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はてなキーワード: 港湾とは

2024-05-22

本当に工場って日本回帰してるんか?

円安効果工場日本回帰しているというが、

そういうときに出てくるのは熊本TSMCと、あって北海道のラピダスくらい。

数字がない。具体例も少ない。


日本への工場場合人件費以外に電気代が他国より高い。

原発が再稼働している西日本は安いといわれるが、それでも他国と比べると高い。

停電しない電気の質も言われるが、需要増の時期は、大口需要工場などへは調整が入る。


物流中国のような大型タンカーが入れる大規模な港湾も、港湾乗り入れている貨物電車もない。

中国のようなだだっ広い工場用地もない。

コンテナ独自仕様だ。

2024-05-20

anond:20240519165113

クレーンって鶴の事だし、港湾なんかにいるクレーンは「なるほど、鶴だな」と思わせる形をしてるけど、工場天井あたりを走ってるクレーンなんか「どこが鶴やねん」ってあたりがすごくファンネル

2024-04-20

anond:20240419223234

原発破壊されメルトダウンでもしようものなら人が入れなくなって港湾設備実質的使用不可にされる

もちろん電力も足りなくなる

ウクライナ危機見てりゃわかるように防空設備を購入してもしつこくドローン攻撃されコストで負け

金だけが飛んでいく事態になるわな

日本戦争侵略するのは不可能なんですわ

2024-04-19

anond:20240419210833

それで主要港湾がある地域原発ぶっ壊されたら終わり

何が終わりなのかわからんが、じゃあ防空兵器を大量の購入しましょうって話になるが。

anond:20240419200048

どうだろうな

ウクライナロシア領内を攻撃してるらしいじゃん

ドローンが1000km飛ぶらしいぜ

それで主要港湾がある地域原発ぶっ壊されたら終わり

もちろん主要港湾埠頭破壊され荷下ろしできなくなっても終わり

相当に足元見られるだろうけどそもそも買えるのかな

2024-02-03

鬼っていつからこんな風になっちゃったの?(追記ツノ、肌角)

節分なので聞きたいんだけど

ブルアカ

https://pbs.twimg.com/media/Es3iE3pU0AMJoz7.jpg

モンスト

https://cdn.wiki.famitsu.com/files/attachment/000/057/660/full_upload.png

FGO

https://arcade.fate-go.jp/news/assets/servant/introduce-SyutendoujiAssassin.png

VTuber

https://static-cdn.jtvnw.net/jtv_user_pictures/a1e0e231-3e4c-47f6-9fff-faf54eb49658-profile_image-300x300.png

まだまだいるけど最近の鬼キャラ、みんなツノが肌の延長みたいに境目があいまいで長くて大体グラデーションがかかってる

(なんか柔らかそう)

伝統的な鬼のツノといえば

うる星やつら

https://uy-allstars.com/_assets/images/pages/char/detail/lum@pc.png

鬼滅

https://image.api.playstation.com/vulcan/ap/rnd/202207/1903/k2udQT8WuNggEgsdx1s4cKsd.png

みたいに頭(髪)から小さく生えていたり額との境目がハッキリしてたはず

いつからこうなった?

追記

節分も終わり間近だったのに沢山反応もらえて勉強になった(動物の話とか…)

「肌角」って呼び名はわかりやすいね

https://dic.pixiv.net/a/%E8%82%8C%E8%A7%92

原神にもいた

https://upload-os-bbs.hoyolab.com/upload/2021/08/26/88841975/bf452779435750dbe8ef23be62e37935_76353808609866483.png

アークナイツにもいた

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/j/jyankman/20200509/20200509041238.jpg

アズールレーンにもいた

ttps://pbs.twimg.com/media/EMsssN6U0AULmj0.jpg

FGO酒呑童子で初めて見たという人が多い

過去にも部分的に一致する例はあるけど「額から生えて・境目がはっきりなくて・長くて・グラデーション」のトレンドはそこから

艦これ港湾棲姫というのも一本角だけど世に出たのは早いみたい(2014年らしい)

ttps://cdn.wikiwiki.jp/to/w/kancolle/%E6%B8%AF%E6%B9%BE%E6%A3%B2%E5%A7%AB/::ref/Harbour_Princess_Full-min.png

ソシャゲ美少女キャラで見栄えと女性らしさの表現で広まったんだろうか?

VTuberでホロライブだけじゃなくにじさんじにもいたのは面白い

ttps://i.ytimg.com/vi/6johakbBK0U/maxresdefault.jpg

リンク制限っぽいのでh抜きました

キャラでも見たような気はするけど見つからない

追記2】

エロいから

なん…だと…?

2024-01-16

anond:20240116164941

おもっくそ 国土交通省の緊急災害対策派遣隊「TEC-FORCE」がそれ https://www.tecforce.jp/

災害発生時には、道路港湾空港鉄道河川ダム使用可能状況を確認して、自治体職員に復旧作業アドバイスをしてくれる

能登には500人程度のTEC-FORCEが入ってる

今回は、TEC-FORCEじゃなくても国土交通省職員自衛隊より先に現地に飛び込んで幹線道路の破損や港湾津波被害確認してる

能登までの幹線道路も復旧させてるのは自衛隊じゃなく国交省石川県な? 自衛隊は奥能登海岸へ抜ける県道の一部を直してる

2024-01-06

anond:20240106200255

よくて数十万人被災者だし、経済としてみればそれはもう大阪東京から見れば全然金生み出しとらんがね

それでも日本海側に様々な観点から便利な港湾があったり、半島という何かと便利な国土離島があるじゃろ?

それを保全するついでに数百億円出すくらいの事ならできるんですわ

安保外交で数兆円から国土問題だとカネに替えるのもばからしいほどに。 では氷河期世代にそういう価値はあるかね?

2023-12-07

anond:20231205211140

場所がないか

流通センターでは、地区別のミニコンテナに積荷を仕分けしておいて、

プールトラックが来たらクレーンで乗せれば一瞬で済むんじゃない

港湾方式

2023-11-07

横浜って明治時代港湾系の組の親分何人かが協力して発展させてきたんだっけ?

2023-08-27

anond:20230827153630

うん、港湾内の海水よりも核種の濃度が低くなるレベルまで処理してるから港湾内の海水絶対混ぜないんだよね

anond:20230827152655

港湾内の海水放射性物質汚染されてることがバレるから

とにかくほぼ問題ないALPS処理水放出だけの話に誘導したい

2023-07-13

私大文系卒業して東京都入って、主任試験も一発で合格し、周りの恋愛健常者同期がライフステージ変わって仕事研修勉強、家庭、子育ての両立にヒーヒー言ってる中で俺は親父の建てた家で母親飯食いながら管理職選考勉強いくらでも残業できるから課長代理必死で仕え評定も上がる。土日は風俗で性欲解消。

これが独身貴族だ。

港湾局長中央卸売市場長、そして総務局長、財務局長、政策企画局長のいずれかを経て最後副知事でアガってやるぜ。

2023-07-08

anond:20230708101516

阪神大震災破壊され尽くしたからな

バブル崩壊のすぐ後の震災だったし弱り目に祟り目となった

港湾部にあった大企業はほぼ東京大阪に流出した

2023-06-08

anond:20230608150449

ちょっと思い出した話。

以前(或る時期)は塩を日本生産できない?と言われていた。

どうなったんだろうと思ったら、色々な変遷の後生産・販売ができるようになってたんだね。

https://corezoprize.com/salt-history

塩業近代化臨時措置

1971(昭和46)年「塩業近代化臨時措置法」が成立し、約20年続いた流下式塩田による塩の製造廃止され、日本では「イオン交換膜製塩」以外の方法海水から直接「塩」を採ることが出来なくなり、また、一般企業日本で塩の製造を行ったり、自由に輸入することも禁止された。


これは、塩の安価で安定した供給だけではなく、沿岸部にあった塩田工業港湾用地として再活用することも望んだ産業界要請に応えたものでもあったと云われている。


イオン交換膜法にて製塩された塩が「食塩」として食用にも販売されることとなった。

塩の専売制廃止(塩事業法に移行)

その後、ミネラル重要性を訴えた廃業事業者を中心として「日本自然塩普及会」や「日本食用研究会」といった組織が発足し、流下式塩田による製塩の復活を求める活動等が行われ、輸入天日塩ににがり成分を混ぜた塩や流下式塩田を応用化した製法の塩の製造などについて一定の制約のもと認められることとなり、その流通量も徐々に増えていった。


1985(昭和60)年には、日本専売公社が民営化日本たばこ産業に移行)され、塩の販売専売制から徐々に自由販売できるようになってきた。1997(平成9)年4月には塩の専売制廃止(塩事業法に移行)され、日本たばこ産業の塩事業財団法人塩事業センター移管された。


事業法の経過措置が終了した2002年(平成14)年4月、塩の製造販売等を行う場合財務省への届出等が必要であるが、完全に自由化された。自由化に伴い、沖縄九州四国大島など、日本各地で少数ながら流下式を基本とした製法で海塩が作られ、日本人の健康志向の高まりあいまっていわゆる「自然ブーム」が起きた。

2023-06-02

香川県高松街づくりからみる、高松の人たちの優秀さ、人材豊富

2022/5月GW岡山駅に、東京駅から深夜バスに乗り岡山に降り立った後、岡山高松徳島神戸東京って旅行した。その際に行ってきた各都市の特徴をまとめてみたい。

その第2弾。香川県高松です。第1弾は岡山。(anond:20230522023849

JR高松駅を降りると海が近い。だけど港湾って感じで海って感じでもない。そして駅前広場とかあるけどなんかパッとしない。ホテルとか高いビルもポツポツとあるけど、なんか閑散とした雰囲気。なんか機械的に作られた街って印象があって、血が通ってないように感じた。

だけどその印象はホテルチェックインしてから街に繰り出してからすぐにひっくり返った。JR駅前じゃ全然高松のこと知れないわ。

なんといっても高松の魅力は商店街商店街って言ってもそこら辺の町にある商店街とは全然違う。綺麗で、明るくて、新しいお店が入ってて、ちょっと格式とかも感じる雰囲気日本で一番雰囲気が良い商店街なのではないか?(それちょっと言い過ぎかもしれないが)

で、この商店街なんだけど、商店街自体が1つの建物みたいなイメージになってる。百貨店の中に商店街があるみたいなイメージBEAMSとかユナイテッドアローズみたいな東京資本が入ったお店もあって流行にも付いていけてるし、個人経営のお店もたくさんあって多様性があって面白い。(いやぁー言葉じゃわからりづいらいよね…。行って確かめてみて欲しい…。)

で、こういう商店街にするってやっぱりすごいことで、利害関係者がたくさんいる商店街で、ここまで美しく大規模に開発ができた商店街って他にはないと思う。

で、タイトル回収なんだけど、それぐらい高松 っていう場所には利害調整できる優秀な人材がいて、さらなにそういう人達が立てた経営計画・試算を受け入れることができる人たちがいるっていう、高松ポテンシャルの高さあるんだろうなぁって思うわけ。そりゃ、商店街にいろんな自治体から視察が来るわ。

商店街利害関係を調整するって凄い大変だと思うし、短期的・局所的な視点で見ると絶対にうまくいかない。長期的・俯瞰的視点じゃないとああい再開発はできない。(建物を潰して纏めて、代わりに駐車場商店街に入れ込むとか、局所最適に陥ってたら絶対実現しない)

日本でやれる人材がいるところって、三井不動産森ビルとかの一流デベくらいじゃないかな?

そういう一流企業じゃなきゃできないようなことを高松では、いち商店街がやってる。

商店街って一つの共同体に見えるけど、実体は、小さい個人商店が寄り集まってるだけだから、どういう人物音頭を取ったのか気になるなぁ。地主とか地元の名士みたいな人がいるのかな?内部事情わかんないけど、そういう人がいないとまとまんない気がする。まぁ大体いても纏まんないけどね。

2023-05-08

税金使ってでもダイヤモンドプリンセス号を日本のすべての港に寄港させて欲しいよな

コロナからの復活を印象付ける

港で手を振る笑顔(口が見える)の住民

港湾での労働者もほほえむ

市長も来そうだ

2023-04-10

anond:20230409204004

2023年度の予算案で、新たに100か所の追加対策実施することを決めた岡山市道路港湾管理課に尋ねると、まず

危険ですが、用水路が“かみつく”わけじゃないですからねぇ」

というユーモアのある回答が返ってきた。

「以前は、用水路に落ちた程度なら自分はいあがっている人が多かったんです。しかし、高齢者が増加したことで、転落した際に救急車を呼ばなくてはならないようなけがを負ってしまう人が増えているのだと思います

岡山市内だけで約4000kmもあるので、全部に対策をするのは無理です。お金もかかりますしね。それに柵があっても落ちる人は落ちます。柵の隙間から落ちるんですよ」

道路幅が狭いところも多いので、車が通りづらくなるから柵の設置はやめてほしいと反対されることも多いんです」

自転車で転落して頭を打つ事故も多いんです。ちょうど自転車ヘルメット義務化されましたので、かぶったほうがいいでしょう。やっぱりヘルメット重要ですよ」



結論ヘルメットかぶれ!

2023-04-02

地方における集団投票の呼びかけとは何か

まず、大前提として地方企業で力を持っている企業というのは何かしらの形でインフラ土木に根ざしている。

分かりやすいのは公共工事に関わる建設会社だが、一般的メーカーにおいても作るモノによっては用地だの取水権だのが絡むし、あとは港湾系や水産加工といった業界も、自治体港湾開発の影響をダイレクトに受ける。

また、地方企業共通課題として交通の便と少子化問題はどの企業も感じている(改善されれば自社を含む経済圏にとっての恩恵が大きい)。

なので、そういった自社に有利な形での開発を直接的・間接的に支援する意向を持った候補者投票するインセンティブが働く。これがパターン①。

もう1つ、地域の有力企業から立候補するパターンがある。(往々にして取引先だったりする)

市議会レベルだと会社によっては代々議員を輩出しているところなんかもあったりする。

利益誘導では?と思ったあなたは少し立ち止まってほしい。ここは地方社会である。代々議員を出してそれなりに政治仕事をこなしてくれるような人材プールできる組織自体そもそも限られている。ここでは政治ネタ自身ルサンチマンを表出していいねをもらうだけの奴に価値はない。組織票だろうが何だろうが見える形でGet things doneを実現できる奴だけがつのである

ともあれ重要取引から候補者が出るとなれば応援しない手はないのでみんなで支援しようとなる。これがパターン②。

個人的にはどちらのパターンにおいてもそこまで強制力のある集団投票の呼びかけは受けたことがない(ガッカリさせてしまったなら申し訳ないが)。

せいぜいが事務所候補者がやってきて所信表明をするくらいである。なおこの時に直接投票を呼びかけてしまうと選挙法に引っ掛かるらしい。が、その程度のことは皆わきまえている。

一回だけ街頭演説サクラに駆り出されたことはある。

投票証明会社に提出するだのといった話は限りなくフェイクじゃないかと考えているが、コンプラ意識の欠片もない零細企業とかならあるのかもしれない。

まぁそういうことで、都市部地方では選挙ロジックが違うこともありますよ〜という話でした。おしまい

2023-03-11

anond:20230311085306

以下のくだりが、とても印象的だった。

その時にわたし出身地名産が好きで、通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね、とさりげなく話題をそらしてくれた年配の男性がいた。

その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分神戸出身でさ」と言われた。

恥ずかしい話、「神戸出身から」と言われて私は何も分からなかった。

私は自分地震津波被災者で、東北で育った私たちが一番の被災者で、今後数十年はわたしたちが一番のかわいそうな立場だという感覚を持っていた。

「なぜ急に神戸?」とポカンとして「はぁそうなんですか…」と雑に返した気がする。

その後、関東に戻ってしばらくしてから、何がきっかけか覚えていないがオウム真理教の話になったとき

上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウム事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて

やっと気づいた。


ひとの災害経験というのは、ほんと様々で、一概にかわいそうな被害者としてのっぺらぼうな面をみるわけにはいかないよね。

自分けが被害者面していたかも、という気づき。こういうちょっとワンクッションおいて、時間が経って考えること、こういうのが大切なんだと思う。

ただ、被害者という言葉共通項を見出したとしても、阪神淡路大震災経験したひとと、東日本大震災経験した増田がこうして、何かのきっかけでお互いの体験共通部分に触れようとしたときでさえ、お互いが経験したものの奥行や背景は全く違う。でもそれは、もっと言葉を交わさなければみえてこないもの

多分、増田上記言葉を交わしたとき、その手前でふと立ち止まって考えたんだと思う。

ひるがえって自分の親戚の話。自分語りをトラバに混ぜるのはなんだかな、と思うところもあるが、テーマ性質上書かせてもらう。津波から数日後、東北もっとも大きな漁港ひとつで、親戚が経営していた漁業関連会社生産工場が全滅したとの一報を受けた。一方、杜の都に住む息子娘世代は全員無事だったという朗報にほっとしたことを思い出す。

しかし、それよりも震災から半年くらい経って、父が一言つぶやいた言葉のほうが忘れられなかった。

父は東北我が家家系からすると、よそから婿養子だった。

その父が他界した親戚をふりかえってぽつりとこうつぶやいた。

「あれは天罰のようなものだったんだろうね 」と。

期待していない予想外の冷徹つぶやきに私は動揺した。

他界した親戚一家は、さかのぼると、昭和8年津波の前から漁港生計を営んでいた。1933年津波で多くの財産を失った親戚は一から再建する際に、同じ場所でやり直すのはやめるべきだと再三にわたって、周囲から助言されていたという。しかし、結局、同じ場所人生をやり直し、次世代が引き継ぎ、そして次第に事業規模が大きくなり、津波記憶が遠ざかっていくなかで、そのまた次世代の方々が財を成し、地元の名士として羽振りよく、親族のなかで存在感を持つに至る。そんななかで、半世紀以上前東京に出て行った東北の令嬢が結婚前の父と出会う。

大切な令嬢(大地主の長女)をどこの馬の骨ともわからないよその県の小作人末っ子風情に嫁がせるわけにはいかない、という大反対の嵐。本家からなにから親戚中の冷たい目線。結局、結婚は許されて、父は母の家系に婿として入ることになるのだが、その時に受けた屈辱を忘れられないらしく、東日本大震災で全滅した親戚に対して、天罰、という言葉自身のつらみを含ませて表現したのだった。

父にとっては、かわいそうだね、では決して片づけられない感情

個人的には、なにより、貧しい者も栄華を誇った者も等しくなぎ倒した大津波の、客観的な、物理的な力に圧倒せざるを得なかった。

たとえ、誰と震災経験の話をするとしても、このようなパーソナルヒストリーの違いによる温度差は避けることができない。そう思っている。

震災経験していようがいまいが、あるいは同じく焼け出された隣人でも同じではない。大地震大津波破壊力を前には、あの家は無事だった、無事でなかった、そういうさまざまな経験がそれぞれにあるにすぎない。

こうしたファミリーヒストリー視点でそれぞれの思いがある一方で、

上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウム事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて

やっと気づいた。

という上司言葉。そして、「やっと気づいた」という言葉。このつながり方は、大変興味深い。「あの年は~」というのは個々の経験の違いを超えた、歴史を振り返った俯瞰的な総括を含んでいるからだ。1995年という時代、そういったマクロ視点での気づきをもたらすのも災害だ。

そして、それが何かの理由で、自分自身ファミリーヒストリー神戸出身者とのちょっとした会話と結びついたのだとすれば、それは自分ある意味「かわいそうな」私的な思いを、歴史の一コマなかに着地させようとする、そういう覚醒だったのかもしれない。

実をいうと、よりマクロ視点で、それぞれの災害にはそれぞれの社会的な背景があり、その脆弱性被害を増幅させている、という視点最初に提起したのは、阪神淡路大震災だった。

1990年代以前は、災害被害者というのは、災害管理文脈で救援対象として、比較ステレオタイプに捉えられていた。しかし、その認識を大きく変え、都市社会構造脆弱性に関心が高まったきっかけが1995年震災だった。こう書くとなにやら上から目線風だけど、阪神淡路大震災自分仕事として防災世界に入るきっかけを作った。

ざくっとまとめると以下のような歴史神戸にはある。

神戸都市としての成り立ちは、明治の初め、神戸港が開港された時から始まる。以降、港湾労働者が多く流入低所得層脆弱埋め立て地や条件の悪い内陸部へ集住するようになる。他方で、20世紀鉄道時代に入ると、阪神間交通網が充実し、六甲山ろくに高級住宅地が開発されるようになる。高度経済成長期には六甲の開発で切り崩した丘陵地住宅地建設、その残土で海岸が埋め立てられ、工場用地や港湾建設が進められていく。おりしも公害問題が深刻化した時代都市生活環境はますます深刻化していった。そんななか、オイルショックを契機に産業構造の転換という時代の変わり目を迎え、神戸産業シンボルであった造船、鉄鋼は停滞してゆく。それは関連する神戸の零細地場産業を苦境に陥らせ、今度は人口流出が起こり都市部の空洞化が始まった。都市部に残っているのは、流動性の低い層つまり高齢者低所得者ばかりとなった(インナーティ形成)。

これに対して1980年代神戸市の政策的な対応としては、財政問題の打開が先行した。バブル前の当時の考え方では、大規模開発こそが地域経済再生をもたらすと信じられていた。埋立地の利用による、ポートラインラド、六甲アイランド建設物流機能強化のための明石大橋建設最先端技術産業の誘致、ニュータウン建設など、新たな付加価値の創出が事態打開の切り札だった。

その一方、社会脆弱層への支援行政による市街地再生は後手に回っていた。

オイルショック後の産業構造の転換で取り残された低賃金労働者の町、老朽化の進んだ木造住宅密集地域長屋建ての住宅の占める割合の多い市街地長田区スラムのようなオールドタウン)は新陳代謝が進められなかった。地震対策の上でも洪水対策の面でも取り残された街となった。どのような地域であったか番町地区検索をしてほしい。

このような経済格差脆弱性が生み出された、マクロ構造変動のなかで襲ったのが1995年大地震であり、被害社会経済的脆弱な人々に集中した。暴力団員が懸命に救助活動していたエピソードを覚えている人もいるだろう。そういう街だった。

社会学的な視点でみれば、この地震の教訓として、被害高齢者低所得者に集中したのは、ある意味歴史的必然だ。格差が生み出された背景などのマクロ政治的経済的な動向と切り離せないということだ。

そして、このような格差脆弱性という切り口でみる構造分析は先月発生したトルコシリア大地震でも、当てはめることができる。

このように、可哀そうな存在というのを社会学的に脆弱性として構造的にとらえる、ひとつきっかけは、やはり他の災害を知るということであるし、昔の災害を知るということだと思う。

パーソナルヒストリーとしてお互いに触れあうことで、お互いに違うバックグラウンドにあることがうすうすわかってくる、それもまた、大切な気づきなのだと思う。

また、パーソナルなコミュニケーションが、例えばまさに「通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね」みたいな会話、これが実はマクロ特性を知るうえでも、その人のパーソナルヒストリーをしるうえでに、もっと重要エントリーポイントだったりする。仕事上、ひとから話を聞くときにいつも気に留めていることでもある。

からトルコシリア現在進行形震災について全体状況を大きな視点理解している国際機関よりも、よりミクロ視点で、特定家族地域の人たちにコンタクトがとれる小規模のNGO支援団体に私自身は微力ながら支援金を送付している。たまたまシリア難民支援をしている人と知り合いの知り合いくらいの関係SNSでつながっていたのがきっかけだ。アサド政権物資を止めてしまう現状も現地の声としてより関心を持つようになった。そのほうが確実に、受け取った人の顔がみえ、困っている状況がミクロにもマクロにもわかってくる。自分支援したお金支援先の一家族あたりの支援額(しか第一バッチ)の1/4にも満たないことを知る。こういうことも大切だと思う。

そのように、何かをきっかけに、他の災害に対して接点を持つ機会を大切にしたい。

その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分神戸出身でさ」と言われた。

というのは、居酒屋トイレ洗面所とかで何気なくかわす会話、とか想像していたのだけど、そういうのが大切だよね。そういうのが心の残って覚えている、ということがさ。もちろん完全にひとのことを理解するなんてことはどんなに会話を交わしてもない。でも覚えてさえいれば、そのなぜか覚えていた思いを何かにつなげることができる。その「きっかけ」というのはとても大切に思う。

災害を忘れない、というのはそういうことだと思うので。

2023-02-28

anond:20230228133515

港湾取り扱い量が釜山とか上海に持っていかれてしまった時点で衰退しかないんよなぁ。昭和の昔は世界神戸港だった。

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