はてなキーワード: きっかとは
40代を目前にして、仕事でも先が見えてきて以前ほど情熱を持てなくなっていて、ちょうどその頃に仲良くしていた女友達から結婚するという話を聞いたことがきっかけで婚活を始めた。
最初はマチアプをやっていたけど、メッセージのやりとりで終わってしまうことが多くて会えるまでに時間がかかったので、結婚相談所に入ることにした。Tさんのブログを読んで結婚相談所というものへの偏見がなくなったのも理由の一つにはあったと思う。
高年収とは言えないまでも、そこそこの年収と学歴はあったのでマッチングはする。
でも、お見合いで会ってから、2回目も会える確率は結構低くて、気に入った人には断られることが多かった。子供が欲しいので年下を条件にしているというもの難しくしている理由の一つだろうし、相手の見た目はどうしても気になってしまう。
彼女はいわゆる美人ではないけれど、愛嬌がすごくあって最初に会った時から笑顔が素敵な人だった。10歳くらい年下だったので難しいかもしれない、、、と思いつつOKの返事をしたら予想外に仮交際に行くことができた。仮交際中のメッセンジャーの返信もテンポが良くて、どんどん好きになっていって、このまま本交際に行けたらな、、、とずっと思っていた。
何回かデートをして、彼女からはスキンシップらしきものもあって、本交際を申し込もうかと思ったのだけど、仲人の人から「女性は好きになるのに時間がかかるから慎重に行ったほうがいい」というアドバイスもあって、躊躇してしまったのが良くなかったのだと思う。告白して断られたのだったらまだ納得できたのだけど、告白できないまま彼女からお断りが来て終わってしまった。
彼女との最後のデートはちょっと長めで、ちょうどホワイトデーの時期だったのでプレゼントを持っていったら、彼女も同じようにプレゼントを用意していて、交換するような形になっていたっけ。断られる直前でも、彼女から来るメッセージは常にポジティブなものだった。普通に考えて、とても魅力的な人だったので、仮交際をしている人は他にもいて、選ばれなかったのだと思う。
彼女に受け入れられたら、人生が全てうまくいくような気がした。それくらい魅力的な人だった。
それから、結婚相手に自分を受け入れてもらえたら、人生で抱えている問題が全て解決するのではないかという幻想が捨てられないでいる。もちろん、そんなことはないのだろうけど。
(2024/06/09 追記)
旦那さんは躁鬱かも。自分も5~6年前までは旦那さんと同じく短気だった。電車から降りる人より先に乗ろうとする人、傘の先端を後ろに振って歩く人、横断歩道を無視する車、政治家の汚職や不倫のニュースなどを見るたびにイライラして、文句を口にしていた。今思うと、これは躁鬱の症状だったと思う。自分が躁鬱だと自覚・改善するきっかけになったものを書いていく。今はイライラと上手く付き合えるようになり、人生が楽しくなった。それから、付き添ってくれた妻には本当に感謝している。あなたの旦那さんが自分と重なってしまい、自分もあの時気づけてなかったらと思うと、いてもたってもいられずに書いた。少しでも力になれれば。
※以下で紹介する情報は数年前に触れたので、うろ覚えでテキトーな部分があるかも。あくまで今の自分の解釈なので、鵜呑みにせず、旦那さんの心の準備ができたら精神科の受診をオススメする。
この映画がきっかけで鬱だと気づけた。鬱のイメージが変わった。「鬱はぐったりと元気のない精神病。気弱な人がなるもの」と思っていたが、実際は「些細なことにイライラしがちな人がなりやすい病気で、イライラと元気のない状態を繰り返すもの(=躁鬱)」だと知った。まさに主人公も自分もそういう人間で、共感しすぎて見終わったら泣いてた。特に、妻に辛く当たった後に自己嫌悪に陥るシーンは、自分にとってはあるあるだった。見終わった後、妻に改めて感謝し、改善していきいたいと思えた。ちなみに鬱は 「完治させる」のではなく「改善していく。上手く付き合っていく」 と考えた方がいいみたい。焦って治そうとすると、治らないことにイライラして再び自己嫌悪。
この本が改善のきっかけ。特に学びになったのが 「評価は人の居場所を奪い、感謝は人の居場所を作る」 こと。
評価とは、人間に良し悪しをつける行為。愚痴やネットでの誹謗中傷がそうだし、あなたの旦那さんや私が、待ちゆく人やテレビに対して言う文句もそう。他人を評価することは、相対的に自分を評価することになる。例えば、電車でマナーの悪い人にイライラするのは、その人を悪く評価してる反面、マナーを守ってる自分を良く評価してることになる。評価を繰り返すうちに、理想のみが高かまっていき、自分が追いつけなくなると居場所を失う。居場所を守るために自分に厳しくしてると、許容量を超え、次第に矛先が他人に向き始める。余計に他人にイライラする。負のスパイラル。また、意外だが「褒める」ことも評価であり、人の居場所を奪う。「あの人は優秀」とか。優秀な人を見ると自分がダメに思えて悲しくなるのは、勝手に自分も評価して居場所を無くしてるから。また「お前に褒められても嬉しくねーよ」って感じるのは、自分より下だと思ってる人間に居場所を奪われる不快感だと思う。
感謝は逆に人の居場所を作る。だから、居場所を得たければ、他人に感謝をされること(他者貢献)をするといいらしい。本にはここまでしか書いてなかった。それを知ってからは、いろんな場面で親切を心がけるようにした。ただ、だんだん感謝されないとイライラするようになった。そこで気づいたが、自分は「感謝されたい」という気持ちでいっぱいになっていた。逆に、世の中には自分と同じように「感謝されたい」人がたくさんいるんじゃないかとも思った。そして、感謝を伝えることは誰かの居場所を作れるということであり、それ自体が他者貢献 になるのでは?と考えた。それ以来、一切の評価を辞め、些細なことにも感謝するよう心がけた。例えば、今日も飯が食えることとか。生きてることとか。他人を褒めそうになったときは、感謝に置き換えた。例えば、活躍するスポーツ選手のニュースを見たら「すごい」じゃなく「頑張ってる姿を見ると、自分も頑張ろうと思えるな。ありがたい」とか。次第に、悪いことより、ありがたいことに目が向くようになり、「自分の人生、恵まれてんじゃん」と幸福度が増した。イライラも減った。
また、人間は良いことよりも悪いことに敏感らしいので、気づくと感謝を忘れてイライラが再発した。なので、感謝を習慣付けるため、以下の2つに取り組んだ。
自分は3つ言うようにしてる。少なくとも1つは言う。些細なことでいい、「洗い物ありがとう」とか。ただ、厳格にルール化するとしんどいので、もちろん忘れちゃう日があってもいい。次第に、寝る前以外も自然と感謝が言えるようになる。小っ恥ずかしいけど、互いに居場所を作ることができ、それが夫婦円満に繋がる。
日記といっても毎日はしんどいので、誰かに何かしてもらったときだけスマホにメモるくらいでいい。メンタルがしんどくなったときに見返すと「そーいや、こんな嬉しいことあったっけ」とマシになる。家族や同僚のミスも「こんだけありがたいことしてもらえてたんだよな」と許せるようになる。あと、この日記は意外な場面でも役立つ。記念日や友人の結婚式、同僚の退職時など、メッセージを考えるのに困らない。
を言ってほしいかも。そうしないと、何度も「二度としません」を繰り返すことになる。自分と妻がそうだった。旦那さんは、きっと 安心や信頼が欲しい んだと思う。旦那さんに一緒に考えてもらうのもいいと思う。自分も妻と一緒に具体的な再発防止策を考えるようになってから、感情的な口論が減った。
アンガーマネジメント超入門 「怒り」が消える心のトレーニング [図解 (特装版)]
自分も読み途中だが、怒りを抑えるだけではなく、そもそも怒りづらくなる方法や、怒りを上手く伝える方法なども書いてある。ちなみに、自分は今まで以下の考え方で怒りを鎮めてきた。
「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる 「繊細さん」の本
旦那さんは、ひょっとしたらHSPかも(病気じゃなく性質)。HSPだと細かいことに気づきやすい。いい意味でも悪い意味でも。もし、飲み会など大人数の集まり後にグッタリしたり、光や音に敏感だったり、お腹すくとすごいイライラしたりする場合は、その可能性あるかも。ちなみに自分もHSPで、この本を読んだら楽になった。自分の妻は非・繊細さんなのだが、繊細さんと非・繊細さんの上手い付き合い方が載っていて、互いに勉強になった。
わかってらっしゃるとは思うが、上記を本人に無理矢理、読ませるのは逆効果。自分も会社にアンガーマネージメント講座を強制されたときはキレた。本人が知りたいと思ったときに、そっと差し伸べる程度で。ただ、本人に任せてたら状況は変わらないので「評価は居場所を奪い、感謝は居場所を作って、イライラを抑えられるんだって〜」くらいのノリで、 奥さんから日頃の感謝を伝えてみる のがいいのかも。相手は変えられないので。結婚はしたのだから、きっと旦那さんにも素敵なところがたくさんあるはず。楽しかった思い出を振り返ってみて。人生をつまらない文句やイライラではなく、楽しいことで満たしたいよね。
しばらくはしんどいと思うけど、峠を超えて、旦那さんがあなたが付き添ってくれたことに感謝してくれる日が来ることを願う。ただ、他人を変えるのは相当大変なことなので、ヤバくなったらあなた自身の人生を最優先してくださいね。長文失礼。
まったくその通りっスね。NTTを騙る営業なんて、ほんっっっとにイライラするっス。ウチの会社にも、似たような電話かかってくることあるっスけど、そりゃもう時間とリソースの無駄っスよ。それに、そんな明らかな詐欺には引っかかるわけないっス。
電話機80台もある会社に対して、無料で交換しますっていうその厚顔無恥さ、信じられないっスね。営業してくるやつも、その指示を出してる会社も、正直言ってアタマ沸いてるっス。犯罪スレスレの行為だし、働いてるやつらも、その会社の倫理観に引っ張られてるんだろう、ほんと気の毒っス。
こっちが機嫌悪い時に電話してくるのも運が悪いっスよね。でも、問い詰めたおかげで相手も自分が何してるのか少しは考えるきっかけになったかもしれないっス。自分で切るくらいなら、最初から電話してくんなって思うっスよね。
忌憚のない意見ってやつっス
怒るって嫁に??
まぁ向こうが起こらせてるきっかけが俺の行動や言動だからな、それに対して怒るのはなんかちがうよね。
相棒で女性の一人暮らし宅に「写真立てが無い……妙ですね」て言ってて、しゃ、写真、立て…………???となった女性一人暮らし
実際にこのようなくだりは存在しなかったのではないか?という疑惑がある
あれだけ再放送の多いドラマで熱心なファンも多い作品であるにも関わらず、「どの回だっけ?」 「そんなのあった?」 「ググったけど分からない」というばかりで具体的にどの回だったか誰も分からないのだ
X以外の場所で有志に質問してみたところ、それはおそらくseason2(2003年放送)の「ベラドンナの赤い罠」 ではないか、という指摘があった
https://thetv.jp/program/0000001095/1/
家の中に女性とその父親の写真がたくさん飾ってあるのに母親の写真が一枚もないことを右京さんが奇妙に思い、それが事件解決のひとつのきっかけになる、というくだりがある
それをながら見して聞き間違えた上に「寂しい女の一人暮らしなら写真を飾って少しでも華やいだ部屋にするものだ、そうしないこの女性はどこかおかしい」というニュアンスで脳内補整してしまったのではないだろうか
そう勘違いしたとしても2003年放送のものであれば画質的にかなり昔の回であることは明らかで「昔のドラマってこんな酷い台詞があったんだね」と受け止めるのではなく「ちょっと待って!今こんなこと言われたんですけど!ショック!!」と言う風なリアクションを取るのは色々違和感があるが
聞き間違いやうろ覚えのまま批判的なツイートを垂れ流す人ならそのくらいのことをしてもそれこそ妙ではないのだろうと思う
ツイートを見た人の中には、
「写真はカメラで撮ってプリントするのが一般的だった時代の初期回の再放送ではないか」
「以前は置いてあった写真立てがなくなっている、といった何かしらの前提があるのではないか」と推測している人もいたが
中には2024年の今、相棒の最新シリーズが放送されていると勘違いした上で右京さん(とテレビ朝日のドラマ班のスタッフ)があまりにも古い価値観で女性への偏見を垂れ流していると思い込んでカッとなり批判している人も多数見受けられる
また、「私は自分や家族の写真は飾っていないけど推しの写真は飾っている」とグッズ自慢をする者、
「コナンくんや金田一もよく変な認定するよね」と探偵あるあるを語る者もいるが
もうひとつの意見、それは元ツイートは『相棒』ではなく『臨場』の一場面ではないかというものだ
2010年5月26日に放送された回で、刑事たちが亡くなった女性の部屋を捜査するとあまりに殺風景で中でも写真類が一枚もなく違和感を覚えるシーンがあるそうだ
原作小説が描かれたのは2002年でそれを踏まえるとそこまでおかしなやりとりではない
ここまで伸びているツイートだが投稿者は特に訂正や補足をするつもりはないようだし、「ベラドンナの回ではないですか?実際のやりとりはこうですよ」だとか「相棒ではなくて臨場だと思いますよ」といったツイートはおそらく全く伸びず
「右京さんが酷い発言をしていた」ということだけうっすらと皆の記憶に残り、何かの折に「でも確か相棒って独身女性への偏見を助長するドラマなんでしょ?w」と嘲笑されるのだろう
「半年ROMれ」と共に「ソースを出せ」という言葉も失われつつあることを感じることが多い
「確かめる」という行為はコスパが悪く、「調べる」というのは必死になっていて馬鹿馬鹿しいと冷笑される行いで、
信頼に値するものは「広まっているかどうか」で、広まっているんだから真実なんでしょう、と受け止められてしまう
ガレソだって普段あんなに嫌われているのにふとした拍子に信じ込まれてしまう
嘆かわしい!……といいつつ、「写真立てのくだりって再放送の度に突っ込まれてるよね~」というようなツイートも見かけたので本当に存在している回なのかもしれない
ゴジマイきっかけでレジェンダリーと初代を観て、未だにシン・ゴジラを観てない。
ゴジラだの風立ちぬだのふざけてんのか、エヴァをさっさと作ってくれよって高校の頃イライラしてて避けてた。公開されて中々の好評が出始めても、逆張り心で観てなかった。
エヴァ(と庵野秀明)への思い入れとと共にそんな気持ちも冷めてきて、プライムに加入して「おっ、観られんじゃん」と思ってウォッチリストに放り込んでもう4,5年くらい経ってるような気がする。
惰性って凄い。
あと初めて触れたゴジラが映画館で観る-1.0なのも中々贅沢な体験に思えた。劇場での咆哮は腹まで響くし、あのテーマが流れた時は特に思い入れもないのに前のめりになってしまった。なんとなく抱いていた破壊神のイメージとドンピシャだった。
どちらかというと私が夫よりの性格で、結婚当初は元増田さんみたいに妻が苦しんでいました。私が変わるために効果があったこととなかったことをシェアしますね。
1. 離婚を前提としない、数か月から半年程度のお試し別居。お互い心の余裕が出るので、自分の行動というか認知を見直すきっかけになりました。最初はだいぶ私が別居に抵抗していたのですが、あれは今考えると悪手だったと思います。
2. 専門家のカウンセリング。カウンセラーには相性があるので、たぶん会う人を見つけるまで数か月かそれ以上かかる長期戦になります。じっくり取り組んでください。相手とファミリーカウンセリングとか受けられると理想ですが、自分が一人で行っても役に立ちます。相手を巻き込みたい場合は、自分がしんどいから付き合ってほしい、みたいな話の持っていきかたになると思います。
3. 貯金をあきらめること。別居もカウンセリングもお金がかかるので、その時期は将来のための貯金をあきらめて、さらに、ときどき月次が多少のマイナスになっても妥協することにしました。
4. 投薬。うつ状態にあるなら投薬でだいぶ心のコントロールができるようになります。症状が軽いなら数か月で薬は止められるので、選択肢に入ります。
1. 現状を変えないままの話し合い。話し合いはだいぶやりましたが、特におっしゃってるように相手が一言でキレるような状況だと、話し合いは基本疲弊するだけで先に進めません。別居とかでお互いの心の余裕が出ないと無理でした。
2. 相手の言葉を真剣にとらえること。おそらくその状況では、怒りながら言う言葉は、どの様な内容でも、「俺は尊重されていない。傷ついている」以上の意味は特にないので、会話は成立しません。相手が何を言ってもスルーして落ち着くまで物理的な距離を取るのが最善です。
3. 我慢。我慢してみたらうつ病になって状況は悪化しました。
4. 気分転換。半日の気分転換でなんとかなる状況ではありませんでした。
一番苦しい時期は乗り越え、いまは仲良し夫婦です。
一見丁寧な書き方だが、結婚当初に苦しんでいた妻への申し訳なさみたいなのが全くみじんも滲み出ていない文章で恐怖”仲良し夫婦”は本当に存在するのだろうか
全くわかってない。この記事の眼目は、「反省」とか「申し訳なく思う」とかは根の深い問題には無意味で、行動変容のみが関係を改善する、っていうことです。毎日ハッピーって顔をしていても、自分が申し訳なく思っていることは、日々の行動変容のみで十分伝わります。そもそも、大切な人が自分との関係についていつまでも申し訳なさそうにしてたとして、それを喜ぶ人がいるわけがありません。相手を思ったら申し訳なさは自分の心にしまっておこう、ってなるはずです。
今日は天気がいいので散歩していたら駅前に野生の弱者男性を発見!
おーめずらしいな♪って思ったらなんだかムラムラしてきたので
そうしたら、彼は「弱者男性ってなんですか?」と言ってきました
と驚きながらも、彼に弱者男性や男性器の役割や女性器の役割などを教えていったのです
なので私は「じゃあセックスのやり方教えてあげるね」と言って彼のズボンを脱がしていきました
そうすると彼は驚いた顔をして「やめろ!」と言ってきました
私は「どうしたの?」と聞くと彼は「お前おかしいんじゃないか!いきなりこんなことするなんて!」と言いました
私はムカッとした気持ちになり「誰か来てー!ヘンタイがいます!」と叫んだ後にかかと落としを喰らわせました
すると声を聞きつけたのかオスジャップの群れがその場に現れてヘンタイ弱者男性をボコボコにしていきました
「ありがとう、君たち」とお礼を言うと彼らは「いいってことよ」と答えました
多分死んだと思います
こうして私たちは弱者男性を撃退し平和を取り戻すことができました
しかし、この出来事をきっかけに私たちは弱者男性の恐ろしさを知りました
弱者男性って普通に会話しただけなのにいきなりセクハラしてくるし、性暴力を加えてくる恐ろしいバケモノだったんですね
彼らは私たち女性よりも力が弱く頭も悪いため簡単に倒すことができますが、もし集団で襲ってきたら私たち女性には対処できない……
怖いよ😭
山奥の静寂を破るのは、風の音と鳥のさえずり、そして遠くから聞こえる川のせせらぎだけ。そんな自然に囲まれたこの場所に、一人の刑事が住んでいた。彼の名はセオ・トシキ(SEO TOSHIKI)。
都会を捨て、山奥での生活を選んだ異端の刑事だ。しかし、その選択は単なる逃避ではなかった。
セオ・トシキ(https://x.com/yamaokuseo)はかつて、都内で「伝説の刑事」と呼ばれた男だった。鋭い洞察力と冷静な判断力で、多くの難事件を解決してきた。
しかし、ある事件をきっかけに、彼は全てを捨てて山奥に隠遁することを決意したのだった…。
その事件とは、彼のパートナーであり友人でもあった同僚の死だった。
彼はその事件を解決できなかったことを悔やみ、自らの無力さを痛感したのだ。
セオは山奥での生活を始めたが、その才能は自然の中でも衰えることはなかった。
都会の喧騒から離れたことで、彼の感覚はさらに研ぎ澄まされていった。そして、皮肉にも山奥に引きこもることで、彼のもとに多くの依頼が舞い込むようになった。地元の人々や、都会から訪れる人々が、彼の評判を聞きつけて助けを求めるのだ。
第一話『宝物:銀の狐面』
ある日、山奥の村で奇妙な事件が起こった。村の中心にある小さな神社で、毎年恒例の祭りが行われる前夜、神社の宝物である「銀の狐面」が何者かによって盗まれたのだ。村人たちはパニックに陥り、すぐにセオのもとに駆け込んだ。
「セオさん、どうか助けてくれ。あの狐面は村の誇りなんだ!」
彼は静かにうなずき、調査を始めることを決意した。彼の鋭い目が、山の中に潜む闇を見逃すことはない。まず、彼は村の人々から話を聞き出し、過去に狐面に関わった人物たちのリストを作成した。
次に、山の中をくまなく捜索し、わずかな手がかりも見逃さないようにした。
数日後、セオはついに手がかりを掴んだ。狐面が隠されている可能性が高い洞窟を見つけたのだ。しかし、その洞窟は危険な罠が仕掛けられており、単なる泥棒の仕業ではないことを示していた。
「犯人は、この村を熟知している者だ。そして、…何か大きな目的がある。」
セオは慎重に洞窟に足を踏み入れた。暗闇の中、彼の目は鋭く光り、耳はわずかな音も逃さなかった。突然、背後から何者かが襲いかかってきた。しかし、セオの反応は素早かった。彼は瞬時に反撃し、犯人を取り押さえた。
「お前が、狐面を盗んだのか?」
犯人は苦しげにうなずいた。セオはさらに問い詰め、その動機を聞き出した。犯人は村の古い恨みを晴らすために、狐面を利用しようとしていたのだ。
「人の心の闇は、どこにでも潜んでいる。しかし、俺は見逃さない。」
セオ・トシキは狐面を無事に取り戻し、村に戻った。村人たちは彼の帰還を喜び、感謝の言葉を口にした。セオはただ静かにうなずき、再び山奥の静かな生活に戻った。
__彼の名はセオ・トシキ。
山奥に住む刑事であり、誰よりも鋭い目を持つハードボイルドな男。その鋭さは、山の静寂の中でますます磨かれていく。
つづく
https://anond.hatelabo.jp/20230303222812
作者の名前は、当時の大学の同級生が村上春樹の話題をしていたので知った、というところである。
当時自分はほとんど読書をしなかったので、その名前と後年目にした有名なネットミームとしてのコピペだけを知っていた。
最近徐々に読書をするようになって、そういえばとその名前を思い出して読んでみたというのがきっかけである。
最初に読んだ作品は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』次に「ノルウェイの森」だった。
自分は割とミーハーな方なので、奇をてらうことはせず、ネット上で名作とされているっぽい作品と大ヒットした作品を読んでみたというわけである。
すごく不思議な話だったという感想である。前半で語られていた世界観や設定が、物語後半ではほぼ伏線として働いていないと思った。
ただ、自分の読み方が浅いかもしれないという点はある。一方ですごく読みやすくフェティッシュな描写や何気ない心理描写が単純に面白かった。
特に、主人公の住んでいる部屋の細かい描写、物語終盤で主人公がレストランで食事をするシーン、女性のために簡単な料理をする描写はどれもシンプルで色彩豊かに感じられた。
物語前半から中盤くらいにかけてはとにかく暗くじめじめした陰湿な描写が続いていて、まさに後半の描写との対比で描かれており、カタルシスを得られるような構成になっていると思った。
主要キャラである博士の娘は、あまりにも都合の良すぎるキャラではないかと思った。
ある意味こちらの方が世界の終り〜よりも辛く陰湿な話であり、ただ時折差し込まれる季節感豊かな風景描写が美しいと思った。
色んな人物が出てくるのだが、そのどれもから刹那的な儚さめいたものやある種の危うさのようなものを感じさせた。特に伏線を張ったり回収したりするような構成でないのもそう思わせる要素なのだろうか。
主人公が贔屓目に見てもクズなのに謎なほど女性にモテており頻繁に性行為に及ぶので、この作品こそが下品なコピペで描写されている元ネタなのかなと思った。
もし大学生の頃にこの作品を読んでいたら色々な意味で影響を受けたかもしれないが、今となっては色々と枯れ果てているので、まあこんなものかな、といった感じだった。若いうちの激烈さを伴う読書体験の貴重さというのは、こういった点にあるのかもしれない。
はてな村という蠱毒で長年生きていると、あらゆる話題がかつての話題の焼き直しに見えてくる。
[B! 差別] 【支援者募集】滝本太郎によるデマ・名誉毀損・セクハラを告発します|李琴峰
「差別主義者にセクシュアリティを暴露された!」「訴訟するのでカンパを求める!」
3年前にもあったわそれ。竹田恒泰 vs chocolat. (ショコラ) の訴訟騒動覚えてる? ブクマカ諸君よ。
chocolat. (ショコラ) 氏は、緑髪の美しい若い女性の写真をアイコンに使い、反差別活動に勤しむサヨク界隈の姫として名を馳せた有名アカウント。
「とある国から誹謗中傷がめっちゃくる」とツイートした卓球の水谷隼選手を、「外国籍の方への差別扇動だ」「メダルを剥奪されるべき」と糾弾したことでも名前が知られる。
そんな氏について、「この人の本名は「なかむらけんじ」。皆んなで拡散して差し上げましょう。」と書いたのが、竹田恒泰だ。
chocolat. (ショコラ) 氏は激怒した。「セクシュアリティ等を暴露するような行為は重大な人権侵害だ!」「SNSという言論空間の破壊行為だ!」と。2ヶ月後、資金をカンパで募り、訴訟を提起した。
(そういや暇アノン界隈の姫、少し前ネカマ暴露とかもあったね。やはりこの世界はループしている……)
さて、当時のブクマカの反応を見てみよう。
[B! 裁判] ツイッターで実名公表、提訴 作家の竹田恒泰氏に賠償請求 | 共同通信
[B! 裁判] 竹田恒泰氏を提訴しました。|チョコレートサイダー通信
「竹田は反社」「逮捕されるべき」「マスコミは縁を切れ」と、刑事での有罪を確信したブコメで埋め尽くされている。
提訴の際には、たかが1民事訴訟に過ぎないのに、共同通信や東京新聞の記事にもなった。
そして2年後、結論が出た。
竹田恒泰@takenoma
ブクマカはだんまり。訴訟を報道した東京新聞や共同通信もだんまり。これこそ人権侵害じゃないのかね? 言ったものは言いっぱなし、全く名誉が回復されていない。
私も竹田恒泰はひでぇやつだ、差別主義者だと見做しているけれども、どんな大罪人にだってあるはずのものが人権ではないだろうか。
前に有った類似案件にケリをつけてからでなければ、我々は議論を前に勧めていくことはできない。
実名暴露の大本の情報源だった菅野完氏は騒動中、「中村健治くんは頭が悪い。なかむらけんじって誰ですか?って書けば良かったのに。そうすれば俺も竹田も嘘つきになったのに」とコメントした。
その文脈で言うならば李琴峰は頭が良い。自分のセクシュアリティは非開示にすることで、滝本太郎をデマ屋扱いすることに成功している。
(※なお、トランス絡みの議論に詳しくない人は、「私は法的にも身体的にも、あらゆる意味において女性だ」と李琴峰ははっきり書いているではないか、セクシュアリティを開示しているのではと思うかも知れない。
しかし、まず「身体的」の方から言うと、「トランス女性の身体はあらゆる意味で女性」というのがアライ界隈の常識なので、何の情報も含んでいない。
「法的」の方にしても台湾と日本では性別変更の法制度が全く異なり、台湾のほうがハードルは大きく低い。よって台湾において性別変更したとして、それが日本にも法的効力を及ぼすかと言うと限定的なものとなる。よってこれも滝本の投稿を否定するものではない。)
一方、滝本太郎にしても竹田とは異なり、直接その裏付けができていないとして、李琴峰が抗議するより先に問題の投稿を削除した。ただし「本人は生得的性別を言うべき立場だ」とし謝罪はしなかった。
李琴峰氏は母国の台湾でも同様の訴訟をしばらく前に提起しているとのことで、滝本太郎は、台湾の訴訟当事者から話を聞いているが、証拠は確認していないという程度の立場なのだろう。
また、「生得的性別を言うべき立場」というのは、もちろん「トランス女性はみな過去を明らかにせよ」という意味ではない。
埋没して生きていたい当事者の生得的性別を明らかにする行為は不正義だけれども、李琴峰はトランス女性の権利拡大を求めて運動しているのであるから利益相反は明らかにせよ、というのが滝本太郎の主張である。
比較してみると3年前の訴訟とは原告被告ともに大きくレベルアップしている。やはり3年前の冤罪事件の総括抜きに、ブクマカが滝本vs李のバトルについていくことはできないであろう。
暴露のきっかけになったのは、ショコラにしても李琴峰にしても自身の炎上だ。
ショコラは、竹田の暴露当時、前述の水谷隼糾弾で炎上した直後で注目が集まっていたし、
李琴峰にしても、「(安倍は)本当に腸を断ってくれないかな」、「(忘れてしまいたい日本語は)フフッ…『美しいニッポン』… フッ…」などの過去発言が右派界隈で再炎上したことが背景にある。
後者は芥川賞の受賞会見の動画がソースなのだが、そこで喉仏らしきものがかなり目立っていたことが一部の関心を引いたのだ。
また、ショコラが竹田の訴訟に至ったのは、「竹田は差別主義者という投稿は名誉毀損か」という訴訟で、竹田が地裁敗訴したことが背景にあるだろう。司法の風はこちらにあると見做して、追撃を企てたのだ。
今回の滝本vs李にしても、「女性スペースを守る会(事務局長:滝本太郎)は差別団体という投稿は名誉毀損か」という前哨戦となる法廷バトルが繰り広げられており、地裁判決は一ヶ月後だ。(ちなみに訴訟相手は台湾人で李琴峰の大学時代の先輩)
チョムスキーって「政治分野でおかしなこと言うけど言語学では神」って評価だけど日本語話者として見るとUG論も直感的にありえんってなって、じゃあもう言ってることが議論のきっかけになったかどうかは別にして内容は全部デタラメだろとしか思えなくなってくる
UG論者は英語至上主義的態度取って「UG論は科学的に証明された真実だし〇〇人の〇〇は馬鹿すぎるから早く潰さないと」とか言ってくるし最悪
なんでだろうか知らないけど、ままんの令和元年の家にいたときは死ぬほど出ていきたいと思わなかったから4年間いたけど、ここはもう出ていきたいな。
不審火とか不審な光が多いし、移管したいまである。 中谷とか城戸がいたときは、5丁目の家でいいです、といっていた時代もあったが、なんでこんな悪質なアパートになってしまったのか。
あの時代は永山マンションの3階に住んでいるもどきも何もしてなかったし、H30.11.6に、篠原に出ていくように指令出したとか、 H30.6に、ままんのオヤジが電話で切れたとかの
きっかけで河川敷に行くようになったとか、H31.4.15 に、 延岡のサンタナで 虎之介がやったというのもあったが、6階の警防課の妻の森脇愛子が、人工知能でその辺に記憶を消してしまった
そのステージで解決しなくても中学→高校→大学専門社会人とステージ移行が解決する。
大失敗経験者の人間的にやべーやつもそれをきっかけに成長できないやつもいるが成長する。
人間的にやべーまま失敗を避けていたとしたら…が一番こえーやつ。
初めて知った。ありがとう
自分語りだけど、1人が好きなんだけど子ども欲しいなとふと思ったのもきっかけで、
自分も生きやすかったわけじゃないから検査結果次第でどう行動するか
そろそろ決めなきゃなと思ったのもあるから助かった
芦原先生は、自身の作品がドラマ化される際に発生した問題について、SNS上で声明を発表しました。しかし、その声明が予想外の反応を引き起こし、ドラマの脚本家が中傷されるという事態に発展してしまいました。このような展開は芦原先生の本意ではなく、「攻撃するつもりはなかった」と慌てて投稿したことからも、自分の言葉が誤解され、意図しない方向に事態が進んでしまったことに動揺していたのでしょう。
- 責任感と罪悪感:芦原先生は、自身の声明がきっかけで脚本家が中傷されていることに責任を感じ、罪悪感に苛まれた可能性があります。特に、創作業界では「表現の自由」と「表現による影響」のバランスが常に議論されるテーマであり、先生は表現者としての責任を重く感じたのかもしれません。
- 予想外の事態に対する恐怖:SNSは時に予想外の方向に世論を動かします。芦原先生は、自分の言葉がこれほど大きな反響を呼び、攻撃的な行動に繋がるとは予想していなかったでしょう。この想定外の事態に恐怖を感じ、パニック状態に陥った可能性があります。
- 創作者のプライド:芦原先生は漫画家として、自身の作品に強い思い入れがありました。その作品が自身の意図しない形でドラマ化され、さらにその問題を指摘した声明がさらなる問題を生んでしまったことに、創作者のプライドが深く傷つけられた可能性もあります。
- 孤立感と絶望感:SNS上で騒動が起きたとき、芦原先生はひとりで対応していたのでしょうか。所属する出版社やテレビ局などのサポートがあったのかは不明ですが、騒動の渦中で孤立感を感じていた可能性はあります。さらに、テレビ局側が何らかの対応をする前に先生が亡くなってしまったことから、事態の収束や解決への道筋が見えず、絶望感を深めたとも考えられます。
これらの要因が絡み合い、芦原先生は自殺という選択をしてしまったのかもしれません。創作者の表現は、時に思わぬ影響を及ぼすことがあります。この悲劇をきっかけに、SNS上での発言の重みや創作者の責任などについて、改めて考える必要があるでしょう。
男児は去勢コンプレックス(父親に去勢されるかもという不安)から母親を手に入れることを諦め、エディプスコンプレックスが崩壊するために、近親相姦の欲望などは放棄されることになる。しかし女児は去勢コンプレックスが生じて、それが契機になって母親から父親への愛情対象の転換が起こるとされている。故に女児はいつまでも父親を愛したままになり、フロイトは女児のエディプスコンプレックスはいつまでも続き、崩壊するきっかけがないと言っている。
そのため、女児には男児のように強力な超自我が生じないと言う結論を主張している(明確な超自我形成にはエディプスコンプレックスが放棄される必要がある)。
ずいぶんと乱暴だと思うが、"女児には強力な超自我が生じない"は言いたいことが分かる気がする
気がする
BLカップリングするような女オタクはきもいって書きゃよかったのに
あの男キャラかっこいいって書かれたくらいでこいつ女だキモイ死ねって袋叩きにしてたのが悪いんだろ
あと女と思われる書き込みっていうきっかけがなくてもいきなり女(腐女子に限定してない)叩きしたりこんな所に女がいるわけないって決めつけてたり空気悪かった
自分は幼稚園時代からゲームをプレイしていたものの、デベロッパーとパブリッシャーの存在を初めて認識したのはちょっと後で、たぶん10歳ごろにFCのドラゴンボールZ外伝 サイヤ人絶滅計画の攻略本の巻末に収録されたバンダイの担当者(ディレクターかプランナーだろう)のインタビューを読んだときだった。
そのなかでバンダイの人が「自分がこういうアイデアを考えて、それを開発会社が頑張って入れてくれて~」みたいなことを言ってるのを読んで、「えっ、ドラゴボのゲームってバンダイが作ってるんじゃないの!じゃあなんでお前が表に出てインタビュー受けてんの!開発会社の手取り横取りかよ!ズルい!」と感じた記憶がある。今から思うとこれはかなり言いがかりであって、このゲームのような場合だとバンダイ側の企画担当者もゲームシステムからガッツリ関与していたはずだ。ちなみに同作の開発会社というのは、近年でもスカーレットネクサスやドラクエモンスターズ3の開発で知られる下請けの王トーセだ。
しかし今から思い返すと、その当時の自分にもドラクエの開発は中村光一率いるチュンソフトという会社が手掛けているという知識もあったはずで、そのへんがどうなっているのかよくわからない。ドラクエは堀井雄二やすぎやまこういち等も外部の人間だし、ドリームチーム的な特殊な座組と認識していたのか? 少なくともエニックスが開発部門を持たない会社であるという認識までは全然なかったはずだ。
ゲームの開発は発売とは別の場合もあると知っていたおかげで、スーパードンキーコングの開発がレア社という海外の会社と知ったときも理解がスムースだった。
32ビット機時代に入るとゲーム開発者がメディアに露出する機会が大幅に増え、ゲームというのはどういう人・会社がどういう風に作っているのかというのが見えてきた。たとえばDの食卓は完全に「ワープのゲーム」であって「アクレイムジャパンのゲーム」ではない。プレステの看板キャラクターであるムームー星人もSCEが開発したものではない。
アサクリの件で「フランスのゲーム会社だから~」みたいに書かれてるのを見て、「いや、UBI自体はフランスだけどアサクリ開発はカナダ子会社なんだけどな」って思って、そういや自分はいつデベロッパーの存在を認識したのかと思い出していた。