はてなキーワード: 生活様式とは
二子玉川の堤外地に建つマンションが高値を付けてる事に嘆いて小字地図という面白いものを公開してくれた人がいる。
でもその事をまとめたtogetterではそれに対して間違ったり不適当なツイートばかり拾ってるので指摘するよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2381841
二子玉川には堤防の切れ目があった。陸閘ともいう。閘はパナマ運河などの閘門の閘で、板で締め切って水をブロックして水位を変化させるものだ。それが陸にあるから陸閘。
https://maps.app.goo.gl/DKKV4c1kefy3BVSE9
余談だがこの道は結構重要な道で、江戸時代の矢倉沢往還(青山通り大山道)だった。真っ直ぐ行って多摩川に出たところに渡船(二子の渡し)があったのだ。川を渡って崖を上ると二子の宿場に着く。
ここは瀬田村の一部で、スレッドで指摘されている通り、瀬田村の字堤外と呼ばれる無人地帯であった。
こんな辺鄙な所だったが、渋谷からほぼ路面電車の玉川電鉄が開通し、その終点の「玉川」という駅が出来た。この路線は溝の口を目指しており道路橋の二子橋を走る事になっていたのだが、その二子橋がまだ出来ないので暫定の終点である。
すると交通が便利になったので人が訪れるようになった。そして多摩川沿いに料亭が立ち並ぶようになった。当時の料亭は料理だけじゃなくて芸者遊びとかそういうの込みの業態である。
ここは瀬田村堤外とロクな地名ではなかったので、対岸の二子と駅名の玉川をとって「二子玉川」と呼ばれるようになった。
元々瀬田の崖の下には殆ど人が住んでいなかった。出水リスクがあるからである。堤防は基本無いか、霞提である程度の出水を前提としていた。そこに人が住み始めたら危ないに決まっている。また鉄道が次々開通すると他の低地にも人が住むようになる。
そして以前から洪水危険地に住んでいた住民と新住民が「堤防を作ってくれ」という陳情をするに至り、近代的な連続堤で多摩川を封じ込める、という工事がなされる事になった。二子橋の開通が遅れたのも堤防の工事を先行させる為である。
だがこれに反対をする者も居た。その一つが二子玉川の料亭業者達で、堤防で目隠しされたら商売上がったりだ、と言うのである。
そこでここの料亭地域ではこの地域を川の中に取り残す形で堤防が築かれる事になった。
しかしそれだと料亭群に行くのにいちいち堤防上りが必要だ。そこで堤防に切れ目を入れて先のリンクの陸閘を2つ作る事にした。一か所縦のスロットが見えるが、多摩川の水位が上がる時はここに板を入れる。それだと水圧で折れてしまうので、水防活動で後ろ側に土嚢を積みまくって抵抗力にする。これを角落しと言う。
料亭だけの場合は万が一の場合は逃げれば良いし、自分たちで了承した事だし建て直しすれば良い。だが昭和に入ると戦争があり料亭どころではなく全て潰れてしまった。そして戦後の復興と経済成長で宅地不足となり、この危ない土地は売られて住宅地として転用されてしまったのである。
長らくこのままだったがもういい加減何とかすべしという事になり、あいも変わらず新堤防に反対する住民も居たが話をまとめて、住宅と川の間に新堤防を作る事になった。2008頃から事業スタートし、数年で堤防は完成した。何しろ何もない河原に堤防を作るだけなので工事は早い。
ところがだ。2019年に台風19号が暴れ狂うと、新堤防は機能していたのに一体は浸水して泥まみれになってしまったのだ!何故だ!?
https://maps.app.goo.gl/uQur4hgpRZnac7tB7
左側に囲い板が立っているが、これは慌てて工事を開始した為で、但し堤防はまだ出来ていない。右を見るとタワマンがあるが野村不動産のプライドタワーだ。幾分土地嵩上げされていてこの土地の危険性は認知しているものと思われる。
こっちに堤防が無いので、ここで泥水が自由に溢れ出し、それが駅の下側を通って堤防工事完了地帯に入り込んで浸水被害を出してしまったのだ。なんでこうなったんだ?なんで駅の北側は工事しなかったんだ?
何故駅を挟んで片方は堤防工事完了、もう他方は手つかずとなったか?
多摩川は青梅から下流は国土交通省が管理し、この辺は京浜河川事務所が管轄する。
ところが、駅の北側で野川が合流しているのだが、この野川の管理をするのは東京都であり、建設局第二建設事務所が管轄なのだ。そしてこの堤外地帯の駅の北側は野川に接しているのだ。
つまり、長年の懸念だった堤外地問題を解決するために住民の合意を取りつけ、国の方は急いで事業化して堤防を完成させた。それから10年近くが経つのに、東京都の方はちゃんと連携せずにほけーーとしていて事業化していなかった。そこに巨大台風が来たので野川に逆流してこんな被害が出てしまったのである。
野川沿いには堤外地を避けた旧堤防と連続する堤防がある。新堤防を延長してこの国道246の下で堤防に接続する必要があるのだが、堤防合流地点付近にはスペースが足りず、家が建つ土地を買収する必要がある場所もある。また、二子橋の橋桁は低い場所があり、https://maps.app.goo.gl/MoH89VVFBWFW7jWBA
堤防高に支障する。これはこのままだと橋桁に当たった水が横に流れて堤防を削ってしまう。そういう事どうすんの?なのだが、どうせ何もやっておらん筈だ。
余談だが二子橋は架け替えられていないのでアスファルトの下に玉電のレールが残っていると思われるよ。
堤外と言う字が付けられていた場所に住むのにリスクを考えて居ないのはマズイ、というのは確かにそう。
だが字が堤外だから住んではならないと書いている人は昔と今の治水を混同している。
昔は河川が氾濫するのは云わば当たり前だった。だから堤防を築くのだが、今と違って霞提など、切れ目があってある程度の氾濫を許容する設計が多かった。また堤防を造る際も、今のように流路を封じ込めるものではなく、流路からかなり離れた場所に造る事が多かった。河川は蛇行するのが専らなので、その蛇行の外側という離れた場所に堤防を作った。その堤防で守られていない所は全て「堤外地」だ。そこでは洪水では家も田畑も沈んでしまう。
笹目村や戸田村などの埼玉側は堤防が流路から1km程離れているのが判るだろうか?
一方、東京側は堤防そのものがない。これは東京側は台地の崖から1~2km程の所を川が流れているから、狭い地域を堤防で守るのはコスパが悪いって事でそのままなのだ。
これら全ての土地が堤外地である。洪水では田畑も沈むし、集落もなるべく作らない。家を建てる場合は微低地を選んで嵩上げもする。でもそれでも浸水は免れないし死ぬ人も居た。
二子玉川付近だと霞提もこの辺は余りなく、低地には住まない、瀬田や溝の口の高台に住み耕作地には歩いて通う、という生活様式だった筈だ。すると「堤外」と名づけられた字以外も全て堤外地である。
今この地域が危険なのは、先に説明したように堤防工事で外されてその時に堤外地となった為だ。字が付けられた時分の事ではない。だからこの堤外地の字が「堤外」であるのは偶然でもあるわけだ。大正の治水が原因で堤外の字が付けられたわけではないから。
なので話の種や潤滑剤として字 堤外の事を言うのは良いのだが、それが決定要因であるかの様に語る人は、近代とそれ以前の治水の違いや、それによる堤外地の扱い、感覚を混同している。
~~~長くなったので続く その2 https://anond.hatelabo.jp/20240612183016
ヤッピー(yuppie, YUP)とは、「young urban(またはupwardly-mobile) professionals」の略で、若手で都市住民たるエリートサラリーマンのこと。
1984年にアメリカ合衆国で使われ出した。おおむね20代後半から30代後半で、大学院卒(最低でも修士号を保持)で都会に住み、金融系企業などの総合職だったり公務員や医師で、収入はアッパーミドルでスーツや車、住居にお金をかけるという生活様式である。しばしば気取っていて自己中心的、表面的というニュアンスで軽蔑的に用いられる。
呪術廻戦やチェンソーマンはガラケーの時代を舞台にしている。20年前ではないが10年以上昔のことだ。この程度なら微妙にノスタルジーを感じる程度の時間的ギャップ。
ちびまる子ちゃんやサザエさんは日常をテーマにして延々と続いて長寿アニメと化したので、微妙なノスタルジーから明確なノスタルジーへと変化し、今では半ば時代劇の様相を呈している。
敗戦後の日本の経済成長期はハードウェアの発展がめざましく、日常空間、生活様式が目まぐるしく変化した。言い換えれば、10年ひと昔がぱっと見でわかる時代だった。
今はソフトウェアの発展は目覚ましいがハードウェアの発展はそうでもない。だから、日常空間や生活様式はぱっと見ではあまり変化が無いように思える。
一言一句、ほんこれ
ただ、先進国のホワイトカラーの欺瞞を完全スルーするのもどうかなって思う
だって、それを今さらする意味があるかどうかはさておき、1万年前の生活様式で生き延びる能力を持つ人達は現実にいるからね
でも、そういった能力が現代社会で適切に評価されているかというと、まぁされてはいないよね?低賃金や厳しい労働条件などがその一例だ
今日も、"やりたくない仕事でもやらざるを得ない状況" や "必ず結果を出さなければならない" という現実が存在する
これらの責務を担う人々の "一部" (全部ではない)が、『搾取されている』、『○○は特権階級だーー!!』とかトンチキなこと言って、
不満を抱く(自分は不公平に扱われていると考える)のは、何も不思議なことではないんだね
だからといって、理想を降ろすべきだとも、せっかく作り上げた尊重の建前を捨てるべきとも微塵も思わないし、
困っている人がいれば手を差し伸べるのは当然のことで、そのために理由を求める必要はないと思ってる
科学の進歩により、人類の生活は向上し続けているし、社会全体が底上げされ、すべての人が増田が言うことを心から感じられる日が来ることを願ってる
残念ながら、個人が自由に移動したいときに移動できる時代は終わりました。
路線バス事業者や国、自治体はそれぞれ頑張っていますが、構造的な欠陥から立て直しは既に不可能です。
これから数年で都市部・田舎を問わず無くなります。(残ったとしても、利便性は著しく損なわれます。)
足が不自由だったり免許を返納した高齢者など、いわゆる「交通弱者」の方々は、今後は自力で(公共交通に頼らずに)移動する手段を確保してください。
確保できないのであれば、移動しないで生きていってください。文句を言っても解決しません。
また現在、車を運転できたり健康で移動手段に苦労しない人は表面上問題ありません。
しかし、あなたが自分で移動できなくなったとき、もうあなたを運んでくれる手段は恐らく残っていないので、今のうちに覚悟しておいてください。
路線バスの運転手は昔から労働時間が長く、休みもあまり取れないため労働環境が良くありません。
そこで、2024年4月から、働く時間を規制することによって運転手の労働環境を改善したり、しっかり休むことによって運転時の事故を減らしたりすることを目指しています。
これだけ聞くと、運転手の労働環境が改善されるだけで、何が「問題」なのか良く分かりません。
働く時間を規制するということは、昔は1 日14時間働いていた人が10時間しか働けなくなるということです。
(これは例えで、本来の規制時間はもっと条件があり複雑です。詳しく調べたい人は「改善基準告示」で調べてください。)
しかし、今の路線バスは1 日14時間働く前提でダイヤが決められているため、4時間分運行できなくなります。
4時間分を運行するためには、もう一人運転手を雇用して運転してもらえば問題ないのですが、そもそも労働環境が劣悪であったためなり手がおらず、運転手の確保もままなりません。
運転手が確保できなければ、4時間分は運行できないため、減便や廃線となります。
運転手のなり手がずっと居ないため、運転手の高齢化が深刻化しています。
更に、1日14時間働けたのが10時間まで減るため、時給としては「稼げなく」なってしまいます。
労働環境は改善しても、賃金が上がらないため、そもそも運転手になりたい人がいないのです。
今後は、退職者が常に多い状態が続くため、そもそも路線バスを運行させることができず、路線バスはなくなります。
これは、国が厳格に運賃の決め方を定め、市民の足として高価にならないように制限しているからです。
故に、例えば運賃を2倍にして収入を増やすといった方策は簡単にはいきません。
これまでは、どこの路線バス事業者も、赤字の路線バス事業を観光業や別の事業で補填することで、体制を維持してきました。
ですが、昨今の新型コロナウイルス禍で環境需要は蒸発し、新しい生活様式で移動需要も激減しました。
これによって、赤字を補填する事業の存続すら危うくなり、そもそも赤字の路線バス事業は成り立たなくなりました。
しかし、税金で運営される国や自治体が運行するならば、赤字はさほど問題なくなります。
(路線を維持するため交通税のようなものは必要になってきますが。)
問題は、全国にある民間路線バス事業者を全部官営に転換するのが事実上不可能(民主主義国家なので)ということです。
民間の路線バスに事業を維持してもらうには、赤字を補填してかつ運転手の賃金が上昇するぐらい税金を投入すれば解決します。
(1)と同様に、交通税のようなものを創設し、それを原資に路線バスを維持します。
問題は、路線バスを維持しなければという機運を日本全国で高め、国のトップが舵取りして決定していかなければ実現は難しいということです。
一事業者や一政治家、一市民が騒いだところで大きなうねりは作れないでしょう。
また、「なぜ路線バス事業者だけに税金を投入するの?」という問題も発生します。タクシー事業は救わなくていいのでしょうか。
** (3)完全自動運転に転換する
技術的ブレイクスルーが起き、路線バスが全て完全自動運転になれば、運転手も不要であり、また労働時間の問題も解決されるため、路線バスは生き残れます。
希望があるとすれば、今の若者が高齢者になったときに、完全自動運転が実現しているかどうかです。
それ以外の今を生きる人は、路線バスによる移動は諦めてください。
単純に『うんち💩』とか、『3行』とか、『ひひひひひひ暇なんだねwwwwwwww』とか、『アホくさwwwwwwwwwwww』とか、『こんなん○○の××でいいじゃんwwwwwwww』とか、
ただここまでは解決済みで、まとめきれていないのはここから先なのよね。文字量的について来れないと思うけど自己満足で書いとく
『軽薄で浅はかな人々の給料、人間関係、生活様式は、日々の選択の積み重ねの結果。彼・彼女らの自己決定を尊重するべき。同情する必要性はない』って思ったわけ
でも、それと同時に、『あれ・・・?これって、みんな大好き竹中平蔵氏の自己責任論と言ってる事と何も変わらんくね・・・?』とも思ったわけよ
あるいは、『あれ・・・?これって、みんな大好き公正世界説を唱えてるだけでは・・・?』ともね
現実には、積み重ねが必ずしも報われるとは限らない。どんなに頑張っても上手くいかないことがあるし、天災や事故に見舞われることもある
さらに、世の中は公平ではなく、何もしなくても報われることだってある
例えば、生まれながらにして大金持ちであったり、宝くじを拾って、幸運にもそのくじが当たったりね
ワイも当たりの宝くじを拾った側の人間で、世の大多数を占める真面目でまともな人たちに比べると、ほぼ何もしていないに等しい
だけど、異常に軽薄で浅はかな言動を取る人たち(ブクマカ、ブクマカ兼ねてそうな増田、それに類する人たち)を見ると、
だって、さすがに彼・彼女らと比べれば、自分も何かを成し遂げ、積み重ねてきたと感じるからね
でもこれは傲慢な考え方であり、自分のラッキーを忘れ、まともな人や苦労している人々に目を向けていない
自己責任を唱えて正当化しようとする人々も、おそらく似たような考えを持っているんじゃないかなって、
異常に軽薄で浅はかなブクマカ、ブクマカ兼ねてそうな増田見て気付けたので、非常に有益だったよ
でも気付きはしたが、まだ考えをまとめきれてはいない、厳しい環境に身を置くと〜のトラバの答えがまだ作れていないが前回の増田
https://anond.hatelabo.jp/20240311132513#
ガチでしない人もいる。
多くは付き合いで嫌々。連絡会みたいなの兼ねた食事会でも来ない。
コロナ前は惰性でお付き合いあったけど、断りたかった人が断るようになったのもある。
自分は自炊派だけど外で食う方が楽、美味い、家でしにくい(寿司天ぷら焼肉)のと飲み会は外。
完全栄養ドリンクとかにはまったりするし、時期によってさまざま。
暇すぎて自炊したくなるのは事実。色々なパフォーマンス考えたら外食が選択肢に入ってきにくくなる。
ウーバーとかも面倒なので、冷凍の牛丼をチンしたり、玉ねぎ増やしたり、汁取っといて黒毛和牛足したり、卵でとじたり。
これは少数派か。優待狙いで株買って飽きて配りまくったりにはなる。
初期は楽しいので、結構通る道でもあり、話を盛りたくもなりそう。
てか、外食しないのと矛盾しとるな。同じ人でもどちらも経験するから、まとめて語る意味ないが。
株の銘柄とそこの系列店が結びつかないのは多々ある。よほどのところじゃないと、優待のためだけに調べて買ってるので、記憶に残らない。
持ってても言いにくい車が多い。
業務用のワゴンか軽トラか、あと自己満足で買って馬鹿にされる微妙系と。
完全に身元バレするような車か。
車の話面倒なので、持ってないと嘘をつくケースも
なんかあったらタクシー呼べた。
運転手雇うほどでもないけど足には困らないという人も居る
家庭持ちで車ないケースは珍しいな、確かに。家庭のほうが虚像かもしれない。
金持ち拗らせて何かを拒絶したり何かにハマりまくったりという時期は誰にもあって
極端な例も多いので、何もかも嘘とはいいがたい
詐欺みたいな手口とか、注目されたくて嘘ついてる頭悪いレスとかにこいつは偽だが、似たようなことしてるなぁで乗っかることもある
50代以上とそれ以下で全然生活様式というか考え方違ってたりもするしなぁ。
50オーバーはほんとにテンプレみたいな金持ち多いし、頑固な変人も多いし。
あと田舎には先祖から継いだがようわからん税理士任せとかも多く
平安時代に生まれた日本人の総数を特定することは、記録の限界や統計手法の不確実性のため、具体的には困難です。ただし、平安時代は約391年間にわたり、その期間の人口密度や出生率、死亡率などを考慮に入れると、何百万人が生まれたと推測できますが、これは大まかな推測に過ぎません。
平安時代の人口は時期や地域によって変動していましたが、出生率や死亡率についての直接的な記録はほとんど残っていません。そのため、当時の生活様式、家族構造、社会経済的条件を基にした学術的推測に依存することになります。
総じて、平安時代は日本の人口が増加し、文化が発展した時代であり、多数の人々が生まれ、生活していたことは間違いありません。しかし、具体的な数値を出すには、さらに詳細な歴史的研究と考古学的発見が必要です。
人口5百万人の社会で、死亡率が1000人当たり8人と仮定した場合、1年間に亡くなる人の数は約40,000人となります。この数値はあくまで一例であり、実際の死亡率によって大きく異なることに注意してください。
日本でのコロナはだいぶ過ぎ去った感があるが、アメリカのコロナ禍は凄まじかった。
会社の同僚を亡くしたし、親戚を立て続けに4人亡くした人もいた。ニューヨークには死体袋が転がっていたし、コロナを嘘だと主張して活動していた人は最終的に自分が羅漢して失意の中で死んでいった。
取引先も一人の感染者からあっという間にクラスター化が起きて頻繁に操業停止に陥っていた。
アメリカのコロナによる累計死者数は約120万人だそうだが、これはあれだけ戦争に首を突っ込んでいるアメリカで最も死者の多かった南北戦争(62万人)の倍、第二次世界大戦(29万人)比では実に4倍に達する。
今は日常が戻っているが、特に近親者を亡くした人にとってはちょっとした戦後みたいな状況なのがコロナ禍後のアメリカと言えるかもしれない。
これだけ死者が出た背景には、一説によれば肥満率の高さだとか、貧富の差だとか、医療保険のせいで診断が遅れただとか、感染者の管理がうまくいかなかったとか、いろんな推測がなされているが、本当のところは分からないままだ。日本も初期は(ニュースでしか見てないけど)酷かった記憶だが、死者数にこれだけの差が出ると、欧米人に特効の何かがあったのではと勘ぐりたくなる。
それでふと思ったんだが、日本人を含むアジア人の被害が甚大になるような新ウイルスというのも今後出てくることってありえるのかな。それが生活様式への特効なのか体質的な特効なのかは分からんが。
日本の都会と地方の若者の違いについての興味深いエピソードを共有してくれてありがとうございます。都会と地方での生活環境や文化の違いが、若者のメンタリティや行動にどのように影響しているのかを明確に理解するのは重要です。
ご説明によると、都会の若者、特に京都市のような都市部の若者は、競争が激しく、高い協調性と社交スキルを持っているようです。一方で、地方の若者は比較的競争が少なく、リラックスした環境で育っていると感じられるようです。
この違いは、都会の方が社会や職場での競争が激しいため、若者が自己表現や対人スキルを磨く機会が多いことに起因しているかもしれません。一方で、地方ではコミュニティが密接で、人々がお互いを支え合う文化が根付いているため、競争よりも協調が重視される傾向があると考えられます。
また、地方の若者は、都会の若者に比べて、仕事や日常生活においてゆとりを持っているように見えます。これは、地方の方が生活のペースがゆっくりで、人々が互いに深い関係を築きやすい環境であることが影響している可能性があります。
さらに、都会と地方の若者の違いは、教育、就職機会、レジャー活動、さらにはメディアやテクノロジーへのアクセスにおける格差からも生じているかもしれません。これらの要素が、若者の価値観や生活様式に影響を与え、都会と地方で異なる文化やメンタリティが育まれています。
結局のところ、日本の都会と地方での若者の違いは、その地域の社会経済的な特性や文化的背景に深く根ざしており、それぞれの環境が若者たちの生き方や考え方に大きな影響を与えています。
文化、これまで多くの人々によって讃美され、称賛されてきた。それは文学、芸術、音楽、宗教、言語など、人類の知的な遺産であり、多くの面で私たちの生活を豊かにし、結びつけてきた。しかし、私たちはここで問いたい重要な問題がある。文化は本当に私たちを幸福にし、進歩させる要素なのだろうか?それとも逆に人類を不幸に導く要因なのだろうか?
私は、文化を全面的に否定し、その存在が人類にもたらす多くの負の側面を探求したい。文化は差別、偏見、対立、戦争、不平等、環境破壊など、多くの問題の温床となってきたことを明らかにしてきた。また、文化は個人の自由を制約し、異なる価値観や信念を排除し、多くの場合、進歩と革新を妨げる要因ともなってきた。
しかし、私がこの記事が主張したいのは、文化の死滅が人類にとって不幸を意味するものではないということである。むしろ、文化の死滅は新たな可能性と希望を開く道であり、人類の幸福追求にとって前進の一歩となるかもしれない。文化が個人と社会にもたらす束縛から解放された世界で、人々は真の自由を体験し、共感と協力によって未来を築いていくことができるだろう。
文化が死滅することで、私たちは新たな人間性の可能性を追求し、争いや対立から解放された未来を切り開けるのかもしれない。文化を否定することは、私たちに新たな視点を提供し、人類の幸福追求において大きな希望をもたらすかもしれない。私たちは、文化の枠組みに縛られず、未来に向けて自由に進む覚悟を持つべきだ。文化が死滅することで、私たちは真の幸福と進歩に近づくかもしれない。
文化は美しいものであると賞賛されてきたが、その光り輝く側面の背後には、闇が広がっている。文化はしばしば差別と偏見の温床となり、人々を異なる価値観や信念に対立させる。文化は、人種、宗教、性別、性的指向などの違いを強調し、不平等を生み出す。差別が存在する限り、人類は真の幸福を実現することはできない。
文化はまた、対立と戦争の原因ともなってきた。歴史は、異なる文化が衝突し、破壊的な戦争を引き起こすことを証明している。文化の違いが、敵対心と暴力を引き起こす根本的な原因であることは否定できない。文化の存続が戦争と対立の継続を許しているという事実を直視しなければならないだろう。
さらに、文化は環境にも負の影響を与えてきた。多くの文化は、資源の乱用や環境破壊につながる生活様式を奨励してきた。これは地球環境への深刻な脅威をもたらし、未来の世代に対する負担を増大させている。文化の保存と奉仕に注力する間に、私たちは環境保護を軽視してきたのである。
文化はしばしば個人の自由を制約し、異なる価値観や信念を排除する。文化は伝統と規範を押し付け、個人の発展と創造性を抑制することがある。この制約が個人の幸福感に影響を及ぼすことは否定できない。個人が自分らしい道を追求できない社会は、真の幸福を提供することができない。
また、文化は異なる文化圏間での対話と理解を阻害することがある。文化の違いはしばしば対立や誤解を生み出し、国際的な協力を妨げる。異なる文化が線引きを作り、協力の枠組みを破壊することは、人類の進歩に対する大きな障害となっている。
この記事が主張したいのは、文化の死滅が人類にとって不幸を意味するものではないということである。文化の束縛から解放された世界で、人々は真の自由を体験し、共感と協力によって未来を築くことができるだろう。文化が死滅することで、私たちは新たな可能性と希望を開く道を切り開けるのかもしれない。
文化を否定することは、新たな視点を提供し、人類が争いや対立から解放された未来を築く手助けとなるであろう。私たちは、文化の束縛から解放され、真の自由を追求し、共感と協力によって未来を築いていく覚悟を持つべきである。文化が死滅することで、私たちは真の幸福と進歩に近づくかもしれない。私たちが新たな未来を切り開くために、文化の再評価が不可欠であることを理解することが重要である。
文化の再評価は、人類の幸福追求にとって重要な一歩である。文化の束縛から解放された社会では、個人の自由が尊重され、多様性が受け入れられる。異なる文化圏間での対話と理解が促進され、国際的な協力が強化されるでしょう。これは、平和と繁栄を実現するための基盤となるだろう。
文化の再評価はまた、環境に対する負担を減少させる手段としても機能する。環境への負荷を軽減し、持続可能な未来を築くためには、文化の価値観や慣習に変化が必要である。新しい価値観が生まれ、環境への配慮が高まれば、私たちは地球を守り、未来の世代に継承するものを提供できるであろう。
この記事では、文化の否定的な側面を探求し、その存在が人類にとって不幸をもたらす可能性を提起した。文化は差別、対立、戦争、不平等、環境破壊など、多くの問題を引き起こすことがある。しかし、この記事が主張するのは、文化の死滅が人類にとって不幸を意味するものではないということである。
文化の束縛から解放された未来では、人々は真の自由を体験し、共感と協力によって幸福な社会を築く可能性が広がるはずだ。文化が死滅することで、新たな可能性と希望を開く道を切り開くことができるかもしれない。文化の再評価が人類の幸福追求にとって前進の一歩となるであろう。
自分がクソジジイになった時でもいいので私は、文化の束縛から解放され、新たな未来を築かれた姿を今の世に生きているうちに見てみたい。文化の死滅は、真の幸福と進歩への可能性を広げ、人類の未来に新たな希望をもたらすと思っている。文化の再評価が私たちの進歩の道を拓き、幸福の未来を実現する手助けとなることを信じている。
建築的には、上の方に書いている人がいるように、広縁だった空間なんだよ
でも雨が吹き込むバルコニーみたいなものだから、建物が平家ではなくなると、落下防止の手摺がつき、それに漏水しないように建具が設置されたの。そして縁側の幅しかない謎の空間になったんだよ。
その上、空間的に勿体ないから、テーブルと椅子を置き、コンセントを這わして冷蔵庫を置き、ついでに配管を回して洗面台まで置くところが出てきた
半外部としての空間的な意味は失われたけど、主室が外につながる間のバッファ空間として生き残ったんだ
生活様式が変わり、持家政策によって狭小敷地に建蔽率いっぱいに部屋を区切るようなった現在、縁側という空間的な余裕を使いこなすことができなくなった現代人には謎の空間としか認識できないモノが残ったんだよ
もはや和室としての様式は失われて、ただ畳(のようなモノ)が敷いてある部屋を和室と呼んでいるように、床の間とかもTV置きみたいな棚っぽいなにかになっているのと同じように、建築的な意味は失われていって、ただなんともいえない空間だけが残っていくんだよ