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はてなキーワード: 社会的とは

2024-06-11

anond:20240611013930

聖人君子では全然無いけど、一応社会的に良いとされる行動や態度を取るように心がけてるだけ偉いか

他のユーチューバーだの芸能人だのが基本的にろくでもないの揃いだから、「まとも」の基準が低すぎてHIKAKINがその中でかなりマシに見えている

2024-06-10

anond:20240610183321

モラルのない要求社会的に許されないってのを要求は全部許されないに変えるってことは、女の要求は全部モラルがなく女は異常者ってこと?

anond:20240610074931

俺も腰振りダンス社会的位置けがずっと疑問だった

 

まり、「エロいけど文化だよって言うことでセーフになってるボーダー文化」なんじゃないか最近解釈してる

欧米フェミ絶対こういうの消したいと思ってるだろうけど

支持者はエロいの分かってるけど「これは文化だ、ただのダンスだ」っていうことで免れてるみたいな

 

現に欧米じゃああいうので抜いてるらしいからね

 

日本でそういうのがないのは文化化できてないからかな

腰をくねらせるダンスセックス と直結しちゃうから言い訳が立たない

 

欧米の他の言い訳としては

アートからセーフ、ファッションショーからセーフ、ヌーディストビーチからセーフみたいな

女性積極的いいね

ズボンを下ろしてパンツ見せて腰を振る動画と超ハイレグエアロビ

【初めに】

まずかったら削除する。ただ、以前はパンチラの映っているPVを紹介したので大丈夫だろうか。

英語にはtwerking、トゥワーキングという言葉がある。音楽に合わせて尻を上下に振る動作のことで、見ているだけで筋肉痛になりそうであるyoutube検索すると、ものすごい大臀筋女性が実演しているのが見られる。やったら筋トレ効果健康になりそうだ。

元々ヒップホップで使われたらしい。ウィキペディアではサザンヒップホップとが由来だと書かれているのだが、ヒップホップラップR&Bの違いがわかっていない。おそらく、わかっている人からすればモネシニャックみたいに全然違うよ! ってことになるんだろうが(それどころかエル・グレコくらい隔たっているかもわからない)、この辺についてはいずれ調べておきたい。

具体例に関してはこちら。

https://www.youtube.com/watch?v=UNj05HL0UPw&ab_channel=RubiRose

Rubi Roseというラッパー作曲家モデルミュージックビデオだ。ややこしいことにRuby Roseというオーストラリア女優モデルがいる。

ブルマーだったりミニスカだったりで腰を振る文化はよくわからない。評価をするだけの知識がない。

ただ、いきなり曲の途中でズボンを下ろしてパンツを見せる例があるのには驚いた。ブルマのようなしっかりと尻を覆うタイプではなく、ティーバックタイプの下着だ。

リンクを貼るのがためらわれるので名前だけ。「VI AMElI // TWERK CHOREO(bilibili動画にもあるやつ)」「АМЕЛИ // Twerk ВТ/ЧТ 18:00」がそれだ。かなり面食らっている。欧米圏にはムーニングという、ケツだけ星人のように尻を出して相手嘲弄する動作があると言うが、これは相手馬鹿にするというか、演者絶対的優位を意図しているのだろうか。私は何も恐れないという宣言なのか。

道玄坂69のyoutube動画に、目が死んでいると批判的なコメントがあったのとは対照的である

知らないことがまだ世界にはたくさんある。

社会的に認められた露出については、ルールが非常に恣意的だ。そこに道徳や法の柔軟さや二重思考確認できて面白い

World Naked Bike Rideのときロンドン市内で全裸だし、トップレスが許されるプールもある。それが文化戦争様相を呈することもある。

現に、エアロビ全盛期の頃は、タイツはいていることもあるとはいえ驚くようなハイレグも見られた。

https://www.youtube.com/watch?v=3pm3TC57lHI&ab_channel=uwatenage

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=U6itxVo4T5A&ab_channel=foolicus

(35:00あたり)

https://www.youtube.com/watch?v=WTflOuT_nPI&ab_channel=Hatsumi

(1:52あたり)

とにかく、不思議でならない。

【お昼の追記

かに欧米の性の感覚日本と違っていて面白い

バルセロナに行ったとき、十歳から十二歳くらいの女の子が、お腹ほとんどが露出していて、お腹を薄いレースで覆っているだけの格好をしていたけれど(見た目がほぼ裸エプロン姿)、一方で児童ポルノには極めて厳格だ。

小学校低学年の子どもがビキニを着ていると、なんだか不思議な感じもする。

性的であることと、実際に性交することとは別だという思考かもしれない。ウエルベックがどこかで、非モテの悲哀として、誘惑だけされるが情交には至らないと怒るキャラクターを出していたのを思い出す。欧米一枚岩でははありえない。でないと激しい選挙戦文化戦争理解できない。

なんであれ、レッテルを貼らず、わからないことはわからないと認め、自分感覚を精密に言語化していくこちが肝心だ。

夕方追記

昔はやった腰パンみたいなものか。そう思ったが、では腰パンについてもよくわからない。

さら追記

ブルマよりも遙かに伸びてて吹いた。

みんなブルマーよりも他のファッションに興味があるのねw

2024-06-09

anond:20240609174637

モテ非モテ論争は脇に置くとして

パートナー人生の乗っかることが社会的に許されてるのは羨ましいよ

anond:20240609163458

あなたも上位弱者自覚持ちなさいよ

上位弱者も下位弱者もどちらも社会的配慮対象ではあるけど

弱者同士の中では上位の者が下位の者に配慮しなさいよ

去年仕事出会った奴が許し難い。

社会人数年目で、今回扱った要件に関してもクソほど素人なのにやけに上から目線というか、幼児的な自己万能感が漂っている上に、会話の端々でいちいち他責思考発言をはさむので嫌な奴だなと最初から思っていた。

俺はあまりマウントされた!とかで人にむかつくようなタイプではなかったんだけど「なるほどこれが世に言うマウントされる不快感か!」と勉強にはなったな。

まず、少しでも意思の疎通ができないとヒステリックに怒鳴る。

「だーかーらー!!よくしたいって言ってるんですよねえーーーェ!!!!」みたいな。いや、どこを?なにを?いかに?

しかも言っていることが普通に支離滅裂で、それ怒ったところで保身になってなくない?あなたメリットないけど大丈夫?という怒り方を、社外・歳上・経歴上の俺にしてくる。

例えば「AがBの場合」を「AがBの状態になったときに」と言っただけで怒り出す。え。病気?(ちなみにこのABは案件に関わるクリティカルな話でもなんでもない。会議の中で突然言葉尻に噛みつきだすのでマジで野犬かよと思った)

パワーバランス強いのはあっち(客)とはいえ、同じような態度で俺が言い返したら年齢や経歴的にパワハラになりかねないか普通にサンドバックになりながら話してた。

さすがに会話が成立しないのがやばすぎて、客先の管理職判断そいつ案件からはずされたけど、本人から謝罪もされてねえしなんなのお?

なんなら「自分最初から間違ってるとこがあるなら教えてもらったり指導をしてもらいたい気持ちだった」とか言ってたらしい。

??????

まじむかつくあいつまじて社会的に不幸になれ。

という愚痴半年経ってもまだむかつく。

anond:20240608235641

アドバイスではないけど、物心ついた幼少の頃からなんとなく、「自分は生涯未婚、子作りもしない」と予感していた人間の考えを

まず、世間や周囲の反応やら、少子化による社会的な暗黙の要請などなど、たしかにそれは感じることはあるが、そもそもそれらとは全く別軸のルールとして、

自分という人間遺伝子を残すことを是としない」という絶対的な考えがあって、未婚を貫くのもそもそもその可能性を断つことの意味合いが強い

子作りというのは自分一人ではできないし、たとえ相手が子作りしないことに同意していたとしても、人間の考えなどいつ変わるか分からない

それが自分以外の他人であれば猶更で、それを止める事は当然できないし、その権利だって当然ないわけで、だからこそ相手を作らないでいる方が安心安全

というより、性行為を頻繁に行う環境を用意してしまえば、たとえ避妊していても万が一は常にあり得るからこそ、可能性の芽を摘むことの意味合いは大きい

私は別に異性や性行為を憎んでいるだとか、子供自体が好きではないといったわけではなく、ただただ「自分の因子を残したくない」だけ

まあ、もしかしたら私のような考えはメジャーよりではないのかもしれないけど、それでもそもそもなんで未婚や子作りしたくないと自分が感じているのか、その源泉は自分で知っておいた方がいい

ただなんとなく、「そういうのも大丈夫になった社会から」とか「面倒臭いから」が理由になってるなら、年齢と共に後悔し始めるのも致し方ないと思う

要は、自分で決めた道なら、気をしっかり持って歩み続けることが大事だよ、と伝えたい

anond:20240609174637

ワイは、あんたの気持ち分からんでもないけど、実際のところ女の人生も楽なことばっかりやないで。どっちの性別でも、それぞれの苦労があるんやで。女やったら、社会的プレッシャーやら、結婚とか出産とか考えなあかんことも多いし、仕事キャリア選択簡単いかへんことが多いんや。もちろん、性別による恩恵もあれば、逆にハンデもあるわけやから、一概に男が損とか女が得とか言うのは難しい話やと思うんやけどな。知らんけど。

anond:20240609113557

ただの感想問題だと言ってる訳じゃないだろ

社会的に許されないとか公共に相応しくないとかの言葉が出てきてから出直して来いよ

未婚でパートナーもおらず歳を取ると狂うとは思わないけど、周りに友達がいたとしても「お前、それダサいよ」とか「その考え方は歪んでるんじゃない?」と言ってくれるような人は減っていって、社会的に見ると狂ってるように見える、ならあり得るかもしれない。

ある程度歳を取ったら、まぁ似た属性人間関係に偏るし、何より人間が出来上がっていて、ちょっとしたこと他人に言われて修正するとも思えないので、放置するしかないなという諦めも生じる。

anond:20240609103229

残念ながら、正確な詳細情報や具体的な背景については明確な答えを持ってはいませんが、一般的分析提供することはできます

孫子言葉を借りれば、「知彼知己、百戦不殆」(彼を知り己を知れば、百戦して殆うからず)というように、事態を深く理解するためには、関係する各方面の状況や背景を理解することが重要です。

政治的経済的影響力の違い:

ゲーム業界ゴルフ業界のいずれも影響力を持つ業界ですが、その影響力の質と範囲は異なる可能性があります。例えば、ゲームセンターやカラオケは若年層など幅広い層に影響を及ぼすため、利用税が取り下げられたのかもしれません。

社会的認識の違い:

兵者、国之大事、死生之地、存亡之道、不可不察也」(兵は国の大事、死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり)というように、戦略選択社会全体の影響を考慮しなければなりません。同じように、社会全体の認識価値観の変化も、政策に影響を与えるでしょう。例えばゲームカラオケは手軽な娯楽として広く一般に受け入れられているのに対し、ゴルフは一部の層に限定されるため、税金を維持する理由があるかもしれません。

財政理由

「勝兵先勝而後求戦、敗兵先戦而後求勝」(勝つ兵はまず勝ちてしかるのちに戦い、敗兵はまず戦いてしかるのちに勝を求む)というように、財政的に安定を目指すために最適な選択をする必要がありますゴルフ場利用税は、特定高額所得者層に支えられており、財政的な収入源として維持することが有効だと判断された可能性もあります

具体的な背景や理由政府政策決定過程公式の発表を通じてしか完全には理解できませんが、上記のような観点から考えてみると、一部の要因が絡み合っている可能性があります

anond:20240608094357

「巨悪にたいする他責思考」は良し


たとえば政治権力官僚資本家など、明らかな悪で、個人より力を持っている人たち


それが足りないから今のような絶望的な世の中になっている


逆に個に対する他責思考は明らかに良くない、場合もある

「私の好きなアイドル結婚したせいでメンタルが崩れた」

好きな人告白したのにOKが貰えなかったのでストーカーする」

など、個人責任押し付けるのは社会的意味がないし、

それが許されてしまうと嫌な世の中になる

anond:20240608094357

「『自分ではどうにもならないこと』を、あたかも本人の責任による問題であるかのように論じること」=自己責任

自分でどうにかできる範囲の、あるいは、そうすべき問題の原因がまるで他者にあるかのように考え主張すること」=他責思考

だぞ。そもそも、あらゆる問題の原因は自他様々でありうるけど(そしてどちらかが100%なんてことはほとんどない)利害関係のない第三者から見てその原因帰属バグらせ、どちらかに過剰な責任を負わせようとする主張が出たときに、「いやいや、それは違わね?」と指摘するための言葉だよね。誤った使い方しなければ何の問題もないし、それって言葉問題じゃなくて用法問題

(適切な例)

「(統計的に見て社会的問題が明らかである氷河期の人に)就職結婚は結局自分の考え方ひとつから…」「そうやって自己責任論にするのよくない」

客観的に見て特にひどく恵まれていないわけではないのに、自分の生まれ環境ばかりを悪者にぐちぐちと生きづらさを語る人に)「結局あなたを苦しめているのはその他責思考では?」

不適切な例)

社会個人どちらに原因があるか判別がつきにくい問題において社会問題点を指摘する人に)「そーゆーの他責思考っていうんだよねー」←言わない。増田が嫌いなのはコレでは?

貧困とか結局自己責任でしょ」←生まれ環境による自己ブーストに基づく偏見

2024-06-08

39歳独身女だけど本当に狂ってきたかもしれない

メンヘラだし正社員だけど借金持ちだし見た目やばい他人とのやりとりがだるくて結婚しろという圧から逃げてこの年になった。

周りの友人は結婚していて、子持ちもいて、へーかわいいねって感じだったんだけど、ここ数ヶ月で突然「自分は『社会』をやれてない半端もの」なんじゃないか、そうだそうだ、こんな人間生きてたらだめだ、って思うようになってきた。

メンタルクリニックにも通って毎日きちんと定量の薬を飲んでるけれど、突然「あっ死にたい、死ななければ」っていう気持ちが訪れる。そして、それが去ると「家も買えない結婚もしてない恋人もいない何もやる気がしないそんな人間クズお前はクズ」っていう気持ちが訪れる。

単に誤診なのか、別の病気発症したのかも分からない。セカンドオピニオン行きたくても行きたい病院はずっと初診の受付をしていない。合わないかもしれない薬を飲み続けるのか、新しい病院に行くのは正解なのか、わからなくて怖い。

ずっと「いい年こいて未婚でいると狂う」っていう話は対立煽りnote商売人の話だから見るだけ無駄と思っていたけど、なんか病院行ってこれだし本当にいい年こいて社会的なことを何もしてないと狂うのかもしれない。怖い。

論理大事だというのなら、価値規範を考えるにあたって必然的に一度ニヒリズムへと辿り着くと思う。

まず起点として不条理にもまっさらなその状態があって、そこから先に何を信じるかは各々の勝手だと思う。そうであるべき、というか単に事実としてそうとしか思えない。

道徳的直観みたいな存在あんまり信じられない。多少のバラつきはあるにせよある程度普遍的なその感覚存在するのだとしたら、ここまで社会規範が多様な状況について、同じ前提から展開される論理独自性だけで説明がつく気がしない。

個人の行動原理としてブッディズムなり刹那主義なり実存主義なり、あるいはニヒリズムに留まってただただ絶望するなり。社会思想としては民主主義なり社会主義なりアナーキズムなり。あるいはその両方を包括する宗教なり。

あくまで前提としてニヒリズムがあって、そこから何かしらの信仰再帰的に持つ事で初めて自分確信に基づいて、あるいは環境によって刷り込まれることで価値規範が手に入る。

あるいはあらゆる規範を一度無へと返す段階を経ずに、元々信じていたものを揺るぎない真実だと思い続ける人もいるかもしれない。別にそれで全然いいとは思うけど、その「真実」他人も当然共有していると思われるとちょっと面倒臭い。せめて、少なくとも社会的には権威・影響力を持っているくらいの認識でいて欲しい。

そういった信仰を持たない事を誇ったり、スタート地点のニヒリズムに居座って全ての無意味を悲観的に嘆く。その上他人もその世界観を共有している、あるいは共有されるべきだと信じて疑わない。

そんな人間冷笑野郎だと罵るのであれば、まあ分からんでもない。

別にそういう態度を他人に向けて喧伝するんでもなければ外野がとやかく言うのも余計なお世話だろとは思いつつ、まあおれもいけ好かないとは思う。

もし本当に何の信仰もなければ何の行動原理もない訳で、そしたら石のように沈黙するか、あるいは一切の規範に囚われることな本能に従って野獣の如く振る舞うんじゃないかと思う。

ただ、ニヒリズムを前提に置く事を以てして冷笑呼ばわりしたり、その癖私は論理的ですけど?みたいなスタンスを取るのはゴミカスだろって思う。

anond:20240608114958

男女とも「自分他人もモノ扱いで構わないか社会的な有利を守りたい」層が結構いる事は問題でもなんでもないだろ。

みんながそれで納得してるなら他人がどうこう言うなよ。

anond:20240608140429

余裕のある社会でメスを庇護対象として飼うならそれでもいいんだけど、

もはや社会に余裕がないし、メスが社会的優位性をよこせって言ってるから

そんならもうお前らのお気持ちなんかノイズしかないよって話

anond:20230204124621

必要としてる人や作者自身の願望や信念に応じたり基づいたりしてそういう物語や描き方もちろんあっていいけどあんなに素敵だと思っていたドラマ大豆田とわ子を久しぶりに見たときのあれ……って感情に近い増田

都合よく思える部分とか構造結構近いと感じる

とわ子や夫たちの造形とか性格容姿関係性とか社会的立場とか諸々

社会不適合的な親友(違国日記の姪や他登場人物との関係性に近しい)の存在関係

音楽は今でも最高と思うけど

今見ると主人公たちを追い詰める側が大分舞台装置というか、主人公たち以外には誰も人生人格がないようにわざと扱いたいのかなという醜い描き方というか……

結局まるごと共感できる、自分は屈託なくこっち側なんだと素直に感じられて、自分もしかして醜いがために舞台に登場させられない側の人間かも、もしくは舞台装置のごとく描かれる側のように自分も誰かを傷つけているかも…とは間違っても思わずに受け止められる人のための物語なんだと思えば気が楽かもよ

次作?で警察ミステリものときに生きづらさの中心地にいるが同時に他者を傷つけてもいる人物を書いててそれはよかったけど、結局美しい世界事情の上での話だなとは思ったの増田読んで思い出した

昨日最終話だったクドカンの季節のない街で描かれてる世界の方が優しいと思うし自分の認められないきれいでないもの排除したい感覚やそうするとき同時に巻き込んでスポイルしているだろう人やものがあることすでにそれをしてることに自覚的でないといけないと思った

クドカンはそういうものを描いたんだと思ったけど本当に全話見てその感想?みたいなやつもいっぱい見たわ

排除されるべきと思われているものを愛して抱えているがかつ一方では街で他者排除を実行する自身も十分に異物(自身挫折経験からしまさんにとって立ち退きは排除というより心底自立の促しなのかもしれない)でありながら社会的成功しているしまさんの存在がその二分された価値観対立というか、現在ポリコレとそうでないとされるものの間での人間の揺れ動きを表現しているようでよかった

最後にワイフに助け出されるのも

リリコ最高だった

全話も最終話も見事だったな

全話を通じて、特にがんもどき後編の勝手ハモんないでよから明確にオカベが一番嫌いな人物になったのでかっちゃんそんなただ「かわいそうな女の子に恋して助けてる自分のこと」が大好きなだけの男でええんか?と思っていたか最終話本当にあれでよかったと思った

よくも悪くも自身が選んだことでない状況や環境に人は左右されるもので、かっちゃん場合は本当はあったけどないように扱われていたし自分でも諦めていた意思や才(あの美しいハモり!)があの街から去ることで表に出てきたのだからよかったし、オカベが跡地でしょんぼりしているのもむべなるかなという感じ

それ以前にも叔母がかつこに言ってもしょうがいか……って言うとこも好き

の子は暗愚だから…という考えがあったのだとしても、起こってしまたこと、しかも箕打が起こしたことでそちらを守らず被害を受けた側を悪く思ったり責めることを飲み込む描写、すごいと思う

街の女同士の連帯不器用に描かれており、起こった事象の表面のえぐみや醜さだけ見てあの編集者がはっきと言ったように

「こんな人たちいるわけないしw」と捨て去ることは、その内側にいる本当は連帯すべき弱い人に起こったことや事情感情生命すら無感情に、あるいは憎みながら捨て去ることなのだとあのラストではっきり思わされた

こういう描き方もあるんだよね

この辺を見たはずなのに「クドカンポリコレを憎んでいる」って結論になってた人、口当たりのよい気持ちのいいドラマに感化されるあまり対立構造に巻き込まれすぎていると思ったな

そんなこと増田みて考えた

男女の齟齬はここから

「そろそろ車買えば?めちゃくちゃ便利だぞ。まぁ金はかかるけど、運転気持ちいいぞ。テクニック磨け。車オーナーになってこそ一人前だ」

車の代わりに代入できるのが日本男にとっての女(特に結婚)だ。弱者男性は車がゲットできないなんて人権ない、みんな乗ってるのに、と嘆く地方人みたいなものだ。

しかし。

女は自分人間だと知っている。小さい頃からどんなにお前は人間ではないと扱われてもなお、人間から男とも心の通った恋愛をして、便利なモノじゃなくてパートナーとして男と付き合おうとする。が、上記みたいな男が多いので絶望する。絶望して男嫌いになったり「頂き」になったり。最初から「賢い()」女は男をATMとして扱い、私は良い育ちで性的にも家事にも便利ですよと所有欲を煽り「お互いに」便利グッズとして生きろと迫ってくる。

女はモノ扱いが嫌なら働いて自分を買い戻し人間に戻るしかない。男も男の暴力性やATM扱いが嫌なら、誰かのことを所有しなければ男ではない世界否定すべきだ

問題は男女とも「自分他人もモノ扱いで構わないか社会的な有利を守りたい」層が結構いる事だけど

anond:20240608112820

https://anond.hatelabo.jp/20240608112820 の続きです

 

私も親・兄弟・元配偶者が怒りを炎上させて私や壁に怒りをぶつけるタイプだったので、元増田を「どこの家庭でもあるんだな」と思って読んでたんだけど

 

理由をつけて周囲に敵意をぶつけるかどうかは三者違った。

・外では攻撃的なことをしない、外面よし内弁慶タイプ

・外でも人に当たり散らすし、家でも私や家に当たり散らす所構わず全方位タイプ

 

でもどちらも要するに、「誰にいい顔をしたいか?」「誰になら当たり散らしてもいいか?」を選んでいる。

 

彼らは少なくとも、社会的に or 見た目上 自分より強い相手にはぶつかりにいかないと思うよ。

でも「やめて」って言ってもやめてくれないと思う。

どんな理由があったらやめてくれもらえる、とかもないと思う。

彼らは「やめて」が嫌い。

自分攻撃欲求を止められない人が、「攻撃欲求をやめて」が通じるわけがない。

 

全方位攻撃タイプの人を御す方法ないと思うよ。

全方位タイプの兄と絶縁しました。

多分今も兄の犠牲者になってる道行く人はたくさんいると思う。

可哀想だけど御せなくてごめん、でもその人たちを守るために私が兄の当たり散らしを引き受ける人生を送りたくないのでごめん」

とは思うけど、かといって生きてる間ずっとその人たちにごめんと思いながら生きてるでもないよ。

私も私でじゅうぶん兄の当たり散らしを山ほど引き受けたし、それを止めることもなく助長もした親のことをクソだなと思ってるよ。

彼をこんなふうにしたのは誰が悪いとか、誰のせいだとか、いつまでも考えてても無意味から、そういう状況から逃げてあとはそいつのことは忘れて生きていくほうがいい。

anond:20240607122620

そういう夫さんの犠牲になる他人存在は考えてる?

 

一方的に強く肩をぶつけられてなぜこっちが我慢しないといけないの?納得がいかない。された方が黙っているとつけ上がる奴が多い

なお夫も無差別に絡みに行くわけではない。主な対象は、電車や駅でぶつかってきて謝らない人、対応の悪いタクシー運転手電車内でマスクをつけずに大きなクシャミを連発している人、レジで並ぶとき妙に距離近く真後ろに並んでくる人、うちの家や車の前でボール遊びする家族…等、日常で出くわす「あ〜…なんかヤだな…」っていう人たち

最初は「なんだお前」みたいな感じで睨みつけ、相手が応戦してきたら「お前が悪いんだろ」となる流れ。

 

夫さんは夫さんの基準で「こいつはこういう理由で悪い奴だから睨んでいい、絡んでいい」を選んでいて、社会的マナーの悪い人を選んでいるようなんだけど、その人相手なら敵意を向けていいって思って敵意向けてくるのは、同じ社会に住む住人としてやめてほしいと思うよ。

電車や駅でぶつかってきて謝らない人が故意に謝らないのかは分からないでしょ。本当に気づかなかったのかもしれない、声が小さかったかもしれない。他の、増田

日常で出くわす「あ〜…なんかヤだな…」っていう人たち

と感じる人たちにもそれぞれ事情があるかもしれないよ。悪意の可能性もあるけど

「あ〜…なんかヤだな…」って思うまではともかく、よし敵意を向けてもいいなと判断されて敵意を向けられるのは困るよ。

増田は夫さんが敵意を向ける相手が夫さんよりも強い相手だった場合のことを心配しているけど、私は「夫さんが敵意を向ける夫さんよりも弱い認定した相手」になるだろう立場なので、そういう夫さんの存在は困るよ。

 

増田は夫さんが夫さんよりも強い相手に敵意を発露して刺されたりしなければいいんだろうけど、夫さんよりも弱い相手に敵意を発露して夫さんのストレス発散材料にされる人はたまったもんじゃないと思うよ。

 

一方的に強く肩をぶつけられてなぜこっちが我慢しないといけないの?納得がいかない。された方が黙っているとつけ上がる奴が多い

我慢してください。夫さんの一方的な敵意の決めつけである可能性も高いからです。

 

夫さんは、「自分が受けた嫌な仕打ちはしてきた人に絶対さないと気が済まない」「相手故意じゃなかった可能性は絶対ない」「自分被害者であれば・こういう理由があれば、敵意を返してよい」と思ってるんだと思う。それを他人に向けられるのは困るよ。

 

じゃ増田犠牲になってねとも言えないけどさ。

でも自分の無事のために周りを犠牲にする道を選ぶんだったら、「周りの人、私の無事のために犠牲になってください。周りの人に敵意を向けられてる間は私は安全なのでよろしくお願いします」くらい自覚的であってほしい。

それはお前への批判ではない(かもしれない)

なんで国や性別単位での批判があると、自分批判されたように感じるのか?

それは、自己同一化の罠にまんまと引っかかってるからだ。

自分が属するグループ攻撃されると、自分自身が攻撃されたと感じる。昔の武士みたいに、自分の「領地」を守らなきゃならないってね。

考えてみろ。国や性別なんて、ただの社会的なラベルに過ぎない。

まれ場所性別で、自分価値が決まるわけじゃない。それなのに、批判されると自分存在のもの否定されたように感じる。

これはもう、アイデンティティ脆弱からだよ。自分の中身がスカスカから、外側のラベルにしがみつくしかなくなってしまう。

広く、自分が属するグループ批判個人攻撃と感じるのは、集団心理の一部だ。

人間社会的な生き物で、集団に属することで安心感を得る。だから集団攻撃されると、自分安全が脅かされたと感じるんだ。本能的なものに近いだろう。だが、それが今現在人間として本当に必要感情かどうかは疑問だ。

自分の属する大きいグループへの批判があった時、それが事実であるかを考え、自分がそれにどれほど関与しているかを捉え、自分の考え方との距離感を測り、集団個人問題を切り分けることが必要だろう。

そして批判もっともだと思えば、賛同することすらできる。それが何かの改善に繋がることもある。

批判すなわち個人的な攻撃と感じるのは、その問題の切り分けが不十分であること、自分の未熟さを露呈しているに過ぎないんだ。

自分アイデンティティもっと複雑で多面的ものだし、外部のラベル依存する必要なんてない。

批判客観的に受け止め、自分を高める材料にすることこそ、本当の強さとだ。

自己同一化の罠から抜け出せるかどうかが、成熟した人間の証なんだ。

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