報とそれを処理する能力があれば未来を予測したり人格を再現できるってものもある。あと他者に何か決定的な予感を抱かせるなにかもありそう。
未来予知はどちらかと言えば決定論寄りな立場なんじゃないかなぁと思った。それでいて仏教の悟りとか聖書を比喩ったり日本の神話時代の古代史に触れたりちょいちょい宗教的な部分が入る。門を開くシーンはもう奇跡を起こす、啓示をもたらす聖人みたいな書き方じゃなかった?
結局、全知な人間なんて書けないわけですよ。だから全知な人間の思考・言葉は全知でない一般人には理解できないってことにして最後の対談はまあ置いてけぼりにされてちょっとスカされた気分になったよね。それで行き着く先が聖書のアレ。日常的な情報を全て知れる全知の人間が求めるのが宗教的未到達点や古代の秘匿情報というのはわかるんだけども。誰もわかってないから描写も誤魔化せるし。だけどもね。
うーん…そっち行っちゃったかぁ。という残念な気持ちがある。結果的に古代の聖書のアレが比喩として使えそうなことに偶然なった。と言い訳はできるけどこれはフィクションだから作者が聖書のアレを使かおうとして逆算でこうなったわけで現代人よりはるかに情報が少なかった古代の聖書が情報の、人の到達点で起きることを予期されていたってのはSF的にNG感はあったかなぁ。
人の脳が「量子コンピューターの性能10倍以上の差」を覆すのもね。量子コンピューターって…!もっとこう…!すごいものだろ……!!!みたいなイメージがある。あった。
それを人類の秘めたる力で覆されちゃうと科学の信奉者(でもないけど)としてはがっくりくるものが多少はあるよねー。
展開的には燃える、熱い、そうくるのかぁー!となるんだけどね。納得できない自分が10%ほど含有されています。
これガンダムでニュータイプの覚醒が最後に全部かっさらっちゃう感じに似てる。ってZとユニコーンぐらい?Z見てないや。適当書いたかも。
(全知すら知らない人類の未知の分野を書かないで済ますというのもしかたないけどずるいぞ兄ちゃん!ってなるよねー。結局、全知の彼女から読者の自分が受け取った全知者特有の何かってないのかもしれない。だって作者は全知じゃないから…。でもなんかこんなんだったよー!っていうフィクションが見たかった!)
それはそれとしてライトなノベルで重要なのは少女のヒロイン度だよね。
もちろんクラス9である彼女は大人である主人公より圧倒的に情報を持ちまた扱えるわけで。そこで重要なのが少女の少女性だよね!
すごい人間だけどいかにただの少女の部分があるかってのを魅せるのが大事大事!
その点はまあ成功してたんじゃないかな。極端な幼さは見せなかったと記憶しているけれど節々の立ち居振る舞いは可愛かったよね。ドレスを選ぶシーンとか好き。
それとサブヒロイン?出番は極小で居なくても問題ないキャラなんだけど、上司の主人公が嫌いででも能力は認めてて多分身近で一番の主人公の理解者で嫌いだけど好き、固執してるってポジションの女性。ツボです。一言で言える言葉ができてジャンル化しねーかなー!!!!!!
ナウシカのクロトワ、ブリーチの七緒?古典部の伊原?左門くんとてっしー?
…だけどマジで本筋に一切絡まないとはね。ラストの展開は大好き。
結ぶと、この物語は終始、彼女の情報収集能力と処理能力でもって最初から導き出された未来へひたすら突き進むものだった。最後の未知の領域でさえ彼女、彼のそうあってほしい、できるはずだという希望的観測、予測を見事に引き寄せた。ただただ予定調和の物語だったわけである。
それを退屈だと論じる自分もいるけれど、大部分の自分はこれは面白かったと言っている。
未来の世界、謎、ヒロイン性。どれもが十分であった。ならば面白くなかったといえば断じて嘘であろう。
しかし、しかし。それは作者の筆力で飲み込まされたものではなかろうか。「もしこの作品を野崎まど以外が書いていたら」初めて読む作者だったらつまらなかったと言っていた可能性がないわけでもない。が、どうあがいても野崎まどが出した作品であるし、私は野崎まどのファンなのでknowは面白いという結論に変わりはなかったのだ。
あ、最後に。主人公はそんなに好きじゃないかなぁ。童心は好きなんだけれど、適当な女性と一夜限りのメイクラブを楽しんで雲隠れするって属性がなぁ。またそれが14歳の少女に手を出せる理由付けって感じのお話の都合上の属性っぽくて作り物クサい。
目指せと言われてクラス5になったんだから彼も何がしかなしえてたら良かったのにね。彼自体は空っぽで好きになれなかったです。ある意味彼がかわいそう。
英語って確か、大昔のゲルマン系の言語をベースにラテン系の単語も取り入れ、輸入先のブリテン島で大いに訛ってしまった言語なんでしょ?
結果、発音が他のヨーロッパ系の言語と思いっきり異なるという。
具体的にはAをエイ、Eをイー、Iをアイ、Oをオウ、Uをユーと読むとか、他のヨーロッパ系の言語と違いすぎるから!
筆者はクラシック音楽とポピュラー音楽の両方が趣味なので、音楽の話で「エー」と言われると一瞬AとEのどっちを指すのか戸惑う。
それにしても、なんでこんな訛り方をしたのか理解に苦しむ。
日本語が同音異義語だらけなのは中国語から輸入された単語から、日本人に発音しにくいイントネーションがことごとく廃れ同化した結果だと思うのでまだわかるが。
キラキラネームとかしわしわネームとかDQNネームとかそういうカテゴライズはどうでもいい。読めなくても別にいい。変な名前でも俺の名前じゃないから好きにすればいい。
しかし漢字変換しにくい名前はダメだ。業務効率を著しく減退させる。
例えば「洸」。これ漢字変換する時なんて打つ?訓読みできれば一発変換できるかもしれないが、普通知らないだろ。
音読みは?多分「コウ」と読むんだろう。しかし「コウ」には同音異義語が大量にあるから、膨大な変換候補から探し出さなければならない。面倒だ。
この意味で「光宙」はまだマシだ。一発変換はできないが「ひかり、そら」で比較的簡単に漢字変換できる。「黄熊」も同様だ。変な名前で自分なら絶対改名するが、漢字変換しやすいから許す。
たとえば『ごめん』を牛面(牛の顔にあてる面具。)のつもりで出題して、村人に『「ごめんなさい」の略。』と回答されると、ゲームが壊れてしまいます。
辞書に意味が①〜。②〜。というふうに複数乗ってるものも、上と同様のリスクがあります。
同音異義語が大辞林に載ってるけど広辞苑には載ってない、みたいな場合はOK。そして事故が起きない限りOKです。適宜ご判断ください。
カッポー
→ この場合は、
・ **(主に若者言葉で)** は書いても書かなくてもOK。
・**カポー。** も任意。説明文が複数の文からなるときは、どこの「。」で止めてもいいです。
Wikipediaから引用する場合は、文章の調整が必須となりますが、その辺はよしなに。文章の係受けや形容詞の修飾範囲等、意味が変わらないようお気をつけください。
なんでもいいです。
こういった厄介事を乗り越えてなんとか文章全体の形態素が把握できても、文章の論理構造が現在とは異なっているから難儀する
「結論が先じゃないから回りくどい」的な次元じゃなくて、現代語訳を見てもなお意味がつかめず
解説まで読んだところで「こういうことを言うのにこうやって文章を展開していくのか…」とかろうじて納得するので精いっぱい
ネット見てると言いたいことはあるのだろうことは分かるけど何が言いたいのかどうしても分からないって感じの文章に出会うことがあるが、自分にとって古文は終始そんな感じ。
今日置昌一の「ことばの事典」などという和歌や川柳がふんだんに引用されている事典を頭から読んでいるのだが、数千収録されているうちの7割以上は詩情が全く掴めない
受験業界では古文は暗記すれば読めるとかいうが、古語辞典でも首っ引きでも理解できない私も一種のディスレクシアでいいんじゃないか
日本人全体の(PCの)ITリテラシーが低いという話だと思うが、大きなハードルの一つにIMEがあると思う。欧米圏ならキーボードの入力からダイレクトに入力できるのにCJK(中国語・日本語・韓国語)はいちいちモードを切り替えて入力する必要がある。これは初心者がメモ帳ではなくvimから初めてるのに等しいので、最初に突破する関門としては厳しすぎると思う。CとKと比べてもローマ字の習得が必須なのに加えて、日本語の漢字かな交じりと同音異義語の多さからIMEの変換精度の問題が大きく、数段厳しさを増していると思う。単に文章を打つという行為でここまで考えなければいけないのは、初めてPCを操作するのに多くのことを学ばなければいけない初期段階ではあまりにも厳しい障害のように思える。
携帯やスマートフォンのみ操作できる人とというのも、そのへんのハードルの高さが一因となってるのは間違いないと思う。多分正しく日本語を打つ段階で心が折れてる。
今日のコーデ(coord)は、直行する三本の直線をあしらったクールなコーデだよ!
\カーテシアンコーデ!/
「パッカーン! コーデゲットォ!」
今日のコーデ(coord)は、円と直線のをあしらったキュートなコーデだよ!
「パッカーン! コーデゲットォ!」
今日のコーデ(coord)は、球対称が素敵なエレガントなコーデだよ!
コーデ:ファッションのコーディネート(coordinate)と座標系(coordinate)って同音異義語だったんだね
カーテシアンコーデ:みんな大好きX-Y-Z軸の直交直線座標系。名前はデカルトにちなむんだね
シリンドリカルコーデ:茶筒でおなじみ円筒座標系(cylindrical coordinate)なんだね
スフェリカルコーデ:まんまる球座標系(spherical coordinate)なんだね