はてなキーワード: 多様性とは
英米が言ってる多様性の実態は、日本と東欧を白人の混血児だらけにして名誉白人化し、白人の言いなりになるようにしようってことだろ
そうすることで白人の世界支配、パックスアメリカーナを維持しようとしてる
多様性+冗長性確保?そうだとむかしむかし乱交社会だったことが説明つかないよね?
乱交だったころ特定の父親のDNAしか遺伝してないとかいう結果なかったっけ?
1:999が適正だけど弱いから多めにうんどくように!
くるって1:1に近くなった?
エドワード・ウィッテンは、幾何学的なラングランズ・プログラムの一部とアイデアとの関係について「電気・磁気の二重性と幾何学的なラングランズ・プログラム」を執筆した。
ラングランズ プログラムに関する背景: 1967 年、ロバート ラングランズは、当時同研究所の教授だったアンドレ ヴェイユに17ページの手書きの手紙を書き、その中で大統一理論を提案した。それは、数論、代数幾何学、保型形式の理論における一見無関係な概念を関連付ける。読みやすくするためにヴェイユの要望で作成されたこの手紙のタイプされたコピーは、1960 年代後半から 1970 年代にかけて数学者の間で広く流通し、数学者たちは 40 年以上にわたり、ラングランズ プログラムとして総称されるその予想に取り組んできた。
弦理論やゲージ理論の双対性の背景を持つ物理学者は、カプースチンとの幾何学的ラングランズに関する論文を理解できるが、ほとんどの物理学者にとって、このトピックは詳細すぎて興味をそそるものではない。
一方で、数学者にとっては興味深いテーマだが、場の量子論や弦理論の背景には馴染みのない部分が多すぎるため、理解するのは困難(厳密に定式化するのは困難)。
短期的にどのような進歩があれば、数学者にとって幾何学的なラングランズのゲージ理論解釈が利用できるようになるのかを見極めるのは、実際には非常に難しい。
ゲージ理論とホバノフホモロジーが数学者によって認識され評価されるのを見られるだろうか。
弦理論の研究者として取り組んでいる物理理論が数論として興味深いものであることを示す多くのことがわかっている。
ここ数年、4 次元の超対称ゲージ理論とその親戚である 6 次元に取り組んでいる物理学者は、臨界レベルでの共形場理論の役割に関わるいくつかの発見を行っているため、この点を解決する時期が来たのかもしれない。
過去20年間、数学と物理学の相互作用は非常に豊かであり続けただけでなく、その多様性が発展したが、私は恥ずかしいことにほとんど理解できていない。
これは今後も続くだろう、それが続く理由は場の量子論と弦理論がどういうわけか豊かな数学的秘密を持っているからだ。
これらの秘密の一部が表面化すると、物理学者にとってはしばしば驚きとなることがよくある。
なぜなら、超弦理論を物理学として正しく理解していないから。つまり、その背後にある核となる考え方を理解していない。
数学者は場の量子論を完全に理解することができていないため、そこから得られる事柄は驚くべきものである。
したがって、生み出される物理学と数学のアイデアは長い間驚くべきものになるだろう。
1990 年代に、さまざまな弦理論が非摂動双対性によって統合されており、弦理論はある意味で本質的に量子力学的なものであることが明らかになり、より広い視野を得ることができた。
自分が被害を受けてもいないのに憲法や法律を守らないやつをコタツから石投げてて楽しいか?
例えば飲酒運転など、アメリカではビール数杯くらいは平気で飲む
法律自体も血中アルコール濃度的には1杯くらいなら問題ない基準だったはず
平成初期ごろくらいまでにリーマンを経験したなら分かるだろうが、
終電くらいまで飲んでいて、翌朝ゴルフで多少酒残ってても車で行ってたろ
酒飲んで事故起こすやつは、間違いなく飲んでなくても起こす。運転以外でもチョンボしてただろうな。
全く自衛もせずにいた親しい人が轢かれただけで深い悲しみに包まれてしまう。
しかも、今は多様性も大事だよね~とかいって無能にもチャンスを!という意味不明な社会に。
あまりにホワイト化し過ぎて、今までしょうがないにゃあ、で済んでたことが許せなくなるのとは反対に。
これは本当に精神衛生上良くない。
どれだけ法律で縛ろうとも法を犯す悪人はいるし、網に引っかからない無能もいる。
そういう仏教的価値観を持っていないからしょうもないことにいちいちイライラしたりするのよ。
人間の生物学的スペックなど江戸時代の頃から大して変わってないんだから。
ま、長々と書いたけど端的に言えば性悪説なんだけどさ。
多様性、自由を追い求めれば追い求めるほど、縛りを追加しなくちゃならない。
そのせいで、社会の求める基準、ノルムは無限大に拡大し続ける。
それを防ぐために、宗教やらのおとぎ話でなあなあにしつつも、文脈で維持出来る部分は維持してきた。
日本語のハイコンテクスト文化が手伝った部分もあると思うが。
無限に広がる制限それ自体は、ブルシット・ジョブを増やして人間の働く余白を作る手伝いをしていた部分もあるだろう。
歩きタバコを見て怒り狂うような、クソみたいな精神性で生き残れると思うなよ。
その差が分からないボケナスはお願いだから社会に出てくれるな。
東京が誇るべきは増田の言うようなコミュニティの多様性なのだけど、そもそもコミュニティに属することから逃げるために東京に出てきた人もいる
そういう人たちがたどり着くのが東京の文化資本という謎概念なのだと思う
コミュニティには属したくない、家族というコミュニティも経済的理由なのか本人の性質が理由なのか形成できない、それでも仕事以外に東京に出てきたメリットを見出したい
東京都港区長選は2日投開票の結果、無所属新人の元港区議清家愛氏(49)が、自民、公明両党が推薦した無所属現職の武井雅昭氏(71)ら2人を破り、初当選した。投票率は30.62%。
清家氏は区議として13年間、子育て支援などに取り組んだ実績を強調し支持を広げた。品川区の森沢恭子区長らの応援を受けた。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC023CX0S4A600C2000000/
清家の公約
①都市経営ビジョン「港区基本構想」が本来10年ごとに更新されるのに22年放置されているので更新する
②高層住宅が増えたが防災計画が未更新なので、被災時にタワマンからも避難しやすくするなど対策する
④区長の退職金が多すぎるので減らす、長期就任は癒着を産むので3期12年までにする
清家の思想、実績
・同性婚支持
・コロナ禍で親が感染した際に保育士が子供の世話をするサービス実施
https://ameblo.jp/aizeye/entry-12455543831.html
だが意外なことに、バリバリ右翼の橋本琴絵が応援していたりする
橋本琴絵は極右だが子供が障害児なので、障害児支援に消極的な前区長アンチで清家支持に傾いた
橋本琴絵
@HashimotoKotoe
私、今の港区に障害者差別をされたので区長は変わるべきだと思うんですよ。私、障害児を育てているんです。ウイルス感染で聴覚ほぼ喪失して。で区立小(支援学級)に決まったのに職員が「橋本琴絵の子は港区で学ばせない」と就学決定書を偽造して区外学校に飛ばそうとした。阻止しましたが最悪でしょ。
https://x.com/HashimotoKotoe/status/1796160328624906716
「常に、母親たちの代表であるという意識で活動している方です。 現場の声を集め、保育園の待機児童ゼロや医療的ケア児も入れる保育園の整備などに尽力。親が新型コロナに感染したときに、 区が借り上げたホテルで保育士が24時間常駐し子どもの面倒をみてくれる体制整備も、全国に先駆けて実現しました」
https://www.25ans.jp/lifestyle/charity/a35655799/womensday-210303-vc/
本日(2月14日)行われた港区議会の本会議で、パートナーシップ認証制度の早期導入を訴える私たちの会派の清家あい幹事長
https://www.huffingtonpost.jp/entry/toshinari-yokoo0214_jp_5c64eb97e4b0233af9716127
大学で国際政治を学び、バックパック一つで世界中を旅してまわり、
思うことは、国は、国益を重視し、強くあってほしい。
女性が、子供を産んでも、当たり前のように無理なく働き続けられる社会に。
社会経済構造が変わり、女性の労働力が必要となって、やっと「子育てしながら働ける」環境づくりが動き始めました。
でも、それだけでは、男性並みの重労働、女性にばかりかかる育児と家事負担で、みんな潰れてしまいそう。子どもたちから、親と過ごす時間も奪われるばかり。若い世代が、出産をためらうことで、国の少子化は進み、超高齢化社会を、この先どうやって支えていけばいいのか。
働き方、意識改革、制度改革、たくさんの課題を解決していくためには、意思決定の場に、もっと女性の力が必要です。根本的な発想が変われば、イノベーションが生まれてきます。経済成長もそこからです。
シャケには海におりないでずっと川で生活している身体の小さい個体がいて
海で育った個体が産卵に戻ってきたときにこっそり精子を卵にかけて
子孫を残すという
他にもメスに擬態して巣に近づいてきて卵に精子の掛け逃げをする魚もいるらしい
そういうオスに対してメスの方は追い払うどころか融和的(おめこぼし)である
それは子供の遺伝子の多様性を確保した方が自分の遺伝子を半分もった
居残りオスは身体が小さくてもある種の病気に罹りにくいなど別の強みをもっている可能性はある
鳥なども子供のDNAを分析すると一部はツガイじゃないオスとの間にできた子供ということがあるらしい
これらの動物がこういう戦略をとれるのは一生に産む子供の数が多いからだ
もしも、これが極めて少数(生物的には破綻するが一人とか)の子供しか産まないならば弱い(可能性が高い)遺伝子の半分に
都市と田舎の文化資本の格差について話題になるとき、そこで一番問題とされているのは、要するに「何かの道に進もうとしたとき、それに対してどれだけ可能性が開かれているか」という点だと思う。
その点において、俺はやはり都市と田舎には大きな格差があると思うのだが、地域に根差したコミュニティに着目すると、その格差をうまく説明できる気がした。
まず、俺が育ったのは野山と田畑に囲まれた僻地の農村で、鉄道も通っておらず、産業といえば農業と林業ぐらいしかない、田舎の中でもさらに田舎の方だ。
その俺が上京して15年経つが、田舎と東京の違いは、何よりもコミュニティの多様性にあると思っている。
東京という括り全体でいえば、東京には本物の富豪が住むような豪邸エリアから、町工場が並ぶ下町エリアまで何でもある。
あらゆる社会階層の人が東京に暮らしていて、それぞれの階層ごとにコミュニティを形成している。
学校や職場も一種のコミュニティで、東大からFラン校まで、大企業から零細企業までなんでもありだ。
人口が圧倒的に多いので、マイナーな分野でもそこそこの人が集まり、その分野でのコミュニティの形成が可能になる。
人口流入はほとんどないのでコミュニティのメンバーは何十年もあまり変わらず、同じ小学校を出た人同士が50年経っても固まっている。
地元の名士や地方議員のような人もいるが、社会階層が明らかに違うような人はレアキャラだ。
大きな会社は存在せず、大学も存在せず、高校はあっても底辺校ぐらいしかない。
大学進学でも目指すとなると、必然的に田舎を離れることになり、多くの人はそのまま帰って来ない。
一言でいうと、東京には「上」から「下」まで何でもあるのに対し、田舎には「上」がない。
「上」を目指そうと思うなら、同じく「上」の人々が集まるコミュニティに所属しないのは不利だ。
受験勉強にしても、周囲の大人に受験経験者が少なく受験への理解がない、同年代の受験生仲間が少ない、といった形で田舎の受験生は不利を強いられる。
東京でも育った環境によっては似たような状況になるかもしれないが、そこから這い上がるための地理的制約の有無が、田舎との差だ。
もっとマイナーな分野、たとえば現代美術とかセパタクローとかで「上」を目指そうとしたら、田舎にはコミュニティどころかそれを教えられる人もほぼ存在しない。
なので、田舎に生まれた子供がそれを目指そうとすること自体が稀なことなのだが、何かのきっかけでそれを目指す子供が生まれた時に、格差に直面することになる。
田舎に美術館がないというのも、そういう人にとってこそ致命的な問題となる。
そういう点で、田舎で暮らすと何かの道に進もうとしたとき、その可能性が大きく限定されてしまい、それこそが都市と田舎の格差なのではないかと思う。
俺が想定したレベルの田舎ではない、もう少し大きな地方都市であっても、程度の大小はあれ、似たような傾向なのではないかと思う。
もっと具体的に言えば、統計を「平均」のことだと思い込んで、「分散」を考慮に入れて議論することができないから。
個々のデータと平均値の差の2乗の平均のこと。分散が大きいとデータのバラツキが大きい。
分散の平方根を「標準偏差」という。平均値を50とし、標準偏差を10とするようにスケールし直したデータをおなじみ「偏差値」と呼ぶ。
分布が正規分布に近い場合、凡そ68%が偏差値40〜60の間に収まる。また95%が30〜70の間に収まる。
もともとの日本の「一億総中流」のような、多様性を否定する信仰がさらに「平均以外に意味はない」というバイアスを強めている可能性がある。
日本人にはもともと「普通」を定義しその中に収まるという強い欲求があるために、たとえ義務教育で統計の基礎を学んでいても、その中から「平均」という普通の定義だけを学び、「分散」という多様性の定義を学ばない心理的取捨選択があるということだ。
増田自身、男女の能力差に関して「統計的に考えろ」とここに書いたら、「女は男より(平均で)下だと統計が言ってるんだ」と騒ぐやつばかりで話にならなかったことがある。
統計的に言えば、「普通」と言うのは、例えば偏差値40〜60のように平均以上以下に幅を持って定義しなければ意味がない。平均の周囲どれだけに何%が収まるのかという分散の発想なしに「普通」は本来定義できない。
「生活保護基準」と「相対的貧困ライン」は、それぞれ別の定義で、別の目的で作られた概念だが、結局は同じ層だよねってなることが学術的に知られている。
https://cir.nii.ac.jp/crid/1390853651279758080
相対的貧困ラインは「可処分所得(手取り)」が中央値の半分を下回る水準であり、これは収入格差が大きいほど当然拡大する。
欧州などは10%程度に抑えられているが、日本のように16%もの相対的貧困層がいる場合、「生活保護の本当に必要な人」は1000万人〜2000万人は見積もる必要があると統計を理解していれば必ずわかるのだ。
女性がそういう人ばっかでも行き詰まるから違うタイプを入れよう、多様性重視でイノベーションを云々とかそういうやつだろ知らんけど