はてなキーワード: 保活とは
自分自身が現在絶賛引越し準備中なのだけど、引越しそのものが意外と面白いと感じている
ごく普通の引越しだとしても、こんなことが大体イベントとして発生する
そう、考えること、やることがとにかく多いんだよね
1エピソードにつき一家族紹介しても、恐ろしく良い題材になると思うよね
状況にも大きく左右される
直ぐに考えただけで
と様々な要因が関係して差が出ている
異世界や悪役令嬢にしなくても、現代の普通の家庭を出すだけで十分
引っ越しなんて単純なことだけど準備から完結まで扱えばすごく面白い題材な気がする
結婚や仕事と違って大抵の本では一行で語ること多いんだけど、個人的にはそれだけで物語作れると思うよ
例えば
もうこれだけでなんか作れそう
ゴルゴ的な何でもできる引っ越し屋を主人公にすれば、連載だってできそう
【追記】
沙村広明「おひっこし」は初耳だった
とんがった設定が特徴の面白い漫画家なので、ちょっと読んでみるよ(この日記の主題と合致していないみたいだけど)
夜逃げ屋は絵柄が好きになれなくて、ほとんど読んだことがないんだよね
自分がおもしろなーって思うのは、そういう裏側的なものじゃなくて、牧歌的で普通な引越しの中にあるドラマなんだよ
例えば引っ越し先の寸法がわからないのに収納家具だけを先に買いそろえて大失敗するとか
転勤先の交通事情を下調べしていなかったらまさかの車オンリーだったとか
ガチの引越しマニアと実家しか知らない人が結婚したときの温度差とか
と思う親御さんへ。
4年前の4/1に同じことを思った親より。
早生まれで小規模保育園から幼稚園(預かり保育つき)に進み、年少の1年間が終わりました。このルートは早生まれさんにオススメだと思ったので詳細を以下に記します。
もちろん、子の性質によるところも大きいです。人間の個体差でかすぎ。
あと、保育園だろうが幼稚園だろうが、子供と園の相性が第一です!!!その前提で書きます。
【小規模保育園のススメ】
小規模保育園は2歳児クラスまでしか設置されていないので、年少に上がる時にもう一度保活が必要です。これが最大のデメリットですが、それがメリットでもあります。
(なお、小規模保育園卒園後に進む保育園や幼稚園が確保されている保育園もあります。通っていた小規模保育園もそういう提携枠が数名分はかありました)
…やはり年長まである保育園が人気なので、1歳4月でも比較的入園しやすい印象があります。
・早生まれが多い
…上述の理由により、早生まれが多い。通った保育園の同じクラスの8人中6人が下半期生まれで、そのうち早生まれが4人でした(しかも4月〜6月生まれは0)。ということでクラスのお友達と発達具合が大きくズレるということはあまりなかったです。
…これは園の考え方にもよりますが、我が子は歯が生えるのが遅く、従って離乳食の進みが遅かったのもあり、入園時点でまだ幼児食は食べられませんでした。相談して1人だけ刻み食にしてもらえました。中には1歳児クラスは問答無用で幼児食の園もあるので、保活時には必ず確認してください(違う園ですが、1歳成り立てでは食べられない形状のオヤツを出されて窒息しそうになった早生まれ仲間がいる…絶許)
・2歳児クラスで「集団の中で一番お兄さんお姉さん」を経験できる
…これが小規模保育園の知られざるメリットです。鶏口牛後ではないですが、2歳児で集団の「最年長」を経験するとグッとお兄さんお姉さんになります(ただし子による)。
【幼稚園の預かり保育のススメ】
働き方が許すのであれば、小規模保育園卒園後に幼稚園の預かり保育をご検討ください。我が家は母親の会社が3歳以降も時短を使えるので利用できています。
・幼稚園で「しっかりした子」と思われる
…子の性質によります。が、おそらくほとんどの子が初めての本格的な集団生活の中、保育園2年間でみっちり集団生活をしてきた子たちは幼稚園生活に慣れるのが早いです。我が子も入園したての頃は、泣くお友達を宥めたり、お友達のお手伝いをしたりしていたみたいです。一番年下の癖に。そしてなぜか「しっかりした子」感を醸し出しています。
これがいわゆる「早生まれのデメリット」の一つを打ち消す、小規模保育園から幼稚園にすすむ最大のメリットです。
ということで、子の性質によりますが、早生まれちゃんこそ小規模保育園からの幼稚園ルートをご検討いただくのは一つでは?と思っています。少なくとも我が家は小規模保育園からの幼稚園でよかったです。
早生まれになってしまって保活どうしようと落ち込んでいる方に届きますように。
(ズレますが、早生まれの児童手当総額が少ない問題はマジで何とかしてほしい。不公平すぎる)
幼稚園と合うか合わないかはもちろんあります(お勉強系やのびのび系など)。が、それ以外の面で幼稚園がいいなぁと思っているところです。保育士さんだけじゃなく、幼稚園教諭の待遇改善を望みます。
・合否が早い
…幼稚園の合否はだいたい秋に出ます。なので保育園の3歳4月入園と並行して手続きをすすめ、幼稚園に決まったら保育園の選考を辞退することができます。2月頃に合否の出る保育園と違い、秋に進路がわかるのは職がかかっている身としては精神衛生によいです。
…平日の習い事ができない共働き家庭にとってはありがたい存在。お月謝がリーズナブルなことも多いようです。
…我が子を預かり時間の最後の方まで預けているのですが、園児の人数も少なめになり、出欠具合によっては先生とマンツーマンの時間もあるようです。最近は、先生の力を借りながら工作やブロックで創作意欲を満たしてもらっているようで、マジで有難い。
・お昼寝がないので夜早く寝る
…お昼寝の要らない子にとっては大きなメリット。幼稚園の預かり保育ではコットなどでお昼寝することもできますが、一律のお昼寝時間はありません。我が子は新生児の頃から睡眠時間が少なめで、2歳のはじめにはお昼寝がなくなりました……。2歳児クラスになってからは、保育園でお昼寝をすると就寝がテッペンを超えることもあったので、幼稚園のお昼寝なしは我が家にとって救いの一手でした。
以上です。
マジで早生まれでよかった!!!!!!あと数時間生まれるのが遅かったら去年1年も保育園で昼寝あり生活だったとかマジで考えられない。2歳児クラスの1年間は、親の睡眠と自由時間が確保できておらず、メンタル含む体調を崩して休職していた可能性がかなり高い。マジで早生まれありがとう!!!!!!!あと4歳おめでとう!!!!!!!!!
保活は大変だと聞いて、ネットで情報を得ながら申し込んだ次年度一斉保育園。
全滅。
ほんとそう。 働け・子供産めっていう割には0−2歳の保育料はかかるし、、、 ってその前に入れんやないか。
収入あげようと頑張れば頑張る程、選考基準(同ランクは収入低い人優先)の優先度が下がるという矛盾。
収入上げて高い税金払ってんのに、払えば払う程保育園に入りにくくなるって冷遇すぎんか?
働かず生活保護にした方が加点されるのなら、働かない方がいいのかと思ってしまう。
周りも保育園落ちて露頭に迷ってる人が沢山いる。
なせ働きたい人達・高い税金払ってる人達が冷遇されなきゃいけないんだ、、
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240215235820
自分でソースを選べないタイプのニュースキュレーションポータル使ってるんだけど、日本語記事だとこれでもかってくらいに30代女→恋愛記事か子育て記事で埋め尽くされるんだよね
こまめに「not suggest like this」を選んでいってもまああんま変わらん 人の話聞いてねえだろって感じに子育て恋愛不倫発達の子育て保活義実家がどうのこうの
ゲームとか金融とかガジェットの情報を一発目のページにくれよと思ってせっせと見ててもまあそういうふうにはトレーニングできないっぽい
一方で男ユーザープロファイルの端末だとFBとかの広告がマッチングアプリで埋め尽くされんだよね
ふと思ったんだけどこんだけ雑だとセクマイ向けのターゲティングってたぶんやってないよね
ハフポストのLGBTQのアクトみたいな記事じゃなくて(そういうのは30代女はターゲットらしくかなり載る)もっとただの男女に押し付けてくる記事みたいな下世話な、もっと出会えもっとセックスしろそしてパートナーの愚痴を言えお互いに憎悪しろみたいなやつ あるのかな? そういう媒体の記事で埋め尽くされてるSmartNewsのホーム画面とかあるんかね??
なんで育休中の人が子どもの保育園入園前(あるいは入園月中)に元の会社に復職せず転職すると保育園の内定取り消されるんだろう?
フルタイムで働くならどっち道同じじゃないの?このルールの意味が分からない。育休給付金のもらい逃げを防ぐ意味かもしれないが、復職せず退職しても給付金は返還不要だ(復職するつもりだったけど考えが変わったと言えば大丈夫だったと思う。断言はできないけど)。だから意味ないんじゃないの?
就労内定より就労の方が保育指数(点数)低くされるけど、これも意味が分からない。つまり新規で就職する予定の人は保育園入るな、働くなって言いたいのかよ?就職して1ヶ月か3ヶ月未満でも点数減らされるし、マジで意味分からない。保育園に入園させた直後退職して「専業主婦が保育園を不正利用する事態」を防ぎたいのだろうか?でもそういうことがあったら近隣からの通報とか(監視怖っ)、子どもがうっかり先生にしゃべるとか、通帳に給与振込がないとかでバレると思うんですが。すぐにはバレなくてもいずれ就労証明書や源泉徴収票がなくてバレるはず。
ああ復職したくない。転職したい。しかし転職しても慣らし保育期間中に早退させてくれるところなんてないよな。慣らし保育って最初のうちは午前中で保育園終わるからな。1歳にならないと延長保育も使えない。転職したら6時半までにお迎えに行けることなんてまずないからな。家の近所にいい転職先があればいいんだけど全然見つからないし。
結局は新卒でホワイト企業への就職が上手く行き、ハラスメントにも遭わず産休育休取らせてもらえた人生の勝ち組への優遇だな(産休育休に関してはありがたい事に取得させてもらえたけど)
0歳を抱っこ紐に抱え、保育園の見学に行った。今回ので6園目。
見学に行くまでは、保育園なんてどこも同じでしょと思っていたけど、これがかなり違う。
教育に力を入れている園、とにかく自由に遊ばせている園、若い先生しかいない園、宗教色の強い園、、、それぞれ違って、長所もあれば短所もある。
でもどの園も共通しているのは、子どもたちが元気いっぱいでとても可愛いということ。
今の季節はどの園も子どもたちは大はしゃぎで水浴びをしている。
今日は水遊び終わりの男の子がスッポンポンで話しかけにきてくれた。
抱っこ紐の中の0歳を指して名前を聞いてきたので◯◯ちゃんだよと答えると、かわいいね!と言ってニコニコ笑顔でスッポンポンのままどこかへ走って行った。
産後の身体に保活は堪えるなあと最初の頃は思っていたけど、見学の度に子どもたちからたくさんエネルギーを貰えて、とても楽しい。
妊娠した。31、2までにはひとり目が産みたいと前々から思っていたのでそれより早く授かれて嬉しかった。
にもかかわらず身体ダメージやら諸々で嬉しい気持ちが日に日に萎んでいく。「妊娠」というステータス、喜びという一点突破で成り立っているだけで肉体的にはただのデバフでしかなくない?
増田はザ・JTC勤めの総合職で年収は650万くらい。同世代の夫も同じくらい稼ぐ。夫婦仲はとてもいいと思う。
・つわり辛すぎ
→ 毎日吐きまくりまともに食べられないのが1ヶ月続いた。トマトとアイスの実で生きてた。ケトン体が出て点滴を数回打った。もっと辛い人は居ると思うがとにかくただただ辛かった。幼い頃から健康優良児だったので人生で一番体調悪い時がこの時である。安定期に入った今もたまに吐くし体調は常に万全でない。全盛期は歩くのもふらふら、常に意識が朦朧としていて休職するかどうかの瀬戸際だと思ったがギリギリ耐えた。
メンタルを崩して一週間くらい毎日メソメソメソメソ家で泣いている時もあった。今思い返すとわけがわからないくらい精神がぐちゃぐちゃだった。
この時の仕事はアウトプットとして残っているのに全く記憶がない。なにせ覚えてないので後から何かが爆発しないかちょっと心配である。
→ 安定期に入ってお腹が出始めてる程度なのにもう身体が重い。苦しい。妊娠前は健康そのものだったのに脇腹、下っ腹、頭、腰などあらゆる場所が痛い。たまに胃も痛い。お腹が内側から引っ張られる感じがして違和感&痛い。ふと立ち上がったら立ちくらみや眩暈がする。たまにウッと気持ち悪くなって職場のトイレで吐く。出社して2階に階段であがるだけでゼェゼェ言っている。
夜に家に帰るともう全ての体力が尽きていて、仕事や最低限の家事以外はほぼ寝ているような生活だ。上記の体調の問題で仕事のモチベも下がり気味なので自分が自堕落に過ごしているように思えて辛い。でも動きたいのに動けない。妊娠前に楽しんでた趣味も何もできてない。ベッドに潜り込んで、妊娠アプリで「安定期で体調が落ち着く」「楽しいマタニティライフ」の文字を見て「嘘つけ〜〜〜!」とツッコミを入れる毎日。
産婦人科でも医師に相談したが経過は順調、妊娠してたらそんなものと言われるだけ。そんなもんなのだろう。世の中のお母さん凄すぎて後光がさしてる。二人以上子供いる人とかもうピカピカだよ。ピカピカすぎて眩しくて見えない。
・子供、元気?
→お腹の中の子は無事に生まれてきてくれるだろうか。自分も夫も遺伝疾患の子を育てる自信はなく、結構なお金をかけて任意の出生前診断を受けた。陰性で胸を撫で下ろした。
とはいえ障害や病気は遺伝疾患以外にももちろんある。もし何かがあったとしてもちゃんと向き合っていきたいと思っている。でも、生まれるまでわからない、生まれてからもすぐはわからないという不安を抱え続けるのは大変だ。
→産休育休後はフルタイムで復帰したいと思っている。ネットサーフィンでワーママの一日⭐︎みたいなのを見るたびに深夜に寝て早朝に起きる狂ったスケジュールが表示される。この人たちは鉄人か?と思うしまさか生存バイアスではないかと恐怖すらある。このスケジュールに耐えられなかった共働きの女はどうなるのだろう。海の藻屑? 自分がこんな鉄人になれる気がしない。
ここまでしないと子は育てられないのか。もう少し緩やかに生きたい。そんなわけで今はふたり目のことなんて全く考えられない。とても怖い。
・やることが……やることが多い……!
→保険の見直し、保活、扶養、学資保険、家のレイアウト などなどなどなど。生まれてからはもっと大変だろう。頭がおかしくなりそうだ。子供の名前を考えるのはウキウキするがこれらの純粋な事務手続きをウキウキして考えたり実行できる人間は存在するのだろうか?
ありがたいことに妊娠出産に理解があり気遣ってくれる上司、職場。甘えすぎないようにはしたいが甘えてしまっている現状が情けない。
家事が得意で優しい夫。つわり全盛期はとても迷惑をかけたが不満や文句ひとつ言われなかった。いつもありがとう。
とても恵まれた環境で妊婦生活をしていると思うし実母に愚痴や泣き言をこぼすといつもそうたしなめられる。正論だ。
にもかかわらず毎日辛いし不安でいっぱい。世の中のお母さんたちは皆こんな試練を乗り越えているのだと思うと尊敬する。
ついでに、どうにかなってない私の話でも聞いて欲しい。
たぶん発達障害グレーゾーン。WISC受けたけど、IQ高すぎて有意差出なかった。でも言葉の意味知ってようがパズルが得意だろうが、実生活では糞の役にも立ちゃしねえんだよ、クソが。片付けできない汚部屋製造機だし、コミュ障なのでママ友外交もろくに出来ない。プリントはすぐにぐちゃぐちゃでどっかにいくし、大事な書類ほど失くす。なんなら教材まで失くす。
子供達も自分に似てしまい、無くし物はする、身支度は出来ない、集中できずどっかへフラフラいってしまう、唐突にキレて暴力を振るう、そして検査結果はグレー。児童精神科と役所の温情で療育等はなんとか受けられてるけど、じゃあそれですぐに何か進展するってもんでもない。なんなら療育連れてく分、荷物も書類も送迎も増えて更にキツい。
子育てもね、私の親がモラハラ&マルトリートメント全開だったので、そりゃ虐待ではないけど叱られ方が相当だったので。そのトラウマで私は自分の子どもを叱れない。いや、他害とか犯罪とか命に関わることは叱るけど。ゲームさせ放題だし、宿題は声かけくらいしかしないのでやったりやらなかったり。勉強は本人のやる気の続く範囲でサポートしてる。
そんななので、学童に依存すべくせめて外で働きたいではあるが、過去に不妊治療で仕事を辞めざるを得ず、保活は無職に厳しかった。その上育児で病んで今や精神障害者。まずきちんと家事を立て直すのすら困難なんだが。
まあね、望んで恵まれた子どもではあるからね。可愛いし、できる限りのことはするよ。でも私のできる限りは人並み以下だし、こんな汚部屋でろくなサポートを受けられず育つ我が子がかわいそうなんだよね。
育児、見切り発車でどうにかなるもんでは、なかった。
分かると思うけど、結婚したら現状の全てが解決するわけではない。
正論を言うなら、人生をともにしたい好きな人がいるから結婚するわけで。
「既婚」というラベルが一つ手に入っても、自分本体が変身するわけではない。
まして出産し、「親」というラベルが付けば全ての責任が生じる。
しかも遺伝の関連性は高い。親子で発達障害という話はありふれている。
アスペは睡眠不足に弱い人が多いので夜中のミルクオムツはキツイ。
泣いてる間にミルクつくってオムツかえて健康観察して、ずーーっとマルチタスク。
熱があれば病院に連れていく、ずーっと心配とタスクと締め切りと騒音。
保活もある。
イヤイヤ期もある。反抗期もある。子育てはコミュニケーションの塊。
結婚式のタスクだけでも、ゼクシィ立ち読みでチェックリスト読んだら絶望すると思う。
ここで愚痴を書くのはもちろんいいんだけど、突然読んだ人を脅迫まがいの文章で締めてる。
無償の愛を手に入れたいのか?
性欲の解消か?
家事や何かを分担してくれるパートナーがいればいいなと思ったのか?
現状がさみしいというだけなら、今は結婚相手ではなく、男女問わず友達を探すところからスタートして、楽しい暮らしを1日1日つくっていくのが正解だと思う。
育休中の社員がいるんだが保育所4月の一斉入所に申し込みし忘れて中途入所申し込むも当然落選
からの育休延長で今年度の一斉入所にも落ちたと連絡があった…。更には2人目妊娠を仄めかして育休おかわりする気満々
以下育休中の○○へ
あのさぁ育休は法律上認められた権利だから使ってもらって構わないけど『復職が前提』ってこと分かってる?
あなたが抜けた分、他の社員の負担にならないように会社OBを「育休中だけ何とかお願いします。」と三顧の礼で迎え入れた私の苦労なんてどうでもいいんか。いいんだろうな。
最初の保育所の一斉入所の申し込みし忘れだって意図的だよね?保活の大変さを味わった身として私からは義理もないけど申し込み締め切り前にフォロー入れてたし、
生まれたてのお子さん連れてiDecoの申し込みに会社までやってきたり、自営業の旦那さんの所得抑えて自分の健康保険の扶養に入れたりと頭が回るあんたがそこでポカするなんておかしいじゃん。
あんたの住んでる自治体は比較的保育所充実してっから共働きで0歳時の4月一斉入所申し込んどけば受かってたわ。だからわざと申し込まなかったんでしょ
2人目のお子さんの育休明けたら本当に復職するの?
はてブのおかげで世帯年収1000万円に達したのでお礼が言いたい。
私は元々保守的な思想の持ち主ではなかったが、リーマンショックによる不景気や、良き伴侶との出会いもあり、大学を出てすぐに結婚、出産し、専業主婦として生活を送っていた。
子供を産んでしばらくした頃だっただろうか、いつだったか忘れたが、私ははてブに出会い、上がってくるニュースやブコメを読むようになって、リベラルな考え方を魅力的に感じるようになった。と同時に、「男女ともに、性別に関係なく、持って生まれた才能を生かして(もちろん家庭も含む)活躍できる社会が望ましい」と頭では思ってるくせに、テキパキしてて頭も良くてきっと仕事(バイト以外したことないけど)の才能のあるだろう一方で子供好きじゃないし育児が全然得意じゃないし家庭的でもない自分が専業主婦でいることに、矛盾を感じ、居心地が悪いというか、おさまりが悪いと感じるようになり、自分の思想と現実の生活に整合性が取れないことにモヤモヤするようになった。言ってることとやってることが違うじゃん!みたいな。
そして意を決して中古車を買い(地方だから車がないと働きにくい)、保活し、就活し、転職もして、結婚当時世帯年収400万だったのが、あれよあれよと言う間に世帯年収1000万を超えるようになった。生活全般も専業主婦だった頃より充実している。
同和地区に生まれ育ち、多分『それなり以上の同和教育を受けた最後の世代』だと思っている私。
私は昭和の終わりかけに、関西の大都市に生まれた。自営業の父と専業主婦の母のあいだに生まれ、1歳児の頃から公立保育所に通った。
現在は幼児をもつ親でもあり、『保活』『保育園落ちた』などのワードをネットで見るにつけ、自分の育った地域や時代か現代のどちらがおかしいのかわからなくなるのだ。
まず、私の母は専業主婦だ。母方の祖父と同居だったが、その祖父が要介護だったとか、母自身が病気だとか何もなかった。1ミリも『家庭での保育に欠け』てなどいない私が、普通に公立保育所に通った。
母は私を幼稚園に入れたいと思ったそうだ。しかし、親族を含む周りの多くの人たちが、いつ保育所に預けるのか、保育所の申し込みをまだしてないのかとものすごくうるさかったらしい。『保育所が当たり前だった。同じ小学校に行く子は町内のどこかの保育所出身で、幼稚園に行く子なんていない』と言われたらしい。
母は心配しながらも私を保育所に入所させた。まず、町内に公立保育所がいくつもあった。1学年1クラス、私が通った保育所はその中でも人数が少ないところだったので、年長クラスで一緒に卒園したのは12人だった。最近の『保育所が足りない』どころか、どう考ても当時の子供の数を考えれば保育所が多すぎるくらいだった。
運動会や宿泊保育、遠足、卒園式などは合同で行われた。保育士さんはどうだったか忘れたが、市の公務員である給食調理員さんたちは、その町内の保育所のどれかにしか転勤しない。(当時給食調理員だった知人が近所にいたため、知っている)
今、雨の日でもお昼寝布団セットを自転車で運んでいる保育園パパママさんを見かけるが、私が通った保育所ではお昼寝布団の他、給食で使うスプーンや箸など、肌に触れるものや口に入るものも持参する必要はなかった。かばんに入れて持って行ったものは連絡帳以外思い出せない。
私は二人の子供を私立幼稚園に通わせた。ひとりは卒園し、ひとりは在園中。まあ、これでもかというほど指定用品を買わされ、毎日スライド式のカトラリーセットを始めあれこれ通園鞄いっぱいに持って行く。最初は自分の子供時代とのあまりの違いに驚いたが、『あ、こっちのほうが普通なんだ』と最近では思うようになった。
保育所時代はほぼ同和教育はなかったが、小学校に入ると一変した。
まず、入学時に必要なもののほぼ全てが無料支給だった。ランドセルまでタダだった。母と一緒に入学用品を近所の『会館』に取りに行ったことを覚えている。鉛筆や消しゴムまであった。筆箱は自分のものを使えたかな。それが最初の一回だけではなく、『とくしゅうひ』というものがあって、冊子が配られて必要な学用品に丸をつけて提出すると支給された。これはいつの間にかなくなった。高学年になる頃にはもうなかったかと思う。
私の実家は貧乏ではなかった。後に書くが、学用品を無料支給してもらわないと就学できないほど生活に困窮している同級生などいなかった。
ランドセルはデザインも何もかも皆同じ。ほとんどの学用品が全員同じだった。出どころが一緒だからそうなるんだろうけど、他の学校のことを知らないのでそれが普通だと思っていた。給食で使うお箸、食後に使う歯ブラシまで皆同じ。歯ブラシの色選びでじゃんけんをしたことも覚えている。
それから『子供会』というものがあった。放課後に行くところで、別に親が働いているからとか何もなく、ほとんどの同級生が在籍していた。行くか行かないかは自由だったが、小学校の下校時に集団になって歩いて行ったことを覚えている。おやつが出たり、遊んだり、土曜日は昼食も出た。学童保育のような感じだったが、違いは『(ほぼ)全額無料』で『まあまあゴリゴリの同和教育機関でもあった』こと。そこで働く人たちのことは、先生やさん付けではなく、『指導員』と呼んでいた。(例 田中指導員)
主に教えられたのは狭山事件のことで、歌まであった。私はその歌をなぜか今でも覚えている。小学校1年生のときから教えられる。それから、何の日だったかは忘れてしまったが、5月23日と10月31日が近づくと、狭山事件のことをいつもより色々聞かされた。
大人は集会もやっていた。たまに祖父について行ったことがあったが、集会の最後はシュプレヒコールがお決まりだった。後になって祖父はその集会になぜ参加していたのか母に聞くと、『お父ちゃん、その年確か町内会の役しとったからちゃうかな』そんな理由だった。
小学校の名札のところに『差別裁判をゆるさない』とかワッペンをつけて登校する期間があったりもした。『ワッペン登校』と呼ばれていたが、今考えるとすごい。小学生の制服に、別にその子の意思でもなくそういうワッペンをつけさせていたのだ。
学校の道徳の授業は、同和問題を始め、とにかく何かと差別を絡めた内容だった。在日コリアンの問題とか。私の子供が入学して教科書に名前を書いていたとき、道徳の教科書を何気なく見ると、『金の斧 銀の斧』の話が載っていたりして、自分のときとの違いにまた地味に驚いた。
小学校1年生に狭山事件のことを話してこれは差別だ!とか言われても正直よくわからなかったし、狭山がどこかもあまりよく知らなかった。『かなり昔、遠い関東で無実の人が逮捕されて、裁判が何か差別らしくて………』といった感じで記憶している。
他にも後で特殊だと気づいたことがある。天皇制の否定、国歌を教えない、卒業式の定番『仰げば尊し』はなぜそこがダメなのか忘れたが『我が師の恩』のところに文句がついていたっけ。
ある日の子供会の集会のとき、『天皇制はおかしい』という話を聞いたのをおぼろげながら覚えている。『天皇誕生日が祝日なのはおかしい』と力説されたが、子供心に『学校が休みになるんだし祝日にまで差別とか言うのか』と思った。
洗脳レベルの教育だったが、低学年頃にはなくなっていった(後述)こともあり、『差別に負けない大人になってほしい!!』だとか『(何にか忘れたが)誇りをもってほしい!!』と言われても全くピンとこなかった。
ワッペンをつけたり、子供向けの集会があったりというゴリゴリの同和教育は私が高学年になるより前くらいから一気になくなった。そのため、冒頭に『最後の世代』だと書いたのだ。
理由は、狭山事件の容疑者とされた人が仮出獄となったからだと思う。学用品がタダとかそういうのも、その頃からだんだんなくなっていった。
一世代上、私の母世代は、狭山事件が起こった頃に小学生くらいなので、大人になり、子育てをする頃までずっと続いたということになる。
母は私立高校を卒業しているが、『タダだった』らしい。無料だから私立高校を選んだわけではなく、公立高校に行く学力がなかったかららしい。高校の無償化なんてつい最近一部の地域で始まったことだが、これも『同和特権』のひとつだろうか。それよりも驚いたのが、自動車教習所の授業料も『タダだった』と言うのだ。私も運転免許をもっているが、確か教習所に入るときは30万円くらい払ったと思う。それもタダ?
それから、これは自分の家族にはいないが、市の公務員になれるルートみたいなものもあったそうだ。失礼な話だが、『この人、どうやって公務員になったんだろう?』と思うような人が、市の職員だったりした。
母も私と同じで、そういう環境で周りもそれが普通だったし、他のところのことを知らないので、疑問をもったことがなかったらしい。大人になってから、『あれは普通じゃなかったんだ』と思ったという。
江戸時代の身分制度の名残で同和問題や差別があるわけではないと、成長するにつれわかった。私が背負ったランドセルも、入学試験で特待生だったわけでもない母がタダで通った高校も、税金から…と考えたら、嫌われるようなこともしてるよなあ、知らなかったとはいえ…といつからか思うようになっていった。
その後、高校、大学と進むうち、部落差別っぽいものは時々あった。というより、特に悪気のない、同和地区に対するイメージを誰かが話しているのを聞くことがあったというくらい。
まず、『あのへんは治安が悪くて行くもんじゃない。どんなやつがいて何をされるかわからない。最寄駅で降りないほうがいい』と言っていたバイト先のおじさんとか。
確かにイメージとして、ガラ悪いとか治安が悪いとか思われがちだが、これが意外とそうでもない。麻痺してるのか慣れきってるのかとも思ったが、夜になると人通りはほぼなく、ガラの悪い人や治安を乱しそうな人もいない。夜の町は、『ここ?本当に関西の大都市?』と思うほど人通りもほぼなく静か。逆にそれが不思議だとか怖いだとかで動画サイトに載っていたりするが。
確かに治安がよくて人が住みたいイメージではないよなと長年思っていたが、最近では転入者も増えて、昔はボロボロの団地ばかりだったところに一戸建ての家が建ち並ぶようになった。相変わらず市営住宅が多く、整備されているものの見た目がほぼ同じ。スマホのマップが普及するより前は、宅配ピザの配達員さんが迷って電話をかけてくることもあるくらいだった。
そういう街はここだけではない。似たようなところをたまたま電車などから見ると、『あ、ここ…同和地区かも』とわかるようになった。
人生で、『あ、これが部落差別?』と思ったのは一度だけある。結婚のときだった。目の前でやりとりしたわけではなかったが、夫の両親は同和地区の嫁が来るのは嫌だと言っていた。私に直接言ったことはなかったが、義母から夫へのメールを見たら結構すごかった。
結局結婚したのだが、10年経っても『ほら、同和地区の人となんか結婚するから』みたいになったことはない。結婚を反対されたことを知った両親も、『まあ、そりゃ、どうぞどうぞ大歓迎ですってことはないよな』というような反応だった。従姉妹たちも同和地区出身でない人と結婚している。親である伯父と伯母は、娘の結婚相手の両親に出自を話したらしいが、それを理由に反対や差別はされなかったという。
私が昔受けた同和教育の題材にもよく結婚差別が出てきたり、同和の子は貧乏でいじめられて排除されて…みたいな内容が多かったが、思い出してみれば小学校の同級生には食べるのにも困るような生活をしている子は誰一人いなかった。それでも色々支給されたり…あれは何だったんだろう?と思う。
これもまた同和地区特有の話だと知ったのだが、とにかく近所の人達の情報を何でも知っている。私達世代はそうでもないが。今時隣の家の人のこともあまり知らないのが普通みたいな世の中だが、母より上くらいになると、『全くの他人のことを何でそこまで知ってるの?』と驚くほどだ。
私は聞いているだけのことが多いが、たまたま何となく会話にAさんという人が出てきたとする。たとえば私が『Aちゃんのお母さんが入院したんやって、Aちゃん大変そうで心配やなぁ』とか言ったとする。
すると母と伯母が、
『A?ああ、あの子な!うちの一学年下の子で旧姓増田やろ?増田のおっちゃんとこは立ち退きなる前は◯◯に住んでて、今団地入ってるやろ?おばちゃんは滋賀から来た人やったわ。Aは高校出て化粧品屋に勤めとって、学会の男の人連れてきて結婚して西宮のほう行ったけど、結局別れて娘二人連れて帰ってきてたなぁ。増田のおっちゃん怒ってたわ。あの子入院したんや、それは心配やな』
『増田のおっちゃん覚えてるわぁ、Aちゃんて姉ちゃんの一個下やったら、うちの二個先輩やろ?その子の弟がうちと同級生やねんけどな、中学の同級生のCと結婚して、夫婦で市に勤めとったから、お金持ってんで。団地出て関空とかあの辺りに家買うたらしいわ。増田のおばちゃん不倫しとったん覚えてる?近所同士でようやるわぁとかみんな言うとったなぁ』
こんな感じ。一体何の話だったかこちらが忘れそうになるが、私の友人の母親の実家事情を、同学年で仲が良かったわけでもない二人が知り尽くしている。
これは、同和地区出身者同士の結婚が多かったこともあるからかなと個人的に思っている。大人になってからは、では近所に住む誰かの会話に『私』が出てきたとすると、ここまで知られているのかとゾッとして、母に聞いたこともある。
『まあ、このへんやったらそうやろうな。でも、若い子らはそこまででもないと思うけど。うちの娘ていうことはみんな知ってるやろうし、行ってた学校ぐらいは知ってるやろな』
と、当たり前のことのように言われた。
同和地区も、私のように町並みでわかる人でなければあまり他の町と変わらないようになってきた。それに、顔を見たら同和地区出身者とわかるわけでも、戸籍を見たらわかるわけでもない。有名な同和地区が現住所や本籍であった場合はわかるかもしれないが。
解放会館も人権センターとか名前を変えた後、いつの間にかなくなった。『部落差別をなくそう!』『差別落書きを見つけたら云々』という文言が書かれた町内会のポスター掲示板もなくなった。私が少し通ったあの子供会もなくなった。
今でも、『住まないほうがいい町』とかググると私の地元が出てきて、理由に同和地区がどうのこうのと書かれているが、外から人はたくさん来ている。市営団地の入居者は全員知り合いだとか、市会議員や解放同盟のコネで団地に簡単に入れるという話も聞かなくなった。
実際、24年ほど住んだが、事件らしい事件のひとつも見たことがない。通り魔やひったくりに遭った人が近所にいようものなら3分で噂になるはずだが、これも聞いたことすらない。いや、別に『B地区とか犯罪がとかヤクザがどうの、治安悪いとか言われてるけど、全然怖くないですよ、町も綺麗で平和で、他のとことそんな変わりないですよ』とここで主張したいわけはない。
イメージしかない同和地区と、そこに生まれ育った私とでは、全く違うだろうなと思って書いたに過ぎない。
改めて、自分の生まれ育った場所を考えてみたとき、そこがたまたま特殊なところで、確かに差別されたり嫌われたりしても仕方のない面をもっていて、でも何だか『普通の生活の中で出さないほうがいい話題』のひとつであって…
何かそんなことを思って書いてみた駄文だ。
一番の理由は親族が土地を持っていたから(最寄り駅が都内ターミナル駅15分圏内。最寄り駅徒歩5分)。
お金に余裕があればマンションが良かったなーと思っています。(都内の4LDKマンション価格を見ているととても買える気がしません)
元々駅直結マンション、2LDKに夫婦+未就学児の3人で暮らしてましたが、2人目が産まれ2LDKが手狭になったので引っ越しを考え始めました。
マンションの利点は立地と、管理をお金を払って外注できることだと感じました。
ただ購入する場合、管理組合の存在がコミュ障の私にはハードルと感じていました。共用施設の運用や修繕等のメンテナンス、そういったことを決めるのに管理組合で決めなければいけないことを想像すると…私には難しいかもしれません(短期間で住み替える前提であれば良いのですが)
でも24時間ゴミ捨てができるのは最高でしたし、駅チカの恩恵はすごかったです。
賃貸購入問題は家に対する価値観が「終の棲家」だったので購入一択です(どっちが正解とかなく価値観の問題)。
土地について
・立地:郊外だけどそこそこ商業施設もある地域。通勤ドアドア1時間以内だったので良しとしました。(コロナで夫は今後もほぼフルリモートになった)
・子育て環境:大小公園がそこそこある。中学卒業まで医療費無料。若い世帯も増えており保育園も多い(足りてはいないが)。小学校が近い(中学校は遠い)。」
・土地:60坪程度の変形地。接道は所有権有りの私道。第一種住居地域。
ただ、SUUMOに掲載されていたら選ばなかったと思います。(金額的に買えないというのもある)
メーカー選定の流れ
ざっくり予算を設定してハウスメーカーや工務店に見積もりを貰いに行きました。
何も知らなかったので、ふらっと住宅展示場へ行きましたがスーモカウンター等からの紹介の方が良い担当が付くという噂を聞き後悔…(結果的に良い担当に出会えましたが)
さっくりと要望はこんな感じ。
・建坪40坪~の2階建て
・1F LDK+和室+水回り 2F 主寝室+子ども部屋+書斎
・洗濯は室内で完結させたい。
・パントリーがほしい
複数社から見積もりをもらって、どこにするか決める流れです。(メーカーによって見学会があったり、色々お金がもらえたり…)
ハウスメーカーの決め手
某大手ハウスメーカーには私達の属性や土地代が必要ないことを理由に予算を大幅に超えた提案をされたり、某SNSで人気のハウスメーカーにはとにかく性能アピールをされて要望が聞かれなかったり…そんな中、ふとした一言すら覚えて提案してくれる担当に出会えたので決めました.
結果としてその判断は間違ってなかったと思います。なぜなら、注文住宅は本当に決めることややることが多くて絶対になにかが抜けてしまったり、あれ?って思うことが発生します。これがあのハウスメーカーの担当だったら…と思うとゾッとします。シビアな話(間違いの指摘とかお金とか)でも遠慮なく話せる担当を選ぶことは大事だと思います。
営業担当なんて家造りで関わるうちのたった一人…というのも正解だと思います。でも例えば設計担当が気に入らなかったら、誰に交代をお願いするか?営業担当です。営業担当さえ誠実に対応してくれれば、大凡のトラブルは解決できたりする、それがハウスメーカーの営業担当だと思います(大変な仕事だ)。
※個人の感想ですが、同じメーカー内だと皆人柄は何となく似通っていました。(支店長、設計、IA、現場担当、庶務etc)
・アフターサービス の充実度
建てて終わり!というのはイヤだったので、ある程度大手でアフターサービス専門部署があるメーカーを選びました。
保障もできるだけ長い(60年)メーカーを選びました。もちろんメーカー経由だと何でも高いし、メンテナンスにもお金がかかることは承知の上です。それも込みで予算を設定しました。
・予算
契約後に仕様を詰める中でかなり総額は上がりました。…なのでそれも含めて最初に予算を伝えるべきだと思います。(500万くらい上がった。建坪アップと外構のせい)
ローンをどこで借りるかという問題もあるので、月の支払いイメージをしっかり持っていたのは良かったかなーと思います。
良かったこと
・こだわりを実現できる
1階で生活が完結できる間取り、を目指していました。特に洗濯動線は、洗う/干す/収納 が一部屋で完結する間取りが実現しました。これズボラには最高!
夫は書斎を好きなように出来ててとても嬉しそうで良かったです。(書斎に引きこもられると寂しいですが…)
・子供が嬉しそう
走り回っても怒らなくて良いし(破壊されそうな時は怒るけど)、公園に行かなくても庭で楽しく遊べるし、楽器の演奏も気兼ねなく出来る(防音性能が高い)。
良くなかったこと
ハウスメーカーの方も配慮してくれて自宅に来てもらって打ち合わせしてたけど、実物を見るためにはショールームや展示場に行かなくてはいけなくて、赤ちゃん連れだと本当にしんどかった…
間取り、キッチンやお風呂等の設備を決めて、内装の打ち合わせ(それこそドアの取手や手すりの金具の色迄自分たちで決めるので本当に長かった。私達は合うIAさんだったので、ある程度お任せしましたが)、照明やカーテンを選び、外構も打ち合わせをして家具も選び…並行してローンの事前審査をしたり、毎週末打ち合わせしてました。
次は施工が始まるので可能な限り現場を見に行って、差し入れもして…振り返っても本当に疲労困憊でした。
子供が産まれる前に建てた方がそういう意味では楽かもしれません。
・高い
建売と比べると高いです。やっぱり。私達も土地がなければ今のメーカーとはご縁がなかったかも…?
でも敷地内に2台分駐車場もあるし、都内賃貸時代と比べると月々の支払いは半分以下になりました。(固定資産税等の税金や修繕費の積立分を考えても)
工法によっては実現できない間取りや構造もあります。本当にこだわりを実現するなら、ハウスメーカーでめちゃくちゃお金を掛ける(展示場の建物は高額オプションだらけ)か、工務店や設計士さんとゼロから創り上げる必要があります。
ハウスメーカーはある程度標準品があり、その中で選ぶことを前提としているので、壁紙でも気になるメーカーがあれば自分で探したりする必要があります。(が、標準品でも我が家は十分満足でした!)
総括
総じて大満足です。
子供がいる場合の注文住宅、ということでは保活問題は大きかったです。区外への転園、しかも二人同時、という高難易度ミッションでした…
共働きで頑張ってローンを返済していきたいですね。
(いくら?っていうのが一番気になると思うので参考までに、我が家の場合は約100万/坪でした(外構・諸費用込)。高い!。これに土地の価格を入れると…親族に感謝です)
助かるなんて書いたらめっちゃ叩かれそうだから増田にしか書けないけど。。
設立時はすげー文句あったからこれから戻っちゃうかもと考えると戦々恐々。
月に数万単位で取られるのが無くなってるのでほんとめちゃくちゃ助かってる。金銭面で保育の心配がないのは「次の子」への意識を阻害しない要因に十分なると思う。
ただ所謂「保活」は未だ問題で阻害要因ではあるので、そこは改善していってほしい。
でも今が前(月数万取られた頃)よりも悪いってことはないと思う。保活問題は長期的に対応が必要なことなので、先にすぐできる無償化をしたのはいいことだったと思う。
文句言ってたネット上で発言力ある人々(ある意味権力者?)はきっと無償化廃止して保活問題にあてろと言うのかな。まさかあんだけ批判してた無償化を取り下げますと言って叩くことはしないだろうが…政権がどこになっても無償化は取り下げないでほしいなぁ。