はてなキーワード: 最中とは
彼女とは中学から付き合いで、私立中学で1年で同じクラスで隣の席で最寄り駅も隣でアニメ趣味も一緒であった事もあり、すぐに仲良くなった。
エスカレーターだったので中学から大学まで一緒で、一緒のクラスになったのは1年だけだったけど、ほぼ毎日一緒に一緒に行って一緒に帰った。
大学を卒業して社会人になっても、仕事帰りに会ったし休日遊んだし、旅行にも行った。
“親友”という単語は一度も使った事がなかったけど、私は彼女の事を親友だと思っていたし、彼女からそう思われてるとも勝手に思っていた。
事態が変わったのは去年の夏。当日私が強烈にどハマりしていたアニメの最終回が放送されている最中に彼女からラインがきた。今日最終回放送で私がそれをすっごく楽しみにしている事も彼女には言っていた。
だからきっと最終回についての実況的な内容だと思って開いたら、
「来年の秋に結婚式をあげる事になりました。○月○日空けておいてくれると助かります」
という内容だった。
頭が真っ白になった。
1番の感想は(なんで今?)だった。
楽しみだったアニメには全く集中出来なくなり、その後彼女に電話をしたが繋がらず、眠れない夜を過ごした後に次の日の夜にようやく電話が繋がった。
まず初めに私は彼女に彼氏がいたという事実を彼女から聞いていなかった。
でも彼氏がいる事は知っていた。
結婚報告より大分前に第三者から空港で彼女が彼氏と思われる人物と歩いていたという情報を実は聞いていた。彼女に彼氏がいて、しかも一緒に旅行行くほどの仲という事実に頭が真っ白になったが、いつか彼女から私に話すだろうと思い、私からは何も聞かなかった。
電話に出た彼女に「彼氏がいるなんて聞いてない」と言ったが彼女は「えー言ってなかったっけー?言ったと思ったけどなー」と曖昧な返事がきた。
勿論私は聞いてない。
いつから付き合っていたかを聞くと「大学から」という返答がきた。
ショックだった。
当日はまっていたソーシャルゲームのオフ会で知り合ったと話した。大学の頃に彼女がそのソシャゲにハマっていた事も知らなかったし、彼女がそういったオフ会に行くような子だとも知らなかったし、何より大学の時点で彼氏がいた事も知らなかった。
彼氏がいるという情報を第三者から聞いた時も社会人になってから出来たと思っていたので、ずっと気づけなかった自分にもショックだった。
「なんで話してくれなかったの」
という言葉が出そうになったけど、彼女から結婚の事話したのは今はまだ私だけだと話された事でちょっと嬉しくなってしまって、彼女にそれ以上何も言わなかった。
それに私にも彼女に隠している事(支部で二次創作をやっている事、同人誌も出してる事、家族の事etc…)はいっぱいあった。だから仕方ない。彼女を攻める権利は私には無い。
そう自分にいっぱい言い聞かせた。
でも考えれば考えるだけモヤモヤはいっぱいあった。大学時代や社会人時代に周りに彼氏ができ始めたなか、「オタクでいるうちは彼氏なんて出来ないよねー」なんて話をよく彼女としていたけど、その時彼女は私の事どう思ってたんだろう。勝ち誇って笑っていたのか?哀れんでいたのか?そんな話を私がしてたから言いにくくて罪悪感を抱えたりしていたのか?
その後も彼女とは何度か会ったし、会えばいっぱい笑って喋ったけど、どうしても
私に彼氏の事を話してくれなかった
というのが頭を巡った。
そんななか、ふと彼女の結婚式で私は友人代表スピーチを頼まれるのでは?という事に気付いた。
だから頼まれていないのに、友人代表スピーチの原稿の作り方を調べたり、絶対笑える彼女のマル秘エピソードなんか忘れない様に書き込んだりしていた。でも結婚式が近づいても彼女から何か頼まれる事はなかった。
他の友人の結婚式で友人代表スピーチは無かったので、彼女の結婚式もそういうのは無いんだと思った。
そんなこんなで遠い先だと思っていた彼女の結婚式は近づき、私は彼女への結婚祝いに高級ブランドの食器セット買ったり、私が声かけて中学高校大学と彼女と交流あった子達に協力して貰って寄せ書きなんか作ったりしてそこに彼女へ普段は恥ずかしくて言わない様な言葉を使って長いメッセージなんか書いちゃったりもして、また彼女の推しキャラと同じ配色のご祝儀を頑張って探したりして、とにかくやれる事を頑張った。
モヤモヤはいっぱいあったけど、それでも“親友”としてやれる事をやろうと思った。
そして結婚式当日。
共通の友人と共に彼女の控室に行って、白いウェディングドレスに身を包んだ彼女を見た瞬間、あまりにも眩しくて私は涙がボロボロ出てきた。
そんなもんだ。
でもその時私は本当に彼女を祝福したし、涙は嬉し涙だった。と、思う。
控室は彼女のや花婿の親族と思われる人がたくさんいて彼女隣にずっといたのであまり話す事は出来なかった。
結婚式が終わり、披露宴の会場うつると、私の座席は花嫁花婿からは遠い席が指定されていた。
一緒に来ていた共通の友人の方が彼女に近かったぐらいで、「えっお前がそっちじゃないの?」と共通の友人が戸惑うぐらいだった。
私は表情は変えずに「座席の距離は変わんないよ」なんて言ったけど、内心は不安だった。
そして始まった披露宴。
ホテルのスタッフによる進行ですすみ「それでは次に友人代表スピーチです」とアナウンスされた。共通の友人達が私を見た。戸惑いながら私が小さく首を振ると花婿花婿と近い座席に座っていた知らないひとが立ち上がり前に出て、スピーチを始めた。
なんでも彼女とは例のオフ会で知り合い、花婿と花婿とよく3人で食事をする仲だそうだ。
そうか、花婿とも仲が良いなら、そりゃまぁそっち優先しますよね。一回ですむしね。時間も短縮されていい事ずくしだと自分に言い聞かせた。
でも大学から彼女を知った人物が、「彼女は周りを笑顔にするのがとても上手で〜」となんか知った様に語りだすと、いやあなた誰ですか?彼女の何を知ってるんですか?と言いたくなってきた。
彼女を見ると彼女は気恥ずかしそうにしていて、それを花婿が笑っていた。ヒソヒソ何か話してる。
幸せそうだった。
私の知らないとこで知らない間に出来上がった結びだった。
披露宴は何事もなく進んだ。途中で余興で花婿の友人のマジシャンが出てきて、私と彼女の共通の友人がいじられていた。
彼女が手紙を読み上げていたが、当然だがほとんど家族の事だけで最後に今日来てくれた友人の皆様で一括りに感謝を述べていた。私の事はなーんにも言わなかった。
気がつくとまた涙が出てきていた。
それが悲しみなのか哀しみなのか嫉妬なのか怒りなのか分からないけど、でもそれは祝福の涙ではなかった。
その後もう一度話せる機会があった時に共通の友人達と共に寄せ書きを渡したが、彼女は私のメッセージよりも、寄せ書き式紙に描かれた彼女の推しキャライラスト(私が絵の上手い共通の友人頼んで描いて貰った)にはしゃいで喜び、その描いた友人に何度もお礼を言っていた。
その後少しだけ話して私は他の子達と同じ引き出物を貰い、彼女と別れて、友人達と帰った。
みんな口々に良い結婚式だったね。と言っていた。
勿論私も笑顔で「そうだね」って言ったけど、頭は別の事でいっぱいだった。
最初に彼氏の事話されなかった時点で気づくべきだったんだけど、私は彼女の“親友”では無かった。
少なくとも彼女からはそう思われて無かった。たくさんいる友人の1人であり付き合いが長いだけ。
それが確定された。
それがショックだった。
彼女に宿題写させてあげた事は何度もあったし、彼女の行きたいと言った興味のない舞台を申し込んだ事もあったし、彼女が見つからないとTwitterで嘆いていたグッズを密かにいっぱい探して回ってあげた事もあったし、彼女の誕生日には毎回結構奮発したプレゼント買ったり、旅行行けば毎回彼女へのお土産も買ったし、結婚式までも本当に色々頑張ったと思う。
私は別に友人が少ない方では無いけど、彼女は私の中で”親友“で特別だった。
向こうにはそう思われてないのに。馬鹿みたいじゃん私。滑稽じゃん。
仕舞いには彼女にそう思われて無いって事は私ってもしや生きる価値ないんじゃないかな?とかまで思ってきた。
そもそも今のこの時点で彼女の結婚を心から祝福出来ず自分の事しか考えれない時点で私って最悪じゃね?
結婚式から帰ってきて、夜遅いのに何もする気が起きなくて玄関で3時間ぐらいぼーっと立っていた。
お陰で次の日の仕事は散々で、今日こそ早く寝るぞって思うのに行動に起こせずまた玄関で棒立ちしながら結婚式事振り返ってしまったり、どうにか頑張って布団に入っても彼女の事で思考がいっぱいで眠れなくて、そんな眠れない日がずっと続いて、今に至っている。
この事を誰かに話す気はない。
さぞやドン引きされるでしょう。彼女の事をLIKEじゃなくてLOVEだったの?とか思われるだろう。
そうじゃないんだ。
長い時間を全て否定された様な、なんというか私という人間の存在価値を全て否定された様なそれぐらいの気持ちだ。
来月彼女と会う約束をしているけど(結婚式前から決めていた予定)、どんな顔して会えばいんだろうか。
親友じゃないただの友人としてどう接しればいいんだろう。
それはもう分からない
先日友人の結婚式に参加した。
移動の費用やらを考えると、それなりの金額を支払って、出席することになる。
ただ、全然出せないことはないし、むしろ大人の余裕で前後泊しちゃう?という矛盾の塊のような結論を出し、二泊三日の一大旅行となった。
旅行もそれなりに楽しめて、旅先の工程も満足行くものではあったのではあるが、結婚式に出るたびに毎回首をもたげる、「あれ、結婚式出て、意味あった?私の人形そこに置いといたのと何も変わらんくね?」という思いがが今回はより、私の胸の中にのしかかった。
パートナーにその旨を告げると、出たことに意味があると、お嫁さんの晴れの姿を生で見れたことに意味があるのだと。
確かにそれはそうかもしれないが、約二週間たった今も、胸の引っ掛かりは取れない。
それはそれで気持ちが悪く、そして私自身その気持ち悪さをきっちりと言語化できたときの気持ち良さを知り得ているので、いつまでも目をそらし続けることはできない。
今までよりも強い違和感は、以下の背景に起因するものであろう。
今まで出たどの結婚式よりもお家柄色が強く、異物感を感じざるを得なかったこと。
そういうわけで人数も全体としてかなり多く、ひな壇に気軽に行けるような感じでもなかったこと。
少なからず自分が世界の主人公だと思ってしまっており、どうしてもその幻想は、私が私で生きている以上拭い去れないこと。
その勘違いが、自分にはもっと何かできると、鬱陶しいほどに心臓に早鐘を打たせること。
また、それなりのお金を支払って行っていると言う事実も、なんらかしらの手段でこの感情を顕現させたいことに拍車をかける。
しかし、直接本人に言うのは、流石に自己満足の押し付けが過ぎ、幸せ絶頂の花嫁に水を指すのもいかがなものか。
上記理由から、皆様のお目を汚すような個人的な感情をここに書くに至った。
さて、私がいかに面倒な人間かわかって頂いたところで本題である。
彼女とかかわり合いになったのは、大学のサークルの内のことで、たった3年間のことであった。ただしそのサークル内でも何かしら一緒の活動を行うということはなかった。しかしながら、部と学科が同じということで、授業の話をしたりだとか、自分が読んで来た本の話しなどもしたような記憶がある。
私自身高校生活から大学生になるにあたって、非常に鬱屈とした学生生活を送っており、端的に言えばなかなか人とうまくはなせずにいた。
そこからサークルという否応なしに共通の目的やら問題やらに向かえる集団に所属したことで、元来人が持つコミュニーケーションを取りたいという欲を取り戻した。
そんな最中サークル終わりの飲み会で、彼女と横並びに座敷の壁に寄りかかりながら、なんとなく高校の頃の話を聞いたような思い出がある。
ぼんやりとうすボケたような記憶なので、話の内容も対して覚えておらず、自分もなんと返答したのか全く思い出せないが、人間関係の話で、今まで仲の良かった人がいたけれど、あるなにかの事件がきっかけとなって、疎遠にむしろやっかみを受けるようになり、その時から人との関係がよくわからないというような話だった気がする。
以前の記事私がどういったふうに答えていたか相変わらず覚えていないが、今の私であったらこう答えていたと思う。
何も気にすんな。人との関係性は、相手じゃなくて自分で決めるものって考えたら楽んなる。相手がどんなにこちらを嫌っていたとしても、仲良くしたいと思えば、何でもいいから話しかけにいけば良いし何か違ったなと思ったら、話しかけずにいれば良い。
こっちが友達だと思ったら友達だし、時と場合によって今日はご飯食べに行きたいと思ったやつとご飯食べれば良い。
思えば色々と感化されやすい性格だったように思う。私がこうした方がいいのでは?と言えばそれに素直に従い直したし、私のつまらない話にもよく笑ってくれた。
そして感情が豊かで感受性も高かったように思う。友人といざこざがあればすぐ顔に出たし、義理が果たされないようなことには、怒りを顕にした。
そんな人間が、私からのそんな話を聞いてどうなったかといえば、本当に何も気にしなくなった。今までは自分の発言で傷つく人がいるのではないかと考え、うまく言葉を紡げなかった彼女は、傷ついたなら傷ついたで仕方ない、と思い直し自分の考えを堂々と言うようになった。あるいは、間違えたらどうしようと、行動が起こせなかったことも、今考えた限りはこれしかないのだから、やってしまおうと、行動に移すようになった。
そうして、間違ったことも、壊してしまったことも、傷つけたことも、そして、それらが元に戻らなかったとしても、それはそれとして、前に進んだことの確かな証拠だということに気づいていったのだと思う。
見ようによってはヤケになってしまったようにも見えるけど、それは確かな一歩である。
私から見たあなたは、そんな風に歩んでいったのではないかと思う。
私があなたと会わなくなってから、かなりの空白があるわけで、先のことも遠くの記憶であるからにして、真実かどうかもわからず、もうもはや事実とは異なる空想めいたものかもしれない。
私があなたに言える確実的なことは、私が過ごしたここ最近の数年のことであるから、そのことをひっそりとお話して、この文書を閉じたく思う。
ひとえに、気の置けない人がいるというものは素晴らしいことであると思う。
自分一人では、私は到底私らしく人生を生きて来れなかったと思う。料理を作って美味しいと言ってもらえること。そうでなくとも、この間のあじつけの方が好きと一刀両断されること。
服の干し方で一々文句を言われること、食器の洗う順番にとやかく言われること、穴の空いた靴を履いているとこそからくすぐしてくること。自分一人でいたら、どうでもよく、そのまま過ぎ去ってしまう一つ一つの生活が、パートナーがいるというだけで、数倍は人生が伸ばさせれるように思う。
洗濯機の液体洗剤のいれるタイミングがどうしてもわからなかったり、大きななべを洗うのが億劫であったり、キッチンの排水口の掃除がどうしても受け付けなかったり、りんごを剥くとたまに芯が残ってしまっていたり。自分が凸で、相手の凹を埋めるときもあれば。
朝はどうしても起きれなかったり、休日の過ごし方のプランを立ててもらったり、バスタオルを一週間に一回洗ったり、部屋の片付けを率先してやってくれたり。自分の凹を相手の凸が埋めてくれることも勿論ある。
人生なんて所詮、この地球上の一生命体が生まれてから、終わるまでのお話であるから、結局のところ意味なんてなくて、でも、それでも、
一緒に足りない何かを補ったり、補われて、そこにちょっとした温かさを感じて。
それは意識されないまでも、どこか自分の根底にそれはあって、それを抱えたまま眠りにつく。それが自分がどんな状況であろうと、立場であろうと、確固たる標として、自分の中に位置づけられる。自分として戻って来られる。
あなたはどうであるか、そもそも私自身あなたの相手のことすらも知らぬわけであるから、もうただ同じ感覚を持っていることを祈るばかりである。
映画館に割と行ってる方だと思う。
劇場を応援したいとかそういう気持ちは全然ないので、スナックを買ったりはしない。ただただ暗く閉ざされた空間のイスに腰を据えて、デカいスクリーンで映画を観るという体験が好きで行ってる。
でも視覚の中を占める画面の割合としてはスマホで観るのとあんまり変わらん気がする。そもそも集中して観てる最中は視聴環境ってあんまり気にならんと思う。強いて言えば、暗いシーンは映画館だと見やすくてストレスがない。暗い部屋で輝度を上げた液晶を凝視してると目に悪い事してるような罪悪感がある。
どっちかって言えば音の方が大事な気がする。ゴジラの咆哮はやっぱり腹に響く轟音で聴きたい。
全身でズッシリと響く音を受け止める体験はどんなに高性能なヘッドホンでも無理だし、スピーカーでやれば近所トラブルものだろうし。
宣伝が15分以上あるのは冷静に考えると凄いと思う。そういうもんだと思ってるから普段は気にしてないけど。Youtubeじゃ10秒のハズレ広告引いた時ですら舌打ちモノなのに。
Youtubeの広告を最後まで見るのが道理だなんて事言う人はほとんどいないだろうし、テレビのレコーダーにもCMスキップ機能がついてる。
それなのに映画館ときたら、本編開始の時間を読んで遅れて入るのはマナー違反だ。なんて言い出す人も居かねないよなって思う。共同の空間という性質を強く意識する人がいるのも、映画館の欠点の一つだと思う。観客同士の一体感とかも別にないし。まあおれもギャーギャー騒ぐのがいたら勘弁してくれよとは思うけど。
僕がひとまえで話す時にいつも言葉に詰まるのは、話している最中に、的確で当意即妙で面白いことを言いたいな!うまく喋りたいな!という欲求がリアルタイムに渦巻いていて、バックグラウンドでは常に言葉を模索をしているからなんだと思う。しかしながら言葉の場合は、ドラえもんがああでもないこうでもないとポケットから道具をポンポン引っ張り出すような具合に、言葉を声に出してしまうと冗長だし支離滅裂になってしまうことはわかっているので、あのーとかうーんとかちょっとーとかえーっとー、とか言って、そうしてああでもないこうでもない感が出てしまっている。
初めから、うまく話すことを諦めたらいいんじゃない?と言われても、それはすぐに「わかりました!」と飲み込むことができない。なんというのだろうか、それは僕の自我というか理想というか気概というか意志みたいなものを、僕の僕というところを、みんなみんな放棄して話してください、と言われているような気分になる。僕は話すということには考えるという行為を常に紐づけているので、脊髄反射的な作用で話すことができない、それをしてしまうと僕は僕でなくなってしまうと思う。
じゃあどうすればいいのか。それはわからない。僕はたぶん言葉のセンスはないんだと思う。正確で整理されてかつウィットや冗談の効いた面白い喋りをする人は、僕の周りにはたくさんいて、いつみても素晴らしいなと思う。尊敬する。でも僕はそんな人のようにはなれなくて、それは知識や言葉を知らない以前に、センスがないからなんだと思う。運動神経が悪いの言葉バージョンのようなものになっているんだと思う。
慣れでなんとかなるのかな?そうは思えない。この調子で数十年生きているんだよ?ずっと死ぬまでこのままなんじゃないかと思う。僕はこのままでいいのかな。いやだめだよ。上を目指したい。僕は光をめざしたいんだ。
哲学的に考えて、人間が認識できるのは、ものか概念のどちらかであるから、あまりにも高度なところにあるものであって、専門技術的に作ったものの場合、認識しようとする側に
そのもの全体を認識する能力がなければ、自然科学上当然に、そのものを認識することができないと解するのが相当である。人工知能の最先端のものは、Sicamoreという、
電気配線を連結させた超高速計算機だけが雑誌に公開されており、それ以外の装置は、どこに存在するかすら公開されていないのであるから、一般人がその存在場所を知る余地は
ない。また、仮に認識できたとしても、その意欲がなく、当人の行動上、見たくないから認識しないで行動しているとすれば、その行動中に、当人が、お前が理解しているものを理解しないで
行動している可能性は十分に存するというべきである。例えば、部屋から出て自転車に乗り、遠くの場所に言っている場合、当人は、その日のうちに食べたもののカロリーを消費したいがために、
自転車にまたがり、遠くにいったついでに、そこで遊んでいるだけかもしれない。しかし、当人が、その日のうちに食べたもののカロリーを消費するために、今から着替えて、駐輪場に設置した
大好きな自転車を車道に押し出し、それから乗車してこぎ出し、自転車並みの速度で北上しているときに、単に運動に出ているという認識で北上しているだけであろう。そして、その最中に
風景に入ってくるものに関しても、あまりにも高度に作っているので理解できないか、興味がないために、走行中に、無視しているかもしれないし、舟渡2丁目の場合、一定の場所に、志村署の
「1人でテーブル席独占してんじゃねえよ」
と呟いたのでそっちを向いたら
わざとらしく口に手のひら当てながら「聞こえちゃったー!」みたいな無言のリアクションして半分キレそうになった
そしたら彼女のほうが無辜の俺を睨みつけて「私が彼氏を守る!」みたいな敵対姿勢を見せてきたので先に店を出て待ち伏せして尾行して彼氏のほうを殺すことに決めた
電車のなかで俺の存在に気づいた2人が降りて俺も同じく付いて降りたタイミングで
「おめえなんなんだよ。付いてきてんだろ」
とウンザリした感じで凄まれたので乱闘になって結局男のほうも彼女のほうもボッコボコにして二人とも鼻の骨と頬骨を折ってやった
結構な金使って彼女のほうの実家を特定出来た(彼氏のほうは無理だった)ので突撃して超絶天然な実母と病気で寝たきりの父親を詰めまくった
本当に甘やかして育てたわけではないとそこはしきりに否定してた
今もたまにむしゃくしゃした時に電話かけたり、家上がりに行ったりしてる
仕事なくなったら住みこもうかと思ってる
創作です
「退屈すぎて面白くない映画」を揶揄する言葉として「途中で寝た」という言葉が存在する。
もちろん本当に寝るわけではないだろう。金払って映画見てるのに上映中に寝るなんて勿体なすぎる。
そもそも自分だって映画館で映画見てる最中に寝た事なんか一度もない。
内容が退屈かどうかとか以前に、睡眠が足りてないだけなのでは?
とそう考えていた。
恐らく数分程度ウトウトしただけだと思うが。
予想通りだが、やはり予想通りアウシュビッツ強制収容所で起きていたコトについての直接的描写はない。日常的な出来事の合間合間に(主に夜)焼却炉からの火や(焼却炉なのにあんなに炎上がるもんなのかな)、悲鳴じみた声だけが、強制収容所内で行われている事をほのめかしている。
結局最後になるまで、何が行われていたのかは明確にされず、ひたすら強制収容所所長のヘスとその強欲な細君の日常が描かれるだけなのでやはり退屈になってしまう。
まあ、その最後にしても学校の先生方が嬉々として解説しそうな物であったが。
画面作りはホラー映画風だけど、やはり学校教育用の映画以上のものではなかった。
多分そのうちNHKが放送するだろうし、学校でも生徒たちに見せる熱心な教育者が出ることだろう。
一体何が原因で寝たんだろうか?
と考えてみたが、今までは映画はほぼ休日に観るものだったが、最近は仕事帰りに観ることが多い。
後は、認めたくないが40代になって疲れが取れなくなってきてるのかも知れない。映画評論家も大体歳食ってる人たちが多いので、もしかして老化による影響で本当に寝ていたのかも知れないな。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220506182417 より
demakirai へー無罪になってるんだー知らなかったなーためになるなーへー
lacucaracha 無罪なんて言ってるひと見たことないが、単に『100%有罪なので語るべきものがない』だけでは。擁護する相手もいなければ戦う必要はないが、たわわは『触れてほしくない』と思う人がいることこそ戦う理由なんでしょ。
rna 園子温告発につながる流れの端緒は「フェミニスト」の告発で園氏の釈明文は普通に批判されてて映画業界も前向きに動いててネットでダラダラ争う要素があんまないだけでは。つか、たわわもずっと騒いでるのは一部。
kohgethu 誰が性的加害やらかした映画監督どもを無罪と言ってるんだ?奴らは粛々と社会的制裁を受けてるし騒がなくても罰せられている真っ最中なので騒ぐ必要が全く無い。もしも当人が足掻いたならたわわレベルに炎上するよ。
gooeyblob 議論の余地がないものは敢えて語ることもない、というのは確かにあるわね
lanlanrooooo いや、全然NGなってるやろ。それこそ、たわわ擁護してる人が「問題ない!」とか言うてたら論争?あるかもやけど。
hazel_pluto 園子温が無罪なんて誰が言ってんだ?一部のオタク(認知の歪んだ)が、こんなこと書くせいでオタク全体の評判落ちるんだよな/あと、問題の質、種類が違うことを同列に扱うなよ/たしかにタイトルしか読んでなかったわ。
slimebeth 園子温一派はネットで反論してこないがたわわ支持者はしてくる。それだけ。ネットのフェミ運動はこれまでもずっと問題の重要性・深刻さとは無関係に「相手が反抗してくる問題」にばかり資源を浪費している
aquatofana 園子温が不起訴になったらフェミニズムもブチ切れると思うが、っていうか既にブチ切れてるが司法で裁かれると判断してるだけだな。/結局この増田は自分に都合よく愚かな脳内フェミという創作を信じちゃってるのよな
raamen07 園子温はフェミがどうこうとか言うレベルではなく完全にあかんので声を上げるまでもなさそに見える。
Yoshitada たわわがNGなのは日経の新聞広告として、であってYM本誌で連載する分には問題ない。園子温の件は被害者が実名報道じゃないのでこれ以上、外野が追いようがないが、業界の取組は進んでいるので文句はない。判った?
coper 園子温は無罪ということになっているの?この先の民事・刑事の法的な動きは知らないが、業界的には排除が進んでいるように映るけど。
gnoname 無罪にはなってねえしこの爆釣り馬鹿増田は一体どこの流れを見てるんだ。自分たちと違う世界線を見ているのなら納得するが
ysuitable 議論の余地がない悪だから触れないんでしょ 無罪なわけじゃない
skasuga 犯罪行為は司法に任せるべきで、司法の結論が納得いかない場合はそこからが議論でしょう。一方で自治体やメディアのガイドラインはパブリックに議論すべき事柄、という違い。
このように、「園が無罪だとは言われていない」「園は100%悪いから議論にならないだけ」といったことを主張し、園の性加害疑惑について表現の問題より反応が薄いことを正当化していた人たちがいた。
さて、園の性加害疑惑が今のところどういうことになったのかはよく知られているところだろう。本人は100%無罪を主張、告発した女性は自死を選び、園が週刊女性を訴えた裁判は記事削除、ただし双方が事実関係については言及しないという形で和解で終わった。
そして園は既に別名義で映画製作に復帰していることが明らかになっている。
つまり法的にはあらゆる点で有罪になっておらず、本人は「足掻く」どころではなく疑惑を当初から今に至るまで全面否定、既に復帰に向けた動きが始まっている、ということになった。
これらの人たちが主張していた、園に対する反応が薄くても良い理由はほぼ全てが無くなっている。
さて、これらの人々はこうした動きが明らかになって以降、何か改めて問題提起などをしたのだろうか?
もっとも、「法的な判断が結局されなかったのであれば、疑惑は疑惑であって、騒ぐのは人権上問題がある」と考え直して騒がないことにしたのならばおかしくはないが。
トラバもはてブも色々コメントありがとうございます!一番刺さったのは「男ともセックスしてみる」でした。考えたこともなかったし体験した後の風景が一番想像できない。人生経験として体験してみるという発想に衝撃を受けました。なかなか勇気出ないだろうけど死ぬまでにやることリストにメモしました!
追記ここまで
Die with zeroを読んでとても感銘を受けた。子供の頃貧しかったのでお金が増えるのがただただ嬉しく、仕事ばっかりやっててお金が溜まる一方だったが、これではいかんことにようやく気づいた。一度贅沢しちゃうと戻れなくなるーとか思って抑圧してたけど、よく考えたら贅沢で破産するほど人生残ってないし、お金を気にせず経験を積みまくろうと決意。やってみたことは以下の通り。性的欲望も抑圧してきたのでこちらも存分に解放していく所存。
まだ数百万円くらいは使いたいので、経験値の観点でなんかオススメできる散財方法があれば教えて欲しいです!(自宅はあります)
好奇心のまま休日夜の上野成人映画館に行ってみたので、今回も女性目線の成人映画館体験記を書いていくよ。
今回も性別以外は特に明言しないので、18歳になりたての美少女大学生でも、夫とご無沙汰で性欲を持て余した美熟女でも、お好みの姿で読み進めてくれ。
成人映画館とは、読んで字のごとく成人向け映画を上映している映画館だ。普段目にするAVとはまた違う、ロマンス的要素があるR18作品を鑑賞することができる施設となっている。
上野には2つの成人映画館があるのだが、すべてが同一ビル内に収容されており、1階に上野オークラ劇場(1階)、2階に上野オークラ劇場(2階)と上野特選劇場が併設されている。この劇場は成人映画製作会社直営となっており、タイミングによっては最新の成人映画を真っ先に鑑賞できる、「日本一のポルノ映画館」と呼ばれる施設でもあるそうだ。また各階に特色があり、1階は普通の成人映画館で男女ともに入場可能なのだが、2階は基本的にゲイの発展場としての側面が非常に強く、上野オークラ劇場の2階にいたっては女性入場禁止となっている。
というわけで、今回は上野オークラ劇場1階での体験記をお届けするよ!
上野オークラ劇場は不忍池付近にあり、上野駅からは徒歩10分かからない程度の距離にある。基本的に直進で済むのと、ここもビルにでっかい看板がついているので迷子になることなく辿り着けた。成人映画館、初見の来場者に対してめちゃめちゃ親切だな……。堂々と看板を出して通り近くでやっているので、普通に映画見に行くだけですが?面で入ることができるぞ。
ちょっと動きの鈍い自動ドアを通り抜けるとすぐに券売機、受付があり、待合ロビーは結構こじんまりした感じ。何故かロビーにマッサージチェアが設置されておりお客さんがめちゃめちゃくつろいでいた。受付スタッフはおばちゃんで、私が券売機を操作している間に手慣れた様子でチケット出口に手を突っ込んで待機しており、発券された瞬間さっと取り出し高速のチケットもぎりを見せてくれた。特に施設の説明などはなく、「シアター入り口はあっちだよ~いってらっしゃい」と笑顔で送り出してもらう。久しぶりに人からいってらっしゃいと言ってもらえてちょっと感動。
シアター入り口はシアター内の最後方に位置しており、入って一目で席状況を確認できる。やはり休日夜ということもあってか20人か30人くらいの人が座っていて、パッと見た限りではいい感じに人がいない席が見つからない。しかし上映中なのとドア付近で立ち見の人も結構いたので、あんまりうろちょろするのも気が引けて目についた比較的空いている中間列の端に座ることにした。
今回は守護神貸カバンの存在はないので、座ってからちょっと経つと横、後ろ、前あたりの席に人が集まってくるけど上映中の映画が気になったのでいったん気にしないことにする。
途中で入ったから当然話の筋は掴めないが、流れていた作品は映像や出演者の雰囲気を見るにかなり現代的。スクリーンの中でめちゃめちゃ真剣に男優二人が音楽について語り合っていて、どうやら音楽を志すも手を怪我し道半ばで折れてしまった男性と、その人の音楽に惚れ込んでおりどうしても続けてほしい男性、みたいな関係。これを一体どういう道筋で濡れ場に持っていくのか……もしや場所を間違えてただマイナー映画を上映している普通の映画館に来てしまったのか?と思うくらいシリアスなシーンで引き込まれてしまう。しばらく見ていると女性(音楽家の男性の知り合いっぽい)が登場し、なんやかんやあって濡れ場がスタート。「俺の新しい楽器は……女の体だァ!」ということだった。いやなんだその理論。どういうことなんだ。おもしろすぎるだろ。あんあん喘ぐ女性の上で真剣な顔で音楽の道とは、生き様とは、と己の哲学を語る男性と、それを感激の表情で聞く男性。「兄貴、また音楽を……!!」さすがにセックスは音楽ではなくない?もう私はスクリーンの世界に夢中である。
……と、なんかよくわからんテンションの濡れ場に乗じてなのか、このあたりで隣に座っていた男性が私の太ももを撫でてきた。特に喋りかけたり、こっちを伺う素振りもなく手だけでさりげなくすすーっと触ってくるので、映画をちゃんと見たいこともあって逆側に足をよけて軽く意思表示……をしてみるのだが、この手がめちゃめちゃ追尾してくる。なんだったら手が届かなくなると尻の方に手が移動してくる。
まぁこれくらいなら無視できるな、とか思って足をよけたり組み替えたりしつつ無言でいると、鼠径部の際どいところを触ってきたり服をめくって素肌を触ろうとしてくる。裾を太ももの下に入れ込んでみたり鼠径部は太ももでブロックしてみるも全く手が引いていかない。しっかり体ごと逆側に避けてもどこかしら触ってくる。コイツ、NOを無視するタイプである。
この手の人間は相手の反応を無視して自分がしたいことだけを強引に進めてくる可能性が高い危険人物である。……という持論を私は持っているので、コイツは引かねーなと見切りをつけて濡れ場が落ち着いたタイミングで席を移動した。そもそも、いくらここがそういう場所とはいえ初対面の人間に無言で触るのはいただけない。コミュニケーション大事にしてこうぜ!!
まぁ、私自身の一応の自衛策として、こういうことする相手はアウトというラインはあらかじめ決めてあり、今回はそのラインを越えたというだけの話だ。
もちろん直接触るな、と言ってもいいんだけど、なんというか、他人の拒否に関する感知域が狭い人には積極的に関わりたくないので今回は逃げる一択である。余計なトラブルになったら断然、私の方が不利なので。
移動先の席では周囲に男性こそいるものの、私の見える範囲にいたのは全員おじさんというよりもはやおじいさんだった。二つ隣からはフゥ…フゥン…とやや苦し気な呼吸音が聞こえてくるので、他人ながらちょっと心配になってくる。こんな空気のこもった映画館よりもっと行くべきところがあるのでは?と思いつつも、先ほどよりは心穏やかに映画に集中することができた。
人はみんな、他人に対して見栄を張ったり自分に嘘をついたり、後ろめたいことを抱えているけれど。いつだって過去や自分と向き合って、受け止めて、改めて前を向いて生きることができる存在じゃないか。そんな勇気をもらえるような作品だった。
1本目上映後、館内が明るくなり10分ほどの休憩タイムが挟まってから2本目が始まった。今回はちょっと古そうな作品で、平成初期くらいの雰囲気だ。
季節は夏、フリーターの男性が幼馴染の女性に合コンを打診するところから始まり、何故か山奥のキャンプ場みたいなところにポツンと机を置いて合コンが始まる。夏場にそんなところで酒飲んでたら死んでしまうんじゃないか……?
合コンなのに女優3人の合唱シーンが挟まって、この作品もやはりなかなかのカオス。しかも一人だけやたらと上手い。惚れ惚れするほどのソプラノボイス。私はあまり合コンの経験がないのだが、合コンってこんな感じなのか……?と思っていたらスクリーンの男優も同じセリフ。たぶん違うと思う。知らんけど。
そんなこんなでシーンは進み、「見た目はそこまで悪くないのに、若作りに必死すぎるせいでイタいおばさん」役の女優がヤバイ!とウケる!を連呼するのをぼーっと眺めていると、後ろから軽く肩をたたかれた。振り向くと真後ろの席と斜め後ろの席に座っていた二人連れの男性が「ちょっとお話いい?」 「さっき横にいた人はいいの?」と話しかけてくる。どうやら先ほどのライン越えおじさんと私の入場がほぼ同時だったらしく、カップルで来店したと思われてるみたいだったので、正直に知らない人っすねと言っておいた。
ここは初めて?一人で来たの?とかなんとかボソボソ喋っているうちに胸元へと手を伸ばしながら「触ってもいいかな?」と聞いてくるが、言い終わる前にすでに触り始めているのでとりあえず頷いておく。こっちの席来なよ!とおじさんらの間の席を指されるが、挟まれると身動きのとれなさが桁違いになるので通路脇を死守するべくそこは断った。そうだよね間は怖いよね~とあっさり引き下がってくれ、じゃあそっちに移動するね、と一人がこちらにやってくる。すでに私の隣二席はおじいさんが座っていたのだが、その場にいた男性たちは全員顔見知りだったらしく、手慣れた感じで「ほらアンタ何もしないならそこずれて!」と無情にも退かされてしまっていた。ばかやろう、おじいさんこっちを見るには見るけど全くノーリアクションだったから安置だったのに……。「まったくいっつも女の子の隣座っても何もしないんだから」とかなんとか言われていた。いや一番安全な人じゃねーかよ何でそんな悪いことしてるみたいに言うんだ。
隣に座ったおじさんが私の胸元をくつろげて触り始めると、ハプニングの気配を察知した人々が徐々に集まってきた。あちらこちらから手が伸びてくるものの、声をかけてきたおじさん二人が「そんな一気にいかないで!」 「ゆっくりだよ!怖がらせないで!」と制するので出しては引っ込めの状態だった。こういう界隈にもリーダーというか、仕切り屋の人っているんだなぁとか思っていると今度は下半身に手が伸びてくる。中に指が入ってくるのと同時に、外側も複数人が触る。
別に触られるのは構わないのだが、今回はタイミングの問題か客の数自体が多くそれに比例して周囲に集まってきた男性の数も多い。何かというといろんな人が足を開かせようとしたり無遠慮に手を突っ込むせいで下着がめちゃめちゃ伸びてた。女性ものの下着は繊細なのに……安くないんだぞこういうの……。挙句の果てにぐいぐい引っ張って脱がそうとしてくるやつもいるのでそれを阻止するためにこっちも引っ掴んでさらに伸びる。おい人のパンツ持ってこうとすな!
全然止まらないので「ちょ、パンツ脱がさないで!」というと周囲のおじさんが次々と「いやがってるよ!」 「パンツ脱がしちゃダメだって!」と言って止めてくれる。最悪のやまびこである。
このあたりになるともうあちらこちらから手が伸びてきてもみくちゃにされており、さながら鳩の群れに突かれるパン屑ような気分だった。後ろの席からも頭上を通過して顔や胸を撫でまわされて頭がぐわんぐわん揺れるので、そっちに気を取られて全然集中できない。あと顔を触るな!!そんなに擦ったら肌荒れしちゃうだろうが!!
ということで再度やまびこを使って頭部の治安を守り、やっと感覚に集中できるようになった。何度か力加減を調節してもらい、一番いいところで続けてもらう。
快感が高まっていくごとに声も出てしまい、ひときわ大きな嬌声をあげて絶頂するもおじさんの指は止まらず、続けて何度かイかされたところでやっと指が抜かれた。さすがに何度もイくのは体力を使うのでややぐったりした私を見て、おじさんは「ちょっと休憩、休憩だよ!」と言って壁を散らしてくれる。そのまま私の服を軽く整えようとしてくれるのだが、自分の体液がべっとりついた指で服を触られるのはちょっと遠慮したかったので除菌シートを渡して手を拭いてもらい、その隙に自分で整えた。
一息ついてスクリーンを見ると合コンしてた人たちがめちゃくそ修羅場っており、何故か毒を盛ったみたいな話で言い争っているので急に映画が気になり始めてしまうが、数分すると休憩は終わりとばかりに人が集まってきてしまった。常連おじさんの間で謎の順番の選定がされており、「一気にやると女の子怖いからね!順番だよ順番!」と言われ人が変わりながらもう2回ほど同じようにもみくちゃになりながら絶頂した。途中、私の喘ぎ声がうるさすぎたのか通路に人が集まりすぎたのか、スタッフさんがやってきて「皆さん、椅子に座って鑑賞してくださいね~」と注意されてしまった。迷惑かけて誠に申し訳ない。
さてこのあたりで体力を使い果たしたのと、合コン映画の顛末がわからないまま映画が切り替わってしまい次の映画はあんまり興味が引かれなかったので帰ることにした。あの映画、配信サービスかなにかで見られないかな……。
帰る前に一休みしている間も、一番最初に話しかけてきた二人組のおじさんは気さくに声をかけ続けてくれたが、明日も用事があるのでそろそろ……と帰ろうとすると「最後にもう一回おっぱい触らして!」と言われ、まぁ乳ならええかと頷く。そのままもうしばらく喋っていたのだけど、やはり今回は休日なので人が多く集まっていたらしく、今度は平日の夜においでよ!とのことだったが機会があれば……と適当に濁しておいた。できない約束はしないタイプなので。
ではでは行きますねと周囲のおじさんに会釈し席を離れ、上映最中にすまんの、と気持ち頭を低くしながらシアターを出る。さて帰るかとビルを出てマップを立ち上げていると、視界の端に見覚えのあるような人影があった。
おや?と思い一旦通りには出ずに不忍池公園の方に適当に歩くと、やっぱりいる。さっき安置だと思ってた隣の席のおじいさんが。館内は暗くて見えにくいとはいえ真横にいればさすがに覚える。
お前、館内では何もしないのに外出たら追っかけるタイプかよ!!一番ダメなヤツじゃん!!!
幸いにも非常にアメ横が込み合ってくる時間帯だったので、若者の健脚を見せつけるべくめちゃめちゃ早歩きでしばらくアメ横の中をぐるぐる歩き回っていたら姿が見えなくなっていた。しかし念のため、映画館の最寄りの入り口ではなくちょっと離れたところから駅に入ってから帰宅した。
まぁ女性一人客となると珍しいので、つきまといとか追っかけは発生しやすいんだろう。何しろ目立つしな。
こうして私は東京にある成人映画館2カ所に突撃してきたわけだが、一番の収穫はなんといってもポルノ映画がおもしろい!
風刺ドラマ風、昼ドラ風、あるいは青春要素のある展開だったり突拍子もない展開だったりと、エロ以外にも魅力あふれる作品ばかりだった。ツッコミどころもいろいろあり、下ネタに抵抗ない友人数名集めて上映会やったら絶対楽しい。
施設としても非日常的体験ができるおもしろい場所ではあるが、私個人は「未知」に対する好奇心を満たしたあとで改めてめっちゃハマる場所、というわけではないかなぁといったところ。前回の記事でも心配してくれていた方も多かったように、なんせ安全性が低い。
あと私はエロそのものもそうだし、エロに至るまでのシチュエーションというのも大好きなのだが、いかんせんそのバリエーションがない。まぁ基本的には映画館なのでそんなアグレッシブに動き回る場でもなく、きっと一人で行くといつでも痴漢!手マン!絶頂!のループになってしまうし、他人のアレソレを見たいけど女性客やカップル客は少ないし……。
たまにポルノ映画を見に行くついでに、もしムラっときたらハプニングも……みたいなスタンスで行くのがよいかもしれない。
とまぁこれはあくまで私の感想なので、私に続く無謀な勇者がいたらぜひその感想も聞かせて欲しい!人によってはかなりハマる場所かもしれないぞ!
そして複数人とか比較的オープンな場所でエロいことをする、というのに興味はあるけど成人映画館は怖いかも……衛生面も気になるし……という貴方にはハプニングバーをおすすめしておくぞ!こちらも今度記事を書くので参考になったら嬉しい。(もちろんネットにたくさん情報があるので、それを見て突撃してみても楽しいよ!)
ここまで読んでくれてありがとう!
シュレディンガーの猫はマクロ現象に量子効果を拡大した思考実験で、当時は観測者たる人間の脳も量子現象に基づいた量子コンピュータだからではないか、という仮説が流行った。
しかし周知の通り近年では生成AIが発達し、旧来のコンピュータでも十分にリアルタイムで眠っている最中に見る夢と同等のイメージを生成できると分かってきた。
日銀のやり方がセコすぎる
3月21日の前回のFOMC米連邦公開市場委員会の真っ最中に、日本経済新聞にリーク記事書かせる「日銀が4月会合で追加利上げに踏み切るかも」 → 結局 利上げせず円安容認で160円/$に
5月2日の今回のFOMCの後、日本時間5:00 時差で為替取引が少ない時間帯を狙って まさかの2回目実弾為替介入 → いつ介入がかかるかわからず ロングもショートもできない
人生という長期的なギャンブルをやっている最中にも関わらず、ガチャやパチンコや競馬なんかのギャンブルミニゲームをやり込んでしまう
そして人生というゲーム本筋を脇に置いて、ミニゲームに熱中してしまう
これがゲーマーとしてのサガなんだ
虐待の表現がある作品を見る度に、見ている最中も見終わった後も何かモヤモヤするようなものを抱えながら暗い気分になっていた。
今までは単純に虐待なんて要素のあるものを見たら気分悪くなるのは当然だと思っていたけど、今になって何故そこまで気分が悪くなるのか冷静に考えてみた。
多分、虐待のシーンを見ると自分が過去に受けた虐待の感覚や記憶も思い出してしまって、普通に嫌なものを見る以上に凄くネガティブな気持ちになってしまう事に気がついた。
虐待を受けていた記憶はどこか朧げで、薄っすらとしか覚えてないのであまり意識してなくて今まで気が付かなくて自覚してなかった。
虐待をしたのは親ではなく身内だけど、虐待の記憶とセットで親にも愛されなかった事を思い出してしまう。
悲しいし苦しいという気持ちもあるけど、虚しいとか、寂しいとか、そういう気持ちがごちゃ混ぜになって、自分の存在価値を考えたりとかネガティブな考えが止まらなくなる。
今更とはいえ虐待シーンを見て自分の過去を想起してしまう事に気がつけたのは良かったと思うけど、そうなると虐待シーンのある作品を避けたいけど難しいね。
犬猫等の動物が亡くなるシーンがあるかどうかを教えてくれるサイトとかはあるけど、虐待シーンがあるかどうかを教えてくれるサイトなんて多分ないよね。
気になる作品があっても蓋を開けてみるまでは分からないとは困ったね。事前の注意でも出てくれるなら助けるけど。
公式作品ならまだ避けられそうだけど、たまたま見た何かの二次創作に虐待要素があったらもう交通事故みたいなもんだと思って諦めるしか無いんだろうな。
「生きててごめん」ゼミの後、うつ病に 22歳で命を絶った大学院生
研究ってのがやってみたくてわざわざ外部有名大学の大学院に進学したけど、間違った選択だった。
同級生は実質1年先輩みたいなもんで、研究内容の基本すらわかっていないのは自分だけ。
体力も気力もなくて全くついていけない。
休日は存在しない。早く帰れた日でもスーパーはすべて閉まっている。
それに加えて深夜27時でも余裕でメールは回ってくる。大学院って労働基準法が適用されないのかな?
お盆休みも正月休みもないらしい。先輩は2年帰省できていないらしい。
・これまで聞いてきたプレゼンで一番ひどい。
・あなた(のような能力が低い人間)がこの場に存在していいのは学生だから。社会では無言で呆れられ人々は静かに離れていく。
なんでも教えてもらわなければできない。研究室にいるだけでみんなに迷惑をかけている。絶対2年で修了できない。やめたい。
でも、学生相談室が開いている時間に研究室の外に出ることはできない。
指導教員が「みんなが当たり前にやっていることを出来ないお前はどこにいっても通用しない」ってよく言うけど本当なのだろうか。
もし、環境が合わないだけならこれ以上お金を無駄にする前にやめたい。応援してくれた人の期待を裏切り、後ろ指をさされる人生になるけど。
もし、指導教員の言う通り自分の能力では社会で生きていけないなら早めに死にたい。
10年前はランドセル背負ってたのにな。自分がこんなに無能だとは知らないではしゃいでいた日々がまぶしい。
夜中の衝動で書いた支離滅裂な文章にもかかわらず、たくさんの方が温かい言葉を書き込んでくださっていて驚きました。
髪色の明るい同い年ぐらいの人たちが楽しそうに歩いているのを見て、とても不思議な気持ちになりました。
「何してる人たちなのかな。働いているのか、学生なのか。肩書はなくとも夢を追っている最中なのかも。」
外の世界を見てそう考えていたら、ここ二カ月で自分の視野は狭まり変な方向まで思考が飛んでいたことに気づきました。
同時に研究室のことも悪く書き過ぎたかもしれないと思いました。
こんなに楽しいのに休むなんてもったいない!とばかりに、同じ環境で目をキラキラさせて研究に励んでいる学生もいるわけで…。
ここはスーパーマンたちがより輝くために用意された場所であって、とにかく私とは相性が悪かっただけかもしれないです。
世の中にはそういう人たちがいてそういう景色があるのだということは、進学しなければ知りませんでした。
一度知ってしまった手前、そっち側ではなかった自分にがっかりする気持ちは残りますが、良い経験でした。
相談室にも両親にも話せなかった悩みを、こんなに多くの人が見てくれるなんてすごい時代ですね。
大学院を続けるにしてもやめるにしても、皆さんの意見を参考にしてひとつずつできることは何か考えてみようと思います。
ありがとうございました。
あーなんかだよ、24日の午前2時に、前野町交番にいただろ、養老の人工知能での、色々話してる最中に、めぞんときわの202号にアメリカ人入ったの知ってんだろお前
で、そのアメリカ人が2階来ただろ、 メリーガーデンのクソガキの指令で、最近必死なんだよ、色んな奴が もう必死だろ、202号の奴
どんだけ人工知能使ってんねん、今寝てんだよ、202号室の奴、 必要があるときしか出て来ないから、こいつは。
論点② 志村署の橋の向こうの住宅街に住んでいる佳代子に似た奴 出てきたのを見たというだけ。ほとんどお前だろ。
志村署の刑事対策課の佐藤に通用する技術 超対称性 こちらと相手方をみて、そこの不変量をみて、 超対称性を使えば、騙されて落ちる